縄文文化を巡る!  

 2017年「waiwai隊」 縄文遺跡を巡る旅

新潟県長岡市・馬高遺跡 ≪2017年10月21日≫

  秋の東北巡りは、当初は@遺跡巡りA山行B撮影、の三行程の予定で計画しました。@については、天候などに左右されませんが、AやBについては現地に着いてからの変更は仕方ありません。今回のようなフルムーン切符を使っての旅は、予約は一月前に済ませていますから・・。今回の旅のスケジュールについては、下記に載せましたが。一番の変更点は三日目の≪城ヶ倉大橋から蔦七沼≫への変更でした。変更前は八甲田山への撮影を兼ねた山行でしたが、前日に仕入れた現地情報で断念となりました


 日曜日からスタートした今回の旅も今日が最終日となりました。小生、当初は「バス便はあるんかなぁ〜、タクシーで行かなダメかなぁ〜」と内心思っていましたが、相棒が「駅からバスが出とるヨ」と、≪JR長岡駅大手口より柏崎行き 関原南下車徒歩5分≫の馬高縄文館のホームページの案内にあったアクセスの情報を参考とし、「まずは、バス便をチェック」と、8時過ぎにバス停に着きました。

 時刻表を確認すると、8時25分とあり、暫し待つ間、日曜日にもかかわらず同じ停留所に居た高校生達は、全員先発の“急行”に乗り込んで出発してしまい、直ぐ後に来た目的のバスには、5名ほどしか乗り込みませんでした。バスは、信濃川を渡ってICの停留所などにも停まりながら、9時前に目的の“関原南”に着きました。私たちの他には、男性が一人降りたのでした。


【関連リンク先】 馬高縄文館 

 ・10月15日(日) 
 松山  岡山京都〜京都大学総合博物館 京都市
 
 ・10月16日(月)  
 京都 東京新青森 
 青森市 
 ・10月17日(火)  
 青森市   〜城ヶ倉大橋(撮影)〜蔦温泉・蔦七沼(撮影)〜十和田湖 
 ・10月18日(水)  
 十和田湖   〜奥入瀬渓流(撮影)〜七戸町(二ツ森貝塚遺跡)〜八戸市 
 ・10月19日(木)
 八戸市   〜是川石器時代遺跡(是川縄文館)  岩手県一戸町・御所野遺跡(御所野縄文博物館)〜八戸市 
 ・10月20日(金) 
 八戸市   〜八戸市博物館〜八戸  大宮   長岡市 
 ・10月21日(土)  
 長岡〜馬高縄文館〜新潟県立歴史博物館〜長岡  東京  岡山  松山  
 

 バスを降りると、すぐ先に案内板がありました。同じバス停で降りた方も同じ方向へと交差点を曲がったので、馬高縄文館へ行くのかと思ったら、右手に見えて来た縄文館には寄らず、歩道を真っ直ぐ進んで行きました。開館前の駐車場には数台の車が停まっていました。

 そして、駐車場の案内板には下記が書かれていました。



【史跡馬高・三十稲場遺跡】


◆馬高・三十稲場遺跡(関原町1丁目)は、信濃川左岸の段丘上に位置する縄文時代の大規模な集落跡です。「遠藤沢」と呼ばれる小さな沢をはさんで、東側に中期(約5,000年前)の馬高遺跡、西側に後期(約4,000年前)の三十稲場遺跡が広がっています。標高は約60〜65mです。


◆これまでに数多くの遺物が発見されており、馬高遺跡は「火焔土器」発祥の地として、また三十稲場遺跡はヒスイや滑石などを加工した玉づくりのムラとして著名です。昭和54年に両遺跡のほぼ全域約45,000uが国史跡に、平成2年と14年には最初に発見された「火焔土器」と主要な出土品が重要文化財に指定されています。


◆長岡市教育委員会では、この史跡の保存・活用をはかるため、保護盛土や植栽、復元住居の建築などの環境整備事業を進めています。
平成21年9月には、史跡のガイダンス施設である馬高縄文館が開館しました。

≪火焔土器≫ (重要文化財)



