担当司祭から:2019年3月
四旬節
(「道後教会だより」2019年3月号より)
来る3月6日の「灰の水曜日」から教会では四旬節が始まります。四旬節はキリストの受難を特に記念する期間です。四旬節は待降節と違い、始まる時が年によってかなり変動があります。その理由は、復活の主日が年によって変動するからです。
復活の主日は「春分の日(3月21日)以降の満月の次の日曜日」に祝うという決まりになっています。初代教会の時代は、ユダヤ教で出エジプトを記念するニサンの月(ユダヤ教の暦で3~4月にあたる)の14日を復活の主日として祝っていましたが、徐々にキリストの復活の日である日曜日に復活の主日を祝うべきという考えが強くなりました。それが「春分の日(3月21日)以降の満月の次の日曜日」という日を祝うとカトリック教会は決定しました。その一方、東方正教会では今も「ニサンの月の14日」を「復活の主日」として祝っています。
3月6日から始まる四旬節は4月20日の聖土曜日まで続きます。では、この期間は一体何日あるでしょうか? 「旬」というのは漢字で10日間を意味するので、四旬節は40日と考えがちですが、実はこの期間の日数を数えると46日あります。それは日曜日を四旬節の日数に含めないからです。日曜日はあくまでもキリストの復活を記念する日として例外になります。ただ、四旬節中の日曜日に栄光の賛歌を歌いませんし、またアレルヤ唱を歌わないことで、キリストの受難を記念するという意味は日曜日においても保たれるのです。
四旬節中の務めとして大切なのは「大斎・小斎」です。「大斎」とは一日のうちで十分な食事を一度だけ取ることであり、「小斎」とは肉類を金曜日に食べないことです。大斎は灰の水曜日と聖金曜日であり、小斎は毎週金曜日に行われます。四旬節で大斎・小斎を行う意義は「キリストの死を悼み、キリストの受難に従う」ことです。キリストが私たちのために自分の命をささげてくださった時を思い、わたしたちも普段自分が何気なく食べているものを控えることによってキリストに従うのです。
ただ、現代の日本において、社会生活を送る上で隣人との付き合いがあり、食事に誘われた時に「今日は金曜日だから肉を食べられません」と言うことはなかなか難しいというのが現実です。
そこで教皇ベネディクト16世(現在は名誉教皇)が回勅『希望による救い』の中で「毎日の小さな苦労を『ささげる』という」信心業を勧めていることは、大斎・小斎を理解するために有益だと思います。ベネディクト16世は「毎日の小さな苦労をささげる」信心業を次のように説明しています。「何かをささげることによって、人はこの小さな苦労を、キリストの偉大なあわれみに差し出すことができると確信していました。…こうして日常生活の小さな問題さえも、意味を持ち、善と人々の愛の計画の役に立つことができました。」要約すると、自分が日々の生活の中で感じる苦しみや辛さをささげることがキリストに従う道だということです。そして、この信心業を四旬節中に行うことによって、キリストの受難に倣う良い準備を行うことができるとわたしは考えます。
わたしたちは他人との関係において傷つくことや苦しむことがあります。その時、わたしたちはキリストの受難を思い起こしながら、その苦しみをキリストにささげることによって四旬節を過ごすことができます。もちろん、これは苦しみを美化することではありません。キリスト教の信者にはしばしば苦しみを「神様のため」と考えて耐えようとする傾向があるとわたしは感じていますが、それは長続きしません。なぜなら、わたしたちには耐える限界があるからです。大切なのはキリストに苦しみを「捧げて」、自分が信仰の道のりを歩いていくことです。この精神で四旬節を過ごしていくように努めていきましょう。