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2008年12月25日 (木)
「郵送による住民意向調査」とは何か



 24日、午後から鷲宮町役場で、第8回合併協議会が開かれた。

 おもな合併協定項目についての協議はほぼ終了し、新市基本計画案についても合意して、今後は住民に対する説明と「意向確認」の段階に入る。

 この日の議題の最後に、「その他」として、合併協議会会長である田中久喜市長が、「意向確認の方法について、推進会議(首長会議)で協議した結果、1市3町のそれぞれが郵送に
よる住民意向調査を行うことで協議が一致した」と報告した。

 つまり、住民投票はやらないということである。

 それでは、「郵送による意向調査」とは何か。

 「ハガキ投票」であれば、『賛成』か『反対』に○を付けるという方法があたりまえで、せいぜい『どちらともいえない』という選択肢もあり得るのだが、選択肢の設定の仕方によっ
て、どうにでも作為的な調査になりうる。

 実際、今年の2月に実施されたハガキによる市民意識調査では、久喜市の選択肢は『1.合併を進めるべきである 2.合併を進めるべきではない 3.どちらでもよい 』であったが
、『どちらでもよい』と『どちらともいえない』はまったく意味合いが違う。

 ちなみに菖蒲町の選択肢は『1.合併を積極的に進めるべきだ 2.合併はやむをえない 3.合併は進めるべきではない』というものであり、鷲宮町のは『1.賛成 2.反対 3
.どちらでもよい』というものであった。

 菖蒲町のは1と2の2つとも『賛成』に分類できるようになっていたし、久喜市と鷲宮町の『どちらでもよい』の選択肢は、万が一『賛成』が少なかった場合には『どちらでもよい』
を『賛成』に入れてしまおうという意図がミエミエだった。

 田中市長は「郵送による住民意向調査」と言っているだけで、それがハガキによる投票なのか、封筒によるアンケートなのか、明確にはしていないところを見ると、その意向調査のや
り方についても何か作為的なやり方を取ってくることが予想されるではないか。

私たちはだまされた?

 権力を持っている人は何でもできる、自分の思い通りに政治をやるためなら、世論の誘導だろうが何だろうがやるものだ、私にとってはこれがこの間の教訓である。

 この日の審議の中で、合併協議会の補正予算が提案されて可決した。

 これは「調査研究費」で205万円が減額補正されたのであるが、事務局の説明によると、「住民意向調査の費用であり、当初は定形外郵便による調査を予定していたが、定形郵便で
行うことになったので安くなった」のだという。

 とすると、最初から合併協議会では住民意向確認は「定形外郵便」で、つまり大きい封筒で行う予定で予算を組んでいた!? ということは、予算上は最初から「住民投票」は考えて
いなかったということだ。

 私たちは田中市長の、「意向確認の方法は12月までに決める」という言葉を信じていたのだが、はじめから「郵送による意向調査」を前提として予算を組んでいたとなると、私たち
は田中市長の政治的(作為的)言説にすっかりだまされていたわけだ。

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2008年12月24日 (水)
みどりと森の基金廃止の行方(3)



市長が財政課長に“注意”したって…

 みどりと森のふるさと基金の廃止と、20年間にわたって積み立ててきた4億2000万円の基金を一般会計に繰り入れてしまったことについては、すでに書いた。

 12月9日の総務委員会で、補正予算に対する修正案が提案されて、それに対して財政課長が答弁でもない“怒り”の大演説をぶったことについても書いた。

 それは、財政課長としては来年度予算の収支ギャップをうめることが至上命題、みどりと森という政治課題よりも財源確保を最優先にする官僚の価値判断に対して、議員が修正案を出
すなどということは官僚行政に対する挑戦だと本能的に感じ取った、その反応だったに違いない。

 4億2000万円の“眠れる基金”を見つけた、それは財政課長にとってはまぎれもない“埋蔵金”であって、市長にその廃止を迫って飲ませたのも財政官僚としては当然の行動であった
ろう。

 しかしそれにしても、議会で議員の批判と修正案提出を敵視した“怒り”の表明が、議会の上に官僚行政を置く行為であって、多くの議員から反発を買ったのであった。

 さて、議会におけるその不穏な空気を見て取った市長はどういう行動に出たか。

 12月19日の議会本会議閉会後、市長から議長に対して以下のような話があったという。

  --------------------------- 市長の話 ------------------------

 9日の総務委員会で財政課長の答弁で行きすぎた発言があったことについて、市長から、財政課長に対して注意した。今後、このようなことがないようにしたい。

     ---------------------------------------------------

 これに対して、議長としても、今後このようなことがないようにと強く申し入れたという。(市長から議長への釈明、及び議長からの申し入れは、22日に代表者会議が開かれて、議
長から各会派に報告されたものである)。

 さて、実際には、市長が財政課長にいつどこでどんな言葉で「注意」したのか定かではなく、市長と財政課長の間だけのことで録音もメモもないので、知りようもない。

 本来は、市長は総務委員会なり、“怒り”の矛先を向けられた議員に対してこそ謝罪すべきであるのに、『一応注意しといたから勘弁ね』って議長に伝えて幕引き、終わりにしようと
いうのは、市長が議会の批判から部下をかばったかっこうになる。

