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市民が作る「議員評価」とは何か
2006/11/27
11月25日、東京の豊島区民会館で、“開かれた議会をめざす会”主催の公開シンポジウムが開かれました。
テーマは、「つくろう!使おう!『議員の“通信簿”』」。
各地の市議会で、議員の活動を市民の目で監視し、一人一人の議員の活動を評価して、「通信簿」を作り、選挙に生かそう、という取り組みです。
第1部の講演会は「「議員評価 そのあり方と使い方」、講師は、森 正氏(愛知学院大学助教授)さん。
第2部はパネルディスカッション「つくろう!使おう!『議員の“通信簿”』」で、パネリストは、相模原市議会をよくする会・代表の赤倉昭男氏、多摩市議会ウォッチングの会・代表の牧野順一氏、千葉県議会議員の吉川ひろし氏、そして私もパネリストの一人として自分の活動について、お話ししてきました。
私は『声と眼』紙上で、「議員の発言実態調査」、議会ごとの「全議案と会派の賛否」、「政務調査費の使途報告書」を掲載紙、報告していることを報告しました。
相模原市議会をよくする会と多摩市議会ウォッチングの会は、議会傍聴を続け、議員1人1人の活動状況や公約、質問を精査して、2003年の市議会議員選挙の時に実際に「議員の通信簿」を作って公表しています。
相模原では、前議員について、◎○●△▲★、評価不能などの総合評価を付けています。
また、「説明・説得力」「改革姿勢」「意欲・態度」「知識・調査力」をABCDで採点しています。
総括コメントでは『会議中の居眠り』『政治センスに疑問符』『会派お仕着せのテーマの一般質問などで特徴なく、存在感が薄い』『時折時代錯誤な言論をなす。市側が安堵する議員の一人』『勉強や意欲に欠けながら議員特有の特権意識だけは高い』など、カラクチのコメントも。
多摩市では、毎回の議会での各議員の公約と質問、質問内容、時間などを調査して一覧表にし、さらに、各議員について『温厚でまじめ、議会経験も長いが存在感不足』『一般質問の回数は議員中最低、存在感も薄い』『議会改革意欲なし』『サッカーには熱心だが、質問内容はイマイチ、勉強不足?』『原稿棒読み』など、厳しい評価も記載しています。
こういう市民が毎回議会を監視に着ていれば、その内、議会も変革せざるを得なくなるでしょうね。
シンポジウムでは、
・議会の機能をどうとらえるのか、
・監視機能と政策立案機能のどちらをより重視するか、
・議員の活動実態を評価する際に、その客観性をどう確保するか、主観が入っていてはいけないか、
・議員の“評価”“通信簿”を、市民がいかに活用していくか、選挙の際の判断基準、さらに議員の姿を変える、さらに議会のあり方を変えていくことにつながるか、
・議員評価を、全国各地の自治体に広げていくためにどうするか、
などが話題になりました。
他に、以下の自治体でも、議員評価の取り組みをしているそうです。(全国では他にもたくさんあります)。
・東大和市政ウォッチング
・調布市議会ウォッチングの会
・みのお議会ウォッチング
・佐世保市議会通知表
・仙台市議の通信簿
・札幌市議会議員通知表
・議員の通信簿 オピニオンまつばら
・熊本市議会 私たちの願いを市政に届ける会
開かれた議会をめざす会 | 相模原市議会をよくする会 |
「皇孫誕生奉祝パレード」を執り行うんだそうな…
2006/9/4
久喜の提灯祭は各地区の祭典保存会で実施している。
先日、ある地区の祭典保存会から手紙が来た。
「皇孫御誕生奉祝パレードの開催について(ご案内)」とある。
「秋篠宮紀子さまには9月6日に3人めのお子様がご誕生される予定」であるので、9月6日の午後6時半から提灯山車を運行してパレ−ドするので、議員各位にも参加してほしいとある。
天皇を尊敬する個人や団体が、その意志で祝いたいということに、異論を唱えるような話ではない。
(「皇孫」という言い方、また「奉祝」…祝いたてまつるという、臣下から君主へというへりくだったような古色蒼然とした言葉が出てきたのには驚いたが…)。
ただ、気になることがある。
本来、妊娠、出産、誕生というのは本来は私事であり、究極のプライバシーと言ってよい。
秋篠宮や紀子にとっては1人の子の誕生であり、親としてひたすら子の健やかな誕生と成長を願うのであろう。
しかし「皇孫」であればそうではすまないらしい。
親として、よりも、「家」のために、「皇室」の存続のために「皇孫」を生むことが優先するのだろうか。
一組の親の「子」よりも、「皇孫という立場」が優先し、生まれながらにして、いや生まれる前から「日本国の象徴」としての公人の誕生として「奉祝」されるのである。
しかも、皇太子と雅子の子である愛子誕生の際には、このような前もって「奉祝」を予定するようなことはななかった。
どう違うのか。
前の皇太子の子の誕生の時は男女の別が今ほど騒がれることはなかったように思う。
あるいは前の時には「女である」ことがわかっていたか、「女であるかもしれない」から、騒がれなかったのかも知れぬ。
今度は、秋篠宮と紀子の「子」が男子であり(すでにわかっている?)、次々代(2代か3代後)の天皇位を継ぐものであることを、予定しているからに他ならない。
ここには明白な男女差別がある。
生まれてくる子が、その身分故に特別な祝われ方をするということは、人間の平等理念に反する。
そして、秋篠宮と紀子、生まれてくる子に対して、1人の子の誕生として祝われるのではなく、将来継ぐべき地位故に特別な祝われ方をすることについて、同情を禁じ得ない。
もっとも、天皇と皇室の面々は、戸籍も住民票も持たない。
紀子も雅子も、天皇の子と結婚するに際して、戸籍を離脱し、皇統譜に入った。
生まれてくる子も、そうだ。
彼らは憲法に定める国民に含まれていないのであって、したがって憲法の保障する基本的人権の枠外にあるとされている。
生まれながらにして基本的人権の枠外にある子を、普通の「人間」として扱われるような立場に戻させてあげたいような気もする。
これは不敬だろうか。
準備書面の原文
2006/9/3
久喜市(控訴人(被告)訴総代理人 弁護士 松崎 勝)が東京高裁に提出した「準備書面」の原文です。
特に、この中の、「第2 控訴人久喜市長の主張」「3.」「4.」を読んでみると、田中市長が「議会の議決」を最大限に利用し、いわば「住民の代表者で構成する議会が決めたのだから、自分にまったく責任はない」と、議会を盾に取っていることがわかります。
準 備 書 面(1) 平成18年7月25日 東京高等裁判所第17民事部御中 控訴人(被告)訴総代理人 1.久喜市長は、平成18年6月5日付けをもって、本訴において問題とされている下記債権(1)、(2)について、「議案第64号」として、久喜市議会に対し、地方自治法96条1項10号の「権利放棄」の提案をなした。 記 (1)久喜市が、平成14年6月18日から平成16年3月31日までの間において、久喜市職員である鈴木利和及び植竹昭実の両人に対して支出した給与(給料及び職員手当)の合計金29,252,913円についてア.久喜市が、田中瞳二に対して有する利息(遅延揖害金)等を含む一切の損害賠償請求権 イ.久喜市が、久喜市吉羽土地区画整理組合に対して有する利息(遅延損害金)等を含む一切の不当利得返還請求権ないし損害賠償請求権 (2)久喜市が、平成14年度及び平成15年度において、久喜市吉羽土地区画整理組合に対して支出した補助金の合計金7,882,000円について ア.久喜市が、田中暄二に対して有する利息(遅延損害金)等を含む一切の損害賠償請求権 イ.久喜市が、久喜市吉羽土地区画整理組合に対して有する利息(遅延損害金)等を含む一切の不当利得返還請求権ないし損害賠償請求権 2.久喜市議会は、久喜市長の上記「議案第64号」について、平成18年6月29日の本会議においてこれを可決した(乙第30号証参照)。 第2.控訴人久喜市長の主張 1.あらためて述べるまでもなく、本訴は、地方自治法242条の2第1項4号の「当核職員又は当該行為若しくは怠る事実に係る相手方に損害賠償又は不当利得返還の請求をすることを当該普通地方公共団体の執行機関又は職員に対して求める請求」であり、訴外久喜市が補助参加人田中暄二、同久喜市吉羽土地区画整理組合に対し、損害賠償請求権、不当利得返還請求権等を有していることを前提とするものである。 2.ところで、地方自治法96条1項10号は、「法律若しくはこれに基づく政令又は条例に特別の定めがある場合を除くほか、権利を放棄すること。」を普通地方公共団体の議決にかからしめているのであるが、これは、「権利の放棄」は本来的には首長の執行権限の問題であり、地方公共団体の団体意思の決定は首長が単独でこれを行うのが原則(地方自治法147条参照)であるものの、事の重大性に鑑み、地方議会の議決をもって地方公共団体の団体意思が決定することにしたものである(同旨、松本英昭著 新版逐条地方自治法第3次改訂版325頁以下参照)。 ちなみに、上記地方自治法96条1項10号前段が規定する「法律若しくはこれに基づく政令又は条例に特別の定めがある場合」については、「その例としては、地方税について条例の定めるところにより減免する場合(地税法61、72の62等)、分担金、使用料、加入金及び手数料に関する条例で定めて減免する場合(法 228、1)、本法及び本法施行令の規定による債権に係る債務の免除(法240、3。令171の7)、本法の規定により議会の同意を得て行う職員賠償責任の免除(法243の2、8)等があり、その他条例で定める場合、たとえば、普通地方公共団体の支給する奨学資金その他の貸付金につき一定の条件のもとに返還義務を免除する場合等も考えられる。」(上記逐条地方自治法331頁参照)とされているのであり、「法律若しくはこれに基づく政令又は条例に特別の定めがある場合」はともかくとして、それ以外の場合には、金額の多過を問わず、権利の放棄は議会の議決がない限りこれをなし得ないものとしているのであり、逆にいえば、議会の議決がある限り、権利はこれを放棄し得るものとしているのである。 3.結局、被控訴人の本訴請求については、被控訴人がその存在を主張している訴外久喜市の補助参加人田中暄二、同久喜市吉羽土地区画整理組合に対する損害賠償請求権、不当利得返還請求権等そのものが「権利放棄」の義決により消滅したのであり、訴外久喜市の補助参加人たる田中暄二らに対する損害賠償請求権等が存在しない以上、被控訴人の本訴請求は棄却されるべきものであることは明らかである。 4.ちなみに、地方公共団体、なかんづく議会が地方自治法96条1項10号の「権利放棄」の議決をなした場合、住民訴訟は、住民が地方公共団体が有している債権(権利)を代位行使するものであるとの基本構造からして、住民側の請求が棄却される、とするのが最高裁判例であり(東京高裁平成12年12月26日判決(千葉県鋸南町事件。判例地方自治220号33貫)及び上記東京高裁判決に対する最高裁平成16年10月15日決定.L東京高裁平成16年4月8日判決(新潟県安塚町事件。未公刑。)、及び上記東京高裁判決に対する最高裁平成、16年11月19日決定。なお、上記最高裁は、いずれも平成14年法律第4号による地方自治法改正前のものであるが、上記平成14年法律第4号は、従前、242条の2第1項4号訴訟について、当該職員個人等を被告としていたところ、被告を当該職員個人等から当該普通地方公共団体の執行機関等に変更したにすぎないものであり、住民訴訟の基本構造自体は何ら変更されていないものである。)、上記最高裁判例からしても、被控訴人の本訴請求が棄却されなければならないことは明らかである旨を付言する次第である。 |
損害賠償請求の住民訴訟、東京高裁で口頭弁論
「賠償請求権を放棄したのだから、請求の棄却を」と主張
2006/8/30
久喜市は、吉羽土地整理組合に対する職員派遣について、違法と判断し、市の損害を認定し、市長と区画整理組合に対する損害賠償請求を命じたさいたま地裁の判決に対してこれを不服として控訴していましたが、
8月26日、東京高裁で、控訴審の第1回口頭弁論が開かれました。
市は、7月25日に「準備書面(1)」を提出し、その中で、市議会が6月に「権利の放棄」を議決したことをあげて、以下のように主張しています。
「損害賠償請求権、不当利得返還請求検討そのものが『権利放棄』の議決により消滅したのであり、……(中略)……田中暄二らに対する損害賠償請求検討が存在しない以上、被控訴人の本訴請求は棄却されるべきものである」。
これは、これまでは、職員派遣の違法性や、市に損害を与えたか否か、その損害は市長の過失によるものであるか、という、本筋で正面から争ってきたはずで、
議会でも、控訴審でも市の正当性を主張していくと表明していたのですが、実際には争いの方針=論点を変えるということのようです。
控訴審では、違法性や損害の存否に関する争いを避けて、
“市が損害を受けたか否か、損害があるか否かにかかわらず、(仮に損害があったとしても)、損害賠償請求権そのものを放棄したのだから、賠償請求はできない”
と主張して、裁判そのものを終わらせたいということのようです。
「権利の放棄」を多数で可決
議会は司法判決よりも優先する?
