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2012年10月29日 (月) 議会で、久喜総合病院の質問が多い 最近、久喜総合病院の問題が議会で取り上げられることが多い。 私のところにも、今まで総合病院の扱いについての訴えや、いろいろな苦情が寄せられてきた。 最初の頃は、救急の場合や紹介状を持っていないと、初診料が4200円かかることについての苦情が多かったが、最近はそのことは知られてきたようだ。 議会でよく指摘されるのは、次のようなことである。 入院300床の認可を取っておきながら、医師や看護師が不足していて、いまだに200床しか使っていないこと 19の診療科目をうたいながら、実際には多くの科目で毎日の診療ができないで、医師も毎日違うことや、事実上、予約しないと診察してもらえないこと、などなど…… そうした状態がいつごろ解消・改善されるのかといった質問だったりする。 久喜総合病院は田中市長が市長選挙の公約に掲げて、市として強力な誘致運動をした経過があるし、市から35億円にも上る補助金も出しているから、市民から見ればなかば公的病院 という意識が強い。 議員も、市民のそういう意識に基づいて、市から何らかの指導なりができるのではないかという期待をもって質問することになる。 しかし現実には、久喜総合病院は完全な民間病院であり、市から建設に対する補助金は交付したものの、その後の診療体制については何らの条件も付していないから、残念ながら市が 総合病院を指導する立場にはない。 したがって、病院の診療体制についての質問に対して、行政当局は『久喜総合病院に問い合わせた結果、これこれこういうお話しであった』と、単に質問事項を取り次いで伝言しただ けのような答弁になってしまう。 議員も市が権限を持っていないことは知っているので、それ以上は言いようがなくて、言いっ放しで終わってしまうか、せいぜいが要望を述べて形を取りつくろうのがせいいっぱいである。 患者に対する姿勢がどうか 実は、そうした病院の体制についての問題ばかりでなく、久喜総合病院の、患者さんや医療に対する姿勢に関わって問題が指摘されることの方が問題ではないかと感じている。 今年の9月議会、公明党の足立議員の一般質問は、以下のような事実の指摘だった。 久喜総合病院が開院して1年4ヶ月あまりが経過するが、最近診療に対する苦情が聞かれるようになった。 先日苦情の相談を受けた、Mさんのご主人50代男性の様態が悪く掛かりつけ医で受診をしたが、さらに検査が必要とのことで、久喜総合病院に紹介状を持参しそのまま久喜総合病院 に向かったが、予約が無かったとの事で診察してもらえず、再び掛かりつけ医へもどり再度新井病院を紹介してもらい入院した。 【足立議員の質問通告の原文そのまま】 2月議会では、松村議員が一般質問で次のような事実についての経緯をただした。 昨年10月に久喜小学校内の事故で、児童がケガをした。 学校から久喜総合病院に連絡し、救急外来で受け付けるとの返事を受け、保護者の車で久喜総合病院に行き、応急措置及びレントゲン、CTの検査を受けた。 6時25分ごろ保護者は久喜総合病院医師から骨折などの治療はできないので、小児医療センターを紹介され、その日は帰宅するように言われたが、保護者が特に病院に頼み込んで当日 は久喜総合病院に入院した。 翌日、保護者は久喜総合病院から受け取った書類を持って小児医療センターに行ったが、その日は整形外科が休診日で、受診はできないと受け付けを断られた。 仕方なく、その足で蓮田病院に行って手術を受けた。 【教育長の答弁で、経緯についての部分をまとめたもの】 この時の問題は、久喜総合病院が、小児医療センターを紹介しておきながら、直接に病院から連絡をしなかったので、翌日は小児医療センターで診療できるかどうかも、休診であるこ とも確認を取っていなかったことだ。 昨年、私のところにきた苦情は、日曜日に家族が急に具合が悪くなったので、救急車を呼ぼうかと思ったが、そこまで“迷惑”をかけるよりも家族が車で行った方が早いと思って久喜総合病院に行った。 閉まっていて中に入れないので、インタホンで呼び出して診察を依頼したが、救急車でないと診られないと断られた。 どうしたらよいかと尋ねたが、自分で開いている医者を捜して診てもらうように言われて、どこの医者が開いているかも教えてもらえなかった。 やむを得ず知りあいに聞いて、新井病院に行って診察してもらって事なきを得たというものであった。 この場合、最初から救急車を呼べば診てもらえたのかも知れないが、《救急車を安易に呼ぶな》というキャンペーンもやられていたし、“自助努力”と思って家族の車で行ったことが悪かったということになる。 久喜総合病院としては、救急か外来の場合は紹介状が必要で、科目によっては予約が必要だと、ホームページにも書いてあるから、規定通りにしているだけだと言うのかも知れない。 しかし市民にとって、こういう対応が医療機関としてはきわめて不親切だと受け取られるのはしかたあるまい。 つい最近も市民から似たようなお話しがあって、今度は苦情と言うよりも『あきれた』という感じで話されていた。 こうした久喜総合病院の、患者に対する姿勢が問われているのではないかと思うのだが、いかがか。 2012年10月22日 (月) 放射性物質検査の結果、不検出でした わが家の庭で採取したスダチを放射性物質検査しました。 これはその「検査結果」です。 上の方から、測定器情報 分析機関 久喜市 測定器モデル GDM−12 検出器 2×2 in NaT(TI) サンプル情報 サンプル すだち 体積 1000ml 質量 1086g 測定情報 測定開始日時 2012−10−22 09:29 測定時間 1200秒 測定結果 Cs137 ND(セシウム137 不検出) 検出限界6.77(Br/s) Cs134 ND(セシウム134 不検出) 検出限界5.82(Br/s) 実は最初、検査室の職員は、手書きで「不検出」と書いた結果報告書だけをくれたのでした。 パソコンの画面には検査結果のグラフが表示されていて、この「放射能測定結果」もプリントアウトされていたのですが、これは依頼者には渡さないことになっていると言われました 。 しかしこれを依頼者に渡して何ら問題はないし、当事者の市民に当然に渡すべきものだと思いますので、「ください」とお願いして、コピーをもらってきました。 2012年10月15日 (月) 放射性物質検査を申し込んだ 鷲宮総合支所の4階(403)に、放射能検査室が設置され、明日の16日から市民の持ち込みによる食品の検査が開始される。 月〜木曜日の午前中に、9:30、10:20、11:10からの3回検査することになっていて、すでに予約申し込みの受け付けを開始しているが、まだ広報が行き渡ってないため 、これまでに2件の申し込みがあっただけだ。 私も、わが家の庭になっているスダチの実を検査したいと思っていたので、さっそく申し込んで、22日の9時半からの枠を予約した。 共同購入している牛乳の検査もしたいと思っているが、市の「食品等の放射性物質検査実施要領」で、1人1検体ずつの予約しか受け付けないことになっているので、スダチが終わってから続いて申し込むつもりである。 私は、自分や家族の口に入るものを、これまでは何となく“だいじょうぶだろう”という割り切りで食べてきたのだけれど、やはりきちんとした検査を受けて“安心”の裏付けを持って口にしたいと思う。 危険かも知れないので検査するのではなくて、安心するために検査したいと思うのであって、そのために検査できる場が身近にできたのだから、さっそく申し込んだ次第である。 みなさんも、家庭菜園で栽培したり、友だちからもらった食品、お店で購入した食品など、ぜひ検査してみてはいかがか。 2012年10月 1日 (月) 勉強会「ケータイ、ネットと正しくつき合う」に来てみませんか 久喜市議会の私たちの会派・政策会議で「公開勉強会」を開催します。 ケータイ・ネット社会は便利で、私たちはもはやこれなくしては生活できないといくらいに定着していますが、落とし穴もたくさん!! 教育現場で活用している越谷市立大袋中学校・大西久雄校長先生、モバゲー、グリーの運営会社の方にも参加してもらって、その特徴、子どもたちの現状、うまい付き合い方をお話しいただきます。 保護者や教育現場の先生方、悩んでいる人も「よくわからない」という人も、いっしょに考えましょう。 ------------------------------------------------- F10月6日(土)午後2時から F久喜市 鷲宮西コミュニティセンター「おおとり」(鷲宮高校の近く) コミュニティビューロー F参加費無料 F主催:久喜市議会・政策会議 《久喜市議会の政務調査費を活用した政策勉強会を、一般公開で実施します。》 ------------------------------------------------- 連絡・問い合わせ 猪股 090-3547-1240 tomoni8872@ezweb.ne.jp 2012年9月29日 (土) 学期制フォーラムが開かれました(1) 9月23日(日)と29日(土)に、久喜市の“学期制フォーラム”が開かれました。 旧久喜市は2004年から小中学校で「2学期制」を実施し、合併後も旧久喜市地区だけで2学期制を継続しています。 旧3町地区は3学期制のままですから、同じ市内で2学期制と3学期制が並立しているわけですが、合併協定項目で「新市において調整する」と決められました。 合併後に、教育長が「統一」する方針を明確に打ち出して、昨年から「学期制検討委員会」が設置され、これまでに5回の検討委員会が開かれましたが、いまだにいつまでにどのように統一するのかの方向性は出ていません。 今回の学期制フォーラムは、教育委員会や検討委員会の中だけで検討するのでなく、市民、保護者の間に認識と関心を深めていくことを目的に開かれ、教育委員会では今後、教員、児童生徒、保護者、学校関係者にアンケートを実施して、その意向を踏まえて検討を進めていくことにしています。 23日の第1回フォーラムには55人くらい、29日の第2回フォーラムは50人弱の人が参加しましたが、どちらも議員が10人くらい、教育委員会や学校関係者(教職員)やPTA役員などが目立っていて、けっして一般の市民や保護者の関心が高いとは言えません。 教育委員会は「統一」の方針を打ち出したということは、「旧久喜市地区の小中学校を3学期制に戻す」か、「旧3町地区の小中学校で2学期制を実施する」か、どちらかということになりますが、どちらにしても、子どもたちや保護者、現場の教師たちにとっては大問題です。 また特に2学期制を実施している旧久喜市地区の保護者からは、2学期制のデメリットが指摘されていて、「3学期制に戻してほしい」という声も多く出されています。 したがっていつまでも方向性をはっきりさせないままで、異なった学期制を引きずっているのでなくて、できるだけ早く結論を出すべきです。 フォーラムでは、学期制検討委員会の委員さんたちがパネラーとなりましたが、おもに、2学期制を実施している久喜地区の校長や教師の委員と、以前に久喜地区で2学期制推進に携 わって今は鷲宮や栗橋の学校で校長をしている委員が「2学期制のメリット」を声高に主張する一方で、久喜地区以外の3学期制を実施している学校の先生からは、3学期制の方がよいという意見が多く出されていました。 またPTA役員の委員からは、特に栗橋地区のPTA役員さんが「栗橋のPTAは3学期制で固まっている」とのべるなど3学期制を求める意見が多く、「どちらもメリットとデメリットがあるので迷っている」という意見もありました。 久喜地区のPTA関係者では、当初は3学期制がいいと思っていたが、だんだん慣れてきて、今はどちらでもいいと思っているという意見もありました。 検討委員さんたちのお話しで気になったことがあります。 それは、「2学期制にも3学期制にもメリット、デメリットがあるので、いずれにしろこのままではなくて、両方のメリットを生かした“新2学期制”とか“新3学期制”がいいのではないか」という意見です。 しかし実際には、新2学期制、新3学期制の具体的な内容はまったく語られることはなく、「新」と付けることによって、「何となく新しくていいもの」と印象づけるだけの言葉遊びのようにしか感じられませんでした。 フォーラムの後に、会場から意見を出す時間があって、1日目の会場ではある議員が、「教育委員会が新2学期制、新3学期制のシミュレーションを出して、アンケートを取るべきだ」と発言していたのですが、現実にはこれまで具体的な内容がまったく検討もされていないものを出せと言っても無意味ではないでしょうか。 (議員は本当は、まず議会で提案や意見を出すべきであって、こうしたフォーラムのような場では謙虚に市民の声に耳を傾けるべきであると思います。議員が真っ先に議論を誘導するような発言をしたのはちょっといただけません。) 参照⇒学期制フォーラムが開かれました 《その2》 2012年9月11日 (火) 久喜“珍百景”候補 9月10日の一般質問で、あまりにものオトボケ質問があって、現在の久喜市議会議員の質を表しているのかも知れないと思い、記録しておくことにする。 ただし実名を出すのも恥ずかしいので、名前はイニシャルだけにしておこう。 K議員の質問要旨は次の通りである。 久喜小学校のプールは50年も前に建築された、旧久喜市内でいちばん古いもので、どういうわけか、排水施設・機能が付いてなくて、毎年、オープン前の清掃の時にはポンプで水をくみ出し、ホースをのばして学校の外の市道の下水マンホール内に排水しているのだそうで、「プールに排水施設の設置を求める」という質問である。 学校のプールに排水施設が設置してないなんてことは、普通は考えられない、ありえないことだと思う。…TVの「珍百景」に応募すればきっと取り上げられるのではないか…。 