担当司祭から:2022年6月&7月

川上栄治神父の写真
川上栄治神父

 2009年10月~2010年3月 協力司祭
 2010年4月~2013年3月、2014年4月~ 道後教会担当司祭

 1975年8月16日生。大阪出身。ドミニコ会司祭。
 2006年9月に司祭叙階。2006年~2009年、ローマで勉強。2009年8月に帰国後、松山へ。
 松山教会に在住。

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イエスのみ心

 今年、イエスのみ心の祭日は6月24日でした。通常、6月24日は洗礼者ヨハネの誕生の祭日です。基本的に祭日は移動することがありません。例外は聖ヨセフと神のお告げの祭日が聖週間に入った際に、移動する時です。
 イエスのみ心の祭日は聖霊降臨の祭日から2週間後の金曜日と定められています。それが今年は6月24日になったので、洗礼者ヨハネの誕生の祭日が一日前の6月23日に移動しました。これは大変珍しいと思います。少なくともわたしが司祭になってから初めての経験でした。それはともかく、今回の教会だよりはイエスのみ心について書きたいと思います。
 イエスのみ心の信心は1675年にフランスの聖女マルガリタ・マリア・アラコックにイエスが現れたことが起源です。イエスは聖女アラコックに当時の社会に広がっていた冷淡な心を嘆かれ、自らの心臓を尊ぶことを勧められました。そして、1856年に教皇ピオ6世によって、み心の祭日をキリストの聖体の祭日の直後の金曜日に祝うことが正式に定められたのです。この信心の根拠はヨハネ福音書19章34節で「しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水が流れ出た」という箇所が用いられます。これはイエスがわたしたちのために心臓を突き刺したと理解されます。イエスのみ心のレリーフ(ドイツ・アルベルスキルヒ、悲しみの聖母教会)
 カトリック国において、み心の信心は広く浸透しています。わたしがローマにいた時、当時住んでいた修道院の聖堂にあったみ心の像を聖堂の修復のために一時撤去したことがありました。その時、ある信者から「どうしてイエスのみ心の像がないの!」と詰め寄られ、困った記憶があります。
 しかし、わたしはイエスが心臓を手に持っている像や、あるいは心臓を開いている像を見ても、あまり祈ろうという気になれません。わたしが兼務する松山教会の保護聖人はイエスのみ心なので、イエスのみ心の像が聖堂にありますが、見るたびに違和感を覚えます。人が心臓を持つ、あるいは心臓を見せるのが「グロテスク」と感じるからです。
 ところで、ご存知の通り、教会の典礼はA年、B年、C年で構成されますが、イエスのみ心の祭日にもその年によって福音が構成されています。み心の祭日の福音はB年でイエスのわき腹を刺した箇所が読まれますが、C年では「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を残して、見失った一匹を見つけ出すまで探し回らないだろうか」というイエスのたとえ話を通して、回心を呼びかけるイエスのたとえ話を用いています。これはイエスのみ心の信心を理解する上でとても大切な箇所だとわたしは考えます。
 イエスの心臓を信心の対象とすることは正しいと思います(わたしのように受け入れにくいと思う人がいるとしても)。けれども、「心」とは決して心臓だけを意味するのではありません。人は心臓が止まれば死を迎えますが、脳が活動を停止すれば「脳死」になり、呼吸以外の人間としての活動ができなくなります。それが人間であるかどうかという議論は近年盛んになっています。わたしは科学の専門家ではないので、この議論に深く入り込むことはしません。
 わたしが感じるのは、人類のために十字架の死を受け入れられたイエスの肉体的な死を「み心」として信心するのは、同時にイエスが当時の人々が飼い主のいない羊のような状態であることを見、その人々に神の国の到来を告げられた「憐れみ」を思い起こすことにもつながると言えます。現代、多くの人々が自分の生きる道を探し求めています。順境の時は楽しく過ごせるでしょう。けれども、身近な人の不幸や予想外の出来事によって逆境に陥った時、それを受け入れられずに苦しむ人が大勢います。
 そのような人たちのためにイエスは今もわたしたちを憐れみ、わたしたちとともにいてくださいます。このイエスの憐れみは単なる「かわいそう」という気持ちではなく、わたしたちの苦しみを「はらわたがよじれるほど」の心で共感してくださることです。そのイエスの「憐れみ」がイエスのみ心なのです。このイエスの「憐れみ」を少しでも多くの人に伝わればいいとわたしは思っています。