水神社のお社です。下段に湧水を汲み上げるモーターが入っていました。
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相模鉄道線「天王町駅」下車 徒歩7〜8分
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行き方
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神明社の清流は境内地下70mから汲み上げた井戸水を水神社の人形流し(人形は「ひとがた」と読みます。人形流しは、知らず知らずの内に犯した罪や、積り積もった心身のけがれを取り除くための儀式です。)に使われるほか、飲用(私も飲みましたが甘く飲みやすいです・・水質検査済)にも使われているようです。
神明社御由緒  今から一千年以上むかし、保土ヶ谷の地が榛谷と呼ばれていた平安時代の中頃、天禄元年(970年)当社の御祭神・伊勢の天照大御神が、武州御厨の庄の内、榛谷の峯に影ようごう向し、それから川井、二俣川、下保土ヶ谷の宮林へと三遷の後、嘉禄元年(1225年)神託があって、神明の下宮を造り、当地を神戸と号し、神宮寺を満福寺と名付け、経蔵堂を神照寺と称したという。これにより榛谷御厨八郷の総鎮守として広大な社領を免めんぜられ、宮司以下数十人の禰宜・社人・供僧・巫女が仕え、年に七十五度の祭祀を営み隆盛を極めたという。その後、戦乱の時代に一時衰退したが、天正18年(1590年)徳川氏入国の時、社殿の造営が行われ、四石一斗の御朱印地が安堵された。また元和五年(1619年)宮居を神戸山々頂から現在の場所に遷し、社殿の造営・境内の整備が行われた。明治二年の修営には、明治天皇御東行の時、本陣苅部清兵衛宅に臨時に建てられた鳳輦安置所の御用材を下賜された。明治六年村社に列せられ、神饌幣帛料供進の神社に指定された。平成十年、鎮座1030年祭・当地遷座770年祭・伊勢神宮鎮座2000年祭を記念して「平成の大造営」が行われ、380年ぶりに本社・摂末社・神楽殿等総ての境内建物12棟が一新された。平成十二年、神奈川県神社庁献幣使参向神社に指定された。(汲むこと、飲むことは出来ません)
御祭神 本社:天照太神宮 天照大御神 摂せっしゃ社:豊受大神宮 豊受大御神
由来・歴史
神明社・水神社の清流(横浜市保土ヶ谷区)
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