担当司祭から:2023年11月

川上栄治神父の写真
川上栄治神父

 2009年10月~2010年3月 協力司祭
 2010年4月~2013年3月、2014年4月~ 道後教会担当司祭

 1975年8月16日生。大阪出身。ドミニコ会司祭。
 2006年9月に司祭叙階。2006年~2009年、ローマで勉強。2009年8月に帰国後、松山へ。
 松山教会に在住。

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聖アルベルト教会博士

(「道後教会だより」2023年11月号より)

 来る11月15日に教会は聖アルベルト教会博士をお祝いします。彼は聖トマス・アクイナスの師として有名ですが、その生涯は聖トマスほど知られていないでしょう。そこで今回は聖アルベルト教会博士について書きたいと思います。聖アルベルト(カトリック道後教会 聖堂 ステンドグラス)
 聖アルベルトは1203年頃、ドイツのローインゲンに生まれ、20歳の時にドミニコ会第2代総長ザクセンのヨルダヌスによりドミニコ会に受け入れられました。聖アルベルトは神学だけではなく、自然科学にも広い知識を有していたため、「普遍的博士」と呼ばれました。
 その後、彼はパリ大学で2度神学教授を務め、このときに聖トマス・アクイナスと出会いました。ご存知の通り、聖トマス・アクイナスは数多くの神学書を著し、教会の歴史上で最も偉大な神学者ですが、神学生の時の彼は無口な上に、動作が鈍かったので、仲間から「牛」とからかわれていました。しかし、聖アルベルトは聖トマスの才能を見抜いたので、学生たちに「その牛が後に世界を驚かすだろう」と言ったという逸話が伝えられています。
 パリ大学で神学教授を務めた後、聖アルベルトは1254年にドミニコ会のドイツ管区長、さらにラティスボンの司教と教会の要職を務めました。その間に彼はヨーロッパ全土を徒歩で行き来し、「げた司教」と言われるほど熱心に使徒職を遂行しました。
 その後、1262年に管区長と司教職を引退して、ドミニコ会のモットーである観想と勉学の生活に専念したのですが、彼には生涯の最後に大きな仕事を果たしました。それは弟子であった聖トマス・アクイナスの著作の正当性を擁護することでした。
 聖トマス・アクイナスの著作は現在のカトリック教会の教義を形作ったと言っても過言ではありません。その一つがミサにおいて、司祭がキリストの最後の晩餐の言葉を唱えた時にパンとぶどう酒がキリストの体と血になるという「実体変化」の教えです。しかし、聖トマス・アクイナスのこのような教えは古代ギリシャのアリストテレスという哲学者の考えを神学に導入したものであり、これは当時のカトリック教会にとっては「異端」とされていて、聖トマスの著作にもその疑いがかけられたのです。今のわたしたちでは想像できないかもしれません。
 そこで、聖アルベルトは聖トマスの著作を擁護するために再びヨーロッパを徒歩で移動しました。弟子の聖トマスは1274年に亡くなっていましたが、聖アルベルトはその後数年生き、80歳近くまで生きました。ただ、高齢になっていた彼にとって徒歩での旅は厳しいものであり、その旅を全うすることができずに生涯を終えました。
 このように聖アルベルトは神学と自然科学に通じながら、教会や修道会での職を行うという、今流行りの言葉で「二刀流」と表現できる生涯を送った人だと言えます。わたしは司祭として感じるのは教会などの使徒職を行いながら、勉学を行うのは至難の業です。教会のミサの説教や学校の授業の準備などをしていると、自分自身の研究を深めることは難しくなります。そのことを痛感しながらも、聖アルベルトの模範に倣って学問の研究と教会の司牧を果たせる司祭として歩みたいと思っています。