担当司祭から:2023年10月

川上栄治神父の写真
川上栄治神父

 2009年10月~2010年3月 協力司祭
 2010年4月~2013年3月、2014年4月~ 道後教会担当司祭

 1975年8月16日生。大阪出身。ドミニコ会司祭。
 2006年9月に司祭叙階。2006年~2009年、ローマで勉強。2009年8月に帰国後、松山へ。
 松山教会に在住。

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アンチオケの聖イグナチオ

(「道後教会だより」2023年10月号より)

 来る17日に、教会はアンチオケの聖イグナチオのお祝いをします。この聖人はそれほど知られていないかもしれませんが、イエス・キリストが昇天した後に始まった初代教会において、非常に重要な役割を果たしました。そこで、今月の教会だよりでは聖人の生涯を簡単に書き、そして彼が教会において果たした役割を書いてみたいと思います。
 アンチオケの聖イグナチオは西暦35年ごろに生まれ、若くしてキリスト教に改宗しましたが、その前半生はよく分かっていません。彼はその名の通り、アンチオケで司教として働きましたが、ローマ皇帝トラヤヌスの時代に捕えられ、ローマに護送される間に7つの教会にあてて手紙を書きました。そして、西暦107年に獣に噛み殺されて殉教しました。彼の生涯で分かっているのは、これだけです。ライオンに襲われるアンチオケの聖イグナチオ
 しかし、アンチオケの聖イグナチオは生涯の最後の手紙で教会に大きな役割を果たしました。それは後代に成立するキリスト論の先駆けとなる言葉を書いているからです。イエスが昇天して間もなく、教会において様々な異端が生まれました。その一つがイエスの受難を見せかけとし、イエスの肉体と血を認めず、復活を信じないというキリスト仮現説でした。聖イグナチオはこう記しています。「イエスはダビデの裔、マリアから真実に生まれ、食べ飲み、ポンティオ・ピラトゥスのもとに真実に迫害され、真実に十字架につけられて死んだのです。…彼はまた真実に死者の中から甦ったのです」(トラレスの信者への手紙九章1〜2節)。この言葉はイエス・キリストがまことの神であり、まことの人間であることを明確に表しています。
 そして、初代教会の時代から、教会の中にあった対立を念頭に入れ、教会を一致させるのはエウカリスチア(聖体)であると考えて、聖イグナチオは次の言葉を記しています。「ですから、[分裂に陥らせず]ただひとつの聖餐に与るよう努めなさい(一コリント一〇章16節以下)。何故なら、私達の主イエス・キリストの肉はひとつ、彼の血と合一するための杯はひとつ、祭壇はひとつ、ちょうど長老団と、私の[主に対する]奴隷仲間である執事達と結ばれている監督はただひとりなのと同様です」(フィラデルフィアの信徒への手紙四章)。
 そして、彼の手紙の中で最も有名なのは、殉教に対する熱意を記した言葉です。「私はすすんで神のために死ぬのです。…私に獣の餌にならせてください。私は獣を通って[こそ]神に到達することが出来るのです。私は神の穀物であり、キリストの潔きパンとなるため、獣の前で碾かれるのです。どうか獣が私の墓となるよう、また私が死んだのち誰かに迷惑をかけるといけませんから、獣が私のからだのどこも残さないよう、むしろ獣を煽って下さい。世が私のからだをも見なくなるとき、そのとき私は本当にイエス・キリストの弟子となるでしょう」(ローマの信徒への手紙四章)。〈手紙の文章の引用は『原典古代キリスト教思想史1 初期キリスト教思想家』(小高 毅 編、教文館)による〉
 この殉教への熱意は現代のわたしたちにとって理解しがたいものです。だからと言って、聖イグナチオの言葉を「現代に合わない」と退けることは許されません。なぜなら、教会は聖書を最も大切にしていますが、それとともに聖イグナチオが書き残した文書も「聖伝」として大切にしているからです。聖イグナチオの殉教への熱意がわたしたちに受け入れにくいものであったとしても、彼の精神を受け継いで、現代の私たちが信仰に生きることが求められるのです。