お気に入りのアーティスト

YAMA.Kのお気に入り&当時ちょっと思い入れのあるアーティスト達を紹介します。


DAVID BOWIE:デヴィッド・ボウイ

デイヴィッド・ボウイ昔 デイヴィッド・ボウイ今
YAMA.Kの一番のお気に入りです。
ファンをいい意味でも、悪い意味でも裏切り続けてきています。とにかく変幻自在、色々な要素を取り入れ自分の物にしているという感じです。
’70年代のグラムロック時代に発表されたコンセプト・アルバム”ZIGGY STARDUST”は今もって名盤中の名盤と言われます。また、ライブでは計算された演出で、DAVID自身が曲中のZIGGYだというファンの心理を作り出し、当時のカリスマ性は抜群のものがありました。映像を見た時に確かに美しいと思いました。でも、すごい化粧です!!
’80年代にプラスティック・ソウルというジャンルを作り出し、何度目かのブームを迎えます。この当時あんまり好きではなかったのですが、今聴くといいものがあります。ビデオ・クリップも凝った物で今見てもいい物ばかりです。
’90年代には古い曲は歌わないと言ってみたり、バンド活動(ティン・マシン)をしていたものの、あんまりぱっとした活躍無く、ファンとしてはちょっと寂しいところでした。でも、この年代に発表された、アルバムが私がはまるきっかけになりました。
音楽以外に、映画にも出演しており多数の出演作があり、自己表現には媒体を選ばないアーティストです。”地球に落ちてきた男”や、新しい物では”バスキア”などがあります。また、彼をもとにした映画”ベルベット・ゴールド・マイン”(彼は出演していません。)などもグラムロック時代の彼を知る手掛かりになるでしょうか。(でも、本人はあまり気に入って無いようです。)
しかし、しぶい親父になりました。同性から見てもかっこいいと思えます。YAMA.Kもそんな親父になりたいのですが、そりゃあもう雲泥の差。とにかくしぶい人です。
2003年にアルバムを発売した頃、ツアー中に病気で倒れてから10年もの沈黙を保っていました。そして、秘密裏の内に製作が進められていたアルバム”THE NEXT DAY”を2013年1月8日、誕生日の日に突然発表し音楽シーンに復活してきました。
このアルバムで新たな活動へ向けてののろしを上げたかと思えた3年後、これまた誕生日にニューアルバム”★”を発表、これぞボウイと思える音・内容のアルバムでしたが、発表の2日後、突然私達の前から姿を消すこととなり、本当の★になってしまいました。
癌をわずらい18ヵ月の闘病の後とのことでした。これからまた新しい世界を見せてもらえるかと思っていただけに残念です。ご冥福をお祈りいたします。
icon DAVIDE BOWIEの部屋


SIMPLY RED:シンプリー・レッド

ミック・ハックネル シンプリー・レッド
”HOLDING BACK THE YEARS”で知ったこのグループ。ヴォーカル、ミック・ハックネルの赤い髪の毛がグループ名の元になったそうです。最初に知ったこの曲も良かったのですが、往年の名曲”IF YOU DON’T KNOW ME BY NOW”のカバーもめちゃくちゃ良いんです。あんまりバラード曲を聴かなかったYAMA.Kもこの両曲だけは聴きました。また、”JERICHO”はそのビデオ・クリップが面白い物になっています。なにせ、ミックは顔を赤く塗り、赤鬼の格好で出演をしています。
楽曲はどれも良く、ミックの声がまたまた良く、しんみりと心にしみいるような感じの曲が多いです。カバー曲が多いといわれるこのグループですが、自作の曲も問題なく良い物ばかりです。
ミックは女性好きと言われていて、そんな彼が地でやっているかのようなビデオ・クリップもありました。落ち着いたのでしょうか?
それから、日本人が参加していたのはこのグループの変わったところかと思えます。


HOWARD JHONES:ハワード・ジョーンズ

ハワード・ジョーンズ
キーボード奏者で、エレクトロポップな曲で登場しました。何度か来日したこともあってテレビにも出演していました。彼の髪型はかなりかっこ良くて、真似をしたかったのですがなかなかそうもはいきませんでした。また、来日ライブの赤いコンバースをろ〜るきゃべつが気に入り真似をしたかったとか言ってました。ちなみに、髪型、服装などは彼の奥さんが手がけていたらいいです。20歳台後半のデビューで、遅咲きでした。
’90年代を迎えると、徐々にアルバムの発表が無くなるとともに、かっこよかった髪形も前額部から後退が見え、ここ最近は音沙汰なしです。ベジタリアンのためのレストランを経営しており、そちらの方に力が入っているのでしょうか。
’80年代当時、YAMA.Kはハワジョンの”PEARL IN THE SHELL(パールと貝殻)”を聴いて、この曲調の良さにはまりました。また、デビュー当時の”NEW SONG”も、これまた良い曲です。でも、最初に売れたのは”WHAT IS LOVE?”だったようです。ろ〜るきゃべつはこれが気に入っていたようです。これもこれでいいけど、YAMA.Kはやっぱり前2曲がいいかと思えます。


WAHM!:ワム!

