ありがとう!都ホテル!
今回の遠征は出発前からいろいろとありました。
まず、1月終わり頃に長男が足を骨折
車で学校や塾の送り迎えをしなければならなくなり、しかも出発の2日前に次男がインフルエンザ発症。
かみさんの負担激増です。たぶんかみさんも感染してるはず。わしも感染してるかも?
こんな状況で強行するのか?と非難を浴びてもいい状況だが、今回はどうしても北海道へ行かなければならない事情があった。
25年前に湧別大会に初参加して以来毎年お世話になってきた中湧別の都ホテルが今回の大会の客を最後に、営業を止めることになったのだ。
とにかく行かなければならない。大会が中止になろうとも、中湧別へ行って、おばちゃんに感謝と労いの気持ちを直接伝えたいのじゃ。
20年ほど前にかみさんも一緒に行ったことがあり、おばちゃんのことを知っているので、そのあたり察してくれたのか、口では文句を言ってるが視線は例年ほどの冷たさは感じなかった。
2月21日
バスを乗り継いで広島空港へ行き、手土産のもみじ饅頭買って飛行機に搭乗
空からの景色はここ数年雲ばかりで景色なし。こういうフライトはとにかく寝て過ごすに限る。
新千歳空港に着いて、レラ行きの無料シャトルバスに乗るために到着ロビーを歩いていると何やら大柄な赤い人たちがたむろしている。背中には“CANADA”の文字。何かの選手団のようじゃが、話しかける勇気もなく、確かめてもしかたないのでそのままスルー。
レラでは千歳ラーメン博覧会の青葉で塩スペシャルラーメンを食べた。まあまあですな。
それにしても北海道でラーメンに乗ってる海苔って質悪いねー。そのまま食べたら紙食ってるみたいな食感。刻みの細かさから千葉あたりの仕立てのように見えるが、もっとええ海苔使えばええのに。しょうがないので汁に浸けてほぐして食べた。(こういう食べ方用に硬い海苔使ってるのかもしれませんね。)
札幌へ移動し、サンコスモで遠軽往復切符を購入し、南に向かって地下を歩いていると、エスタ入口で沖縄物産売ってた。なんと初めて実物のタンカンを見た。
タンカンはこの時期が収穫期らしく、子供の夏休みにあわせて夏に沖縄旅行している輩にはなかなか縁のない柑橘類なのじゃ。当然購入。これもおばちゃんに持っていこう。
2月22日
朝8にチェックアウトしてなか卯で豚汁朝定食
かみさんに頼まれた土産(ルタオのチーズケーキ)を探して駅地下をあちこと廻っているがなかなか見つからない。
そうこうするうちにオホーツク3号の発車時刻が迫ってきたのであわてて改札を抜けてホームへ駆け上がったが、雪の影響でやや遅れて発車。
その後、旭川過ぎたあたりから大雪になり大幅に遅延。
白滝に出てからも、列車から白滝グランドホテル跡が見えないくらいの降り方。
しかし、旧白滝辺りまでくると雪も止んで突然視界も良くなった。雲の切れ目から日が射しているところもある。少し移動するだけでこれだけ天気が違うのじゃ。
道路の向こうにピンク色のリボンが見える。大会コースの目印だ。
コースは圧雪された上に新しい雪が降り積もった感じに見えるが、これからたま圧雪されるでしょう。
遠軽には30分少々遅れて到着。
遠軽でいつか瞰望岩へ上がろうと思っているのじゃが、今年は積雪も多そうで雪で滑落したらシャレにならんので
遠軽教会だけ写真に撮ってバスターミナルで遅めの昼食を摂って湧別へ向かうバスに乗った。
25号線バス停の少し先にClubE'sと書かれた釣具屋がある。テムズの店長さんに教えてもらって以来いつも気になっており、いつか寄ってみたいと思いながら未だに寄れていない。だって、バス降りて行ってみたはいいが留守だったり休みだったりしたら次のバス待つまでに凍えてしまいます。そんな勇気ありませんって。
それにしても、この四分の一世紀の間で中湧別の景色も変わりましたね。
ホテルへ着くと、いつものようにおばちゃんが笑顔で出迎えてくれた。
先に送った荷物の梱包を解き整理し終わった頃、おばちゃんの娘さんが小樽から手伝いにやって来た。石北峠界隈の大雪を間近に見てきたばかりなので、あの雪の中を一人で車を運転してきたとはびっくりですな。
娘さんがお土産に土鍋に入ったプリンと手作りピザを持ってきた。
