縄文文化を巡る!(番外編)  
 「waiwai隊」 縄文遺跡を巡る旅・・京都大学総合博物館
 2017年10月15日(日)
 春の≪北海道・北東北縄文遺跡≫を辿る旅の続編で、再び東北を巡る計画を立てている際、相棒の「それならいっそ、新潟で見つかった火焔型土器を見に行くのはどう?」との提案。そして、その計画を立てていると、丁度、計画の実行時に京都大学で≪火焔型土器と西の縄文≫と題し、国宝に指定された土器の展示などが開催されていることが判明。新潟に加えて一連の計画に京都へ立ち寄ることを加えました。
 京都大学総合博物館 平成29年度特別展
≪火焔型土器と西の縄文≫の案内チラシには、以下が書かれていました。

 縄文時代1万余年の中で日本列島には、さまざまな縄文土器があります。火焔型土器は、現在の新潟県に相当する地域で出土する、約5000年前の縄文土器です。火焔型土器とは、大きな突起と立体的文様とが燃えさかる炎を連想させることに由来するニックネームです。火焔型土器のデザインは、容器の概念を逸脱しているように見え、多くの人びとに注目されています。
 新潟県の6市町(新潟市、三条市、長岡市、十日町市、魚沼市、津南町)で組織する信濃川火焔街道連絡協議会は、火焔型土器を活用した地域振興および広域観光を推進しています。同協議会は、火焔型土器などを構成文化財として、文化庁の日本遺産に平成28年に申請し、『「なんだ、コレは!」信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化』の名称で、その認定を受けました。本特別展は、日本遺産認定を記念し、第1部で火焔型土器や同時代の土偶や石棒などの出土品を通して、その実態と魅力を多面的に紹介します。そして第2部では、京都大学の資料によって、火焔型土器と同時期の全国各地の土器を概観するとともに、100年の歴史をもつ考古学研修室が調査した西日本の縄文遺跡の出土品、大学構内や周辺の縄文遺跡の調査研究成果を紹介しながら、西の縄文の観点から火焔型土器について考えます。

 
 正午過ぎの京都駅前のバス乗り場は、丁度、総選挙の只中の日曜日、街頭演説会の真っ最中で込み合っていました。そんな事もあって、京都大学に着いたのは13時40分頃でした。丁度、ミュージアムトーク「火焔型土器の造形」が開かれていて、お話を聴く機会を得たのでした。

 会場で頂いたチラシには以下の案内で、サイモン・ゲイナー(セインズベリー日本藝術研究所)、宮尾亨(新潟県立歴史博物館)の両氏のトークイベントでした。

グレートブリテン島でストーンヘンジがつくられはじめた5000年前。
日本列島本州中部では火焔型土器が盛んにつくられていた。
火焔型土器の造形について、ユーラシア大陸の東西端の先史文化を
比較しながら考えます。

日時:2017年10月15日(日)13:30〜15:00
場所:京都大学総合博物館1階ミューズ・ラボ



 私たちが会場に着くと既にトークショーは始まっていて、廊下一杯にはみ出て椅子が置かれて、沢山の方が説明を聞き入っていました。宮尾先生がマイクを握って、PCを使ってモニター画面での説明でした。対話形式でサイモン氏の流暢な日本語を交えてのトークショーでした。


 さて私たちは未だ火焔土器のフロアーを見学していません。14時半頃には、上記トークショーを切り上げトーク会場を後にしました。


【注:ブリテン島についてのメモ】

※ブリテン島の先史時代(Wikipediaより)

ブリテンの先史時代(英: prehistoric Britain)では、ブリテン島・アイルランドにおける人類の渡来から紀元43年のローマ軍侵攻までの人類社会の推移を解説する。ブリテン島は8500年前までにはヨーロッパ大陸から分離し島になっていた。この時代のブリテンには文字がなく、したがって歴史資料は皆無である。遺跡・化石からいくつかのことがらがわかっているが、不明な点や論争がおこっている点もいまだ多い。島が大陸と陸続きになっている間に人類が渡来し、ブリテン島の豊富な鉱物資源を大いに利用してギリシア地域と交易を行うなど繁栄していた。

