担当司祭から:2023年7月

川上栄治神父の写真
川上栄治神父

 2009年10月~2010年3月 協力司祭
 2010年4月~2013年3月、2014年4月~ 道後教会担当司祭

 1975年8月16日生。大阪出身。ドミニコ会司祭。
 2006年9月に司祭叙階。2006年~2009年、ローマで勉強。2009年8月に帰国後、松山へ。
 松山教会に在住。

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マグダラのマリア

(「道後教会だより」2023年7月号より)

 来たる7月22日はマグダラのマリアの祝日です。この日は以前は記念日として祝われていましたが、2016年に教皇庁典礼秘跡省から、マグダラのマリアの記念日を祝日とするという教令が出たことにより、マグダラのマリアは祝日として祝われるようになりました。
 マグダラのマリアは福音書において、7つの悪霊を追い出していただいた女性として描かれ、イエスの埋葬を見届けたこと、と復活したイエスに出会ったことが記されています。ただ、マグダラのマリアは悪霊を追い出されたから「罪深い女」であったという考えに基づき、彼女がイエスと結婚していたと考える人が古くからいました。現代でもこの考えに基づいた小説「ダ・ヴィンチ・コード」がベストセラーとなりましたが、この説を裏付ける歴史的な根拠はありません。
 さて、マグダラのマリアが福音書に登場する最も有名な箇所は、なんと言ってもヨハネ福音書20章11節〜18節です。この箇所はマグダラのマリアの祝日に読まれます。その前のヨハネ20章1〜10節はマグダラのマリアはイエスの墓に行き、そこが空であったことを見て、それをペトロとイエスの愛しておられた弟子(福音記者ヨハネと思われる)のところに行って、イエスの墓が空になったことを知らせる場面です。二人の弟子はそのことを確認した後、彼らは家に帰りました。
 しかし、マグダラのマリアはイエスの墓の前で立って泣いていました。そこにイエスが現れて話しかけますが、マリアはイエスが園で働いている人だと思い、見当違いなことを言います。マリアがイエスに気づいたのは、イエスが彼女を「マリア」と彼女の名を呼んだ時です。そこでマリアは「ラボニ(ヘブライ語で「先生」の意)」と言ったと記されていますが、その後イエスが「わたしにすがりつくのはよしなさい」と言ったことから、マリアはイエスに抱きついたと考えられます。イエスはマリアに弟子たちにご自分が復活して、神のもとに上ることを伝えなさいと命じました。これが20章11〜18節の話です。アレクサンドル・アンドレイェヴィチ・イワノフ作「復活後にマグダラのマリアの前に現れたキリスト」
 この箇所は新約聖書の中で美しい場面と言えます。それは空の墓の前で泣くマグダラのマリアの悲しみが復活したイエスと出会うことによって、喜びへと劇的に変わるからです。ただ、残念ですが、この場面は主日で読まれません。それは先ほど書いたマグダラのマリアがイエスと結婚していた噂があったことが影響しているかもしれません。
 いずれにせよ、この場面でマグダラのマリアがイエスに対して深い思い入れを抱いていたことが分かります。彼女の姿はイエスを求めるわたしたち信仰者の模範と言えるでしょう。もちろん、イエスに直接会ったマグダラのマリアとイエスと直接会ったことのないわたしたちではイエスを求める感情に温度差があって当然ですが、わたしたちはイエスを信じて、イエスに従う道を選んで洗礼を受けました。
 だから、わたしたちも様々な悩みや苦しみがあるとき、イエスの姿を求めます。マグダラのマリアがイエスに声をかけられても気づかなかったように、わたしたちもイエスの姿を見失うこともあるでしょう。そんな時でもイエスは必ず聖書の言葉と聖体を通して、わたしたちのそばにいてくださいます。そのことを信じ、マグダラのマリアのようにイエスの姿を追い求めていきましょう。
 最後に付け加えますと、マグダラのマリアはドミニコ会ロザリオ管区の保護者です。それは、ロザリオ管区の始まりはスペインの宣教師たちがフィリピンに着いた日に由来します。その日は1587年7月21日で、マグダラのマリアの祝日の前日でしたが、自分たちの宣教活動がマグダラのマリアの保護に助けられるようにという願いから、ドミニコ会ロザリオ管区はマグダラのマリアを保護者としています。どうかドミニコ会ロザリオ管区が聖ドミニコとマグダラのマリアの助けによって、日本での宣教の働きを続けられるよう、皆さんのお祈りをお願いします。