『声と眼』316号 2006/7/10
6月議会最終日の29日、議案の討論・採決が行われ、「権利の放棄について」の議案が、賛成14名(新政議員団・公明党・市民力)、反対6名(大地・共産党)で可決されました。採決に際して、須藤議員は区画整理組合理事長で利害関係者なので除斥、他に3名が退席しました。鈴木、井上議員は、市民力の内部で調整した結果、“棄権”という対応になったようです。
この議案は「吉羽土地区画整理組合に職員を派遣した際の給与、補助金などについて、市が有する損害賠償請求権を放棄する」というもの。
市民からの住民訴訟に対して、さいたま地裁は「職員の派遣は地方公務員法、公益法人等派遣法に違反。法の解釈を誤り手続きを欠いた、田中暄二の過失」を認定。また2人の2年分の給与2900万円の内、「少なくとも2分の1」の1462万円を久喜市の損害と算定して、「久喜市は、田中暄二と区画整理組合に対して1462万円を支払うよう請求せよ」との判決を出しました(今年3月29日)。
これに対して、市は5月に東京高裁に控訴しました。今回の議決は、仮に上級審で市の損害と市長の過失・責任が認定されても、「請求権の放棄」の議決が優先して賠償請求できない=市長らは支払う必要がないと宣言したことになります。
しかし、田中市長が自分自身に対する賠償請求権を放棄する議案をみずから提出して、自身の責任を帳消しにしてしまうというやり方、法治国家・日本で、議会の議決によって司法の判決を覆すというやり方は、“市民の目の高さ”からは理解できません。−新聞では「権利放棄の議決は地方自治法を逆手に取った『正々堂々とした非常識』」という識者の批判も掲載されました。
総務委員会では「請求権の放棄」の議案を、反対多数で否決
2006/6/17
16日に総務委員会が開かれ、この議案を審議しました。
総務委員は、新政議員団が川瀬、木村、市民力21が須藤、鈴木、公明党が柿沼、共産党が木村、大地が春山の7名です。
この内、須藤は利害関係者なので、審議に加われずに退席。
新政議員団の木村も退席。……監査委員として、以前に、「市は区画整理組合に対して損害を請求すべき」という監査意見を提出しています。この監査意見は、今回の議案と対立する内容で、この通りの見解を持ってすれば「反対」に回ることになったはずですが、なぜ退席したのかはわかりません。
市民力21(須藤が代表者)の鈴木は、審議には加わりましたが、採決の際に退席しました。これも理由は明らかにされていません。
川瀬は委員長ですから、採決には加われません。
採決では、公明党の柿沼1人が賛成、共産党の木村、大地の春山が反対して、この議案は否決されました。
「請求権の放棄」に反対。市長も議会も司法の判決を尊重すべきだ
2006/6/16
下記の記事…… 6月市議会で14日に本会議が開かれ、議案質疑が行われました。
特に今回は、田中市長が本会議初日に追加提案した、「久喜市が田中市長への損害賠償請求権を放棄する」という議案に対し、8人の議員が質疑しました。
さいたま地裁の判決は、
◆行政と市長の過失、法と条例解釈・運用の誤りによって、久喜市が損害を被った。
◆吉羽土地区画整理組合は不当利得を得た。
◆久喜市はその損害を、田中暄二と区画整理組合に返還させるよう請求せよ。
というものです。
久喜市は現在、東京高裁に控訴しており、7月にも審理が始まる予定です。
私は、以下の疑問について、市と市長の見解をただしました。
(1) この議案を、この定例会に、追加議案として提出した理由は? なぜ、9月議会ではいけないのか。あるいは、なぜ、高裁判決が出てからでいけないのか。 …控訴審で一審と同様の判決が出た場合に、それに対応して「権利の放棄」をするなら理解できるが、控訴をした直後にこの議案を提出した理由 9月議会や高裁判決後でなく、今、追加議案として提出しなければならない緊急性があるのか。急ぐ理由は何か。 (2) 通常の議案と同じく、6月議会の当初議案として提出しないで、なぜ、追加議案として提出したのか。 地裁判決後に、控訴をせずにこの議案を提出したのであれば理解できるが、控訴をして、これから徹底的に市の正当性を主張しようとするこの時期に、この議案を提出した理由 (3) 提案理由で「これらの支出の適否に関する一切の疑義を解消するため」としているが、「一切の疑義を解消する」とはどういう意味か。 議会の議決によって「一切の疑義を解消する」ことができると考えているのか。 議会が「市長の請求権の放棄」を認めたとしても、「いっさいの疑義の解消」はできない。 「疑義の解消」は、裁判によって行われるものである。 市長はこの「疑義」に対してそれを解消するために控訴したのであって、司法が判断することである。司法の判断を待つべきでないか。 (4) さいたま地裁で、久喜市が田中暄二および吉羽土地区画整理組合に対して それぞれ「1462万6451円を請求せよ」との判決が出されたのに対して、 久喜市がそれらの権利を放棄するということは、久喜市が裁判結果に従わず拒否することを宣言することになるが、 司法の結論を議会の議決で否定できると考えるか。その根拠は何か。 議会の議決によって判決の効果を失わせることが可能とすれば、 住民訴訟の意義を失わせ、違法行為による市の損害を償わせるために裁判に訴えるという市民の権利を奪うことになるのではないか。 (5) 控訴審の審理が始まる前に、あらかじめ“みずからに不利な判決が出た場合には、その判決に従わない、しばられない”と宣言することは、司法の軽視である。見解を伺う。 (6) たとえ、判決が“不当”なものと考えられても、司法の結論に従うのが法治国家における市民の責務である。 議会の議決によって司法の結論を覆すという手段には訴えるべきでないと考える。 市長も司法の結論に服する義務を負っていると考える。 市長は“正しいことをしたのだから、司法の命令に服する必要がない”という姿勢は“市民の目線”“市民の眼の高さ”とは相容れないのではないか。 (7) 地裁判決は、公益法人等派遣法に定められた手続きを行わず、「漫然と」派遣を続けたことによって、適法な手続きを欠いたことをもって、違法となったと指摘しているものと理解するが、 市長は、この議案を提出した理由は、「適法であって、判決が間違っているから、その判決に従わない」という見解か、 それとも、「違法であることは認めるが、私的利益のためになされたものでなく、目的が正しく、市に損害を与えてはいないから、請求する必要はない」という見解か。 |
質疑を通じて、明らかになったことは、
7月に控訴審が始まる前のこの時期に、急遽、追加議案として提出したのは、この議案を可決することによって、控訴審の審理を有利に導くための材料としたいということらしい。
つまり、「裁判所は法律に照らして、久喜市の手続きを違法としたが、市民の代表である議会が“市長の行為は問題なし”と認めたのだから、違法性はない」
「議会が認めれば、市長は市の損害を返す必要もない」と、東京高裁で主張していくということです。
さらに、「私的利益のために行ったのではない」、「市は損害を受けてはいない」、「区画整理組合も不当利得を受けてはいない」、何よりも、議会も市の行為に誤りはなかったと認めているのだから、裁判所は議会の議決を考慮して判断してほしいという論理です。
しかし、すでにさいたま地裁は、そうした久喜市の主張をすべて検討した上で、
なお「手続きが違法であり、市は2900万円の違法な支出をした」、「市は少なくとも1460万円をくだらない損害を被った」、「その責任は田中暄二にある」と認定したのであって、
議会が「請求権の放棄」を議決したからといって、裁判所の判決を拒否できるわけでもありません。
議会が、今回の「請求権の放棄」を議決するということは、単に議会が市長の言い分の丸のみすることを意味します。
議会が市長の言い分をそのまま追認して、司法の判断を無視するということになります。
しかし、日本は法治国家であって、議会といえども司法を超越できるものではないはずです。
市長も議会も、もっと謙虚に、司法の判断を受け入れるべきではないでしょうか。
今回の議決によって、田中市長は、次のような控訴審判決を期待しているようです。
「手続きに違法な点があった。それによって市は損害を被ったが、市民の代表である議会が「請求権」を放棄しているから、田中暄二は損害を賠償する必要はない。
よって、訴えの利益が消滅しているから、裁判は打ち切り」……
こういう筋書きだとすると、司法が市の損害を認定しても、それを議会が免責するという図式になります。
質疑に対して、市長は
「仮に最高裁の判決も地裁と同じ(違法であり、祖薙賠償すべきという判決)であれば、それに従っていく」と述べたのですが、
しかしすでに議会は「請求権を放棄」しているから、市長は賠償責任を負わないことになるのであって、その場合にも賠償するかのような市長の発言は自己矛盾です。
また市長が、「仮に議決しても、直ちに請求権がなくなるということではない」と答弁したのも、詭弁と言うしかありません。
市長は「議決すれば、請求権は消滅し、賠償の必要はなくなる」と考えて、今回の議案を出したのです。
議会の議決が優先して、市長の免責をすることが法的には可能であるとしても、
市長は政治家として、いやその前に法治国家の国民として、そのような手段に訴えるべきではないと考えます。
私は、この議案を市長がみずから撤回するよう求めましたが、市長も、議会の多数も、この議案を押し通す構えです。
「区画整理組合への職員派遣は違法」との地裁判決に対し、田中市長は控訴、
『損害賠償請求の判決が確定しても従わない』という議案を提出
職員派遣は違法、市の損害賠償請求
市長らに1460万の返還命じる
『声と眼』315号 2006/6/19
久喜市は2003年度まで、吉羽土地区画整理組合に職員を派遣するとともに補助金を交付してきました。これについて市民から『職員の派遣と補助金支出は違法であって、久喜市は市の損害額について、久喜市長・田中暄二と土地区画整理組合に対して、支出した金額を返還させるべき』という行政訴訟が起こされていました。
今年2月、さいたま地裁の判決は、『久喜市が平成14〜15年に2人の職員を区画整理組合に派遣していたのは、公益法人等派遣法の定める適正な手続きを欠いた“違法”な派遣であり、その間の給与約2900万円は違法な支出であった」と認定し、久喜市の損害額を少なくとも1/2の1460万円と算出し、『久喜市は、田中暄二および吉羽土地区画整理組合に対し、それぞれ1460万円を久喜市に支払うよう請求せよ』と命じました。
これに対して、田中市長は、『派遣は適法であって、市に損害を与えてはいない』としてあくまでも争う姿勢で、4月に東京高裁に控訴しました。
市長が請求権放棄の議案を提出
6月議会の初日に、市長から「権利の放棄について」という追加議案が提出されました。市が有する「損害賠償請求権、不当利得返還請求権を放棄する」という内容です。ー今回の地裁判決にも、また将来、高裁や最高裁で市長と区画整理組合に損害を返還させるよう命じる判決が確定したとしても市は返還請求をしないというものです。
久喜市が高裁に控訴し、これから審理が始まるこの時期に「賠償請求権の放棄」を提案してきたのは、どのような意図があるのでしょうか。市長は提案理由で、「支出の適否に関する一切の疑義を解消するため」にこの議案を提出したとしているのですが、「疑義」を審理し、違法か適法かを判断するのは司法の役割であって議会ではありません。高裁判決を待つべきではないでしょうか。
政治家として、司法の判決に従うべき
普通、公正な裁判で判決が出れば、国民(市民)はその判決に従う義務があるはずです。それに対して今回の議案は、“判決が間違っているのだから司法の結論に従う必要はない”ということを意味します。田中市長は、“判決を拒否する”という議案を出し、議会もこれを追認する方向です。議会で決めれば裁判の結果に従わないでいいということになるのでしょうか。そうであれば、判決が認定した久喜市に与えた損害は、誰が補償するのでしょうか。誰も補償しないとすれば、市民は久喜市の“損害”を受容しなければならないのでしょうか。−議会の議決によって裁判の判決を覆すことができるとしたら、違法行為による市の損害を償わせようとする市民の行政訴訟は意味を失い、市民の権利を奪うことになります。
市長は、議会に「権利の放棄」の議案を出し、今後、“たとえ高裁で自分に不利な判決が出ても従わない”とあらかじめ宣言しておくことで、高裁の審理に何らかの影響を与えることを狙っているようです。ー「権利の放棄」によって“訴えの利益がなくなったから請求を棄却”というような判断が出ることを期待しているのでしょうか。こんなやり方は法治国家の市民、政治家としても許されないことではないでしょうか。
市長が、たとえ悪意でなく行った施策でも、裁判で“過失・違法”が指摘されたら、政治家としてその責任を取る覚悟が必要なはずです。そんな覚悟もなく、市の被った損害を償えという裁判所の判決をも拒否する、こんな田中市長の対応は許されることではありません。
★市長の権限と議会の多数の力があれば司法の判決に従わなくていいというのは『権力者の思い上がり』でないか。政治家としてやってはいけない『禁じ手』だろう。★
公共施設での落とし物等の取り扱い
2006年2月議会一般質問 『声と眼』310号 2006/3/29
中央公民館や東公民館ではこれまで、利用者の落とし物や忘れ物をロビーのダンボール箱の中に詰め込んで、“ごみ”のような扱いをしていました。
そこで、市のすべての公共施設で、市民の忘れ物などをどのように取り扱っているのかをただすとともに、台帳の整備と管理、返還などを正しく行うよう求めました。
ーーほとんどの施設では保管や変換についてもきちんと取り扱っていたようですが、公民館では台帳管理もしていませんでした。
落とし物といえども市民の財産なのに、市役所の意識がいかに低かったか…。
こうした不当な取り扱いはすぐに改め、今後、忘れ物などについての処理マニュアルを作成していくそうです。
【2月25日の、下記の記事・写真を参照してください。】
公民館の“忘れ物の取り扱い”が変わった “議会で質問”を出しただけで変更 2006/2/25 公民館で、市民が忘れ物や落とし物をして、それを公民館などがどう扱っていたか。
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「神武天皇が実在したかもしれない」と思っている人たちに
神話と伝説、伝承、歴史の作為
2006/2/10
「古事記」は現存する日本最古の書物であり、歴史書。奈良時代、天武天皇の命で712年に編纂成立。
稗田阿礼が暗唱したものを漢字で書き表したもの。
「日本書紀」は日本最初の勅撰の歴史書。720年に成立。編纂過程は不明。
日本には、固有の文字はなかったから、6世紀に仏教とともに漢字が輸入されるまでは、いっさいの歴史の記録はない。古事記がそうであるように、暗唱による伝承のみである。
したがって、古事記や日本書紀以前には、現存する記録としての歴史は、中国の歴史書と、高句麗の広開土王の碑文など、大陸の記録によるしかない。
魏志倭人伝によれば、邪馬台国があったのは3世紀である。
大和朝廷はその後に成立したと考えられており、通説では4世紀中頃である。
一方、「書紀」によれば、神武天皇は紀元前660年に即位したとされる。
しかしこの時代の日本はいまだ縄文時代である。
縄文文化は紀元前1万年から紀元前200年頃まで、弥生時代は紀元前3世紀末頃から紀元後3世紀とされている。
したがって、書紀による神武の即位は縄文時代の終わり頃となってしまう。
また、書紀は、歴代の天皇の統治年や没年を次のように記している。
初代 神武天皇 名を、始駆天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)
2代 綏靖天皇(神武天皇の第三皇子)在位33年で没。
3代 安寧天皇(綏靖天皇の第一皇子)在位38年。
4代 懿徳天皇(安寧天皇の第二皇子)在位34年。
5代 孝昭天皇(懿徳天皇の第一皇子)在位83年、113歳で没。
6代 孝安天皇(孝昭天皇の第二皇子)
7代 孝霊天皇(孝安天皇の皇子)在位76年、128歳没。
8代 孝元天皇 57年、116歳で没。
9代 開化天皇
10代 崇神天皇(開化天皇の皇子)
名を御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)といい、まさに国を始めた天皇という意味である。神武と同じ名でもある。
古事記は初代天皇を崇神としている。
古事記(全3巻)、第1巻は神話、2、3巻は神武以来の伝承を記載。
書紀(全30巻)、1、2巻は神話、3巻以下で神武以来の「歴史」を記載している。
つまり、4世紀頃に成立した大和朝廷(初代は崇神と考えられる)の権威付けのために、崇神以下の天皇が、神話の神の子孫であるという物語を作る必要があった。
神話と崇神とをつなぐ系譜として、神武ら、9人の架空の天皇を挿入した。
ここからは、実在の人物とするのが通説であるが、それでも
11代 垂仁天皇(崇神天皇の第三皇子)在位99年で没。
12代 景行天皇(垂仁天皇の第三皇子)在位60年。
13代 成務天皇(景行天皇の第四皇子)在位60年にして没。
14代 仲哀天皇は、伝説上の英雄である日本武尊の王子とされている。
つまり、これらの在位年数や没年、親子関係は歴史上の事実として信ずるに足りる証拠はない。
14代の仲哀天皇は、熊襲征伐に九州へ下り、そこで死亡。
