日々雑談:1997年11月
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11/16
社長もサラリーマン
朝日新聞は自動車業界の中でも比較的マツダの扱いが大きいような気がする。
今日の一面にヘンリ・ウオレス社長の退任が載っていた。
業績が上向く中、任期途中での退任理由は「家族への約束」らしい。
しかし、そういうなんだか良く判らない事情で交代されると、何か裏があるんじゃないかと勘ぐりたくなる。

かつてあるメーカーで創業者社長が、技術のトップの役員に社長の座を禅譲し、自らは会長に退いた。
これは前々から予想されていたことで、社内でも素直に受け止められた。
ところが、この新社長は僅か7ヶ月程で突如退任して、もとの技術役員に戻ってしまった。
マスコミで発表された表向きの理由は「経営者よりも技術者でいたい」という曖昧なものだった。
(当時私はこの言葉を真似して本当に技術者に戻ってしまったが。)
みんな随分驚いたが、実はちゃんと事情があった。
この新社長はある新製品の開発をうまく進めることができず、結局失敗させていた。
更に、まずいことにこのことを会長に隠していたらしい。
製品開発が頓挫するに至って会長の耳にもはいり、その怒りを買い、新社長は僅か7ヶ月で首になってしまったのだった。
後には営業部門のトップが社長となった。

こういう例を知っているのでマツダのことも詮索したくなる。
ヘンリ・ウオレスも何かの事情で米フォードと確執があったんじゃあないか。
マツダ関係の人、何か知ってたら教えてくれませんか。

それにしても、マツダの社長の交代がマツダの役員会とかじゃなくて、米フォードの一声で成されるってのも、更に後任も当然のごとくフォードから来るってのも、マツダが完全にフォードの子会社化してることをよく表している(実感)。

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W杯アジア予選の対イラン戦、今ちょうど前半が終わったところで、中山のシュートで1-0と先攻している。
どうなるんだろう。

11/27
ちょっと良かったこと。
きれいなお姉さんと薄暗い小部屋に入る。
「ベッドに仰向けになってくださいね。」
言われるままに横たわる。
お姉さんが私の腹部になま暖かいジェル状の液をたらして満遍なく延ばしてくれる。
そして、私の体のあちこちを触りながら「力入れてくださいね、ウン、力抜いてくださいね、ウン。」とささやく。
この「ウン」が妙に色っぽくて非常によろしい。
首からへその下までじっくりお姉さんにチェックしてもらう。
まな板の鯉の私はただひたすら不本意な状態にならないようにこらえるだけである。

バリウムを飲む胃の検査は辛かったが、この超音波の腹部検査は非常によろしい。
初めて人間ドッグに行ったら、予想外な楽しい思いでができました。

11/25
AS-400の日本語
先日仕事で、PC上のシステムからAS-400へのファイルI/Fを調べていて面白いことを発見しました。(AS-400というのはIBMの代表的なオフィスコンピュータです。)
AS-400上のOSはDOSの世界とコード体系が異なるので、DOSファイルを読み込む時はPCSというユーティリティが変換してくれます。
そのユーティリティに渡すファイル作成のプログラムで、文字列の桁数計算をDOS上の2バイト文字(日本語)=4バイトで計算しているんです。
当然、通常の1バイト=1バイトです。
私は最初、日本語1文字=2バイトの間違いじゃないかと思って修正を入れようとしたのですが、幸い思い出しました。
AS-400は開発環境も運用関係の構成もすごくしっかりしていて使いやすい優れたマシンなんですが、日本語に非常に弱い。
データベースの項目の属性を一昔前の汎用機の様に日本語項目か英数字項目かを設定する必要はないのですが、そのかわり日本語文字列の最初と最後に制御バイトが必要なのです。
SI/SOコードと呼ばれています。SiftJISのINとOUTかな?(知ってる人、間違ってたら教えてください)

