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つらら 一月十三日 |
「北国日より定めなし」と芭蕉のよんだ通り、小雪が舞うかとおもうと、雲間から急に驚くほど澄んだ光の落ちてくる、冬の一日。 天地玄黄須臾をたるひのうすみどり 薫 |
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これはなんでしょう?抽象画?いえいえ。 爬虫類の冷たい足を持った小鳥達、実を啄ばむときのひたぶるさ。餓えがこんなに綺麗な痕を残すとは知りませんでした。 |
雪の上 一月六日 |
朝朝の寒禽の餓ゑさはやかに雪を汚せり汚しつくせよ 真っ白でいるよりも汚れることは、暖かい。かな? 雪汚しけり大方は食らふため 薫 |
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水仙 十二月三十日 |
北陸には珍しい快晴の一日、越前海岸までドライブしました。 誘われてうかうかと外に出れば海からの風は冷たく激しく、断崖はきびしく、とてもゆっくり花の香りを楽しんではいられません。 沖に雲疾し水仙の抱き重り 薫 |
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冬苺 十二月二十三日 |
冬の山道、枯れた色ばかりの中にパッと目立つ赤い色。 食べて見るとたしかに苺の味がするけれど、あまり香りはなくてそう美味しいものでもない。 一粒の日見失いそう冬苺 薫 |
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雪吊り |
雪国の冬の風物としてあまりにも知られた雪吊り。 お天気のいい昼下がり、お隣のおじいちゃんが、お庭の楓の木の雪吊りをしていました。さすがに堂に入ったものです。 雪吊りのききと夕空近きかな 薫 12月16日 |
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柚子 12月9日 |
庭に古い柚子の木があります。 |
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落ち葉道 12月2日 |
山の奥へと上っていく黄葉の道。 銀杏落ち葉の厚く積もった細いその道。 昼なのにこんなに暗い道は何処へ通じているのか。 藍古九谷の皿にもしばしばえがかれている銀杏の葉は、 いかにもはらはらと散る時のためにデザインされたような形をしている。 枯れ葉の不思議にしなやかで拾えば指に阿る手触りも、太古から生き残った銀杏の木の生命力をかんじさせる。 人麻呂に、黄葉のなかに亡くなった女性が迷っているという歌があった。黄色は黄泉に通ずるのか。 薄明るく妖しい黄落の道。 黄落やふいに稗田阿礼のこと 薫 |
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焚き火 11月25日 |
裏庭で、焚き火をします。 枯れ葉や剪定した枝など、この季節焚くものにはことかきません。萩を刈った日の焚き火は大きな火になります。 この日は菊を焚きました。 菊焚いて香を訝しむごとくゐる おるか この句は自分でもよくわかりません。 |
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冬の紅葉 11月18日 |
立冬を過ぎたといっても、このあたりの里山の紅葉は、いまがさかりだ。 林道を少し登った橋の上からこの大楓をみおろすと、枝のむこうにちいさな滝があって、山気が迫ってくる。流れに沿ってゆくと谷川の自然という庭師の石組みは変化に富んで、見飽くことがない。 あちこちの落ち込みにはイワナがひそんでいたものだ。 とは言うものの足元に目を落せば、釣り人の残したらしいゴミや切れた釣り糸などがあって悲しくなる。不法投棄らしきゴミも散見する。 橋に立つたびに、流れの上に枝を広けた一本の木の美しさに驚き、人間の落し物の醜さに悄然とする。 若冲の鳥の目ひそむ紅葉かな 薫 伊藤若冲(1716〜1800)画家。見ること描くことに憑かれた人だろう。若冲の鳥の目は皆見開かれて、こちらのやわな”人間性”なぞというものを突き破ってくる。 この紅葉は川にかぶさっていて、橋の上から上流に向って撮りました。向こう側は、ちょっとした滝になっていて、そこで釣った岩魚が、僕のこの川での記録です。9寸(ほぼ27cm)でした。川の大きさにしては、ちょっとした大物です。(オットセイ) |
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冬の川 十一月十一日 |
家はこの川の流れ出てきた山の奥にあります。 遠くに見える村落のはずれです。 真直ぐに仕切られてなんだか流れてゆきたくなさそうな川。 小さな流れはすこし濁っていますが、ウグイが泳いでいます。 平地に出て初めてゆっくりと雲を映している川。 これから町に出ればますます濁ってゆくのでしょう。 十年も前に、一度、たったいっぴきだけさくら鱒が海からこの川を遡って産卵にきたことがありました。 風景の中を流れていく水は生き物のように表情を変えて見飽きることがありません。 川浪や冬の日雲母(きらら)刷くごとし 薫 |
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