その後を受けて神功皇后が朝鮮を攻めた。
紀元前660年から1000年以上、文章としての天皇の歴史は残っていない。
(620年に、「天皇記」を推古が作らせたといわれているが、蘇我氏滅亡とともに焼失して失われた。)
この1000年間に係る歴史伝承は、崇神より以前については、伝説か、天武天皇時代の創作であると考えられる。
古事記は、44代 元正天皇の時に成立した。
なお、「天皇」という呼称を使ったのは第40代の天武天皇(7世紀末)が最初とされる。
それまでは記紀でも、万葉集でも、「大王」おおきみ、
または「須売呂伎」(スメロキ、スメラギ)と書かれている。
「すめらみこと」は、その尊称であり、「天皇」という言葉は、和語である「すめらみこと」に漢字を当てはめたものである。
「皇室典範の改正は慎重にすべき」という意見書は、何を意味するか
神武天皇から始まるという万世一系とは何か−−天皇家の歴史とは何か
2006/2/8
久喜市議会2月定例会に、「皇室典範を変えることは慎重の上にも尚慎重であるべき意見書」案が提出される。
要するに、女性・女系天皇を否定し、男系・男性天皇の「伝統」とやらを守るべきというものである。
この意見書は何を述べているか。
曰く。「日本の皇統が、連綿として二千年以上続いていることは、世界に誇れる人類の奇跡といえるものである。」
曰く。「日本人が一貫して守り抜いてきた皇統は、父親をたどっていけば必ず初代の神武天皇にたどりつくと言われている。」
曰く。「日本人の精神的な拠り所として二千年以上にわたって守り続けられたこの伝統は、私たちの至宝とも言えるものである。」
しかし、あまりにもばかばかしくないか。
まず、人間のどこのだれの家でも、私も、突然、孫悟空のように岩から(無機物から)生まれたものはいない。だれでもが祖先をたどっていけば、天皇家の祖先が生きていた時代のある人物にたどりつくはずでないか。
いやさらに言えば、私も、天皇も、二千年どころか、何百万年か前には、猿人から類人猿、そしてヒトが生まれたときの、ある祖先にたどりつくものであって、それは天皇ですら例外ではありえない。
「人類の奇跡」どころか、人類のすべての系統は何十万年、何百万年も続いているのである。
また、「神武天皇にたどりつく」という皇統とやらは、枝分かれしながら、現在の日本人の多くの人々に続いてきているのであって、もしかしたら、現在の日本人の何分の1かが、どこかで天皇とつながっているのかも知れぬ。元貴族であれ、元武士であれ、元百姓であれ、その可能性(確率)は同じなのだ。
たまたま、その中の一部の人々が、権力闘争に勝って、「天皇家」を名乗っていたに過ぎない。
第2には、伝説上の人物である「神武天皇」を、現在の天皇家の先祖であるかのように言うこと、これもあまりのばかばかしさに言葉もない。この意見書を出した議員と、それに賛成する議員たちは、神武を実在の人物とでも信じているようだ。これはもはや信仰の部類に入る。
それに、この人たちは「神武天皇」という呼称を当然のように使うのだが、本来の記紀以前の呼び方は、「おおきみ」、または「みこと」「すめらみこと」であって、漢字では「大王」と書いたこともある。「天皇」(てんのう)の呼称自体が、中国から漢字が入ってきて、それに当て字をし、漢語読みをしたにすぎぬ。
崇神、応神、仁徳、継体、等々の皇統の断絶、王朝の交代は公然の秘密であり、天武、天智の争いに象徴される、親子、兄弟、夫婦間等の天皇家内部の殺し合いが繰り返されて、表向き、皇統が続いているとされる。
現代の天皇家の存在を「尊重」するだけでなく、神武までさかのぼって「皇統」を論ずるとなれば、こうした肉親、血族、一族内部の血みどろの殺し合いの末に、天皇家というものが成立したのだということも触れざるを得ない。
これが、私たち日本人の「至宝」と言える存在か。
「人類の奇跡」であるか。
この意見書は、天皇家の汚れた歴史をさらけ出すもの以外でない。
私としては、実は、「皇室典範」の改正論議にはあまり興味はない。
というのは、「皇室典範」そのものが、天皇家や皇室という身分を、私たち一般国民から区別し差別するために存在しているのである。こんな法律はいらないと思う。
生まれながらにして「天皇になる存在」として運命付けられ、「他の国民とは違うのだ」と育てられる子どもはかわいそうだ。
今回の「皇室典範」改正論議は、天皇制を存続させるために、跡継ぎを誰が取るかという、いわばお家騒動を法律の場でやろうということだ。
いったい、何が何でも、皇室や天皇は存続しなければならない存在か。
皇室や天皇を存続させるために、天皇家に入った女性たちは、何が何でも跡継ぎ、男子を生まなければならないのか。
それが彼女たちの使命であり、責任か。
実際、今の皇太子も雅子さんも、秋篠宮も紀子さんも、みんな、天皇家という「家」を守るために、いや、政治的な勢力とその思惑のために天皇制を守らされるための道具として存在しているわけで、したがって、雅子さんは男子を産めないでいるために、週刊誌上では「離婚か」さえ書かれ、紀子さんは男子を産むことを至上命題として課された。
いずれもかわいそうな存在としかいいようがない。
彼ら、彼女らの哀れな宿命を取り除き、最低限の人間らしさ、…男であれ、女であれ、子を産み、育てる喜びを取り戻させてあげるためにこそ、「皇室典範」の無用の、非人間的なしばりを解放してあげるべきでないか。
そういえば、皇室の人々には、日本国憲法で定められた、基本的人権はないのだった。
本会議、2時間の空転に、傍聴者から怒りの声、しかし…
2006/1/7
12月22日、定例市議会の最終日の本会議が開かれました。
この日、朝から10数名の市民が傍聴に来ていました。
その人たちのほとんどは、西口周辺整備計画に関わる地権者の方たちで、自分たちの土地の測量費が計上された補正予算がどうなるか、またこの問題に関する議員の対応を見たいという目的で来ていたのです。
その傍聴者が、朝9時からずっと待っている、その目の前で、本会議は2時間も空転しました。
(もしかしたら、自分たちの問題で議会が裏工作でもしているか、あるいは、傍聴者に対するイヤガラセか何かで休憩、休憩を続けているとでも思われたかもしれません。実際、そう思われても仕方がない状況だったと思います)。
実際には、この傍聴者の人たちが関心を持っている問題とはまったく関係なく、別の議員提出議案の「決議」の扱いについて、一部の会派によるごり押しで空転していたわけですが、
なぜ空転しているのか、傍聴者にはまったく説明がありませんでしたから、傍聴者が怒るのはあたりまえのことでした。
本会議終了後、この日の傍聴者から、以下のような「感想」が寄せられました。
(久喜市議会は、「傍聴者の声」を書いてもらうように、全部の傍聴者に記入用紙を配っています。これは、「議会だより」やホームページを検討する「広報委員会」で実施、寄せられた感想文は「議会だより」に掲載することもあります)。
9:00から開会だったが、休憩だかうち合わせだか、さっぱり始まらない。せっかく来席したのに雑談ばかり。先生方の良識は、自覚等は(信頼)、忘れたのですか? 家族のため、市民のため、一生懸命、今日も勤めたと家に帰って言えるのですか。 反省してもらいたい。もっと賢明さがほしい。 傍聴者のいることがじゃまなのか、9時スタートにもかかわらず何度も中断し、議会の良識を疑う。 初めて参加して、ここまで議会が愚かだと思わなかった。市民はバカだと思っているのかもしれないが、議員がどの企業とつるんでいるのか、我々の知らないところで何を企んでいるのか知っていますよ。 本会議、午前中2時間の休憩について、傍聴者には全く理解できません。なんのための休憩か。休憩を傍聴にきたのではありません。 議会は傍聴者に対しても休憩理由を説明してほしい。 傍聴者に対して、本日の議案プリントがないのは不親切である。 |
さて、しかし、これらの感想、怒りの声自体は「当然のこと」なのですが、その中にはかなりの誤解があることも指摘しておかなければなりません。
そこでここで、最低限の誤解は解いておきたいと思うのです。
まず、「雑談ばかり」というのは、休憩中に議場に残っていた議員たちのことだと思うのですが、本会議は休憩していても、代表者会議、議会運営委員会、会派の会議などが連続して開かれていたのです。したがって、その役にある議員は、まったく休みなく動いていました。そして、その役にはなくても、私や何人かの議員はすべての会議を傍聴し、何がどのように話し合われているのか、どの議員が何を発言し、議会がどう動いていくのかを、見つめ続けていたのです。
本会議場に残っていた議員たちは、自分の目と耳で状況を把握しようとしない議員たちです(自分の会派の役員から、後で結果だけを聞けばいいと考えているのかもしれません)。
「傍聴者のいることがじゃま」だから、休憩したわけではありません。協議する必要のあることが生じたから、休憩が長引いてしまったのです。
久喜市議会の議事手続きは、ある意味で(逆説的に取られるかもしれませんが)たいへん民主的に進められています。たとえ小さな会派の意見でも、徹底した話し合いと、ていねいに一つ一つの手続きを踏みながら進めます。
必要ならば、いったん会派に持ち帰って改めて議論を戦わせたりもしています。したがって、時間がかかるのは当然で、仕方のないこととも言えます。
そんなに議論ばかりせずに、多数決でさっさと決めてしまえば簡単かもしれませんが、それではかえって、少数意見や市民の小さな声を無視することにもつながるでしょう。
むしろ、代表者会議の終わりには議長が、「すぐに議会運営委員会を開きます。直ちに集まってください」と声をかけ、他の議員からも、「傍聴者をあまり待たせちゃ失礼だ。早く進めろ」と声があがったりもしていました。
議会運営委員会の終了後も、議長と事務局とで、その後の議事整理のための打ち合わせはやむをえないとしても、できるだけ早く本会議を再開し、ムダな時間は極力、削っていました。上にも書いたように、役にある議員やそれらの会議を傍聴していた議員は、ほとんどお茶を飲むヒマもなかったはずです。
傍聴者が、「何のための休憩か」わからない、「休憩理由を説明してほしい」、これはその通りでしょう。
しかし、久喜市議会は傍聴者はすべての会議を傍聴することができることになっています。これは傍聴者の権利として保障されています。
つまり、傍聴の方々は、望みさえすれば、議会運営委員会を傍聴して、何が話し合われているのかを知ることができたのです。
(これまでにも、市民が議会運営委員会を傍聴したことが何度もあります。代表者会議は議員以外の傍聴の例はありませんが、「傍聴させない」という決まりはありませんから、傍聴の希望が出れば、多分、傍聴を認めるか否か、代表者会議で話し合うことになるでしょう)。
もちろん、傍聴者の側からすれば、議員や議会事務局の職員の方から、傍聴者に対して説明に出向くべきだという理屈もわからないではありません。
しかし、傍聴者である市民のみなさんからも、その場で、「何がどうなっているのか教えるべきだ」、「(議会運営委員会で)、何を話しているのか、直接見せてほしい」と要求してほしかったと思います。
議会運営委員会を傍聴できるとは知らなかったのなら、議会事務局の職員か、もののわかりそうな議員をつかまえて、「なぜ休憩しているのか」、「傍聴できないのか」聞いてほしかったのです。
なぜか。それが、市民の権利であるからです。
市民は、みずからの持っている権利を行使しようとしなければ、その権利はないものと同じになってしまいます。
みずからの権利を堂々と行使すること、それは市民の自覚ではないでしょうか。
「傍聴者に対して、本日の議案プリントがないのは不親切である」、これはまったくの誤解です。
久喜市議会では、議員に配られているのと同じ、議案書も、日程表も、傍聴席に置いています。その日程表以外の「日程プリント」なるものはありません。
つまり、この日の朝になって、協議しなければならない事項が出てきた(私たちから見れば、一部の会派からのごり押しだとは思いますが)ため、会議、会議の連続になったのです。いつ頃、本会議が再開されるか、だれも見通しがつかない状態でした。
議会というのは、毎日、何が起こるかわかりません。日程通りに進まないことも多くて、時には、夕食を取る時間もなく、夜中までかかったりします。
特に久喜市議会は、少数意見も大切にするという伝統を持ってきましたから、審議の途中で、議員の意見や動議によっては本会議を休憩にして話し合い、それがすぐに終わる場合もあれば、予想もつかぬほどに長引いたりもします。
極論すれば、議会というところは、いつ、どんな問題が起こるかわからないと言っても過言ではありません。
(今、5つの会派、25人の議員がいるのです。いろいろな意見が飛び出します。だから私は、この日の朝も、「何時になるかわからないよ。早く終わるかもしれないし、何か起これば夜遅くなるかもしれない」と言って家を出てきました)。
繰り返しになりますが、傍聴者の方々は、議会がどうなっているのかわからなかったら、職員か議員に対して、「市民にきちんと説明するべきだ」というみずからの権利を行使してほしいと思います。
遠慮して、あるいは「どうせ議員なんてこんなもんだ」と思って、あきらめてしまったり、議会の悪口やグチを言っているだけでは、ますます、議会は市民から遠いものになってしまいます。
あるホームページで、匿名議員による、猪股へのワルクチに
あまりまともに相手にしたくはないのですが…
2005/12/24
あるホームページで、またまた連続して悪口を書かれてしまいました。
政治的立場や見解が違えば、議会での発言にからんで、別の立場の人から批判されるのは、別にかまいません。
『ああ、そういう見方もあるんだなあ』と受けとめ、私の思考方法を改めるべきところがあると思われれば自己反省すればいいわけです。
しかしこの●●党の名前で公式に開いているホームページでは、これまでもたびたび私を名指しで、「批判」とは言いがたい、「悪口」としか言いようのない駄文が発表されてきました。
これを書いているのは■■議員さんなのですが、卑怯なことに、この悪口は、いつも「匿名」なのです。
普通ならば、●●党久喜市議団の公式ホームページに、「筆者名なし」で書かれたわけですから、猪股への悪口は、●●党の公式見解として発表されたものと受けとめるのがあたりまえです。しかしこの人たちは、巧妙にも、以前、これらの記事は「党の見解ではなく、書き込んだ議員の個人の見解です」と断り書きをしているんです。
党の公式ホームページに記事を掲載しておいて、「党の見解ではなく、個人の見解だ」と言い、しかし書いたのが誰かはわからないようにして、いつでも逃げられるようにしているのです。
つまりこの悪口は怪文書の類です。怪文書をみずからの党の公式ホームページに載せて平気でいるとは、あきれた党です。
人間、匿名で他人の悪口を発表するのは、反論や反批判が怖いか、みずからの主張に誇りも自信も持てないか、そういう場合です。
たとえれば、チンピラが暗闇で後からそっと近づいて、ちょっと頭をこづいて逃げ去っていく、そんな行為ですね。
そんな悪口に、いちいち反論をするのは、私自身を■■議員と同じレベルに堕としめることになるので、あまりしたくはないのですが、最低限、書いておきましょう。
【その1】 「懐に刀」という比喩表現が、「不穏当」だって?
12月12日、市議会建設文教委員会が開かれて、西口周辺整備・活性化事業の「測量費」が問題になりました。 市当局が提灯祭通りと西停車場線の間に幅30mのバスターミナルを作る、そのために対象用地の測量をしたいというわけです。しかしその計画について、地権者のみなさんにはいっさい知らせず、理解も得ない内に、測量費を予算計上してしまったのです。委員会審議では当然、地権者の同意が問題になりました。 私も質疑の中で、「地権者の同意を得ずして測量に入るべきでない」と主張しましたが、建設部長ら担当者は「地権者の同意を得られるよう努力をする」という答弁です。 私は何度も、「同意が得られない内は測量に入らないことを明言すべきだ」と迫りましたが、部長は「地権者のみなさんとできるだけ話し合いを重ねて、もう理解を得るしかないと思っている」という言い方もしました。 つまり、「話し合いをする」といいながら、「どうしても理解を得て測量をしたい」というわけです。 私はこうした当局の姿勢を「懐に刀を隠しながら話をしているのかというふうにいわれてしまう」と発言しました。 この部分について、●●党議員団のホームページには、「不穏当な発言」という題名で、以下のように書かれました。
当局が、「測量実施について理解を得るために話し合いましょう」と言いながら、にもかかわらず、「理解を得ない内は測量しません(できない)」ということを認めようとしないのは、まさに『場合によっては、同意を得る前でも測量するかもしれない』ということ以外でありません。 私はそのことを「懐に刀」というたとえ話で評したのですが、■■議員は何を「理解に苦し」んでいるのでしょうか。 また何が「不穏当な発言」なのか。「刀」という言葉が不穏当だと言いたいようです。 日本語には『刀』という言葉を使った比喩はたくさんあります。「懐刀」「両刃の剣」「雨が降ろうと槍が降ろうと」などもそうです。 ■■議員は、こういう日本語を知らないで、「刀」という語が入っているから、「不穏当」だと思いこんでしまったわけです。多分、日本語の比喩表現を知らないのでしょう。 |
【その2】 「東武鉄道にお礼を言わない猪股は失礼だ」、「猪股は長年組合活動をしてきた」ってホント?
