2006スパイラル
 
 
 私は今リングの中にいた。
 このリングから逃れようともがいていた。
 そしてリングを切って逃げ出せたと思った時・・・・リングは既に螺旋へと形を変えていた。
 
2月23日
 今年の湧別原野オホーツク100Kmクロスカントリースキー大会への旅も波瀾万丈のスタートとなった。
 先々週長男がおたふく風邪になり今週になって次男が発病、しかも昨日からかみさんまでおたふく風邪に・・・、こんな状態で北海道一人旅というのはかなり気が引けます。
 
 バスセンターから高速バスに乗り広島空港へ向かう途中、広島ICでゲートの工事がされておりその影響なのか河内ICでバスがETCトラブル。
 これって何かのカウントダウンなんだろうか???数年前の白い25時間が頭をよぎる。そう、この時はまだ自分がリングの中にいることに気付いていなかった。
 
 空港は団体ツアー客でごったがえしており、セキュリティチェックがピーピー鳴りまくり。はっきりいってあんたら迷惑です!。今思えばこれもカウントダウンだったようだ。
 飛行機は順調にフライトし定刻より早く千歳空港に着いた。滑走路の雪は例年になく少ない。しかも水たまりまでできている。かなり暖かいようだ。
 空港に付いたらまず帰りに買う土産物を物色、続いて王華でジンギスカンラーメンを食べた。スープは豚骨味噌で一口目はウマいと感じたのだが後味が結構シツコイ。しかも肝心のジンギスカンがマズ〜。これって名物ラーメンにはなれんでしょうね。それにしても空港内は暖房が効きすぎており暑い。
 腹ごなしが済んだら札幌へ移動。そしてまずニッセンでワックスを購入。今回はかなり気温が高くなると予測しガリウムのちょっと高級なワックスを購入。そのちょっとブラブラしてリトルスプーンで極上とんかつカレーを食べた。同じ食べるなら札幌名物スープカレー食べりゃえかった。
 ホテルへ向かう間なんとなく頭痛を感じ始めた。わしもおたふく?
 ホテルに着きチェックイン。予約が何故か受験生パックになっとったみたい。とりあえず朝食付き4400円のままでOK泊まれた。
 
2月24日
 朝から肘が痛い。一ヶ月前に傷めたところだ。ここしばらくは何ともなかったのだが、暖冬とはいえ朝晩は凍える寒さだ。当然古傷が痛む。この時、何かのカウントダウンの予兆は感じていたのだが、まだリングの存在に気付いていなかった。
 朝食を終えて外に出ると雪がちらついついた。
 まずホテル近所の百円ショップでスキーにネームを書き入れるための油性マーカーを買い、次いで駅のドラッグでクエン酸を購入。サンコスモスで札幌〜遠軽の切符を購入し緑の窓口で特急の指定をとってそれからテムズで・・・っと例年と同じような行動パターンで何事もなく時間は過ぎていった。ただ時間が過ぎる速度はいつもより少し速かったようで、昼食をと思って入った店でなかなか料理が出て来ない。特急の出発時間はどんどんと迫ってくる。結局料理をキャンセルして駅の売店でパンとうらら買って何とかスーパーホワイトアローに飛び乗った。これもカウントダウンだったのだろう。しかし何のカウントダウンなのかは知るよしもなかった。シートはUシートでゆったり。しかもコンセントまで付いている。早速携帯電話を充電。岡山から参加のNfarmさんも同じ列車で合流。
 旭川駅に着き、ホームで特別快速きたみを待つ。
 ホームのトイレは改装されて暖房が入ってた。
 きたみに乗ってNfarmさんとよもやま話。ふと外を見るとだんだんと雪が激しくなっている。しかもいつもなら吹けば跳ぶような軽い雪なのだが、見るからに重そうな雪が降っている。こんなのこの18年で初めてだ。
 白滝駅に着くと地元のMさんがNfarmさんを迎えに来てたので車に便乗して白滝グランドホテルまで送ってもらった。毎度毎度ありがとうございま〜す。Mさんの情報によるとどうやら遠軽コースに変更があるらしく、高低差30m程の登りが追加されたらしい。勘弁して。
 