後で聞いた話では、この手作りピザ、娘さんのお隣に住まれている方が作られたそうで、なんと宇宙飛行士の毛利さんの親戚の方だそうです。
津波でお子様を亡くされたそうで、やっと元気を取り戻してピザ作りなど始められたんだそうです。
夕食の後は部屋に戻って金曜ロードショーのドッグ×ポリスを鑑賞。
広島ロケだとわかったのは冒頭のそごう新館爆破シーンだけでした。
他はどのシーンが広島ロケだったのか全然判らんかった
2月23日
明日の大会本番に備えて早起き練習のため5時半に起床
テレビ視ながらゴロゴロし7時に朝食
岩手へ帰る獣医の卵さん(鳥取出身らしい)を見送った後、9時から1時間ほどゴール地点で練習。
気温はそんなに低くないが雪温は-9℃とかなり低い。
雪の結晶が硬く、滑走面がすぐに真っ白けになってしまった。高温板は延びがいい。低温板は抜けがいい。悩ましいところだが軽快感のある低温板を選択しDrFCGコールドを生塗りして本番に備えることにした。
練習から帰って昼前までホテルで仮眠して体を休め、時間もあるので流氷でも見に行こうかとホテルを出発したのだが、カメラを忘れたことに気づいて再びホテルへ戻ろうとしたが、そのまま昼飯食べて受付することにした。近頃、初志貫徹って言葉が頭から閉め出されてる感じがするねー。笑!
昼飯は湧別牛ステーキ。ウマ〜!
昼飯を食べていると外は吹雪になり流氷見学行かなかったのが正解だったみたい。
ホテルへ戻って部屋でのんびりしていると留萌のWファミリー夫妻が到着したようで、おばちゃんとWファミリーさんの声が聞こえてきた。少ししてWファミリー奥さんがわしの部屋へやってきて、どうやら、オホーツクの名物宿「都ホテル」が閉館すると言うことでNHKが取材に来たらしく、
〜〜〜〜省略します〜〜〜〜〜
っということなので少し取材に付き合い、ラウンジで休んでいると千歳のYさん夫妻が到着。
自然な感じで、NHKさんもいい画が取れたんじゃないですかね。
っで、そこそこ人間も集まったことだし、雪もやんでいいお天気になったし、流氷も来てるみたいなので行ってみましょうかということになって湧別漁港まで行ってみたのじゃが、誰が呼んだか雪嵐。真っ白で何も見えません。陸も真っ白、海も真っ白、
どれが流氷なんだか???
流氷が観れたのかどうかわからないまま退散となりました。氷は張ってたけど流れてはなかったね。着氷見学。。。爆!
そういえば
10年前にもこのメンバーでここに来てこんな感じだったよな^。
ホテルへ帰ったら、ちょうど鳥取のFさんが到着したところだった。
っで晩飯食べながら
NHKさんの生い立ちなどなにげに教えてもらったんじゃが、これがまた凄い。たとえアフリカに住んでいてもカバとかゾウとか食べたことある人って希だと思う。しかも喉が乾いたら土の中から夏眠中のカエル掘り出してチュ〜って水を飲んだりしてたんだそうな。(ちなみにNHKさんは若い女性です)
そこでおばちゃん
「溜まり水より、そっちの方が絶対きれいよね〜」
わしもそう思う。
このNHKさんの燃料投下によって宴はどんどんと盛り上がり、ちょっと飲み過ぎたかも。
明日の本番はゼッケンにホテルへのメッセージを書いて走ることで一件落着となった。
2月24日
3時起床4時朝食
5時のバスでスタート地点の天狗平へ。スタート地点の気温-18℃雪温-12℃
トイレが混雑する前に用を済ませて
スタートの場所とり。概ね200番目くらいかなっという位置に板を置いた。
ストレッチしながら岡山のnfarmさんと四方山話。その後もう一度トイレへ行っておこうとプレハブ小屋へ行くと「チーム都」が集結していた。ここでもNHKさんの取材があったようじゃ。
みんなそろったところで記念撮影。大会スタッフの方が近くにいたのでそれぞれカメラやらスマホやら渡して撮ってもらい、わしのデジカメでもと渡したところ、、、極低温の影響かご臨終。。。ついさっきnfarmさんを撮ったときには大丈夫じゃったのに。。何で?
そしていよいよスタート!
板全然滑りません。ワックスは許容範囲内なはずじゃがとにかく何もしなければ下りでも止まってしまう。案の定抜かれまくり。200番くらいでスタートして林間に入るまでの下りで200人くらい抜かれたので400番くらい?