例えば、「WordProcesser百太郎forWindows95日本語版」とかいう文字列があるとしますよね。日本語と英数字が混在しています。
これはこのままAS-400のデータベースにセットできません。
「WordProcesser」の次に制御コードが入り、「百太郎」、制御コード、「forWindows」、制御コード、「日本語版」、制御コードと、いちいち日本語の始まりと終わりにコードが必要なわけです。
「WordProcesser百太郎forWindows95日本語版」なら英数字25桁+日本語7文字で39バイトなんですが、制御コードがはいるので+4の43バイトになってしまうんです。
「WordProcesser@百太郎@forWindows95@日本語版@」(@は制御コードを表します)になります。
こういった制限は設計上結構やっかいです。
画面設計でも「部門CODE」と表記したい場合でも(本当はCODEは半角カナの「コード」です)「@部門@CODE」になるわけです。
実際には制御コードは見えないので「 部門 CODE」と間の抜けた表示になります。
仕事で使ってるときはあんまり意識しなかったのですが、今になってこういった制限に遭遇するとすごく違和感がありますね。

アルファベット25文字と数字10個で全てが表現できる英語と異なって、日本語の問題はどんなコンピュータ環境でもやっかいなものです。
AS-400は舶来品だからそういった制限があるんだと思ってたら、富士通の同レベルのオフコンでも日本語はあまり得意ではないようでした。
スプールファイルを画面でのぞいたら、日本語の部分の桁取りがガタガタでまあ読みづらいこと。
UnixでもNetscapeでもEUCだのSiftJISだのUUEncodeだのよくわからない。
そういえばなんでインターネットの世界では半角カナが御法度なのかだれか教えてくれませんか。

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先週の土曜日におたふく風邪の予防接種を受けました。
私は(多分)子供の頃におたふく風邪をやってなくて、幼稚園に行きだした娘から伝染されたらこわいのでわざわざ予防接種を受けました。
大人になってこの病気をやると子種がなくなるだけならいいのですが(既に役目は終わっている)高熱が続いて死亡することもあるらしいので、以前から心配していたんです。
ここ数年注射なんてしたことがなかったのでただでも怖かったのに、妻が「お尻にやるんじゃないか」とか「すっごく痛いらしいよ」とか脅かすので半分涙目で注射してもらいました。
幸い腕だったし、そんなに痛くなかったけど、保険が利かなくて4000円かかったのは痛かった。
最初病院に電話して問い合わせたときに、受付の人に「で、何歳の人が受けるんですか」ときかれて「私です。35歳です」と答えたのは恥ずかしかったな。

11/24

富士通の品質管理
昨日少し富士通のパソコンの品質の悪さを書きましたが、私自身の体験も少し書きます。
私が某社で富士通製メインフレーム上の業務システムの保守や運用をしていた頃。
富士通の端末が社内に数十台ありました。
メインフレーム系の保守はCE会社と保守契約をしているので定期的にホストも端末もチェックしてくれてました。
ところが、トラブルが多いんです。
最も顕著なのが端末のディスプレイです。68系のワークステーション級の端末で、数十万する機械ですよ。ディスプレイはモノクロですよ。
かすむ、ゆがむ、暗くなると、ディスプレイのトラブルのありとあらゆるパターンが毎月2〜3件発生していました。
保守契約を交わしていたから当然無償で交換なんですけどね。
あまりにトラブルが多いから、正式な質問状を富士通にだしたことがあるんです。
そしたら、返事が来てその結論をまとめると、「この程度のゆがみやかすみは弊社の品質管理の許容内である」といったかんじでした。
業務で使用しているのは別にパソコンマニアでもない、事務の女性たちが大半です。その人たちが使用に耐えないと訴えているのです。
そういったレベルが「品質管理の許容内」なわけです。