22日、市議会最終日の、鉄道輸送力増強の決議についての私の討論に関して、またまたわけのわからない悪口はこうです。 私は、すでに久喜市が提出した要望、今回の議会の要望決議案に対して、東武鉄道が来年のダイヤ改正で発表した案は、「要望事項を100点満点とすれば、40点くらいであって、満足できるものとはいえない」と発言しました。 これに対して、■■議員は「満足できなくても、一部でもやってくれたんだから、お礼を言うべきだ」というのです。 この人は、久喜市も議会も市民も、東武にお願いして、一部でもやってくれることになったら、お礼を言うべきだ、まだ足りないという本音を言うのは失礼だというわけです。 本来、久喜市、市議会、市民と鉄道事業者とは対等の立場であって、要求すべきことはきちんと要求するのがあたりまえです。さらに充実してほしいと求め続けるjことが、なぜ失礼になるのか、それこそ『理解に苦し』みます。 さらに、この悪口文章の最後に、猪股のことを、
と書かれたのですが、これこそ他人の経歴について、いいかげんな話をまき散らす、たいへんに失礼な話です。 私は『長年組合活動をしてきた方』ではありません。私は大学卒業後に、一時、当時の国鉄に入社して、2年間で退職しています。最初の半年は研修中だったから、組合歴は1年半です。−−つまり、「長年組合活動をしてきた」というのがそもそもいいかげんな伝聞です。 ■■議員は、猪股が「長年組合活動をしてきた方と伺っている」と書いているわけですが、一体どこのだれから「伺って」、こんなでたらめな話を仕入れてきたのでしょうか。 他人のプライバシーに関わる経歴についてであれば、もっと正確な情報に基づいて、慎重に扱うべきでしょう。 それとも、どうせ一般の市民は知らないから、ウソを書いてもかまわない、ということでしょうか。 本当に失礼な話です。いや、本当に失礼な議員さんです。 他人のプライバシーに関わるいいかげんな話をそのまま、ホームページに書き散らす、この人は、議員の資格はありません。市民に対しても、いいかげんな情報やプライバシーを言いふらしたりするでしょう。この議員さんに、あまり個人的な相談事はしない方がいいでしょうね。 その上、「運動論は教わってこなかったのか」というのも変な言い方です。 この人たちの組織の議員さんは、「運動論」とやらをだれか、組織の先輩から教えてもらって、それに従うのがあたりまえなのでしょう。 もっとも、■■議員の言う「運動論」とやらが何をさしているのか、よくわからないのですが、この人にとっては、議員としての運動の進め方について、自分の考えで取り組むんでなくて、もっと権威ある上の方の命令、誰かの指示で動いているということです。 そんな議員さんが、「偉そうに」教えを垂れてくださる必要はありません。その言葉はそっくり彼女に返上しましょう。 それと■■議員が、どんな運動論を知っているのか思いもよりませんが、こういうインチキ情報に基づいて他人の悪口を書き散らすような人が『運動論』の教えを垂れるとは、お笑いにしかなりません。 多分、この人は「運動論」なんて、知りもしないで、知ったかぶりをして書いているのだと思われます。 |
田中市長さん、「急げ! 静かに」の出典を教えてほしい
2005/9/26
田中市長の所信表明演説の中の「急げ! 静かに」について、23日に下記の文章を書いた。
田中市長は、「私にとって3期目ということでもありますので、あのゲーテの言葉といわれています『急げ、静かに!』を胸に秘め、久喜市発展のため、全力でこの難局といわれる時代に立ち向かってまいります」と述べたのであるが、この「急げ! 静かに」の出典がどうしてもわからない。
で、いっしょうけんめいインターネットで検索をかけ、探していたら、ある掲示板に、以下のような書き込みがあった。【要約を掲載させていただく。】
ゲーテの名言というのは、 「星のように急がず、しかし休まず、人はみな、おのが負いめのまわりをめぐれ!」 というのがあって、 田中市長は、この「急がず休まず」を言うつもりだったのではないか。 あるいは、 もともとのギリシアのことわざで、ローマ五賢帝の一人の座右の銘として、 「ゆっくり急げ」というのが知られており、 田中市長はそれを言いたかったのか。 |
掲示板というのは、いろいろな専門家が集まっていて、
時々、すごい! と感心するような記事が出る。
今回の「急げ! 静かに」を調べた人の博識も大したものだ!
脱帽と言うしかない。
市長の所信表明演説の原稿を作成したのは、久喜市企画財政部財政課である。
そこで、今日、職員に、「急げ! 静かに」の出典を聞いてみたのだが、職員も知らないという。
職員は所信表明演説の原稿を作成したことはしたが、この「ゲーテの言葉」は、市長が挿入したものだという。
さすがに職員のみなさんも気になって調べてみたが、やっぱり、“出典はわからない”というのである。
というわけで、今のところ、「急げ! 静かに」について、知っている人は誰もいないということになる。
さて、田中市長は、ゲーテのどこから、「急げ! 静かに」を引いたのか、あとは田中氏自身にお聞きするしかないようだ。
ただ、本当に「急がず、休まず」だとしたら、あるいは「ゆっくり急げ」だとしたら、
市長の所信表明演説の脈絡は少々違ってきてしまうのだが…。
田中市長の「所信表明演説」に思う
「急げ 静かに」のはらむ危うさ
2005/9/23
9月15日、市長選挙後の初議会が開会されました。
田中市長が、市長の支持者たち、また後上前市議ら批判的な人たちも傍聴席から見つめる中、約1時間にわたって、所信表明演説を行いました。
演説の中心はもちろん、市長選挙で掲げた「政策実行計画」…マニフェストをほとんどすべて網羅し、一つ一つの実行を改めて述べていました。
総合的病院の実現については、
幸手総合病院の移転問題について、「久喜市が移転先として最有力候補地であるとの意向が示されたところでございます。今後、厚生連において、機関決定が早急になされることを期待しております」
「基準病床数の規制、あるいは財政問題、開設場所などさまざまな問題や課題があるかと思いますが、……(略)……、久喜市医療懇話会及び市民のみなさまからのご意見をいただくとともに、近隣市町に配慮しながら、……(略)……総合的な病院の誘致に向け、慎重かつ積極的に取り組んでまいりたい」と述べたものの、具体的な見通しについては触れませんでした。
“すべては、JA埼玉厚生連という相手が決めること、その機関決定に期待する”という立場のようです。
なお、演説の冒頭では、
「口はばったい言い方をお許し頂ければ、私が勝つことが久喜市の発展に繋がるとの信念のもと戦ってまいりました。しかしながら、同時にご批判票も頂いたわけでございます。謙虚に過去8年間を反省しながらも決意も新たに、初心に帰り、……」と述べました。
「批判票」 「検挙に」 「初心に帰り」というその言葉を、本当にかみしめてもらいたいものです。
それにしても、「私が勝つことが久喜市の発展につながる」というのは、少々気負いすぎではないか、あまり自信を持ちすぎて、かえって突っ走りすぎたり、独善的にならないよう、それこそ、「初心」に帰って、「謙虚な姿勢を求めたいと思うのです。
演説の締めくくりは、「ゲーテの言葉といわれています『急げ、静かに!』を胸に秘め……」でした。
やはり私の、田中市長に対する心配、危惧はここにあります。
政治の過程において、「急げ 静かに」は何を意味するでしょう。
病院問題にしても、合併問題にしても、かげで隠密裏に進められては困るのです。
市民の目に見えるところで、きちんと手順を踏んで進めて欲しいと思うのです。
この間、幸手総合病院の移転問題(?)は、昨年の5月に最初の話がありながら、幸手市側にも、久喜市民に対しても、今年の6月まで、まったく秘密にしてきたわけです。
合併問題では、時期を急ぎすぎたために、まちづくりの理念や将来像を明らかにすることができなかったことが、失敗の原因であり、市民は底を見抜いたのでした。
私はむしろ、田中市長に、4年前の2期目から、いきなり「合併」に突っ走っていき、4年間の行政の力を合併問題に集中させ、結果的には失敗した、それをどのように反省しているのかを述べてほしかったと思っています。
そして今度は、「急ぐな」 「じっくり」 「市民とともに」進んでほしい、そう思います。
“議員報酬が低いので、久喜の男性議員は副業で稼ぐ”???という、変な話
2005/6/8
○×党のホームページに、私のホームページの記述を以下のように(青字の部分)引用された。
まあ、引用したこと自体は容認してあげよう。
ただ、私の記述に引っかけて書いている引用者の文章は、大いにひっかかる。
第1には、私の記述に対する批判(?)のように見せて、自分の考えをきちんと書いていないこと、つまり、引用者が「議員定数削減」に賛成なのか反対なのか、あいまいにした書き方になっていて、ということは自分の考えを隠しておいて、批判されないようにしていること、巧妙かつ欺瞞的な書き方と言わざるをえない。
第2には、この引用者が、男女共同参画の最近の考え方に背を向けて、男女の性別役割分担意識を濃厚に引きずっているということ。
第3には、「猪股」の名前は明示しておいて、その批判らしきことを書くのに、引用者は匿名で、だれだか分からないようにしていること、それによって、自分への判を怖れ、避けているのだろう。
もっとも、引用者が○×党の、□□市議であることは十分に推測がつくのだが。
2005年5月29日 (日) 議員定数 議員定数削減について、お知らせのページでも書いたが、議会活性化検討委員会の次回の議題になる。 猪股議員のホームページにも掲載されていた。 以下がその内容である。 議員定数削減についても協議 第5回(6月16日)の検討委員会では議員定数削減について協議されます。現行定数25に対し、大地は16を提案。他の会派からはまだ具体的な人数の話は出ていませんが、少なくとも20名は下回らないと、市民の理解は得られないでしょう。 猪股議員は定数削減は必至と言われている。 ある区長さんとお話したときにも、議員定数削減は当然で、歳費の削減も必要、と言われた。 しかし、本当にそれで良いのか、と思う。 現実として、今、いただいている歳費だけでは、生活はできない。男性議員は議員のほかに仕事を持ち、時間のやりくりをしながら、議員活動をしているのが現実である。 定数削減になれば、一人の議員の果たす役割が当然増える。その上、歳費削減になれば、若い人は、出られなくなるし、お金持ちしか出られなくなる。 議員は名誉職ではない。 |
私が、「男女の役割分担意識」を濃厚に感じさせた部分とは、
『現実として、今、いただいている歳費だけでは、生活はできない。男性議員は議員のほかに仕事を持ち、時間のやりくりをしながら、議員活動をしているのが現実である』という部分である。
この引用者は、男性がその収入で、家族の生活を支えることが当然であると思っているようだ。したがって、男性議員がその歳費だけでは生活できず、したがって議員の他に仕事をしながら副収入を得て生活費に充てている、と言っているわけだ。
しかしこれはうそだ。
「議員のほかに仕事を持ち、時間のやりくりをしながら、議員活動をしている」という男性議員は、○×党の3人の男性議員のことだろうか。(もちろん他にも保守系会派で、自営業や農業での収入がある人もいる)。
私(猪股)自身は議員の他に仕事はしていない。他にも複数の議員は、議員以外の収入は得ていない。
【わざわざ私がこんな文章を書いたのは、“久喜の男性議員がみんな副業をしている”などというウソがまかり通ってはかなわないと思ったからでもある。】
私自身で言えば、妻が働いていて、それなりの年収がある。しかし、私自身も妻も、生活費は男性の収入によって(あるいは夫婦どちらか一方の収入によって)支えられるもの、という意識はない。これは、夫婦とも働いていて両方の収入で生活している世間の多くの家庭における普通の意識ではないだろうか。
ところが、この引用者の思い描く家庭では、“生活費は男性が持って来るのがあたりまえ。だから、議員だけの報酬で少なければ他に副業の仕事をしてでも生活費を稼ぐ”ということになる。“夫婦両方で協働して、家庭を営んでいく”という意識ではないようだ。
□□議員は、これまで男女共同参画を主張してきた女性議員であるはずなので、このことが不思議かつ残念でならない。
ただ、久喜市の議員報酬が低すぎるのは事実である。私は、議員報酬だけで、生活費と調査費・活動費をまかなえるようにすべきであると思っている。
現実問題としては、この引用者の言うように……○×党の男性議員のように、多くの議員が副業を持っていて(あるいは、議員の方が副業か?)、議員活動に専念できるようになっていないことも事実である。だから、農業や自営業、または退職して年金で生活できる人が議員になることが多いわけだ。(以前、ある議員が『なぜ議員になったのか?』と問われて、『だって、昼間、ヒマだからさあ』と答えたのは、私も直接聞いたホントの話である)。
そんな片手間議員でなく、専従的な議員を増やすためには、もっと議員報酬を上げることも必要ではある。(市役所の職員…課長並みくらいは…)。
久喜の議員報酬の金額はこちらを参照してください |
権威主義、人間の格付けとしての勲章・褒章制度
『声と眼』291号 2005/5/16
前号に《藍綬褒章を断った》記事を掲載しました。その後、今回の私の藍綬褒章選考の過程を調べてみて、いろいろと変なことがわかりました。
勲章・褒章および文化勲章は、天皇の名において“国家に対する功労者”を表彰するものです。戦前の軍人への金鵄勲章(戦後は廃止)、中曽根氏の大勲位菊花大綬章や、男性だけの旭日章、女性だけの宝冠章、瑞宝章(それぞれ勲一等〜八等)などの勲章と、褒章には紅綬褒章、緑綬褒章、黄綬褒章、紫綬褒章、藍綬褒章があり、毎年春秋2回(4月29日、11月3日)に授与されます。
戦後、文化勲章以外は廃止されましたが、1964年に復活しました。最上位の叙勲者は天皇が直接に授与、下位になると内閣総理大臣や各大臣、褒章は都道府県知事から伝達され、その後、日を改めて天皇陛下に拝謁を許されます。こうした序列にも権威主義と人間を格付けする思想が露わです。
“受諾の意志”を事前に確認!?