 しかし実は、官僚の行為が市長の政治判断の権限を侵し、官僚が政治の上に立つことを意味するものであり、市長が官僚をかばう行為は、市長自身が行政官僚の行き過ぎを容認し、そ
の下に入ることを意味していることに、田中市長は気付かないらしい。




『この際、自治基本条例は無視しよう!』



 22日の市議会全員協議会における市長の説明の概要を記す。

   -------------------------- 田中市長 -----------------------

 1市3町の合併に関する住民の意向確認については、1市3町の間で慎重に協議を重ねてきた。

 12月20日に合併推進会議(1市3町首長会議)を開いて協議・調整を行った。

 菖蒲町長から、12月議会で住民投票を求める決議が可決された経過と、これに対する中山菖蒲町長の考え方、菖蒲町としての対応について説明されたが、その内容は新聞報道の通り
である。

 住民の意向確認の方法は、住民投票と意向調査等が考えられるが、どのような方法で行えば住民から賛否の確認がいただけるかという視点から、協議調整したが、最終的な結論を出す
に至らなかった。

 しかし、住民意向調査の方が住民投票よりも回答率が高くなること、合併に対する意見欄を設けることができるので、住民意向調査(アンケート?)が適当ではないかという方向にあ
り、12月24日に合併推進会議(首長会議)を開いて決定する。

 住民意向調査の方法については久喜市議会でもさまざまな論議があり、住民投票を求める意見があったことは承知しているが、他にもさまざまな意見がある。

 久喜市としては、市民参加、行政への参画という視点からしても、住民意向調査(アンケート?)の実施が適切・効果的な方法であると考えている。

     -------------------------------------------------

 田中市長は、この説明の中で、「久喜市自治基本条例」の語を一度も使わなかった。

 アンケートなどの他の意向調査の方法は、条例などの根拠はなく、行政が任意に行うものであるから、行政の好きなタイミングで好きなルールを定めて行うことができる。

 それに対し、住民投票は、久喜市自治基本条例23条にその根拠をおくものであるから、田中市長が住民投票を行わないためには、「自治基本条例」に即して住民投票が必要ない理由
を説明する義務がある。

 しかしその説明はできないから、田中市長にとって、住民投票と“意向調査等の方法”とを並列に並べて比較してみせるためには、久喜市自治基本条例はじゃまな存在以外ではない。

 したがって、この際、田中市長の政治行動の指針としては「久喜市自治基本条例」はないものとして、ことさらに無視してみせたということだ。

 今後、田中市長には「久喜市自治基本条例」を語る資格はない。



2008年12月22日 (月)
住民投票やらないで、合併強行へ



田中市長の久喜市自治基本条例は死んだ

 昨日のブログに書いたとおり、今日、午前9時半から、市議会全員協議会が開かれた。

 議題は合併についての住民投票を行うかどうか。

 これまで何度も何度も、合併が最終的には住民投票で決めるよう求めてきたのであるが、田中市長は言を左右にして回答を先延ばししてきた。

 そして田中市長がこの日に出した結論は、「住民投票は実施しない」というものであった。

 いや、正確に言えば、いまだに「結論を得るに至っていない」というのだが、「住民の意向確認の方法としては意識調査が適当である」とも言っているから、事実上、結論を出してい
るのだろう。

 にもかかわらずこの期に及んでなおその結論をはっきり言わないで、真正面から議論を避け続けているのは、『まだ決めたわけではない』のだと言い逃れることによって批判を避けた
いという心理だろうか、田中市長が最も悪い意味での政治家体質にずぶずぶにひたっていることの表れであろうという以外にない。

 この間、あちこちで市民から「住民投票はやるんでしょうか」「市長はもうやらないんじゃない?」と聞かれて、そのたびに私は、「いや、田中市長は政治家ですから、最後は住民投
票をやって市民の意思に従うと思いますよ」「議会の一部には住民投票をやらないでいいという議員もいるけど、田中市長がまさか自治基本条例を無視するなんてことはないと思います
よ」と答えてはきた。

 それでも「もしかしたら、やらない誘惑に負けるかも」と一抹の不安を抱いてはきたのだが、やっぱり結論は悪い方に出たわけだ。

 田中市長は、みずから主体的にかつ積極的に(と、当時は思われた)策定し提案した久喜市自治基本条例の、最も究極の市民参加の形である住民投票23条の規定を見事に無視したわ
けだ。

 “今日、久喜市自治基本条例は死んだ”  合掌



2008年12月21日 (日)
住民投票をやるかやらないか



 昨日、議会事務局から緊急の連絡があった。

 明日の22日(月)朝9時半から市議会全員協議会を開く、議題は合併についてだという。

 11月議会の中で、田中市長は「住民投票を実施するかどうか、24日の合併協議会までに明らかにする」と答えているから、明日の全員協議会の内容は当然、住民投票の実施の有無
ということになる。

 しかし、市長はすでに住民投票をやるかどうかについては決めているはずなのに、なぜ19日に閉会した議会中に明らかにできなかったのだろうか。

 議会中に公表すると、またまた緊急質問でもやられたらめんどうだ、閉会してから全員協議会の場で「報告」あるいは「説明」だけしてしまえばそれですむと考えたのだろうか。

 19日には菖蒲町議会で「住民投票も実施を求める決議」が可決されているが、にもかかわらず菖蒲町長は議会の意志に反して、「住民意思の確認は住民投票でなく意識調査(アンケ
ート?)で行う」という考えを表明している。

