日々雑談:1997年10月
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10/30
ここの「ワシ」の部分はたいてい仕事を終えて風呂に入った後、12時前後に気が向いたら書いている。
もちろんウイスキーの水割りを飲みながら。
元来酒が弱くてすぐ酔っぱらうので、時々変なことを書いている。
それで、翌朝起きてから一度はローカルでここの内容をチェックするようにしている。

それが今朝チェックしてたらアクセスカウンタが無くなっていた。
接続してみると確かにカウンタ無しのHTMLをアップしてるではないか。
すぐに修正したかったが、バックアップはないし、このカウンタを設置したのは半年も前なので、どうしてよいかわからなかった。
あたふたしてたら会社に遅刻しちまったい。

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一応自社の株主なので株式市況が気になる。
一昨日暴落して、昨日持ち直して今日はまた落ちたようだ。
本当に先行き不安な経済状況だが、弱小ソフトハウス勤務の私の生活はいったいどうなるのでしょう?
みんななんとなく予想してるんじゃあないかな、恐慌が来るんじゃないか。
バブリーな体質を引きずっているコンピュータ関連企業はリストラ嵐の良い機会かも。
こんな時期に家買って大丈夫か>ワシ

10/29
あすなろ物語
小学校5・6年生の2年間、私立・国立の中学受験のため私は広島市内の学習塾に通っていた。
この頃は、人生の中で最も真面目な時期で、すごく懸命に勉強していた。

昭和50年前後であるが、まだ広島の中心部にバラック街が残っていて、私が通った学習塾はその中の汚い家だった。
バラック街があったのは広島市民球場から歩いて5分程の太田川沿いで、原爆で焼け野原になった広島で住民が勝手に家を建ててできた街だ。
トタン屋根にベニヤの壁の平屋ばかり並び、もちろん下水もなく、舗装されてない狭い道路がくねくねとまさに迷路であった。
イメージ的には「明日のジョー」のドヤ街そのものである。

このバラック街が確か昭和53、4年まで存在したんではないだろうか。
今考えると、そんなスリリングな街が大都市広島の真ん中に残り、開通したばかりの新幹線からもよく見えていたというのは非常に面白い。
戦後30年経っても終戦直後の雰囲気そのままだったので、映画のロケ地に使われていたようであった。
ある土曜日私がその学習塾に行くと、塾の真ん前の広場に人が大勢集まっている。
何か事故でもあったのかと思ったら、東映の「仁義無き戦い」の撮影であった。
セットの屋台を中心に俳優が数人演技してる。
傍らに汚い着流しで座っている男性が驚いたことに千葉真一であった。
当時千葉ちゃんと言えば「キーハンター」のヒーローだ。私はすっかりうれしくなった。
友達の三刀屋君は気が動転したのか図太いのか、本人に向かって「あんた、本当に千葉真一か」と真剣に聴いていた。

塾の経営者は元高校教師だったが、どういうわけで、バラック街に住み着いているのかは言わなかった。
国文学が専門で灘中の文語文法テキストを小学生にたたき込んでいた。
本の読み方とか文章の書き方とかものすごくこの塾教師に影響を受けた。
というか国語力をこの時に身につけたおかげでその後大学入試に至るまで、国語の勉強が全く不要だった。
加えて、未だにこのせいで、ら抜き表現が非常に気になる。
数学や理科は広島大学の院生が来て教えていた。
算数なのに一元方程式を教えられ、「流水算」も「植木算」も「鶴亀算」もそれぞれの解法を別々に覚えなくても方程式で解決できることを学んだ。
ちなみに鶴亀算というのは「鶴亀合計で足が50本ありますが、鶴と亀は併せて20匹です足が2本の鶴と4本の亀はそれぞれ何匹でしょう」とかいった問題だ。
    算数の解き方では「一旦全てが亀の場合を考え、その場合の足の数の差異から鶴亀それぞれの匹数を求める」とややこしい。
    しかしこんなもん
    4X+2(20-X)=50の一次方程式が解ければ至って簡単である。

一学年が40〜50人程だったと思う。
塾に入るのに特に選抜試験をするわけでもないのだが、この少人数から毎年半分以上が市内の有名私立中学に受かり、神戸の灘中へも2、3人合格させていたからすごい。
当然内容は非常にハードで、小学校6年の1年間は休みが1日もなかった。
1週間7日、平日3時間、土日曜6時間、盆も正月も授業があった。
だいたい、1コマ3時間てのは大学の授業より長い。当時なんでそんなに集中できたのかものすごく不思議である。

それだけ必死で詰め込んだおかげで結果的に私は志望中学校に入学できた。
ただ、人生通しての勉強量をその2年間で使い切ってしまったらしく、立派な中学校に入った割には、その後の人生(大学も就職も)があまりパッとしていない
全く集中力の無い人間になってしまったのは、この時に勉強しすぎたせい?