アンドリュー&ジョージ
ジョージとアンドリューのデュオ。当初アイドル的なデビューをしましたが、曲作りをし、歌唱力も抜群の実力派ということが徐々に浸透し、”CARELESS WHISPER”で爆発的に売れました。この曲の歌詞は、ジョージが18歳の頃に作ったというからなかなかのものです。確か不倫が内容だったはずです。また、”LAST CHRISTMAS”は今もってクリスマスの定番曲となり、クリスマスシーズンになるとあっちこっちで流れているし、カバーしてるアーティストもたくさんいます。
このデュオはまだ絶頂の頃に解散し、それぞれがそれぞれの道を歩みだしたのですが、アンドリューはもともと曲の創作に関わってなかったので、俳優をするとか、レースをするとか、でもやっぱり音楽をするとかいいながら、今は何をしているのやら。
ジョージはソロ活動に入ったのですが、もともとWHAM!でも曲作りをしており、実力はありました。アレサ・フランクリンとデュエットをしたりして、今もって活動中ですが、便所で××騒動があり、ジョージはどうしたのかなと思っていたら、男性と付き合っていて、その彼が亡くなったということがその元にあったようでした。


THE POLICE:ポリス

ポリス スティング
ヴォーカル、スティングを中心とした今や伝説的なグループ。といっても自然消滅的に活動しなくなったグループで、中心であったスティングはソロ活動をしています。
スティングはグループ活動中において、映画にも出演していました。”さらば青春の光”、”デューン 砂の惑星”などがそうで、後者の時のスティングは悪役だったのですが、鍛え上げられた肉体でとてもかっこ良い姿が見られます。
このグループの活動においては、’80年代当時さほど聴いてなかったし、興味も無かったのであまり詳しい事を知りません。
でも、後々にこのグル−プの名曲中の名曲、”EVERY BREATH YOU TAKE(見つめていたい)”をYAMAの披露宴で使いました。最近ではこの曲がとっても気に入っていて、YAMA.Kが聴きたい曲のベスト5に入っています。とにかく何回聴いても聴き飽きないというのがこの曲になります。
ちなみに、スティングはソロになった現在でもアルバム発表をし元気良く活躍中です。いつだったか、宮崎のシーガイアの何とかになって日本に来ていました。さらに、2007年には再結成を果たしています。
しかし、この人もまた本当にしぶい親父だけど、しっかりと髪の毛が寂しい状態。
ちなみに、このスティングというのは彼のあだ名で、なんでも黄色と黒色のしまのシャツをいつも着ていたかららしい。


QUEEN:クィーン

クィーン女装 クィーン
クィーン
ハードなロックを前面にオペラ的な盛り上がりのある曲が多いグループ。ヴォーカル、フレディー・マーキュリーの個性は声、外見ともに強烈で、それが持ち味でもありました。
映画などにも多数曲を提供し、映画”フラッシュ・ゴードン”のテーマ曲”FLASH(フラッシュ・ゴードンのテーマ)”や、映画”ハイランダー”のサントラ盤なども彼らの作品です。
YAMA.Kが初めて彼らを知ったのは、”RADIO GA GA”という曲です。この曲名は後に出てくるレディー・ガガの命名の際の元になったのは有名なところです。 ビデオ・クリップは、無声映画”メトロポリス”の映像を使いながらSF的な作りで印象的でした。
また、同じ頃の”I WANT TO BREAK FREE”のビデオ・クリップでのメンバーの女装は強烈でした。(画像参照!)特にフレディー(向かって右から2番目)はひげを生やしての女装だし、ゴリラみたいな(失礼!!)人だったから強烈の一言。でも面白いものになっていました。
’91年11月24日、ヴォーカルのフレディが、自分はAIDSにかかっていると発表した直後に死亡したのは衝撃的で、世界のアーティストが喪に服したといっても過言ではないでしょう。それ程、このグループ、そしてフレディーの存在は音楽界にとって重要であったと言えます。
でも、このフレディーの死の話題が、YAMA.K&ろ〜るきゃべるの交際のきっかけになったのは、不思議な感じです。


