担当司祭から:2020年1月

川上栄治神父の写真
川上栄治神父

 2009年10月~2010年3月 協力司祭
 2010年4月~2013年3月、2014年4月~ 道後教会担当司祭

 1975年8月16日生。大阪出身。ドミニコ会司祭。
 2006年9月に司祭叙階。2006年~2009年、ローマで勉強。2009年8月に帰国後、松山へ。
 松山教会に在住。

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ローマ教皇ミサに参加して

(「道後教会だより」2020年1月号より)

 昨年11月23日から26日まで、わたしは長崎のローマ教皇ミサに松山教会と道後教会の信徒の合わせて40名と共に参加してきました。日程は23日の朝に松山を出発して、三崎港から佐賀関に渡って九州を横断して長崎の大村に着いて1泊し、翌日は朝6時半にホテルを出発し、長崎のスタジアムの教皇ミサに参加してから、そのまま松山に戻るという1泊3日の強行スケジュールでした。今回の教会だよりはローマ教皇ミサについて書きます。
 行きは長崎で22℃を記録するほど暖かい中で移動しました。平戸のザビエル記念教会では主任司祭のご厚意により、教会の説明を聞くことができたのはとても良かったです。しかし、参加者の中には翌日の天気予報をチェックして「雨」だと知って、ミサのことを心配する人が大勢いました。
 そして、当日は予報通り朝から雨でした。しかも、土砂降りの雨で、夕方まで降水確率100%という予報でした。「ミサはどうなるのか」という心配を胸にわたしたちは会場のスタジアムに向かいました。ミサ会場への入場は雨と大勢の人の移動とあいまって、人ごみの中をぬって、大変でした。
 幸い、10時半過ぎには雨が小雨になり、11時半には雨が止みました。わたしは信者たちとは別にスタジアムの練習場にあった控え室で待機していましたが、司祭たちの間では「雨がやんでよかった」という声がある一方で「また降り出すだろう」という声も聞こえました。天気予報は依然として「雨」だったからです。
 そうこうしているうちに司祭団はスタジアムに入り、教皇様がお越しになられるのを待ちました。そして、専用車に乗って教皇様はスタジアムを回って、祭壇に来られました。祭壇にそばに着いてから祭壇に上がるまで、教皇様は傍にいたお付きの秘書らしき人に腕を抱えられて歩かれました。そのお姿を見て、教皇様がどれほど疲れているかをわたしは感じました。
 教皇様は日本に来る前にタイを訪問されていました。イタリアからタイに来るだけでも大変なのに、それからまた気候が全然違う日本に来られました。そして、23日の土曜日に東京に着いて、その翌日長崎に移動し、平和記念公園で式典を行い、それからミサを行い、その後広島に行かれたのです。健康な大人でも大変なハードスケジュールなのに、82歳になられる教皇様には相当負担になったことでしょう。
 教皇様がミサの時に唱える声は小さく、その疲れを一層感じさせました。けれども、説教は大変分かりやすく、力強いものでした。その本文はカトリック中央協議会のホームベージで読むことができますが、わたしなりに要約すると「イエスが十字架につけられたカルワリオは無関心と自己を正当化する場であり、それは現代社会にも存在する。日本は『人間が手にしうる破壊的な国の一つ』であり、また聖パウロ三木をはじめとする多くの殉教者を出した国でもある。その国にいる皆さんは、神の国を実現するためのパン種として働く使命がある。そのために一人ひとりが祈りとして、声を上げ、この社会にイエス・キリストを伝える者となるように努めましょう。」その時、空を見上げるとそこには雲一つない青空が広がっていました。それはローマ教皇の来日を歓迎するようにわたしは感じました。
 ローマ教皇の来日は間違いなく日本にカトリック教会の存在を伝える良い機会になります。宗教に詳しくない人わたしの知り合いからも「ローマ教皇の来日はすごいことなんですね」という驚きのメッセージが届きました。この大きな出来事を間近で体験できたことはわたしにとって大きな恵みであると同時に、教皇様のメッセージを生かしていく使命があることを強く感じました。
 最後に、この記事をお読みいただいた皆さんにとって2020年が神の恵みによって実り豊かなものであることをお祈りして、この文章を閉じることにします。