この塾の同級生に森田君というあまりできの良くない、しかもおちゃらけた少年がいた。
独特の言語感覚を持っていて、よく、「バブー」とかの無意味な奇声を発していた。
彼の一番のギャグが「チン毛バービーブー」であった。もちろん意味はない。
周りのシチュエーションに関わらずこの単語を叫ぶ。
バービーブーとは、当時TV放送していた「トリプルファイター」という元祖戦隊モノの番組に出たビーバーの怪人という、悪事を働く割にはかわいいキャラである。
それに下ネタをくっつけた本当に(しつこいが)意味のない一発ギャグだった。
そのシリーズで「しり毛テンパージョー」てのもあった。テンパージョーもやはりトリプルファイターの怪人である。
同様に、なんで「しり毛」が「テンパージョー」なのか誰にもわからなかった。

そんな森田君だが、みんなと一緒にハードな学習をしていたので、小学校では優秀だったようだ。
ただ、予想通りどこの私立にも合格できなかった。
しかし、こういった無意味なギャグは、当時広島の少年たちが見ていた吉本や松竹のお笑いでは存在しなかったはずだ。
後々の、ビートたけしの「コマネチ」とか「鼻の臭い」とかいった、無意味だけどなんだか笑ってしまう独特のギャグに通じるところがある。
そんな先進の感覚を持っていた森田君、今はいったいどうしているんだろう。

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妻の誕生日にプレゼントを買うなんて結婚してから初めてだな。
いかにも「わけありって感じ」で変なの。

10/28
なんて不景気なんだい。
なんで俺が35歳の時に最低になるんだい。
株価下落のニュースを見ていて無性に腹が立ってきた。
どこにも怒りを持って行きようがなくて、水割りのグラスをゴミ箱に叩き付けた。
そしたらガラスの破片があたりに散乱した。
子供がケガしたらいけないので、掃除機をかけた。
あ〜情けな。

理屈でわかっても感情で納得できないことがあることを、この歳になって知る。

10/27
大阪で買ってきたパリの地図を、会社で自席のブースにはって一日眺めていた。
カルチェ・ラタンのホテルに泊まり、ノートルダムからルーブルを見学して、シャンゼリゼを凱旋門まで歩く。
オペラ座の近くにホテル・リッツがある。セーヌ川沿いをたどるとダイアナが事故った場所がある。
#オペラ座を曲がると、あの人に会える〜と歌ったのは岩崎良美だったな。

最長7日、最短3日で今までに4回パリに行ったが、次に行けるのはいつになるのだろう?
子供が独立する20年後だろうか。

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親不知子不知。離れていれば解るものも解らない。

10/26
行って来ました。徳島〜大阪日帰りの船旅こちらです
やっぱり都会はいいなあ。ボーナス出たら、また来よう。
今度は、電気街とタワーレコードと丸善とチン電と吉本と。

10/24
別ページできちんと書きたいと思っているのだが、私は小学生の頃路線バスが大好きだった。
当時広島市郊外の町に住んでいた私は、しょっちゅう市内に出かけて、色んな長距離バスに乗ったモノだ。
特に東方面の路線が好きで、会社としては国鉄・広島電鉄・芸陽・呉市営といったバス会社があった。
これらのバスが実に様々な行き先を掲げて、バスセンター(広島市紙屋町にある)から発着していた。

国鉄バスは比較的立派な作りで、路線も広島〜呉を中心としたメジャーなルートを走っていた。
面白いのは特急・急行・快速・普通といったランクがあり、私の最寄りのバス停(マツダ本社の真ん前にある)には急行が停車するのが自慢だった。
当然ランクにより、停車するバス停の数が異なるわけだが、「特急」ってのはすごくて、「広島バスセンター」から呉市の「呉本通り6丁目」までの路線なのだが、
その間停車駅が「広島駅」と「呉駅」だけなのだ。
鉄道でも40分くらいかかる広島〜呉をノンストップでバスが走ってるのが、ものすごくかっこよく思えた。
このバスにどうしても乗りたくて、用もないのに一旦広島バスセンターまで出向いて、特急便に乗って呉まで行き、再び特急で帰ってきたことがあった。