K議員は質問の冒頭に、「夏が近づくと久喜小学校のプールからホースが道路上のマンホールにつながれて、毎年の風物詩になっていた」なんておちゃらけて話していたのだから、昔からこのプールの異常な状態を知っていたのに、これまで何の指摘も要求も改修の提言も行ってこなくって、今回初めて取り上げたらしいのだが、これは地元議員としてちょっと恥ずかしくないか。 そして「排水機能の設置、改修をするべきだ」と質問したのだが、当局の方がこんな老朽・欠陥プールは“一部改修”くらいですまないことはわかっていて、さっそく「全面的に建て替えする」という答弁が返ってきた。 K議員は、排水機能の設置という一部改修くらいですむと考えていたらしいのだが、聞いていた他の議員たちの方が、そのあまりの甘い考えにびっくりであった。 2012年9月 4日 (火) 能代市で「街路樹管理」の視察 8月7日に、政策会議の7人で秋田県能代市に行政視察に行ってきました。 目的は「街路樹の樹木管理」です。 能代市では、街路樹等の樹木管理を造園業者に依頼して、樹木それぞれの自然樹形を生かした剪定をしています。 造園業者のみなさんは、きちんと研究会を組織して、行政とも協力しながら美しい街路樹を形成しています。 私たちが視察に行ったときに、地元新聞の「北羽新報」の記者さんが取材に来ていて、8月8日の1面に大きく掲載されたそうです。 2012年8月30日 (木) 全小学校区に学童保育施設を整備へ 9月定例市議会の一般質問で、市内の各小学校に学童保育施設を整備するよう質問通告を出した。 合併前意の旧久喜市では、1小学校区1学童保育を基本にして、各小学校の敷地内または近接地に学童保育施設の整備を進めてきた。 もちろんこれに大きな力を発揮して進めてきたのは保護者らの学童保育の会の長年にわたる運動の成果であって、施設は市が設置して、市とは別組織の学童保育運営協議会を指定管理者に指定してきた。 運営費は市が支出し、保育の会はおまかせで子どもを預ければそれでいいというのではなく、運営協議会に経営参加して、保護者らの声を運営に直接に反映させる、いわば“公設・民営”のきわめて理想的な形を築いてきた。 そうした中で、保護者らの声を反映して、土曜保育や、長期休暇中の学童保育を進めてきた。 小規模校である江面第2小学校以外はすべて学童保育所が整備されたが、江面2小でも少人数では合っても学童保育のニーズはあって、今後どうしていくかが課題になっている。 旧菖蒲町、旧鷲宮町、旧栗橋町の各小学校にも、それぞれ学童保育事業が行われてきていたが、運営形態は、個別の保護者会の運営や、町の直営で臨時職員による運営など運営形態はさまざまであった。 合併後は町の直営だった学童保育は、運営協議会への指定管理者の委託へと、経営形態が変わったが、いまだに旧町地区の学童保育所では保護者会が組織されていないところも多く、保護者の声を反映させるのが必ずしも十分ではない。 栢間小、鷲宮小、上内小に学童施設を設置へ 菖蒲地区で、栢間(かやま)小学校の敷地隣接地に学童保育施設が設置されているのだが、ここには小林(おばやし)小学校と栢間小学校の2つの小学校の子どもたちが通っていて、小林小学校からは旧菖蒲町時代から子どもたちはタクシーで送迎している。 この栢間小の学童保育を学校の敷地内に新設することになっているが、実は20名の児童の内、9名が栢間小で、11名が小林小であるから、本当は小林小学校の方にも学童保育施設を設置するべきである。 鷲宮児童館の一室を使って学童保育をやっているが、ここには上内小と鷲宮小の2つの小学校から40名近い子どもが通っていて、きわめて狭く、外遊びする場所もない。 今度、上内小学校の空き教室を使って学童保育施設を新設し、鷲宮小学校の使われていない老朽校舎を壊してその場所に新しい学童保育施設を設置する予定で、計画が進んでいる。 東鷲宮小学校の学童保育施設の新設を求める 最後に残ったのは、東鷲宮小学校であるが、ここの子どもたちは、隣接する鷲宮東コミュニティセンターの2階の会議室2部屋を使って学童保育を行っている。 東鷲宮地区はマンションの建設などで久喜市内で唯一人口が急増していて、東鷲宮小学校も昨年、教室をプレハブで新設したほどで、学童保育も一昨年は40名だったが、今年は70名が通っている。 2階の学童保育所には裏の外階段を使って入るが、安全のためにいちいち鍵をかけるのだが、保護者が迎えに来ても入れなかったりする問題とか、コミセン内のトイレにも子どもが自由に行けないとか、使い勝手が悪いことこの上ない。 6月議会の福祉健康常任委員会で、私が学童保育の実情調査を提言して、議会中の所管事務調査として、委員全員で各学童保育所を視察することになった。 鷲宮コミュニティセンター内の学童保育も実際に見た上で、その場で私は、同行した福祉部長や保育課長に対して、次のように提案した。 鷲宮東コミセンの敷地は東鷲宮小学校のすぐ東側に接しているのだから、そこのフェンス際に学童保育施設を設置すれば、事実上、東鷲宮小の敷地内と同じことであり、きわめて安全で使いやすい学童保育ができるのではないか、次の議会で質問するから検討しておいてほしい、と。 部長たちも検討を約束してくれたのであったが、こんどの9月議会の一般質問で正式にこのことを提案して、早急に東鷲宮小学校の学童保育所の新設を行うよう、求めたいと考えている。 2012年8月26日 (日) 全国地方自治政策研究会 in福岡に参加しました 8月25日、26日、全国地方自治政策研究会「3・11を経て 九州からの発信」に参加してきました。 主催は「地方自治政策情報センター虹とみどり」で、約200名くらいの地方議員、市民活動をしている人々が九州・福岡市に集まって、研修と交流、意見交換を行いました。 25日のメインテーマは「フクシマ原発事故・震災から1年半 地域でどう受け止めるか」で、双葉町長の井戸川克隆氏と飯田哲也氏(環境エネルギー政策研究所所長)の講演を受けて、被災地・被災者の現状と、自然エネルギーへの転換を話し合いました。 26日の午前中は、「地域で暮らし続けることができるまち」と「自治体改革と議会改革」の2つの分科会が開かれ、私は第1分科会に参加しました。 高齢者が地域で生きられる環境 「高齢者や障害者を地域で包み込み、共に生きられる地域社会づくりを進めてきた自治体の取り組みの経験を勉強しました。 福岡県の元杷木町長・中嶋玲子氏(現在は合併して朝倉市)からは、過疎化が進む町での「地域ミニデイサービス(ふれあい生き生きサロン)」が54行政区(集落)に34のサロンを開設、地域コミュニティで自主的に運営しています。 大牟田市では「認知症ケアコミュニティ推進事業」として、認知症コーディネーターの養成、地域に認知症サポートチームを設置して個別支援を行う、もの忘れ予防・相談検診、ほっと安心(徘徊)ネットワークを作って見守り、高齢者等SOSネットワーク、徘徊模擬訓練(声かけ訓練)の実施など、創意工夫にあふれた取り組みの経験を紹介してもらいました。 認知症や徘徊をマイナスイメージだけでとらえるのではなくて、「認知症になっても安心して暮らせる」「徘徊=ノーではなく、安心して徘徊できる町をみざしていく」というキャッチフレーズは新鮮でした。 久留米市の介護保険事業者からは、小規模多機能型居宅介護施設で、地域の住み慣れた我が家で暮らし続けるための条件作り、1人1人の高齢者に寄り添ってケケを続けてきた実践報告がありました。 「ぷれジョブ」…障害を持つ子が地域で生きていくために 筑紫野市「障害」児・者問題を考える会からは、障害児者が地域で生きていく活動の報告がありました。 どの子も地域の学校で学ぶ権利がある「校区保障」を求める活動、筑紫野市ではどの小学校にも特別支援学級が多い学校は4つ設置されている、毎年、校長先生が替わったときには学校(校長)訪問活動や教育委員会との話をし合い、就学時検診のときなどに保護者交流会や学習会を行っています。 この日に報告があった中心の課題は「ぷれジョブ」という活動で、障害のある子が、学校と自宅を往復するだけでなく、地域社会の一員として居場所を持てるように、地域の企業に毎週1回、1時間程度の就労体験をする、地域の人がボランティアで 「ぷれジョブサポーター」となっていっしょに行く、1つの企業に半年間続けて、また別の企業に行って別の仕事を体 験します。 主たる目的は、障害を持つ子の仕事の体験というよりも、地域の市民や地域の企業に働く人たちに障害児のことや、地域にこういう子供がいることを知ってもらうこと、逆に子どもに とっては地域での生き方、地域に人とのコミュニケーションの持ち方を知ることであるようです。 それは、障害を持つ子ども自身が“地域市民になること”と表現されてもいました。 2012年8月23日 (木) インターネット中継の手話通訳 8月21日に市議会代表者会議で、9月議会の日程等についての協議が行われ、その後に、市議会のインターネット中継の実施に関わるいくつかの検討事項が提起された。 久喜市議会は11月議会から本会議のインターネット中継を実施(試行)する予定だが、それに付随して、手話通訳をどうするか、議案書と議案質疑通告書をホームページ上に公開するかについて、各会派で検討して次回の代表者会議で協議することになった。 権利の問題としての手話通訳 すでに久喜市議会では、議会活性化の推進で、聴覚障害者からの希望(原則都営手1週間前までの申し出)があれば、市議会の負担で本会議場の演壇の横に手話通訳者を配置すること は合意してきている。 インターネット中継の手話通訳についても、こう考えたらわかりやすいのではないか。 健聴者(聞こえる人)に対しては、これまでも音響設備を改善して議論が聞き取りやすいようにしているわけであるから、同様に、同じ市民である聴覚障害者(聞こえない人)に対しは、議論の内容がわかるようにすることは、聴覚障害者の権利保障として、当然のことであると言える。 字幕か手話通訳かということになるが、議会の議論にすべて字幕をつけるというのは現実的ではないから、手話通訳ということになるだろう。 聞こえる人向けの音響設備の改善には数百万円をかけているのであるから、聞こえない人向けの手話通訳にも、必要な費用をかけるのは、むしろ議会の責任だといわざるを得ない。 仮に、お金がかかるから手話通訳を付けられないと言うとしたら、それは逆に、聞こえる人向けの音響設備にも金をかける必要はないという論理になってしまうではないか。 議案書の公開 これまでも議会の傍聴席に議案書を数部置いて、傍聴者が議案の中身を知ることができるようにしてきたが、これも久喜市議会傍聴規則に定められた傍聴者の権利保障である。 今後、インターネット中継が実現した場合、議案の内容をホームページ上でもわかるようにするために、議案書や議案質疑通告書を議会のホームページから見られるようにしておくことが必要になるという提案であるが、いちおう各会派に持ち帰って検討することになった。 2012年8月10日 (金) 市の歌 3月に「久喜市の歌」が決まって、市長はなんとしてでもこれを定着させようと、市のいろいろなイベントの際には必ず「久喜市の歌」の斉唱を入れるようにしているらしい。 7月30日の障害者施設・歩みの郷の開所式の終わりにも「久喜市の歌」斉唱というのがあった。 斉唱で起立したときに、私の隣に座っていた他の議員が、私に向かって、「これ、あんまり好きじゃなんだよ」と言ったので、“ああ、私だけじゃないんだ”と思ってちょっとほっとしたものだ。 この歌の歌詞はひたすらに美しくて、きれいな、心地よい、耳障りのいい単語が、これでもかというほど延々と連なっているのだが、これは「市の歌」に盛り込みたい言葉=単語を市民から公募した際に寄せられた単語をすべてつなげたためらしくて、その結果として、どこにも“久喜市らしさ”が感じられない。 普通は市の歌とか市民歌といえば、そのまちの歴史なり地理、市民生活に根付いていること、いわば市民にとって“久喜らしい”と思われる事柄や特徴が盛り込まれるものだろうと思っていたが、この歌の中では1か所だけ、「利根川」の単語が出てくるだけだ。 反面、具体的事象ではない、やたらにちりばめらている抽象的イメージの単語を、全部の歌詞の中から拾ってみると、こんなぐあいである。 美しい思い こころ 信じる事の大切さ あたたかい気持ち 微笑み この街を愛して 幸せ 喜び 笑顔 久喜市の栄光 永遠 彩り あふれる緑 こころ豊か 新たな文化と歴史 あしたへの希望 ぬくもり 人のつながり やすらぎ 久喜市のきらめき 喜び やさしさ 風が見える 平和と夢 さわやかな大地 手を取り合い 愛 光っている ときめく未来 久喜市の輝き 「久喜市の栄光よ永遠なれ」といわれたって、「久喜市の栄光って、何だい?」と混ぜっ返したくなるのは私くらいか… 歌というのは個人個人で好みが違うから、別にことさら文句を言い立てることもないのだが、私的にはどうしても親しみが持てないでいる。 で、美辞麗句的な単語の連なりに、白々しささえ感じながら、好きでもない歌をなかば強制的に歌わせられる(聞かされる)のには辟易している。 それでもまあ、君が代みたいに、歌わないからって“非国民”扱いされないだけましか。 2012年8月 6日 (月) 「とねっと」のメリットと可能性? 7月7日、市議会福祉健康委員会を開き、利根保険医療圏地域医療ネットワーク「とねっと」の所管事務調査を行った。 田中市長がいろいろなイベントに出てあいさつのたびに「とねっと」の宣伝をして、「みなさんも『とねっと』に参加してください」と呼びかけているのだが、実際に今、登録することのメリットがどれくらいあるのか。 「とねっと」は、病院や診療所等の医療機関にかかった個人の医療情報を登録して、医療機関同士がおたがいに患者の医療情報を参考にすることができるシステムだという。 救急車を呼んだときにも、救急車に設置してあるパソコンで、それらの情報を見ることができるので、救急に役立つという。 登録するには、個人で市の窓口か郵送で申請すると、簡単に「かかりつけ医カード」を発行してもらえる仕組みである。 しかし問題も多い。 