ー藍綬褒章、選考から内示までー
内閣府賞勲局で、各省庁が推薦した受賞対象者名簿に基づいて、1年前から選考が始まります。
今回の場合、
◆昨年5月に、埼玉県から市に『藍綬褒章潜在候補者に関する調査』の照会文書が来て、“地方自治功労者”として議員在職25年以上の基準に該当する“候補者”の名簿を提出。
◆7月2日、埼玉県市町村課から『平成17年春の
褒章候補者猪股和雄氏に係る審査書類の提出について』という書類が久喜市に届きました。この中に“受章の意志”という項目があって、事前に、受章が決まった場合に受けるかどうかを確認した上で、受章すると返事した人=欲しいと言った人だけに授与する仕組みです。ー県からの文書には『あくまで潜在候補者調査としての意思の確認であり、受章の期待を持たせないように留意してください』という“注意事項”もありました。
同日、議会事務局職員から私に「藍綬褒章の候補者になっている。受章が決まった場合に受けますか?」と問い合わせがありました。私は「決まりもしない内に、受けるかどうかを確かめるなんて失礼ではないか。『そんな話には答えない』と埼玉県に返事してください」と返答しました。
◆私はこの段階ではまだ“候補者”として残ったようで、その後、7月に『褒章候補者猪股和雄に係る審査書類』(経歴、功績、刑罰等調書、戸籍抄本などの個人情報)、9月に『受章候補者に係る内申書類』(功績調書、履歴書等)が、当事者の私にはいっさい知らせずに県に提出されました。
◆3月2日、埼玉県から久喜市にFAXで、『平成17年度春の褒章の内示について』が届きました。“受諾の意志”と、5月6日の伝達式、27日の天皇拝謁の出欠を、4日の正午までに回答せよというのです。しかも『今回は内示ですので発令日(4月29日)まで、本人及び栄典担当者以外には内密にしてください』との注意書きもありました。
私はなぜ受章を断ったか
私はこの段階で「受けません」と返事しました。
◆私は天皇の臣下ではないので、天皇から褒章をもらういわれはありません。また、天皇を頂点としたいっさいの身分制的権威を認めません。
◆人間は勲章などによって評価されるのでなく、何を為したかこそが大切だと思うのです。
“藍綬褒章”を断りました 3月2日、久喜市から『埼玉県の市町村課(内閣府賞勲局)から、春の褒章で、猪股議員に藍綬褒章の受章の“内示”があった。受諾の意志と、5月の天皇拝謁に出席するかどうか』と問い合わせがあり、私は『受諾の意志はない』と回答した。 |
★驚いたことに、3月7日、今井宏衆議院議員から、受章のお祝いの電子郵便が届いた。まだ「内示」のはずなのに、国会議員には個人情報が流されているらしい。★
左は、私が受章を断ったことを知らずに送ってきたお祝いの電子郵便の現物である。 「配達指定日が3月7日となっている。 もしかしたら、内示の前に、受賞者を知っていて、発送を手配したのかも知れない.。 国会議員の特権か? 違法ではないのか? 私の名前の字が違っている。 慶弔の文章で名前の字を違えることがいちばん失礼なことではないか。 まあ、ご愛敬だろう。 「猪俣」は間違い⇒「猪股」が正しい。 |
学校2学期制についての私の一般質問の内容を、まったく逆の趣旨に書かれてしまった
2005/2/1
公明党久喜市議団のホームページで、11月議会の一般質問で、私が、学校2学期制について、『I議員は一般質問の中で「今のところメリットが全く見られない」と断定』したと書かれてしまった。この書き方は、まさに私がそのように発言し、「断定」したとしか読めないが、しかしこれは完全な間違い、というか、全く正反対の趣旨に書かれてしまっているとしか言いようがない。
会議録で確認したところ、私は質問の中で、「保護者にとっては2学期制へのメリットなどよくわからないまま実施されたという感じを否めないできた」「総じてこれまでのところ保護者にとっては2学期制移行のメリットが余り感じられない状態であります」と述べた。そして、「2学期制実施後半年の成果と反省、教育委員会の評価をどう考えているか」と聞いているのである。久喜市では積極的にすべての政策について、行政(政策)評価も行っている。当然、学校2学期制についても教育委員会の“現段階での評価”を聞くのはあたりまえではないだろうか。
さらに私は質問の中で、「2学期制実施にあたって、教育委員会や学校現場でさまざまな工夫をしているが、学校によってアンバランスがある。前向きの取り組みを全体に広げていってほしい」と要望しているのだ。……公明党はとんでもない聞き間違いをして、正反対に書いて私を中傷したわけだ。
参考までに、私の「2学期制についての基本的立場」のついての記事(『声と眼』・2004年11月30日)を見てほしい。
『声と眼』の記事に苦情の電話
2005/1/30
1月29日、朝、『声と眼』の記事に対する苦情の電話がありました。(Aさんとします)。
Aさんは昔からの知り合いで、選挙の時にはずっと応援をしていただいてきたのですが、最近は別の議員に移っています。
最初、「話があるから会ってくれ。自分(Aさん)の家に来てくれてもいい」と言うので、私が「何の話でしょう」と聞くと、『声と眼』の記事についてだと言います。
12月定例市議会で、井上議員が市立図書館の性教育本について「行き過ぎた性教育本」と決めつけ、こういう本が公的な場に置いてあるのは問題だという質問をしました。
『声と眼』1月24日号で、これを批判した記事を掲載しました。
特に記事中に、『デタラメ発言は許せない 井上氏は質問の中で、図書館に「高校生になったらセックスしろと書いてる本もある」とも発言。−−私が思わず、「そんな本はない」とヤジを飛ばすと、あわてて「そういうふうに受け取れる本もある」と言い直しました。議会でこんな一方的な決めつけとデタラメを述べ立てるのは悪質です。』と書きました。
Aさんは、「デタラメ発言と決めつけるのはおかしい。井上さんはデタラメは言っていない」と言うのです。
Aさんも当日、議会を傍聴していましたから、その発言を聞いていたはずなのですが、「よく聞き取れなかったけれども、そんなふうには言わなかった」と言います。「よく聞き取れなかった」のに、「『声と眼』の記事は違う」と言うのもおかしな話です。
また、「本人の了解を取ってから書くべきじゃないか」、「井上議員の名前を出さないで、ある議員が、と書けばよかったじゃないか」とも言いました。
他の議員の発言を批判するのに、本人の了解を取るというのもおかしな話ですし、議員が議会という公的な場で正式に発言したのですから、その議員は自分の発言に責任を持たなければなりません。いわば公人としての議員の公式発言を、「ある議員」などとごまかすことこそ失礼な話です。
Aさんは「後輩議員なんだから、…」とも言いましたが、それこそ本人に失礼な話です。議員は当選回数に関係なく、全員対等です。議場では、お互いに真剣勝負をしているのです。
「あなた(猪股)の考えが絶対に正しいとは限らない」とも言われましたが、それはその通りです。私は私自身の見解と政治姿勢に立って、井上氏の発言を問題だと判断したから、書いたのです。井上氏の発言が正しいと思う人や、私とは異なる見解や考えをお持ちの方も、当然いるはずです。それぞれの方が、『声と眼』の記事を読んで、どう判断されるかは、それぞれの人の問題です。私は“猪股の考え”を押し付けるつもりはありませんし、押し付けることなどできるはずがないのです。
話は堂々巡りで、朝9時10分頃からの電話が、とうとう10時になっても終わりません。私は10時に約束があったので、「言っていることは分かりました。さっきから、同じことを何度も話しているから、もう終わりにしましょう」と、何度も言ったのですが、Aさんは「逃げるのか」と攻撃してきます。
「まだ話は終わっていないから、自分(Aさん)の家に来てくれ」とも言われたのですが、電話で50分も話して堂々巡りなのに、家に行っても仕方のないことですから、私は「その必要はありません」とお断りしました。実際、そんなむだなことに費やすヒマは、私にはないのです。
Aさんは、「これまであなた(猪股)を育ててきてあげた」とも言い、とうとう最後には、「猪股さん、最近、思い上がってるよ」、「当選順位が上がってきたから、いい気になってる」などと、人格攻撃や、脅しめいた話まで(ここではこれ以上は書かないでおきます)始まるに及んで、私が「もう話す必要はありません。終わりにします」と言って、ようやく電話を終わりにすることができました。
議員をやっていると、こういう“悪口”も甘受しなければならないのでしょうかねえ。
それにしても、自分のいうことを聞かない相手にはこのような言い方をする人に、これまで応援してもらっていたのかと思うと、恥ずかしい気もします。
成人式に思う……誰のための「成人式」か
2005/1/10
今日は「成人の日」。久喜市の成人式は今年も昨年と同様に、第1部 式典、第2部 二十歳の集いの2部構成で行われた。
今年の成人式対象者数は、男性458人、女性424人で、合計902人(昭和59年4月2日〜昭和60年4月1日生まれの人)。その内、出席者は約670人。
昨年より、新成人は10人ほど減、参加者は60人減だった。なぜだろう。
女性はほとんどが振袖姿、洋服の人は数人見かけた。男性はほとんどが黒スーツだが、羽織袴姿もけっこう多かった。金や銀のぴかぴか光る袴は、自分で買ったのだろうか。
今年も、酒の会場持ち込みは禁止、酔っぱらっている人も入場禁止だったので、会場は静かなものだった。と言っても、私語は多くて、ケイタイメールを打っている人、(あいさつの最中に)会場内で写真を取り合う人たちも多くて、「市長や来賓の話なんか誰も聞いていないんじゃないの?」と思われるのは同じだった。
いや、誤解されるのを承知でいえば、むしろ当局のいうことをおとなしく聞いて静かに座っている人ばかりで、“覇気がないなあ”とすら思えるほどだった。
ちなみに、第1部終了後に、駐車場を回ってみたら、派手な改造車が並んでいて、数人がその周りにいたから、もしかしたら、騒ぎそうな人は、最初から、会場から閉め出されていたのかも知れない。
最初の実行委員の自己紹介で、一人目が「君が代の伴奏をします。皆さん、歌ってください」、2人目が、「君が代の指揮をします。ご協力ください」、3人目が、「前の2人が伴奏と指揮をするので、皆さんご協力ください」と、しつこいくらいに念を押していたのは印象的で、司会者の「国歌斉唱。皆さん、ご起立ください」の声に、ほとんどの人が起立していた。立たない人は数人か? 演壇上では、私ととなりの木村議員(共産党)の2人が起立せず、歌わなかった。
会場内の歌声はほとんど聞き取れなくて、思い切りはずしていたが、それにしても、何でみんな、あんな素直に立つかなあ。
それと、演壇上の市長はじめ教育委員会の人たちや来賓が、会場の方(つまり参加者の方)でなくて、正面に掲げられた「日の丸」の方に、わざわざ向き直って歌っていたのは、やはり、「君が代」は天皇を讃える歌であることを自覚していたからに他なるまい。
あいさつに立った人たちが、すべて、会場の参加者に礼をする前に、「日の丸」に向かって頭を下げていたのも、この式典を天皇と国家に捧げる、という意味を持たせているのだろうか。
以上は、私の色眼鏡で見た「成人式」の感想である。
合併問題で、「日記」の形を借りた卑劣な中傷記事に、最低限の反撃をします
……他人(ひと)の文章を勝手に変えて「引用」し、中傷するなんて……
2004/11/3
本当は、私は、こんなことに関わり合っているヒマはないのです。 自分の活動もあります。 もうまもなく、12月定例市議会の準備にも入らなければなりません。つまり、来年度以降の久喜市の進むべき道を見据えなければならないということです。 それは、私たち、合併反対を主張した人も、賛成を主張した人も、同じです。(幸手の議員さんにとっても同じです)。 『自分たちは合併を推進したが、久喜市民が拒否した。もう打つ手はない。どうとでもなれ』という態度は、行政や議会関係者は取れないはずです。『合併がダメになった。それでは次善の策は』と思考を切り変えていかなえればなりません。 それなのに、幸手の議員のホームページに反論するような、こんな文章を書いたのは、私を応援してくれる人から、「幸手の議員さんのホームページで猪股さんを批判していたよ」と教えてくれた人がいました。その人も、まさか、私の文章が改変されて引用されているとは気付かなかったそうです。あたりまえです。そんな、常識はずれな「批判」が横行したら、世の中に正当な議論は成り立たなくなってしまいます。 にもかかわらず、そんなことをやる議員さんがいたのです。この点だけでも、きちんと指摘しておかないとならない、そう考えて、この「批判」記事を掲載しました。 もうたくさんです。 こんなばかげた無駄な時間を使うのは、もうこれっきりにしたいものです。 |
他人(ひと)のホームページの文章を、ご自分の「日記帳」なるページに「引用」し、それも自分に都合のよいように改変して「引用」しておいて、都合のよい批判をする。いやこれはもう誹謗中傷の類だから、わざわざ相手にするのもばからしい。反論すれば、その人と同じレベルに自分を貶めることになる。
その人とは、幸手の枝久保市議であり、「枝さん日記」という知る人ぞ知る、かなり著名なページである。氏の「引用」の中に、「いのまた」という私の名前は書かれていないが、見る人が見れば、明らかに「久喜のいのまた市議」ということはわかる、巧妙な書き方になっている。
私は、他人のホームページの文章を批判するときには、文章を正確に引用することが最低限のルールfだと思う。できればリンクくらいはるのが、読む人に対しても親切な配慮ではないか(少なくとも、私は、正確を期すために、そうするのであれば、拒否はしない。当然ながら、悪意があると感じられる場合は、別である)。
文章というのは、その前後関係から判断しないと、解釈を間違うことも多い。慎重に扱うべきものだからだ。
しかし、正確な引用もせず、「いいかげんな抜き書き」だけ、いや、勝手な解釈で創作した文章を「引用」のように見せかけて書き連ね、それに対して非難するのはフェアなやり方ではあるまい。
もう一つ。これは「日記」という形式をとってはいるが、他人に読ませるための日記であることは明らかであり、自分の価値観を宣伝し、他者への批判を公開するためのものでもあると判断する。この「日記」という形式において、断片的な片言隻語の引用にもとづいて他人を中傷する、本人は知らない、あるいは知っていても対抗手段を持たないとしたら…。何という卑劣なやり方か。書き手の人間性が疑われるではないか。
一度はきちんと書いておくことにしたが、しかし残念ながら、これまでの、私に対する氏の誹謗中傷のやり方からすると、まともな議論が成り立つものとも思えない。(私は残念ながら、「人はみな話せばわかる」というような楽観主義者でもない)。そこで、最低限の指摘だけをしておく。読んでくれた人に判断していただければ、それでいいことだ。
以下の文章の中で、正確を期し、かつ私の引用の信用性を確保するために、氏の「日記」の当該する必要な各ページにリンクをはらせていただく。氏の了解はとらない。【引用文中の赤字、太字はいのまたによる。】
まず、11月1日の「日記」である。
「読むに耐えない」かどうかは、個人の好みの問題だからどうでもいいが、「…毛嫌いするような…」「まるで…に近い」という書き方は、物事を断定しないであいまいにする、反論されたときのために、逃げ道を用意しておく書き方。「いささか…品のない、肝の小さい語りぶり」などの文言は、批判と言うよりも、まるで子どもの悪口に近い。
私の書いた原文は以下である。悪口言うも、中傷のために引用するも勝手だが、原文の引用だけは正確にしてほしい。「…といったような表現」と文章を勝手に変えてしまうのは最低のルール違反でないか。
リンク先に原文がある。前後関係を読めば明らかなのだが、3首長の、三者三様の政治姿勢の違いを比較した文章であって、「久喜市・幸手市・鷲宮町の2市1町の枠組みが絶対ではないよ」という趣旨である。まあ、同じ文章を読んでも、読む人の価値観によって、受け取り方が違うのはやむを得ない。ただし、「毛嫌い」とか「のけ者扱い」というのは、氏の被害者意識の現れだろう。
そもそも、一つのまちを「毛嫌い」するような人がいるだろうか。私はいるはずはないと思う。ある町の、ある政治家とか、ある集団とか、自分とは対立する政治団体とかを嫌いだということはあるかも知れない。(私は、政党としての自民党は嫌いだが、自民党の中にも尊敬すべき政治家はたくさんいる。親しい地方政治家もいる。小泉は大嫌いだ)。
私は、幸手市内に友人も知人もいるし、おいしい食べ物屋さんはたくさんあるし、温泉にはよく行くし、嫌いな町ではない。ちなみに、五霞町にも友人はいる。
枝久保氏は、今この11月に入ってもなお、「我が街にかかわることとしては、法定協が解散したばかりなのでまだまだ新たな動きは先のことと考えられる」なんて、甘いことを言っているのですが、幸手の予算編成作業はどうなっているのでしょうか。ましてや、(当面)、合併しないでやっていく自治体づくりをどう進めていくかは大問題のはずです。 久喜市は、すでに10月18日、市長名で各部署に「平成17年度予算の編成について」という通知を出しました。 その中で、庁内に「久喜市行財政改革戦略会議」を設置したことも明らかにされています。 つまり、合併が破綻した今、新たな状況の中で、どのように久喜市の行財政運営をしていくかという、「経営戦略」づくりに走り始めたということです。やっぱり、役所の組織を一手に握る市長、400人のピラミッド型の官僚組織はすごいですよ。合併しないで、市民負担やサービスの低下を回避しながら、久喜市がいかに生き残っていくか、という課題に立ち向かっていこうとしているわけです。 幸手や鷲宮が、まだ何もしていないということはないでしょうが、枝久保氏は、行政の動きを何も知らないようですね。 |
この人は以前にも、同様の手法をとって、私のホームページの記事を批判したことがある。またそれとなく、私のホームページの記事に触れたこともある。
その内の一つ。
次は9月25日の「日記」である。
(原文引用)と書いているが、これはウソだ。私の原文は以下の通りである。(枝久保氏の引用の関連部分だけ引用する)。ぜひリンクから、もともとの原文を当たってほしい。
字数に制限のないホームページ上の引用に際しては、わざわざ文言を変える必要はない(そのままコピーペーストすればすむ)はずなのに、枝久保氏は、引用に際して、細かい形容詞のいくつかを削って、わざわざニュアンスを変えてしまうのだ。しかもその上に、「原文引用」の途中に自分のコメントを挟み込むなんて、「小狡いやり方」としか言いようはない。
「権力の横暴」という文言についても、本文の中できちんと説明のリンクを付けているのだが、あえてそれは無視したわけだ。特に上の原文の、最後の文章を削ったのは意図的だ。
さて、枝久保氏から、私に対する誹謗中傷についての“最低限の指摘”は以上である。当面、これ以上、書く必要はない。
久喜と幸手の合併問題については、すでに結論が出た話であって、触れる必要もないことだ。ましてや、幸手と五霞町の合併については、私はよく知らないし、口出しする立場でもないのだが、枝久保氏の「日記」のありようの本質に関わると思うので、もう2つだけ付け加えておこう。
