担当司祭から:2018年2月
主の奉献
(「道後教会だより」2018年2月号より)
来たる2月2日に教会は「主の奉献」の祝日をお祝いします。カトリック教会は10世紀頃から第二バチカン公会議まで「マリアの清めの祝日」としてこの日を祝ってきました。それは旧約聖書のレビ記12章4節に基づいたものでした。「妊娠して、男児を出産した時、産婦は月経による汚れの日数と同じ七日間汚れている。産婦は出血の汚れが清まるのに必要な三十三日の間家にとどまる。その清めの期間が完了するまでは、聖なるものに触れたり、聖所にもうでたりしてはならない。」主の降誕が12月24日の夜であり、そこから数えて40日目の2月2日にマリアが清められたということです。
その一方で東方教会(ギリシャ正教・ロシア正教など)ではこの祝日を「主の奉献」として祝う伝統がありました。それは、初子をささげることを命じた出エジプト記13章11~16節に従って、ヨセフとマリアがイエスを奉献したことに重点を置いたのです。第二バチカン公会議の典礼刷新において、カトリック教会はこの東方教会の伝統を取り入れて、2月2日を「主の奉献」の祝日としました。
「主の奉献」の祝日に読まれる福音は、ルカ2章22~40節です。ここで登場するのはシメオンという人物です。彼は“霊”に導かれて神殿の境内に入り、イエスに出会いました。そして、彼はイエスが諸国民の救いの光であることを歌で表現します(29~32節)。けれども、彼はその後でマリアに厳しい言葉を語ります。「この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。―
あなた自身も剣で心を刺し貫かれます ― 多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」(34~35節)
この言葉に「主の奉献」の祝日の意義が表れています。イエスはすでに幼子の時から神のために命を捧げるように運命づけられているとシメオンはマリアに告げました。マリアはその言葉を受けとめ、生涯をイエスと共に歩みました。マリアはイエスの死の時に十字架のそばにいたとヨハネ福音書は記しています(19章25~27節)。マリアがイエスを捧げたように、キリスト者は自らを捧げることが求められます。ですから、「主の奉献」で示されるマリアの姿はキリスト者の模範です。
とりわけ、司祭・修道者・奉献生活者(修道者と同じ従順・清貧・貞潔の誓願を立てるが、修道者よりも一般社会と密接に関わりを持って生活する人)は自らを生涯神に捧げることを誓います。だから、この祝日は司祭・修道者・奉献生活者にとって大切なのです。
司祭・修道者の道のりは決して容易ではありません。誓願を立て、叙階の秘跡を受けながらもその務めを果たせずにやめていく人がいつの時代にもいます。私も司祭・修道者の一員として生きる難しさを感じています。しかし、神によって召されたこの道をしっかり歩み続けたいとわたしは決意を新たにしています。主の奉献の日には特別に司祭・修道者・奉献生活者へのお祈りをよろしくお願いします。