一方芸陽バスという会社は東広島市西条町(日本酒の町として有名)を中心とした路線を持っていて、広島県中西部の山中に色んなルートがあり、ディープな存在だった。
広島発着の路線も、「奥畑」とか「豊栄」「小国」等当時の私には全く別世界の地名を行き先表示したバスに心ときめかせていた。
子供だから自動車も運転できないし、そういった未知の場所に行くにはバスを利用するしかなかったのだ。

広島電鉄は有名な広島市内の路面電車を経営しているが、私があこがれたのは熊野方面への路線バスだった。
熊野ってのは三重県(?)の熊野が由来の山中の町で、毛筆が有名で全国の9割以上をここで生産しているという実に地味な特色を持つ。
熊野町のとなりに「熊野跡村」という、また妙な名前の村があり、広島電鉄バスの行き先に表示された「熊野跡」がどんなところか想像をかき立てる。
現在はこの村は「阿戸町」という何の変哲もない町名に変わってしまっている。

とまあ、こういった話を書き始めるととりとめがないので、別ページにきちんと書きたいが、当時11か12の少年が相当バスにのめり込んでいた様子で、今でも細かいことをよく覚えている。
日曜日に度々、バスに乗るためだけにあちこち出かけていたとは妙な少年だったんだな、ワシ。
加えて、こんなこと詳細に書いても広島の人でもよく解らないだろうな。

10/23
会社のパソコンにMSIEをインストールしてみた。
私は単にインターネットのプラウザとしてのIEが導入されるだけだと思っていたのだが、導入後に画面(ディスクトップ)の状況がえらく変わってしまった。
私は自分でよく使う機能のアイコンだけを集めて、グループを作っている。通常はそのグループから必要なソフトを起動している。
そのグループが勝手にIEに組み込まれてしまった。更に、MSIE独自のアンカー(広告?)が画面横に出っぱなしでうっとうしい。
つまり、MSはWIN95を使用するのにIEをフロントエンドに固定したいのだろう。(米政府が問題にしているのはこの点なのかな?)
これがOUTLOOKと呼ばれているユーザI/Fなのか?よく解らないが。
また、このOUTLOOKのディスクトップが非常に遅い
私はすぐに嫌になって、MSIE削除した。
すると、ディスクトップの設定が一番最初の状態に戻ってしまい、また、いろいろ設定しなおさなければならなかった。

例えばMSオフィスをインストールすると、MSオフィスのメニューが常に画面に出っぱなしになる。
もちろんスタートアップからこのメニューを消せばいいのだが、初心者はそんなことしないだろう。
また、ジャストシステムの最近の製品の「フルバンド」はイントラネットのWSクライアントだが、これもインストールすると、勝手に独自のタスクバーをディスクトップに作ってしまう。

各社自分のところのソフトの使用頻度を上げるために、これらのディスクトップメニューを強制的に作成したり、ファイルの関連づけを勝手に自社ソフトに変えたりしている。
ある程度事情が解っている人はこれらを元に戻したり、削除することができるんだろうが、初心者は設定された状態で使わざるを得ないだろう。
ユーザーから見るとメーカーのエゴ丸だしの仕業に見える。
少なくとも自分のディスクトップは自分の思い通りの状態にしたい。
**オフィスとかの統合ソフトがそれを書き換えてしまうのはヒジョーに身勝手である。やめなさい。

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明後日の土曜日は一年ぶりに大阪に行くぞ。たまには都会の空気吸わないとねえ。
目的の一つに丸善の洋書売場に行って、ポスターを購入するってのがある。
後やっぱり日本橋だな。少ない予算で何買おう。今からわくわく。

10/22
再びピアノの話
私の実家にアップライトのピアノがあるんだが、どうもその処置に困っているらしい。
以前にも同様の話を書いたような記憶もあるが、昨今の住宅事情ではアコースティックの(つまり本物の)ピアノを所有することはかなり贅沢だ。

まず重い。
アップライトピアノが何キロあるのか知らないが、少なくとも大人数人でよいしょと持ち上げれれる重量ではない。
部屋の中で1m移動させるのにも専門の業者にたのまなければならず、費用がかかる。
いわんや、アパートの一室にピアノを搬入するなんて、府中ダンス(ちょっとローカル)以上に大変な作業である。
クレーン等の重機が無かった時代はどうやって運搬していたのか不思議なくらいだ。
特にグランドピアノを置く場合は家屋にそれ様の特別な構造設計が必要らしい。

次にうるさい。
ピアノは本格的に鳴らすと結構な音量になるし、実際大きな音を出すことが上達の基本である。
「大きな音を出す」ことと「力を入れて弾く」ことは大きく異なる(Fromタケシの番組)のだがここでは論ぜない。
軽いタッチで鍵盤を叩いても状況によっては非常にうるさい。
もちろんうるさいからといって、ヘッドホンは使えない。

