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京浜東北線「桜木町駅」下車 徒歩10分位
行き方
画像
掃部山は、江戸時代には「不動山」、明治に入ってからしばらくは「鉄道山」と呼ばれていました。(なお、庶民はポッポ山と呼んでいたそうです)それは、この地が明治初期の鉄道建設事業の拠点になっていた為です。現在、山手にある外国人墓地。そこに眠るエドモンド・モレルをはじめ、鉄道建設のため来日した外国人技師の官舎がここにあった為です。鉄道開通後も、ここの涌き水が鉄道用水として利用され、紅葉橋から花咲町一帯は鉄道用地となっていました。鉄道山が掃部山に変わったのは明治十七年(1884)、旧彦根藩の有志が故井伊掃部頭直弼の記念碑建設のため購入し、井伊伯爵家の所有となったため掃部山と称されました。大正三年になって、伯爵井伊直忠は園地四千二百七十八坪余りと銅像その他を、市民の憩いの場として役立てて欲しいと横浜市に寄付しました。それを受けた市は整備を整えて、同年十一月七日掃部山公園として公開しました。
現在、掃部山の湧水は、園内にある日本庭園の池に水量も多く流れ込んで(多分モーター汲み上げ?)います。また、掃部山公園外周の民家の脇に湧き出しています。近所の方に伺うと、公園内に湧き水を貯める升があって樋を伝って流れているそうで、関東大地震の際も公園外周の石垣も崩れず、この湧水も出ていたそうです。
由来・歴史
掃部山(かもんやま)湧水(鉄道山湧水)
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