 ホテルにチェックインして一休みし、翌日の練習用にとりあえずワックスをCH7にかけなおして、晩飯を食べた。
 膳を下げに来てくれた顔なじみのおばさんが、
「又七さん、今年は一泊だけなのかい?」
っと聞くので
「いえ、例年通り二泊ですよ。」
っと答えると
「あんれ、やっぱりそう?、予約一泊分しか入ってないみたいだよ、私からフロントに言っといたげるよ。」
あやうく野宿しなければならないところだったようだ。おばちゃんの機転に感謝です。今思えばこれがリングの最終警告だったのかも知れない。
 食事も終わったし、トリノオリンピッククロスカントリースキー女子30kmを観て、再びワックスルームに行き食事前にアイロンで伸ばしたCH7をスクレッパーではがしてブラッシングした。これで明日の朝に練習して滑り具合で本番用ワックスを決めるのだ。
 ホテルの風呂は改装され、綺麗になっていたが、岩窟風呂と通常の風呂がつながっておらず、いちいち着替えて入り直さないと行けないのが残念。また、以前はフロント前にあった売店が風呂棟へ移動したのもちょっと不便である。
 
2月25日
 7時に目ざめ朝飯食べて練習。風がやや強いがすっきりしたいい天気
 いつもの練習場所に行くと雪は思ったより硬くてCH7で良く滑るが前半はもう少し硬くてもよさそう。午後は間違いなくHF8と思う。
 新しいブーツと板の感触を確かめながら、一歩滑走、両杖滑走、クイックスケーティング、スーパースケーティングのフォームチェック。しばらく練習していると圧雪車がコースの圧雪に来たためコースを外れて山側に移動して走っているとNfarmさんがやってきた。Nfarmさんとちょっと話をして再び練習開始。悲劇はこの直後に起こった。
 圧雪車が通った後に残ったわずかな縦溝にスキーをとられてバランスを崩して転倒してしまった。この時左手親指の付け根を傷めてしまったのである。
 それでもその時は「痛って〜!突き指しちゃったよ」くらいにしか思わず、ストックも問題なく握れるためそのまま練習を続けた。
練習を終える頃には雪も解けはじめ、道路には水たまりもできはじめた。
「やっぱ今年は暖ったかいんじゃな〜」
 
 練習を終えて宿に帰りグローブを外してみるとちょっと腫れてる感じ。大したこと無いと思い、何もケアせず本番用のワキシングのためワックスルームに籠る。
 下地をCH8-7-6と順次固くしその上にLF6とLF8を1:1に混ぜて塗るさらにCH3を降りかけてアイロンで伸ばしブラッシング。最後に黒ガリ生塗り。
 ワキシングが終わりかけた頃ぼちぼち道内の常連さん達が到着しはじめ、ワックスルームも賑やかになりはじめた。
 
