担当司祭から:2018年6月
現在のわたし ― 司祭職の喜びと悩み ―
(「道後教会だより」2018年6月号より)
先月号ではわたしが司祭を目指したきっかけと司祭になるまでの道のりについて書きました。今月号では司祭になって10年ちょっと経ったわたしの現在の心境について率直に書きます。現在わたしは松山教会と道後教会を担当し、教会で行う説教は信者の方々から好評の声をいただくこともあります。また、教会で行っているいくつかの勉強会に多くの信者のご参加をいただいているのも大変光栄に思っています。
それに、今年から愛光学園で初めて一人で授業を担当するようになったのはわたしにとって想像だにしなかったことでした。「学校の先生は権威を振りかざしているから嫌いだった」という文章を先月の教会だよりに書きましたが、自分が教壇に立つと学校の先生がどれほど苦労していたのかを知り、子どもの頃の自分がいかに思い上がっていたかを痛感しました。こういったわたしの現状は子どもたちの前で話せなかったことを悩み続けた神学生時代のことを考えると信じられないというのが率直な気持ちです。まさしく「神の恵みが働いている」としか表現できません。
けれども、わたしには今大きな悩みがあります。それは教会の司牧に携わる時間が限られることです。愛光学園の授業や若葉幼稚園のチャプレン以外にも、わたしは様々な役割を担うようになりました。昨年の春に愛光学園の理事に選ばれ、昨年冬には修道会の最高決定機関である理事会の理事に選ばれました。それと共に高松教区の司祭評議会の評議員として2ヶ月に1回高松で行われる会議に参加します。こういった会議はわたしの負担となっています。特に高松での会議は往復5時間かかるので移動だけでも負担になります。このために教会での勉強会の準備が間に合わなくて、勉強会をしばしば延期します。
そのため、教会の信者さんから「神父様はお忙しそうですね」と言われることが度々あります。これはとても残念に思っています。なぜなら、教会の信者さんから「忙しい」と思われると、信者さんから距離を置かれている気がするからです。そして何よりわたしが憧れた神父様の姿から遠ざかる思いがするのです。
わたしは修道会に入会したのち、子どもの頃の主任神父様のところへ挨拶に行きました。そのとき、その神父様から「あなたはどのような司祭になりたいですか」と尋ねられました。わたしは「わたしの姿を見て『自分も司祭になりたい』と思うような司祭になりたいです」と答えました。けれども、現在様々な仕事を抱えて「忙しくしている」わたしの姿は子どもや若者たちに司祭への憧れを抱かせるのかと不安になります。
だからこそ、先日行われた子どもの集いへの参加や松山教会で行っている子どもたちの侍者奉仕への呼びかけはわたしの使命だと考えています。いろいろな仕事を抱えている身ではありますが、それを理由にして「子どもや若者への信仰教育」を怠ってはならないとわたしは強く肝に命じています。
もちろん、教会の信徒への信仰教育も大切に考えていることは言うまでもありません。日程の都合がつかずに平日のミサや勉強会をお休みすることがあっても、司祭として最も重要な務めである主日のミサをしっかり行い、信者の皆さんの生活の糧となる説教ができるように絶えず心がけています。
教会の司牧に十分携われていないという現状はもどかしい限りですが、それを嘆いても何も変わりません。わたしは自分に与えられた時間の中で信者の皆さんのために働きます。どうか、皆さんのご理解とご協力をよろしくお願いいたします。それと共に、わたしが司祭職への歩みを続けられるようにお祈りください。