担当司祭から:2017年5月

川上栄治神父の写真
川上栄治神父

 2009年10月~2010年3月 協力司祭
 2010年4月~2013年3月、2014年4月~ 道後教会担当司祭

 1975年8月16日生。大阪出身。ドミニコ会司祭。
 2006年9月に司祭叙階。2006年~2009年、ローマで勉強。2009年8月に帰国後、松山へ。
 松山教会に在住。

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わたしの教会以外での活動

(「道後教会だより」2017年5月号より)

 わたしは現在、教会の担当司祭以外に愛光学園の中学部で週1日5クラスの非常勤講師として聖書の解説と祈りの講話をしています。また、現在今治教会の隣にある若葉幼稚園のチャプレンとして年長の園児に聖書の話を月に1回行っています。この二つの仕事が教会以外のわたしの活動の主となっています。
 率直に書けば、愛光学園の授業は難しいです。なぜなら、愛光学園は愛媛県で有数の進学校で、優秀な大学を目指している学生が集まっており、そういう学生たちに進学に直接関係のない聖書や祈りを興味深く話すのは難しいからです。ただ、その中でも少ないですが、熱心に話を聞き、質問をしてくる生徒もいます。わたしは、その生徒たちと少しでも関わりをもって信仰の大切さを伝えるよう努めています。
お話を聞く子供たち 一方、幼稚園での仕事はわたしにとって楽しいものです。それは幼稚園児は中学生に比べれば心が純粋だからでしょう。わたしは聖書の話を紙芝居の形にして園児たちに話しますが、多くの園児たちはわたしの話を真剣に聞いてくれます。わたしはだいたいその話の最初に「先月どんな話をしたか覚えているかな?」と尋ねます。そうすると、何人かの園児は必ず「こういう内容でした」と答えてくれます。以前聖書のお話がわたしの都合でスケジュールが不規則になり、前の話とその次の話の間が3ヶ月開いたことがありました。さすがに、わたしは「もう前の話を憶えていないだろう」と思い、「前の話から長い時間経ったけど、前の話の内容を覚えているかな?」と聞くと、ある一人の子どもは前回の話の内容を憶えていて淀みなく説明してくれました。これには驚いてしまいました。
 皆さんは、日曜日の説教の内容をどれだけ憶えているでしょうか? 数日経てば忘れてしまうのが普通です。もちろん、わたしが教会で行う説教は幼稚園の子どもたちに話すものに比べれば格段に難しいですから、比較するのは意味がないかもしれません。ただ、何ヶ月も前の話を憶えているというのはどれだけ子どもたちが聖書の言葉を真剣に聞き、それを考えているかを証明しています。
 そのほかにも聖書の話をしてわたしが印象に残ったことはたくさんあります。たとえば、魚の獲れないペトロがイエスの導きに従って大量の魚を釣り上げた物語(ルカ福音書5章1〜11節)でペトロはイエスに向かって「わたしは罪深い者です」と言う場面があります。その時、ある一人の女の子は「どうして? 意味が分からない」と即座に言葉を発しました。また、わたしが話そうとしている内容の結論を先取りして答える子どもはたくさんいます。これはわたしにとっては大変な驚きでした。だから、わたしは園児たちの反応から学ぶことがたくさんあります。
 ご承知のとおり、今教会と幼稚園の関係は大変難しいものです。園児数の維持のため、幼稚園は様々な取り組みを行っています。そのため、本来なら園児に宗教教育をする前に幼稚園の先生方に宗教教育をするべきですが、それがあまりできていないのが現状です。これは残念な状況であるのは間違いありません。
 けれども、わたしはそういう状況だからこそ園児たちに聖書の話をする仕事は続けていきたいと思います。わたしは幼児教育の専門家ではありませんが、これからの社会を担う子どもたちが、この世で成功するだけが人生の目的ではなく、神と共に生きることが大切であると司祭の立場から伝えることに努めています。子どもたちが神さまに心を留め、神さまを信じて生きるように成長するならば、それは立派な福音宣教になります。なぜなら、福音宣教は信徒数が増えるかどうかだけではなく、未信者の人がどれだけ信仰について知り、その大切さを知ってくれるか、というのも大切な要素だからです。