私のこの例はパソコンではありませんが、富士通の品質管理のレベルが良くわかると思います。
こんな会社が作っているパソコンを、たとえプリインストールソフトがテンコ盛りでも、同性能の他社PCよりも安くても、買いますか?
ところがこれが売れてるんだよな。
安さとCMに乗せられて買った個人が苦労するのは自業自得でもしょうがないけど、馬鹿な社内電算部門が大量に購入したらどうなるんでしょう。
電算担当者はハードトラブルだけに追わる毎日になってしまいまさあ。
会社の業績にも影響が無ければいいんですけど。

(しかし、今やNECよりもプリインの大口得意先として重要なんじゃあないか?こんなに悪口言ってていいのかね。)

ただ一つ富士通で気に入っていることがあります。数年前に富士通の「タッチ電脳」というイベントに出展したときにもらったタッチおじさんトレーナー
背中に思いっきりおじさんの絵柄が入っているんですが、材質が柔らかくてサイズもゆったりしてて、すっごく気に入っています。
週に3日はこれを会社で着ています。「そのトレーナどこで手に入れたんですか」と何度か聴かれました。
もう一着ほしいあ。
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会社が倒産するとき〜山一を見て

多分我々のような下っ端社員はなにも知らずにその日を迎えるのでしょう。
わたしが担当営業だった、秋葉の某社。直前まで当たり前のように営業していたし、注文も出していた。
なじみの店員が「楽器フェアのチケットが無いんですよ」というので、1枚あげました。
倒産の3日前くらいの新製品発表会にも課長級の人が来ていた。新製品の説明を一生懸命に聴いていた。
多分社員の殆どは何にも知らなかったんでしょう。
突然の会社更生法の申請、店はロックされ、社長は夜逃げ売掛金は当然回収できなかった。
社員はいつも通りに出勤して、入り口の張り紙を見てさぞかし吃驚したんだろうな。

私も秋葉から遠ざかって随分になるけど、見るからに危なそうだったラジ館のFさんや、名前も忘れたあの店ってまだやってるのかな。
こらこら、その前に自分の会社がポシャッたらどうすうるの。住宅ローンをどうやって払っていくんだよ>ワシ
都銀や四大証券の一角が倒産する時代なんだぞ。

11/23
すごく面白いサイトを見つけました。
がんばれゲイツ君 MSに関するコラム集です。
メーカーのエンジニアさんだと思うのですが、コンピュータ以外の文章も面白いです。
また、ページ作成のコンセプトに「意味のないグラフィックデータを置かない(重くなるから)」とか「フレームは使いません」とかあって、ページ作りの意味を考えさせられます。
このコラムにありますが、もう一年以上前の話で、ジャストシステムがやっとこ出した一太郎7をM$が比較広告で叩いて、それに対してジャストが稚拙な反論をして...ていう事件がありました。
なりふり構わないMSの体質と、ベンチャーの青臭さが抜けないジャストの喧嘩は今読み返しても面白いです。
読んでみてください。

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数年前にいた会社では富士通のメインフレームが入っていて、私が日常業務で使っていたコンピュータは全部富士通でした。
メインフレームなもんで、FMVとかもあったはずだけど、WINDOWSの世界とは少し離れたところで仕事をしていました。
で、仕様書を書いたりするワープロなんですが、実はOASYS専用機を使っていました。
OASYSの歴史は古くて、(多分)DOSよりも前からあり、ハードもOSも独自のアーキテクチャーで、文書ファイルの持ち方なんてすごく独特でした。
ただ文書内に、ちょっとした図形を入れるのが簡単だったので、システムの処理フローを記述するのに便利でした。
専用機だから速いしね。
しかし専用のレーザプリンターと組み合わせで確か150万円くらいしたと思います。
ワープロだけの単機能の機械がそれでしか使えないプリンターと一緒でその値段ですからね。
もちろん通信機能なんて持ってないので、スタンドアロンなんですよ。その150万円が
それと、もう一つ使っていたのが、メインフレームの端末(Kシリーズ)で動いていたワープロでEPOワードてのがありました。
この端末はもとがUNIXらしいのですが、完全に独自の上モノを載せていてユーザI/Fは少しだけWindowsに似ていました。
しかし、困るのはそういったOASYSとかEPOワードとかの独自のアーキテクチャーのツールを使うとデータの互換性が全くないわけですよ。
フロッピーのフォーマット形式からして全然ちがうんです。
高い専用マシンは社内に何台もないから、互換性が無いのはすごく困るわけです。
一応OASYS<->EPOとかOASYS<->DOSの変換ツールはあるんだけど、こういうのはお約束通り、罫線や図形なんて飛んでしまって、つまりはプレインテキストしか吐き出さないんですよ。
極端な言い方すれば150万円のテキストエディターなわけです。

