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◆沖縄道州制論議2◆


沖縄自治論の現在(沖縄タイムス2008.09)
1 小橋川清弘「新たな「琉球処分」危ぐ/全県民で自治州像議論を」
2 真久田 正「独立の気概」持ち議論/独自法で自己決定権行使」
3 栗野慎一郎「嘉手納」跡に州都建設/南海道州で基地問題共有」
4 濱里正史「単独自治州実現の好機/避けたい中央集権道州制」

◆沖縄道州制論議1◆

◇沖縄の「特例型」道州制に関する提言(沖縄道州制懇話会2009年9月24日)

沖縄自治論の現在 ■1■
新たな「琉球処分」危ぐ/全県民で自治州像議論を


小橋川 清弘



 今年7月12日に開催された沖縄大学市民講座「道州制・自治州、あなたはどうする〜沖縄の自治と自立〜」の第二部、「第一回沖縄民衆議会」の議長であった私は、この会場に参加しているすべての皆さんが議員であるとし、次のようなあいさつで初の民衆議会のスタートを切った。
 古来ネーティブアメリカンでは部族全体にかかわる重大事に際しては、長老の独断で決めるのではなく、カウンシル・ファイヤーという村民の代表が集まる野外議会で討議をしてものごとを決定してきたことに学び、そのカウンシル・ファイヤー方式での発言および聞く姿勢と態度をお願いしたい。
 カウンシル・ファイヤーでは発言者の発言を遮ったり、ヤジを飛ばしたりということが禁止されていたことにちなみ、紳士的に進行していきたいので協力をお願いしたい、と

「民衆の議会」

 ポスターやチラシでの呼びかけで、発言したい人は事前に十分程度の発言内容の要旨をファクスかメール等で事務局へ提出することを義務づけていた。もし発言希望者が出て来ない場合に備えて、呼びかけ団体の一部から発言者の事前準備も行った。ところが全日の最終調整会議までに提出された発言希望者は予想をはるかに超えた総勢13人となり、発言時間を五分に縮めさせていただいた人も半数ほどいた。
「民衆議会」と銘打ったのは、大学の教授や専門的な研究者のためのものではなく、あくまでも一般市民的な発想から、常日ごろ沖縄の将来や「道州制」等について考えている人々の集まる「民衆の議員」にしたいという思いからであった。
 13人のおのおのの発言を紹介することは不可能であり、本稿では省略せざるを得ないが、共通して言えることは、奇をてらったものではなく、真剣に沖縄の将来を憂い、あるいはこうすれば経済的にも自立が可能だ。と多くの提言がなされたことである。参加者も発言を遮ったりやじることなく真剣に聞き入った。
 そもそも「道州制」議論が出てきた背景には、これまでの一部エリート官僚による各省庁を通した国家統治が不可能なほど財政的に国家が破たん状況にあるという現状がある。国民一人約一千万円に上る国の借金を返済することが現在のはシステムでは不可能であり、「道州制」という名の下に、国がやっている仕事の多くを地方へ移譲し、国の仕事は減らすが税収は国にできるだけ残し地方には無理を強いて頑張ってもらうしかない、そういう構図が見えてくる。

残される10年

「道州制ビジョン懇談会」(総務大臣の諮問機関)の「中間報告」(2008年3月20日)では、11年道州制基本法、19年までに道州制完全移行の方針を打ち出し、「自由民主党道州制推進本部第三次中間報告案」(08年7月4日)では、16年−18年をめどに導入、それも連邦制に限りなく近い道州制の導入を目指すとしている。残された時間はあと10年ほどしかない。
 こうした政府や自由民主党の動きを座して見ているだけでは、沖縄は多くの基地を押しつけられ、財源も十分に移譲されることなく、中央の思い通りの新たな「琉球処分」を強いられてしまう。さらに、沖縄は米軍基地を多く抱えているから、その分財政措置を多くくれと言っても、国にお金がない現状ではその論も通らない。こうした認識が多くの参加者の思いではなかったかと思う。
 06年6月に小泉政権の下で強行採決された「後期高齢者医療制度」が2ヵ年間国民に何らの説明もなく今年4月15日に、保険料が年金から天引きされるという国民にとって寝耳に水の状態で制度が執行されことを私たちは忘れてはならない。「道州制」導入への動きは知らないうちにレールが敷かれていたでは済まされない問題である。