(1) この枝久保氏という方は、どうも思いこみの激しい、疑心暗鬼のたいへん強い方らしい。
久喜市議会で、私(いのまた)と同じ会派のもう一人のIS議員は合併「大」賛成派であるのだが、「日記」で、彼のことを疑う文章を書いたこともある。この時もいいかげんな情報に乗っかって、他の周辺情報も本人にも確かめもせずに、以下のように書いたものだ。
……下の文中で、「あの義員さん」とはIS議員のこと。「彼の同胞議員」とは、私、いのまたのことである。
【枝さん日記】 2004年5月30日 「(略)… そうですか、あの議員さんが新市の名前で合併破綻のようなことを発言しているのですか。実は市長選のあと、各所でかの議員にはお会いしているのですが、あれっ?と感じる雰囲気はたしかに受けたことがあります。彼の同胞議員は、公然と合併反対論を展開している方です。そういえば、今まで一度も彼の姿を法定協で見たことがないですね。 …(略)」 |
そして、IS議員の方から何回かアクセスしてやっと、「IS議員が賛成派である」ことを信用したようなのだが、それでもその後の「日記」で「同胞議員」である私のことをやり玉に挙げている(下記)。「日記」の中で、IS議員に宛てた手紙という形をとっている。
【枝さん日記】 2004年6月2日 「(略)… 貴方の同胞議員さんもホームページ等で幾分の理解はしているつもりですが、貴方の言われるように立派な政治家とお見受けしています。信念に揺るぎを感じない方だとも感じています。でもそれとこれとは、私の場合は話は別です。 …」(略) |
この頃から(あるいはもっと前から)、私のホームページをまめにチェックしてくれていたらしい。光栄ではある。
(2) 氏が、幸手市議会の中で、幸手市と五霞町との合併反対論をリードしていた、その中心の一人であったのは周知の事実である。
その理由の一つとして、以下のような記事が「日記」の中にある。
しかし、氏が上の記事を書いた同じ年の1月に、茨城県知事は、以下のように発言している。これによれば、茨城県知事は、五霞町と幸手市の越県合併に、少なくとも反対はしない、という立場を表明しているように見える。枝久保氏がこのことを知っていて、上の記事を書いたとしたら、市民をだましたことになるし、知らないで書いたとしたら、無責任ということになる。
それとも、2003年1月以降に、茨城県知事の姿勢が「越県合併反対」に変わったのだろうか。知っている人がいたら、教えてほしい。
【茨城県・橋本昌知事の定例記者会見における発言要旨】 作成:茨城県庁広報広聴課 2003(平成15)年1月9日 「(略)… 同じ茨城県あるいは茨城県内の市町村として仕事をやってきたところなので,いろいろな思いというものはありますが,地元の皆さんが圧倒的多数でそういう選択をされるということであれば,そこは地元の意思というものを当然尊重しなくてはいかんと思っています。…(略)」「(略)… 県としては地元の意向に沿った努力というものをしていくようになると思いますが,埼玉の方は,いきなり財政負担が伴うからどうかという問題はあるかもしれません。ただ,大県ですから,その辺は大丈夫だと思います。…(略)」 http://www.pref.ibaraki.jp/press/03press/p030109.htm |
この人の、こんな「日記」をこれ以上、相手にするのはもうやめよう。
「市長へのEメール」を送りました
9月24日、ふれあいセンターで合併協議会を開くために、市役所は何をしたか
2003/9/25
久喜市長 田中暄二様 (前略) お役所の仕事の仕方というのは、本当にひどいものですね。 「今さら」という感じもしますが…。市民のことをまったく考えていないということです。 @合併協議会のために、ふれあいセンターの3階会議室1〜5(つまり3階のすべて)を、朝9時から夜9時まで押さえていたのを、市長は知っていましたか。 午前中は会議はありません。遅くとも午後4時頃には終わる予定だったわけですから、夜の会議もありません。 それにもかかわらず、3階の5つの会議室全部を、1日中おさえていたのです。 おそらくは合併協議会の日程が決まった4月頃、数か月前におさえたのでしょう。 役所だから、先に押さえることもできるわけです。 (中略) A協議会で使用したのは1〜3会議室で、4,5は使わないのにおさえていて、市民に使わせなかった、その上、利用予約の取り消しもしていなかったのです。 第4会議室は、1〜3の余った机を押し込んでいただけです。 机が余ったら、たたんで、第3会議室の後ろの方にでも置いておけばいい。第5会議室はまったく使っていない。結局、4,5会議室は使わないのに、ふさいだということです。 私が1時5分くらいに資料だけもらおうかと思ってのぞいてみると、上のような状態だったので、その場で苦情を言いました。 その直後に慌てて、第5会議室の午後の分と、全会議室の夜の使用を取り消し手続きをとったようですが、遅きに失したというものです。 市民はサークル活動などで会議室を使う場合、できるだけ遠慮して(譲り合って)、最低限必要な部屋だけを予約します。 行政は、使うかどうかわからないけれども、最大限、おさえてしまって、しかも、必要なくっても取り消ししないということです。 これが市民のことを考えた行政と言えますか。 こうしたことをやった職員は、合併に携わる、いわば役所の幹部=エリート職員ですから、役所の体質は、まったくなおっていないということです。 B私が1時5分頃にのぞいてみると、もうすっかり机の配置等も終わって、職員が10人くらい雑談していました。 聞いてみると、午前11時頃に来て、みんなで準備をしたそうです。 協議会の開会は午後2時ですから、1時間もあれば準備はできるはずのものを、午前中から来て準備していた。しかも10人も…。 「市の職員は遊んでいる」といわれても仕方ないですね。 市民団体なら、こういう場合は、他の団体に迷惑をかけるので、午前中の申し込みなどは絶対にしません。 12時過ぎに来て、準備するのがあたりまえです。 本来なら1時からの利用ですけれども、事務室に頼んで、1時前に開けてもらって準備します。人数も5人もいればじゅうぶんすぎます。 つまり、実際に必要だったのは、午後、1〜3会議室の、3コマだけだったのに、1〜5の全部を1日中、ということは15コマおさえていた。 しかも、10人くらいの職員が、午前中から、ブラブラしていた(あまりこういう言葉は使いたくありませんけれど)、ということです。 C鷲宮町役場から、ふれあいセンターに来て準備していた職員は、午前、午後、1日分の“出張手当か日当?”をもらっているのだろうか、ということまで言いたくなります。 D前にも同じようなことがあって、(なんの会議だか忘れましたが)、たまたま私が出席する審議会か何かだったので気がついて、注意したことがありました。 役所が会議室をおさえる場合、よくこういうやり方をしているようです。特に、午後の会議のために、午前中からおさえるというのは、常態化しているようです。 公共施設がいっぱいで、予約が取りにくくなっていますが、案外、役所がおさえて、実際に使っていないのかも知れません。 ふれあいセンターに限らず、役所の公共施設予約状況を総点検してみる必要がありそうです。 |
市議会の【傍聴者の声】に答える
2003/9/9
久喜市議会は、傍聴の人たちに感想文を書いて出していただいています。
9月8日には、次のような「意見」が寄せられました。
9月8日 ・本会議が始まり30分もすると、行政側の方で居眠りが始まりました。 ・会議中にパソコンを使用している議員が2名程いましたが、本会議中にパソコンは必要ですか。事前準備なら、他でやれば良い。 |
市議会本会議場でパソコンをやってます
「居眠り」は行政側に限りません。議員側でもけっこう居眠りしている人がいます。傍聴者に気付かれないようにしているようです。
「会議中にパソコン」を使用している議員は、猪股と石川議員です。
なぜ会議中にパソコンか。
@私は以前から、議会の質疑や答弁を、ノートにできるかぎり記録してきています。
(多くの議員は記録はほとんど取っていないようです。ノートも広げていない、いや、議案すら持って来ていない議員もいます。議会中、ただぼーっと、他の人の発言を聞いているだけでは役に立ちません。)
今や、パソコンは、ノート替わりの筆記用具になりつつあります。私はまだタイピングがそれほど早くないので、、まだ手書きのノートを主に使っていますが、余裕のあるときに、他の議員の質問や答弁を聞きながら、気のついたことを直接にパソコンに記録する場合もあります。
石川氏はタッチタイピングができるので、発言をそのままパソコンに記録していることもあるようです。
A市には千数百本の条例、規則、要綱等があります。以前は冊子(厚さ10p、2冊)になっていましたが、昨年からはこの冊子は廃止されて“デジタル化”され、CD−ROMか、インターネット(久喜市のホームページ)でしか見られないようになりました。したがって、議員はパソコンを使えないと、久喜市の条例も調べられないようになっています。
私はこの条例のデータを自分のパソコンに入れて、すぐに調べられるようにしています(その他にも必要な法律等のデータも記録しています)。
以前ですと、厚さ20pの条例集を議場に持ち込んで机の上に置いていたのですが、今、それに変わるものがパソコンです。
私の場合も、議会中に、議案に関連して、また他の人の発言を聞きながら、急に条例を調べる必要が生じてきて、パソコンで条例や法律データをを呼び出して調べることがあります。あるいは、過去の議会答弁と比較するために、過去の議会会議録を呼び出して調べることもあります(これもインターネットで、久喜市のホームページの会議録検索システムで調べます)。
いずれにしろ、もはや、パソコンなくして、議会の調査も十分にはできない状況になっています。「本会議場にパソコンを持ち込まないと、必要なことも調べられない」のが実状です。私たちから言わせれば、議員全員が早くパソコンを使えるようにならなければ…、と思います。
他市では、議員全員にパソコンを貸与している議会もあります。
14日、久喜の成人式は意外と静か、と思ったら…
君が代拒否の来賓は4名、会場の中でも着席者がいた
2002/1/15
14日、久喜総合文化会館大ホールで成人式が行われた。
新成人987人の内、参加者は728人。
会場の中に入ったのは500〜600人くらいだった。
「式典」は短く、ということで、市長と議長、県議会議員のあいさつ、県知事のメッセージ、各中学の先生方からの一言、新成人代表からの「謝辞」で終わり。
来賓として出席したのは、市議会議員は19名。
『君が代』斉唱の時には、猪股、渋谷、共産党の木下、木村各氏が着席して斉唱を拒否。新成人の中にも何人か、座っている人が見られた。
それにしても、会場内はずっとざわざわしていて、ときどき、奇声を発する人はいたものの、ずいぶんと静かだなあ(今年の成人は元気がないのかなあ)」思って、あとで新成人の人に聞いたら、みんな声を出しておしゃべりする代わりに、メールでやりとりしていたんだとのこと。
なるほど。
式が終わった後、文化会館前の広場では、暴走族の「卒業式」?らしいものが行われていた。
新成人の先輩に花束贈呈、その後で会館前の道路を爆音を立てて走り去っていった。
久喜市の成人式は“意外に”静か
『声と眼』202号 2001/1/22
11月2日、市議会決算特別委員会が開かれましたが、終了したのは何と、夜中の12時を回った11月3日、午前1時半。
初めの予定では10月16日、18日、20日と審議してきて、11月2日、4日間で終わるという計画だったが、そもそも無理な日程だったのは明らか。1日目、2日目は午後5時で閉会したものの、その時点では、決算書400ページの内、初めの90ページしか進まず、あと2日間ではとても無理という見通しになってきていたのです。
委員長の木村氏には何度も、日程の追加を検討してほしいと要請をしていたのですが、そのたびに木村氏は「予定を立てたんだから、何とか日程内に終わらせるように、ご協力をお願いしたい」と言うだけ。4日目の昼になってさえ、まだ半分以上残っているのに、「何とか今日終わらせたい。ご協力を」。
それで夜中まで、とうとう12時を回ってしまった。朝9時から、途中、昼休みの他は、15〜20分くらいの休憩を何回かとっただけで、特に夜に入ってからは3時間以上もぶっ続けで審議。終わったときは私たちも職員も疲労困憊。いっしょうけんめい質問し、審議していた私たちは声も変わってしまった。(半数くらいの議員は、委員長の「ご協力を」に応えて?ほとんど質問もしなかったが)。
決算委員10名、議長や傍聴の議員、執行部の職員、約50名がずっと残っていたわけだ。(議員は残業手当も休日出勤手当もないが、係長以下の職員の残業手当、それから、3日は祭日だから休日出勤手当が付くのだろうか)。
何か特にもめたことがあったわけでもないのに、延々と深夜の議会(委員会)というのは異常だし、常識的に考えれば、慎重審議をした結果で時間が伸びたのだから、もう1日、別の日程を取って審議を続行するのが普通ではないか。ただ決められた日程だからと固執して、ずるずると深夜まで続けた委員長の采配ぶり…判断力のなさにはあきれるばかりだった。
【議会の形式主義の非常識】
議会というのは、夜中の12時を回ると新たに日程を取らなければならないことになっている。
それで、12時1分前、委員長が、「本日はこの程度にとどめて閉会します」と宣言して、いったん閉会。12時10分になって「開会します」と宣言して開会。これで、新たな日程で開いたことになるらしい。
議会事務局が全国議長会に問い合わせて、そういうやり方の指導を受けたという。
何というばかげた形式主義。
2日の夕方、私が、たまたま居合わせた議長に「今日中には終わりそうもない。もう1日増やさないとなあ」と話したら、議長がニヤッとして、「終わらない場合にはどうしたらいいか、議長会に問い合わせて確認してあります」と返事をした。何だか変なことを言うなあ、と思っていたら、前述の形式主義のやり方を教えてもらったということだったようだ。
とにかく決まった日程内で早く終わらせることにしか頭が働かない委員長と、日程を守らせるための形式を整えて満足している議長。
日程を変更してでも、十分な審議をつくすための慎重審議の時間を確保することが、本当に久喜市と久喜市民のためなんだということが、この人たちにはわからないらしい。
最後のころには、質問する議員も、答弁する執行部の課長たちも、疲れてしまって、まちがった答弁が繰り返されたりして、かなり審議が甘くなったことは否定できない。(ある委員は、すでに資料で配られている内容を延々と質問していた)。
大きな反省を残した委員会だった。
市議会は、昨年度の一般会計、特別会計の決算を審議するため、決算特別委員会を設置。12月議会までの継続審議としました。
決算特別委員は、大地/猪股、石川、内田、新政/木村、岡崎、公明/戸ヶ崎、岡崎、市民/渋谷、共産/砂川、無会派/後上の10人。
19日に正副委員長選出を行った。
そもそも決算委員会の正副委員長は会派間で争ったり、数で抑えるというようなことは意味がない。委員長を取ったからといって、運営を自派に有利に運ぶなどということはできるはずもないし、やるべきでもない。
そこで私たち(大地)は、市民ネットの渋谷氏を委員長に推薦。渋谷氏は2人の小会派だが、5期目。これまで決算委員会は何度も経験しているが、委員長はやっていない。いろんな議員が経験するのはいいことだ。
(大地では私は質疑したいことが山ほどあるので委員長には絶対にならない主義。石川氏も質疑したいのでやる気はない。内田氏は1期目だし、まだやる気はない。共産党の砂川氏も質疑優先。後上氏は1期目。公明党の戸ヶ崎氏は文教福祉委員長でこの上、特別委員長を兼ねるのはどうも…。両岡崎氏は1期目。というわけで、渋谷氏が適任だと考えた。)
ところがいまだに、人事は取れるものはどうしても取る、数で抑えるのがあたりまえという考えを抜けきれない人たちがいるものだ。新政会の岡崎氏が、自派の木村氏を委員長に推薦。公明党の2人が次々と、「木村議員がいい」「木村議員を推薦します」と続く。
木村氏も経験豊富だが、常任委員会や決算委員会の委員長も何度も務めてきたし、そもそも議長経験者がこの上、決算の委員長をやるなんて。役職というのは機会があれば何度でもやりたいものか。推薦する方も推薦する方だ。
渋谷氏は、本当に困ったようすを見せながら、「木村さんでいいですよ」と。
木村氏は自信満々。そのまま委員長就任を受諾。
新政会、公明党、市民ネットは、3派で役を抑えるんだという考えで、役の配分をはじめから決めていて、渋谷氏が受けるわけにはいかなかったらしい。
久喜市議会はいまだに、人事、役職の配分をタネにした会派同士の野合で動いている。いつまでこんな議会運営が続くのだろう。
9月30日、市議会定例会の最終日、石川議員の質疑中に、市民ネットの原議員がやたらとうるさい。のべつまくなしに大きな声で「いやがらせ質問だ」「こねくり回すからおかしくなる」「反対のための質問だ」だのとヤジを飛ばし続けた。
石川議員は、公明党(戸ヶ崎議員)が提案した「自然エネルギー発電促進法の制定を求める意見書」に対して、その視点や考え方、また文章中の言葉の意味について具体的に質問していたのだが、答弁がどうしてもかみ合わない。どうも戸ヶ崎氏自身がよく理解しないままに提案したらしいということが明らかになってきてしまった。それでも石川氏は、国会で廃案になった「自然エネルギー発電促進法」などの資料を手に、諄々と説明し、答弁を求めていたのだが。
議会にヤジはつきもの(私もよくヤジを飛ばすことはある)である。立場の違い、見解の違いを認めた上で批判する、またつぼを押さえたヤジならむしろ議論を活発化させることもあろう。
しかし、他人や、その発言を誹謗したり、侮辱したりすることは許されるものではない。
あまりのしつこさに見かねて、何度目かの「いやがらせだ〜」というヤジの後に、私は「議長」と声をあげた。
議事運営についての動議として、「他人の質疑を侮辱する発言があった。取り消させていただきたい」と。
ところがそこで、原議員がすごい形相で立ち上がって、まだ発言している私の方に向かって来るではないか。手を大きく振り回しながら、何事か大声で叫んでいる。(何を言っているのかはまったく聞き取れなかった)。
危険を感じた新井議員(大地の代表)が原議員の前に立ちふさがったが、その新井議員の顔のまん前で、手を振り回し、叫び続ける。こっちは、(新井さん、もっと離れないと目を突っつかれるぞ)とハラハラ…。
原議員の「環境問題を…どう考えてるんだよお」などという言葉が切れ切れに聞き取れた。
どうも、私のとりあげた「侮辱発言問題」から、矛先をそらしたいらしい。
そこで、12時。昼休み休憩に入った。
昼休み中に、議長が私のところへ来て話し合ったが、再開後に議長が「侮辱発言があったことについて、厳重に注意する」という結論になった。本来なら本人からの謝罪と取り消しの発言があってしかるべきだが、議長から明確に注意してもらえれば、本人も少しは反省するだろう、ということでそれでいいということになった。
ところが、再開された本会議。議長は開口一番、「質疑・答弁者以外でいろいろな発言がありましたが、厳粛な議場ですので、質疑・答弁者以外は発言を慎んでください」。これだけ!