更にメンテナンスが必要である。
原則として湿気の少ない場所に設置しなければならないし、定期的に調律が必要である。
ピアノも生の楽器だから張ってある弦も調整しないと、音程がおかしくなる。
当然プロの調律士に頼むのだが、それなりにお金がかかる。
ちなみに、調律が狂ったピアノを「ホンキートンク」(WORDの由来は知りません)と称して、ラグタイム等の音楽ジャンルの音になっている。
これはアメリカの西部開拓時代に、長期間馬車で揺られて調律が狂ったピアノが西部の酒場で弾かれていたことに基づく。
しかし、ホンキートンクのピアノが流れる中、入り口が観音式に開く酒場に、荒くれ者が入ってきてカウンターでバーボンを頼むなんて場面は実在したのだろうか?

ともかく、これらの条件を見ても「生ピアノを所有する」ことは経費もかかるし、それなりの環境も必要だし、結構贅沢な話である。

「生ピアノ」に代わって家庭に入ってきたのがエレピだが、これも本当に「生ピアノの代わりになる」ようになったのはせいぜい5年位前からだろう。
正確には発売時期は知らないのだが、ヤマハのクラビノーバとかローランドのHPとかが出てきてからだと思う。
これらのバーチャルアコースティックなエレピのすごいところは、PCM音源を基にして、音のリアリティをあげたこともあるだろうが、鍵盤の重さ・慣性を機械的に実現できたことが大きい。
ピアノはタッチで、音量はもちろん、音色もコントロールできなければならない。
「バイオリンのような音」とか「木管楽器」「金管楽器」のような音を出せることが必要。
更に、ピアノは音域によって、弾いた鍵盤以外の弦が共鳴して倍音構成が異なったり、エンベロープ(1音単位での音量変化)が異なったりするのでなおさらややこしい。
実際に弦を叩く生ピアノをシミュレートして電気的にそういった音量・音質を実現するってのはすごい技術だと思う。

マンションや小さな一戸建てに住んでて生のピアノを所有することは既に現実的でなくなっている。
子供にピアノを習わせることが今ではそんなに一般的ではないとは思うのだが、なおさらプロのピアニストになるわけではないのだから、手間と経費のかかる本物は不要だろう。
一般家庭にあるのがエレピばかりになれば調律士の仕事もなくなる。
今にほんの一部のお金持ちしか生ピアノを持てなくなるんだろうな。

10/21
長男懐妊時の記録の続きを日誌に追加しました。こちらです。
しかしこんな個人の事情を詳しく記述したもんを読んで人は面白いのかな。
私生活を単に文章にするだけで、私小説ができるわけでもないし。

ともかく、「懐妊時の記録」のつもりだったのだが、書いてみたら結局会社を辞める前後のどたばたした事情説明になってしまった。
この時すんでのところで流れてしまうところだった長男は、ぶくぶく太って元気に今月誕生迎えた。
ありがたいことです。

10/20
カウンタがやっとこ1000件
さっきログファイルを見たらいつのまにかカウンタが1000件を越えていた。
WEB開いて6ヶ月弱、やっとこ1000件か・・・。一日あたり平均して5〜6件てか。
しかしこの内容のないオヤジのぼやきページを時々でも見てくれる人がいるのはありがたい。
ちなみに、この「1000件」は自分のアクセスは入っていません。
それはカウンタのCGIの仕組みではなくて、単に、自分ではWEB上でこのHPを見ないようにしているからです。

ページを始める時は、スペイン関係の写真や書物を用意したり、過去のキーボードマガジンを取り出してきたりして、「コンテンツはばっちりさ」と意気込んでいたんですが、やはりスペインやシンセの話は下調べやら構成やらで面倒くさい。
シンセはまだ3つだけだし、スペインもマドリとセビリアとサンチアゴの3つだけだな。
一応表向きはこの二つがこのページの「コンテンツ」なんでちゃんと増殖させないとね。
ある程度増殖できたら、メジャーの検索ツールに登録しようと目論んでいたんだが、半年たってもできてないんだもの。

しかし一方で、この「ワシ」やら「日誌」やらで、本当にひとりよがりな屁理屈こねてると結構楽しいんですよ。
今やWEB上での「日記」てのはそれなりに大きなジャンルになっているらしいが、たしかに我々のような素人で凡人が、それなりに変化のあるページを作ろうとしたら日記はいいね。
私の様に、おしゃべりで自己主張が強くて、しかしFaceLessな存在のサラリーマンにとって、こうやって自分の「場」を持てるのは刺激的なことだ。
自分の日常の部分をこうやって、他人にさらすのは「存在」を(少しだけ)大きくできるような気がしてうれしいんです。
つまり、ちっぽけな自己顕示欲をこのページで実現しているわけだ。

