担当司祭から:2022年3月

川上栄治神父の写真
川上栄治神父

 2009年10月~2010年3月 協力司祭
 2010年4月~2013年3月、2014年4月~ 道後教会担当司祭

 1975年8月16日生。大阪出身。ドミニコ会司祭。
 2006年9月に司祭叙階。2006年~2009年、ローマで勉強。2009年8月に帰国後、松山へ。
 松山教会に在住。

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2022年最初の教会だよりにあたって

(「道後教会だより」2022年3月号より)

 2022年が始まって2ヶ月が過ぎますが、今年最初のホームページへの寄稿となりました。大変遅くなりましたが、皆様本年も当教会のホームページをよろしくお願いします。
 今年は年明け早々にオミクロン株のコロナウイルスが瞬く間に拡大したことを受けて道後教会は1月23日よりミサを休止しています。愛媛県での感染者が連日300人前後を数える状況の中、ミサを再開する見込みは未だ立っていません。4月17日が復活祭なので、それまでにはミサを再開したいと多くの信者、司祭は考えています。
 世界情勢を見てみると、ロシアがウクライナに侵攻し、多くの人の命が奪われています。また、ミャンマーの軍事政権によって民衆は弾圧され続けていますし、多くのアフリカ諸国では内戦状態が長引き混沌とした情勢です。それによって、アフリカ諸国ではコロナワクチンの供給が遅れ、多くの人命が失われています。また、自然災害の脅威も忘れてはなりません。暴風、洪水、山火事などの災害は世界のどこかで起こっています。こういったことを見聞きするうちにわたしたちは不安をかき立てられるでしょう。
 「ところが、聞くところによると、あなたがたの中には怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいるということです。そのような者たちに、わたしは主イエス・キリストに結ばれた者として命じ、勧めます。自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。そして、兄弟たち、あなたがたはたゆまず善いことをしなさい」(テサロニケの信徒への手紙二 3章11~13節)。
 この文章はパウロがテサロニケの信徒へ送った手紙です。ここでパウロが「あなたがたの中で怠惰な生活をしている者がいる」と批判するのは、キリストの再臨が迫っているから働く必要がないと考えていた人たちです。キリストの再臨とは世の終わりの到来と同じ意味です。それは、初代教会の時代に「世の終わりが来たら、わたしたちは何もしなくていい」という考えがあったことを示しています。キリストの再臨によってこの世が終わるのだから仕事をしなくて良いと考えている人々に対して、パウロはこう戒めます。「自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。そして、兄弟たち、あなたがたはたゆまず善いことをしなさい。」 
親鳥が子供たちに餌をやる もちろん、今がその初代教会の時代と状況が同じであるとは言えません。けれども、現代世界が「行き詰まり」を見せており、それに対する閉塞感があります。それは「真面目に働いても生活が豊かにならない」と投げやりになる人がいます。麻薬に手を出す若者が増えているのはその一例です。「落ち着いて仕事をしなさい」というパウロの言葉は現代社会を生きるわたしたちにも通じる戒めだと言えるでしょう。
 コロナウイルスの感染の長期化や世界情勢の不安定さはわたしたちの心を不安にさせることは間違いありません。現在、コロナウイルスの感染者のために尽力している医療従事者や戦争の渦中にある人々に思いを馳せ、祈りを捧げることは必要です。ただ、わたしたちが過ごしている日々の生活を「落ち着いて」行うことも、それと同じくらい大事です。なぜなら、わたしたち自身の心が落ち着かなければ、生活が困難になっていくからです。
 それとともに、「あなたがたはたゆまず善いことをしなさい」という勧めも大事にするべきです。自分の周りにいる人の中には、誰にも言えない苦しみを抱えている人もいるかもしれません。そういう人々とともに歩むことは、わたしたちにとって大切です。コロナウイルス感染者のために働く医療従事者や戦争の渦中にある人々のために祈ることはもちろん大事ですが、それと共に自分の身の回りにいる人々とともに歩み、苦しんでいる人々に手を差し伸べることも大事なのです。「わたしは今、何ができるだろうか」を考え、日々を歩んでいくことが今わたしたちに求められているのではないでしょうか。