担当司祭から:2020年12月

川上栄治神父の写真
川上栄治神父

 2009年10月~2010年3月 協力司祭
 2010年4月~2013年3月、2014年4月~ 道後教会担当司祭

 1975年8月16日生。大阪出身。ドミニコ会司祭。
 2006年9月に司祭叙階。2006年~2009年、ローマで勉強。2009年8月に帰国後、松山へ。
 松山教会に在住。

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聖アンブロジオ

(「道後教会だより」2020年12月号より)

 来る12月7日、教会は聖アンブロジオを記念します。この翌日が無原罪の聖マリアの祭日であり、かつ12月は待降節に入っているので、あまり知られていないと思いますが、聖アンブロジオは教会の歴史において最も重要な聖人かもしれません。それは、聖アウグスチヌスの回心に聖アンブロジオは大きく関わっているからです。教会博士として様々な書物を記し、司教として教会に多大な影響を与えた聖アウグスチヌスの存在は聖アンブロジオの存在無くして生まれなかったと言っても大げさではありません。そこで、今回の教会だよりは聖アンブロジオについて書きます(以下は『カトリック大事典』アンブロジオの項を参照にしました)。聖アンブロジオ
 聖アンブロジオは340年頃当時西ローマ帝国の支配下にあったドイツのトリールという街に生まれました。アンブロジオはローマで何代も続いた著名な家柄の出で、父はガリア総督という帝国の高官を務めていました。アンブロジオはローマ帝国の当時の一般教育を受け、さらに教育の最終過程で法律の特別教育を受けました。その教育を終えた後、アンブロジオは365年に弁護士として活動を始め、さらに370年にミラノに移り、その地の執政官となりました。
 その3年後、当時のミラノ司教が亡くなった後、その後継者選びにミラノは大きな混乱に直面しました。というのは、それまでミラノ司教だった人物はアレイオス派に属しており、正統信仰派はそこに自分たちの司教を据えたいと考え、アレイオス派はミラノ司教の座を維持して、自分たちの影響力を保ちたいと考えました。ミラノ司教はカトリック教会において重要な地位を占めていたからです。そのため、正統信仰派とアレイオス派の間に暴力行為の兆しが見えるほど争いが激しくなったので、アンブロジオはミラノの執政官として自ら教会に赴き、両派が冷静な判断で対立をやめ、率直に和解の言葉を語りました。
 その時、どこからともなく「アンブロジオを司教に!」という声が上がり、それが信者たちの声となって全会堂に響き渡りました。アンブロジオは当時洗礼すら受けていませんでしたが、民衆の声を神の意思として受け入れ、373年11月24日に洗礼を受け、その8日後に司教叙階を受けました。これは洗礼を受けてから司教になった最短期間です。今の時代には考えられないことですが、それだけアンブロジオが民衆に慕われていたことが分かるエピソードでしょう。
 司教となったアンブロジオは正統派の信仰を奉ずる司教として、異端であったアレイオス派に立ち向かいました。また、当時の皇帝にも臆することなく意見を述べ、時には皇帝の発布した勅令に対しても、それが異端に有利なものであれば、その取り消しを求め、皇帝がそれに応じざるを得ないほどの力を持っていました。
 アンブロジオは神学者ではありませんでしたが、司牧者、説教者として聖書の注解に力を注ぎました。彼の力強い言葉は多くの人を惹きつけました。最初に書きましたように、聖アウグスチヌスは聖アンブロジオの説教に感銘を受けて、マニ教信仰からカトリック信仰に戻ることになったのです(ここまで『カトリック大事典』アンブロジオの項)。
 そのアンブロジオが送った手紙の一部分を引用したいと思います。「『あなたの唇は意味に結ばれていますように』とあります。それは、あなたの話は理路整然として、意味は明確であり、論述は他人からの補強を必要とせず、自らの武器で自分を守り、意味のない無駄な言葉が口から出ることがないということです。」この言葉は司祭に向けられたものですが、今を生きる司祭にとってもその価値は変わりません。司祭はキリストの代理者として神の言葉を語るにあたり、自らが神の言葉を学び、明確にキリストの言葉を語らなければいけないことをアンブロジオは教えています。わたしはこの言葉をしっかりと心に留めてこれからの司祭としての務めに励みたいと思います。