担当司祭から:2018年3月
聖ヨセフ
(「道後教会だより」2018年3月号より)
去る2月14日の灰の水曜日から教会は四旬節に入りました。この期間、教会はミサの中で栄光の賛歌を歌わず、アレルヤ唱の代わりに詠唱を歌います。また、祭壇の飾りも質素にすることが求められます。それはイエスの受難と死を記念するために、喜びの表現を控えることが求められるからです。
ただし、四旬節の期間でも「祭日」「祝日」のミサのときは栄光の賛歌を唱えます。「祭日」「祝日」は教会の中で重要な聖人を祝う日のことです。四旬節の中では3月19日に聖ヨセフの祭日があります。そこで今回の教会だよりは聖ヨセフについて書きます。
ヨセフはイエスの父親ですが、実の父親ではありません。「マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである」(マタイ1:20)と聖書にある通りです。それに聖書全体でヨセフへの言及はマリアのそれより少ないので、ヨセフの存在はあまり目立ちません。ルカ福音書でイエスが12歳のときにヨセフは登場しますが(ルカ2章41〜52節)、イエスが公生活(神の子として活動した期間)を始めた後でヨセフへの言及はないことから、イエスが10代~20代の頃にヨセフは亡くなったというのが定説です。
教会の暦の中でヨセフとマリアを祝う日の回数が全然違います。マリアを祝う日は元旦の神の母聖マリアをはじめとしてたくさんあるのに対し、ヨセフの祝う日は3月19日と5月1日の労働者聖ヨセフの記念日だけです。そのため、教会の中でヨセフに対する崇敬はマリアの崇敬より目立ちません。けれども、ヨセフがイエスの誕生、そして成長に果たした役割は決して低いものではありません。それは数少ない聖書におけるヨセフの姿を見ることから分かります。
マタイ福音書1章18~25節の記述を見てみましょう。この箇所でヨセフは「正しい人」だと描写されています。その彼はマリアが身ごもっていることを知ると彼女と縁を切ろうとしますが、それは当時の社会で結婚前に妻が妊娠していると公になるとマリアが石打ちの刑に処せられたからです。このヨセフの反応はマリアを守るという非常に思いやりのあるものでした。ところが、天使によって「生まれてくる子が聖霊によって身ごもった」ことを告げられた時、彼は妻を迎え入れると決心しました。
この時のヨセフの心理をわたしたちは聖書の記述から知ることはできませんが、彼は相当悩んだことでしょう。しかし、ヨセフは自らの「正しさ」よりも神の「正しさ」を選びマリアを妻として迎えました。ここにわたしたちの信仰の模範を見出すことができます。
わたしたちも日常生活の中で思い悩むことがあります。その時、自分の考えや自分の「正しさ」に固執しがちです。それは人間の本性なのですが、信仰とは神の意志を第一にして生きることです。天使のお告げに従ってマリアを妻として迎え入れ、イエスを育て上げたヨセフはわたしたちの信仰の模範です。ちなみにヨセフは「全教会の保護者」とされていることを皆さんに知っていただきたいと思います。
そして、先ほども述べたように5月1日に「労働者聖ヨセフ」を記念します。この日は「任意」なので祝う義務はありませんが、イエスの誕生に果たした聖ヨセフの働きを思う時、わたしたちは聖ヨセフのお祝いをする必要があるのではないでしょうか。
現代を生きるわたしたちが聖ヨセフに倣って、神の意志に優先して信仰に生き、そして自らがなし得る労働によって、神に従う道を歩むことができるように、聖ヨセフの取り次ぎを求めましょう。