担当司祭から:2023年1月

川上栄治神父の写真
川上栄治神父

 2009年10月~2010年3月 協力司祭
 2010年4月~2013年3月、2014年4月~ 道後教会担当司祭

 1975年8月16日生。大阪出身。ドミニコ会司祭。
 2006年9月に司祭叙階。2006年~2009年、ローマで勉強。2009年8月に帰国後、松山へ。
 松山教会に在住。

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降誕節

(「道後教会だより」2023年1月号より)

 数年前、教会のある若い信者から「神父様、降誕節は25日までですか?」と聞かれたことを今でも覚えています。その時、わたしは驚きましたが、日本で生活しているとそう思うのはやむを得ないと後から思うようになりました。日本では11月からデパートで「クリスマス商戦」と銘打った売り出しが始まり、街はクリスマスの装いになりますが、12月26日から街は年末年始の装いになり、クリスマスの装いは消えてしまいます。だから降誕節が25日で終わると考える信者がいても不思議ではない、と思うようになりました。馬小屋
 教会暦では、降誕節は主の洗礼までとなっています。その間にある1月1日の神の母聖マリアの祭日は主の降誕と並んで「守るべき祝日」とされている大切な日です。けれども、その間にある聖家族の祝日、主の公現の祭日、そして降誕節の終わりにあたる主の洗礼の祝日さえも、年によって移動します。聖家族は「主の降誕の次の日曜日」という典礼の規定がありますが、これは主の降誕が日曜日にお祝いされる時は12月30日の金曜日に移ります。また、主の公現は1月2~8日の間の日曜日にお祝いされるという典礼の規定がありますが、1月8日に主の公現をお祝いすると、主の洗礼は翌日月曜日に移り、その日で降誕節は終わります。今年の降誕節がまさにこのケースに当てはまります。このように、降誕節は年によって祝う日が変わる上に、降誕節にあたる年末年始は家族の帰省などで何かと忙しく、ミサに参加するのが難しい方も多くいらっしゃると思います。
 ただ、降誕節にある聖家族、主の公現、主の洗礼は、それぞれイエス・キリストの生涯において節目となる重要な日なので、大切なのは言うまでもありません。6年前の教会だよりでこのことについて書いていますが、その時は降誕節の間にある聖人の祝日に焦点を当てました。今回は降誕節の間の聖家族、主の公現、主の洗礼について簡単に説明し、降誕節の流れを通して見えてくる意義について書いてみたいと思います。
 聖家族の祝日はヨセフとマリアの働きによってイエスが神の子として世に出ることができたことを記念します。主の公現の祭日はイエスが占星術の学者たちの訪問を受けたことをお祝いします。主の洗礼の祝日はイエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けたことによって、神の子として公生活を始められたことを記念します。その間にある1月1日の神の母聖マリアの祭日はイエスが誕生して8日目にあたり、その日に両親からイエスと名付けられたことによって、マリアに告げられた預言が完全に成就したことが記念されます。
 ご存知の通り、主の降誕は夜半ミサでイエスが誕生し、その誕生が羊飼いたちに告げられた箇所が読まれます。翌日はヨハネ福音書の序文が読まれることによって、イエスが「世の初めからおられた神の子」であることが荘厳に宣言されます。それから、聖家族、主の公現、主の洗礼、を祝うことによって、イエス・キリストの誕生から世に出るまでの一連の出来事が完結するのです。この全てが降誕節に含まれていることを改めて心に留めていただきたいと思います。
 ちなみに、この降誕節の流れがよく分かるのは、キリスト教の幼稚園や学校で演じられる「降誕劇」です。わたしが現在チャプレンとして行っている海の星幼稚園でも毎年行われています。わたしは海の星幼稚園のチャプレンになって4年目になりますが、今まで一度も園児たちの降誕劇を見たことがありません。海の星幼稚園の前は今治にある若葉幼稚園のチャプレンを5年務めましたが、そこでもやはり園児たちの降誕劇を一度も見られませんでした。自分が関わっている子どもたちが真剣に降誕劇を演じている姿を一度はこの目で見たいと思っていますが、今の状況ではしばらく無理だと思います。
 最後に、この文章を読んでいる皆さまに主の降誕のお祝いを申し上げます。そして、皆さんにとって2023年が良い年になることを願いつつ、この文章を閉じることにします。