担当司祭から:2021年11月

川上栄治神父の写真
川上栄治神父

 2009年10月~2010年3月 協力司祭
 2010年4月~2013年3月、2014年4月~ 道後教会担当司祭

 1975年8月16日生。大阪出身。ドミニコ会司祭。
 2006年9月に司祭叙階。2006年~2009年、ローマで勉強。2009年8月に帰国後、松山へ。
 松山教会に在住。

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コヘレトの言葉 ― この世を肯定することを説く書 ―

(「道後教会だより」2021年11月号より)

聖書(「コヘレトの言葉」) 今回の教会だよりはコヘレトの言葉を取り上げます。コヘレトの言葉は旧約聖書において知恵文学というジャンルに属します。知恵文学とは人間の生き方、さらには「この世界になぜ悪はあるのか?」というテーマなどを扱っており、わたしたちにとっても比較的理解しやすいと思います。ヨブ記もこのジャンルに属しており、好んで読まれる方もいるでしょう。
 コヘレトの書の著者は自らダビデの子コヘレトと名乗っていますが、ダビデの子にそのような名前の人物はいません。おそらく、著者はソロモンを意識していると思われますが、ソロモンの生涯を風刺するような記述(コヘレトの言葉1章12~18節、2章4~11節、2章12~17節)があるので、著者はソロモン自身でないことは明らかです。それは聖書学でこの書の執筆年代が紀元前5世紀頃とされることからも裏付けられます。
 コヘレトの書は「空しい」という言葉が40回近く用いられる聖書としてはかなり異質な書です。その上「快楽を追ってみよう。愉悦に浸ってみよう」(2章1節)という言葉や「わたしは知った / 人間にとって最も幸福なのは / 喜び楽しんで一生を送ることだ」(3章12節)という言葉などに表れる現世の快楽を肯定する考えがあるのは他の聖書の思想と一線を画するものです。そうかと思えば、「人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。同じ霊を持っているにすぎず、人間は動物に何らまさるところはない」(3章19節)という「人間は神の似姿」(創世記1章27節)という旧約聖書の根本的な思想を真っ向から否定するような言葉もあれば、「人が百人の子を持ち、長寿を全うしたとする。しかし、長生きしながら、財産に満足もせず、死んで葬儀もしてもらえなかったなら / 流産の子の方が好運だとわたしは言おう」(6章3節)という生を否定するように思える言葉もあります。少し読んだだけでは、コヘレトの言葉に一貫性を見出すことは難しいでしょう。ところが、そうではありません。コヘレトの言葉には一貫したテーマがあります。それを表している二つの箇所を取り上げます。
 「それゆえ、わたしは快楽をたたえる。太陽の下、人間にとって / 飲み食いし、楽しむ以上の幸福はない。それは太陽の下、神が彼に与える人生の / 日々の労苦に添えられたものなのだ」(8章15節)。
 「さあ、喜んであなたのパンを食べ / 気持ちよくあなたの酒を飲むがよい。あなたの業を神は受け入れてくださる」(9章7節)。
 この二つの箇所はこの世での生活を楽しむことが神から与えられる恵みであるという確信です。この考えは現代を生きる人にも受け入れられるものだとわたしは考えます。
 「宗教が現実逃避である」というイメージが日本人の中に多く見られます。その理由として、キリスト教が歴史の中で育んできた黙示思想の影響が大きいと言えましょう。黙示思想とは「神がこの世界を終わりの時に完成する」という思想であり、別名終末思想とも言われます。この思想はイエスの再臨と重なり合って、キリスト教の中で大切な意味を持っています。
 ところがこの黙示思想は大きな問題を生みました。それは「神がこの世界を完成するのだから、この世界の物や出来事に執着してはいけない」という考えを人々に植えつけたことです。すでにパウロの手紙の中にこのような思想が見られますが、教会の歴史の中で「天に富を積む」(マタイ6章20~21節参照)という言葉を強調するあまり、あたかもこの世の生活を楽しむのを否定する傾向が強くなっていきました。これは明らかに行き過ぎですが、現代でもこのような思考が残っていることは否めません。
 コヘレトの言葉の著者は徹底して黙示思想を否定します。それは「死後どうなるかを、誰が見せてくれよう」(3章22節)「人間、その一生の後はどうなるかを教えてくれるものは太陽の下にはいない」(6章12節)。こういった言葉をキリスト信者としてそのまま受け取ることはできませんが、この世の生を疎かにするのではなく、自分に与えられた生を楽しく生きることが神の意思に適っていると主張するコヘレトの言葉の思想はキリスト信者の生き方を支えるでしょう。それと同時に神への信仰がこの世を生きるために必要なものだと現代人に訴えることができるとわたしは考えています。コヘレトの言葉を一度読んでみてはいかがでしょうか。