担当司祭から:2023年4月

川上栄治神父の写真
川上栄治神父

 2009年10月~2010年3月 協力司祭
 2010年4月~2013年3月、2014年4月~ 道後教会担当司祭

 1975年8月16日生。大阪出身。ドミニコ会司祭。
 2006年9月に司祭叙階。2006年~2009年、ローマで勉強。2009年8月に帰国後、松山へ。
 松山教会に在住。

区切り線

別れ

(「道後教会だより」2023年4月号より)

 先日、愛光学園の授業を終わった後、一人の卒業生の男子生徒に偶然出会いました。聞けば、前日卒業式があったけど、用事があったため、学校に来たとのことでした。卒業証書
 わたしが愛光学園で授業をするようになってから10年経ちました。最初の5年は他の先生と一緒に中学1年生の授業を担当し、聖書について話すだけでしたが、その後の5年は一人で中学2年生の授業を担当しています。今年、卒業する生徒はちょうどわたしが中学1年生の授業から中学2年生の授業に代わる時に担当したので、2年関わったことになります。そのため、わたしにとって思い入れのある学年で、生徒たちからよく声をかけられ、またよく声をかけて話をしていました。
 中学の頃はにぎやかで元気だった生徒も高校生になり、受験が近づくにつれて緊張が増していく様子は、たまに会ったわたしも分かるぐらいでした。わたしは難関大学を受験したことがないので、生徒たちの苦労を本当の意味で知ることができませんが、会うたびに生徒たちを励ましていました。
 その中で先日会った男子生徒は、受験を迎えても中学時代と変わらない明るさで挨拶してくれました。いつも笑顔で「頑張っていますよ」と答える彼の姿を、わたしは不思議な気持ちで見ていました。
 卒業式後ということもあり、その生徒と授業をした頃の昔話をゆっくりする時間がありました。その生徒たちを担当した年は、授業の初年度で不慣れなことが多くて慌てることも多く、それが生徒たちの印象に残っていたようです。そして、わたしは彼に「お前は学校時代ずっと明るかったよな」と言いました。そうしたら、彼はこう答えたのです。「僕はいつも周りの人と笑っていたいんだ。僕はそうやって生きていたいんだ。」
 わたしは驚き、「お前すごいな! 俺には絶対できないよ」と言いました。それがわたしの正直な気持ちだったからです。わたしは司祭になって人と笑顔で接することを心がけていますが、元来人付き合いが苦手な性格で、しばしば気分が沈み、それが表情に出てしまい、周りから気を遣われることがあります。そういう気分の時は私用で外出することも億劫になります。定期的に通っている病院に行くことも迷い、外出するために服を着替えながら、結局外に出るのが嫌でもう一回着替えて、部屋でじっとしていることもあります。わたしにとって、部屋にいる時が一番心の落ち着くのは、今も変わりません。
 そんなわたしにとって、彼の一言は衝撃でした。他の人と笑って一緒に過ごしていたい、という思いをわたしはほとんど抱いたことがありません。「なんとか人付き合いをすればいい」と思っているからです。けれども、わたしは説教で神はわたしたちが喜んで生きることを望んでいるはずだと言うことが増えました。その言葉を彼はちゃんと生きているのだと思いました。わたしも歳を重ね、「今の生徒たちは」と色眼鏡をかけて批判することもありますが、今の生徒たちも彼らなりにちゃんと色々考えて生きているのだと痛感しました。
 ただ、そんな彼にも受験が終わってから合格発表まで10日あるのは辛いと言っていました。後で別の卒業生がやって来て話に加わりましたが、その生徒もやはり辛いと言っていました。それから「先生、僕たちが合格するよう祈ってください」と言われました。もちろん、それは本来の祈りのあり方ではないですが、わたしは彼らが大学に合格して、明るい未来を歩んでほしいと願って、「分かった。祈っているよ」と答えました。
 これからわたしが愛光学園でどれくらい教員を続けるのか分かりません。教員を続ける限り、多くの生徒と出会うでしょう。けれども、今年卒業した生徒はわたしが2年間関わったおそらくもう二度とない生徒たちです。その生徒たちの未来が明るいものであることを心から祈っています。