2015年                      

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 10月の2


 26日【四国のみち】
【支2・四国カルストルート】

 四国のみちへ


 26日【四国のみち】
【支1・四国カルストルート】

 四国のみちへ


 24日【皿ヶ嶺】

 もう二週間の間、雨が降らない日が続いている。午前中は私の内科クリニックの診察だった。インフルエンザワクチンの接種をしたのでハードな運動は出来ないが、皿ヶ嶺の竜神平なら行けるだろうと行先を決める。

   
 コンビニで私はおにぎり、おっちゃんは助六寿司を買って皿ヶ嶺に向かう。一番短い畑の川コースで行く事にして、上林トンネルの少し向うの広場に車を停めて弁当を食べる。13時8分、畑の川コースの登山口への林道を歩く。暫く歩くと、林道を猪が2頭横ぎった。その場所はススキに猪の通り道が出来ていた。道路脇の草木も紅葉していて、イタドリの花もこうして見ると綺麗だ。すぐ先で、猪がいるのか谷の方でガサゴソとずっと音がしていて笹が揺れている。

   
 畑の川登山口の横斜面が崩れかかっていて、この間通った時には工事中だったが、工事が終了していた。畑の川登山口を13時20分に出発。登山道の路肩を何かが掘っていたり、山側から谷に駆け下りた跡が続いている。これは猪の仕業だな。13時42分に頂上への分岐を通過。竜神平が近づいてくると、木々の葉が落ちて前方が見通せる。

   
 竜神平に13時50分に到着。竜神平の笹をを刈って下さっている方がいたので、この間の、新聞に載っていた(注)滑落事故の場所を聞いてみると、風穴コースのベンチの手前だそうだ。愛大小屋の横のベンチには日が当たってないので、マユミの木の下のベンチでコーヒーを飲む。この時間でも、三々五々と登山者が来たり下りたりしている。14時10分に竜神平を後にする。

    
 周回路の登山道脇には咲き残ったリンドウが1、2輪しか咲いていない。樹林帯の倒れてしまった木の枝の小枝が紅葉している。おっちゃんが「リスがおるぞ」と言うので見ると、幹をスルスルと登って行ったのが見えた。少し近づいて見ていたのだが、それ以上見る事は出来なかった。縦走路の分岐を14時28分に上林峠方面に歩く。

  
 峠までの木の階段も長く雨が降らないので乾燥して下りやすい。木の間から上林峠下の工事現場が見える。土曜日なのに工事をしてるんだな。峠は風が良く通る為か、紅葉は落ちてしまっている。サクサクと落ち葉の道を踏んで登山口に14時58分に下り立つ。トンネル南口に15時、すぐ先の車に戻って帰路につく。少しでも歩くと気持ちいいな〜。


(注)愛媛新聞10月22日より
◆東温の皿ケ嶺で男性が滑落し重症
 21日午後0時40分ごろ、東温市上林の皿ケ嶺で、登山中の今治市の無職の男性(75)が登山道から約20b下の斜面に滑落した。男性は鎖骨骨折などの重症。松山南署によると、男性は妻(71)と登山中だった。妻が県警本部に通報し、高知県の消防防災ヘリが救助した。

と掲載されていたが、何故、高知県の防災ヘリに救助されたのかは、不明。


 19日【ちち山】
【waiwai記】
 皿ヶ嶺や石鎚界隈以外の山域には、2002年の転勤以降、あまり訪れる機会が無かった。この東予の山々へは、殆ど15年来の山行となる。この間の登山口や登山道の様変わりと、山行形態の変化やwaiwai隊の体力の減退(小生の場合、一年余りの闘病生活の後遺か?)は、時代の趨勢であり仕方が無い。尚、この稿の最後に過去の記録(当時の記録は短い)を載せた。

  
 県道47号線を旧別子山村へと向かう。笹ヶ峰から黒森山への吊り尾根と県道から見上げる東壁の異様は何時見ても歓心する。登山口の大永山トンネル東口(分県別では南口と紹介されている)に着いたのは7時40分だ。

   
 登山口からは、沢(七番川)沿いの道を暫く行く。石垣が積まれた道を暫くで、植林のジグザグの道を行くようになる。8時20分、縦走路に出合う。右手は銅山越え・綱繰山だが、今日は、当然、左の笹ヶ峰・ちち山へと行く。

   
 我々は10分ほどの小休止である。土山越えには、8時33分。右手は銅山峰の表示がある。ここら辺りは標識が整備されているので間違う事は無い。一時期登山道が荒れて不明瞭となっていたようだが、今は亡き銅山峰ヒュッテの管理人の伊藤さんの道作りなどの登山道整備には感謝の言葉しか無い。馬道の別れ〜舟窪を抜け、すぐ先でガレ場に出合ったが、慎重に通過すれば問題は無い。

   
 直ぐに、右、左と以前には無かった“鉄塔巡視路”の標識に出合う。8時55分、2001年に確認(下記参照)のために通った“とうせんぼ”の場所に来た。ここからは尾根への急登となる。9時24分、小生の記憶には無い“獅子舞の庭”の表示の場所に着いた。

