担当司祭から:2021年4月

川上栄治神父の写真
川上栄治神父

 2009年10月~2010年3月 協力司祭
 2010年4月~2013年3月、2014年4月~ 道後教会担当司祭

 1975年8月16日生。大阪出身。ドミニコ会司祭。
 2006年9月に司祭叙階。2006年~2009年、ローマで勉強。2009年8月に帰国後、松山へ。
 松山教会に在住。

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聖週間から復活祭へ ― 非公開祭儀から1年を経て ―

(「道後教会だより」2021年4月号より)

十字架上のイエス(ステンドグラス) 今月28日からカトリック教会におきまして、聖週間が始まります。今年は現状のままであれば聖週間の祭儀は行われる見込みです(3月19日現在)。とは言いましても、マスクを着け、距離を保ちながらミサに参加する状況に変わりはないので、聖週間の祭儀は当然その影響を受けることになります。
 その具体的な対応は各教会によって異なると思いますが、当教会におきましては行列が密になりやすいという判断から、受難の枝の主日の行列と復活徹夜祭の行列は取りやめることにしました。また、教会の主日ミサで歌をうたっていない現状から復活徹夜祭に歌われる復活賛歌も歌わずに唱えます。行列をしないことに異議を唱える信者はいなくても、歌をうたわないことは教会によって対応が異なるでしょう。なぜなら、歌はミサの典礼の中で大事な役割を担っているからです。
 教会の歴史の中で「歌う人は2倍祈る」という言葉は広く知られてきました。それは聖書の『詩編』がミサにおいて「答唱詩編」として歌われていることから分かります。それに、奉献文は通常「信仰の神秘」と最後の「栄唱」の箇所だけ歌うことになっていますが、典礼の規則においては奉献文全体を歌唱するのが望ましいとされています。
 けれども、ミサが再開されてから新型コロナウイルスの終息が見えない中、「せめて教会の祭儀の中で歌をうたいたい」と言われる信者さんがいると、わたしは大学時代の友人から聞きました。制約が続く状況の中で、せめてミサだけは声を出して歌いたいという心情は十分に理解できます。道後教会では高齢の方が多いためそういった声はほとんど公になっていませんが、仮に自分の担当教会でそういう要望が出たら、わたしは司牧者として教会の信者でそういう要望が多ければ、歌をうたうことを認めるでしょう。新型コロナウイルスの感染経路が未だに明確でない現状であり、全てを制限することに限界があるのも事実です。そこで、マスクをつけたままであれば、典礼の中で歌をうたうのは構わないというのが教会の責任者である担当司祭の司牧的な判断でしょう。ただ、歌をうたわないから祭儀の重要性が低くなるということはありません。心を合わせて祈りの言葉を唱えることは、今のわたしたちにできる最高の祈りなのです。
 1年前の今頃、バチカンは聖なる3日間の祭儀を非公開で行うという教会の歴史の中で異例とも言える決定を下しました。その1年前に比べれば、今はミサができること自体に感謝すべきでしょう。ただ制約がある中でミサが行われ続けていると、いつしかそれが当たり前となってしまうことも起こり得ますが、決してそうではないのです。新型コロナウイルスの感染がどのような形で広がるか未だに予測がつかず、再びミサの中止という決定を下す可能性もあることをわたしたちは心に留めておくべきでしょう。
 わたしは聖なる3日間の祭儀を信者の前で行うことに喜びを感じています。なぜなら、昨年の教会だよりに書きましたが、信者の全く参加しない祭儀をやる虚しさを目の当たりにしたからです。歌がうたえなくても、さまざまな制約があっても、祭儀を行うことができるのが司祭であるわたしの務めであり喜びです。その喜びをどうか皆さんにも感じていただきたいです。
 最後になりましたが、この文章を読まれる教会の信者の皆さんが良い聖週間と復活祭を迎えることをお祈りしております。