担当司祭から:2024年7月
恩師ヴィセンテ・アリバス神父さまを偲んで
(「道後教会だより」2024年7月号より)
今年はまだ半分が過ぎたところですが、その間にわたしの親戚や恩人の司祭が立て続けに亡くなりました。それは、わたしが年齢を重ねたからですが、寂しいものがあります。
中でも、わたしにとって最も寂しかったのは、わたしの恩師ヴィセンテ・アリバス神父さまの死去です。わたしはヴィセンテ・アリバス神父さまに英知大学(今はもう消滅しています)で出会い、わたしをドミニコ会へと導いてくださいました。このことは以前も教会だよりで書いたと思います。
わたしは若い頃からいわゆる「いい大学」に入ることをそれほど望んでいませんでした。それはいい会社に入ってたくさんのお金を稼ぐことに何の魅力も感じていなかったからです。そう思っていたのは、わたしの心に幼い頃から神父になりたいという思いがずっとあったことが関係しているでしょう。
高校生になり大学進学を迷っていたわたしに当時の地元の教会の主任神父が「英知大学に行ったらどうですか?」と勧めてくれました。幼い頃から神父への憧れを持っていたわたしは神父への道が開けると思って、その神父さまの意見に従い英知大学を受験して合格しました。
英知大学でアリバス神父さまは「教父神学」と「哲学」を教えておられました。わたしは両方とも受講し、アリバス神父さまの豊かな知識に触れ、感動しました。そして、大学の卒業論文でオリゲネスという西暦3世紀頃に活動した教父をテーマに選び、大学4年生になってから、すぐにオリゲネスに関する本を何冊も読みながら、アリバス神父さまのもとに足しげく通い、指導を受けました。
今の大学のシステムは分かりませんが、当時わたしの周りの学生たちが大学の論文を書き出したのは、1学期の終わりから2学期の初めぐらいだったと記憶しています。そんな中、4月の学校が始まってすぐ論文を書き始めたわたしは珍しかったと思います。同級生に驚かれたのを今でも覚えています。今、振り返って、あの論文を執筆していた頃は自分が一番熱心に勉学に励んだ時だったと思います。
そして、大学を卒業しましたが、様々な思いがあって神父への道は進まず、大学時代からアルバイトをしていたスーパーで契約社員になる道を選びました。その合間に毎月一回アリバス神父さまのいる修道院に通って、いくらか神父さまの手伝いをしながら、共に食事をして、アリバス神父さまの話に耳を傾けていました。当時のわたしは経験も知識も浅く、自説を語っても「川上君、そうじゃないんだよ」とたしなめられながら、色々なことを教えていただきました。
そして、契約社員の生活に疑問を感じた時、わたしは「司祭になろう」と思い立ち、真っ先にアリバス神父さまを頼りました。アリバス神父さまはわたしにドミニコ会に入ることを勧めてくださり、わたしがその勧めに従ってドミニコ会に入会したのは1999年でした。
それから神学生時代から神父になってから今まで、わたしはアリバス神父さまに様々な導きをいただきました。そのことは感謝にたえませんが、アリバス神父さまを「乗り越えられない壁」だと思っていたことは事実です。なぜなら、わたしはアリバス神父さまほどの物事に対する洞察力を持てないだろうと自分で思っていたからです。
けれども、わたしが最後にアリバス神父さまに会った4年前、アリバス神父さまはわたしの話に度々頷いてくださったことは、予想できなかったことで、わたしにとって大きな喜びでした。それは、わたしが10年ちょっと司祭としての道のりを歩み、経験を積んだことでアリバス神父さまを納得させられる物事の洞察力を身につけることができた結果だと思っています。
アリバス神父さまは数年前にガンを患い、長らく闘病生活を送っていましたが、今年の1月末に療養のためスペインに帰り、3月初めに亡くなりました。そんなアリバス神父さまが生涯かけて歩んだ司祭としての道のり、また追い求めた知恵の探究の道のりをわたしも追い求めたいとアリバス神父さまの訃報を聞いた時に思いを新たにしました。