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西大道の湧水【金沢区大道1丁目】

昔からある湧水。今は水量も少なく下水に見えるが、数十年前までは水量も多く水場(洗い場)もあったが、水場の敷地には住宅が建ち、目の前の山も中腹で平らに造成されて大住宅地(高舟台住宅)になって昔の面影はぜんぜん無くなりましたが、今でも僅かですが湧水が流れ出ています。
湧水は、古くから市民の生活用水として利用されてきました。しかし近年では周辺環境の都市化が進み、清浄な水質が保てなくなっています。水道水と違い配管を通っていないため、周辺地域での工事や農薬散布、雨水などによって影響を受けます。何年も前に土壌に染み込んだ成分が、時間をかけて湧水中に溶け出す可能性もあり、水質が不安定ですので飲用は避けてください。なお、災害時等には飲用以外の生活用水としての活用が可能です。
飲める云われている水汲み場の注意点・・・飲用を目的とした水道水については水道法で水質基準が定められていますが、給水事業ではない各水場は水質基準については法的に定められていません。飲用される場合は水質の目安として、最低10項目(大腸菌・一般細菌・硝酸態及び亜硝酸態窒素・塩素イオン・全有機炭素・ph値・臭気・色度・濁度・味)の検査を実施しているか確認してから飲用して下さい。尚、、各水汲み場に「煮沸して飲んでください」と、注意書きがあるように煮沸してお飲みください。尚、”生でお飲みになる場合は、各自の責任で飲用するようお願い致します。
いたち川小川アメニティ・権現橋際の湧水【栄区長倉町】

いたち川(鼬川)は、神奈川県横浜市栄区を東西に流れる二級河川で、横浜自然観察の森・ミズキの谷を源流として流れています。上流部は自然の川の姿をとどめるとともに、市民の森等の緑が数多く残り、豊かな自然に囲まれています。このいたち川小川アメニティの中程に石で出来たアーチ状の眼鏡橋があります。この石橋が昇龍橋です。この昇龍橋の先に権現橋があります。この権現橋の下から清水が湧き出ています。この清水が権現橋の湧水です。
いたち川小川アメニティ・昇龍橋際の湧水【栄区長倉町】

いたち川(鼬川)は、神奈川県横浜市栄区を東西に流れる二級河川で、横浜自然観察の森・ミズキの谷を源流として流れています。上流部は自然の川の姿をとどめるとともに、市民の森等の緑が数多く残り、豊かな自然に囲まれています。このいたち川小川アメニティの中程に石で出来たアーチ状の眼鏡橋があります。この石橋が昇龍橋です。この昇龍橋の下から清水が湧き出ています。この清水が昇龍橋の湧水です。この湧水は崖から流れ出ているので飲むことは残念ながら出来ません。
弁天の湧き水【泉区中田町】

長後街道の中田交番前を曲がり暫く進むと道路の真正面に緑に覆われた小高い丘と石でできてる鳥居が見えてきます。ここが、この地域の鎮守様の御霊神社です。「弁天の湧き水」は、鳥居をくぐり参道へ、左側に湧水を流している手水舎と、右側に湧水が注いでいる弁天池に湧き出しています。
四ツ谷湧水【泉区和泉町】

水脈が豊富な泉区にあって、ほとんど枯れたことがないといわれる湧水である。和泉川の下流域、中和泉から下和泉に広がる一段高くなった畑の下に水の湧(わ)き出るくぼみがある。長年、畑の水遣(みずや)りに使われてきたが、最近は区の花・アヤメも植えられるなどきれいに整備され、和泉川側道沿いに小さな角柱が立てられている。
舞岡の湧水【戸塚区舞岡町・舞岡公園】

市営地下鉄「舞岡駅」下車25分。平成4年12月に開園、敷地面積は285,000u横浜市の広域公園です。公園区域内には豊かな緑と湧水があり、横浜市内でも残り少なくなった昔ながらの田園風景が残されています。横浜の特徴的な景観である谷戸(三方を丘に挟まれた小さな谷のことを、谷戸と呼びます)の地形を生かし、水田地域(農業体験が出来ます)・野生の小動物を保護する保護区域・明治時代の古屋を保存する小谷戸の里・多目的広場などあります。
白根不動白糸の滝【旭区白根】