林間コースに入っても滑らない。国道沿いに下りても滑らない。かなり体力を消耗してしまった。しかもオーバーワークでオーバーヒート
白滝の給食所でウインドブレーカーとオーバーパンツとフェースマスクを脱ぎ再出発。
少し走った所で立ち止まってゼッケンを直しているとWファミリー奥さんに追い抜かれた。奥さんも板が滑らないみたいで直ぐに抜き返すことができた。
ところどころ少しはまともに滑ってくれる区間もあるのじゃが、とにかく板が滑らない状況が延々と続いて、前を走る選手に追いついてもなかなか抜くところまでスピードアップできない。結局丸瀬布へ着いたのが11時、ここでNHKさんに遭遇。
「ほらほら、滑走面がこんなに真っ白けになってるでしょ」とか講釈たれながら滑走面をブラッシングして出発。その後瀬戸瀬が12時、遠軽に着いたのは13時過ぎ。へとへとです。60kmしか来てないのにもうゴールしたくらいの疲労感。
遠軽のワックスサービスに板を預けてうどんをもらって休憩所へ入るとWファミリーご主人とSさんが休憩中。函館のHさんもいた。
うどん食べおわり、ワキシングが終わるまでまだ時間がかかりそうなのでお汁粉食べたりあんパン食べたりしているとnfarmさんが到着。みんな板滑ってないんだねー。滑ってないのはわしだけじゃなかった。
ワキシングが済んで板を受け取り遠軽を出発したのは13時30分を過ぎていた。スピードに乗れた年(滅多にないけど)には既にゴールしている時間である。
とはいえ、ゆっくり休んだので筋肉中の乳酸もいくらか抜け、クレアチンも再合成されたようでプチ快調!っでこの先で駅伝チームの5走を2人抜くという快挙をやってのけた。その内の一人は上湧別の給食所で休んでいる時に抜き返されたが、その後もう一度抜いた。もう少し一生懸命走ろうよ。遠軽から走り始めた人が60キロメートル以上走ってきた50歳のおじさんに抜かれちゃダメでしょ。
それにしても遠軽以降でコースの真ん中にリアルにゲロった形跡が3〜4箇所あったのじゃが、せめてコースの端で吐いてもらいたいもんです。コースの真ん中で立ち止まってそのままゲロってのはいただけません。そもそもそこまで食うなよ。
結局ゴールしたのは16時過ぎ。とてもタフなコースコンディションでした。
ゴール後は何時ものようにそばとお汁粉。
スタート地点で預けた荷物と完走証を受け取りホテルひ戻ると鳥取のFさんが帰るところだった。Fさんの出発に間に合ったのは初めてですな。これまた快挙。
レース中に胃袋大きくしてあるので難なく(嘘)完食
明日の朝が都ホテルでの最後の食事だね。
2月25日
朝3時過ぎに目が覚めたが前夜の酒がまだ頭に残ってる感じだったので再び寝た。5時半に携帯の目覚ましで起こされたが、これまた寝て、結局起きて動き出したのは7時時過ぎ。
トイレに行くと窓の外の屋根の下でごそごそとハトの気配。
さすがに25年間同じハトってことはないけど、いつもこの窓の上を寝床にしていて、天気の良い朝にはクルックルーって鳴いてるんだよね。昨日の疲れが一気に癒されますなー。
朝食食べてコーヒー飲んで、広島へ送り返す荷物まとめて、クロネコさんに集荷依頼して、おばちゃんを中心にみんなで記念撮影して、留萌のWファミリーさんSさん、千歳のY夫妻を見送り、バスの時刻まで部屋でゆっくりと過ごした。
思い起こせば、このホテルでは最初の数回以外は毎度同じ201号室だった。
そのせいか、ここへ来ると、まるで家にいるかのようにリラックスできた。
衛星放送が視れないとか、暖房が効きすぎるとか、晩飯のおかずが多すぎるとか、不満がないわけではないが、それってとても些細なことで、暖房に関しては、ヒーターの電源を入れたり切ったりを自分でこまめにすればいいだけだし、衛星放送視れなくても別に困るわけではない。
旅行とか遠征ってのは非日常で、緊張を伴うものだ。そんななかで、ここまでリラックス出来る環境を与えていただけると言うのはとてもありがたいことなのです。
このホテルでは沢山の良い出会いがありました。
おばちゃんの人柄に惹かれて自然とリピーターが増えちゃうんだね。
帰り際に、ゼッケンを前後ろ切り離し、一方は持ち帰り用におばちゃんにメッセージを書いてもらい、もう一方に私からのメッセージを書いて置いて帰った。
「いつかまた来ます」って書いたんだけど、来年また来るんだよね。その時に顔出せばまた会えるって分かってるのに、もっと気の効いたかっこいいメッセージ書けば良かったね。
まあ、それがわしらしくて良いんじゃないかと。
いつものバスで遠軽へ戻り、
瞰望岩の顔面を眺めながらいつもの特急に乗って札幌へ向かう。
昨日と打って変わって穏やかな天気。
なぜかこの大会は大会当日が荒れて翌日が好天ってパターンが多い。大会当日が好天ってのは数えるほどしかない。荒れ男(女?)は誰だ?。土曜日の雪嵐から考えるに、道内ご一行様の誰かに違いない。だってみんなが帰ったらこんなに良い天気なんだもん。向こうは向こうで「又七さんから離れたら良い天気になったね」とか言ってそうですな。笑!
