担当司祭から:2019年2月

川上栄治神父の写真
川上栄治神父

 2009年10月~2010年3月 協力司祭
 2010年4月~2013年3月、2014年4月~ 道後教会担当司祭

 1975年8月16日生。大阪出身。ドミニコ会司祭。
 2006年9月に司祭叙階。2006年~2009年、ローマで勉強。2009年8月に帰国後、松山へ。
 松山教会に在住。

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ローマ教皇 ― カトリック教会の長 ―

(「道後教会だより」2019年2月号より)

 昨年12月18日、日本の教会にとって大きなニュースが飛び込んできました。それはローマ教皇フランシスコが来年の終わりごろに来日し、広島・長崎を訪問したいという意向を前田枢機卿に伝えたことです。教皇の訪日が実現すれば38年ぶりです。そこで、今回の教会だよりはローマ教皇がどのような役割を果たしているかについて書きたいと思います。
 その前に「教皇」という表現について説明します。日本の教会では「ローマ教皇」と言われますが、日本のメディアでは「ローマ法王」と表現しています。これは理由があって、日本とバチカンが国交を樹立した時に日本では教皇を「法王」と表現していたので、日本のバチカン大使館は「ローマ法王庁大使館」という名称になりました。大使館の名称の変更は国名の変更がない限り認められないので、日本の報道では「ローマ法王」と呼ばれるのです。
 それでは、ローマ教皇がカトリック教会においてどのような役割を果たしているのでしょうか? それはカトリック教会の信者であるならば、ローマ教皇は「全世界のカトリック教会の長」であることはご存知でしょう。ただ、この権威がどこに基づいているかをご存知でしょうか?
 それは、カトリック教会はローマ教皇を使徒ペトロの後継者と考えていることに由来します。2月22日の聖ペトロの使徒座の日にはマタイ16章13〜19節が読まれます。これはペトロがイエスを「メシア」と信仰告白して、イエスがペトロに「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を立てる」と答えた有名な箇所です。カトリック教会はこの箇所を根拠とし、ペトロがイエスから教会を治める権能を預かったと考えます。それと共に、ペトロが皇帝ネロの時代にパウロと共にローマで殉教したことから、ペトロが初代ローマ教皇であり、その後継者が全ての教会の上に立つと理解します。
 ただ、ローマ教皇の本来の役目はローマ司教であり、初代教会の時代、ローマ司教は他の地域の司教と同列でしたが、時代が進むにつれ、ローマ帝国が弱体化して異教徒の勢力を拡大するようになると、ローマ司教の果たす役割が大きくなり、ローマ司教が全世界の教会の長と考えられるようになりました。それでローマ司教がローマ教皇と呼ばれ、教会の首位権を持つと考えられるようになったのです。
サン・ピエトロ大聖堂のドーム(バチカン) けれども、プロテスタントのほとんどの教派や東方正教会はローマ教皇の権威を認めません。その理由は色々ありますが、最も根本的な理由はマタイ16章13〜19節が教皇の権威を認めるものではないという立場をとっていることです。これを詳しく論じるのはこの限られた紙面では不可能なので控えさせていただきますが、プロテスタント教派のローマ教皇に対する反発は中世から近代にかけてローマ教皇と教皇庁の腐敗によるものが大きいことだけは知っておいていただきたいと思います。
 それは、ルターの宗教改革の引き金がサン・ピエトロ大聖堂の改修のために発行された贖宥状にあったことが大きく関係しています。「贖宥状を買うことで罪がゆるされる」ことを認めた教皇と教皇庁に間違いがあったことは疑い得ないところです。そのため、ローマ教皇が「権力の象徴」と捉えられていました。実際、当時のローマ教皇と教皇庁は土地を所有し、政治的な権力を握り、教会は腐敗していたのです。そのために宗教改革が起こり、キリストの教会は分裂することになったのは否定できない歴史的事実です。
 けれども、ローマ教皇は歴史の中で政治的な権力や富を手放し、霊的な指導者としての姿を取り戻しました。そして今、政治や社会がますます混迷を深める中で、カトリック教会の霊的指導者としてのローマ教皇の役割は重要であり続けるのです。