とまあ何かにつけて理屈の多い私だが、友人関係が殆ど遠隔地に住んでいるので近況を逐次伝えるのにも、すごく役に立ってる。
このページを見てるあなたも屁理屈ページを持ちませんか。
なんなら、このCOZYの空きエリアをダータで貸してあげてもいいですよ。

10/19
ゲストブックに書き込みがありますが、友人でイラストレータの大賀葉子さんがMDNの11月号に記事を書いています。
この雑誌はMACのDTPユーザのためのものです。
今でもDTPの世界はMACが主流のようで関連書籍も殆どMACユーザを前提に書かれています。
DTM(ディスクトップミュージック)の世界が結構早い時期からMAC->Windowsに移行したことを考えると対照的ですね。
ちなみにこの大賀葉子さんはこのページのトップのロゴの作者です。
彼女のWEBはこちら
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最近妙に身の回りでモノが壊れるのでこんな文章を書きました。

10/18
会社が店頭公開した。
今は超株安の市況だが、結構まともな値がついていて、意外な気がした。
いわゆるハイテク株になるんだろうか。
ところで、ソフト会社ってのは株式市場では「サービス」のカテゴリーだ。
ソフトウエアってのは未だにハードのおまけみたいな意識があるので、電機関連のような気がしていたのだが。

それと、SEがユーザ企業ごとに業務系のシステムを構築するSIを中心とする「ソフト会社」なら、「サービス」のきもするが、
ワープロとか、通信ソフトとかのパッケージ製品を開発・製造・販売しているのなら、業務的には通常のメーカと変わらない。
ただ、今は自動車メーカでも「2.5次産業だ」って言う時代だからね。
製造業でも「ソフト面」を重視するから、製造とサービスの垣根は判然としませんね。

10/16
スペインのページにセビリアの写真を追加。こちらです。
セビリアにはすごっく大きなキリスト教教会と、イスラム建築が隣り合わせに建っている。
それぞれ作られた時代がちがうんだろうけど、他の欧州の国からみると不思議な光景だ。
更にコルドバに行くと、教会がその名もメスキータ(モスク)で、イスラム教のモスクの中にキリスト教の祭壇が無理矢理つっこまれている。
この国の独特の歴史構造を目で見ることができて面白い。

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CGI作りたいのですよ。でも、時間ないし、回線が遅いのではあんまりやる気にならないんです。

10/15
祝30周年ロータリーエンジン
今日の新聞に載ってたけど、マツダのロータリーエンジンの最初の搭載車「コスモスポーツ」が発表されてから30年なんだそうだ。
もう今更だからどうだという声があちこちから聞こえそうなくらいディープな存在になってしまった。

もとは船のエンジンの技術で、それをドイツの会社(シーメンスか?)から買い取って自動車用に開発したらしい。
私は機械や電気がさっぱりわからない(エンジニアなのに)ので恥ずかしいんだが、普通のレシプロエンジンはピストンの上下方向のエネルギーを回転に変換して、タイヤを回している。
それに対しロータリーはあのおにぎりみたいのが回転して動力にしているから、(きっと)ロスが少なくて高性能な気がするんだが?
確かに13Bは排気量自体は1300CCくらいしかないけど、レシプロの2000CCクラスのエンジンと同等の馬力を出していた。
昔(1960年代?)はツインカムやターボとか無かったからロータリー車はすごく早かったんだよね。
でも小さい割には燃費悪くて、父親が乗ってたルーチェの12Aなんて、マニュアルでリッター5kmしか走らないだぜ。

免許とって最初に乗ったのがそのルーチェだったのだ。
ローのまま一挙に7000回転まで加速して(当然レッドゾーンで警告が鳴る)、おもむろに4速にシフトをほりこむ。
低回転でトルクがなく、妙に軽く吹きあがる。あの感覚は独特なものがあったな。
マツダも一時はファミリアからルーチェまで(ロードペーサーまで)ロータリー載せていた。
更に軽のキャロルにまで1ローターを載せようとしたらしいが、それは役所が認めなかったらしい。
それにしても、ファミリアに「ロータリークーペ」があったなんて、いまじゃ考えられないよね。
他社もロータリーは魅力的だったらしく、サニーにロータリーを供給する話が実現直前までいってたこともあるらしい。

私も一度はロータリー車のオーナーになってみたかった(=RX−7に乗りたかった)のだが、結局実現しなかった。
家族持ちが今更スポーツカーに乗れない。
もし、次期ロードスターがロータリーを搭載して(ありえねえよ)、その時セカンドカーとして購入する経済的余裕があったら(無理だよ)買いたいな。