白糸の滝は、段丘沿い斜面林から落下している涌水です。神社の川を隔てた対岸にあります。巾は7メートル、落差は3.2メートルと小ぶりではあるものの、横浜市で最大の滝です。
帷子川の水源【横浜市旭区若葉台】

帷子川は、神奈川県横浜市を流れ、横浜港に注いでいる全長17kmの二級河川です
この帷子川は、初めのうちは広くて立派な姿をしていましたが、若葉台団地近くになりますと、僅かな幅の川になります。そこで横浜市は若葉台団地に隣接した水路を上下二段構造にして上段をせせらぎに、下段を治水目的に使い、楽しく散策できる小径として再生しました。小径を辿って行くと水路の途切れたところに石に開けられた穴から水が湧き出しています、ここが水源と思われます?。
台の井戸(政子の井戸)【横浜市保土ヶ谷区岩井町】

この井戸の水を政子が化粧に使ったという言い伝えがあり、この一帯が政子の所領する土地だったのではないかという説もあります。江戸時代以降でも、天皇や将軍が保土ケ谷宿の軽部本陣に立ち寄ったときには、この井戸の水が料理に使われたそうです。昭和の初めごろまで、このあたりには清水が流れていたそうで、「尼将軍政子の井戸はあふれいて、朝(あした)涼しく蟹あそぶなり」という詩も残っています。
福聚寺の湧水【横浜市保土ヶ谷区岩井町】

福聚寺の湧水は、境内の水汲場に湧きだしていて墓の水として使うように整備してあります。
円福寺の湧水【横浜市保土ヶ谷区西久保町】

円福寺の湧水は、本堂と太子堂裏手の崖から広い範囲で滲み出ている水を長い樋を使って本堂の下を流し、前面の池に流し入れています。また、おこぞうさんにこの湧水を掛けられるように、おこぞうさんの前の升に流し入れているようです。
正福院(しょうふくいん)の湧水【横浜市保土ヶ谷区仏向町】

曹洞宗正福院は640年前の室町末期に起ったが、崖崩れで避難していた時代もあったようであるが、現在の正福院は約300年前の元禄2年当地に移転してきました。境内には当時の山本家の墓や樹齢300年の銀杏の大樹があります。
正福院のある仏向町の名前の起源は、正福院の住職「堯室」が初めて北条家を訪ねた折、出家の身で仏に向かうことのみが本意で何も願い事はないが、村里に仏向の2文字をもって名付けたいと申し出たことが名の起こりであるそうです。
川島小学校跡地(川島町公園)の湧水【横浜市保土ヶ谷区川島町

旧、横浜市立川島小学校跡地の「川島町公園」の片隅にある湧水です。
隋流院湧水(川島之水)【横浜市保土ヶ谷区川島町

曹洞宗 随流院は、旧小机領33ヶ所観音 6番六番札所です。川島町の帷子川沿いにあって、境内の庭がよくつくられていて綺麗な寺院です。丘陵に麓にありますので、本道の裏はこの辺りでも珍しい自然林が広がっています。随流院湧水(川島之水)は、この自然林から湧き出している清流です。
神明社・水神社の清流【横浜市保土ヶ谷区神戸町】

神明社の清流は境内地下70mから汲み上げた井戸水を水神社の人形流し(人形は「ひとがた」と読みます。人形流しは、知らず知らずの内に犯した罪や、積り積もった心身のけがれを取り除くための儀式です。)に使われるほか、飲用(私も飲みましたが甘く飲みやすいです・・水質検査済)にも使われているようです。
菊水観音出現跡の霊水【横浜市保土ヶ谷区瀬戸ヶ谷町】

JR保土ヶ谷駅近く、国道1号線保土谷宿本陣跡近くに、菊水観音の水を服し(て)平癒しあるいは眼病を患ふるものこの水にて洗うと霊験ありと書かれていますので訪問してきました。この、菊水観音出現跡から湧き出した霊水を求めて近年まで多くの人々がこの霊験に肖っていたとの事です。現在も僅かであるがその霊水が湧き出しています。
楠森神社の湧水【横浜市南区三春台】