民の英知結集

「民衆議会」を閉じるに際し、議長権限で本日の参加者全員が議員である資格に基づき、道州制議論に際し沖縄は「単独州」とすべきか、あるいは「九州州」に入るべきか、「東京特別州」を巻き込んで東京と一緒にやるべきか、「南海道州」とすべきか、民衆議会での発言者の主張に基づき議決を取ることにした。結果は圧倒的多数が沖縄「単独州」に挙手した。
 この意思表明こそが、民衆議会の民衆議会たる所以である。私たちは自らの意思を自らの責任において表明し、責任を表明して、実行しなければならない。沖縄はかつて一つの国家であったという歴史的と背景も含め、単に「沖縄単独州」とするだけはなく「沖縄特別自治州」として、必要と思われるすべての権限を国に要求し、他の「道州」とは異なったものにする必要がある。そのためにも、県民みんなの知恵と意見を出し合い、「民衆議会」を県内各地で立ち上げ、本格的な議論が構築され、県民みんなで作り上げる自治州像を実現すべきである。

【こばしがわ・きよひろ 1957年、読谷村生まれ。読谷村立歴史民俗資料館長。県博物館協会長。自治体学会会員。81年から読谷村役場勤務。編著に『読谷の先人たち』(2005年)など。/沖縄タイムス08.09.09】


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沖縄自治論の現在 ■2■
「独立の気概」持ち議論/独自法で自己決定権行使


真久田 正



 昨今の道州制をめぐる沖縄の世論は、かつての復帰運動の時代にどこか似ているような気がする。圧倒的に多くの県民が沖縄単独州に賛同している現状は、何だか嬉しいような、反面どこか危ういような気もする。

復帰運動の轍

 復帰運動のころと似ている点は、今日沖縄経済同友会をはじめ地元経済界そして自民党までもが沖縄単独州に賛成しその実現へ向け動きだしていることだ。ただし、1960年代の初期ごろはそうではなかった。当初、地元経済界は「復帰したらイモと裸足の社会に戻る」として復帰に猛反対していた。しかし、60年代後半以降、日本政府が施政権返還にうごきはじめてから、やがて保革ともに復帰に賛成するようになった。
 ところが、復帰運動はその後日米政府間の裏取引や密約に足をすくわれ、蓋を開けてみれば「核も基地も残す欺瞞的な復帰」となってしまった。どこか危うく感じるのはそのためだが、他方、復帰後沖縄は結局「イモと裸足の経済」にはならなかった。
 そういう過去を振り返ってみると、今日の道州制をめぐる議論においてもあの復帰運動の経験を踏まえ、その轍を踏まぬよう今から十分警戒し、準備しておく必要があるのではないかと感じている。

「単独州でも」

 さて、先月8月23日に県主催による「道州制に関するシンポジウム」が開かれた。そして、翌日(24日)本紙朝刊にその記事が掲載されたが、同紙面に政府の道州制ビジョン懇談会座長・江口克彦氏のインタビュー記事が同時に掲載された。わたしが注目したのはこの江口氏のコメントである。
 インタビュー記事によれば、江口氏は以前財政面での懸念を理由に沖縄の九州への編入を唱えていたが、あれは「沖縄の人がどう反応するか。やる気を出してくれればと思い意図的に言ったもの」で、実はご本人も「沖縄は単独州でもいいと考えている」と報じられている。また、それより数日前、同氏は単独州の財源問題に関連して「基地税」のアイデアを提唱し、先のシンポジウムでもそれが話題になっていた。そこで、以下では同氏の発言に関連して私見をのべてみたい。
 深読みすれば、江口氏の発言はご本人が意識されていたか否かにかかわらず「沖縄は単独州を通し、いずれ独立してもいいのではないか」という趣旨にも読み取れる。「仮に経済的に厳しくなるとしても県民は単独州を選ぶのだという意欲を示してほしい」ということは、言い換えれば「独立するくらいの気概をもてよ」という趣旨とも受け取れる。
「沖縄が自分たちで地域のことを決められるようになればいろいろなアイデアが出てくると思う」との発言も裏を返せばそう読める。
 腐敗した日本の官僚社会から離脱し、沖縄独自の州法を創り、地域の自己決定権を行使するようになれば、確かにいくらでもアイデアは出てくるはずなのである。
 また、単独州の財源に関する記者の質問に対し、氏はモナコ公国の例をもち出しているが、これなどはまさしく小国独立論の一例にほかならない。特に「(同国は)所得税や相続税、不動産税をゼロにしているので世界中から超セレブの金持ちが集まっている」などというのはまったく同感だし、「これを沖縄全体に適用すれば」という意味は、まさに独立論を示唆しているようにも受け取れる。