今やRX-7だけに搭載され(コスモは無視)細々と生きながらえているロータリーだが今後はどうなるんだろう。

  1. RX7と次期ロードスターが統合されて、一部のモデルにロータリーが搭載され細々と残る。
  2. ヘンリーウオレス社長はドライなので採算のとれないローターりーは全廃する。もう作らない。
  3. ロータリーの製造権を「雨宮」が買い取りレース用のエンジンとして造り続ける。=>こんなのねーよ。

ま、現行のRX-7が生産中止になった時点でロータリーは終わるだろう。
なんか、マツダのアイデンティティが全壊するようで、さみしいね。
おっと、アイデンティティなんて、マツダが日本フォードになった時点で崩壊してるわ(苦笑)。

会社の駐車場に時々停まっている3ローターのコスモ(えらい人が乗っている)。ホントに希少車だよな。

10/13

ピアノの話
そうそう、思い出した。
上の写真で私が弾いているヤマハのピアノは、CP-70じゃ。(J社O氏より指摘)
重いピアノはセッティングも運搬も大変なので、ピアノの代用となる楽器の登場は電気楽器時代の初期から望まれていた。
いわゆるエレピ=エレクトリックピアノである。
コロンビアのEPや、ローランドのピアノプラスとかそれなりに名器だったけれども、やはりエレピの代表格はFenderのRodesでしょ。
Rodesは(多分)本来アコースティックピアノを模する楽器であったのだが、その個性故にピアノからは独立した新しい音になった。
私なんぞはRodesと言えば思い出すのはレイ・チャールズの「What I say ?」でしょう。低音部の歪みが渋いぜ。
または、フェイザーでシュワシュワしたリチャード・ティーか?
ところが、こうしてRodesはピアノから独立した楽器になってしまったので、改めてピアノの代用が必要となった。
CP-70はその位置をゲットしたと言えるでしょう。
1980年代の「マルチキーボード」といえばピアノはCPとRodes、オルガン(B-3)とソリーナ(ストリングス/アープ社)、そしてシンセがムーグかプロフェットかコルグか・・て顔ぶれじゃろう。
エレクトリックグランドと呼ばれたCP-70/80は間違いなくスタンダードだったけど、その前のCP-40なんて鍵盤が重い上に戻りが悪くて だっさい楽器だった。
今更思い出すが、この頃のヤマハはSKシリーズやGSシリーズといったMIDI時代前夜の中途半端な楽器を出してて、その後ユーザ置き去りだもんな。
こういったヤマハの体質は未だに好きになれん。
でも大企業だもんなハマヤさん(業界ではこう呼ぶ)。
なんだかんだいいながら私もたくさんヤマハの楽器持ってるし、余計なことにスキー板もテニスラケットもヤマハじゃい。

10/12
ちょっと悲しい話。
私の娘は比較的マイペースな性格で、何事につけ少し変わった感性を持っているのが親ばかの私はうれしい。
「色」は緑色が好きで、おもちゃも食器もジュースもなんでも緑色のものを欲しがっていた。

ところが、最近そのこだわりが消えてしまった。
「赤やピンクが好きだ」と言い出した。「女の子の色」だからだそうだ。
運動会で園児たちが、いろんな色のポンポンを持って踊っていた。
娘は当然緑のポンポンを持ちたかったのだが、きっと先生から「女の子なんだから」と赤やピンクを持つように言われたんだろう。
(もっとも、そんな事情を説明できるような年齢でもないので真偽の程はわからない。)

よくマスコミが使いたがる「画一的な教育の歪み」とかいった、それこそ「画一的な」批判をするのは短絡的だとは思う。
ただ、協調性のある人間になることが「好きな色を変えなければならない」のだとしたら、はやくから集団教育受ける必要ないような気もする。
人に迷惑をかけなければ何をしようが人の勝手だとというのが私の信条だ。

みんなと一緒じゃなくてもいいじゃない。

10/11
イスパニア雑記帳にセビリアを追加した。
セビリアには4日間滞在したのだが、「日記」が一ページしか無くて行動がよくわからない。
写真はたくさんあるので、紹介していきたい。

昨日(10日)は娘の幼稚園の運動会だった。
3歳の幼児が行列したり競走したりしてるのがとても不思議に思えた。
わたしゃ基本的に団体行動ができない人間だからね。
幼稚園の先生ってのはすごいぞ(感心)。