 もしかして、すでに1市3町の市長・町長の間では住民投票をやらないという意思統一がなされていることを示しているのだろうか。

 住民の間に合併に対する一定程度の懸念なり疑念が存在するにもかかわらず、それを住民投票以外の方法であいまいな形で「意識調査」とやらで合併を強行してしまえば、合併自体は
できるかもしれぬ。

  しかしその場合、合併後のまちづくりを進める上で、市民の間に抜きがたい政治不信、行政不信が増幅され、市長に対する不信感ばかりが残るであろう、それが合併後のまちづくり
に大きな障害となるであろうことに、菖蒲町長も久喜市長も気付かないのだろうか。

 いずれにしても明日の全員協議会で、田中久喜市長の方針は明らかとなる。

 そうだ、19日に久喜市議会全員協議会要綱が公布されて、今後の全員協議会は「公開」となって、市民の傍聴も認められることになった。

 ただ、開催自体を市民向けには広報していないという問題がある。



2008年12月18日 (木)
「みどりと森の基金廃止」の行方(2) 官僚の思考方法



 久喜市議会11月定例会で、市長から「みどりと森のふるさと基金」の廃止が提案され、20年間にわたって市民の税金から積み立ててきた4億円余が取り崩されて、一般会計の「雑
入」に計上され、事実上全額が財政調整基金に繰り入れられてしまおうとしている。

 総務委員会で補正予算案に対する修正案が提案されたものの、あえなく「否決」されてしまった経緯についてはすでに書いた。

修正案を出すと官僚の怒りを買う?

 総務委員会では実はもう一つ、議会として重大な問題があった。

 修正案が提案された場合の審議は、委員が、修正案の提案者に対して質疑するという形で行われ、提案者は責任を持って修正案の数字や趣旨の説明をし、委員からの質疑に答えなくて
はならない。

 委員は修正案の提案者に対して質疑し、その疑義をただすのであって、修正案に反対の立場の議員であれば、修正案の問題点をみずからの調査と疑念に基づいてただして、提案者の論
拠を突き崩そうとする。

 ところがこの日、委員の1人が、修正案に反対する論拠を得るために、「財政課の考え方を聞かせてもらいたい」と行政当局の助けを求めた。

 本当は、財政課の見解はすでに補正予算原案の審議の中で、「来年度予算で財源不足が生じるので、みどりと森の基金の4億円が必要だ」と何度も繰り返し説明はされていたから、委
員はそれを根拠にして質疑すればよかったはずだったのだが、補強するために財政課長の口から援護射撃が欲しかったらしい。

 それを受けて財政課長は“待ってました”とばかりに大演説を始めたものだ。

 曰く
「(前略) それは財政運営に関するもので、常日ごろ鈴木精一委員さんには非常に財政問題に関心が高いと思っておりました。
 今までのいろんな質疑を聞いていて、その認識について若干大きな疑問と落胆の気持ちを持っております。
 今回修正動議が出されまして、原案について修正の動議でございますので、我々が非常に悩んだ、そして最後に市長に決断をいただいた議案に対する修正動議でございますので、それ
に対してはたいへん怒りを覚えているということでございます。(後略)」

 行政官僚が“苦労して作った方針や予算案”に対して反対とか修正を求めたのに対して、官僚としての“怒り”を表明したわけだ。

 さらに財政課長は、今回の基金廃止に至った経過を述べた上で、基金取り崩しをしないとなると、「団体補助であったりとか、(循環)バスであったりとか、高齢者福祉に関するもの
であったり子どもたちの安心安全のものとか、そういったものに手をつけざるを得ないというふうに現時点では考えております。」とまで発言した。

 これはもう完全に、どこを削るか、どこを残すか、その政策判断を、官僚たる財政課長が一手に握っているのだということを吐露し、そっちを削ってもいいのかと開き直ったというこ
とだ。

 官僚は議会の場で、市長の意を体して、市長の政策の正しさを説明し、時には市長への反対者に反論することは当然あるのだが、官僚がみずからの感情としての“怒り”を表明し、官
僚としてみずから感情的に反論してみせるというのは、少なくとも久喜市議会ではこれまでなかった。

 他の議会でも聞いたことがないし、もし国会でこれをやったら前代未聞のえらい騒ぎになるのは間違いあるまい。

市政を握っているのは市長か官僚か

 私たち議員は地方自治体の二元代表制の一翼である議会で活動し、市長をトップとする行政機構に対峙している。

 議会が、市長と行政に対するチェックと監視を行いながら、同時に政策立案機関であり立法機関として、政策的に市長の下にある行政当局と対立することは当然ありうるのだが、それ
をもって官僚が議会に対してあるいは議員に対して“怒り”を公然と表明するのは大きな勘違いと言わなければならない。