即ち何が言いたいかというと、メインフレームの時代は一つのメーカー(この場合富士通)のいいように食い物にされて互換性も将来性もないマシンやプロトコルを押しつけられたわけです。
ま、メーカの口先にのせられてメインフレームだけじゃなくてワープロやパソコンもそこから買うユーザが馬鹿なんだけどね。

付け加えると、私がいたこの会社では、次にPCをNetwareで結んだ社内ネットワークを構築しました。
ところがやはりパソコンがFMVばかりなんですよ。
知ってる人は知ってるでしょうけど、富士通のパソコンの品質なんて最低ですから、ディスプレイもハードディスクもフロッピードライブも本当に良く壊れて管理者が苦労してました。

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久しぶりに家族の写真を追加。
10月の運動会と、11月の七五三。こちらです。

11/21
会社の仕事で新しい開発ツールを使って業務システムを作っている。
今までたくさんのOSと言語と開発ツールを使ってきたが、新しいツールはいつも使い始めが非常につらい。
その環境での「常識」が理解できないからだ。
10年以上こういう仕事をしてきたが、いまだに新しい環境でモノを作ろうとすると、それまでの経験で得た常識が全然通用しない。

OSや言語やツールといった環境はそれぞれなりの設計思想を持ち、独自の世界を持つ。
それはワープロひとつとってもメーカーによって使い方が違うのと同じ話だ。
WINDOWSが覇権を握ってから、それでもユーザインターフェースは統一感が出てきたが、開発ツールとかいうとやはりいちいち学習が必要になる。
歳をとってくるとこの「学習」が次第につらくなる。
そろそろプログラミングが無理になる年頃なのかな。
さあて、三連休。たまってるプログラミング作業を一気に片づけなけりゃな。

しかしあれだね、WINDOWS上でGUIのツールをマウスで使ってるよりも、UNIXでテキストベースに仕事してた方がプログラマーとしては楽しいね。
まさに自己満足。

11/18
1990年6月のイタリア旅行。
北回り、エールフランス パリ発着。
パリ→ローマ→フィレンツエ→ベネチア→ミラノ→パリ。
約3週間、一人で貧乏旅行だった。。
ちょうどイタリアではサッカーのワールドカップが開催されていてどこに行ってもファンが騒いでいた。
南米の国旗をもった集団が街の広場に集まって、ひたすらぐるぐる回っていたのが目立っていた。
走っているのも、バイクに乗ってるのも、自動車に乗っているのもいた。
残念ながら私はあんまりサッカーに(というかスポーツに)興味が無いので、試合を見ることもなかったし、第一ワールドカップをやってること自体行くまで知らなかった。
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寒いぞ徳島。
自転車で通勤してるから耳が痛くてしょうがない。

11/17
拓殖が潰れた。でもみんな冷静だ。
逆に株式市場は上がってる。
やっかいな拓銀がやっと解決ついたので、市場が明るくなったらしい。
そうそう、経営状態が悪くて市場の重荷になっている金融機関はばんばん潰せばいいんだ。
自由主義社会なんだもの。