自分の医療情報が登録されているといっても、実際に書き込まれているのは総合病院での診察や治療の情報だけであり、普段のかかりつけ医の診療や薬の情報は書き込まれない。 だから、市長は「病院やかかりつけ医の診療記録がお互いにどこでも利用できる」かのように言っているのだが、実際には普段のかかりつけ医での診療記録は「とねっと」には登録されないから、このシステムで見ることはできない。 病歴や服用している薬の情報も登録できるのだが、これは参加するときに自分で申告しなければならないし、市の健康診断などの結果は自動的に記載されるのではなくて、自分でインターネットを使って記入しなければならないから、実際には使い勝手がたいへん悪い。 「とねっと」の対象地域は、久喜、蓮田、幸手、加須、羽生、行田などの6市3町だが、これまでに参加しているのは108医療機関で、参加者は3920人にすぎない。 久喜市内では19医療機関、市民は1262人だが、久喜総合病院と済生会栗橋病院を除くと17の診療所だけだから、私たち市民が普段かかっているかかりつけ医がほとんど入っていないので、「とねっと」の情報が活用される機会はあまりないことになる。 この「とねっと」は埼玉県の事業として実施されているものだが、今後は市の負担や、診療所の負担が求められてくる可能性もあって、このシステム自体に反対している診療所も多い。 福祉健康委員会の調査の際にも、ある議員が「自分は登録したんだけれど、かかりつけ医の○○先生は反対で、参加しないと言っている」と話していたし、私のかかりつけ医の□□先生も入る考えはないようで、これでは自分が参加する意味はないようだ。 いずれにしろ参加している医療機関がこんなに少ないのでは話にならないのだが、なぜこんなに診療所=かかりつけ医の参加が少ないか。 診療所にとっては、自分の診療所の患者の医療情報を登録するためには、端末を設置して登録作業も自前でやらなければならないのと、患者が久喜総合病院か済生会にかかった情報しか活用できないのでは、メリットが少ないと考えるのも当然かもしれない。 もう一つ考えなければならないのは、個人情報の問題である。 自分の病気治療などの医療情報が漏れたりすることが本当に絶対にないのか、最近の個人情報の漏洩事件の多発を見ていると、根底のところでこの情報化社会のシステムを100%信用していいのかどうか、自分の情報をいろんなところに登録するというのはできるだけ抑制した方がいいのではないか。 ------------------------------------------------- 久喜市内で「とねっと」に参加している19医療機関は以下の通り 久喜地区…新井医院、新井病院、久喜クリニック、江面クリニック、斉藤医院、サンクリニック、深井眼科、よしば診療所、久喜総合病院、土屋小児病院 栗橋地区…浅川医院、まがま医院、南栗橋クリニック、依田耳鼻科 鷲宮地区…高橋医院、東鷲宮病院、堀中クリニック、矢作外科内科、済生会 2012年7月30日 (月) 「緑の党」キックオフ、そして国会包囲へ 緑の党は7月28日に結成総会を開いて、「党」としてスタートしました。 翌29日には国会近くの星陵会館で“キックオフイベント”を開催しました。 前日に引き続いて、ドイツ緑の党、オーストラリア緑の党、インド緑の党(アジア太平洋グリーンズネットワーク)、台湾緑の党、韓国緑の党の代表らが、緑の党としての連帯のあいさつ、さらに加藤登紀子さんらがビデオメッセージ、俳優の山本太郎、グリーンアクティブの中沢新一、脱原発首長会議事務局長の上原公子(元国立市長)、映像作家の鎌仲ひとみ、ピースボートの吉岡達也さんら、たくさんの方々が段上に上って期待と激励のことばを寄せてくださいました。 終了後、原発再稼働に抗議する国会包囲行動に合流しました。 開始予定時刻は夜の7時ですが、私たちが国会前に到着した5時半頃にはすでに国会の周辺の歩道上は集まってきた人々でびっしりと埋め尽くされていました。 若い人たち、カップルらしい人もたくさん混じっていましたし、小さい子どもを連れたお母さんやお父さんたち、60〜70代(それ以上)と思われるかなりの年輩の方々まで、けっしてどこかの組織の“動員”ではなくて自分の意思で集まってきた人たち…。 プラカードのほとんどは手作りで、時々だれかが声を上げるのに続いて「再稼働反対」「原発いらない」「原発止めろ」などと言うシュプレヒコールがあがりますが、実はどこにもだれも“指導者”や“煽動者”はいないのです。 人々は国会前の歩道上を埋め尽くしてはいますが、組織だってデモをするでもなく、ひたすら原発再稼働に対する怒りの思いやどうしても原発を止めたいという強い意志を秘めて、歩道上を歩き続け、あるいはその場に座りこんでいるのです。 私は国会の周囲を一回りしてみましたが、印象としてはどんなに少なく見ても数万人はいたのではないでしょうか。 しかも人の波は、JRの東京駅方面から、あるいはあちこちの地下鉄の出口から続々と続いていて、途切れることがありませんでした。 警察の機動隊が国会敷地に接した歩道は完全に封鎖して、人々が反対側の歩道だけを歩くように規制してはいますが、それ以上は規制や排除しようがありません。 30日の新聞では警察発表は1万数千人ということでしたが、16日のさようなら原発集会(代々木公園)の17万人を7万5000人と言ったり、20日の首相官邸周辺に集まった9万人を7000人と言ってみたり、国家権力(古い言い方だなあ)や公安警察が、人々の自主的行動の規模をできるだけ小さく見せかけようという意図があまりにも見え透いているのではないでしょうか。 最後に、機動隊の規制で歩道上に押し込められていた人々が堰を切ったように自然に車道にあふれ出していって、車道が民衆で埋め尽くされていった映像です(知りあいからメーリングリストで回ってきました)。 http://www.youtube.com/watch?v=D5V7eNABzSY&feature=youtu.be 68、69年、ベトナム反戦運動、70年安保闘争の頃の、御茶ノ水カルチエラタン“解放区”闘争を思い出しました(古いなあ)。人々が心の底から怒りをもって、もう黙っていられなくて、動き出すときというのは、こういうものだと思います。 2012年7月21日 (土) 【7月の集まり・報告】 放射能から子どもたちを守る会・久喜 7月19日、「放射能から子どもたちを守る会・久喜」の話し合いを、ふれあいセンター・ボランティア室で行いました。 今回は7人が集まり、自己紹介の後、それぞれが抱えている不安や心配などを自由に出し合いました。 初めて参加した方々も多く、久喜市の取り組みについて、お互いに、認識や受け止め方の違いもあったりして、その場で市のホームページを見ながら、市内の放射線量やホットスポットの除染、学校給食食材の放射性物質検査の状況などを確認し合いました。 また、学校給食については、子どもに牛乳を飲ませないようにしていて、先生に飲ませるような指導をしないよう求めて了解を得たというお母さんの発言や、一つ一つの食材の産地などを細かくチェックしながら、教育委員会(学務課)にメールで食材の使用について意見を言っている、電話で直接に対応を要求してきたという話も出されました。 夏休みの親子除草作業は子どもにやらせたくない、などの意見も出ました。 市長へのメールには、田中市長の署名入りの回答がありましたが、内容は事務局が書いているので、「おざなり」という印象でした。(これはこの問題に限らず、“いつものこと”ですが…)。 2学期の給食の食材の選定、牛乳などの食事指導について、今後さらに確認していく必要がありそうです。 いずれも簡単に結論が出るとか、すぐ西の対応が変わるものではありませんが、とにかく親たちがこうして集まって、意見を出し合っていくことが大事だというのが、この日の結論です。 さらには私たちの考えをまとめて、市の教育委員会などとの話し合いの場を持って行ければいいなあということになりました。 次回は8月23日(木)午前10時から、ふれあいセンター・ボラ室です。 今回は都合が悪くて参加できなかった方も、ぜひ来てください。 (まとめ・猪股) 2012年7月 1日 (日) 当局と調整済みの議会質問って? 久喜市議会では、議会に対する傍聴者の率直な感想を寄せてもらって、議会運営に生かしていこうと、傍聴受け付け時に「傍聴者の声」の用紙を配っている。 寄せられた感想は、そのままコピーして議員に配布して、議員全員が見られるようにしている。 感想や意見は多岐にわたるが、それらの一部は「議会だより」に掲載してきた。 6月議会ではこんな「声」が寄せられた。 「一般質問の一問一答方式が単なる形式に過ぎず、…(中略)… ただ単に質問・答弁等を調整の上、持ち時間いっぱいにあえて実のない内容で時間を費やしているように思えてならない…(後略)」 この方が、どの議員の質問についてこういう感想を持たれたかははっきりとはわからないのだが、確かに、議員によっては当局を質問・答弁をしっかりと打ち合わせしているらしい人もいたりはする。 10数回におよび再質問、再答弁、再々質問、再々答弁と、すべて原稿ができあがっていて、言わばその台本を読んでいるだけというような質問があったりして、たとえば、何回目かの質問なのに、『ただ今、○○○○という答弁をいただきましたが、…』とあらかじめ質問原稿に書いてあるのを読み上げることがある。 ヤジで、『どうして当局の答弁内容が、先に質問原稿に載っているんだよ』とツッコミが入るのだが、質問している当の本人は、平気で続けているんだから大したものだと感心する。 議会は議論の場であるはずで、執行部と議員とが真剣勝負でやり合って、お互いに政策を前進させていくものだと思っている。 しかし、議員はすべて打ち合わせ済みの質問の原稿を読み上げて、執行部は打ち合わせ済みの(したがって議員がすでに了解済みの)答弁書を読めばいいのだったら、執行部にとっては、こんな楽な質問はあるまい。 ずいぶん以前に、当局の幹部職員から、「一般質問は職員を鍛える場です。議員が高い政策的見地から厳しい質問をしてくれればくれるほど、職員の政策形成能力も高まるんです」と言われたことがあった。 逆に議員も真剣勝負であればこそ、ヘタな質問をして当局に笑われたくはないから、議員の質も問われるのであって、議員が調査を踏まえて高い政策的提言を行っていくことで、行政の質を高めながら議員自身も磨かれていくものだと思う。 10年くらい前に兵庫県のある市を視察したときに、その市では議案質疑を時間制限なし、回数制限もなしでやっていて、こちらが『たいへんでしょう』と同情すると、その市の執行部職員は『無制限一本勝負です。でも、職員は専門家なんですから、議員に聞かれたことにはその場ですぐに答えられるのがあたりまえなんです』と胸を張って答えたものであった。 もしも仮に、すべて事前に『こう聞くからこう答えてね。そしたら次にこう聞くから、次の答弁はこれでお願いね』と馴れ合いの打ち合わせ通りにやっていったりしても、それは見ている市民には見透かされてしまうのではないか。 2012年6月27日 (水) 市が政策審議機関における職員の意識、市民の意識 傍聴希望者に名前を書かせようとした職員 25日、久喜市のある政策審議機関である『○○運営協議会』の会議を傍聴した まず会場に入ろうとしたら、受け付けで職員から、「住所と氏名を書いてください」と言われたので、驚いて、「えっ、名前を書かなくちゃいけないの?」と聞き返したら、「お願いします」と言う。 久喜市個人情報保護条例では第7条で「実施機関は、個人情報を収集するときは、あらかじめ個人情報を取り扱う目的を明確にし、当該目的を達成するために必要な範囲内で、適法かつ公正な手段により行わなければならない」となっているから、住所や氏名を書かせようとするなら、その目的を説明しなければならない。 その説明もなく、いきなり住所と氏名を書いてくださいといわれたら、普通の市民はそんなものかと思って、素直に書してしまうだろう。 しかしこれは明らかに、久喜市個人情報保護条例違反の行為である。(個人情報保護法違反でもある)。 そもそも、市役所が、傍聴にきた市民に住所と名前を書かせて、何に使うというのか。 まさか、この人はどこの誰だか、どうして傍聴にきたのかを調べて何かするわけではあるまいし、市政に関心のある市民の名前を収集して取っておいたり、市長に報告するわけでもあるまい。 傍聴者の住所、氏名を書かせる必要はまったくないのであって、合併前から久喜市では名前なんか書かせていなかったはずだ。 市議会からしてもそうだが、会議傍聴しようとすれば、希望者は誰でも、名前なんか書かないで、すきな時間に自由に傍聴席に出入りできるようになっている。 そこで、その受け付けで「住所と氏名を書いてください」と行った職員に、「これ、おかしいんじゃないの? 何のために名前を書かせるの?」と聞いたら、職員はそこでやっと「まずい」と気付いたらしく、あわててその用紙を引っ込めた。 久喜市の他の審議会で、まさか名前を書かせているところはないだろうか、もしかしたら合併後、そうした原則が崩れてきてしまって、市の職員みずからが平気で条例違反をやっているのかも知れない。 その足で公文書館に行って確認したら、「何度も職員に指導しているんだが、どうしても理解が行き届かないで、名前を書かせようとする職員がいるようだ。あらためて指導します」という話だったので、他の審議会等で、名前を書かせているところがないかどうか、調べてほしいと言って帰ってきた。 会長の選任は「互選」のはずが… もう一つ、この『○○運営協議会』でおかしなやりとりを目にした。 この日が初めての会議だったので、会長、副会長を選出するのだが、条例には「委員の互選によってこれを定める」と規定されている。 ある委員が、「××さんを推薦します」と発言して、まあこれは事前に打ち合わせしてあったのだろうが、それはそれでいいとしよう。 続けて他の委員が、「事務局で準備している人はいますか?」と発言して、事務局の職員が「××さんをお願いします」と応じたのには、またまたびっくりした。 