トップの写真は昔 新宿のどっかのライブハウスに出たときのもの。
弾いている楽器はローランドのD-10ヤマハのエレクトリックグランド(型番忘れた)だ。
この頃の私は独身で痩せてて都会でバブルで遊びまわって・・・いい時代だったなあ(涙)。

10/09
最近HPが代わり映えしないので、安易に写真を一枚入れてみました。
これは92年の10月にスイスのユウグフラウヨッホで撮影したものです。

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昨日BIGLOBEに接続できなかった件はプロバイダ側のトラブルだったようだ。
でもなんか怖くなって、AP接続やメール・HPサーバのパスワードを変更した。
仕事でも趣味でもコンピュータをさわっているとパスワードが必要な場合が多くてよく混乱する。
基本的には何パターンかのパスワードがあって、それを順繰りに使用しているのだが、時たまどれがどれだかわからなくなる。

上記のパスワード以外に、仕事でNETWAREやMSNやE-MAILやデータベースとかいった具合に、アカウントとパスワードがいっぱい必要なのだ。
情けなかったのは一時、開発環境として自分のマシンでWindowsNTを使っていたのだが、その立ち上げのパスワードがわからなくなってしまったこと。
NTサーバは一定期間ごとにパスワードの変更を求めてくるので、4パターンのパスワードを順繰り使っていたのだが、何かの拍子にその4つのどれを入力してもNTを起動できなくなった。
幸いその時はもうNT環境を必要としなくなっていたので、よい機会とばかりNT自体を削除してしまった。

かつてメインフレームで仕事をしてた頃は、ホストマシンに接続できる端末の数が限られていて社内LANてのも未整備だったから、あまりパスワードによるセキュリティを意識しなかった。
でも今は会社のコンピュータが殆ど全てNetWareやTCP/IPでつながっていて、更に社外の回線も続きになっているから怖いよね。
3270PC(IBM)とかETOS(NEC)とかの閉鎖的なプロトコルが懐かしいぞ。

プロトコルといえばMIDIも通信プロトコルの一種だが、MIDI接続でシーケンサーからプリンターに出力できたり、(コンピュータの)キーボードの代わりに(鍵盤の)キーボードでワープロを打てたりすると面白いな。
ウインドシンセであるメロディーを吹くと、特定のバッチ処理が起動されるなんて仕組みも簡単だよね。
こういった入力方式はバリアフリーなコマンド入力を実現する一つの方法ともいえるね。
世の中キーボードを簡単に打てる人ばかりじゃあ無いから。

こんなふうに中途半端な知識で無責任にコンピュータのこと書くのって結構楽しい。
きっと間違が随所にあるだろうから気づいた人はお知らせください。

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以前在籍した会社は音楽関係だったのでピアノを少々弾けるくらいでは相手にされなかったが、ワープロ打つのにブラインドで入力するとそれだけで尊敬された。
いまの会社は社員の殆どがブラインドタッチを身につけているのでタイプの早さは自慢できない。でも時たまシンセ弾いたりすると感心されるってのは面白いね。

10/08
どうしたのかな。BIGLOBEのPPP接続ができないぞ。
パスワードの認証まではいっているみたいなのだが、その先で切断してしまう。
誰かが私のアカウントで接続してるような気がして気持ち悪い。
小心者の私は動揺してしまう。
しかたがないので、しばらく使っていなかったJUSTNETで接続してBIGLOBEの障害ページを見ると「西日本でトラブル」とある。
でも、詳細がわからないのでなんか不安だ。

ところで、JUSTNETのアクセスポイント経由で、BIGLOBEにある私のメールボックスが見られることを初めて知った。
試しにHPのサーバへのFTP接続や、ログイン時のパスワード変更もJUSTNET経由でできてしまう。
これってセキュリティ上問題ないのかな。

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どうも息子が突発性発疹になったらしい。
異常な高熱で大変じゃい。
そのためいろいろ問題があって、今日は会社と家を4回往復した。

10/07
このページは基本的に私の神経の癒しの場です。
露骨に言えばストレスの発散場所です。個人の愚痴につきあってくれている皆様、本当にありがとう。感謝してます。
私は東京在住中にしんどかった時の話を時々書いてますが、これって人が読んでも面白くないんだろうな。
一番つらい時期の話をこちらに書きました。

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息子が今日で満一歳。
ところが風邪ひいて高熱だしてお祝いどころじゃないわい。

10/05
スペインのページの「マドリッド」を加筆・修正。
写真も追加した。イスパニア雑記帳のマドリはこちら。
私が「プラド美術館」としてページに載せていた写真が間違いであることが判明した。
といってなんの建物かわからない。多分、ピカソのゲルニカをおいていたレティーロ美術館ではないだろうか。