※ブリテン島がヨロッパ大陸から分離したのは、8,500年前かそれ以前とされ、ホモサピエンスが大陸の端っこに到達する以前から、ネアンデルタール人が住んでいた痕跡があります。そして、12,000年前にクレスウェリアン文化と呼ばれる初めての文化が現れます。

※環状列石の一つでもあるストーンヘンジは、5,000年前頃に作られたとされますが、その詳細については不明な点が多い・・とされています


※何故、グレートブリテン島なのか不思議でしたが、同時期の歴史遺産という共通点と、不明点の解明に携わる学者さんのトークのようでした。しかし、片方は、世界遺産で、残念ながら縄文文化は世界遺産と認められないまま現在に至っています。
 
以下は、火焔土器の展示模様
 
≪特別展 火焔型土器と西の縄文≫の案内には、以下が書かれていました。

         ごあいさつ

 燃えさかる炎のような意匠をこらした火焔型土器。日本で最もよく知られ
た考古学資料のひとつではないでしょうか。今やその魅力は、広く世界に知
られています。
 火焔型土器は、現在の新潟県に相当する地域でつくられた縄文土器です。
今から約5,000年前、縄文時代中期、日本列島各地で突起を発達させた主体的
な文様の土器が生み出されました。火焔型土器はその典型として知られ、新
潟県十日町市っ笹山遺跡出土品は、縄文土器で唯一の国宝に指定されています。
同じころの西日本の土器は、当初は平板でしたが、やがてその姿を変貌させま
す。新たに立体的で多様な造形が施されるようになったこの変化には、火焔
型土器をはじめとする東日本の影響があったと推定されています。
 本展は、京都大学総合博物館、信濃川火焔街道連絡協議会、新潟県立歴史博
物館が共同し、国宝に指定されている火焔型土器を中心に、縄文文化の多様性
を伝える数々の出土遺物を展観します。
 平成28年度、火焔型土器を含む地域の文化財は『「なんだ、コレは!」信濃川
流域の火焔型土器と雪国の文化』として、文化庁の日本遺産に認定されまし
た。平成14年に信濃川火焔街道連絡協議会を組織して以来、縄文文化を核に
信濃川流域の市町(新潟市、三条市、長岡市、十日町市、魚沼市、津南町)が交流
連携し、地域振興および広域観光を推進してきました。日本遺産の認定はその
活動の大きな成果であり、本展はそれを記念するものです。
 一方、京都大学は、日本で初めて考古学講座を開設して以来百有余年の間、
考古遺物の収集を積極的に進め、日本有数のコレクションを蔵する大学とな
りました。大学構内に所在する来た白川追分町遺跡の発掘調査を継続的に行
い、西の縄文研究を牽引し続けています。新潟県の誇る火焔型土器の魅力を存
分に愉しんでいただける機会になれば幸いです。
 最後になりましたが。開催にあたりご協力いただきましたみなさまに感謝
申し上げて、ごあいさつとさせていただきます。

                           京都大学総合博物館
                              館長 岩崎 奈緒子
                           信濃川火焔街道連絡協議会
                              会長 上村 憲司
                           新潟県立歴史博物館
                              館長 矢澤 健一

 

≪国宝 火焔型土器≫



 

 

 


 

 

 




≪石棒≫
 


≪石器・土偶≫
   

 




 
 
≪第4章 火焔型土器とその後≫として、会場には以下が書かれていました。

 「火焔型土器様式」は、火焔型土器や王冠型土器とともに、器面に縄目文様をほどこしただけの土器や、近隣地域の流儀を取り込んだ土器によって構成される。火焔型土器や王冠型土器が低調になると、その座を奪うかのように、近隣地域の流儀を強く意識した土器が多くなる。それらの土器は発見された遺跡名を冠して「栃倉式」とも呼ばれ、「火焔土器様式」の終焉を彩る。口縁の大仰な突起や器面の矢羽状文様を特色にする土器群で、火焔型土器や王冠型土器とのつながりを想起させる。