 行政当局も政策を作り実行することが彼らの仕事であるが、それは市長の命令の下に政治に従属するものである。

 行政担当者が直接に議会や議員と対峙するのではない。

 ましてや議会と議員が、市長の政治的判断を問題にしているときに、その議員を行政に対する反対者と位置付けて公然たる“怒り”を表明するのは、全体の奉仕者(パブリックサーバ
ント)たる公務員の取るべき態度ではあるまい。

 市政の舵取りをするのは政治家たる市長の役割であり、公務員・官僚はそれに従属するのであって、仮に、市長から今回、「みどりと森の基金を取り崩さずに予算編成せよ」と命じら
れたら、他のどこかの歳出を削ってそれをしなければならない立場にある。

 その場合にも、どこを削るか、その責任を取るのは官僚ではなく、市長なのだ。

 今回の、政策に反対を表明した議員に対する財政課長の“怒り”は、官僚みずからが政治の一方の立場に立つことを告白したに等しい。

 ということは、議会あるいは議員が市長の政策判断に反対するときは、官僚は議会あるいは議員の政策判断に対して、これと対立する、議会の反対論を官僚は許せないということを告
白したに等しくないか。

 今回の基金廃止に関しても、財政課主導で「廃止」を市長に迫って認めさせた経過が明らかになっているのだが、ということは、久喜市の政治はすでに実質的に官僚主導になっている
らしい。

 しかし官僚が政治に優越して絶対に正しいという保障がどこにあるか。

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*総務委員会が開かれたのは12月9日であるが、この記事が今日(18日)になったのは、委員会の議事録で課長の発言を確認するまで控えたからである。



2008年12月13日 (土)
「みどりと森の基金廃止」の行方(1) 修正案の顛末



4億円の基金は“埋蔵金”か?

 11月定例会は“ちょっとした波乱”があった。

 市長が「みどりと森のふるさと基金の廃止」を提案してきたこと関してである。

 この基金は1989年に設置されて、久喜市において緑地の保全や森の創生にあてるために20年間積み立てられてきた。
 当時の竹下内閣のふるさと創生資金1億円を原資として、久喜市が将来の森の創生を市民に約束して、そのために厳しい財源の中から(つまり税金から)積み立てを続け、市民からの
寄付も募りながらこれまでに4億2000万円を積み立ててきた。

 目標額は5億円だったから、もう目の前に近づいていて、議会でもそろそろ「森の創生」の具体的な計画を検討するべきだという質問がたびたびなされてもいた。

 田中市長は、その特定目的のために積んできた基金を、ごく最近の景気状況の悪化による緊急の財源不足に充てるために、基金そのものを廃止し、4億円を市の一般財源として支出し
てしまうことにした。

 財政課長の説明では、来年度の予算編成で「4〜6億円の不足が生じる」見込みで、そのために基金のお金が必要だと言っているのだが、20年間にわたって積み上げてきた基金を、
来年度の財源の穴を埋めるために、1年間で消費してしまうということになる。

 まるで遊んでいた金を発見した、埋蔵金ででもあるかのように消費してしまう、こんなことが許されるか。

 家計にたとえれば、家を建てるという家族の夢のために爪に火をともして貯めてきた貯金を、目標額を目の前にしてパアーッと使ってしまうようなものだ。
 しかも世帯主が事前には家族にも相談せずに独断で決めてしまって、「使うぞ」と宣言したわけだから、「一体何に使うつもりか」「もう少し考え直そう」などと家族喧嘩になるのも
あたりまえで、簡単に決めることができるはずはない。

 議会でも、5日の本会議議案質疑ではこの議案だけで6名が質疑に立ったし、11日の総務委員会、12日の市民経済委員会でも、質疑が集中したのは当然であったろう。

 ところがこの委員会審議でおかしなことが起きた。

補正予算の「修正案」が提案されたものの…

 まず11日の総務委員会は、基金を廃止して4億2000万円全額をいったん一般会計に繰り入れ、それを財政調整基金(市の何にでも使える貯金)に移すという補正予算に対して、
新会派・市政の鈴木精一議員が「予算の修正案」を提案した。

 基金を廃止しないで、当面はみどりと森の基金のままで置いておく、したがって基金から一般会計補正予算への4億円の繰り入れはなし、財政調整基金への積み立てもしない、という
ものである。

 まず大地は、みどりと森の基金を廃止するべきではないというのが基本的立場である。

 もちろん、来年度予算編成の財源不足の問題、財源をいかにして確保するかという問題はあるが、少なくとも議会として、みどりと森の基金そのものをどうするかの議論も合意もでき
ていない現段階で、拙速に「基金の廃止」を決めるべきではない、予算編成の状況を見極め、来年2月の議会まで結論を延ばしても間に合うはずだ。

 そう考えて、大地は修正案に賛成することを決めた。

 総務委員会は委員長を除くと、鈴木、木村(共産党)、川辺(大地)が修正案賛成の立場で、反対は新政議員団2人と公明党の3名だから賛否同数となり、委員長を務める井上(改進
)の表決で決することになる。

 当日朝には、「改進の岸と井上でかなり議論して、井上も修正案に賛成することになったそうだ」という情報が伝えられており、したがって委員長の井上が「修正案賛成」に回れば修
正案は可決されるという読みが大勢を占めていた。

