担当司祭から:2016年5月
使徒マティア ― 使徒とは ―
(「道後教会だより」2016年5月号より)
今年の聖霊降臨は5月15日に祝われますが、その前日14日には使徒マティアのお祝いがあります。使徒マティアに馴染みがあまりない方もいることでしょう。それはマティアがイエスの昇天後に使徒として選ばれたからです。その記述は使徒言行録1章15〜26節に記されています。しかし、マティアはそれ以外には登場しません。一説には、マティアがルカ福音書に登場するザアカイ、あるいはパウロと一緒に行動するバルナバと同一人物であると言われますが、確証がありません。
さて、このマティアが使徒に選出される使徒言行録1章15〜26節に注目してみましょう。マティアの選出の際、リーダーシップを取ったのはペトロでした。彼はイエスを裏切ったユダが自殺したこと(マタイ27章3〜10節参照)を述べたのちこう言います。「主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです。」(使徒言行録1章21〜22節) この言葉に「使徒」という言葉の意味が示されています。つまり、「使徒」とは「主イエスと生活を共にした」者であり、「主の復活の証人」なのです。
そこで、イエスの弟子たちはバルサバとマティアという二人を選び出し、そのうちの一人を「くじ」によって選び出すという方法をとりました。この方法は聖書において「神のみ旨を知る」ために用いられた方法でした(レビ記16章7〜10節、民数記34章13節参照)。それによって、マティアは使徒に選ばれたのです。
ところがこの「使徒」の定義に疑問を持たれる方もいるでしょう。それはパウロの存在です。ご承知のようにパウロは生前のイエスを知らなかった上に、イエスを迫害さえしていたのです。けれども、そのパウロが「使徒」と呼ばれ、実際日曜日のミサの第二朗読は「使徒パウロの手紙」と言われます。これについてどう考えたらよいでしょうか?
それは、弟子たちの活動の発展を考えなければなりません。復活したイエスと出会い、聖霊を注がれた弟子たちはまず「イエスが復活された」ことを証しする使命がありました。そうでなければ、イエスは十字架で無残な死を遂げただけの人物になったからです。イエスの復活を証しするのは、第一にイエスと共に生涯を過ごした弟子たちがその使命を担っていました。使徒言行録にはペトロの説教によってキリスト教の信仰に入る人々が大勢いたことが記されています。
けれども、当然弟子たちの言葉に反対する者たちが現れてきました。その人々に対して復活の出来事を論理的に証明する必要がありました。その役割を担ったのが、知識階級育ちのパウロでした。このパウロの働きによって、キリスト教の信仰がユダヤから全世界へ広がったのです。
以上から、教会で「使徒」と言われるのは、イエスの12人の弟子とパウロであることが分かります。彼らの働きはその死後、ローマ教皇、司教団、司祭を通して受け継がれています。これを「使徒継承」と言います。現代のキリスト者も当然この「使徒継承」のもとで信仰を生きるのです。これが教会の本質であり、いつの時代も変わりません。
マティアが使徒に選ばれたのは「くじ」という神の導きでした。わたしたちが洗礼を受けたのも同じです。使徒マティアの選出はイエスの出来事にまつわる弟子たちの裏切りほど劇的ではありませんが、神からの選びがわたしたちの選びより先行していることを改めて思い起こさせます。
なお、「使徒」とは原語で「遣わされた者」という意味があります。わたしたちはイエスの死と復活に結ばれて、使徒たちのように人々に信仰を伝えるように「遣わされて」いるのです。現代社会の中で信仰を生きるわたしたちがその使命を果たすことができるように、使徒マティアの取り次ぎを求めましょう。