 部屋の戻ると江別のAさんが到着されていた。他の相部屋メンバーは札幌のEさん(ってどこかで聞いた名前・・)と旭川のYさん。
 受付会場へゼッケンをもらいに行き、ホテルの部屋に戻るとEさんが到着されており、なんとこれまで2回出て2回とも2位だそうな・・・・えぇ?やっぱりあのE選手じゃん(心の中はやや興奮、でもクールに装うのであった。)。
 一風呂浴びて改めてじっくりと左手を観察すると親指の付け根の左右二カ所がやや赤みを帯びている。ただの突き指ではなさそう・・・汗。この時リングが頭をよぎった。Misagoさんにメールで連絡すると、なんと
「正にソルト系リングの祟り・」
とのこと。でもあれは釣り過ぎ名人の右手にかかるはずの呪い・・・なんでスキーヤーの左手に・・・。
 たぶん何かの間違いで、偶然そうなっただけに違いない。
 リングを否定しようともがき苦しむ自分に気付いた。
 気を取り直してEさんのおごりでビールいただきながら(年下におごらせるなよ〜)業界裏話やら世界の話やら聞かせていただきました。話の中にウルバンとかスミルノフの名前が出てくるところがさすが世界Aランクですね。道具についてのトレンドもよく分かりました。ノイマノバのポールを近くで観てみたいねぇ。
 しばらく話していると、話題が今泊まっているホテルの社長の話題になった。丁度その話が盛り上がってきた頃、当の社長からEさんに内線で、
「おまえ、部屋替われっ!」
っと移動命令。もしかして盗聴されたか?
 あまりのタイミングの良さに全員大爆笑!
 部屋を替わったEさんが、
「明日の早朝、スタート番とりに行くけどみなさんの板も持っていって場所取りしておきましょうか?」
っとお誘いがあったのだが、手がどうなるか解らないのであんまり前方から出て他の選手に迷惑かけてもな〜っと思い、とりあえず辞退しておいた。
 手は悪化の一途を辿っていたが、まだ自分がリングに取り込まれていることを認めたくなかった。
 かみさんから写真付きのメールが来た。
 おでこに冷えピタ貼って両耳の下が腫れて顔の輪郭がスピードスケートのO選手のようになっった顔写真。
 何が言いたいのか本文に書かなくてもよく分かる写真だ。1人で楽しんでごめんね〜。
 
2月26日
 四時半起床して朝飯、情報ではコースはあまり冷えてない。手はさらにひどくなった
 テレビを付けてチャンネル替えていると・・・
「えっ?・・・・・」
 やっと事態が飲み込めた。ブラウン管に映し出された映像は・・・・そう甑島の秋太朗。。爆!
 釣り人の呪いがなぜスキーヤーの左手に・・・理由は解らないが、この番組が追いかけてきた以上もう間違いない。絶対に逃げられない・・・。私の左手はどうなってしまうのか・・・爆。心臓も爆爆!
 