「火焔土器」とは、この1個の深鉢につけられ
た愛称です。関原町の近藤篤三郎が1936
(昭和11)年の大みそかに発見した。と伝えら
れています。口縁部の装飾的な突起が燃え
あがる炎をイメージさせることから、その
名前が生まれました。
その後、考古学者・中村孝三郎の研究によって、
「火焔型A式1号」と分類され、火焔型土器の
基準資料になりました。新潟県はもとより
日本の縄文文化を象徴する存在です。

 
 上掲の“火焔土器”は馬高縄文館には展示していなくて、『貸出中』の表示がありました。しかし、私たちは、この旅の初日に“京都大学総合博物館”で開催中の展示会で“本物”を目にしていました。馬高縄文館を入ると、最初に展示しているのが“火焔土器”ですが、当然、こちらはレプリカです。以下にも登場するこれらの経緯については、結果オーライでした。
 
≪縄文館の展示品≫

 

 

 

 


≪火焔土器の特徴≫コーナー


≪特別展示コーナーは、撮影禁止≫

 


≪長岡の火焔土器≫



長岡市内の遺跡で発見された火焔型・
王冠型土器とそのなかまです。馬高遺跡
のある西山丘陵側では、与板地域の
徳昌寺遺跡、三島地域の千石原遺跡、
長岡地域の岩野原遺跡では、多数の
火焔土器が出土しました。
一方、信濃川を挟んだ東山丘陵側では、
長岡地域の山下遺跡や中道遺跡、栃尾
地域の栃倉遺跡などの火焔土器が代表的
です。これらの遺跡を含めて、長岡市内
では約30か所で出土しています。


 

上掲右 ≪火焔土器以前の在地の土器≫

火焔土器様式が登場する以前の新潟県
地方には、富山県や石川県などの北陸
地方に勢力をもつ「新保・新崎式土器
様式」が広がっていました。竹などの
軸を縦割りした工具(半裁竹管)を使って、
断面がカマボコ状の隆線をえがき、文様
を表現するのが特徴です。
長崎市の千石原遺跡(三島地域)にみられ
るように、山形状の口縁部をもつ一群が
発達し、その流儀は火炎土器を生み出す
基盤となりました。



 

   

  
≪上図中の土偶はレプリカで、実物は京都大学総合博物館の特別展展示の為、貸出中≫

≪土偶(通称 ミス馬高)≫ (重要文化財)


≪京都大学総合博物館 展示≫ (2017年10月)

粘土でつくられた女性の人形です。馬高遺跡の土偶には、
河童のように頭部が皿状にくぼむ特徴があります。
胴部には乳房やヘソなどを表現しますが、足は省略されています。
全体を復元できる例は少なく、ふつう頭や手がバラバラになって発見されます。
(馬高縄文館 解説シリーズNo。1)
 


  

  


≪三十稲場遺跡≫

 

 
 

 

 展示品を見終え、受付嬢に「ここには国宝の展示は無いのですか?」と尋ねると「えぇ〜、重要文化財はありますけど、国宝の展示は十日町で見れます」との事でした。縄文館を出ると外の広場でオジサンが数名、何かの準備をしていました。板に火をつけた傍には土器のようなものが並べられています。聴くと「先日作った土器を焼く」とのことでしたが焼きあがるのに3時間ぐらいはかかるとのことでしたので、私たちは「この先に県立歴史博物館があるから、見てきたら良い」との薦めで、歩いて行くこととしました。
 
 県立歴史博物館の見学を終え、再度『野焼き』の場所へ立ち寄ると「あと少し焼く」との事でした。また、一部の土器については割れてしまったとの事でした。このイベントの見学には、母子連れの方なども訪れていました。

 帰路のバスは、縄文館で頂いたバス時刻表にある二ヶ所のバス便の内、往路に利用した便のバス停にしました。しかし、道路の向かい側のバス停は、降りたバス停より信号の一つ先にあって、旗を持った高校生に尋ねて、やっと見付けることが出来ました。駅までのバスから見える景色とともに、随所で高校生と警察官の姿に『少し遅れたら“駅伝大会”に出合う事となって、大変なことになったかも・・』でした。