会長、副会長の選任は、条例(参考に各委員に配布されていた)に「互選で」と書いてあるのに、この2人目に発言した委員さんは、事務局の意向を聞いてから決めようというのらしい。 そもそも、これらの審議会等を市民参加で設置している意味は、委員さんたちがみずから審議して政策形成をしていくことが期待されているはずだが、最初の会長の選任からして、「事務局で準備してくれているだろう」「当局が決めた人を選任すればいい」と考えているのだとしたら、あまりにも主体性がなさ過ぎるではないか。 協議会の運営を、事務局=行政当局の意見を聞きながら、それに合わせて進めていくのだとしたら、わざわざ市民参加の政策審議機関を設置した意味はなくて、時間と金(委員報酬)のムダということになる。 事務局が会長候補の名前をあげたのもおかしいのであって、(仮に打ち合わせしていたとしても)、行政当局から会長候補を推薦したりなどしないで、条例の「互選で」という規定を説明して、委員さんたちの協議に委ねるべきだったのだ。 以前に他の審議会を傍聴したときにも、委員の中から問題提起が出されたことについて、ご意見をどうぞと投げかけられたのに対して、すぐに「当局の考えを言ってもらわないと審議できない」と言い放った委員さんがいたことがあったのを思い出した。 こういう人は、市民参加の審議会にいること自体がふさわしくないと言わざるをえない。 当局も、何でもすぐに行政の方針に誘導しようとするのではなくて、できるだけ委員の議論に委ねるべきではないか。 2012年6月15日 (金) 理科大久喜キャンパスの移転が決まった 6月14日、市議会全員協議会が開かれ、市長が東京理科大の“一部”が移転することが決まったという報告があった。 昨年7月29日に、理科大の常務理事が市役所に来庁し、経営学部久喜キャンパスの全部を、東京神楽坂キャンパスへ全面移転したいという申し入れがあり、その後、事務レベルでの協議を行ってきた。 最終的に6月13日の理科大理事会で、2016年4月から2年生以上を全部移転し、久喜キャンパスには1年生だけを残す計画が決定されたという。 市長は、「一部移転」だと説明したが、1年生だけが残るというのでは、むしろ、「大部分の移転(撤退)」というのが正しい。 理科大経営学部は、1993年に開設された。 その当時、久喜市は市の知名度を上げることと、若者の市内への居住や活動を促進することなどを通じて市の活性化にもつなげたいという目的から、いろいろな大学に対して誘致運動を繰り広げた。 結局、東京理科大の経営学部を新設するという形で“誘致”が決定したのだが、誘致条件として、久喜市からは用地取得や校舎建設費用の一部として30億円を負担し、さらに道路や 下水道などの周辺整備も久喜市の費用で全面的に実施することになって、全部で40億円くらいの負担をしたと聞いている。 しかし実際には、経営学部が理科大の本体ではないこと、東京から離れた久喜キャンパスの人気は必ずしも高くなく、市内への学生の居住者も多くないようで、当初の大学誘致の目的や期待された効果がどれほど実現したかは疑問である。 理科大の“移転”のウワサは、昨年(あるいはそれ以前)から聞こえてきていて、正式決定も時間の問題という印象はあった。 実は私たちの会派・政策会議で、行政と大学の連携強化、市内のさまざまな場で学生の活動を拡大し、参加を促進していくために、大学や学生組織と話し合いの場を持ちたいと考えて、市行政を通じて、また直接に大学や学生組織に連絡を取っていたのだが、ついにそうした機会を持つことができなかった。 私たちは議会の立場から、隣の宮代町では日本工業大学と町との連携が非常にうまくいっているのを見ていて、久喜でもそうした連携をつくっていきたいと考えていたのだが、すでに“移転”の計画が進んでいた中では、行政としては信頼関係もつくりようがなかったわけだ。 また、「理科大移転のウワサ」の真偽について、市の幹部職員に対して確認を依頼した際には、その幹部職員は『単なるウワサです。そんなことはありません』と強弁していたのだが 、あれはすでに理科大からの申し入れ(昨年7月)があったのにそれを言うわけにもいかなくて知らないふりをしていたのらしい。 市長から議会への説明によると、市長は理科大に対して『遺憾の意』を表明し、『久喜キャンパスの将来的な展望を示すよう』申し入れたと言うが、土地にも施設にも久喜市としては何らの権利もないし、30億円の補助金も条件付きというわけでもなかったから、今となってはいかんともしがたい。 1年生だけが残るというのも、学生の教育環境として、また経営的効率性としては疑問だし、300名程度の学生が1年生の間だけ通学しても、それによる地域活性化への効果もあまり期待できないと思えられるので、もはや大学側に対して跡地利用の検討を求めていく方がいいのではないか。 2012年6月 8日 (金) 子ども医療費無料化の拡大ーー市長の政策方針の転換 6月議会の一般質問で、2人の議員が「子ども医療費無料化の範囲拡大」を求める質問を通告している。 その1人目の質問が7日にあったのに対して、普段から滅多に答弁に立たない市長がみずから挙手して答弁席に立ち、「平成25年度から、子ども医療費について、通院を中学生まで無料化の範囲を拡大する」と述べた。 久喜市ではこれまで、小学生までの入院と中学生までの通院が無料化となっていて、窓口払いの撤廃も実現してきた。 議会では再三にわたって、さらなる無料化の範囲拡大を求める質問や要求が出ていたのだが、これまでは財政難を口実にして実現しないできた。 市民の福祉、特に子育て支援を目的とした子ども医療費の無料化という、市長の政策方針の転換が、市民の声を反映した議会の意思の実現であることは間違いないし、これ自体は大いに歓迎したい。 ただし、市長の中長期的な計画的な行政の推進と、政策方針の転換のあり方については、少々気になることがある。 今回市長は、「これまで拡大について検討を続けてきていた。来年度から実施することにした」と答弁したのは、“けっして議会における質問があったから、議員の要求に押されてのことではない”と言いたかったのかもしれない。 しかし、市長が行政内部で検討を続けてきた結果の政策転換であるというにしては、いかにも今回の市長の政策方針転換の表明は唐突の感が否めない。 予算は単年度予算で編成されるものであるが、行政は中長期的な見通しを持って計画的に行わなければならないのであるから、市長は常に市民の前に中長期的な観点からの政策を提示しておくべきであろう。 今回のような政策方針の転換を図る際にも、議会の質問に答える形でなくても、市長がみずから進んで、たとえば2月議会の施政方針演説の中などで、政策方針の転換を図ることを明らかにした上で、『25年度から無料化の範囲を拡大するため、今年度中に準備を進める』くらいの展望を示しておくべきではなかったか。 今後も政策方針の転換を図ることがあるだろうが、その際の市民への公表のあり方についても考えていく必要があるのではないか。 2012年5月16日 (水) 「エネシフ」、脱原発の勉強会に参加 5月15日、衆議院第1議員会館で「エネシフ・ジャパン」の勉強会が開かれたので参加してきた。 「エネシフ」は、エネルギーシフトの略で、「原発にも石油石炭天然ガスにも頼らない日本を創ろう」「日本を自然エネルギーにシフトする」をテーマに、超党派の国会議員が参加して、昨年4月以降、毎週、国会内での勉強会を続けている。 昨日は21回目の勉強会で、慶応大学経済学部教授・金子勝氏の講演会だった。 金子氏は、5月9日に、東電と原子力損害賠償支援紀行による総合特別事業計画が策定され、この中で家庭向け電気料金引き上げや柏崎刈羽原発の再稼働を前提にしていることについて、分析、批判した。 電気料金値上げは、原発を止めて火力発電の燃料費の上昇によって電力会社の赤字が原因であるかのように説明されているが、化石燃料の価格上昇は原発の停止とは関係なく続いているのであって、むしろ中国電力や四国電力などの原発依存度の低い電力会社や、原発のない沖縄電力や電源開発で経常損益の黒字が続いていることからして、燃料費の上昇げ原因とは認められない。 原発は、止めていても放置しておくわけにはいかないで多額のメンテナンス費用がかかる、危険で動かせない状態になると、利益を生まない一方で、借金返済とメンテナンス費用だけがかさんでいく“不良債権=不良資産”と化してしまう、これが電気料金引き上げの本質があるというのです。 原発依存度の高い電力各社では、原発を止めていると、それだけで毎年1000億〜200億円くらいの赤字が出て、数年すると自己資本を食いつぶしてしまう。 だから、電力不足だから原発を再稼働させなければならないのではなくて、原発を稼働させて原発の電気を売っていないと電力会社の赤字が増大する仕組みになっているから、原発を再稼働させたいのだという指摘である。 電力会社や政府は、電力不足になる、停電になると脅しながら、実際には最大需要のピークを抑えれば電力供給は十分であるということは明らかだし、9電力以外の民間の余剰発電能力を最大限活用すれば原発停止分をカバーできるはずなのに、政府からも電力会社からもそうした説明はされていない。 東電の総合特別事業計画では、福島第1原発1〜4号機の廃炉費用1兆1510億円が載っているだけ(これでは足りないことは明らかだが)で、第1原発の5、6号機や福島第2原発の廃炉費用は入っていないが、これは今後動かすという前提か。 政府の「冷温停止」「収束」宣言で、一部の困難区域を除いて、20mSv未満の区域は住民の帰還を促進する計画になっているが、これは賠償額を圧縮しようというのがねらいではないか。 しかもこの計画に除染費用が計上されていないということは、20mSv未満の区域については根本的な除染作業は行わないで、賠償もしないことを意味するのではないか。 その上で金子氏は、すべての原発の即時廃炉を求めたいが、廃炉費用にも相当額の公的資金注入が避けられず、国民的合意が形成できるか疑問である。 したがって、現実的には、原発の新増設はしないことを前提に、(1)福島原発尾同じく地震に弱いマークT型の格納容器を持つ17基、(2)すでに40年を経過している老朽原発、(3)や浜岡、柏崎刈羽などの地震の危険性の高い地域や活断層の上に立地する原発、(4)東日本大震災の影響を受けた女川、東通、東海第2などの原発の廃炉を優先することを提起された。 2012年5月15日 (火) 反原発自治体議員・市民連盟の総会に参加しました 5月13日、御茶ノ水の明大校舎で、反原発自治体議員・市民連盟の第2回総会が開かれたので、参加してきました。 これは実は、「原発廃止を自治体の立場から進めよう」と、2011年3月11日の大震災の前、1月に結成準備会が開催されていたのですが、3・11原発震災発生後の5月22日 に正式に結成総会が開かれ、現在約250人の自治体議員と市民が参加しています。 この間、「浜岡原発NO!連帯バスツアー」反原発集会への参加、政府や、浜岡、玄海、伊方、大飯など各地の立地自治体への再稼働反対の申し入れなどの行動を行ってきました。 総会の後に、元スイス大使で反原発の国際的な活動を続けている村田光平さんの講演を受けました。 今後、大飯や伊方原発の再稼働反対の支援ツアーなどを予定しています。 2012年5月 7日 (月) 「生産者は安全なものを出している」という抗議 今日(5月7日)、久喜駅頭で『声と眼』436号を配布していたら、受け取っていただいた方が階段の上からわざわざ引き返してこられて、大声で怒鳴られてしまいました。 「学校給食食材の放射性物質検査の、体制と内容の充実を求める」という記事についての抗議です。 その方は、「この記事は間違っている」「生産者は安全なものだけを出しているから安全なんだ」「放射能は昔から地球上に存在したんだ」と何度も繰り返されて、『声と眼』の記事は間違いだから「訂正記事を出せ」とおっしゃられました。 もちろん個々の生産者の方々は「危険かも知れない」なんて思いながら出荷する人がいるはずはありませんが、今回の放射能の問題に限らず、必ず“漏れ”がありえます。 安全だと信じていたものが、安全でなかったという事態が現実にあるのですから、したがって、食の安全を確保するためには2重、3重のチェック体制が必要なことはだれも否定できないはずです。 市の教育委員会も、昨年の議会で最初は、「市場に流通している食材は安全性が確保されているから、放射性物質検査を行う必要はない」と答弁したものでしたが、それでは子どもたちの安全・安全は保障されないし、市の教育委員会自身が責任を持たなければならないということで、その後、外部の検査機関に委託して検査して公表するようになりました。 もう一つの「放射能は昔からあった」という言い方も、3・11後によく言われた言葉ですが、それならば放射能の検査自体が必要ない、“放射能、放射能って騒ぎすぎだ”ということになってしまいます。 自然界にも放射性物質が存在していて、私たちはそれらを浴び続けているわけで、そうであればなおさら、それ以上には、できるだけ放射能を浴びない方がいい、−−これはもう日本人にとって常識になってきたと思っていたのですが、そうでなかったとしたら、たいへん残念だと言わざるをえません。 ひとつ付け加えておきましょう。 農業生産者の方々が、いわゆる“風評被害”に頭を悩ませていらっしゃることは理解できますし、同情もします。 しかし、私も含めて多くの市民や保護者の方々が放射能汚染を騒ぐことが問題なのではなくて、東電福島第1原発事故が原因で、土地と水と農業生産物が多かれ少なかれを汚染してしまったことが問題なのであり、いまだにその賠償責任についての態度や方針が明確に示そうとしない、東電と政府が問題なのではないでしょうか。 私たち市民も生産者も、できるだけ被曝をしないためには、食材の放射性物質についてきちんと検査して、特に子どもたちの身体に中に入れないように注意するしかありません。 その上で、私たち市民と生産者とが、被害を与えた原因者である東電と政府の責任をこそ追及していかなければならないのだと思います。 