   
 立派なブナと見事な黄葉が出迎えてくれた。傍らの岩穴には“獅子頭”が奉納されていた。1481.6m峰(獅子舞の鼻)で記念写真を撮り、小生は笹を漕ぎに、相棒はブナを撮るためにここで停滞となる。9時33分、ここからはお互いの道を進むのである。

  
 尾根道を暫くで前方が開け、左手の平家平・冠山からず〜っと右手へちち山・笹ヶ峰へと続く四国の脊梁が見える。そして、私の進む尾根は一旦降り笹原へと続いて、縦走路に出合う場所が“ちち山の別れ”だ。9時49分、尾根の道に案内標識を見送る。

   
 10時、先ほど相棒と別れたピークと、その背後に銅山の峰々から赤石山系、そして権現山から二つ岳へと続く尾根が見える。笹が覆う尾根道は勾配を強め、やがて、10歩進めば立ち止まる(=例の症状、石鎚行と同様)という亀のような歩みとなった。これは、『訓練すれば改善する』ようなものなんだろうか?『心肺機能』が不全?兎に角、ユックリと進めば良いと言い聞かせながら、時間が掛かるだけで、休みながら行こう・・・。

 
 10時35分、来し方を振り返る。次回の山行は何処へ・・・。兎に角、笹の中の道を喘ぎながらも10時54分、“ちち山の別れ”の標識が建つ縦走路へと着いた。およそ20分は余分に掛かった計算である。

  
 沓掛山から黒森山が間近に見える。笹の道を少しで、笹ヶ峰から続く四国山脈の脊梁が瓶ヶ森まで続いていた。笹の中に続く道はトラバースぎみに明瞭に続いている。横掛けの道だが、左足下がりで笹を踏んだ道(刈りはらわれた道では無い・・の意味)なので、歩き難いことこの上無い。しかも、少々の登り(5歩ほどの)でも足が止まるのである。結局、ちち山の登り口の手前で引き返すこととした。11時22分だった。

   
 笹の中の道端で、小休止。おにぎりを腹におさめたが、あまり休んだ気持にはならない。11時55分、再びの“ちち山の別れ”である。先ほど、7〜8分休んだ筈なのに、思った程は時間が掛かっていない。しかし、小生の水が残り少なくなってきたのが心配だ。笹の道から尾根の鞍部に掛かる頃、鹿の鳴き声らしい鳴き声がした。朝方の、行きにも同様の鳴き声を聞いたが、下方の中七番から一の谷へと続く道には何年か前『鹿に食べ尽された』カタクリで有名なナスビ平がある。現在は高知側の一の谷の道も含めて、通行不能のようだ。

  
 再びの“獅子舞の鼻”に戻り着いたのは12時45分だった。相棒の撮影は終わったところだったようだ。実に3時間の山歩きと一人撮影会だった。おにぎりとみそ汁(勿論、コンビニのインスタント)で腹ごしらえを済ますと、13時15分に下山だ。  
 下山は紅・黄葉を愛でながら淡々と・・。

   
 “馬道の別れ”を13時31分に通過。13時46分、小休止である。再出発後、土山越えを13時55分に通過。

   
 植林の道に降りて来ると、もう薄暗い。何の木か、檜が幹から突き出ていた。朝方より、アサマリンドウの花が開いていた。淡々とした下山は14時27分だった。結局、一日誰にも会わない山行だった。


≪過去の大永山トンネル・一の谷からちち山・笹ヶ峰周辺の記録≫

1997年12月29日≪寒風山トンネル口〜(旧)一の谷登山口≫
 夏から始めた“二人の山登り”の’97年納会となり、一の谷登山口から登り、寒風山登山口に降りようと計画していたが、ふと見上げた寒風山方面が真っ白で、これはあちらからの方がいいということになり、帰りは分県ガイドに載っている本川ハイヤーを呼ぼうと決め、寒風山登山口から登った。
 快晴で桑瀬峠からはずっと霧氷の中で感激した。笹ガ峰にはこれから石鎚山に縦走するという男女2人に会った。大きなザックで重そうにフラフラしていたが達成したのだろうか?

 最近は少しは膝もましだが、さすがに一の谷への降りは辛かった。捨てられたバイクを数えながら降り、タクシーを呼ぼうと電話をすると、行き先を聞いて車は今いないと断られた。新居浜まで、とか言えばなんとかするのだろうか?? 降り( ’01年4月15日、7K、75分)なら何とかなるけど、登りだし・・・ で来た車に手を上げたら、若いデート中の二人だったが乗せてくれた。感謝!
 ニュージーランドに行く為の訓練とダイエットを兼ねた山登りも最高の納会となった。