 ポールは何とか握れそうなので6時20分のバスでスタート地点へ向かう。
 穏やかな曇り空。かなり滑りそうだ。
 輸送トラックに荷物を預け、スタート地点に着くと既に500台ほどのスキーが並べられている。
 とりあえず真ん中のやや左よりに板を置いてスタート時刻を待った。相部屋だったAさんは私の隣の列の一行うしろに並んでいた。
 そしていよいよスタート!
 あれれ?並んだ列が動きが遅い。後ろにいたはずのAさんが既に遥か前に行ってしまった。それでもなかなか流れない。これもリングか?
 降りは良く滑るのだが早い選手と遅い選手が入り交じって大混雑。そこら中で選手がすっころんでいる。巻き込まれて手が大変な事になってはいけないのでトラブル未然防止のためずっとボーゲンで制動をかけながらゆっくりと降り進む。せっかく板が良く滑ってるのに、もったいないなぁ。これもリングか?
 林間のちょっとした登りも大渋滞。これもリングか?
 平地に降りてからやや選手がばらけてきたので手が痛いのこらえてスーパースケーティングでイッキ抜きしていたら、スノモのソリでできた縦溝に板を取られてコケた(昨日と同じパターン)。これもリングか?
 その少し先で選手が1人倒れていた(転倒して、肩を脱臼したらしい)。どうやらリングが他の人にまで遷りはじめたようだ。
 日が高くなるに連れて気温も急上昇し暑くなってきた。
 旧白滝給食所について、オーバーウェアを脱ぎ手袋もちょっと外して・・・って?左手のグローブが抜けないよ〜ん。グローブの中で何が起こっているのだろうか?怖いので外すのをやめた。
 それにしても走っていて左手がやたら体に擦るような気がする。擦れる度に親指付け根にズンッと激痛が走る。
 いつもならぎりぎりで当たらずに動いているのが腫れて幅広になった分だけ体に当たるようになったのか?それとも、いつもなら擦っても気にならないのが痛いから気になるのか?
 やっとこさ丸瀬布給食所に着いて、一息入れようとポカリスエットをもらって飲んでいると、給食所のおばさんと話している聞き覚えのある声。
「留萌からきたんだ〜。」
 なんとWファミリーご主人さんでした。昨年もここであったような・・・。
 しかしWさんに後れをとっていたとは、ペースを落としすぎていたようだ。ちょっと頑張らなくては・・・。でも左手痛いしな〜。
 ここでさらに事態が悪化した。
 手だけではなく他の部分にまで影響が出始めたのだ。
 まず、ゴーグルが落ちて壊れた。まあ、これはガムテープで補修して何とかなったのだが、なんとデジカメも壊れたのだ。そう、昨年末に復活して喜んでいたソニーノアンメルツが・・・ディスプレーに何も映らない・・・。これもリングか?リングが人だけでなく物まで壊しはじめたのだ。
 リングは更に追い打ちをかけてきた。
 遠軽コースに入って新しく設定された急な降り。前を走る選手が転倒したので危険回避のため自主転倒したら板のヒールの滑走面が剥けた。これもリングか?ここまでしつこいのかリングは。
 リングはまだまだ続く。瀬戸瀬給食所で豚汁食ってたら突風が吹いて机が倒れ、机の上の豚汁が全てひっくり返った。しかもテントが飛ばされそうになり大勢で柱をおさえていなければならない状況。テントのフレームが一カ所外れて大変なことになった。リングは確実に拡大していた。
 遠軽給食所に着いてワックスサービスを受けようと思ったら二十分待ち。。。。リング感染者は既に数百人を超えたと思われる。(爆)
 高橋私設給食所では例年と変わりなくハウスの中に薪ストーブが焚かれ、疲れた選手を暖かく迎えてくれた。高橋私設給食所が今年で終わりとなるのはリングでも何でもなく既に決められてた事。高橋さんの事情なのでしかたがない。
 平成元年からこの大会に出場し、毎回この給食所のビニールハウスで体を温めくつろいで最後の15キロを頑張って走りぬいて完走を積み重ねてきた。この給食所があるからこの大会に出るという参加者も多い。いわば湧別原野オホーツク100Kmクロスカントリースキー大会の顔である。
 高橋さん、長い間ご苦労様でした。毎年おいしい豚汁やいももちを食べさせていただきありがとうございました。過去の記憶が走馬燈のようによみがえる・・・もうこの暖かさが味わえないのか・・・。涙。
 高橋給食所を涙目で出発し、後はひたすらゴールを目指す。
 河川敷の折り返しから数キロはかなり向かい風がきつかったが林間に入ってからスパートし何とか六時間を切ってゴール。
 手が万全でいい位置からスタートできていたらもう一時間は速かったはず。
 まあしょうがないか?
 ゴールしてそばやらしるこを食べているとAさん発見。自己記録更新されたようだ。優勝はEさん、三度目の正直で後輩のSさんに勝ったようだ。しかも大会記録更新という偉業。
 こんなハイスピードの大会はこれまで2回しかない。ようは10年に一回あるか無いかの絶好の条件だったのだ。こういう時に万全の状態で走れなかったのは悔いが残る。次は10年後か?その時自分は既に53才となっている。まあそれでも走るでしょうけどね。
 スタート地点で預けた荷物を受け取り、グローブから手を何とか引っこ抜いてチューリップの湯でほっと一息。風呂から出て完走賞貰いに行くと、ニッセンのAさんやNfarmさんがいたのでちょっと挨拶した。ニッセンのAさんは結構ご満足な結果だったらしい。Nfarmさんはスタート写真を撮って最後尾から追い上げして七時間少々でゴールした模様。あの混雑でよくめげなかったもんです。
 土産買って上湧別の都ホテルに帰り、おばちゃんに湿布もらってコーヒーブレイク。
 外は雨が降りはじめた。テレビでは気象庁の暖冬予報が外れて苦情が殺到しているとの報道がされていたが、今現在の状況を見ると明らかに大当たり。だいたい2月の道東で雨が降るか?暖冬予報大当たりでしょ!
 ホテルでは大会反省会(実はただの宴会?)の準備も整い、いつもの顔ぶれがぼちぼちそろいはじめたので反省会開始。ってその前に整形外科医の方が泊まっていたのでちょっと手を診て貰ったら・・・・
「たぶん靭帯切れてるよ。こことここ痛いでしょ。う〜んこっちは筋肉と靱帯の位置関係で、やっかいなことになってたら手術しないといけないかも・・・」
 が〜ん、そんな酷いことになってたの〜? 荻原も同じ怪我で手術したことあるらしい。
 でも痛みはかなり退いてきた。。酒で感じなくなっただけか?
 
