担当司祭から:2016年6月
洗礼者ヨハネの誕生 ― 荒れ野に現れた先駆者 ―
(「道後教会だより」2016年6月号より)
来たる6月24日は洗礼者ヨハネの誕生を祝います。カトリック教会の暦で聖人の誕生を祝うのは、イエス・キリストを除けば、聖母マリアと洗礼者ヨハネだけです。それに教会の聖人暦の中で一人の聖人で複数お祝いするのは、聖マリアと聖ヨセフと聖パウロぐらいです。
このことからカトリック教会がいかに洗礼者ヨハネを大切にしているかを示しています。洗礼者ヨハネの誕生を6月24日に祝うのは、イエス・キリストの誕生が洗礼者ヨハネの誕生の6ヶ月後であったと聖書に記されていることに基づきます。福音書で最も有名な場面の一つである受胎告知の場面の冒頭は「6ヶ月目に」(ルカ1・26)と記されています。これは洗礼者ヨハネの両親ザカリアとエリザベトに天使ガブリエルからのお告げがくだってから「6ヶ月」を意味しています。
しかし、洗礼者ヨハネの誕生を祝うことには、さらに深い意味があります。それはタイトルにも書きました通り、洗礼者ヨハネはイエスの「先駆者」だったことに基づきます。四つの福音書でイエスの誕生物語はマタイとルカだけが記していますが、洗礼者ヨハネの登場を全ての福音書が記しています。共観福音書(マタイ・マルコ・ルカの三つの福音書の総称)は洗礼者ヨハネがいずれも「荒れ野」に登場し悔い改めの洗礼を授けた、と記しています。しかし、それは単なる悔い改めではなく、イエスの「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1・15)というメッセージを準備するためでした。そして、イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けることによって、公生活を始められたことは「主の洗礼」の祭日の記事〈注〉で書いたとおりです。
このようにイエス・キリストの活動を準備するために登場した洗礼者ヨハネでしたが、その終わりはあっけないものでした。洗礼者ヨハネは当時のユダヤ王ヘロデが自分の兄弟の妻ヘロディアと結婚するのを非難したところ牢屋に入れられ、そのヘロディアの策略によって、公衆の面前で首をはねられたのです(マルコ6・14〜29参照)。
洗礼者ヨハネの生涯の意味が要約されている箇所はヨハネ福音書の3章22〜30節です。この箇所でイエスが洗礼を授けていると知らされたヨハネがこのようなことを言っています。「わたしは、『自分はメシアではない』と言い、『自分はあの方の前に遣わされた者だ』と言ったが、そのことについてはあなたたち自身が証ししている。……あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」(ヨハネ3・28、30)。この言葉に洗礼者ヨハネの生涯の意味が要約されています。洗礼者ヨハネはイエスの宣教の道を準備したのです。ですから、イエス・キリストの登場を準備して殺された洗礼者ヨハネは厳密な意味でキリスト教徒ではなかったとしても、キリスト教の聖人として祝われるのです。
そして、洗礼者ヨハネの姿は現代を生きるわたしたちの姿の模範でもあります。なぜなら、わたしたちは「キリストが再び来られる」までミサを記念する使命があるからです。洗礼者ヨハネがキリストの到来を告げ知らせたように、わたしたちもキリスト信者としてミサに参加し、キリストの再臨を告げ知らせる使命があります。その使命を忠実に果たすよう願って洗礼者ヨハネの取り次ぎを求めましょう。
〈注〉「主の洗礼」の祭日の記事 バックナンバー:2016年1月