楠森稲荷の湧水は、上がり口の階段の横(下の鳥居の脇)、丸い筒が壁から突き出ていて、その丸い筒から水が溝に流れ出ています。(丸い筒は2本)その脇に太いパイプが溝に、水音がかなり大きく聞こえます。そのパイプは上に伸びており、小さいお社の上にコンクリートで出来た四角い桝と円柱の桝に繋がっています。その桝の周りをよく見ますと、湧水が流れ出ていて桝に流れ込んでいるようです。
獅子頭共用栓・「大原隧道」脇の湧水【横浜市南区南太田2】

清水ヶ丘公園脇にある特養老人ホーム「南太田ホーム」脇にある階段を降り、すぐ右側に”大原隧道”の南太田側の入口があります。左に曲がると、首都高の陸橋下に”獅子頭共用栓の「大原隧道脇の湧水」”があります。なお、この獅子頭共用栓の「大原隧道脇の湧水」には、Y高側からも入れますし、”大原隧道”を抜ければ清水ヶ丘からも来ることができます。
根岸台下の湧水【横浜市磯子区東町】

JR根岸駅から県道(中通り)を渡って、根岸森林公園東坂通りを進むと階段道に出るので階段を20メートルぐらい進むとあります
白滝不動尊の湧水【横浜市中区根岸町】

荒井由実の「海を見ていた午後」で、「
山手のドルフィンは 静かなレストラン 晴れた午後には 遠く三浦岬も見える ソーダ水の中を 貨物船がとおる
と書かれている、ドルフィンの前の坂(不動
坂)を降りきると白滝不動の前に出ます。
元町厳島神社の湧水【横浜市中区元町】

元町厳島神社は、横浜の代表的な元町商店街から一本裏道に入ったところにあります。
ジェラード水屋敷の涌水【横浜市中区元町】

幕末に来日したフランス人実業家アルフレッド・ジェラールは、山手に居留地を得ると、谷戸に湧き出る豊富な湧水を利用して、横浜港に出入りする船舶への給水事業を開始しました。「水屋敷」の名前はここに由来しています
日の出湧水【横浜市中区元町】

この湧水は、古くから地域の生活用水として広く利用されてきた歴史的にも由緒あるものです。つい最近まで、市民の生活用水として広く利用されてきた由緒ある湧水です。
ワシン坂の名水【中区北方町2丁目】

この山手台の名水は、「打越の霊泉」同様に、赤道を越えても腐らない水はビール造りに適しているとのことで、山手台の名水を利用した日本最初のビール工場が生まれました(ビールに使用したのは井戸からの汲み上水です)。なお、このワシン坂の名水は、つい最近まで、市民の生活用水として広く利用されてきた由緒ある湧水で、大正9年の関東大震災や横浜大空襲のとき多くの人達がこの霊泉によって命を救われたとのことです。いまでもこの霊泉は、非常用飲料水として大事に管理されています。
打越の霊泉【中区打越】

この霊泉は、横浜開港時から横浜港に出入船に給水し、赤道を越えても腐らない水として船員達に喜ばれていました。また、大正9年の関東大震災や横浜大空襲のとき多くの人達がこの霊泉によって命を救われたとのことです。いまでもこの霊泉は、非常用飲料水として大事に管理されています。
霊泉の滝〔老馬鍛冶山不動尊の湧水〕【都築区中川】

この泉には、”滝不動尊は、誠に霊験あらたかです。この地域に雨の降らないとき雨乞いすると必ず降りました。昔から喘息・百日咳・風ひきなどお水を戴きながらお願いすると必ず治癒しました。滝壷等汚さないで下さい。老馬鍛冶山不動尊 堂守”という看板が立っていました。
林光寺の湧水【緑区鴨居】