2012年5月 6日 (日) 対立を煽り、攻撃を一点に集中させる政治手法 昨日、橋下徹代表・維新の会の「家庭教育支援条例(案)」なるものについて書いた。 あれは、「条例(案)」として流布しているが、実態は「案」の前の「原案」、あるいはその前の「素案」か何かの段階だろう。 それでも、橋本徹や維新の会の政治的手法が見えてきて、たいへん興味深い。 第1には、有権者が不満とか疑問を抱いている課題を見つけて、それを政治的焦点に浮かび上がらせ、第2には、特定の“ワルモノ”を仕立て上げて、問題の原因がそこの一点にあるかのように攻撃を集中させる手法である。 この「家庭教育支援条例(案)」に関して言えば、それは発達障害や不登校が最近数年間の間に急に社会的問題になってきたことであり、保護者や子どもたち全体から見ればそれらは“ほんの一部”なのに、教育の大問題であるかのように取り上げられることに対する、他の大多数の“普通の親子”からの違和感である。 「うちの子やまわりの子たちは別に問題ないのに、なぜ障害児や発達障害の子のことばかり大騒ぎするのか」「そういう子は特別支援学校に行かせればいい」という、ある意味ではやっかみであり、差別意識である。 「不登校なんて、一部の特別な子と親だけの問題で、うちの子には関係ない」という、意識である。 ものごとを単純化して、“ワルモノ”を提示して、問題の原因をそういう子を育てた親の問題だというふうに押し付けてしまうというのは、きわめてわかりやすい論理である。 読売新聞が「児童虐待や、無理難題を強いる『モンスターペアレント』の出現を防ぐ狙い」と書いたのは、まさに親を“ワルモノ”に仕立て上げようとした維新の会のねらいに、無批判に乗っかったもの以外でない。 同じ維新の会が提案した、大阪府や大阪市の「教育基本条例」は、教師を“ワルモノ”に仕立てて、教育の諸問題の原因を教師に押し付けて、教師に対する管理を厳しくすれば解決するかのような幻想を煽り立てた。 「職員基本条例」は、職員や労働組合を“ワルモノ”に仕立て上げた。 社会の対立を煽り、一方を敵に仕立て上げて、みずからへの支持を集めるやり方は、まさにファシズムの手法に他ならない。 そういえば数年前、裁判中であった「光市母子殺人事件」で、橋下徹が煽り立てたのは、容疑者に対してではなく、その弁護団を“ワルモノ”に仕立てて、弁護団への抗議を扇動したのであった。 またその手法は、小泉元首相のやり口をまねているとも言われるが、小泉がかつて郵政民営化でやったのは、郵政官僚と労働組合を既得権にしがみつく“ワルモノ”に仕立て上げ、反対する国会議員を「守旧勢力」として集中攻撃を浴びせかけて、総選挙に勝利し、郵政民営化を押し通した。 しかし「なぜ郵政民営化をしなければならなかったか」は、当時も今も誰も説明できないシロモノであったし、今年、国会では郵政民営化見直し法が成立した。 2012年5月 5日 (土) 発達障害や不登校は、親の愛情不足が原因か あの橋下徹大阪市長が代表を務める大阪維新の会が、「家庭教育支援条例(案)」なるものを大阪市議会に議員提案しようとしているという記事が、5月5日、いくつかの新聞に掲載された。 親の愛情不足が発達障害や虐待や非行、不登校、引きこもりの要因であるとか、「わが国の伝統的子育てによって発達障害は予防、防止できる」から、親やこれから親になろうとしている人たちに対する教育をしなければならない、そのために、保育園や幼稚園での体験の義務付けや、「親学」を指導するなどというものだ。 発達障害や虐待を、親の愛情不足とか育て方に問題があるのだというような規定、そして親を教育すれば発達障害や不登校が予防、防止できるなどと本気で考えているとしたら、それはそのような子どもたちや親たちと話したり接したりしたこともない、教育の現場のことを知らない人たちが作った条例案であると言うしかない。 そこで、インターネット上に掲載された「家庭教育支援条例(案)」なるものの原文に当たってみたのだが、いちばん問題になっているのが以下の第4章である。 -------------------------------------- 第4章 (発達障害、虐待等の予防・防止) (発達障害、虐待等の予防・防止の基本) 第15条 乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因であると指摘され、また、それが虐待、非行、不登校、引きこもり等に深く関与していることに鑑 み、その予防・防止をはかる (保護者、保育関係者等への情報提供、啓発) 第16条 予防、早期発見、早期支援の重要性について、保護者、保育関係者およびこれから親になる人にあらゆる機会を通じて情報提供し、啓発する (発達障害課の創設) 第17条 1項 発達障害の予防、改善のための施策は、保育・教育・福祉・医療等の部局間の垣根を廃して推進されなければならない 2項 前1項の目的達成のために、「発達障害課」を創設し、各部局が連携した「発達支援プロジェクト」を立ち上げる (伝統的子育ての推進) 第18条 わが国の伝統的子育てによって発達障害は予防、防止できるものであり、こうした子育ての知恵を学習する機会を親およびこれから親になる人に提供する (学際的プロジェクトの推進) 第19条 保育・教育・福祉・医療等にわたる、発達障害を予防、防止する学際的研究を支援するとともに、各現場での実践的な取り組みを支援し、また、その結果を公表することによって、いっそう有効な予防、防止策の確立を期す -------------------------------------- もっとも、この「条例(案)」なるもの、4章だけでなく、前文から始まるすべてが問題だらけなのだが、条例条文としては文章や用語の使い方からして未成熟であるし、きちんと検討された形跡もない、しかも「前文」の最後の方には「本県の未来を託す子供たち」なんて文章も出てくるから、これはどこかの意図を持った組織の文章をコピペしたものとも疑われる。 維新の会が、この「条例(案)」なるものの全体で、現代の子どもたちの問題や子育ての問題を、親と家庭の責任に負わせようという考え方に立っていて、だからまず親たちを指導教育しなければならないという論理構成は、あまりにも非科学的と言うしかない。 しかしそれでも、発達障害や不登校などを論ずるときに、『親(の育て方)が悪いんだ』と責任を押し付けて非難するのは簡単だし、一部の人たちの喝采は浴びるのかも知れぬ。 しかしそういう対立を煽るやり方は、政治の名には値しないし、教育とはほど遠い。 2012年5月 4日 (金) 脱原発に関する、全国自治体首長アンケート 「通販生活」のホームページに、全国の自治体首長に対して、脱原発に関するアンケートを実施した集計結果が載っている。 http://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/head_quest/zentai.html それによると、全国の都道府県知事、市町村長1685人にアンケートを送付して、回答は1101人(回答率65.3%)で、その内訳は次の通りであった。 A.即時廃炉にすべき 24人 2.2% B.新規の増設は認めず、2011年3月を起点として10年以内に廃炉にすべき 154人 14.0% C.新規の増設は認めず、10年以降、政府が決めた寿命40年の間で廃炉にすべき 373人 33.9% D.今後も原発は存続。新規の増設も認めるべき 9人 0.8% E.A〜D以外 541人 49.1% Eは自由記述回答であるが、何らかの前提を付けた脱原発派(39人、7.2%)、前提つき脱原発依存派(251人、46.4%)が多数であるのに対して、どちらかと言えば原発容認派(48人、8.9%)は圧倒的少数、その他の203人(37%)は態度保留、国民的な議論や国民投票、福島第1原発事故の徹底的な検証を求めるなどである。 Dの「原発存続」派とEの「どちらかと言えば容認」派を合わせても、回答者全体の5%には達しなかったわけだ。 集計結果に付記されたコメントには、「10年以内の廃炉を主張する首長はわずか16.2%だった」「これは3.11後を生きる私たちの思いとは、少しかけ離れているのではないか」と書かれているのには、私もまったく同感ではあるが、それでも「脱原発依存」と回答した首長が圧倒的多数であることは確認できたのではないか。 さらに私は、1人1人の首長さんたちが、みずからの政治的立場を表明したことに意味があると考えていて、特に自由記述欄に首長さんたちの思いを書いたその文章は読み応えはある 。 詳細は、各都道府県別の各市町村長の個別回答を、直接に見ていただきたい。 さて、しかしである。 その個別の回答が全文掲載された中に、久喜市長の名前が載っていないのはなぜか。 田中市長が、回答しなかった35%の首長さんたちの中に入っているのだとしたら、残念だと思うのは私だけではあるまい。 市長が、送られてくる手紙や意見、アンケートなど、それらのすべてに何が何でも答えるべきだとまでは言うつもりはないが、こういう、国民的な議論になっている問題について、全国的に実施されたアンケート調査に対して、それがいかに微妙な政治的問題をはらんで安易には回答しにくいとはいえ、無視したり、無回答ですませるというのは恥ずかしくはないか。 秘書課に「回答を出さなかったのか」と確認したところ、市長は回答するかしないかも含めて環境管理課に判断をまかせてしまって、判断を“マル投げ”された環境管理課では、“外部業者”からのアンケートだったので、回答する必要はないと考えて、放置したらしい。 「回答しない」ことを市長や秘書課に相談もしていないし、アンケート用紙も保管していないというオソマツさであった。 全国で65%の首長がまじめに回答しているのに、久喜の田中市長は自分で回答しようともしなかったらしいのである。 田中久喜市長を含め、政治家は、これらの政治的な政策課題について、自分の見解を明らかにしていく責任を負っていると考えるが、いかがか。 2012年5月 3日 (木) 久喜市に、放射性物質検査機器の配置が決定(2) 5月1日に、久喜市への放射性物質測定器の配置が決まったと書いた。 ⇒ 猪股のホームページを参照 【原発震災】 消費者庁の事業で、国民生活センターを通じて全国の市町村に検査機器を無償で“長期貸与”しているもので、12月までに224台、4月の第4次配分で久喜市を含めて170台の配分先が決定し、全部で394台が全国の自治体に配置されることになった。 昨年8月に、福嶋浩彦消費者庁長官(元我孫子市長)の勉強会に参加した際に、こういう制度があることを教えてもらって、さっそく9月市議会の一般質問で、「すぐに申請するように」提案したのだった。 しかしある意味では当然のことながら、被災地や放射線量の高い地域の自治体が優先で、1次、2次、3次配分までに県内では吉川市や八潮市、三郷市などへの配分が決定したものの、久喜市は該当しなかった。 今年の2月議会では、もうこの配分決定をただ待っているだけでなく、久喜市が自前で購入するよう市長に決断を迫り、田中市長も「第4次で該当しなかった場合には、市で購入して検査を実施する」と答弁したのであった。 今回、久喜市への配分が決定されて、実際に配置されるのは、秋ごろになるらしいが、久喜市はこれを、おもに学校と保育園の給食の検査に使用していく方針である。 5月から宮代町に設置された検査機器を活用しての週1回の検査が始まることになるが、秋以降はそれと合わせて久喜市が独自に使える検査機器が設置されるわけで、給食の検査体制は格段に充実すると期待される。 そこで、この検査機器のもう一つの活用方法を提案しておきたい。 それは、市内の農家や家庭菜園で生産された農産物、市民が購入した食材の検査依頼にも応えてほしいということである。 埼玉県内でこれまでに国民生活センターの検査機器の貸与を受けた自治体は5市町あって、以下のように使っている。 《2次配分》 八潮市…市内の農産物(農業者が生産したもの)の検査 吉川市…学校および保育園の給食の検査 《3次配分》 5月から使用開始 三郷市…家庭菜園で生産された農産物など、市民の依頼に応じて検査する予定 毛呂山町…町内農業者の生産した農産物と、学校給食、保育園給食の検査に使う予定 寄居町…町内農業者の生産した農産物の検査にあてる予定 つまり、5市町の内、給食の検査専用にしているのは吉川市だけで、他はみな、市内(町内)の農産物や市民が食材の検査を依頼して、それに応えて検査することにしている。 久喜市も、放射能に対する市民の不安をなくし、市内で安心して子育てしていける環境を作っていく、さらに農家や家庭菜園などで作った野菜を安心して食べていけるためにも、市民から生産物や食材を検査してほしいという依頼を積極的に受け入れて、市がこれらの検査を進めていくように求めたい。 2012年5月 2日 (水) 学校給食の放射性物質検査(1) 埼玉県教育局が宮代町役場に配置した放射性物質測定器を使って、学校給食食材の検査が始まっている。 宮代町ではさっそく週2回、翌日の給食に使用する食材を2〜3品目ずつ測定していて、その都度、町のホームページに掲載して公表している。 http://www.town.miyashiro.saitama.jp/WWW/wwwpr.nsf/ea760eb38c94dd42492571dc00015d67/c4feae0fca0d084e492579ec00177928 久喜市の分は5月7日から測定を開始することになっていて、5月中は毎週月曜日の午後、6月は火曜日の午後に測定する予定である。 久喜市の学校給食は久喜地区(全農食品給食センター)がA、Bの2コース、菖蒲地区は市の学校給食センター、栗橋地区は小学校が自校調理、中学校は行田の産業給食センター、鷲宮地区が市の学校給食センターと6つの方式が混在していて、食材の仕入れもそれぞれ異なっているので、市の教育委員会では、毎週地区(コース)ごとに食材を3品目ずつ検査していく計画を立てている。 