これでは話が違う。私はもう一度「議事運営についての動議です。原議員の他人を侮辱した発言について、注意していただきたい」と発言。
それでも2度目。議長は「厳粛な議場ですので、発言を慎んで…」
私はもう一度、「原議員の侮辱発言について注意すべきだ」
議長は3度目。「失礼な発言については厳重に注意いたします」。やっと「失礼な発言」があったことを認め、それについて注意したのであった。
本来なら、「原議員に対して注意する」べきだが、議会をいたずらに長引かせることが本意ではない。
これ以上追及することをやめた。
しかし明確な注意もなし、反省なしということは、また同じようなことが起こるのだろう。
余談。午後に私が2度目、3度目と「議事運営について」の発言をしている間中、原議員は自分の議席から身を大きく乗り出して、私の方をにらみつけたり、そうかと思うと口を大きく開けて(声は出さずに)笑って見せたり、にやにやしたり。
あれはまた押し掛けるぞという威嚇だったのか、あるいは精一杯の虚勢だったのか。
発言しながら横目に写った私の目には、哀れな顔にしか見えなかった。
余談2。昼休み中、議長が私と話した後で、原議員と廊下のイスでしばらく話し込んでいた。
その直後に、議長のおかしな「注意発言」がなされたわけで、まあ、「穏便に」とでも話があって、本会議で適当にあいまいな「注意」で決着をはかろうとしたのだろうか。
余談3。発端になった意見書の提案者である戸ヶ崎議員は公明党。議長も公明党。原議員は石川議員の質疑をいっしょうけんめい妨害して戸ヶ崎議員を守ってやった形になる。結果的には、その原議員を、今度は議長がかばってやった構図である。
この意見書で、「風力、太陽光、熱、バイオマスなど環境負荷が小さい自然エネルギーによる発電を積極的に開発し」とあるのだが、3番目に出てくる「熱発電」という語は一般的ではない。
石川議員の質疑でも、熱発電を説明してほしいというのがあった。
ところが、戸ヶ崎議員は、この意味についてまったく答えようとしないのだ。
で、最後になって、「答弁漏れがありました」として説明されたのが、「地熱発電、太陽熱発電などがあります」と。
よく調べてみると、海水の温度差などを利用して発電する方式が以前から知られていたが、これのことを「熱発電」と言うようになっている。
つまり、戸ヶ崎議員は、「熱発電」について、まったく知らないで、この意見書の文案を提案していたのだ。
無責任きわまりない。
9月21日に、市議会文教福祉委員会が開かれた。
議案審議はほぼ終わって、陳情の審議中に「事件」は起こった。
戸ヶ崎委員長が「この陳情について、ご意見のある方は…」といって発言を促した後、「前に、松村委員から資料提出の依頼がありましたので、その資料を配ります」と発言。
だが、他の委員は誰も、松村氏がどんな資料を依頼したのか知らないわけで、本来なら、松村氏がこの委員会の席で「これこれの資料を出してほしい」と言ってから配るのがスジだ。で、私が「何のことかわからない…」と言ったとたん、委員長の隣の席にいた議長がどなりだした。
(議長は文教福祉委員会の委員ではないが、終了間近だったので、閉会のあいさつをするために委員長の隣の席に来ていた)。
柿沼議長の怒鳴りようはすさまじかった。「何言ってんだか、はっきりしなさいよ」「さっぱりわかんないじゃないか」「意見を求めるんだか、何だか…」。
居並ぶ議員たちも、執行部の部課長たちも、いったい何事が起こったのか、事態がつかめない。
私が見かねて、「議長は黙ってなさいよ。委員会で進めてるんだから」と制止するまで、一方的に怒鳴り続けた。
確かに、委員長の采配もよくわからなかったし、上手ではなかったが、みなが驚いたのは、委員会の開会中、審議中に、公明党の柿沼議長が、同じ公明党の戸ヶ崎氏を、議員や当局職員の面前で罵倒したことだ。(市民の傍聴者もいた)。
委員会の運営は委員会の自主性にまかされている。運営の進め方に問題があったら、正式に発言を求めて、ただすべきだ。委員会のメンバーでもない議長が、(いくら同じ会派の後輩議員でも)、いきなり怒鳴りつけるなんてことは許されることではない。
この議長の資質が問われる事件ではあった。
6月議会で、公民館の管理について注文を付けた。
@市民(団体)が部屋を借りる予約をして、実際には(キャンセルせずに)使われないことがままあって、そのために満室状態のことが多く、使いたい団体が使えない。これは不合理なので、管理をきちんとしてほしい。窓口に利用記録簿がおいてあって、部屋を使用した団体は書き込むことになっているので、それでチェックすれば無断キャンセルはわかるはず。何回か無断キャンセルが続いたら、その団体に指導するようにしたらいい。
こういう趣旨だった。
教育委員会も、そのようにしていく、という趣旨の答弁をした。
Aその数日後、中央公民館を利用する機会があった。 午前9時から借りていて、集まりの開始は10時。で、10時10分頃、事務室から部屋に電話があって、記録簿が書いてないからすぐ書きにきてほしい、という「指導」がされたのである。
職員は、時間が過ぎたらいちいちその団体が部屋にきているかの「チェック」をするようにしたらしい。(当該団体が入ったことを見ていて、記録簿に書いたかどうか、その時点でチェックして、「すぐに書きに来い」というわけだ。)
B何という嫌らしさだろう。
無断キャンセルをチェックするという趣旨で答弁したはずが、そうではない。窓口で目を光らせて、記録簿に書いたかどうかをいちいちチェックする。書いてなければ、すぐに書きに来させる。まるで、市民への監視ではないか。
おかしな点もある。これまでは、集まりが終わってから書いていた団体も多い(参加人数の欄は終わってからでないと書けない)のであって、それを事前に書かせる?というのは不思議な話だ。
つまり、何のための記録簿か、何のために何をチェックするのかというということを、職員自身がわかってなくて、ただ単に、書くことに決まっているから書かせるというにすぎない。おそらくは上から記録簿のチェックを指示されたから、市民にも厳密に指導することにしたのかもしれない。
C他の団体の方からは、「議会で質問されて、うるさい議員がいるから、いちいち事前に書かせられるようになったらしい」という話を聞いた。「うるさい議員」というのは私のことらしい。「うるさい議員」というのが職員の言った言葉かどうかはわからぬが、なぜ記録簿に記入が必要か(つまりみんなが使いやすくするため)、という説明はなくて、ただ規則?だから書かせる、というようにしか理解されてないのだ。
D問題は、こんなやり方がずっと続けられるものではない、ということだ。
職員が年がら年中、いちいち窓口で「今、部屋が使われているか」をチェックし続けるつもりだろうか。その内息切れするだろう。
予約している団体が部屋に入ったかどうかを、そのつどそのつど調べ続けるとしたら、たいへんな無駄な時間と労力を使う。公民館の職員はよっぽど暇なんですね、といやみもいいたくなる。
市民にとってはどうか。部屋に入ったとたんに事務室から電話が来て「記録簿を書いてないから、今すぐに書きにきてください」と指導されるのでは息が詰まるようだ。これまで帰るときに書いていた人は、何で?と疑問を持ちながらも、役所の指導だから仕方がないと思って話を中断してあわてて書きに行く。
理由を市民に説明して、理解してもらって協力を求めていくのではなくて、管理優先、管理のための管理、指導のための指導…。気軽に使える施設、だれでもが使いやすい施設からはほど遠いものになっていくように思う。
E市民をお客さまとして見る姿勢があるなら、予約状況と記録簿を照らし合わせて、記録簿の記入漏れ(あるいは無記入)が何回か続いたら、その後で、責任者に対して「何回か記入されてないようですが、使われなかったのでしょうか」「もし使ってないようでしたら、今後は事前にキャンセル手続きをお願いします」と連絡(指導)すればいいのだ。
また、これまで、特に記録簿への記入を強制的には行ってこなかったわけで、いきなりすべて(役所の権威で)記入させるのではなくて、とりあえずは「記録簿への記入をお願いします」くらいの貼り紙をして、市民の協力を求める、というのが、本来の市民サービスの姿勢ではないのか。
神道政治連盟国会議員懇談会・森首相のあいさつ<要約> 森喜朗首相が15日の神道政治連盟国会議員懇談会の結成30周年祝賀会で行ったあいさつ(要約)は次の通り。 神道政治連盟の国会議員懇談会が30周年を迎えた。 (略)私どもはこの神様を大事にしようという、最も大事なことをどうも世の中忘れているんじゃないかということから、神社本庁にご指導を頂きながら、神道政治連盟そして国会議員懇談会を設立した。 (略)最近みなさんの大変なご努力によって「昭和の日」を制定し、天皇ご在位10年のお祝いをしたり、 (略)今の私は政府側におるわけですが、若干及び腰になるようなことをしっかりと前面に出して、日本の国、まさに天皇を中心にしている神の国であるぞということを、国民のみなさんにしっかりと承知をしていただくということ、その思いで我々が活動して30年になったわけであります。 (略)我々の子供の社会から考えてみると、鎮守の杜(もり)というのがお宮さんを中心に地域社会を構成してきたと思うんです。 (略)神社を中心にして地域社会というのは栄えていくということを、そんな難しい話じゃなくて、みんなでもういっぺん、そのことを勇気を持ってしっかりやることが、21世紀がまた輝ける時代になることではないかなと思うんです。 【毎日新聞5月16日】 |
これが、地域のお宮さんを通じて、天皇家の国家神道に国民を縛りつけ統括してきた、天皇主権の思想の復活を唱えたものでなくて何だろう。
みどりの日から昭和の日への名称の唐突な変更でさえ、その本質は、神道政治連盟の活動の一環としてあったわけで、天皇在位10周年、つまり昭和天皇没後10周年にあたって、昭和天皇を偲ぶ日であったわけだ。
《森首相は「成立し」と先走って述べてしまったが、みずから本質を暴露してくれたことによって、廃案となったのは本当によかった。》
そして、「天皇中心」というのは象徴天皇制のことであるとか、「神の国」といったのは、天皇のことではなくて八百万の神々のことであるとか、みずからの発言の前後関係を無視して、コトバをぶつ切りにしてごまかし解釈してみせることは、もう、みっともないとしか言いようがない。
みずからの発言に責任を持つ人なら、『日本は国民の親たる天皇(つまり国民は天皇の赤子)をいただく、国家神道に基づく天皇の国であり、その本来の姿に戻さなきゃならんのだ』と、本音を語ればいい。
判断するのは国民だ。
以下は、石原の発言の問題部分そのものである。
1.石原は、この発言で何を意図したか。 今の日本は戦争状態ではないから、第1国も第2国も、第三国も存在するわけはない。したがって、モノカキであった石原が、(日本語を大事にしているなら)、外国人一般を三国人といえるはずはない。 |
多分、上の文章を読んだ方からでしょう。
こういう方々に共通した特性として、匿名ですが、せっかくなので、原文のまま転載しました。
今回の石原都知事の発言は冷静に考えますと大変重要な発言と思います。 不法入国者を「三国人」と呼ぶことは的を得たよい言葉とおもいます。 一般の外国人、在日韓国、朝鮮の人と区別して「三国人」とは不法入国した外国人特に今、国交のない不気味な隣国からの入国者などは覚せい剤、ニセドル及び想像として破壊活動を指示されたとすればやるかもしれない不透明な部分に都知事は予防としておく事は大切な事と支持致します。 今のマスコミ、評論家のどこ国に遠慮しているかの偏向報道に負けないでほしいと切におもいます。 不法入国者を「三国人」と定義したいと考えます。 |
発信は4月27日8:51
発信元は、株式会社日本○○○ アドレスは、info@nihon-××××.com となっている。
日本○○○という会社が本当にあるのかと思って、検索をかけてみたら、本当にあった。なんか、コンピュータ関係の会社らしい。
その会社の見解を、私に送ってきたのだろうか。よくわからない。
4月から地元青毛「39」区・4班の班長になって、9日に新役員の顔合わせがあって出席してきた。
年間を通した班長の主な仕事は、回覧板を回すことと、集金。
集金は、@区費、A神社の寄付(または維持管理費)の徴収、B社会福祉協議会会費の徴収だそうだ。
今、私の所では、歳末助け合いなどの寄付金集めは区費からまとめて出しているので、一軒ずつの集金は行っていない。これもおかしなことなのだが、社協からは事実上、区ごとの「目標額」を示して半強制的な呼びかけが来るし、まあいいか…。
問題は神社の寄付で、住民には創価学会の人もいるし、クリスチャンもいる。私個人は時々教会に行っているが、信仰は持っていない。
しかしそうでなくても、「区」という住民組織(行政の末端組織でもある)で、1宗教への寄付を扱うこと自体が許されることではない。(憲法を持ち出すまでもないことだが、当然憲法違反ということになる)。
私の家は最初からこの寄付は拒否してきており、昨年は私の班14軒中3軒が拒否した。
中には他の信仰を持っていて、つきあいで出さざるをえなかったり、お祭りの時に飲み物をさしいれてすませている人もいるという。
古くから住んでいる人などは、神社は地元全員で守っていくのが当然だと公言する人もいるし、ここに住んだ以上、全員が「氏子」なのだと言う人もいる。確かに昔は、神社が地域のコミュニティと一体化していたのだろう。
しかし、
!! 私の意志を無視して、勝手に人を氏子にしないでくれ!
!! 昔からここにおわします神様かなんか知らぬが、私はあんたの世話にはならないよ!
役員の話し合いで、一応、神社の寄付は強制ではない。自由意志にまかせることを再確認したのだが、
それでも、この私が、「神社の寄付をお願いします」と言って、班内を回ることだって、いやなものはいやだ。
さてどうしたものか。
私の知り合いで、「寄付のお願いがきています。寄付したい方はご連絡くださればおとりつぎします」という回覧板を回した人がいる。この手もあるか。
議会に提案した議案の一覧が、久喜市のホームページに掲載されている。
しかし、これを見て、あらためて感じること。
何と無味乾燥な題名だろう。
題名から、内容がさっぱりわからない。
わざと、市民にわからないようにしている?