2月27日
 天気はいいが風が強い。大会中も気温が高かったので肺への負担も少なかったようで血を含んだ痰も出ない。
 朝食とって千歳へ帰るグループや留萌へ帰るWファミリーさん等を見送った後、自分の荷物を宅配で発送した。
 左手は湿布の上から神奈川のNさんにテーピングして貰い、いつものバスでいつもの通り遠軽へ行きオホーツク四号へ乗る。
 車中から見える山の景色は昨夜の雨の影響か、冬山じゃなくて完全に春の残雪風景となっている。それにしても列車内の暖房が効き過ぎていて頭がボ〜っとする。疲れもあって一気に睡魔。気付いたらもう滝川あたりだった。
 札幌に着いたらその足ですぐにニッセンへ行き、来シーズンに向けての滑走面下地作り用ワックスを購入。夕食はちょっと早めに狸小路の坦々亭で担々麺を食べた。スープはあっさり味。麺はツルツルシコシコでグド!でもトッピングがメニューの写真に比べ少ないのが残念。たぶんどんぶりを小さくするとバランスよく見えるんじゃろうね。
 今夜のホテルへチェックインし風呂に入るついでに左手チェック。痛みはほとんど退いたけど指が曲がらん。テーピングを外した時、一見親指の腫れが退いたように見えたけど右手と比べると実は手の甲全体に腫れが広がっとるみたい。風呂から上がって湿布とテープ一人でやり直しました。独りテーピングは難しいな〜しかも鋏がないので片手ではテープが上手く切れない。
 それにしてもこんなに早く痛みが退くってほんまに靭帯が切れとるんじゃろうか?ひょっとしてからかわれた?
 
2月28日
 穏やかな朝を迎えた。朝飯食べて湿布とテーピングを貼り替えてチェックアウト。テムズで油売って、サンコスモスで切符を買い、駅地下のリトルスプーンでスープカレー。
 早めに千歳空港へ移動し改めて試食しながら土産を物色したがやはり目新しいものはない。そうこうする内に携帯バッテリーが切れそうになっったので搭乗待合室へ入り搭乗口付近のコンセントでちょっと充電させてもらった。
 そして登場案内のアナウンスが・・・「仙台行き〜」って言ってるよ〜。爆!しかも何度も何度も・・。
 客は誰一人パニクることもなく「広島行きだよね〜」って笑いながら搭乗。
 仙台行きのアナウンスをした職員も誰かに指摘されたのか、くすくす笑いながら恥ずかしそうに訂正アナウンスをしていた。
 後は機内でのんびりと寝て帰るだけっと思っていたらまた悪夢が・・・
 機内のイヤホンが直ぐに抜ける。ここでもリングが・・・・。
 
 どうやら私がリングの中で抵抗しすぎたため一端が切れてしまい、切れたとたんに巻き上がって螺旋になってしまったようだ。これで釣り過ぎ名人から他の分野へ呪いが遷ったことは間違いない。しかし我が家にはまだコピーできていないDVDが残っている・・・・。
きっとくる〜きっとくる〜。 来年もまた行きます!
 
 
最後に
上湧別の高橋私設給食所のみなさん、ごくろうさまでした。
湧別原野オホーツク100Kmクロスカントリースキー大会70Km地点に高橋私設給食所があったことは絶対忘れません。
ありがとうございました。
 
後日談
広島に帰って整形外科で診断を受けたところ、こんな姿にされてしまいました。
 
 
20060301:up
 
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