 そうすれば最終日の本会議でも、市政、改進、大地、共産党の12名が修正案賛成で可決される、とりあえず今議会では、みどりと森の基金の廃止は避けられる、先送りされて、来年
2月議会までに本格的な議論をする時間が確保される、多くの人がそう思った、はずだった。

 ところが思っても見ないどんでん返しが待っていた。

 総務委員会で、鈴木、木村、川辺が修正案に賛成して「同数」となった直後、井上委員長が「委員長は否決です」と宣言したのである。

 一瞬、その場にいた人たちの間で、「エッ。委員長、今、何言った?」というささやきが飛び交ったが、修正案はあえなく否決されたのであった。

 いったい鈴木氏らの市政と改進の間で、どのような話があったのか、なかったのか、何がどういう経過をたどって、直前までほとんどの人が「可決」と思っていたのが「否決」となっ
たのか、わからない。

 井上氏の心境も含めて、議員たちの行動原理は往々にして不可解だ、と言うしかないのか。

 この後、もう一つ、わからない行動があった。

「修正案」の提案者が原案にも賛成って?

 修正案が否決となったので、続いて原案の採決に移ったのだが、原案に反対したのは木村と川辺の2人だけだった。

 修正案を提案して否決されたばかりの鈴木が、何と原案に賛成したのである。

 彼は原案が認められないと考えたから、修正案を提案したのではなかったのか。

 それが、修正案が否決されるや、すぐその後に原案に賛成するというのではスジが通らない、少なくとも彼が提案した修正案に賛成した議員に対してどう説明するのか。

 いやそれだけではない、この議案と修正案の経過全体に言えることだが、一つの議案に対する態度で、議員がそんなこんなの腰の定まらないふらふらした行動を取って、市民に理解さ
れると思うか。



2008年12月 7日 (日)
官僚による勝手な条例解釈は許されない



政治の責任たる「住民投票」

 このところ毎議会の一般質問で、合併に際して住民投票を実施を要求してきている。

 久喜市の憲法と位置づけられている自治基本条例の23条で、「市政の重要な課題については、住民投票を実施することができる」と規定されている。

 久喜市にとってもどこの自治体にとっても、合併以上に重要な課題があろうはずはないから、これで住民投票をやらないなら他にやるべき課題はなくなってしまう。

 当然、住民投票を行うことは市長の責任だといっていいはずだが、田中市長は、どうしても住民投票の実施を明言しようとしない。

 田中市長は「市民の目線、市民の眼の高さに立った市政」を標榜し、自治基本条例をみずから積極的に策定し、4年前にも市長の決断で住民投票を行ったのであった。

 そうした経緯からして、市長は住民自治を最大限に尊重する立場であり、その最高の表現であり手法である住民投票を真正面から受けとめるはずだと期待をもってきた。

 しかし今、もしかして市長は、できれば住民投票をしたくない、住民投票をしないで合併に突き進んでしまいたいというのがホンネではないかと、私は田中市長の政治姿勢に疑念を持
ち始めている。

 とはいっても、12月3日、今回の私の一般質問に対して、田中市長はみずからの政治姿勢と政治的決断に揺れる胸中を、市長みずからの言葉で表現しようとしてくれてはいた。

 その市長の答弁については、私のホームページで別に記す。

官僚による自治基本条例の私物化

 ここで触れておかなければならないのは、合併推進室長の答弁である。

 合併推進室長は、市長の決断に至らない政治姿勢を反映して、住民投票を避けるための、やらないでもいいという理屈付けをいっしょうけんめいに説明しようとするのであるが、たと
えば次のような言い方である。

 「住民投票は、市民参加の手法の一つであって、市民が意思決定に参画することができるという規定である。」…【a】
 「市民意思を確認する方法としては他の方法もある。」…【b】
 「住民投票によって課題が解決するものではない。」…【c】
 「住民投票は、議会が二分されている場合に行うのが適当である。」…【d】

 【a】【b】は、できれば住民投票でなくて、アンケート調査かハガキ投票でお茶を濁す方向に政策を誘導するための理論付けであろうか。

 つまり、市民参加の手法として、また市民意思を確認する方法としては他に、アンケートやハガキ投票などもあると言いたいらしいのだが、自治基本条例のどこををひっくり返してみ
ても、住民投票以外の方法があるなんてことは絶対に書いていない。

 自治基本条例は、市民意思を確認する方法として、住民投票を規定しているのであって、それ以外の方法の選択肢はありえない。

 もし選択肢があるとすればそれは住民投票をやるかやらないかでしかない。

 住民投票をやらないで、アンケート調査やハガキ投票によって代えてすませることはできない、少なくとも自治基本条例はそのようなことは想定していない。

 【d】は、公務員の発言としてはちょっと罪が大きい。

 「議会が二分されている場合に住民投票を行うのが適当」などと、いったいどこに書いてあるか。

 実際、4年前は、市長が住民投票の実施を議会で表明したとき、久喜市議会22名中、「2市1町の合併に反対の意思を表明していた議員は、共産党の3人と猪股の4人だけで、「合
併賛成」が17人だった。(1人は最初の時点では賛否を明確に表明していなかったが、住民投票の告示前後になって「反対」の意思を鮮明にした。それでも合併に対する議員の賛否は
、17対5であった)。