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私の親族は土建屋が多いのだが、話を聞いていると公共事業の談合なんてあったりまえだそうである。
そうしないと、みんなに仕事が回らないから必要だそうだ。
日本の土建屋はそうやって税金を食いつぶして成長してきたんだ。
ゼネコンなんて大きな顔してるけど、ワシらの税金を無駄使いしやがって。

金融てのも製造に比べるとなんであんなに給料高いんだろう?
規制に守られ、甘やかされて、みんな横並びで開発も企画も無しでさ。
おまえらがこのまま社会に巣くっていると国が滅ぶぞ。

11/13
東欧社会主義がポシャったので却って「イデオロギー」に振り回されずにマルクスを研究できるそうである。
なるほどね。
「歴史」や「経済」を「科学的」に勉強できるのはいいね。
右でも左でも愛国や憂国や解放や正義を振り回す教条主義は嫌だね。

11/12
わたしが大阪に住んでいたのは90年の7月〜91年の4月のかなり短い期間なんだが、時代はバブル崩壊直前、遊び友達にも恵まれて楽しい時期だった。
住吉大社のすぐ近くのアパートで呑気な一人暮しだった。
さすがは大阪、広島や東京とは違った雰囲気が面白かった。
私はこの短期間の在住中に妙な人を何人か目撃している。

(1)宙をつかむ男
私は住吉のアパートから会社があった住之江区へ自転車で通っていた。
住吉公園の中を通り抜けて26号線に出て西に向かって通勤していた。
この住吉公園である日の夕方、自転車にのったおじさんの動作が妙である。
中腰で自転車をこぎながら、片手をしきりと振り上げている。
どう見てもなにか空中にあるものを掴もうとしている。
おじさんはその動作を繰り返しながら住吉公園を横断していった。

(2)歩幅の狭いおじさん
やはり住之江か住吉あたりの下町の道路でみたと思う。
その人は一歩の幅が足の大きさくらい、つまり約30cmの歩幅で、しかも結構な速度でちょこまか足を動かしてあるいていた。
行く手に道路工事の標識があったのだが、おじさんは一心不乱に足を動かしていて気づかず、ぶつかって転んだ。

(3)一人で行進
やっぱりおじさんの話で、異常に手を高く振り上げて歩いていた。
普通小学生が行進とかで手をあげるときは、せいぜい肩の高さであるが、おじさんは頭の上まで振り上げていた。
この人も結構な早さで歩いており、一歩ずつ手をあげているので随分疲れるのではないかと思って見ていた。
すると、やはり疲れるようで、10mおきくらいに休んでいた。

(4)立ちうんこ
これはあんまり思い出したくない光景である。
飲んだ帰りに南海住吉公園駅からアパートに向かっていた時だと思う。
私が進む方向にこちらを向いた中腰のおじさんがいた。おじさんはしきりとうなっていた。
向き合った状態なので何をしているのかわからなかった。
私がおじさんの手前で道を曲がって、なんとなく振り返るとおじさんは下腹部丸だしだった。
夜の道ばたでうなりながら立ちウンコをしていたのであった。

住吉公園は「住んでる」人も結構いたみたいだし、西成暴動が起こったのもあの頃だったと思う。
都会には妙な人がいるのじゃ。

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2ヶ月程前に私が働いている会社が新しいビルを建ててそこに本社を移した。
部署が新本社に入らなかったので今まで行く機会がなかったのだが、今日初めて訪れたらまあ立派なことにびっくり。
地方都市の新設工業団地にありがちだが、バブルの崩壊で誘致企業の多くが移転を辞めてしまい、周りに何にもない。
郊外の真っ暗な原野に、ソフト会社のインテリジェントビルが幻のような光を発していた。
こりゃ仕事に専念できるよな。

11/10
徳島に住んで1年半程になるが、地方都市の常で車が無いと何もできない。
電車は死にかけJR四国の無電化・単線しかないし、バスの本数が予想外に少なくて、しかも時間が不正確で困る。
みんながどこに行くにも自動車の生活なのだが、「徳島は運転マナーが非常に悪い」とテレビでも言ってるし社内でもよくそういった話になる。
私は今まで、広島・大阪・浜松・東京に住んできたがそれぞれの都市でもそれぞれ「○○のドライバーはマナーが悪い」と言っている。
なぜか住人は自分の街の運転マナーに自虐的になる傾向があるようだ。

