担当司祭から:2019年11月

川上栄治神父の写真
川上栄治神父

 2009年10月~2010年3月 協力司祭
 2010年4月~2013年3月、2014年4月~ 道後教会担当司祭

 1975年8月16日生。大阪出身。ドミニコ会司祭。
 2006年9月に司祭叙階。2006年~2009年、ローマで勉強。2009年8月に帰国後、松山へ。
 松山教会に在住。

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堅信の秘跡 ― 聖霊の力に強められる秘跡 ―

 来月17日に松山教会で諏訪司教司式のミサにおいて、堅信式が行われます。中学生から大学生までの15人と大人3人の合わせて18人が堅信を受けることになります。わたしが松山教会の担当司祭になってから初めて松山教会で行われる堅信式であり、この教会だよりを執筆している頃は堅信の勉強会が終わりを迎える頃です。
 堅信の秘跡は教会において、洗礼・聖体と一緒に組み合わされて「キリスト教入信の秘跡」を構成する(『カトリック教会のカテキズム』1285 以下『カテキズム』と略)。堅信は洗礼と同じく生涯1回限りしか受けることができず、しかもそれは「消えない霊印」として生涯その人に記されるものです。
 ところで、堅信の秘跡の持つ意味は何でしょうか? 洗礼が「キリスト信者となるための入り口」であり、聖体が「聖別されたキリストの体をいただく」ことであるのに比べると、堅信の秘跡はその意義を説明しにくいです。そして、日本では成人洗礼が多く、その際堅信の秘跡は洗礼と同時に受けるのがほとんどなので(例外はあります)、堅信の秘跡の意義が理解されにくいと言えます。そこで、今回の教会だよりでは堅信の秘跡の持つ意味を書いてみたいと思います。
 成人洗礼の方は、洗礼・堅信・聖体の三つの秘跡を同時に受けますが、幼児洗礼の場合はそうではありません。初代教会の時代から教会は洗礼と堅信を同時に授けていましたが、中世時代になると幼児洗礼の数が増え、司教が洗礼を授けることができなくなりました。そこで、教会は「洗礼を完成させる権限を司教に留保することを望み」、洗礼と堅信の秘跡を別のときに行うようになったのです(この段落は『カテキズム』1290 参照)。
 この表現はともすれば、洗礼が不十分であるかのような印象を受けますが、決してそうではありません。洗礼を受けた信者はすでに十全なキリスト信者です。堅信の秘跡はそのキリスト信者の働きを強めることに意味があります。はっきり表現すれば、堅信は聖霊の賜物を受ける秘跡なのです。この秘跡の由来は、使徒言行録に記されている聖霊降臨の出来事にあります。
 弟子たちは復活したイエスからこう命じられます。「わたしは父が約束されたものをあなたがたに送る」(ルカ24・48)。この「父が約束されたもの」は聖霊のことです。そして、それが実現したのが聖霊降臨という出来事です。使徒言行録2章2~4節によれば、「突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国の言葉で話しだした」のです。このあと、弟子たちは人々の前に姿を現し、イエスの死と復活の出来事を公に伝え、それによってイエスを信じる者が増え、教会が誕生しました。この聖霊降臨の出来事を受け継ぐのが堅信の秘跡なのです。
 『カテキズム』は堅信の秘跡の意味をこのようにまとめています。「堅信の秘跡によって信者はいっそう完全に教会に結合され、聖霊の特別な力で強められて、キリストの真の証人としてことばと行いをもって、信仰を広め、かつ擁護するよう、いっそう強く義務付けられます」(『カテキズム』1285)。
 これは言葉で読むと大変難しいように思います。実際、わたしが洗礼やカテキズムの勉強会で堅信の話をすると、多くの人から「そんなことができるのか」という声が上がりました。けれども、わたしたちは秘跡によってキリストに従う者となりました。キリストによって神の子とされる恵みを受けたわたしたちは堅信の恵みによってキリストを伝えるものとなるのです。
 わたしたちは堅信の秘跡の恵みを今一度思い起こし、キリストを証しする者としての道のりを生涯歩み続けることができるように祈り続けましょう。そして、来月17日に松山教会で堅信を受ける方々のためにお祈りください。