DARYL HALL & JHON OATES:ダリル・ホールとジョン・オーツ

ソウルなナンバーの曲を主体に歌ってきたデュオ。一見歌えそうにないオーツもいい声で歌います。でも、主はダリルの方が歌います。
YAMA.Kがはまったのは”MANEATER”という曲。ビデオ・クリップもまさに女性が男性を食べようかというような雰囲気のものでした。その後”OUT OF TOUCH”など、’80年代ではすでに、かっこたる地位をもっていた彼ら。ろ〜るきゃべつも好きな曲が多く、現在CDやらDVDやらを収集中です。
それぞれ、ソロ活動もしていますが、YAMAが知っているのはダリルの”DREAMTIME”位のもの。現在も活動中です。


U2

U2 U2
アイルランド出身の4人組のバンド。ヴォーカル、ボノの声は伸びとパンチのあるもので、これがU2だという存在感のあるもの。今や現在のビートルズとまで言われるようになったこのグループは現在も活動中です。すっかりおじさんになってしまいましたが、音楽界への影響力は大きく、AIDSやニューヨークのテロ事件(’01.9.11)の救済の為に、ボノの声がけで始まった活動は”WHAT’S GOING ON”というマービン・ゲイの曲をカバーしています。
YAMA.Kがこのグループを知ったのは、アルバム”THE JOSHUA TREE(ヨシュア・ツリー)”の頃。何枚かシングルカットされた曲のビデオ・クリップを見てのことでした。”WHERE THE STREETS HAVE NO NAME(約束の地)”では、どこの町だったか忘れましたが、突然のビル上でのライブ(いわゆるゲリラライブ)で、街中が騒然とする様子がおさめられていた。また、このアルバム中の”WITH OR WITHOUT YOU”はキムタク&ミポリンのドラマ(ドラマのタイトル忘れた。)で使われました。個人的にはこの曲も好きですが、”NEW YEAR’S DAY”が結構好きです。この頃はメンバーも若くて、白い雪の中での彼らの姿が印象的なビデオ・クリップでした。


DURAN DURAN:デュラン・デュラン

男性5人組のグループで、当時アイドル的なイメージを持たれていました。ですが、その後実力を認められ、いつしかそんなイメージは無くなり、現在もアルバム発表をして活躍中です。メンバーが少なくなってしまったりしてますが、現在では’80年代のオリジナルのメンバーで活動をしています。
このグループ名は、SF映画”バーバレラ”の出る悪役のデュランデュラン博士の名前からと言われています。
また、イギリス王室に招かれて演奏した事もあるグループなのですが、この時にヴォーカルのサイモンのズボンのチャックが開いていたというのは有名な笑い話です。
グループ内から別ユニットに参加するメンバーもいました。有名なのはPOWER STATION。”GET IT ON”はT−REXのカバーながらとっても売れました。’00年には再結成してアルバムを作ったりましたが、売れたかどうかは不明。
YAMA.Kが知ったのは”リフレックス”からになりますが、それ以前の”リオ”や”ガールズ・オン・フィルム”などは結構お気に入りになっています。


A−HA

ノルウェー出身の男性3人のグループ。当初紹介された”TAKE ON ME”のビデオ・クリップは実写とマンガをミックスしたような仕上がりで、こういったビデオ・クリップといえば”TAKE ON ME”、”TAKE ON ME”といえばこのビデオ・クリップという感じでした。
ヴォーカル、モートンの透き通って伸びるようなハイトーン・ヴォイスはとっても魅力的。やっぱりアイドル的な見方をされたと思いますが、実力がありそんなことは忘れ去られ実力派になりました。
YAMA.Kはやっぱり”TAKE ON ME”が一番好きです。”HUNTING HIGH AND LOW”なども、モートンの声がマッチしてていい感じで、ビデオ・クリップも面白い物になっていました。
しかし、残念なことに2010年に解散をしてしまいました。