 したがって当時も議会が二分されてはいなかった。

 4年前は「議会が二分」されていなくても住民投票を行ったのに、今回は「議会が二分されていないから住民投票を行う必要がない」という新たな条件を持ちだすとすれば、これはご
都合主義的な“二重基準”である。

 しかしそれ以上に問題なのは、「議会が二分されている場合に住民投票を行う」などというのは、自治基本条例にも、またその解釈や説明にも書かれてはいないし、住民投票を解説し
た書物や論文などにも、そのような“基準”は見たことがない。

 「議会が二分されている場合に住民投票を行うのが適当」などという、ありもしない“基準”がいかにもあるかのように言うのはなぜか。

 これは議会と市民に対して、ウソの基準を言いつのって、住民投票を求める市民を欺き謀り、世論を誘導する行為と言わざるを得ないではないか。

 公務員は法律と条例に従って仕事をするのだ。

 条例にありもしない解釈を付け加え、あるいは勝手な解釈を行って、条例の運用をねじ曲げたり、条例の運用に新たな条件を持ちだすのは、役人(官僚)による条例の私物化に他なら
ない。

 合併推進室長が「議会が二分されているときに住民投票を行うのが適当」とか、「住民の意思確認の方法に住民投票以外にも(アンケートやハガキ投票などの)他の方法がある」とか
の論理を持ちだすのは、いずれもが自治基本条例の官僚による勝手な解釈によるねじ曲げであり、本来市民のものであるべき条例の官僚による私物化である。

 合併と住民投票の問題が、市民の意思確認の方法をどうするかという問題だけにとどまらず、住民自治をいかにして実現するか、官僚による条例の勝手な解釈や世論の誘導が許される
のかどうかという問題、ひいては公務員の職務執行のあり方、公務員の適格性の問題にも関わってきてしまっている。








2008年11月27日 (木)
合併で、議員選挙と議員報酬はどうなるか



 11月26日の合併協議会で、新市の議会議員の身分についてと、議員など特別職の報酬・給与が議題となった。

 議員の身分については、
1.議会議員の定数は地方自治法における最高限度である「34」とする
2.議員の任期延長は行わないで、合併と同時に現在の市長議員は失職し、50日以内に市議会議員選挙を行う
3.合併した市町ごとの選挙区の特例はもうけないで、新市全域を選挙区として市議会議員選挙を行う
と、当然の結果となった。

 4年前の合併協議の時には、合併前の各市町の議員の任期を合併後1年間延長し、そのため1年間は70名の議会としていて、当時、議員が自分たちの既得権を維持しようとするもの
だとの批判を浴びた。

 「選挙区の特例」というのは、最初の選挙を全市一区で行わないで、市町ごとに選挙区として、定数を割り当てるというものである。
 合併すると旧町の議員には不利になるので、旧町から選出される議員数を一定程度確保しておきたいという配慮であるが、逆に、町部は投票率が高いので、かえって市部から出る議員
の方が不利だから、旧市町ごとに定数を決めた方がお互いにやりやすい、などいろいろな考え方がある。

 ただいずれにしろ、得票数以外の要因で当落が決まるというのはおかしいので、こうした特例は作るべきではないというあたりまえの結論になったわけだ。

 議員報酬や市長、副市長、教育庁の給与額については、当事者が検討に加わるのは批判を招くとの配慮から、合併協議会の中の市民選出委員だけの小委員会で検討してきた。

 当初、県内15万人口の市と同程度の報酬・給与に引き上げるという考え方が有力であったらしい。

 議員報酬は、現在の久喜市が36万円、3町は22〜23万円であるが、県内の人口10〜20万の市の議員報酬は40万円以上だから、合併後の新市の議員報酬も45万円くらいに
なるのではないかと観測もあった。

 小委員会の報告は、市長給与は91万円、議員報酬は36万円で、現在の久喜市の金額を維持するもので、合併協議会にこの金額で提案され、そのまま承認された。
 3町の議員にとっては報酬が倍くらいに引き上げられることになったが、久喜市の議員にとっては変わらないこととなったわけだ。

 議員報酬のあり方についてはいろいろな論がある。
 議員はボランティアで無報酬が本来の形だという論もあるし、専門職として、議員だけで生活できるだけの報酬を保障しなければ質の高い議会は作れないという論もある。

 私は後者の立場に立つが、その意味からすれば、現在の36万円では手取りは25万円であって、それだけで生活するのはたいへんに苦しい。
 せめて額面で40万円以上、市役所の課長職(部長職といいたいところだが)くらいの報酬はほしいというのがホンネ。

 それでないと、若い市民が、仕事を辞めてまで議員になろうという意欲はあまり出てこないのではないか。
 私や他にも、報酬に関わりなく議員活動に生活のすべてをかけるという議員も、少しはいるのだが、これ以上期待するのはむずかしいと思っている。

 合併協議会の決定には、議員定数は合併後の議会で検討していくという「条件」がついていて、おそらくは4年後には定数削減となるだろうが、合わせて議員報酬も引き上げることに
なるのではないか。

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 なお、合併協議会でこの議案の審議中に、ある町長さんが「質問」した。
 町長は議案提案者の側だから、議長役の田中市長が怪訝そうな顔をして指名し、会場からは「えっ」という声も漏れた。

