担当司祭から:2021年12月

川上栄治神父の写真
川上栄治神父

 2009年10月~2010年3月 協力司祭
 2010年4月~2013年3月、2014年4月~ 道後教会担当司祭

 1975年8月16日生。大阪出身。ドミニコ会司祭。
 2006年9月に司祭叙階。2006年~2009年、ローマで勉強。2009年8月に帰国後、松山へ。
 松山教会に在住。

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福音記者ヨハネ ― イエスに愛された弟子 ―

(「道後教会だより」2021年12月号より)

福音記者ヨハネ(エル・グレコ)  主の降誕から二日後の12月27日に、教会は福音記者ヨハネをお祝いします。その福音記者ヨハネについて、今月の教会だよりで書いてみたいと思います。福音書によれば、福音記者ヨハネは父はゼベダイであり、兄のヤコブとともに漁師をしていましたが、公生活を始めたばかりのイエスに召し出され、その弟子となりました(マルコ1・19~20)。ヨハネはペトロ、ヤコブと共にイエスの生涯における重要な出来事に立ち会いました。その主な箇所は「ヤイロの娘の蘇生(マルコ5・37)」、「イエスの変容(マルコ9・2)、そしてイエスが逮捕される直前にゲッセマネの園で祈っていた時(マルコ14・33)が挙げられます。
 ただ、福音書に兄ヤコブと共に「雷の子ら(ボアネルゲス」」(マルコ3・17)と呼ばれており、気性は激しかったようです。実際福音書では度々イエスに諌められている記述があります。例えば、兄のヤコブと共に他の十人の弟子を差し置いて「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人をあなたの左に座らせてください」とイエスに願って他の弟子たちが腹を立てたという記述がありますし(マルコ10・35~45)、イエスと弟子たちがサマリア人の村を通って歓迎されなかったとき、兄のヤコブと共に「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言ってイエスから戒められている箇所もあります(ルカ9・54)。そのヨハネは他の弟子と同様、イエスが昇天した後に聖霊が与えられ、初代教会の指導者となりました。
 ただ、兄のヤコブがヘロデ・アグリッパ王に捕らえられて殺された(使徒言行録12・2)のとは対照的に、90才を超える長命を全うしたとされています。教会の伝承において、イエスの弟子は全て殉教したと伝えられているので、これが正しいとすれば福音記者ヨハネのみが生涯を全うしたことになります。しかし、伝承によれば、パトモス島に追放されたとか、沸騰した油の入った大鍋に投げ込まれたが奇跡的に生還したとか様々な出来事も伝わっているので、その生涯は波乱に満ちたものだったと言えます。その一方で、ヨハネが殉教したという伝承もあるので、福音記者ヨハネの生涯はほとんど分かっていないというのが実際のところです。
 いずれにしても、ヨハネ福音書がイエスの生涯を伝える正典として今のわたしたちに残されているのは確かです。ただ、ヨハネ福音書は文章が難解であり、他の三つの福音書と大きく異なっていることはよく知られています。中でも福音書の冒頭の「初めに(ことば)があった。言は神とともにあった。言は神であった」という「ロゴス賛歌」(1・1~18)は主の降誕日中の福音で読まれる箇所ですが、多くの神学者が様々な解釈をしてきた有名かつ難解な箇所です。その他にも「主の晩餐」に関する言及がないことや他の三つの福音書と全く異なる順番でイエスの生涯の出来事を記していることなどが挙げられます。
 けれども、ヨハネ福音書の中には教会の中で大切にされてきたものが数多くあります。その最たるものは、聖木曜日に行われる洗足式がヨハネ13章1~11節の記述をもとにしていることです。また「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13・34)という言葉は非常に有名です。私事ですが、わたしは叙階のときに配る御絵にこの言葉を記しました。
 もちろん、この言葉を生きるのは大変難しいことですが、福音記者ヨハネは多くの困難の中でイエスに従って「互いに愛し合う」道のりを歩んだことでしょう。その福音記者ヨハネの取り次ぎによって、わたしたちがキリスト信者としての道のりを歩み続けられるように祈りましょう。