担当司祭から:2017年10月

川上栄治神父の写真
川上栄治神父

 2009年10月~2010年3月 協力司祭
 2010年4月~2013年3月、2014年4月~ 道後教会担当司祭

 1975年8月16日生。大阪出身。ドミニコ会司祭。
 2006年9月に司祭叙階。2006年~2009年、ローマで勉強。2009年8月に帰国後、松山へ。
 松山教会に在住。

区切り線

天使 ― 純粋な霊的存在者 ―

(「道後教会だより」2017年10月号より)

 カトリック教会は来る9月29日は「聖ミカエル・聖ガブリエル・聖ラファエル天使」を祝い、10月2日には「守護の天使」の記念日を祝います。そこで今月の教会だよりは、天使について取り上げたいと思います。守護の天使と子ども
 天使は『カトリック教会のカテキズムの要約』60項で次のように記されています。「天使とは、純粋に霊的で、からだをもたず、目に見えない、不死の被造物で、知性と意思をそなえたペルソナとしての存在です。天使は顔と顔を合わせて神をたえず観想しながら、神に栄光を帰し、神に仕えています。そして、すべての人のために救いの使命が成し遂げられるための、神の使者です。」
 聖書において、天使は神の使者としての役割を果たしています。有名なものだけを挙げても、旧約聖書ではアダムとエバの楽園追放のときに楽園を閉ざし(創世記3章24節参照)、アブラハムがイサクを生贄としてささげようとしたのを押しとどめました(創世記22章11節参照)。新約聖書で洗礼者ヨハネとイエスの誕生をマリアとエリザベトに告げたのは天使ガブリエルです(ルカ1章11節、26節参照)。これ以外にも天使が登場する箇所はたくさんあります。
 イエスの生涯においても天使は重要な役割を果たしています。天使は「幼子イエスを守り(マタイ1章20節参照)、荒れ野で仕え(マルコ1章13節)、…死の苦悶のなかにあるイエスを力づけました(ルカ22章43節参照)。天使はイエスの復活を告げ(マルコ16章5~7節)、天使はキリストの再臨のときにこれを告げ(使徒言行録1章10~11節)、審判の席にはべるはずです(マタイ13章41節など参照)(『カトリック教会のカテキズム』333)。
 けれども、天使のある者は神に逆らって堕落しました。それが悪魔です。悪魔の起源は教会の伝承によれば、天使たちのある者は人間が神の似姿として自分たちよりも優れた存在であることを受け入れられなかったことに不満をもって堕落したと伝えられています。聖書における悪魔に関する最初の描写は、創世記のアダムとエバに善悪の木の実を食べることをそそのかした蛇です(創世記3章1~5節参照)。サタンは聖書の最初から神に反対する者、誘惑する者として描かれています。
 サタンはイエスの生涯において重要な役割を果たします。イエスが公生活の初めに荒れ野でサタンから誘惑を受けられました(マタイ4:1~11)。ヨハネ福音書ではユダの裏切りがサタンの仕業であると記されています(ヨハネ13:27)。
 このようなサタンの存在は、今の時代に生きるわたしたちにとっても脅威であり続けます。わたしたちの心の中にある自己中心的な考えや物や富への欲望がサタンの力によって大罪として表れる可能性はいつでもあるのです。
 けれども、『カトリック教会のカテキズム』395項に次の言葉があることに注目しましょう。「(とはいえ、)サタンの力は無限ではありません。純粋霊であっても、被造物であることに変わりはありません。神の国とその完成を妨げることはできないのです。…神が悪魔の行動を妨げておられないのは深い神秘ですが、『神を愛する者たちには万事が益となるようにともに、働くことになるということを、わたしたちは知っています』(ローマ8章26節)」
 悪魔の力はわたしたちを大罪へと導くほど強いものです。そんなわたしたちを支えるのが天使です。聖書に描かれている「救いの歴史」において天使は大きな役割を果たしています。それを思い起こすのが9月29日の「ミカエル・ラファエル・ガブリエル」の祝日です。
 そして、「人間のいのちは、初めから死の時まで、天使たちの絶えざる保護に包まれています」と名誉教皇ベネディクト16世は語っています。このことを特に10月2日の「守護の天使」で思い起こすのです。わたしたちが天使の助けによって日々信仰の道のりを歩めるように天使の取り次ぎを求めましょう。