今週は久喜のA、来週がB、次が菖蒲という具合に検査していって、学校給食を6週、7週目に保育園の給食を測定する予定だそうで、そうするとそれぞれの給食については7週間に 1回しか検査しないことになる。 これまでは、12月から毎月1回、学校給食の全部の地区(コース)と保育園の給食について、それぞれの食材を3品目ずつ検査してきていたので、かえって検査頻度が減って、検査 体制が後退することになるのではないか。 教育委員会に聞いたところ、慣れてきたら食材数を増やしていくので後退ではないと言っているが、これはちょっと納得いかない。 この検査機器を活用することによって、検査体制や内容を充実させていけると期待していたのだが、これまで毎月21品目(3品目×7コース)だったのが、毎月最大15〜20品目(3または4品目×最大5週)に減り、各コースの給食を月1回検査していたのが、7週間に1回になるのでは“後退”と言うしかないではないか。 埼玉県は県内自治体の検査体制の充実のために検査機器を宮代に配置したはずなのに、逆に久喜市ではそれによって検査体制が後退してしまうというのでは、誰が見たって納得いくわけがないではないか。 教育委員会がそれでいいんだとするとしたら、それは市民の期待を裏切る行為である。 教育委員会は、宮代の検査機器が使えることになったからといって、これ幸いとこれまでの検査委託の費用を削減してしまうのではなく、外部の検査機関への委託による検査も継続して、宮代での検査と合わせて、少なくともこれまでと同じか、できればそれ以上の頻度と内容での検査体制を確保するべきではないか。 それと、食材の検査だけでなく、調理後の給食1食分丸ごとの検査もぜひ実施してほしいと思うのだが、いかがか。 2012年4月 5日 (木) 宮代町の放射性物質測定器を見に行ってきた 県内でも学校給食などの食材料の放射性物質検査を行う自治体が増えてきています。 埼玉県内でこれまでに、蕨市、川口市、ふじみ野市、越谷市などで自前の放射性物質測定器を購入したり、八潮市や吉川市では消費者庁(国民生活センター)からの測定器の貸与を受けて、市で測定体制を作っています。(もっと大幅に増えているはずです)。 測定器を設置して自前の測定体制を作る自治体はその後も増えてきていて、これらの市では学校給食の食材料を毎日測定して、放射性物質下検出された場合には給食に提供しないなどの方針を打ち出して、子どもたちの安全を守る姿勢を明確にしています。 久喜市もようやく12月から、給食の食材料を外部機関に委託して放射性物質の検査を実施していますが、給食提供前の検査はできていませんし、検査頻度は1か月に1回程度ですから、食べた後で食材料の安全性を確認するという意味はあっても、給食として提供する前に検査して、子どもたちの安全を確保することにはなっていません。 久喜市ではこれまでに、国民生活センターが全国の自治体に配分する測定器の申請をしていますが、1月の4次配分までには該当しないで、次回の配分に期待するとしていますが、いったいいつになるかはわかりません。 私は2月市議会の一般質問で、久喜市で購入するように求めた結果、市長が次回の配分に該当しなければ購入するという方針を初めて明らかにしましたので、4月以降には測定体制の構築へ動き出すと思われます。 1月には埼玉県が、5台の測定器を購入して、県内自治体に貸与する方針を打ち出したので、久喜市もすぐに申請するよう提言していたのですが、残念ながら久喜市は申請もしませんでした。 なぜ申請しなかったかといえば、設置する場所がない、測定の体制について検討しないとならないなどの理由だったらしいのですが、これは本気で子どもたちの安全を守るために行動していこうという姿勢の欠如と言うしかありません。 結局、県東部地区で手を挙げたのは宮代町だけだったそうで、3月下旬には、測定器が宮代町にやってきました。 そこでさっそく4月4日に、宮代町役場に行って、設置された放射能測定器を見せてもらいました。 Techno AP TN300B クリックで写真拡大 町役場2階の小さな部屋(3月までは市民の喫煙室だったそうです)を測定室にして、すでに据え付けられていましたが、また部品が全部来ていないということで、実際の測定開始は5月以降になるようです。 毎日の学校給食の食材などについて、町独自の体制を作って、測定を進めることになります。 この測定器は、いちおうは地域の特別支援学校の給食も含めて、近隣の自治体からの測定依頼にも応じていくことになっていますが、やっぱり設置している宮代町の地元の検査が優先されることになるのは、ある意味で仕方のないというか当然のことでしょう。 久喜市もこの測定器を使わせてもらえるものと期待しているようですが、早く独自の検査機器を購入・設置して、久喜市の学校給食や保育園の給食、さらには市内の生産者や市民からの測定依頼にも応えられる体制を作っていくよう求めていきたいと思います。 2012年3月17日 (土) 千葉県長生村議会の大きな議会改革 3月16日、政策会議で千葉県長生村議会の視察研修を行いました。 長生村は千葉県北東部、九十九里浜に面した面積28平方キロ、人口1万5000人ほどの小さな村で、銚子市や旭市の南に位置しています。 見渡す限りの平地で丘らしい丘、山らしい山もありませんから、もしも大地震が来て、大津波が襲ってきたら逃げようがないといいます。 昨年の3.11ではここには津波の被害はなかったそうですが、もし津波に襲われたら3階建ての村役場や学校の屋上に上るか、車に飛び乗ってひたすら内陸部に向かって逃げるということになるようです。 さて、長生村議会は、2008年12月定例議会で『議会基本条例』を全会一致で可決し、同時に「通年議会制度」を実施しています。 議会基本条例は今や全国の地方議会の必須条例になりつつありますが、残念ながら中には流行に乗った“オカザリ”的な基本条例もあります。 しかし長生村の議会基本条例は、「議会活性化特別委員会」を設置して、さまざまな立場の議員が政党的な立場の違いを超えて研究と議論を重ね、議会の活性化をめざして練り上げたものです。 説明資料には「議会の果たすべき役割を議員みずから再認識してもらうこと、議会の存在意義を執行機関と住民に理解してもらおうと考え、議会改革に着手しました」とありました。 特徴的な改革は、一般質問、議案質疑とも一問一答制を導入したこと、議会の議決事件として、基本計画、地域防災計画、都市計画マスタープラン、障害者計画・障害者福祉計画、高 齢者保健福祉計画・介護保険事業計画、環境保全公共下水道計画を定めたことなどです。 “通年議会”とは何か また同時に合意して2009年1月から実施した「通年議会」は、首長に対して議会が主体性を持って議会運営に責任を持っていこうという意思のもとにとりくんだものです。 現在の地方自治法では、議会の招集権は議長にはなくて、首長が招集することになっていますから、首長は議会を開かずに専決処分だけで条例や予算を決定して執行することができる、たいへん大きな権限を持っています。 この専決処分は、「議会を開くいとまがない」場合という例外規定なのであって、その後に議会を開いて議会の承認を求めなければならないのですが、仮に議会が承認しない場合でも、すでに執行された条例や予算は有効とされていますが、これは現行の地方自治法の矛盾と言わざるをえません。 この矛盾を解消するために、通年議会では、たとえば毎年1月に議会を招集、開会し、年間を通して1会期として、12月に閉会するというものです。 3月、6月、9月、12月の年4回、首長は議案を提案して議案審議と一般質問を行うのは、現在と同じですが、その4回の定例的会議とは別に緊急に議案を提案する必要が生じた場合には、首長から議長に依頼して、いつでも本会議を再開して開催することができます。 いつでも本会議を再開できるのですから、首長が議会に諮らずにものごとを決めてしまう、専決処分は必要ないことになります。 また、現在のような年4回の定例議会制では、閉会中には、議会は定例会の中であらかじめ決めておかなければ委員会を開くこともできませんが、通年議会制度とすれば、いつでも委員会を開いて所管事務調査や政策の研修会なども開くことができるようになります。 実際に長生村議会では、通年議会の制度を実現することによって、委員会の所管事務調査が活発に行われるようになった、以前は首長の主導で行われていた議会が、主体的な議会運営が図られるようになったとしています。 考えてみれば、議員は定例会のある月以外にも、毎月定額の報酬と夏冬の一時金も支給されているのですから、議員は常勤であるべきで、議会も本来は1年中通して開いているのがあたりまえではないでしょうか。 この制度を実現している地方議会は、全国でもまだ10に満たないのですが、議会の活性化や委員会と議員活動を活発化させるという大きなメリットを持っていますので、久喜市議会でも早期に導入していくべきだと考えます。 2012年3月11日 (日) 脱原発の集会とパレードに行ってきた 2011年3.11東日本大震災、そして東京電力福島第1原発事故から1年。 原発事故は一向に収束の見通しは立っていません。 人々は、福島原発震災被災地において、いったい何年後に人間としてのくらしを取り戻せるのか。 “除染”を進めたとして、人々がふるさとへ戻ったとしても、はたして子どもたちが戻れるのか、子どもたちを放射能のまっただ中に住まわせていいのか。 私たちは、いつになったら福島の土地と水と空気を取り戻せるのでしょうか。 そして今、各地で「脱原発」の声がますます強まっています。 3月4日には越谷で、脱原発の市民集会が開かれて約500人が集まりました。 南越谷駅前で集会の後、越谷駅前〜越谷市役所前を通ってデモ行進を行いました。 3月11日には、日比谷公園で1万人の脱原発集会が開かれて、国会周辺などをデモ行進を行いました。 私は無党派議員と市民のネットワーク「みどりの未来」の人たちとともに、東電本社前を通って、銀座方面へのデモ行進に加わりました。 このコースのデモ行進の先頭には、フランス緑の党の人々が立ち、私たち「みどりの未来」もいっしょに歩きました。 写真をクリックすると拡大できます。 この日、久喜市の「九条の会」からは、郡山市内で開かれた全国集会にも参加しています。 2012年3月 6日 (火) 久喜総合文化会館の、座りごこちの悪い座席 新年度予算で総合文化会館の客席等の改修予算が計上されている。 大小ホールの客席座席のカバーはオープン以来25年間もそのままだから破れ放題、あまりにもみっともない座席である。 ようやく新年度に3645万円をかけて、座席カバーの張り替えと、これも一部穴が空いているホールとプラネタリウムのドアの改修を行うことになった。 文化会館の大ホールに行ったことのある方なら、あの座席がいかに狭くて窮屈かは誰もが実感しているだろう。 荷物は座席の下に押し込んで、上着を脱いでも置く場所もない、プログラムは手に持っているしかない、いったん座ったら身動きできなくて、中の方に座った人が出入りするときには、足を縮めて通してあげなくてはならない。 最近の若い人は足が長いから、座っただけで膝が前の座席の背にくっついてしまうのだが、これは多くの議員や市長をはじめ幹部職員のみなさんにはわからないかもしれない。 文化会館が建設された25年前には、狭くても何でも、いかにたくさんの観客を入れるかが最優先だったから、座りごこちとかイベントを快適に見ることができるかなんてことは、問題にもされなかった。 今どき、民間の劇場でも映画館でも、こんな座りごこちの悪い座席はないだろうと思う。 ようやく最近、公共施設でも“アメニティ”(快適性)が求められるようになってきて、他市の文化会館などで、座席そのものを大きなものに交換して横幅を広げるとともに、前の座席の背との間を広くして足もとにゆとりを持たせる、そういう取り組みをする市も出てきている。 久喜市の場合には、今回、25年ぶりに座席カバーを張り替えるだけでお茶を濁して、それで今後さらに20年以上もこのままの窮屈な座席のままでいくというのである。 市議会本会議の議案質疑で、この際、カバーの張り替えだけではなくて、座席そのものの全面的な交換をするように提案したのであるが、市民税務部長は「他市の会館のイスと同じ大きさであり、座席を広いものに交換する考えはない」と答弁した。 部長は、座席の交換に1億5000万円かかり、取り外した椅子の処分に5000万円かかるとも言ったのだが、私から見れば、これはやりたくないための口実としてことさらに金額を誇張したものであると思っている。 政策判断をして、必要な事業であれば財政を付けるのが当然であるはずだが、ただ単に『やりたくない』 『文化を享受するのに快適性などは考慮する必要はない』という久喜市の姿 勢をあらためて露呈することになった。 それに、部長はもう一つ、「市民から座席についての苦情はない(苦情がないからやる必要はない)」とも付け加えたのだが、市民から要求があっても財政を理由にしてなかなかやろうとしないのに、やりたくないときには市民から苦情や要求がないことを強調するのはご都合主義としか言いようがない。 これからは文化会館を利用したとき、会館がアンケートを取っているから、市民みんなで『座りごこちが悪い』という苦情や『座席を広くしてほしい』という要望をどんどん書いてい く必要がありそうだ。 2012年2月28日 (火) 大震災のガレキの受け入れができるか 市議会一般質問で、東日本大震災被災地のガレキを受け入れるべきだという質問があった。 すでに東京都などで受け入れて処理をしているが、埼玉県ではまだ受け入れを表明した自治体はない。 復興支援の立場から、議員の「ガレキを受け入れるべきだ」という質問に対して、環境部長は受け入れがむずかしい理由をいくつか述べた上で、「条件が整えば受け入れを検討したい」と、たいへん微妙なニュアンスの答弁をした。 この「条件が整えば」という答弁は、受け入れるための条件について協議していく、ないしは条件整備を進めていくことを意味するのか、そうであれば久喜市ないし久喜宮代衛生組合 は受け入れに積極的であると解していいのか。 