「最近のワシ」を日記代わりに追加しているものだから、過去の文章が非常に増えてしまった。
それで、月ごとに別HTMLとしました。
9月分 8月分 7月分 6月分 5月分 にそれぞれの文章が入っています。

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今朝未明から激しい雨が降ったらしく、幼稚園の運動会が中止、延期となった。
昼間はいい天気になっていたが、夕方にまた土砂降りがあった。
秋の空は変わりやすい。、

10/04
先週末讃岐うどんツアーでしこたまうどん喰ったら、毎日うどんを食べたくてしょうがない。
でも、徳島のうどん屋や、スーパーでうどんの玉を買ってきて湯がいて食べてもちっとも美味しくない。
先週行った、ディープで怪しいうどん屋(正確には製麺店が多い)みたいのが近くにあったら、午前と午後毎日2回は食べにいくぞ。

シンセのコーナーを見た知らない人からメールをもらってすっかり舞い上がってしまった。
私のページはBIGLOBEの検索にしか登録していないので、私を個人的に知らないひとがこのページ見ることって殆どないと思っていた。
(一応匿名のページにしてるんだけど、見てくれる人が知り合いばかりなんであんまり意味ないんだよね。)

ともかく、この「最近のワシ」とか「贖罪日誌」は思いつくままに日記をかいてるみたいなもんなので、EASYに文書が追加できるんだが、
シンセやスペインのコーナーはそれなりに、調べモノや構成を考えなければならないんで、(面倒で)なかなか増殖できない。
でも今回 Sさんからのシンセのページについてのメールや、MIKOさんからスペインの話の続きの要望を受けると少しやる気が出て来る。

明日の日曜日は午前中娘の幼稚園の運動会だが、午後帰ってきてから真面目に記事の追加作業をすることにしよう。

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今思い出したが今日10月4日は結婚記念日だ。私は結婚生活が満5年になった。
その間、何度も引っ越したり、転職したり、子供が二人もできたり、いろいろあったなあ。

10/02
突然ですけど。
よく、IBMのことを「コンピュータ業界のガリバー」とかって表現をするが、ガリバーは普通の人間でしょう?
ガリバーはお話の中で小人(*)の国へ行って、巨人扱いされただけでしょ。
巨人の国に行ったときはガリバーが小人なわけじゃん。
それとも「IBMが云々」という表現は実は「IBMは業界で一番大きい企業だけど、本当に実力があるわけではなくて、周りの他社が無力なだけなんですよ」
とかいった皮肉を含んでいるのだろうか。

*
小人は「こびと」だが、私が使っている仮名漢字変換(ATOK9)ではコビトとタイプしても小人は出てこない。
このような差別的表現は変換辞書に入っていないらしい。
(「政治的に正しく」表現すれば、「こびと」は「垂直方向にチャレンジする人」だそうだ。白雪姫と7人の「垂直方向に・・・)

試しに**や**や****と打っても、やはり変換してくれない。ATOKは政治的に正しい辞書だ。
最近は「ら抜き」表現をチェックしたり、一文節で助詞の「の」を多様すると注意のメッセージを出すATOKだが、そのうち、差別表現を自動的に適切な言葉に置き換えたり、死語(例えばナウなヤングがディスコでフィーバーとか)に対して警告メッセージを出したりしてくれそうだな。
新聞記者が記事を書いてて「付近の住人は口々に不安を訴えていた」とか入力すると、「手垢のついた表現が使用されています」ってメッセージも欲しいぞ。

権威は嫌いだが、20年も前に金田一春彦先生が講演で「ら抜き表現は新しい助動詞の活用として定着するでしょう」と言っていた。
国語の神様がそんなことを言ってたので、成る程ことばは変わるものなんだと関心したことがある。
ともかく、ワープロのIMEも日本語の変化に少なからず影響力を持つだろう。

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酒税の改正でウイスキーが安くなってホントにうれしい。
元々家で焼酎は飲まなくって、安物の洋酒(スピリッツとはホワイトとか)を週一瓶くらいのペースで消費しているので、今回の改正で少し飲酒生活がグレードアップできそうだ。
ちなみに私の友人たちは家で洋酒を飲むことが無いらしくて、遊びにいってもビールしか出てこないことが多い。
「ウイスキーかなんか」っていうと、戸棚の奥から貰い物の高いやつ、それも開けてないのを取り出してくるので非常に恐縮してしまう。
中には高いブランデーを出してもらったりして困る。
私は安いウイスキーが好きなのだ
薄い水割り(ワンフィンガー<<死語です>>)を作って、だらだら飲むのがいいね。


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