関東88ケ所霊場第66番「鴨居山明王院林光寺」本堂脇の池に、筧をとおってくる湧水。
岸谷の湧水【鶴見区岸谷】

鶴見区岸谷2丁目にある「岸谷の湧水・キシヤノユウスイ」は、昭和12年の第2京浜国道(国道1号線)の建設時に発見され、飲料水などとして広く利用されています。いま、この「岸谷の湧水」の近くに(トンネル工事)岸谷生麦線の道路工事が予定されています、横浜市では平成11年度から「岸谷の湧水」に与える影響について調査を行っています。
なお、「岸谷の湧水」の行き方は、国道1号線(第2京浜)を川崎方向から横浜方向へ、岸谷交差点から約300m先の坂の途中の道路脇にあります。
観音橋公園の湧水(三ツ沢せせらき緑道)【横浜市神奈川区三ツ沢東町】

横浜市営地下鉄「三ツ沢上町」駅を出て、国道1号線の南側歩道を西へ少し行くと、歩道脇に木々に覆われた一角があります。ここが「三ツ沢せせらぎ緑道」です。河川の浸食によって形成された崖線沿いを進む総延長1.7Kmの緑道で、滝の川の跡を整備した道です。もともと滝の川が流れていた場所に湧水を使ったせせらぎが流れています。この「せせらぎ」は地下鉄「三ツ沢上町」、「三ツ沢下町」両駅に湧き出ている地下浸透水を水源に利用した珍しいものです。
滝の川水源【横浜市神奈川区片倉町】

滝の川の水源は、近郊にある六つの溜め井であると言われ、「片倉うさぎやま公園」内にある池の湧き水が、その内の一つです。現在では、支流の反町川も含めた、ほとんどの部分が暗渠化され、三ツ沢せせらぎ緑道・六角橋緑の小径・滝の川せせらぎ緑道に姿を変えながら横浜市民に親しまれています。

子安浜の井戸群【横浜市神奈川区子安通・浦島町】

子安浜は時代の流れに取り残されたように、昭和庶民の湾岸の風情を残しています。古い木造住宅が密集し、傘を差して通り辛いような細い路地が家々の間を縫うように走っています。かって漁師町として栄えた子安浜では、貝やシャコを加工したり海水まみれの体を洗うため、井戸と生活が密着していました。共同井戸だけでも十数の井戸が残っており打ち水や花の水やり、災害用と今も活用されています
井川湯脇の井戸【横浜市神奈川区子安通】

「井川湯」は明治時代末期の創業で昔ながらの家庭的雰囲気のある銭湯で、背景が約3年に1度塗り替えているそうで、現在も薪100%でお湯を沸かしているそうです。「井川湯の井戸」は井川湯の建物の横にあります。
浦島太郎の足洗井戸【横浜市神奈川区子安通】

浦島太郎が子安通にやってきたのは、仕方なくお父さんの故郷を訪ねて来たので、長く滞在するのか短期なのか分かっていた訳でなく、ただ単純に汚れていた足を洗っただけかもしれません。画像の井戸が浦島太郎がここで足を洗ったと言われている足洗井戸です。
神奈川の大井戸【横浜市神奈川区幸ヶ谷】

江戸時代には東海道中の名井戸に数えられ、当時は宗興寺を「大井戸」と呼ぶほどであったと言われています。江戸中期には神奈川御殿に宿泊する徳川将軍のお茶の水に使われたと伝えられ、開港後は、宗興寺に滞在したアメリカ人宣教医シモンズやヘボンもこの井戸の水を利用しました。この水を売り歩く「水屋」がいたといいます。また、この井戸の水量の増減によって、翌日の天気を知ることが出来ると言われ、「お天気井戸」とも呼ばれました。
駒ヶ嶽不動尊の湧水【西区浅間台】

駒ヶ嶽不動尊は旧東海道から奥まったところ鎮座しています。少し荒れたお社と水行場がありますが、湧水口からチョロチョロと水が落ちている程度で、修行をしている様子はありません。
掃部山湧水(鉄道山湧水)【西区紅葉ケ丘】 

掃部山(かもんやま)は、江戸時代には「不動山」、明治に入ってからしばらくは「鉄道山」と呼ばれていました。(なお、庶民はポッポ山と呼んでいたそうです)それは、この地が明治初期の鉄道建設事業の拠点になっていた為です。現在、山手にある外国人墓地。そこに眠るエドモンド・モレルをはじめ、鉄道建設のため来日した外国人技師の官舎がここにあった為です。鉄道開通後も、ここの涌き水が鉄道用水として利用されていました。
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