 「我々は報酬をもらっているんで、市長の給与という提案は間違いじゃないか」という発言だった。

 これは町長さんの完全な「勘違い」で、地方自治法で、議員は「議員報酬」、常勤である市長、副市長、教育長は「給与」である。

 件の町長さんは地方自治法の条文規定を知らなかったらしい、ということは、自分がこれまで毎月、「何」をもらっていたのかも知らないで受け取っていたのか。

 それと、合併協議会の場で質問したということは、議員報酬と市長らの給与を定めると書いてある、この議案を読んでいなかったと推測されるのだが、そういうことだろうか。
 そうだとしたら麻生首相並みだ。





2008年11月26日 (水)
キャンセル料が政務調査費にあたるか



 久喜市議会の政務調査費第2期分(7〜9月)の各会派からの報告書が出そろったので、11月17日に政務調査費審査委員会を開催し、領収書などのチェックを実施した。

 その中で、一つ、気になる支出があった。

 ある会派の「調査旅費」の中に、旅行代理店へのキャンセル料が計上されていた。
 会派視察で旅行代理店にチケットを依頼して、事前に費用の全額を支払ったのだが、1人が行かれなくなったため、キャンセル料が発生したというものである。

 視察に急に行かれなくなることは当然ありうることだが、“そのキャンセル料を政務調査費から支出していいのか”という問題である。

 つまりキャンセル料というのは、視察に行かれなかった人の、いわば“旅行代理店への違約金的なもの”、…ということは、実際に政務調査に使わなかった費用を、公費で負担するの
は政務調査費の趣旨とは異なるのであって、市民の理解は得られないのではないか。
 キャンセル料が発生したら、政務調査費から負担するのではなくて自己負担とするべきではないか。

 このキャンセル料の支出は今回だけではなく、いくつかの会派で今までにも支出・計上されていて、やはりきちんと整理しておかなければならない問題である。

 そこで審査委員会の場で、私から、「キャンセル料を政務調査費から支出することはおかしいのではないか」と提起した。

 しかしそれに対して、無会派から出ている鈴木精一氏が「政務調査費から負担していい」と主張し、私と鈴木氏との間で議論になってしまった。

 審査委員会の議論は委員の合意が基本だから、この場では審査会としての意見をまとめるには至らなかった。

 鈴木精一氏の論理はこうだ。

 チケットを旅行代理店に依頼する場合、できるだけ安いチケットを取るようにしているが、そういうのはキャンセル料が高いか、あるいはキャンセルが認められない場合もある。
 もしキャンセル料を政務調査費から出すのが認められないで、自己負担にしなければならないことになると、キャンセル料が発生しないチケットを取ることになって、かえって費用が
高くなってしまう。
 だから、キャンセル料を政務調査費で出すことは必要で認めるべきだ、というのである。

 各会派がチケットを予約する際に、できるだけ安いチケットを取るようにしているのはその通りだが、キャンセル料の公費負担が認められなくなったら、本当に、キャンセル料の発生
しない(キャンセル料が低い)割高のチケットを取ることになるのだろうか。

 普通は、予約の時点ではキャンセルすることなんて考えているわけはないから、どっちにしたってできるだけ安いチケットを取るだろう。

 また、たとえば当日取り消しで「キャンセル料10割」となった場合に、それを政務調査費で負担するということは、“乗らなかった運賃”“泊まらなかったホテル代”を税金で補填
してあげるということになるではないか。

 彼は「慎重に検討する必要がある」と繰り返していたが、あまり理屈をこねくり返さないで物事は単純化して考えた方がいい。

 個人的な事情や急病、公務が入ったからか、どんな事情であれ、キャンセルしたということは、その当人は当初の政務調査の目的を果たせなかったということだ。
 私の疑念は、政務調査しなかった人の費用を、「政務調査費」として公費から支出するのはおかしい、それでは市民の理解が得られない、ということである。


2008年11月16日 (日)
給付金、私は堂々ともらおう



 このページでは、あまり政府批判は書かないようにしてきたのだが、あまりのもひどすぎるじゃないか。

 麻生が今度は、「給付なんてオレはいらないというプライドのある人もいっぱいいる」と言ったのだという。

 「年間何千万円、何億円ももらっている人が12000円ちょうだいと言うのかね」とも言ったらしい。

 プライドのある人は受け取らないだろうっていうのは、受け取るヤツはプライドがないって思ってるってことだ。

 昔々、成金が料亭でどんちゃん騒ぎして、札をばらまいて芸者や芸人がわれ先に拾って金を奪い合うのを見て楽しんだというけれど、麻生はそのお大臣のつもりか。

 庶民がわずか12000円の金を受け取りにくるのを見て、「金を配ると言えば浅ましくもらいに来やがって、プライドのない奴らめ」と思って腹の中であざけ笑うつもりか。

 年間何千万円、何億円もらっている人っていうのはどういう人たちか、少なくとも私のまわりでは知らない。

 そりゃあ麻生にとっちゃ、12000円なんてはした金、ごみみたいなもんだろう。

 橋下大阪府知事は定額給付金は「いらない」と言っていた。
 自民党や公明党の国会議員のみなさんは、まさか受け取らないだろう。
 久喜の公明党の議員さんたちは受け取るだろうか。

