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裏山の
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竹やぶを背に十メートルほどの柿ノ木。 柿の木の暮れ極楽も暮れにけり 薫 |
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菊の花はちょっと苦手だった。 食用菊は好物でむしゃむしゃたべる。花を食べるのが好きなのだ。 枝の間の空のしたたる菊膾 薫 |
小菊 十月二十八日 |
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秋の空 十月二十一日 |
毎日見上げる空でも、一日として同じ空はない。 あたりまえのことだが、うれしい。 ある日風が変わって秋になった。空は夏の熱気から開放されて高く高く澄んでいる。 見慣れた山の稜線の上を雲が流れてゆく。 秋の空は他のどの季節の空よりはるかだ。 その空の下で人は様々のお祭りを行う。 柴山潟干されて秋の空もまた 薫 |
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大笑茸 十月十四日 |
林道沿いに生えていた、みごとなオオワライタケ。 川上弘美の「センセイの鞄」でセンセイの奥さんが〈何よ〉という感じでこの茸をひとかけ食べて病院に運ばれるエピソードがありました。後に手品師になってサーカスの人と駆け落ちするというとても魅力的な女性を生き生きと印象づける挿話でした。 私はもちろん食べたことはありません。 このごろやのどかに帰忌のどくきのこ 薫 帰忌(きこ)は暦で旅、転居、婚姻などを忌む日だそうで、出不精のわたしには毎日が帰忌日です。 |
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白花時鳥草 十月七日 |
時鳥草(ほととぎす)、この花の紫色の斑点が鳥のホトトギスの胸の斑に似ているという。しかしこれは香炉峰の雪のような白花。白楽天という別名がある。 増殖す白時鳥草缶偏 薫 缶偏(ほとぎへん)。ほとぎとは口は小さく胴のふくらんだ器のこと。 |
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遠くからはあるように見え、近づくと形がみえない帚木という木とは、何がもとになった伝説なのだろう。 まどろみの頬や帚木紅葉して 薫 |
帚木の薄紅葉 九月三十日 |
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露草 九月二十三日 |
「帰るべもなきいにしへをそは露草の花のいろ」と歌われた露草のそのはるかな青。天空の色、光の青。手に取れないものの輝き。 古代エジプトの王墓を飾る黄金とラピスラズリ。黄金は不壊のラピスラズリは再生の象徴といわれるが、露草の珠もまさに栄養分が再吸収されて再生に使われるのだそうだ。 青は往古にはただ茫漠としたはっきりと定め難いものを指した。また古九谷青といえば現在の青緑に近い真夏の森の輝く濃みどりを指す。 夢の夢のゆくへ露草明かりかな 薫 |
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穂芒 九月十六日
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暑く長かった夏が去りふと振り返るともう芒の穂がゆれています。 このあたりでは丁度今が芒の見頃です。 穂芒の風にそむくは美しき 薫 |
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酢橘(すだち) |
徳島の友人が毎年送ってくれる酢橘。 さわやかな酸を焼き魚や鍋物やうどんに振れば、美味しいけれどちょっと淋しい。 濃みどりのすだち木霊の香りかな 薫 |
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草の穂 九月二日 |
村はずれの山の端に弥生時代から平安初期の住居のあとが発掘されたのは去年のことです。 川床の跡に沿って、小さな掘建て柱の穴がほつほつと並んでいました。 炉だったものかやや大きな丸い穴、土器の破片がいっぱいの穴。かなり長い時代にわたる、ささやかな家居の痕跡。 山や川のたたずまいは現在とそう変わらないようだと発掘作業をしていた女性が言っていました。 その当時の人々は、川の音や虫の音になにを思ったのでしょう。 今その場所は埋め戻されて一面の稲科の雑草が風にゆれているばかりです。 天地根源造茫茫草の絮 薫 |
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