担当司祭から:2023年6月
助祭 ― 典礼とみことばの奉仕者 ―
(「道後教会だより」2023年6月号より)
去る5月13日にルカ・ジョンソックン神学生の助祭叙階式が松山教会で行われました。助祭は一般的に「司祭になる前の準備段階」と捉えられています。それは教会で行う司牧実習が神学生であれば、教会学校や聖書講座の手伝いなどに限られますが、助祭になるとミサでの奉仕 ― 特に説教 ― を行うので、本格的に司祭への道を歩むことになります。
しかし、わたしはこのステップを踏むことなく司祭になりました。なぜかといえば、わたしは神学校での司牧実習を助祭に叙階される前に終え、叙階されて間もなくアイルランドの語学留学に行き、それから帰ってきて司祭叙階をされ、すぐに修士課程の勉強をするためにローマへ行ったので、助祭としての奉仕をほとんどできませんでした。アイルランドで助祭としてミサにおいて祭壇の奉仕を行いましたが、英語で説教をすることはありませんでした。
このわたしの例はいささか極端だと思いますが、助祭が単なる司祭への通過点のように捉えられることは一般的となっています。そこで、今日は教会において助祭が生まれた起源と助祭の務めについて書いてみたいと思います(以下『新カトリック大事典』「助祭」の項を参照)。
助祭の起源として有名な聖書箇所は使徒言行録6章1〜6節です。ここでステファノたち7人が食卓の世話をするために選ばれています。しかし、この7人は食卓の世話だけではなく、ステファノは神の言葉を伝えて殉教し(使徒言行録6章8節〜7章60節)、フィリポはエチオピア人の男性に洗礼を授けている(使徒言行録8章26〜40節)ので、神の言葉を伝える任務にも携わっていたと考えられます。この7人が助祭の模範として教会の歴史の中で大きな影響力を持ちました。しかし、典礼の奉仕と密接な関係にあった食卓の奉仕から生まれた慈善事業の務めは中世時代になると廃れ、助祭の務めは典礼に特化することになりました。
助祭の務めは「司教およびその司祭団の交わりの中で」果たされるものであり、それは「典礼とみことばの奉仕者」として行われます。具体的には、聖体を保管し、分け与えること、臨終にある者に聖体を運ぶこと、信徒の祭礼と祈りを司会すること、準秘跡(按手、十字架のしるし、聖水を注ぐ)を授けること、葬儀と埋葬を執行することなどが挙げられます。また、ミサで行われない結婚式や洗礼式を司式することができます。そして、助祭のことばの奉仕の任務は「信者たちのために聖書を朗読すること、人々に教え勧告すること」(第二バチカン公会議教会憲章 第29項)です。さらには主任司祭の代理として遠隔のキリスト教共同体を指導することです(以上、『新カトリック大事典』「助祭」の項)。
けれども、実際のところ、司祭へのステップである助祭が派遣先の教会で行うのは、ミサでの福音朗読と説教と聖書講座の指導がほとんどです。それは、『新カトリック大事典』でも触れられているように「助祭は司祭になる過程で通る一段階としか考えられない」からです。助祭の期間は通常1年であり、その間は教会に派遣されますが、その後で司祭に叙階されるので、派遣先の教会での葬儀や洗礼式を行うことはほとんどないと言っていいでしょう。
けれども、助祭としての1年間で聖書朗読と説教を行うことは非常に大事です。わたしはこの助祭としての期間を語学留学で過ごしたため、ローマでの勉強を終えて日本で司牧に携わるようになった最初の頃、説教の準備は非常に苦労しました。やはり、説教は助祭時代に派遣地の司祭の指導が必要だと思います。幸い、わたしは神学生時代に過ごした教会の主任司祭から様々なことを教えていただき、霊的指導もしていただいたので、それが今の司祭職の支えとなっています。
現代社会の中で司祭職を生きることは多くの困難があります。その司祭職へと向かうキム・ジョンソックン助祭に神の豊かな働きがあるように、お祈りください。