担当司祭から:2018年5月

川上栄治神父の写真
川上栄治神父

 2009年10月~2010年3月 協力司祭
 2010年4月~2013年3月、2014年4月~ 道後教会担当司祭

 1975年8月16日生。大阪出身。ドミニコ会司祭。
 2006年9月に司祭叙階。2006年~2009年、ローマで勉強。2009年8月に帰国後、松山へ。
 松山教会に在住。

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司祭になったきっかけと司祭になるまでの道のり

(「道後教会だより」2018年5月号より)

 昨年5月の教会だよりの原稿で書きましたが、わたしは愛光学園の非常勤講師として働いています。今までは中学1年生を担当していました。その授業は他の先生と一緒に担当し、他の先生が試験を担当していたので、わたし自身が試験を準備する必要のないクラスでした。しかし、今年から中学2年生になり、一人で授業を担当し、成績をつけることになりました。ですから、生徒たちとの関わりが今まで以上に増えたので、わたしへの質問を尋ねたところ、たくさんの質問を受けました。
 その一つが司祭になろうとしたきっかけでした。その質問にわたしは「子どもの頃に憧れだった司祭になろうと思ったから」と率直に答えました。こういうことを教会の説教で話すことは難しいので、今回の教会だよりはわたしの司祭になったきっかけと司祭になるまでの道のりについて書きます。
 「子どもの頃に憧れていた司祭のようになりたいと思った」というのはとても単純なので、質問をしてきた生徒たちからは驚きや戸惑いの反応がありました。もちろんこの言葉にはちゃんとした理由があります。
 子どもの頃わたしは学校が嫌いでした。学校の成績はそこそこだったのですが、団体行動が苦手で友だちは少ない方だったのです。何より、わたしは学校の先生に対して「権威を振りかざして偉そうにモノ言う人たちだ」と反発していました(学校の先生の方、スミマセン)。そのため、学校時代の思い出はわたしにはほとんどありません。団体行動が嫌いなわたしにとって修学旅行も全く楽しいものではありませんでした。
 ところが、子どもの頃に通った教会学校のことは楽しい思い出としてよく覚えています。わたしが子どもの頃教会学校は小学2年生から中学3年生までが毎週土・日の泊まりで合宿していました。当時はベルギー人の淳心会の神父様が主任司祭でした。厳しい方で、落ち着きのなかったわたしはよく怒られました。それでも、わたしはその神父様が大好きでした。なぜなら、その神父様が普段子どもたちと関わる時はとても優しく、温かい思いやりにあふれていたからです。「大きくなったら神父様みたいな人になりたい」という憧れがその時芽生え、わたしの心に宿り続けました。
 ただ、大学を卒業する時にはスーパーでのアルバイトを契約社員という形で続けることを選択し、司祭への道のりを一度は諦めました。しかし、仕事に通い、仕事仲間と好きでもない酒に付き合わされるのはわたしにとって苦痛でした。そんなある日「子どもの頃の憧れだった司祭への道を歩んでみよう」と思い、大学時代の恩師を頼ってドミニコ会に入会しました。1999年のことでした。
 司祭への道のりで、わたしにとって「人前で話せない」ことが辛かったです。神学生時代は修道院の近くにあった教会の教会学校でお手伝いをしましたが、子どもたちの前でほとんど話すことができずにからかわれ、教会学校の担当者から叱責を受けたこともありました。神学校の勉強はまずまずの成績でしたが、わたしは「こんなことで司祭になれるのだろうか」と悩み続けました。
 そのままわたしが人前で話せないままだったなら、司祭になる道のりを諦めていたかもしれません。けれども、当時修道院で一緒に住んでいた神父さまたちやわたしが通っていた教会学校の主任司祭はわたしを支え続けてくれました。そのおかげで少しずつ人前で話すことができるようになり、神学校を卒業した後、2006年秋に司祭に叙階されました。叙階式で司教様から按手を受けた時と、司祭として初めて行った初ミサで説教ができた時、神の恵みを強く感じたのは、今でもはっきり覚えています。
 では、次回の教会だよりは司祭叙階から10年ちょっと経た現在のわたしの心境について書くことにします。