転々と住所を変えてきた私が判断すると、それぞれマナーの悪さにもパターンがあるようである。
徳島や浜松のような車が完全に下駄代わりになっている街では、周りに無頓着な運転が多い。
歩いているのと同じ感覚で運転してるようで、ウインカーも出さずに低速できょろきょろしながら運転する人が多い。
つまり後ろの車なんて眼中にないのである。
確かに危ないが、運転自体はそんなに荒くないようである。
ただ、浜松などはあまりに運転が日常化しているためか、飲酒運転が当然というのが恐ろしい。

私の個人的な判断では大阪で運転するのが一番怖い。
国道でも阪神高速でも、みんながレーサーである。つねに100%の実力を出し切って運転しているように見える。
加えて違法駐車のひどさは有名である。道路左端ならまだしも中央分離帯沿いや交差点の真ん中の安全地帯の側に駐車している。
決して公共の駐車場が不足しているわけでもないのだから、まさに大阪人気質を表している例であろう。

東京ではいつの時間にどこに言っても渋滞しているので、運転すること自体がうんざりである。
広島は若干荒い傾向にあるようだが、なんと言ってもこの街は中心部に路面電車が行き来しているので、右折が非常にしにくい。
前からの対向車に気を付けながら、後ろからせまる市街電車にも留意しなければならない。

徳島では今まで町中も郊外もあちこち出かけていて、そんなに危ない目にもあっていない。
こちらが気を付けていればそんなにマナーの悪さも気にもならない。
ただ徳島では運転がどうこうよりも、道路の整備がほかの地方に比べてひどく遅れているようである。
つまり道が狭い。結構交通量が多い道が離合も楽にできなく、当然車道と歩道の区別も無いような状態だったりする。
そういう意味では歩行者や自転車にとって、非常に危険な都市である。

11/09
いよいよ一戸建て住宅に住むことになり、なにかと慌ただしい。
大阪や東京に住んでいた時は言うに及ばず、浜松でも家を買おうとは思わなかった。
私ごときが購入できる物件など、通勤時間や買い物一つとってもなかなか便利な場所には無いのであった。
私は一つの信条として、あまり移動手段を自動車にディペンドした生活を好まない。
出かける先によっては自動車を使えない場合もあるだろうし、出かけようとしたらバッテリーが上がって身動きとれなくなったりするのは困る。
徳島も決して土地が安くない。この田舎の小都市で驚くほどの坪単価であるが、それでも浜松に比べればまだ便利なところに家が持てる。

さて、私は比較的引っ越しが多くて、結婚してからでもこれで4回目になる。
それでいつも思うのだが引っ越しの度に重荷になっているのが家具類である。
妻が嫁入り道具で持ってきたタンスが異常にでかい。
現在は六畳間をタンスとパソコンの部屋にしているが、タンスが部屋の面積の半分くらいを抑えている。
更に、天井に届かんばかりの背丈がありひどく圧迫感がある。重いから地震で倒れてきたら間違いなく死ぬぞ。
これだけ立派な図体をしている割には収容能力は知れている。
値段も相当するだろうに、何のためにこんなでかいものを持ってあちこち引っ越しているのか考えると悲しくなる。

妻は岡山の片田舎出身なので家の考え方も古いのだろうが、いまだに立派な家具を持って嫁入りすることが近所にたいする見栄なのだ。
どうせ2LDKや3LDKのアパート住まいなのに大きな家具を持って引っ越しを繰り返して本当にあほらしい。
今回も一戸建てといいながら床面積は広めのマンションくらいしかないので、大きな家具は本当に迷惑である。
できればうまく言いくるめて、この邪魔物をリサイクルに出すなり実家に返すなりしたい。
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購入する家は本当に小さい木造の建て売りなんだが、驚いたことに床の間がある。
掛け軸がいるってか?