基地の固定化

 さらに、先のシンポジウムでも話題になった「基地税」について、基地の固定化につながらないかという記者の質問に対し、氏はそうではないとはっきり反論している。紙面の関係上詳細は省くが、わたしはこれについても賛成である。基地負担を等しく全国民に課し、常に全国民の意識を喚起するという意味ではこの案はきわめて有効だと思う。
 それに「基地の固定化」というなら、その実行如何にかかわらず、このままいけば単独州になっても基地は残る(固定化される)のだから同じことである。それより今からいろいろアイデアを出し合い真剣に検討して行く方がはるかにましであろう。例えば観光税や昨今話題のカジノとからめるとか、あるいは逆に先にみた所得税、不動産税等の免除とからめるなど方法はいくらでもあるはずである。
 そうして、最終的には独立するくらいの気概をもって単独州の財政・法制度について検討すべきではないか。逆にいえば、それくらいの気概もなくて単独州を望むのは虫がよすぎる。江口氏の発言はそう示唆しているようにも感じられる。
 また、実際そうでなければ、我々は結局あの復帰運動の轍を踏むことにしかならないのではないか。わたしはそう思うのだが、どうだろうか。
【まくた・ただし 作家。1949年石垣市出身。『白いサメ』で第4回海洋文学大賞(童話)、『ザン』で新沖縄文学賞などを受賞。現在、宜野湾マリーナ港長。/沖縄タイムス08.09.10】


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沖縄自治論の現在 ■3
「嘉手納」跡に州都建設/南海道州で基地問題共有


栗野 慎一郎



 一つの記憶について語ることから始めたい。
 それは2000年夏、沖縄サミット開催前日の記憶だ。その時、私は嘉手納基地を包囲する人びとの中にいた。なによりもよく晴れた真夏の沖縄の日差しがあり、麦藁帽子とタオルで武装しても日差しは容赦なく天頂から頭頂に突き刺さり全身を射し貫く。そのような日中に数時間立ち続けた影響だろうか。こんなあらぬ「妄想」まで抱かせてしまうのだから、まったく「太陽は罪な奴」だ(いやいや、思考はある日私に到来するのだ、太陽の光や星の光のように)。

暴力から解放

 その日に感じたことをすべて言語化できるとは思わない。しかし、記憶と思考の糸をたぐり寄せて記述を開始することで、私は「その言葉」に到達したい。
 たとえば、確かにその日の横断幕や立て看板には「世界中の軍事基地を撤去する」という趣旨のことが書かれていた。「世界中の軍事基地を撤去する」ことは可能か。おそらく可能だ。しかしそのためには、まず目の前のフェンスを(つまり嘉手納基地を)内側からも同時に「包囲」することが必要だ。そして地球上のあらゆる「軍事基地」の周囲を(つまり中国やロシアの「軍事基地」の周囲を)同時に「包囲」することが必要だ。
 秘密めいたお祭りやイベントのように、世界同日同時刻に地球上の数百万数千万の人々が「軍事基地」の周囲に無言で集い、無言で手を結び合う。そんなことが可能なら、そんなイベントが繰り返されるなら、私たちはいつか「世界中の軍事基地を撤去する」ことが可能だろう。「ベルリンの壁」を崩壊させたように。私たちは「人類の軍事力からの解放」という、とてつもなく大きな課題に立ち会っているのだ。青く突き抜ける空の下で熱と光につつまれて私が感じていたのはまずそのようなことである。
 つまり「人類の進化の過程(課題)としての軍事力(暴力)からの解放」という「妄想」だ。そして、その時の私(たち)の行動を理念的に支えていたのは、沖縄県が2015年を目途に在沖米軍基地の計画的・段階的返還を目指して作成した「基地返還アクションプログラム」(1966年に「素案」として発表)と「国際都市形成構想」だったに違いない。

