担当司祭から:2020年5月(「道後教会の皆さまへ」「近況」

川上栄治神父の写真
川上栄治神父

 2009年10月~2010年3月 協力司祭
 2010年4月~2013年3月、2014年4月~ 道後教会担当司祭

 1975年8月16日生。大阪出身。ドミニコ会司祭。
 2006年9月に司祭叙階。2006年~2009年、ローマで勉強。2009年8月に帰国後、松山へ。
 松山教会に在住。

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道後教会の皆さまへ

 十 主の平和
 コロナウイルスのためにミサと集会が中止されて2ヶ月が経ちました。当初はこれほど長くコロナウイルスの影響が続くとはほとんどの人が予想していなかったでしょう。わたしも「4月には状況が落ち着いてミサが再開できるだろう」と思っていましたが、それは大きな間違いでした。
 緊急事態宣言が延長された今、「一体いつまでこの状況が続くのだろうか」と多くの方は思っていらっしゃることでしょう。外出が制限され、人と接する機会も著しく減っている状況が続くことによって、やり場のない思いが募り、それで心身の不調をきたすこともあるでしょう。
 そこで、皆さんにお願いです。何よりも自分の心身を大切にしてください。そして、今まで会っていた教会での仲間と連絡を取って、少しでも語り合ってください。何気ないこと、日々感じていること、そして信仰について語り合うならば、それはきっと皆さんの助けになるでしょう。
 今社会において、「ソーシャルディスタンス」という言葉が頻繁に使われています。他の人との距離を保つのは大事ですが、それは他の人と心が離れることではありません。直接会うことができなくとも、自分の親しい人のために祈り、あるいは現在コロナウイルスに感染した人々とその人々を世話する医療従事者のために祈ってください。その皆様の祈りは少しずつ社会を変える力となることでしょう。
 皆様にお会いできる日はまだまだ先になりそうですが、くれぐれも健康にご自愛ください。再び日曜日のミサで集い、皆様にお会いできる日が来ることを心より願っています。
     2020年5月7日

近況

 コロナウイルスの全世界での感染者は300万人を超え、死者も20万人を超え、その数は増える一方です。日本においても非常事態宣言が全国に発令され、移動や外出に著しい制限がなされています。
 先月わたしはこのホームページで「4月5日から松山でミサを再開する予定です」と書きましたが、愛媛県においても3月下旬から感染者数が増加したため、ミサの再開を断念しました。さらに、バチカンから「聖なる三日間の祭儀は信徒の参加なしで司祭のみで行うように」という異例の通達が出され、信徒の参加なしで司祭のみで聖なる三日間の祭儀を行いました。わたしも松山教会で一緒に住んでいる教会の協力司祭と本部修道院に住んでいる司祭の3人で聖なる三日間の祭儀を行いました。
 以前ここで書いたと思いますが、わたしは愛光学園の非常勤講師や幼稚園のチャプレンなど様々な使徒職を抱え、その準備に時間を割くために、説教の準備が十分にできないことがあります。ところが、聖なる三日間という典礼における頂点となる祭儀をガランとした聖堂で説教なしで行ったとき、信徒の参加が祭儀に置いてどれほど大事であるかを痛切に感じました。目の前に信者がいない中で、キリストの死を記念し、「アレルヤ」と復活を告げる喜びの言葉を唱えることにとても戸惑いました。そこで、今までの自分が使徒職を理由にして、ミサの準備をおろそかにしたことがあったのに反省の念を覚えました。今度ミサが再開される時は、この気持ちを忘れずにミサをしたいと決意を新たにしました。
 けれども、現状ではミサの再開の見通しが立ちません。今のところ、愛媛県では5月の連休明けに学校や大型店舗の再開が予定されていますが、東京など感染者の多い地域では5月いっぱいの休校が決まっています。教会は高齢者が多く、しかも人が密集しやすいので、ミサ再開の判断は慎重にならざるを得ません。すでに東京や大阪、福岡など感染者数の多い教区では5月末までのミサ及び集会の中止が決定されています。高松教区では今のところ、5月3日までのミサ及び集会の中止が決定されていますが、その後の再開は慎重にならざるを得ません。
 コロナウイルスによって、今の社会には閉塞感が漂っています。感染者とその家族、そして感染者の治療に従事する医療関係者の負担は大きいものです。それとともにコロナウイルスの感染を恐れ、多くの人が外出を控える中で、家庭でのDVが増加しています。また、休校が延びる中で自宅で学習をする子どもたちとその親にかかる精神的なストレスは大変なものです。
 このホームページを読んでくださる方にお願いいたします。どうか、今は感染を避けるために食料品の購入や病院への通院など、必要とする最低限の外出で生活してください。今はレジャーを楽しむ時ではありません。「ソーシャルディスタンス」という言葉がコロナウイルスの感染が拡大する状況で頻繁に使われるようになりましたが、その言葉をしっかり心に留めて、生活していただきたいのです。
 けれども、流通、老人介護などで働く人は外出を控えないわけにいかず、特に老人介護に携わる人々はソーシャルディスタンスを取ろうとしても取れない状況です。それ以外にも、様々な事情で普段通りの仕事をしている人々も大勢います。「このような状況でも仕事をしている人がいる」とSNSで非難めいたメッセージを発信する人もいますが、そういったメッセージを発する人は、わたしたちの社会がそういった人たちの支えで成り立っていることに敬意を払っていない失礼な行為なので、決して許されません。今大切なのは他人を非難することではなく、自分自身をしっかりと律し、苦しみの中にある人のために祈ることです。
 教会では今コロナウイルスの感染者や亡くなった人、そしてコロナウイルスの治療にあたる医療従事者のために祈りを捧げています。それは大切ですが、それと共にこの状況の中で働く流通や介護に携わる人たちのために祈ることも必要だとわたしは考えます。
 1日も早いコロナウイルスの終息を心から願い、共に祈りを捧げましょう。