あるいは、お役所とはむずかしいものなんだという権威付けなのだろうか。
法律用語とか、官僚用語、「官」の言葉から変えさせていかなければ、政治は市民に近づいてこない。
最近つくづくそう思う。
★居眠り議員のこと
相変わらず、本会議中に居眠りする議員が多い。
特に、一般質問の日の午後、自分の関心のない(わからない)質問、答弁を聞いていれば、これはいい子守歌だし、しかも昼食後とあって、いい気分になるのもわからないでもない。
居眠りの常連さんはだいたい5〜6人くらいだろうか。7日などは後ろの端の方の席から「グ〜〜」という大きな音まで響いて、思わず何人かが振り返ったほどだ。
ある女性議員のお話。
議員になる前はよく傍聴に来ていて、居眠り議員が多いと批判していたのに、今はよく眠ること。
手にボールペンを持ってノートの上に置いて、書いているのかと思うと、時々かくっと首がかたむいて、書き始め、しばらくするとまた…。
別の議員が注意すると、「沈思黙考してた」、カクッといったのは、「うなずいた」のだそうだ。
素直に認めるか、「あまりつまらない議論なんで」と開き直ればまだかっこいいのに。
いいわけするのもみっともない。
★3月議会では、12名の議員が議案質疑を行った。《議員の発言回数調査一覧表を参照》
半数くらいの議員は、この1年間、本会議での議案質疑をしなかったことになる。
議員は、@一般質問で、自分の政策や主張を展開して、行政に反映させると同時に、A当局の議案に対しては、議案質疑を通じてチェックしていくことが役目。
その2つ、ともに果たしていくことが仕事ともいえる。
一般質問は、最近増えて、16〜18名が行うようになったのだが、議案質疑は相変わらず少ない。
これでは議員の役目は果たせまい。
(冗談話で、議員の発言回数で報酬を決める、出来高払いにしたらどうだなんて、冗談話が出たりする。)
この間、休憩中に、ある議員(この人は、今回は1議案しか質疑をしなかったが、それなりに重要な視点を展開することが多いので、私は評価しているのだが)と話していたら、「自分がチェックしている点を、みなさんがやってくれているので、参考になる。みなさんが質疑しているのは、だいたい私も聞きたいと思っていたところばかりだ」だって…。
自分で質疑をしないで、人がやったことを「自分もそう思っていた」だなんて、何をか言わんや、だ。
自分でやってみせればいいじゃないか。
本当は何をどう聞いたらいいのか、わからなかったんじゃないの?って言ってやりたくなった。
志木市、志木ニュータウン。農薬を使わない樹木管理。団地での殺虫剤散布をいっさいやめてから13年。
樹木の剪定も極力抑え、草たちも大切にしてきた。
緑のボリュームが増え、鳥や虫たちが増え、自然のバランスの中で、害虫の発生で木がやられるということもなかった。実際の体験から、自然生態系の大切さを、天田真さんにお話ししてもらいました。
電磁波が子どもたちの健康にどのような影響を与えるのか。
久喜市内太田小の学童保育・つばめクラブが、太田小学校の敷地内に移転することは決まっているが、その位置として、教育委員会かた提示されたのが、東京電力高圧送電線のすぐ脇。保護者会の疑問に対して、第2次案として20〜30メートル離れた場所が示されたものの、なお不安をぬぐいきれない。
電磁波って何? 講師は電磁波問題の第一人者・ジャーナリストの天笠啓祐氏。
参加者は25人。
学童保育の会員の他、さらに市の教育次長、児童課長、都市計画課長も参加してくれて、関心を持って最後まで聞いてもらったことはたいへんありがたかった。
また市議会議員が3人。隣の宮代町議会議員も参加した。
チラシを見て、関心を持って参加してくれた市民の方々。
またこんな自由参加で、いっしょに学び合い、考え合う、勉強会ができたらいいな。
新谷のり子コンサートを見に行った。 国連人権教育の10年記念講演会「ふれ愛トーク・アンド・コンサート」と題して、久喜総合文化会館で開かれた、実際には新谷のり子のトークライブ。期待通りの迫力あふれる語りと歌の数々だった。 イントロで歌われた“この星は…”、 次の瞬間流れてすぐに消えた“インターナショナル”の数小節のメロディ、 確かにインターナショナルだった! “フランシーヌの場合” 脳性マヒの女性の詩に曲を付けた“殺さないで…”のメッセージ、 骨形成不全症の青年の詩による“祈り”、 部落出身の少年の詩の朗読…“俺たちはゴジラになる” 日本語訳での、ボブ・ディランの“風の中で”(だったっけ?)、ジョン・レノンの“イマジン”、 繰り返し繰り返し、新谷さんは、「国境なんてないんだ、国境なんていらない」「この星は一つなんだ」と、叫んでいた。 まさに、我らがものたるインターナショナル、夢に終わるかもしれないインターナショナル! 阪神淡路大震災の現場で、パレスチナの地で、北アイルランドで、インド・カルカッタでマザーテレサとともに、中南米で、マニラで、新谷さんが歩いてきた多くの地。 戦争の中で傷つき殺されていく子どもたち、ストリートチルドレンとして生き延びている子どもたち、親を亡くし、涙を流しながら、あるいは涙さえも忘れて生きている子どもたち。 命を奪うもの、人間の尊厳を奪うもの、差別への怒りと悲しみ、 殺されるもの、差別されるものへの慈しみと優しさ、 愛と力、 そして平和と命のための闘い。 歌が何かを生み出しうる、人々の力を導き出すことができる、 そして闘いによってこの社会を変えることができる。 60年代から70年代、多くの人々が、青年・学生が、そう信じて闘ってきた。 そのことを再び思い起こさせてくれた。 さらに闘い続けていこうと、勇気づけてくれた。 そんなコンサートだった。 蛇足。最初の市長のあいさつはまだしも、終わった後の教育長の謝辞は蛇足どころか、余韻を台無しにしてしまった。 |
市内の方から電話があって、市立図書館の開館日についての問い合わせと要望をいただいた。
「今日(1月10日)、図書館へ行ったが休館だった。月曜と祝祭日が休館なのは知っているが、月曜が祝祭日と重なった場合は開館で、翌日が休みになるのではないか。今日が休みなのはおかしい」ということだった。
そうではなくて、現在の条例では、『月曜と祝日が休館。月曜と祝日が重なった場合は、月曜も翌日も休館』という規定になっている。したがって市立図書館は、10,11が連続休館ということになる。
しかし、県立図書館は月曜は休館で同じだが、祝日は開館(翌日だけ休み)している。なぜ市立図書館が祝日休館なのか、市民感覚からして、納得できないのはあたりまえだ。
議会でこれまで、休館日を他の曜日にすべきだという要求に対して、教育委員会は「図書館ネットワークの関係で、他の公立図書館と休館日を合わせないと都合が悪い」といってきたのだが、最近では月曜以外を休館日にしている公立図書館も多い。ましてや県立久喜図書館が開いているのに、なぜ市立が休みなのか。これは県立と市立のネットワークに不都合が生じないのか。当局のいいわけに理屈が成り立たないのは明らかだ。
これまでも開館日の増や開館時間の延長の要求に対して、教育委員会が応えようとしなかった理由は、結局、人を増やしたくない、人件費を増やしたくないということ以外にない。行革、市職員を減らせという“市民の声?”が強いので、「図書館の人件費を要求できない」ということだ。市の財政部門でも簡単には人件費予算を付けようとしないであろうことは、予想がつく。
現在の図書館職員は10人で、それ以外はすべて臨時職員(パート)である。図書館はレファレンスサービスなども重要な業務であるから、ただ職員が2〜3人いればいいというものではない。開館するからにはきちんと(司書の資格も持って、図書の相談や案内ができる)職員を配置しておかなければならないのは当然であって、他の集会施設とは異なるところだ。
「だから簡単には開館日を増やせないんですよ」という教育委員会当局の言い分もこの点では理解できる。むしろ問題は、市長と財政部門の考え方だろう。人件費増や財政支出増を伴っても、必要な市民サービスを向上させることが、行政の役割だという認識に立つかどうか。この点につきる。
《もちろん、行革で不要不急の支出を削減すること、公共事業を見直すことも当然である。都市計画道路の建設などを、こんなに急ぐ必要があるのか、という疑問もある。》
この電話をしてきた方はお名前も連絡先もおっしゃらなかった。
もちろん私は、匿名だからお答えしないということはない。
この電話でもその場で答えられる限りは申し上げたのだが、不十分な点もある。その時の勘違いもありうる。(この時も、職員数などについてはあいまいな答えしかできなかった。上の文章はそれらの補足も含んでいる)。
こんな時、後で調べて「もっと正確なお答えをしたいなあ」と思う。後日、当局の考え方に変化があった場合など、直接お知らせしたいと思うこともある。
しかし匿名ではこれができない。その場かぎり、断片的なやりとりで終わってしまって、誤解が生じることもある(過去に実際にあった)。【ましてや手紙で匿名だと、最低限のやりとりもできず、現状や当局の方向性、私や議会でどんな取り組みをしているかも伝えられず、後でまたまた「要望の手紙を出したのに、全然改善されない。何もしてくれないのか」というおしかりの手紙をもらって、困ったことがあった。】
別に、名前を聞いたからといって、何か悪いことをするわけではない。家を訪問して、後援会に入ってくれなどというわけでもない。きちんと返事をして、さらに意見を聞いて、会話のキャッチボールをしなければ、お互いの理解を深めることはできないだろうと考えている。
意見や要求をお寄せくださるときに、ぜひともお名前と連絡先くらいは教えてほしいものだと思っている。
【いずれにしても匿名というのは、受ける方はあまり気分のいいものではないが、同じ匿名でも、このEメールでいただければ、きちんと調べた上で返事も出せる。】
もう一つ。市民のみなさんの中には、議員に言えば前進があるものだと考えている人がいらっしゃるようだ。
しかし現実には、議員は行政の決定権や執行権をもっているわけではないし、そんなに簡単に結論の出ないものも多い。
議員が議会を通じて当局の方針をただし、変えさせようと努力し、一方で、市民自身も、行政当局に直接意見や要求をぶつけていく。この両者の動き(運動)が重なったときにはじめて、行政を動かすことができる。
幸いに久喜市では「市長への手紙」「市長へのFAX」「市長へのEメール」なんて制度もある。これらは受付職員ではなく、市長が真っ先に見てから、担当課に回すシステムになっている。
先の図書館の問題にしても、議会だけでなく、市民が直接に市長に手紙を書くほどに強い要求なんだということを知らせるためにも、行政当局にぶつける必要がある。
ぜひこうした市民参加、さらには政策決定への市民参画のシステムを市民が使いこなしてほしいと考えている。
今日、12月定例市議会の一般質問初日。6人が質問を行ったが、驚くべき発言がとびだした。
これは放置しておけないので、とりあえず、ここに掲載。
まず、原市議(市民ネット)。
学校給食の食材から遺伝子組み替え食品をなくすべきという質問で、これは、6日に私も行う予定で、まったく正当な要求であるのだが、その中で、「遺伝子組み替え食品が、悪玉タンパク質を発生させて、休眠遺伝子を動かすことによって健康に対して大きな不安を与える」。その後、唐突に、
「休眠遺伝子とは、この議場に私(原)と、執行と、議員、傍聴のみなさんがいて、私(原)1人が起きていて、他のみなさんが居眠りしている状態」と侮辱的な比喩を使ったのだ。
この人は、議会でも、日ごろから「私がやった」「私だけが」という発言を連発している人なのだが、自分を都合の良い立場に置いて、他人を傷つけることを何とも思っていないのだろう。
もう一つ、原市議の発言。
コンピュータ2000年問題で執行部の対策を質問して、それなりの対策が明らかになった(もっとも、すでに当局は、「2000年問題危機管理計画」を発表していて、新聞にも報道されており、それを本会議で言わせたこと以外、まったく新味はないのだが)。
その質問の結びにこの一言。
「当局で十分な対策をとっていることを聞いて、安心して正月が迎えられます」だって。
当局にお愛想を言ったつもりかもしれないが、Y2Kを少しでも勉強した人なら、どんなに対策をとっても、なお、問題が発生する危険はなくならないこと、特にライフラインの問題に対して、防衛策を準備しておかなければならないことは常識のはずではないか。
「これで安心して正月を迎えられる」なんて、少なくとも、原市議がY2Kの本質について、何にもわかっていないで質問を行ったことだけはわかった。この発言を聞いて、当局も苦笑しただろう。
久喜市当局も、政府でも、対策をとっても万全でないことを知っているからこそ、食料や水の備蓄(2、3日分で十分かどうかさえ、だれにもわからない)を呼びかけている。
原市議が、市民に、不用意な安心感をばらまくとすれば、これは犯罪的ですらある。
なお、久喜市水道部では、飲料水は浄水場に通常の1日分(市民が最小限の使用量に抑えたとしても、わずか9日分)の水しか蓄えられないことが明らかにされた。
もし元旦に、ライフラインがストップすれば、前日までに備蓄していなかった市民はいっせいに、蛇口を全開にしてあらゆる容器に水をためようとして、市の浄水場の水はあっという間にカラになるに違いない。
私も、私の周囲の何人かも、安心せずに、できるだけの備蓄をして、正月を迎えたいと考えている。
もう一つは須藤市議(無会派)。
市内の歩道をバリアフリー化に対応した形に改善すべきという質問。これはいいのだが、
この人は市内の吉羽地区区画整理組合の理事長をしていて、組合で工事をした地区内道路の歩道に敷設された、点字ブロックがとにかくでたらめもいいところなのだ。
建設省の指針にも、埼玉県の住み良いまちづくりの指針にも適合せず、点字ブロックがあっちを向いたりこっちを向いたり、視覚障害者がこれを信用して歩いていったら、車道の真ん中に誘導されてしまうという、恐るべき点字ブロック。
6月議会で私が指摘し、当局も吉羽区画整理組合と協議して改善しなければならないことを認めたのだが、いまだに改善されていない。
自分のところでこんな安全無視のでたらめなものを作っておいて、市にバリアフリー歩道を要求するという、あまりにも厚顔無恥。
私が思わず、「吉羽の点ブロを先に直してくれ」とヤジを飛ばしたら、須藤市議は、
「関係ないよ、そんなの」だって。
関係ないわけがないじゃないか。この人にとって、「バリアフリー」とはいったい何なのだろう。
12月1日、定例市議会が開会。
9月議会から継続審議になっていた、98年度の一般会計、特別会計の審査報告がなされ、採決の結果、すべて可決、「認定」となった。
どうしてもひっかかったのは、多くの会派が、討論もせずにただ「賛成」と立つだけ。自分たちの意見・見解をいっさい明らかにしようとしないことだ。
一般会計決算で討論したのは、私たち大地の石川市議(賛成討論)、共産党の砂川市議(反対討論)、それに無所属の後上市議の3人だけだった。保守系の新政会、公明党、旧社会党の市民ネットは、討論なし。この3会派は、年間を通じてもほとんど討論をしない。3月議会の新年度予算審議でも討論をしないのだから、会派としては、ほとんど失格だといわざるをえない。
後上市議のもおかしな討論だった。決算の採決なのに、彼女の討論は「決算書には、事業の内容がくわしく書かれているのに、予算書には書かれていないので、わかりにく。今後、わかりやすい予算書を作っていただきたい」というもの。
確かに予算書の書き方はわかりにくく、私たちも(たとえば、事業別の説明を載せるなど)改善を求めてはいるが、それは決算の討論の場で言うことではないだろう。きわめて的はずれな討論に、議員席からも執行部席からも、失笑が漏れていた。
当局や、議会で一部の議員がよく「市民の啓蒙」と言うとき、その根本に、 一段上から“愚かな民を導く”という昔ながらのオカミ意識の残滓を感じとってしまう。啓蒙の「蒙」は“無知、愚か”の意なのだ。しかしそれは思い上がりで、行動する市民から学ぶべきことこそ多い。私は絶対に使いたくない表現である。