あるいは、積極的であるかのように見せかけて、本当は逆に、条件が整わないから受け入れはできない(しない)という、拒否するための口実なのか、どちらだろう。 それでは実際に、久喜市ないし久喜宮代衛生組合がどういう対応をとっているか。 すでに、昨年10月に埼玉県から「東日本大震災により生じた災害廃棄物(ガレキ)の受け入れ検討状況」についての問い合わせがあったのに対して、久喜宮代衛生組合は「受け入れは検討していない」という回答を送っているのである。 これは事実上、“受け入れできない”という結論を出したと理解するほかない。 久喜宮代衛生組合の3センターの焼却炉は、もともと“燃やせるごみ”だけを処理する炉であり、老朽化していることもあって、分別していないガレキは処理することはできない。 したがって、ガレキを処理しようとすればあらかじめ燃やせるごみだけを分別をして、さらに数10センチの大きさに破砕しなければ、炉に投入することもできない。 そうした分別や破砕などの前処理作業を行うためには、財政だけでなく、物理的な作業施設、ガレキの保管場所を新たに確保しなければならない。 他市では燃やせるごみも燃やせないごみも、プラスチックでも金属でも投入して処理できる炉(溶鉱炉のような)を持っている自治体もあるが、久喜宮代衛生組合の焼却炉はそういう炉ではない。 かといって、宮城や岩手の現地であらかじめ、ガレキを分別して燃やせるごみだけを搬出するというのは現実的でないし、こちらに搬入してから分別するのだとしたら、分別した後の“燃やせないごみ”をどう処理するか…、久喜宮代衛生組合は自前の最終処分場を持っていないので、ガレキから分別された大量の“燃やせないごみ”の処分場所もない。 さらに、ガレキを分別して燃やせるごみだけを焼却処理することができたと仮定して、そこから出てくる焼却灰の処分先がないのもネックである。 久喜宮代衛生組合の焼却灰は、現在、群馬県草津町の山の中にある民間最終処分場や、寄居町にある埼玉県の処分場に搬出して埋め立てしているのであるが、ここは基本的には久喜宮代衛生組合の管内から出たごみだけに限定して受け入れてもらっている。 したがって新たにガレキから分別した燃やせないごみや焼却灰を持ち込んで埋め立てるためには、地元の自治体等と再協議して新たに協定を締結しなければならないが、それらの自治体や周辺住民がそれを認めるかどうか。 ガレキを受け入れるかどうかの議論では、マスコミなどの報道では、ガレキの放射能に対する住民の不安や反対が問題になっているように見えるが、放射性物質に対する不安以前に、焼却炉や最終処分場の物理的・技術的な問題を検討した結果、現実的にガレキの受け入れ・処理ができないという自治体が多い。 私自身は宮城県や岩手県のガレキの受け入れは、それこそ条件が整えられるならばむしろ積極的に受け入れを検討すべきだと考えているが、久喜宮代衛生組合では条件の整備自体が困難であり、現実的に受け入れは不可能と言わざるをえない。 それにしても、冒頭に書いた執行部の「条件が整えば受け入れを検討する」というような、受け取り方によってどうとでも取れるあいまいな玉虫色答弁はやめた方がよい。 2012年2月17日 (金) 副議長の公務とは何か 2月8日の議会運営委員会に梅田副議長が欠席したことを書いたが、その梅田氏が自身のブログに、理解できない言い訳をしている。 梅田氏は、「先週の商工会青年部全国大会の青年の主張大会の応援に参加させていただきましたが、事前に議長の許可をいただいております」「公務という認識であります」とまで書いている。 http://umeda.blog.ocn.ne.jp/wasinomiya/2012/02/post_5de6.html 先日の私のブログにも書いたとおり、議会運営委員会開催に当たっては、副議長に対して委員長名で公式の出席要請が出されているはずであって、したがってこちらは副議長にとっても、最優先すべき“公務”であった。 にもかかわらず、議会運営委員会の当日の開会に当たって、副議長から欠席の届け出があったとも、ましてや欠席している理由も明らかにはされなかったし、閉会間近になって委員から副議長がいないことへの疑義が出て初めて、議長が、「他の団体から案内があってそちらへ行っている」と釈明があったのだが、それが何なのか、また公務か否かについても述べられることはなかった。 さて、議長が、副議長が議会の公務を欠席していいという“許可”を出していたとすれば、その議長の判断が正しかったかが問題になってくるのだが、議長は本当に、副議長が議会運営委員会の公務を欠席していいという“許可”を出したのか。 梅田副議長は、議会運営委員会を欠席した理由を“公務”であったとしているのだが、そうであれば誰がどこで判断して、副議長を派遣する手続きがどのように行われ、派遣費用はどこから出ているのか。 仮に、梅田氏が、議会の副議長としての“公務”で出かけたとすれば、それは議長が手続きを踏んで“派遣”する以外にはありえないはずではないか。 それでもなお、梅田氏は自分は公務で出かけたんだと言うか。 2012年2月15日 (水) 「日本の戦争は自衛のためだった」論の悪意ある誤訳 11月議会の「久喜市議会だより」が全戸配布された中に、一般質問の鈴木松蔵議員の記事にこんな文章が掲載されている。 --------------------------------- 「問 日本を占領したアメリカ軍司令官マッカーサーが朝鮮戦争を経て米国議会で証言したのは「日本が戦争を始めたのは、セキュリティ(安全保障・自存自衛)のためだった。」というものである。これは公的な場での公式な発言で、世界に公開されている。こういった事柄について、日本の歴史教育の中で補助教材をつくり子供達に与えることはできないのか。 答(教育長) 今この場ではお答えできない。」 --------------------------------- 実は鈴木議員はその質問については通告をしていなくて、本会議の再質問で、他の質問に引っかけていきなり持ち出した質問であったから、教育長も用意がなくて答えようがなく、「今この場ではお答えできない」と答弁するしかなかったのである。(教育長はもともと英語の先生だから、マッカーサー証言の原文を渡して訳してもらってもよかったような気がするが …)。 本当は、通告にない質疑をいきなりすること自体がルール破りであるから、議長が整理して、この質疑は受けるべきではなかったものではある。 鈴木議員は、このマッカーサー証言なる珍説を前提としているのであるが、そもそも発言の前後を切り取って一部分を取り出した上で、誤訳、それも意図的な誤訳に基づいて、日本が米英仏等々に対しての戦争をしかけ、「太平洋戦争を始めたのは正しい戦争だった」と誘導しようとするものである。 この珍説は、以前からいわゆる民族派の人たちによって言い古されてきた嘘と詭弁の詐欺的な論理に他ならないのであるが、これに対してインターネット上ではマッカーサーの証言の原文の忠実な日本語訳も掲載されていて、その論理の嘘が暴かれ尽くされている。 下のページにリンクしてちょっと読んでもらえれば、すぐに理解できるものである。 ここでは「久喜市議会だより」の記事の中の文章で、鈴木議員自身の手による明らかな、しかし意図的な誤りについてだけ指摘しておこう。 それは、鈴木議員の発言「セキュリティ(安全保障・自存自衛)のためだった」という部分である。 彼は12月2日の質問の中で「日本が戦争を始めた理由は、セキュリティーのためだった。日本語にしますと、安全保障、また自存自衛のためという言葉だそうでございます」と言っている. 「セキュリティ」という英単語を「安全保障」と訳して見せて、さらにその後にわざと「自存自衛」という訳語を付け加え・言い換えているのだが、しかしセキュリティを「自存自衛」と訳するのは明らかな誤訳である(お手持ちの英和辞典、またはインターネットで確認していただきたい)。 このような意図的な誤訳をおおっぴらに言って恥じないのは、“日本人は英語が苦手だし、ほとんどの人は原文には当たらないだろうから、誤訳でも公然と言ってしまえば、また活字にしてしまえば、みんな信じて、ウソとは思われないだろう”という明らかな悪意がある。 マッカーサーは、日本軍による対アメリカ開戦・太平洋戦争を「日本の自存自衛の戦争であった」などとは、けっして言っていないし、またそんなことを言うはずもなかった。 むしろマッカーサーの発言によると、日本の国内政情不安や社会不安が増しているという状況分析を行った上で、日本はそれを防ぐ「セキュリティ」、つまり保安上の必要、あるいは治安維持の必要から戦争を起こしたという文脈になっているのであって、つまりマッカーサーは、日本は国内事情からアメリカに戦争を仕掛けたのだと言っているのである。 【マッカーサー証言の原文】 They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security. (日本は、資源の供給を絶たれることにより、1,000万から1,200万の失業者が発生することを危惧した。日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分がその脅威から逃れる必要に迫られてのことだった) 参照 ⇒ こちらのブログに詳しい なお蛇足であるが、「日本の自衛戦争」論を推し進めていくと、ヒトラーもムソリーニも「自衛のために第2次世界大戦を起こした」、フセインは「自衛のために大量破壊兵器をもとうとした(?)」、北朝鮮は「自衛のために核兵器の開発を進めている(?)」となってしまうのだが、問題は、「自衛のため」と言いさえすれば日本の侵略戦争が正当化されるのかということにある。 2012年2月13日 (月) 副議長がいない!? 市議会が開かれる前には、議会運営委員会が開かれて、本会議の日程等を協議することになっている。 議会運営委員会は議長の諮問機関で、議長が議会運営委員会委員長に依頼して日程等の議会運営について協議してもらい、その決定を経て本会議で正式に決定するのである。 したがって議会運営委員会の場には、検討事項を諮問した立場である議長は当然のこととして出席し、さらに通例として、副議長も出席している。 副議長というのは、万が一、議長が欠けたときに代理を務めなければならない立場だから、副議長も議会運営委員会の経過を知っておく必要があるからである。 したがって副議長は単なるオブザーバーで座っているのではなくて、議会運営委員長からの正式な出席要請に基づいて出席している(以前はオブザーバー的な立場だったが、久喜市議会では合併前の数年前から正式な出席要請をするようになっている)。 ということは副議長は、議会運営委員会に“公務”として出席する責任があるということになる。 ところが、2月8日の議会運営委員会に、梅田副議長が欠席したので、委員から副議長欠席の理由についての疑義が出て、それに対して岸議長が「私にある団体から案内が来たので代わりに出席してもらっている」と述べて、副議長をかばったのであったが、副議長がその団体に公務として出かけているのかどうかについてはあいまいにされた。 後からわかったことであるが、その「ある団体からの案内」とは何だったかというと、7日・8日に和歌山市で全国の商工会青年部の集まりがあって、梅田副議長はそちらに行っていたということが、当の梅田議員自身のブログへの本人の書き込みで明らかになった。 本来、副議長が議会運営委員会に出席するのは、正式な出席要請に基づく“公務”であって、当然に他の用事よりも議会運営委員会を優先して出席しなければならない責任があるのだったが、どうも梅田副議長はそのことを理解していなかったらしい。 それで自分の用事を優先して、しかも議会運営委員会を無断で欠席して、問題と思ってもいなかったとすれば、これはもう梅田副議長の認識不足と怠慢と言うほかない。 それにしても、岸議長は、梅田副議長が“公務”でもない自分の用事を優先して、“公務”である議会運営委員会を欠席したことを知っていて(?)、それを黙認していたらしいこと、その上で副議長をかばったというのは、議長として正しい態度であったか。 2012年2月11日 (土) 議会の“マニフェスト”としての「議会基本条例」 1月30日に開かれた議会運営等検討委員会の会議で、久喜市議会として議会基本条例の策定をしていくことについて、かろうじて合意が成立したことは、すでに書いた。 議会運営等検討委員会で、飛翔の委員から「必要ない」という意見が出されてびっくりしたのだったが、結論的には「継続的に勉強会を行っていく」ことになったのは半歩くらいの前進ではある。 『議会基本条例が議員を縛る』ってホント? ウソ! それにしても、私がどうしても理解できないのは、飛翔のみなさんが議会基本条例を先送りしようという理由として、「議会基本条例は議員の活動を縛り、拘束するものであるから、ない方がいい」という言い方をしていることである。 しかしこれは基本的な理解の不足による大いなる勘違い、あるいは議会基本条例に対する曲解に基づく誹謗と言うしかない。 今、全国的に各地の自治体議会で制定が進んでいる議会基本条例とは、“住民自治を実現するために、私たちはこういう議会を作ります”という、いわばめざすべき議会のありかたを 、市民に約束するものに他ならない。 たとえば、議員間の議論の活発化であり、議員が政策形成能力と議員の資質を向上させていく方向性とそのための方策を明らかにし、行政執行部との政策的議論を深めていくことによ ってチェック機能を高めていくことであり、定期的に議会報告会を開催して市民に説明責任を果たすことであったりするのであるが、それらはいずれも議会の活性化を議員と議会がみず から積極的に進めていこうということの宣言という積極的な意味を持つ。 したがって、議員がみずから議会の質を高め、議会の機能を発展させるために積極的に行動していこうという提案であって、議員がみずから議会機能の向上を宣言することが、どうして議員を縛ることになると言うのか。 