周縁を中心に

 現在の「道州制」論議で心配なのは、「基地問題」が置き去りにされる危険性である。特に、「アクションプログラム」に示された「全米軍基地撤去」の方針が沖縄県自身の手で正式に葬り去られるのではないか。
 このような危惧から、私にもう一つの「妄想」が生まれた。そして7月12日の「第一回沖縄民衆議会」の場で「南海道州の会」として「妄想」の一端を披瀝させていただいた。「妄想」とは何か。嘉手納基地を返還して、その跡地に「南海道州」の「州都」を建設するというものである。
「南海道州」とは何か。それは古代の「海道」「道州制」に着目しつつ、「周縁」を「中心」化する戦略である。具体的には、和歌山、徳島、高知、(香川、愛媛を入れてもいい)、宮崎、鹿児島、沖縄の六県(八県)で「南海道州」を構成する(「南海道」は、歴史的には古代律令(りつりょう)国家の広域行政区画「五幾七道」の一つ。『延喜式』[905年]では、紀伊、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐の六国が所属)。
 会後の反省会で異論が出たように、「基地返還」と「道州制」を直接結びつける上記の考え方は理解しにくいかもしれない。だが、「道州制」の問題と「基地問題」とは実は構造的に同一の問題だと私は考えている。
 「米軍再編」「構造改革」「グローバリズム」等、現代社会が抱える問題の多くは現行の国家システムの限界を如実に露呈させるものだ。つまり、近代「国民国家」の解体と再編という課題に私たちは直面しているのだ。「道州制」論議には、近代「国民国家」の限界を根底的に超えていく可能性が含まれていると感じる。

脱植民地主義

 ただしそのためには、現状追認式の「区割り案」ではなく(「近代」150年ではなく)、「古代」からの「建国」1500年余の時間に依拠しつつ、「周辺地域」(東アジア)に開かれた「領域」(エリア)として「海道」「道州制」を再構想する必要がある(「東海道」「西海道」「北陸道」「東北道」「北海道」「南海道」等)。そして、「中心」(州都)はできるだけ「周縁」に置く方が良い(「西海道」の州都を「対馬」に、「北陸道」の州都を「佐渡」に建設する等)。
 「南海道州」案にはまた、「脱植民地主義」の実行という、具体的な実践の意義もある。沖縄の「脱軍事基地化」に他県民が積極的に関与することで、日本人の「植民者」としての自己像を相対化する道が開けるはずだ。
 現時点で、「南海道州」案は「妄想」の域を出ないかもしれない。しかし「妄想」から生まれる「真実」というものもある。オノ・ヨーコは「一人で見れば夢でも二人で見れば現実」と言ってのけた。
 「人類の暴力からの解放」を夢想した「あの夏を忘れない」ためにも、「基地問題」を棚上げした沖縄「単独州」案に、私は反対したい。
【くりの・しんいちろう 1959年東京生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。87年来沖移住。歴史資料編集等に従事。「南海道州の会」発起人。論文「幕末維新期の『琉球情報』に関する史科学的研究」など。/沖縄タイムス080911】


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沖縄自治論の現在 ■4■
単独自治州実現の好機/避けたい中央集権道州制


濱里 正史



 最近ようやく道州制を巡る議論が県民の話題に上るようになってきている。しかしながら、その中身は、玉石混淆で今後の議論の深化が求められる。
 筆者は二〇〇四年から、沖縄自治研究会による住民参加型ワークショップ「沖縄自治州基本法試案」づくりに参加し、その中で、道州制に関する議論を経験した。ここでは、沖縄自治研究会における沖縄の自治と道州制を巡る議論とその後の国や県の動向を踏まえた私見を述べることにより、沖縄における道州制の在り方や自治に関する県民議論の一助としたい。