CULTURE CLUB:カルチャー・クラブ

ボウイ・ジョージ カルチャー・クラブ
ヴォーカル、ボウイ・ジョージ率いるヴィジュアル系のバンド。ヴィジュアル系といっても、それを一身に背負っていたのがボウイ・ジョージです。男性なのですがバッチリ化粧し、(今では珍しくないのですが。)まるで女性のような感じでした。声も特徴的。
日本びいきで有名で、売れている頃、ビデオ・クリップに友達なる日本人が出てきたり、日本語を使ったりしていました。
また、そのスタイルのおかげで、なぜかニューハーフ系のテレビ番組などで、このグループの”KARMA CHAMELEON(カーマは気まぐれ)”という曲がよく使われます。
当時、同じようなスタイルのデッド・オア・アライブというグループがあって、そのヴォーカルのピートが当時の洋楽番組”ベストヒットUSA”内のインタビューでジョージのことを聞かれ、やや太り気味だったジョージに対して「彼は私の体重計に乗って、体重計を壊した。」と答えていたのはかなり面白く、2人の関係がよく見えたできごとでした。
YAMA.Kは”THE WAR SONG(戦争の歌)”で聴き始めました。これ以前の”MISS ME BLIND”なども良かったのですが、あんまり深入りはしませんでした..。(笑)


VAN HALEN:ヴァン・ヘイレン

”JUMP”という曲で知ったこのグループ。へヴィーなサウンドが持ち味だったようですが、この曲に関してはどちらかというとポップな感じだったので、それが気に入ったのかもしれません。
しかし、ヴォーカルが変わります。当初のデイブ・リー・ロスからサミー・ヘイガーに変わり、サミー・ヘイガーが辞めてしまった現在どうなっているのか。あんまりぱっとしたことを聞きません。
デイブ・リー・ロスはソロになって自分の友達と言われる女性陣を使って、ぱっと見にあった感じの軽いのりのビデオ・クリップを作っていました。それはそれで面白かったのですが..。
ヴォーカルを勤めた両人とも、パワフルなヴォーカル。デイブは軟派、サミーは硬派なイメージ。本当にどうなっているのでしょうかVAN HALEN。


PHIL COLLINS:フィル・コリンズ

もと”ジェネシス”のドラマー。YAMA.Kは”SUSSUDIO”(といってもジェネシスの曲ですが)で知りました。この言葉の響きと、ポップな曲調で結構聴く曲になりました。”TAKE ME HOME”のビデオ・クリップでは映像の中に日本(渋谷あたりだったと思う)が出て来たりして、とにかく本人が世界を駆け回って撮影したビデオが印象的です。
また、アース・ウインド&ファイアーのフィリップ・ベイリーとデュエットした”EASY LOVER”もビデオ・クリップは単純ながら面白い物でした。
最近ではディズニーのアニメ映画”ターザン”に曲を提供するなど、まだまだ活躍中でしたが、2011年子どもとの時間を大切にしたいと、音楽活動から引退をしてしまいました。
彼の場合、当時より髪の毛が薄く、老けて見えました。今はちょうどぐらいの感じですが、太ってしまいました。


BLONDIE:ブロンディ

ブロンディ デボラ・ハリー
美しい女性ボーカルが引っ張っていたこのバンド。
YAMA.Kが最初に出会ったのが”HEART OF GLASS”という曲。何で出会ったのかははっきり覚えてないのですが、他の曲も聴いてみたいと、CDを探しビデオを探して順々にいくつか発見してきました。ビデオ・クリップ集は必見です。
出会った曲の関係で、普通のポップな曲ばかりのバンドかと思ったら、これが以前はパンクっぽい雰囲気であってみたりで、とてもパワフルなパフォーマンスが印象的です。
また、やっぱり美しい女性がいると雰囲気が違います。その美しい女性デボラ・ハリーはルックスのみならず、張りがあり伸びのあるヴォイスがこれまた魅力的。
”HEART OF GLASS”では美しく響く声が、”EAT TO THE BEAT”では力強くパンチのある声だったりします。
デボラ・ハリーはバンド解散後、ソロで音楽活動する傍ら、女優として映画にも出演していたようです。


O.M.D:オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダーク

O.M.D
略さなければ、”ORCHESTRAL MANOEUVRES IN THE DARK”(暗闇の中の管弦楽的戦略)という、なんとも長い名称のグループです。
YAMA.Kがこのグループの曲を知るきっかけになったのが80年代当時のベストヒットUSAでした。
”SO IN LOVE”という曲のPVが流れ、ストーリー性は無いのですが、印象的な映像が流れ、曲調も自分のツボにはまりアルバムを購入するようになりました。
この曲についてはあまりそういう印象ではなかったのですが、作り出す曲はエレクトロポップに分類されるものです。
このグループの曲は、日本のスクーターのTVCMで”SECRET”という曲が使われたり、映画”PRETTY IN PINK”(プリティ・イン・ピンク 恋人たちの街角)のサントラに”IF YOU LEAVE”が収録されたりしています。特に後者はヒット曲となり、私も好きな曲の1つですが、これらの他にも”ENOLA GAY”も個人的にかなり気に入っている曲です。