2001年4月15日≪(旧)一の谷登山口〜寒風山トンネル口≫
 1997年に下りた事はあるが、登ったことがなかったので一の谷からの縦走とした。
 峠まで2時間30分位で着いた。以前は笹が生い茂り、わかり難い所もあったが、きれいに刈られて歩きやすかった。天気は快晴で気持ちよく展望も最高だった。笹ケ峰で昼食後、寒風山に向け出発直後におっちゃんがよそ見をして歩いた為、転んで足をひねってしまった。どうなることかと思ったが、なんとか無事下りる事が出来た。
 旧寒風山トンネルからはヘアピンカーブで下の道が見え大丈夫そうな所はショートカットし、コンクリートの壁を下りれず、苦労したりしながら道路を歩き、一の谷登山口まで下りた。


2001年4月22日≪大永山トンネル〜ちち山≫
 先週、大永山からの分岐を通った時、来週はここだと決めていた。
 トンネル横の登山口から、七番、土山越え、中七番、馬道の別れ、舟窪と何度も分岐を越えて、通行止めになっている所から最近笹を刈ったり、木を切ったりしている尾根道になった。この前銅山峰ヒュッテの伊藤さんが「トンネルから笹ケ峰まで道を作ってますから通ってみて下さい」と言っていたのは、この尾根道の事だったんだと話しながら登っていると、高校生の団体が下りて来た。聞くと東予の高校の合同山行で丸山荘で泊まって下りて来たとの事だった。最初に来た生徒達は元気だったが、後になるほどバテて大変そうだった。
 ちち山で昼食後、一の谷越えから下り、なすび平のカタクリを見て、住友フォレストからは道路を17分でトンネルまで歩いた。


2001年8月15日≪大永山トンネル〜ちち山の別れ≫
 通行止めにしてあるのが気になって、大永山トンネルからちち山の別れへ出掛けた。
 自分の責任で行けばよいだろうと行ってみた。この前の尾根道とは違い、沢沿いの道なのでやはりちょっと危ない所もあり、慎重に歩いた。ノダケ、・・、が咲いていた。キャンプ場の標識がある所から直登すると尾根道と出会った。ノリウツギ、ホツツジ、リョウブ等今の季節は木の花がよく咲いている。
 ちち山の別れから中七番に下りる途中はソバナ、・・、等が咲き、沢の危ない所も4月に来た時より整備されていると思ったら、源流の碑が設置されていた。


 17日【皿ヶ嶺】
 天気が安定して雲ひとつない青空だ。冷蔵庫には巻きずしがあるし、遅くなったけど皿ヶ嶺に行こう。

   
 皿ヶ嶺森林公園にある登山口(風穴下)で食べるサンドイッチと飲み物、おやつを買って風穴に向かう。車の中でサンドイッチを食べて11時37分に出発。6日に風穴で会った「伊予花の会」の方たちが、ケシの世話をしたと言っていたのを思い出して井戸の中を覗く。プランターが二つ、ラベルが付けてある。種でも蒔いたのかな〜。登山道には、シコクブシが咲き残っていた。

   
 何時も撮影の対象にしている沢のところが、道端も沢の場所も掘り返されている。猪の仕業だろうが、一体、何が目当てなんだろうか?日が高い今の時間帯、ブナやカエデに日が当たり黄金色に輝いている。ベンチに12時17分到着。二組の登山者がベンチで休んでいる。写真展に来て下さった女性二人組の方から話しかけられる。おっちゃんにも、「あの時はマスクをされていましたが、お元気そうですね」と声をかけて下さる。皿ヶ嶺ではよく声を掛けられるが、相手の方は名前を呼んでくれるが、こちらは誰だか覚えられないのだ。すみません。

  
 ベンチの入り口の枯木に取付いた木の紅葉に日が射している。沢の所を見上げると逆光が綺麗だ。いつものブナの木も踊っているようだ。ツキヨタケはもう干からびてしまっている。

  
 12時33分、愛大小屋に到着し、巻きずしと味噌汁を食べる。小屋前には沢山の人が休んでいた。先日の小屋周りの木の整理以降、ベンチや椅子が新た造られて、随分多くの登山者が休憩出来るようになった。竜神平の刈りこまれた場所を猪が掘り返している。皿ヶ嶺のマドンナNさんが、「大根を植えたらいいよ」と笑っている。

   
 “先生”と呼ばれている8名ほどの集団が降りてきた。龍神さんの祠の脇のまゆみの木に実がたくさんついている。13時に頂上へ出発。

    
 頂上までの途中、石鎚山も良く見えている。頂上に13時25分到着。ベンチは空いていない、横のベンチで私だけジェルを食べる。十字峠を13時43分に通過。

   
 今日は直登コースを下りる事にする。最近買ったタブレットで太陽に向けて写すと、フレア〜が面白く撮れた。ススキが光っていたので少し引地山方面の縦走路に行き写す。モミジガサの花も穂になりかかっている。

  
 乗越に下りて14時5分に直登コースを下り始める。この道は雨の日などはドロドロになり滑りやすいのだが、綺麗に整備が行き届いている。横掛け道の分岐に14時12分、風穴に14時25分下山。丁度良い季節なので、山から下りてきても登山口でユックリしている人も多い。waiwai隊は池の横のベンチでコーヒーを飲んだ後、家路についた。