11/07
天本英世
毎日放送で土曜深夜に仮面ライダーの再放送をやっている。
ビデオデッキが壊れたのでしばらく見てなかったのだが久しぶりに11/01日分の放送を見ると、ゾル大佐が狼男になってライダー2号に倒されていた。
その次に登場したショッカーの幹部が死神博士=天本英世である。
私など、いまだに天本英世といえば「平成教育委員会」以外では死神博士しか思い浮かばない。
あ、それから東宝のB級怪獣映画にも時々出ていたな。
死神博士の頃はもう25年くらい前だから、天本氏も若いはずなのだが、当時から既にジジイである。
笠智衆(漢字がよくわからん)のように彼も若い頃から老け役専門だったようである。

国籍不明な顔つきで異常に背が高くて、痩せていて怪しい雰囲気だけは昔も今も変わらない。
10年程前に一度だけ新宿西口を歩いている天本氏を見たことがある。
妙なデザインの白い上下の服を来てホリの深すぎる顔つきでスタスタ歩いていたが、天本だと知らなければ絶対日本人には思えない雰囲気だった。
そういえばこの人、東大出てるし、スペインに関する造詣が深くて、ガルシア・ロルカの詩の朗読でも有名なんだよな。

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うーむ。会社の株が公開後わずか2週間程の間に2500->2900->1800円と乱高下じゃ。
どうせ十年以上先まで塩漬けにしておくつもりだから別に今の株価なんてどうでもいいんだが、こんなに上がったり下がったりするとは怖いですね。
素人がそうそう手をだせるもんじゃあ無いよな。

11/05

ここんとこのワシ
ここの部分がすっかり日記化してしまい、しばらくUPしないとなんか落ち着かない。
いったいだれに何が言いたくてかいてるのかよくわからん。

10/31(金)
中途で同時期入社の人の転勤送別会。ソフト会社の開発現場の話をいろいろ聴く。
みんな忙しい割に先行き不安なのだが、妙に明るいのはなぜ?
ソフト業界の転職組なんて、所詮しりがる野郎ばかりなのかな。
11/01(土)
娘の幼稚園送り迎えのため、午前中だけ出社。一人だけのオフィスは異常に寒かった。
11/02(日)
娘の七五三。(<=「ひちごさん」で出ないぞATOK)
実は去年やる予定だったのだが、ちょうど去年の今頃、肺炎で入院してしまいそれどころではなかった。
鳴門市の神社に赴く。
ついでに、神社近くの新興住宅地「りゅうねの森」を見学に行く。
徳島市内から車で1時間くらいかかりそうな場所であるのだが、いかにも新築の家がたくさんたっている。
道路も広いし、区画も広い。一坪29万円程だそうで、徳島の市街地の半分か。
田園調布ではなく、更に上のビバリーヒルズ(爆)を目指すそうだ。
11/03(月)
祭日だが、一日出勤。データベースと一日向き合ってこつこつデータを生成する。
こういう作業をこの10余年やってきたんだな、おれ。
楽しいんだか、楽しくないんだか、地味な仕事。
11/04(火)
仕事を午前中で切り上げて午後は役所に行く。
県庁に行き、不動産屋の調査をする。
「宅地課」で書類書いて、帳簿を出してもらいじっくり眺める。なんとなく興信所になった気分である。
それから市役所に行き、税務課で所得証明を出してもらう。
私は昨年転職したので昨年度の所得が少ない。
帰りに本屋により、午後4時頃帰宅。明るいうちから夕食たべて酒飲んでると楽しいな。
それにしても会社=>自宅=>県庁=>市役所=>本屋=>自宅といった行程が全て自転車で回れる環境はありがたい。
地方の小都市ならではだね。


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