担当司祭から:2019年7月

川上栄治神父の写真
川上栄治神父

 2009年10月~2010年3月 協力司祭
 2010年4月~2013年3月、2014年4月~ 道後教会担当司祭

 1975年8月16日生。大阪出身。ドミニコ会司祭。
 2006年9月に司祭叙階。2006年~2009年、ローマで勉強。2009年8月に帰国後、松山へ。
 松山教会に在住。

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聖ベネディクト修道院長 ― 修道制の父 ―

(「道後教会だより」2019年7月号より)

 来る7月11日に教会は聖ベネディクトを記念します。聖ベネディクトはカトリック教会の歴史において修道会の成立に多大な影響を及ぼしました。そこで、今回の教会だよりは聖ベネディクトについて書きます。
聖ベネディクト 聖ベネディクトは480年頃、ローマに近いヌルシアという地で貴族の子として生まれました。若い頃、彼はローマに留学し勉強を志します。そこで当時ローマの行政官となるために必要な知識を身につけるための学校に通いましたが、福音の教えに共鳴したため学校を退学して隠遁生活を始めました。ベネディクトは高い理想をもって生活をしたので、彼を慕う仲間が増えていき、527年にモンテ・カッシーノで修道院を創立しました。しかしながら、彼の理想に反発して彼を毒殺しようという動きもあったそうです。その後、修道会の会則を作成して修道会が発展する土台を築きあげました。その後彼は547年頃モンテ・カッシーノの修道院で亡くなりました。彼は1964年にヨーロッパの保護聖人と定められました。
 ちなみに、聖ベネディクトの妹スコラスチカも聖人であり、2月10日がお祝い日に当たります。余談ですが、この2人のやりとりが教会の祈りで使われる「毎日の読書」の中で描かれています。それは大変興味深いものです。ある日スコラスチカは兄と一晩中語り明かしたいと思いましたが、修道者の男女がいくら兄弟とはいえ一緒に夜を過ごすことはタブーでした。そこで、彼女は、天に願って大雨を降らせて、ベネディクトを足止めすることに成功し、彼と一晩中語り合ったのです。ベネディクトは彼女の行動に戸惑いながらもしぶしぶ彼女と共に一晩を過ごしました。スコラスチカはなかなかすごい女性ですね(笑)。
 さて、聖ベネディクトがキリスト教において果たした大きな役割は二つ挙げられます。一つは彼が導入した生活です。修道生活は古代エジプトに起源を発する生活様式ですが、最初の頃は信徒からの施しによって生計を立てていました。それを聖ベネディクトは「祈り、かつ働け」という言葉をモットーにして修道生活に労働を取り入れました。今日本にベネディクト会の直系の修道院はほとんどありませんが、ベネディクト会に起源を有する厳律シトー会(トラピスト会)の修道院が北海道と大分ほか数箇所にあります。トラピストクッキーは皆さんご存知だと思いますが、そこでクッキーは修道生活の一環である労働の実りとして作られ、販売されているのです。修道院にはこれ以外にもビールやワインの製造などを行なっています。つまり、現代の食文化は修道生活に源があると言ってもいいのです。
 もう一つのことは聖ベネディクトが導入した生活において作られた決まりです。それは「聖ベネディクトの戒律」と言われます。この戒律は、個々人が心を合わせて神を賛美し、共同生活を送ることを勧められています。その中には貧しい人に対する施しや病気になった修道者に対する世話の仕方についても述べられています。この精神は現代を生きる修道者に必要なものです。
 しかし、戒律の中には1日7回祈らなければいけないという規則もあるので、現代の修道者にとって決して易しい戒律ではありませんが、それでも当時個々人に厳しい修行を課していたアイルランドやエジプトの修道院の戒律ほど厳しくありませんでした。だからこそ、後の時代に登場した多くの聖人たちが「聖ベネディクトの戒律」を採用して自分の修道会を創立したのです。ですから、聖ベネディクトは「修道制の父」と言えるのです。