担当司祭から:2023年9月

川上栄治神父の写真
川上栄治神父

 2009年10月~2010年3月 協力司祭
 2010年4月~2013年3月、2014年4月~ 道後教会担当司祭

 1975年8月16日生。大阪出身。ドミニコ会司祭。
 2006年9月に司祭叙階。2006年~2009年、ローマで勉強。2009年8月に帰国後、松山へ。
 松山教会に在住。

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幼稚園児の教会礼拝

(「道後教会だより」2023年9月号より)

 わたしは教会だよりで時々愛光学園での経験について書きますが、幼稚園での経験は書いたことがなく、また、わたしがどのようにして幼稚園での仕事を始めたかについても書いたことがありません。そこで今月の教会だよりは幼稚園のわたしの使徒職について書いてみたいと思います。
 わたしの幼稚園での肩書きはチャプレンというものです。チャプレンの元々の意味は、教会に属さないで社会にある組織で働く司祭のことです。ヨーロッパやアメリカでは病院、福祉施設、医療機関で働く司祭、あるいは軍隊に従軍して兵士たちのために秘跡を授ける司祭がチャプレンになります。日本においてはキリスト教系の福祉施設、医療機関、幼稚園のチャプレンが主だと思います。お話を聞く子供たち
 わたしは2013年に愛光学園で勤め始めたのと同時期に幼稚園のチャプレンとなりました。その年に、わたしは急遽今治教会に異動が決まりました。わたしの前任の今治教会の担当司祭だった方が隣にある若葉幼稚園のチャプレンをしていたので、その仕事をわたしが引き継ぎました。
 幼稚園でのチャプレンの仕事は、神様について園児たちに話をすること、マリア祭や七五三などで園児たちに祝福を与えること、さらには幼稚園で働く先生に信仰教育をすることが主です。ただ、わたしは今まで幼稚園の先生たちにキリスト教について教えたことはほとんどありません。その理由は二つあります。それはわたしが松山教会に住みながら、今治教会に通っていたことです。もう一つはわたしが様々な仕事に携わっているために幼稚園の先生の信仰教育ができないことです。
 わたしは今治教会の担当司祭を1年勤めた後、道後教会の担当司祭に戻りましたが、若葉幼稚園のチャプレンをその後4年間勤めました。それから、ロザリオ学園の理事長から今治の若葉幼稚園のチャプレンを終え、海の星幼稚園のチャプレンとなるように依頼を受けました。それで2018年度から海の星幼稚園のチャプレンとなったのです。
 わたしが海の星幼稚園のチャプレンになることが決まった時、ロザリオ学園の理事長からこのように頼まれました。「海の星幼稚園の園児は聖堂でお祈りする機会がないので、聖堂に連れて行って、聖堂でのお祈りを体験させて欲しい。」それで、わたしが海の星幼稚園のチャプレンの契約をした時、毎学期一度は松山教会に園児たちを連れて行って、教会で礼拝することが条件として盛り込まれました。
 わたしが海の星幼稚園で神様のお話を始めた時、理事長の言っていることが分かりました。わたしは神様のお話の前後に園児たちに主の祈りを唱えさせるのですが、海の星幼稚園の園児たちの祈る姿はどこかぎこちなかったのです。それは幼稚園のホールでのお祈りは「義務」と感じているとわたしは思いました。それで、教会礼拝は大切だと実感したのです。
 園児たちが最初に教会礼拝に来た時のことは、今でも忘れられません。園児たちが教会の聖堂に座った途端、その顔は驚きでいっぱいで、目を輝かせてわたしの話を聞いていました。そして後日、園長先生から「教会礼拝の後、園児たちが教会のマリア像の前で自発的に祈るようになりました」と聞き、大変嬉しく思いました。
 ちなみに松山教会から海の星幼稚園までは車で20分ぐらいかかります。園児たちが松山教会に来て帰るまでに大体30分ですが、そのうちの10分が祈りと聖歌をうたうことと、わたしの話です。残りの20分は園児たちが聖堂に入り、祭壇の前まで歩いてお辞儀をして、席に座ることに費やされます。
 教会礼拝に来る園児は年長児だけですが、それでも70?80人います。その園児一人ひとりにお辞儀をして聖堂を歩いて座るのを指導するだけでかなり労力を費やします。わたしは教会礼拝が終わって、部屋に帰ると疲れきって横になるほどです。幼稚園の先生というのは大変な仕事だと実感しました。
 このような教会礼拝ですが、それが園児たちにどれほどの意味を持つかは正直分かりません。年に3回の礼拝だけで園児たちの信仰を十分に養えるとわたしは全く思っていません。けれども、園児たちが成長した時に「教会で祈ったことがあったな」と心の片隅に少しでも残っていれば、それが信仰の種になるでしょう。その信仰の種を植えるのが、チャプレンとしてのわたしの務めだと思います。