 「火焔型土器様式」の終焉後、火焔型土器とは大きく様変わりした土器がつくられるようになる。国指定史跡の沖ノ原遺跡の名を冠した「沖ノ原式土器は、火焔型土器とは対照的に立体的な造形に乏しい。その一方で同時代の住居に目を転じると、「複式炉」と呼ばれる煩雑な石組みの炉がしつらえられている。縄文土器づくりに込められていた思いは、カタチを変えて息づいているように思われる。


 突然の「文化の終焉」は、この時代に限らず、はたまた、日本列島にも限らず人類史に起こる出来事です。このような「消えた集落」や「消えた文化」については、別の機会に触れることとしましょう。
 
以下は、≪第2部≫

 

 

 

 

 
 火焔型土器スペースの隣には、西日本地域の出土品や京都大学が出土に携わった遺跡から出土された遺物が並べられていました。その中には、京都大学が発掘に携わった遺跡が日本地図に記されていました。小生が住む四国には、その印が記されていませんでした。


 西日本地域スペースを見終えると、火焔型土器スペースにたくさんの人が集まっていました。先ほどの、トークショーが終わって、皆で二人の先生と共に見学に来たようです。入口の国宝の火焔型土器の前では、宮尾先生(新潟県立博物館館長)のお話に聞き入っている人たちが集まっていました。
 
≪国指定重要文化財 土偶≫(長岡市馬高縄文館所蔵)


長岡市馬高縄文館は、コチラから 
 
  
 さて、今回の旅は以下のスケジュールとなりました。私たちの場合、当初計画していたスケジュールの変更は予定の範囲内(想定内)で実施されます。それは、旅行社などでの“おまかせ団体旅行”でもなく、元々予定を組まないマイカーなどを利用した無計画旅行でもありません。山行や撮影という自然状況によって、自在に変更を可能とする計画を当初から考えに入れての旅です。

 今回の京都大学での展示では国宝の火焔型土器は≪No.8≫とのことでした。そして、同時期(10月〜11月)に京都国立美術館では≪国宝展≫が開かれていて、国宝の火焔型土器の≪No.1≫が飾られているとのことでした。どちらも、新潟県の美術館・縄文館などで所蔵されているものを拝借している訳で、今回の東北・新潟への≪縄文遺跡を巡る旅≫では、貸し出している出土品もあり、現地ではレプリカしか飾ってい無い場合もあります。

 それにしても、火焔型土器がこんなにも沢山出土しているとは想像もしていませんでした。そしてその殆どが信濃川流域や佐渡ヶ島を含む新潟県からの出土とは驚きでした。今回の旅の最終日に予定している《馬高縄文館》への訪問の期待は高まったのでした。
 
 ・10月15日(日)
 松山  岡山京都〜京都大学総合博物館 京都市
 
 ・10月16日(月)
 京都 東京新青森 
 青森市 
 ・10月17日(火)
 青森市   〜城ヶ倉大橋(撮影)
〜蔦温泉・蔦七沼(撮影)〜十和田湖 
 ・10月18日(水)
 十和田湖   〜奥入瀬渓流(撮影)
〜七戸町(二ツ森貝塚遺跡)〜八戸市 
 ・10月19日(木)
 八戸市 
 是川石器時代遺跡(是川縄文館)、遺跡巡り〜岩手県一戸町・御所野遺跡(御所野縄文博物館)〜八戸市 
 ・10月20日(金) 
 八戸市 
 〜八戸市博物館〜八戸  大宮  長岡市 
 ・10月21日(土)
 長岡〜馬高縄文館〜新潟県立歴史博物館〜長岡 東京岡山  松山