それを、『議員を縛り、拘束するものだ』と言いつのるのは、まったく根拠のない非難であり、誹謗であると言うしかない。 そもそも、私たち議員は、市民に対してよりより議会と市政を作ることを約束して、一種の契約関係で市民の付託を受けて当選して議員を務めているのである。 “縛る”ものではなく、議員の“責任” 私たちが選挙の際に市民への約束ごとを“公約”として掲げているのだが、この公約は、議員がみずからを“縛る”ものではなくて、むしろ議員の“責任”として積極的にみずからの行動規範を設定したものと言える。 同じように、議会基本条例はいわば市民への約束であり“マニフェスト”であるに他ならないのであって、それは掲げた以上は市民から縛られるように見えるが、これも本当は“縛り”というよりも議員の積極的に果たすべき“責任”として、行動宣言を掲げるものに他ならない。 それにもかかわらず、「議会基本条例は必要ない」とか、「議員を縛ること人るからやらない方がいい」と言うのは、いったい何を意味するか。 議会基本条例を作りたくない論理、それは端的にあからさまにはっきりと言ってしまえば、「議会基本条例で議会の行動目標を示すと、市民から約束履行を迫られて、市民から縛られることになる」、「だから市民に対して議会機能の向上などは約束しない方がいい」「約束したくない」と言うのと同じでないか。 したがって、たとえば全国の標準的な議会基本条例の規定に照らしてみれば、久喜市議会で議会基本条例を作りたくない議員たちの真意は、“議会が政策形成能力を高めていくなんて必要ない”、“市長に対するチェック機能の向上なんて必要ない”、“議員間の議論の活発化なんてやりたくない”、“議会報告会もやりたくない”と言うのと変わるところはない。 議員の活動を制限しようとしてきたのは誰か もっとも彼らは、“議会基本条例は議員をしばるものだから、作らない方がいい”と言う一方で、実際には久喜市議会でどういう行動を取ってきたか。 たとえば、議員の一般質問の発言時間の短縮を強硬に提案してきてとうとう短くさせられてしまったし、議会運営等検討委員会でも、質問の通告期限を早めようとか、委員会審査で委員以外の議員の発言を認めるべきでないとか、議員の発言を制限し、狭めるような、それこそ議員を“縛る”ようないくつもの規定の導入を提案してきていたのであるが、いったいこの矛盾した主張をどう考えたらいいか。 さらに松村議員は、自治基本条例に対しても、市民の権利と義務のバランスを取るとかいう理屈で、“市民の責務”を増やす修正案を提案して、“市民を縛る”規定を主張したりした(本会議で否決された)。 彼らはもしかしたら、自分たちは市民に何かを約束したり、議会基本条例で議員の責任を規定して縛られたりすることには反対だが、他の議員や市民に対してはその活動や権利の行使を制限したり縛ることはいいんだと、そういう考えなのか。 議員が、他者を縛るのはいいけれど、みずからが縛られるのはいやだというような行動規範を取るとしたら、その議員は市民からはけっして信用されないであろうし、私にとって最も嫌いな政治姿勢ではある。 ----------------------------- 12月20日の第10回議会運営等検討委員会の会議で、どういう主張がなされたか、実際の発言を会議録から引用しておこう。 (山田委員) この議会基本条例なのですけれども、かつてありましたように、久喜市の議会基本条例、その中身等々検討を加えさせた、今回の検討委員会の中でもって検討された事項等照らし合わせてみますと、結構ダブっている部分があるということを考えたときに、果たして今これ必要なのかなと。ある意味、まだ機が熟しているとは言いがたいという部分ございますので、今必要ないというようなことであります。 条例となると一つの縛りをかけるものですから、ではなくして、その縛りをかける必要はないと。自由な中でもってやっていける、かつまたもう一つはそれぞれのモラルセンス、道徳的な観念の中でもって判断してやっていけばいいのではないかという判断でおります。 (松村委員) まず法や条例というのは縛りをかけるということは間違いないと思っています。法は、拘束をし、縛りをかけることだと思っています。 それは、先日不本意ながら可決された自治基本条例についても縛りは縛りだと思っています。拘束するものだと思っています。 議会基本条例というものは、これは議会の未来にわたって縛りをかけるし、拘束をするものだと思います。 (松村委員) 私は、法というのは?なくとも拘束するものと考えています、基本が。それは、結局社会の秩序だとか、そういったもののためにその拘束が必要だということで決められているものだと思いますけれども、法は拘束するものだと思っています。基本的にそうです。条例もそうです。だから、それは表現はどうかわからないけれども、縛りは間違いないです。 こうすべきだとか、こうしなければならないとか、それはみんな縛りでしょう。拘束でしょう。そういう意味で言っているのです。 この会議は12月に開かれたものですが、各委員の発言を正確に会議録で確認してから書こうと思ったので、掲載が大幅に遅れました。 2012年1月31日 (火) 田中市長の石垣島視察、その目的は? 久喜市のホームページ、市長の部屋、「市長の予定」のところに、「2月1日〜3日、会派・飛翔研修、沖縄県石垣市」とある。 ⇒久喜市のホームページ「市長の予定」 飛翔のみなさんが石垣市(石垣島)へ会派研修で出かけるのに市長も同行するらしい。 議会のある会派が政務調査費を使って視察研修を行うことは、会派で決めることだからとやかく言うことはない。 しかし、市長が市長の立場で視察研修に行く場合、その目的を会派の責任に委ねてすませるわけにはいくまい。 そこで、1月17日に市長に対して、「事実かどうか、事実であれば市長としての公務か、公務であれば“久喜市長が石垣市へ視察に行く”目的は何でしょうか」という“市長へのメール”を送信したのに対して、25日に田中市長名で、「私が研修の趣旨に賛同し、久喜市長として出席を決め、公務として参加をいたしますので、ご理解をいただきたいと存じます」という回答があった。 この回答文面を読むと、市長が石垣市へ視察に行く目的についてはいっさい触れないで、久喜市長として決定して参加するのだから問題はないという考え方であるらしい。 市長が市長という立場で、会派の石垣市への研修に同行するということは、単に会派の研修に一個人で参加するのではなくて、その研修が市長という職責を遂行する上で意義があると判断したからこそ、公費を支出して石垣市まで行くのであろう。 であれば、市長が市長として石垣市へ何を視察研修に行くのか、その視察によって期待される成果を久喜市政にどう生かしていこうと考えているのかを、市民の前に明らかにするべき ではないのか。 石垣島というとすぐに尖閣諸島を思い浮かべてしまうのだが、まさか久喜市長として領土問題を視察に行くわけでもあるまいし、それならば何を目的に石垣島まで行かなければならな いのかを説明してほしいと思う。 会派が政務調査費を使って視察研修に出かけたら、視察報告書を提出する義務があって、その報告書は公開対象になる。 職員が出張で視察研修に出かけたら、当然にその報告を出さなければならないし、市民はそれを確認する権利がある。 同様に、田中市長が“市長の立場で”、公費を支出して視察研修に行ったならば、市長として、その目的と成果を報告して明らかにする責任があると考えるのであるが、いかがだろう。 2012年1月30日 (月) 「議会基本条例」制定はどうなるか 1月10日に、久喜市議会の「議会運営等検討委員会」の協議が終了したことはすでに書いた。 ⇒猪股のホームページ 議会活性化のページ 昨年4月から、「久喜市議会の活性化」を目的に、各会派から議会改革の課題を提案し、協議を続けてきた。 私たちの政策会議からも多くの課題を提案し、いくつかは全会派の合意を得て、実施に移されることになったのだが、協議の過程でどうしても理解できないことがあるので、ひとつだけ、政策会議で提案していた「議会基本条例の制定」の問題についてだけ書いておく。 合併前の久喜市議会で議会基本条例を制定していて、合併によって失効したのだが、『合併後に再度、議会基本条例を制定するのに異論のあろうはずはないと思ってきた。 一昨年9月2日の議会代表者会議で、全会派が「議会基本条例を制定する」ことについて合意し、それに向けて、議員間の共通理解を形成するための研修会などを実施していくということを確認したのであって、今後の問題は、どのように策定作業を進めていくかであったはずである。 そして昨年1月には、石川議員と私とで「旧久喜市議会における議会基本条例の策定経過とその特徴」について、全議員の前で説明の機会をもち、7月の議員全体研修でも「議会基本 条例の意義と全国的な策定状況について」をテーマとして講演会を実施したのであった。 ところが、12月26日の第10回議会運営等検討委員会で、「議会基本条例の制定を進める」ということが議題になったときに、飛翔から出ている委員さんから『必要ない』という発言が飛び出しのには、本当にびっくりした。 しかしすでに代表者会議で合意し、その合意に基づいて研修会もやってきているのに、その合意自体を否定するようなことは許されないのであって、最終的には「議会基本条例の制定について、継続的な勉強の場を設ける」ということで合意した。 これは制定へ向けて、“半歩くらいの前進”にすぎないかもしれないが、それでも私たちは、ねばり強く主張し続けていこう。 2012年1月 4日 (水) 自治基本条例の飛翔の修正案−−何とも稚拙な−− 久喜市自治基本条例に対して、私が住民発議による住民投票の修正案を提案したが、否決されたことはすでに書いた。 ⇒猪股の提出した修正案はこちらを参照 議員が条例案や修正案を提案しようとする場合、法律用語や条文構成というのがけこうやっかいなものであるし、他の法律や条例との整合性にも万全を期さなければならない。 今回、私が提出したわずか4項目の修正案にしても、まず自分で素案を作成した上で、提出する1週間ほど前には議会事務局を通じて法務行政の担当者にチェックを受けたものである。 ところが、もう一つの、飛翔の松村委員から出された修正案は、はたして法律実務の面からきちんとチェックを受けたのかどうかすら疑われるしろものであった。 ⇒飛翔から出された修正案の内容と経過はこちらを参照 たとえば、原案の「市民」の定義を変更して、これを「久喜市に居住するもの」とするという修正項目である。 法律・条例用語としては、住民という「人」を表すときには「久喜市に居住する者」というように、漢字の「者」を使うのが通例であって、ひらがなの「もの」は法人・団体を含めるのであるが、この漢字の使い方ひとつ取っても、この修正案は基本的な条文としてのチェックを受けていないことがわかる。 法律や条例で、ある用語が2つ以上の意味内容を表すとか、内容を明確にしておく必要がある場合に、「定義」が必要になる。 しかしこの修正案のように、「市民」が「久喜市に居住するもの」という単一の意味を表すのであれば、最初から「市民」という用語を使わないで「久喜市に居住する者」または「住民」と書けばよいはずであった。 「市民」という用語は定義が必要になるが、「住民」であれば、地方自治法10条に「市町村の区域内に住所を有する者は、当該市町村及びこれを包括する都道府県の住民とする」と規定されているから、定義自体が必要ないのである。 これも法律や条例で、単一の内容を意味するのであれば「定義」が必要でないという常識を無視して(もしかして知らないで)、「市民」の語を残してしまった、修正案作成の稚拙さである。 しかも原案の25条には「住民」という用語が使われているので、「市民」という用語を残してしまうと、ひとつの条例の中で「久喜市に居住する者」というひとつの意味が「市民」 と「住民」と2つの用語で表されることになってしまって、これも法律・条例の常識から外れている。 もう一つの問題点は、この修正案が他の条例との整合性についてもまったく考慮していないということである。 実は久喜市にはすでに「市民参加条例」「市民活動推進条例」「男女共同参画推進条例」があって、それらの条例にも「市民」の用語が使われている。 それらにおける「市民」の定義が、今回の自治基本条例原案の「市民」の定義とまったく同じなのである。 これらの3本の条例は、旧久喜市の自治基本条例の「市民」の定義に基づいて作られたのであるから、同じなのは当然である。 したがって、今回、自治基本条例で「市民」の定義を変更するとすれば、これらの3本の条例の「市民」の定義も変えなければならなくなる。 そうすると、どうなるか。 たとえば市民参加条例は、久喜市内の住民以外にも通勤・通学者らが市政に参加する権利、市政に意見を提出する権利を認めているのだが、自治基本条例で「市民」を住民だけに限定するとなると、市民参加条例の「市民」も住民だけに限定しなければならなくなって、たとえば通勤・通学者や市内で企業を経営している人などの「住民以外」が市政に意見を出す権利自体がなくなることになってしまう。 あるいはまた、市民活動推進条例の、住民以外の人々も含めて市民活動を推進するという規定も、これを住民だけに限定することになってしまう。 修正案の提案者は、こうした他の条例との整合性についてまったく考えていなかったようで、私の質疑に対して、整合性については修正案が成立してから考えると答えたものである。 内容以前の問題として、用語からして法政実務のチェックを受けたとも思えないで、条例としての態をなしていない、他の条例との整合性も検討していない、このような拙劣な修正案を、議会の良識として通せるはずがないではないか。 とは言いながら、実際に本会議での採決では、飛翔全員が修正案に賛成で16名、飛翔以外が全員反対で17名、1票差でかろうじて否決とすることができた。 万が一、間違って可決でもしていたら、久喜市議会の恥を全国にさらすことになったわけで、危ないところだった。 |