列車の中では札幌までひたすら寝た。起きたのは車掌さんが切符調べに来た時と社内販売で冬季限定アイスクリーム買った時だけ。
札幌に着いたらまずはニッセンスポーツへ。店内なんとなく以前と雰囲気違ってる。ネット販売の比重が増えたか?
安くなってたワンウェイのオーバースーツを買おうかどうか迷ったが、結局買わずに店を出た。だって荷物が増えるし、通販ならポイント付くし(笑)
2月26日
ぽかぽか陽気の朝。雪かまぶしい。
ホテルをチェックアウトしてテムズの開店時刻にあわせて10時過ぎにテムズへ行って見たが、まだ開いてなかった。かみさんに頼まれた土産も探さなければならないのでそのままスルーして札幌駅から
レラ経由で新千歳空港へ移動。
新千歳空港へ移動し土産物を見て回ってると、ANA側の土産物屋にルタオの看板を発見。テレビで紹介された丸いのと3種類のチーズ使った濃厚な四角いのと、ロールケーキが並んでた。四角いのとロールケーキを購入。子供用に夕張メロンゼリーと自分用にカニミソ缶詰め。昼食はえびラーメンが食いたかったのじゃが、行列ができていたのでフードコートでさくっと済ませた。
飛行機は10分遅れで新千歳空港を出発。機内ではひたすら寝て、降下のアナウンスでようやく目が覚めた。尾道〜松江線と御調町が右手前方に見え、しばらくして着陸。
広島空港周辺は雨
高速バスに乗り広島市へ近づくに連れて雨は強くなっていく。
わしの心もなんだかどんよりしてすっきりしない。
いつもなら、帰ったときから翌年に向けて何をしなければならないかイメージで頭がいっぱいになっているのじゃが、今年は特に新しいイメージが湧かない。昨年イメージしたことで実行しなかったことが沢山あって、それが今回の不調の原因を占めていることが分かっているので、反省の方が大きいのじゃ。
年を取って、だんだんと楽な方へ楽な方へとなびいてしまっている自分に気づかされた訳よ。
やはり、この大会には出続けんといけませんね。
そして毎年喝入れてもらいましょう。
平成元年に初めてこの大会に出場して以来25年の月日が流れたが、いつの間にか私の中でこの大会と都ホテルとおばちゃんは三位一体となっていた。
25年と言えば四分の一世紀、。半世紀に渡る私のこれまでの人生の半分にあたる。
この間、JRが廃線になり、憩いの湯がなくなってチューリップの湯になり、トムとジェリーができて、白滝グランドホテルが廃業し、この大会で知り合ったものの途中から出場しなくなった知人もたくさんいる。
大雪で遠軽に足止めされたり、
高橋施設給食所がなくなったり、
大会が中止になったり、
距離が短縮されたり、
幻の山越えコースで難儀したり、おじさんも亡くなったし、高速バスの遠軽号が中湧別まで来るようになったんだけど結局数年で遠軽止まりになったりで、25年間の間にいろいろな変化や出来事があったが、都ホテルのおんぼろ具合と超ボリュームな食事、そしておばちゃんの笑い声は変わることがなかった。
この大会に25年間出場し続けてこれたのは間違いなく都ホテルの存在と、そこで出会った人たちとの繋がりがあったからです。
ありがとう都ホテル!
ありがとうおばちゃん!
来年も会いに行くよ〜♪
20130303:up