基本スタンス

 琉球・沖縄は「@歴史的・地理的特性」及び「A地域的一体性」の観点と、民主主義の基本原則としての「人民(地域)の自己決定権」にのっとれば、独立する権利をも有する地域である。しかし、当面は、その権利を留保し、日本の他地域よりも高度な自治権を有する沖縄単独特別自治州を選択するのが現実的で今の沖縄に最もふさわしい。
 また、道州制の導入の可否にかかわらず、沖縄が単独州か九州や東京に編入されるかといったことに関係なく、国と地方の行財政改革が不可避な今、少ない財源で効率的な地域運営を行うことが求められている。そのためには、地域のことを最もよく知る地域の人々と地方政府が決定権を持つことが重要であり、こうした点からも沖縄単独特別自治州の実現が待たれる。

自治州と道州制

 沖縄における道州制議論において注意しなければならないのは、そもそも、沖縄における特別県政を含む自治州構想と日本における道州制議論は、本質的に異なるという点である。
 沖縄自治州構想は、復帰前からある議論で、その本質は、沖縄の地域特性にふさわしい、他地域よりも高度な自治を有する地域として沖縄を日本に位置付けようという点にある。したがって、地方分権は沖縄自治州の絶対的前提条件である。
 これに対し、道州制は必ずしも、地方分権を前提としない。昭和初期の「州庁設置案」が官選の州長官を、昭和三十年代の道州制議論が中央集権的な官選知事を志向したことなどを考えれば、むしろ中央集権の強化論と結びつきやすいと言える。
 中央集権型道州制や財政再建型道州制といったものも考えられるのである。

道州制議論の方向性

 筆者は今のところ道州制推進に賛成であるが、それにはただし書きが付く。それは、現在進められている道州制が、沖縄自治州構想と方向性を同じくする地方分権型であり、一定の財政改革はあるにしろナショナルミニマムの観点からの財政調整制度が、地方分権を担保する形で保障される限り、ということである。
 今のところ、道州制は地方分権型を標傍しているが、最終的に、中央集権型道州制にならないか、地方財政を破綻させる過度な財政再建型道州制とならないかについては十分注意が必要である。
 筆者が現在の道州制推進を支持する理由は、沖縄自治州構想の実現性に関連する。
 民主主義や自治が未熟で、比較的均一性の高い日本の中で、沖縄だけが特別な自治を獲得するには大きな困難が伴う。おそらくこれが、沖縄自治州構想がこれまで実現しなかった最も大きな原因と思われるが、地方分権型道州制を国全体で導入しようとしている今は、沖縄自治州実現の好機と考えられる。
 さて、以上の議論を踏まえると、沖縄の今後の主な方向性としては、表のように四つ考えられる。最も望ましいのは、「@地方分権型道州制下での沖縄単独特別自治州」であり、最も避けたいのは、「C中央集権型道州制」である。
 悩ましいのは、このどちらも道州制推進の先にあるということである。沖縄単独特別自治州を目指した結果が、財政調整制度のない中央集権型道州制では、沖縄にとってのメリットはほとんど無い。
 最も無難な選択は「B現行の都道府県制度のまま」であるが、現行制度の行き詰まりは明らかであり、「ゆでガエル」的な事なかれ主義が沖縄の将来を良い方向に導くとは思えない。
 私見としては、「@地方分権型道州制下での沖縄単独特別自治州」を目指すというのが最も有力な選択肢であるが、道州制の制度設計の行方次第では、道州制そのものに反対しつつ高度な自治を求める「A都道府県制下での特別県政」も次善策として視野に入れたいところである。(おわり)

@地方分権型道州制下での沖縄単独特別自治州
  *道州制−推進/*自治権−高
A都道府県制下での特別県政
  *道州制−反対/*自治権−高
B現行の都道府県制度のまま」
  *道州制−反対/*自治権−低
C中央集権型道州制
  *道州制−推進/*自治権−低

【はまさと・まさし 1965年生まれ。沖縄ライフプラン総合研究所総括研究員。筑波大学大学院単位取得退学。2000年に帰沖、沖縄地域工学研究所研究員等を経て現職。04年より「沖縄自治研究会」に参加。/沖縄タイムス080912】

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