担当司祭から:2016年2月

川上栄治神父の写真
川上栄治神父

 2009年10月~2010年3月 協力司祭
 2010年4月~2013年3月、2014年4月~ 道後教会担当司祭

 1975年8月16日生。大阪出身。ドミニコ会司祭。
 2006年9月に司祭叙階。2006年~2009年、ローマで勉強。2009年8月に帰国後、松山へ。
 松山教会に在住。

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日本二十六聖人殉教者

(「道後教会だより」2016年2月号より)

 来る2月5日は「日本二十六聖人殉教者」の祝日です。この日は全世界のカトリック教会では2月6日に「聖パウロ三木と同志殉教者」という名前によって祝われています。それは、2月5日が聖アガタの祝日にあたるからです。聖アガタとは3世紀頃イタリアのシチリア島で殉教した聖女であり、その聖人の殉教の記念が優先されるからです。しかし、日本二十六聖人の殉教は1597年2月5日だったので、日本ではローマから特別の許可を得て、二十六聖人の記念を2月5日に行います。
 フランシスコ・ザビエルの来日から順調に宣教を続けていた日本のキリスト教に変化が起こったのは、1587年の豊臣秀吉によって出されたバテレン追放令でした。それ以降キリスト教は迫害されるようになりました。その時から命を落とした殉教者はいましたが、二十六人という大勢の人が命を落としたのはこの時が最初でした。ですから、この日を日本のカトリック教会は「日本の信仰の初穂」(『教会の祈り』の共同祈願より)として記念するのです。
 さて、その二十六聖人の殉教を記した文書が残っており、その文書は聖人たちがどのようにして死を遂げたかを克明に記しています(『同時代の著者による聖パウロ三木とその同志の殉教の記録』参照)。その文書によると、聖人たちは十字架につけられても、詩編を唱えたり、神に感謝を捧げたり、主の祈りや天使祝詞を唱えたりして、「毅然とした態度で皆を驚かせ」ました。その時二十六人の一人でパウロ三木というイエズス会の司祭がキリスト教の信仰こそ救いへの道であると語った後、自分たちを十字架につけた関白をはじめとするすべての人をゆるすと語りました。その後で、聖人たちは「喜びにあふれて」祈りを唱えながら、兵士たちによって槍で刺し殺されたのです。
 教会の歴史の中に多くの殉教者たちがおり、その人々について記した文書は数多く残されていますが、その文書は今回引用したものとだいたい同じです。つまり、殉教者の伝記は殉教者たちがどれほど勇敢に信仰のために命を捧げたかを記すものです。わたしは神学生時代にこのような伝記を読む時、違和感を覚えました。それは、殉教という出来事が身近に感じられない現代日本において、殉教者の伝記が自分の「司祭」への召命とかけ離れた「美談」だと思ったからです。もちろん、今はそう思っていませんが、現代のキリスト者はもしかすると、神学生時代にわたしが持っていた感覚に似たものを感じているかもしれません。
 確かに、殉教者の伝記にはいささか誇張があり、殉教者たちが生きていた社会状況は現代のキリスト者のそれとは大きく異なっていました。けれども、殉教者たちが行ったのは「命をかけてキリストを証しすること」でした。この精神はいつの時代も変わることがありません。殉教者たちは現代のキリスト者に「命をかけてキリストを証ししているか」と問いかけているのです。
 これについて、わたしが神学校時代に教えていただいた教授の言葉は今もはっきりと覚えていますので、それを紹介します。「現代のキリスト者は血を流さない殉教を求められている。」
 この言葉は、現代のキリスト者は命を落とさないかもしれないが現代社会固有の苦しみの中でキリストを証しすることを求められている、という意味です。他者への無関心がはびこり、金銭や名誉だけを追い求める生き方をする人が多い現代社会の中でキリストの生き方を伝えるのは非常に困難です。わたしは学校などの使徒職を通してそれを痛感しています。けれども、ミサを通してわたしたちはキリストの命を受けています。その力に支えられて、わたしたちはキリストの姿を証しする者と日々「なって」いくのです。その助けとしてわたしたちは信仰のために命を落とした殉教者を記念するのです。その意義をどうか心に留めていただきたいのです。