担当司祭から:2019年6月

川上栄治神父の写真
川上栄治神父

 2009年10月~2010年3月 協力司祭
 2010年4月~2013年3月、2014年4月~ 道後教会担当司祭

 1975年8月16日生。大阪出身。ドミニコ会司祭。
 2006年9月に司祭叙階。2006年~2009年、ローマで勉強。2009年8月に帰国後、松山へ。
 松山教会に在住。

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使徒聖ペトロと聖パウロ

(「道後教会だより」2019年6月号より)

 来たる6月29日に教会は使徒聖ペトロと聖パウロをお祝いします。この日は「祭日」という教会の暦で最も重要な日です。祭日とは、そのお祝いが日曜日になったとしても祝われる日であり、他に神のお告げの祭日や諸聖人の祭日などが挙げられます。そのことから、使徒ペトロとパウロは教会において重要な聖人であると分かります。
 使徒聖ペトロと聖パウロの日は、ミサにおいて次の箇所が読まれます。第一朗読が使徒たちの宣教の12章1〜11節、第二朗読が使徒パウロのテモテへの手紙、福音がマタイ16章13〜19節です。この三つの朗読のうち第一朗読と福音朗読はペトロについて記しており、第二朗読はパウロが自らの生涯を振り返った文章です。
 ペトロの召命ペトロとパウロ、二人の生涯の歩みは大変違っていました。ペトロはガリラヤの漁師であり、それほど教養ある人ではありませんでした。一方パウロはローマ市民権を持っていた(使徒言行録21章39節参照)ことから、ある程度の階級の出身だったと推測されます。その上、ユダヤ教の教師の元で教育を受け、かなりの教養を持っていました。ペトロはイエスの筆頭弟子として活動しましたが、パウロは宣教活動をしていたイエスとは直接出会ったことはありませんでした。ただ、この対照的な二人がキリスト教を伝えるために大きな役割を果たしたのは言うまでもありません。
 まず、ペトロについて触れます。この祭日で読まれるこの箇所はペトロのイエスに対する「信仰告白」として有名な箇所であり、それと同時にペトロがイエスから「天の国の鍵を授ける」と言われたことによって、ペトロが初代のローマ教皇であり、その伝統をカトリック教会は受け継ぎ、今もこの組織は変わっていません。
 ただし、ペトロは弱い人間であったと、福音書には度々記されています。今日読まれた信仰告白の後、イエスは自らの死を予告しました。しかし、ペトロはイエスを諌めたため、イエスから「サタン」と呼ばれています(マタイ福音書16章21〜23節参照)。また、イエスが逮捕された時、イエスのことを知らないと三度言ったのはすべての福音書に記されている有名な箇所です(マタイ福音書26章69〜75節)。けれども、ペトロは復活したイエスに出会い、聖霊を受けて、イエスの死と復活を伝える者となりました。
パウロの回心 一方パウロはユダヤ教の熱心な信仰者としてキリスト教を迫害していましたが、復活したイエスに出会って回心し、イエスを宣べ伝える者となりました。その途中でイエスの弟子たちやバルナバとの対立、またアテネでの宣教の失敗など多くの苦しみを経ながら、イエスを宣べ伝える者として生涯を歩みました。
 この祭日に読まれる手紙の中でパウロは「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれを授けてくださるのです。」と書き記します。この言葉は主イエスの働きによって自らが正しくされるというパウロのイエスに対する徹底的な信頼が表れています。パウロは異邦人への宣教を積極的に行ったことによって、キリスト教が全世界に広がりました。
 ペトロとパウロは全く異なる道を歩みながら、最後はローマでネロ帝の迫害によって殉教したという伝承があるため、カトリック教会は6月29日に二人の記念を同時に行います。教会の礎を築いた二人の使徒の歩みをわたしたちが受け継ぎ、キリスト教の信仰を後代に伝えられるように聖ペトロと聖パウロの取り次ぎを求めましょう。