担当司祭から:2023年12月
今年一年の振り返りと神学生時代の恩人の話
(「道後教会だより」2023年12月号より)
今年もあと1ヶ月ちょっとで終わりです。わたしは修道会から毎年、夏と冬に休暇をいただいているのですが、今年も年末年始に休暇をいただくことになりました。それまで、休暇中に友人と会ったり、神学生時代にお世話になった東京の教会に行ったりしていましたが、新型コロナウイルス感染症が流行して以降、ほとんど遠出ができず、実家でのんびり過ごしていました。それに、ここ数年は松山教会と道後教会の兼任が非常に負担になり、休暇で実家に帰ってもどこかに行く気力がありませんでした。
ただ、今年は年明けに松山教会の担当司祭を退き、道後教会の担当司祭だけになりました。といっても、幼稚園や愛光学園での授業、さらには教区の役員としての会議の出席などがあるので、教会に専念することは難しい状況です。しかし、8月に教皇フランシスコから発表された通り、高松教区は大阪大司教区と統合し、新たに大阪高松大司教区が誕生しました。そのため、教区の役員も大阪大司教区と高松教区の両方から選ばれることになりました。わたしはおそらく新しい大司教区の役員には選ばれない可能性が高いです。高松教区の役員としての仕事は来年2月末までとなっているので、仕事の負担がさらに減り、来年以降は今までよりも道後教会の司牧に力を注ぐことができます。ようやく自分の本来の仕事ができると思い、これから頑張っていきたいと思います。
さて、表題のタイトルの後半部分ですが、これはわたしが年明けに神学生時代にお世話になった神父様と信者さんの墓参りに行く予定を立てていることと関係しています。今でこそわたしは教会の説教、黙想会の指導など、さまざまな話をしていますが、神学生時代は教会学校で5分話すことができずに、子どもたちから失笑され、教会学校を担当している信者さんたちから「神学生なのに、どうして話もできないの」と叱責を受けることも少なくありませんでした。そんな中、当時わたしが行っていた教会の主任司祭はわたしに批判めいたことを全く言うことなくわたしをずっと見守ってくれました。時々ゆるしの秘跡を受けて、指導を仰いだこともありました。その神父様が数年前に亡くなられたので、その神父様の墓参りに行って、今のわたしの姿を報告したいと思います。
あと、もう1人墓参りをしたい人がいます。それは教会学校の指導をしていた信者の方です。その方は他の方と違い、わたしが失敗しても温かく励ましてくれました。その方はわたしが叙階する直前に病を得て、わたしが叙階直後にローマで勉強していた時に亡くなったという知らせをその方の孫から聞きました。その方の墓にも行って、今のわたしの姿を報告したいと思っています。
叙階して17年が経ちました。最初の数年はとにかく目の前の仕事に精一杯で、昔のことを振り返る余裕がありませんでした。司祭としての仕事が軌道に乗ってきたら、今度は二つの教会の兼任という重責を担い、またしても過去を振り返る余裕がありませんでした。松山教会を退き、その他の仕事が減った今、過去を振り返る余裕がわたしに生まれました。そこでわたしを助け導いてくれた神父様と信者さんの墓参りに行き、感謝の念を伝えると同時に、わたしがこれからの司祭としての道のりを歩む助けを願いたいと思っています。
最後になりましたが、2024年が皆様にとって良い年になることを願っています。