担当司祭から:2018年9月

川上栄治神父の写真
川上栄治神父

 2009年10月~2010年3月 協力司祭
 2010年4月~2013年3月、2014年4月~ 道後教会担当司祭

 1975年8月16日生。大阪出身。ドミニコ会司祭。
 2006年9月に司祭叙階。2006年~2009年、ローマで勉強。2009年8月に帰国後、松山へ。
 松山教会に在住。

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母の実家への帰省

(「道後教会だより」2018年10月号より)

打折教会 聖堂(五島市) わたしは8月2日から28日まで大阪へ帰省していました。その間の8日から11日まで母の実家である五島列島の福江島に行きました。それは祖母の追悼ミサをするためでした。
 わたしの祖母は一昨年の5月に亡くなりましたが、わたしとわたしの家族は諸般の事情により葬儀に参列できませんでした。そこで祖母が亡くなった直後から「わたしの親戚たちが喜ぶから五島で祖母の追悼ミサをしてほしい」と母に頼まれていました。わたしもその母の願いに応えようと思いました。それは幼少期に帰省した時、祖母に可愛がってもらった思い出があったからです。
 ところが、いざ追悼ミサをする段取りが大変でした。というのは五島では追悼ミサをする習慣がないので、母の親戚が頻繁に連絡をしてきたのです。そこで母の追悼ミサをする打折教会の信徒代表の方と相談したところ、「追悼ミサだとわたしたち打折教会の信者が参加できないので、是非とも川上神父さまに初ミサをしていただきたいのです。そうすれば信徒が参加できます。そしてミサの中で祖母の追悼をすれば、ご家族は喜ばれるでしょう」という提案を受けました。わたしが五島に帰省したのは司祭叙階の直前の12年前だったので、五島でミサを一度もしていませんでした。だから五島でミサをするのは「初ミサ」になるのをわたしはすっかり忘れていたので、信徒代表の方の意見に従うことにしました。
 ミサは五島滞在の二日目の9日に行いました。その時五島にいた母の親戚は皆来てくださいました。皆さんご承知の通り、8月9日は長崎の原爆投下日で様々な行事があります。それにもかかわらず、打折教会の信者さんも多数来られたので、聖堂には人でいっぱいになりました。幼少期からお世話になっている叔父叔母たちや祖母と親しい間柄だった人たちを前にしてミサをするのは感慨深いものがありましたが、同時に大変緊張しました。しかし、ミサの後叔父叔母たちやミサの参加者から温かい声をかけていただき安堵しました。ミサが終わった後は叔母の家に親戚20人が集まって宴会が催され、賑やかなひと時を過ごしました。
 その宴会の終わりに一人の叔父から「明日福江島の観光に行きませんか?」と誘われました。ミサで極度に緊張して疲れたので休みたいという気持ちが若干頭をよぎりましたが、自分が五島を知らないから観光に行ってみるいい機会だという気持ちがあり、叔父のご厚意に甘えることにしました。幼少期は両親と一緒にいるだけで観光したことがなく、また成人になってから2回しか行っていなかったので、わたしは五島のことを何も知らなかったのです。
 五島滞在の三日目は観光の1日となりました。観光は大瀬崎灯台という景色のきれいな観光名所に行き、福江島にある多くの教会 ― 長崎県の指定有形文化財の堂崎教会をはじめとする ― 教会めぐりをしました。その教会をめぐりながら、「両親はこういう場所に育ったのだ」と知ることができました。昼食は叔父のお勧めの店で長崎名物ちゃんぽんをおいしくいただきました。
 そして帰りの日は福江空港発の飛行機が午後3時40分と遅かったので、親戚の家で休憩し、昼食をいただきました。そして空港へ行ったのですが、その間もたくさんの親戚の方々があいさつに来てくださいました。
 今回の帰省でわたしは何よりも祖母の追悼ミサができたことに心から安堵しました。そのために色々ご協力いただいた母の親戚の皆さんのご厚意に感謝します。そして、自分の信仰の原点である福江島の地を巡ることができたのは、わたしにとって大変有意義でした。その原点をしっかり忘れずにこれからの司祭職を歩みたいと思っています。