 私は何千万円ももらってないから12000円でも欲しいと思うし、もともとは私たちの税金だし、麻生のように“プライドのない奴らめ”と見下ろす側には回りたくないから、堂々
と受け取ることにしよう。

 ただ、給付金の支給がいったいいつになるのか、この冬には間に合わないし、3月中の支給もむずかしいらしい。

 麻生にすればせっかくやるんだから、ばらまいてその1か月くらい後に選挙をやるのがいちばんいいんだろうが…。



2008年11月13日 (木)
日本語が読めない麻生首相



 あれは7日だったか。

 麻生首相が、田母神前空幕長の事件について国会で答弁しているのを、ニュースで聞いていたときに、いわゆる「村山談話」を踏襲すると語ったその発言が、「ふしゅう」と聞こえて
、アレッと思った。

 翌日の新聞にも「村山談話を踏襲すると語った」と書いてあるし、私の聞き間違いだったかと思っていた。

 ところが今日、13日の読売新聞で、麻生が漢字の読み間違いがたいへん多いと書いてあるのを見て、私の聞き間違いではなかったのだと気がついた。

 「頻繁」を「はんざつ」と読み、「未曾有」を「みぞうゆう」と読み、「踏襲」を「ふしゅう」と読む、何回も同じ読み間違いを繰り返しているのだという。

 「はんざつ」は読み間違いといって仕方ないかも知れないが、「みぞうゆう」「ふしゅう」は、そもそも漢字の読みを知らなかった、漢字が読めなかったのだろう。

 誰かが書いた原稿を読めばよいと思っていたが、知らない漢字が出てきて、適当に読んだわけだが、その度胸は大したもんだ。

 しかし問題は実は重大だ。

 それは、単なる読み間違いですませられる問題ではない。

 麻生が漢字を知らないということは、彼に日本語の語彙が不足していることであり、普段から自分の言葉でしゃべっていないということを意味する。

 閣僚、首相らは、官僚が書いた原稿を読むのがあたりまえとはいえ、文章を“代読”するだけでよしとして、しゃべっている中身を自分のものにしていないということだ。

 自分の言葉でしゃべらない政治家がいること自体、そのような閣僚や首相をいただく日本国民の恥であり不幸ではないか。

 日本の政治が、政治家によってではなくて、官僚によって動かされていることの証左であるわけで、こんなことははじめからわかっていることだ、たいしたことはないのかも知れない




2008年11月11日 (火)
国民を誘導したい軍人の論理(2)



 田母神・前航空自衛隊幕僚長による、自衛隊幹部や自衛隊員に対する教育指針たる「10の提言」についての続きである。

 パートUの冒頭には、パートTが全国の自衛官や防衛産業にもたいへん好評だったと自慢していて、「陸上自衛隊、海上自衛隊の上級指揮官等からも部下等に配布したいという話があ
り、喜んで配布させて頂くことにした」とあるから、これは航空自衛隊だけでなく、自衛隊全体の教育指針にまで高められているということだろう。

 パートUにはこんな見出しが並んでいる。
 2 法令改正を年度要求する
 7 身内の恥は隠すもの
 8 戦場は2つある
10 国家感観、歴史観の確立

 自衛隊がもっと活動しやすいように、自衛隊がみずから法律の改正を要求すべきだというが、それは果たして自衛隊の行うべきことか。

 軍隊である自衛隊がみずから政治への働きかけを行うことが、シビリアンコントロールを突破する危険をはらんでいることは言うまでもない。

 パート1で、“報告が遅れてもかまわない”と書いていたが、パートUではもっとはっきりと、「情報を隠せ」「秘匿すべきものは秘匿せよ」と言う。

 田母神は「何でもかんでも全て公開する必要があるのか。そんなことはないと思う」と断言してみせる。

 まず、「いわゆる身内の恥的なもの」、おそらくは自衛官による不祥事や事故、犯罪などをさしているのだろうが、これらは“部下を守るために隠せ”という。

 さらに、常日頃から秘密の保全を意識した隊務運営を心がけて、公開を要しない事項については徹底的に秘匿する、秘匿すると決めたら徹底して秘匿する、もし秘密が漏れたならば、
なぜ漏れたのか、誰が漏らしたのかを徹底的に追求せよとまで言ってのける。

 軍隊が秘密の多い世界であるのはおそらくはそのとおりだろうが、一歩進めて、普段から内部情報を、できるだけ国民にも政治家にも知られないようにしておくのが自衛隊の行動様式
となるとしたら、これは怖いことだ。

 言うことはだんだんエスカレートしてくる。

 田母神によれば、実力のぶつかり合う本物の戦場は「第1の戦場」だが、それに加えて自衛隊には「世論やマスコミと闘う第2の戦場がある」と言う。

 米軍が自分たちに都合の悪い映像やニュースをマスコミに流させないようにしているように、日本でも「今後は第2の戦場における勝利も併せて追求しなければならない」「自衛隊は
いま第1の戦場で戦うための訓練をしながら、第2の戦場では正に戦闘実施中なのだ」。

 積極的にマスコミに関与せよ、ホームページ、テレビ、ラジオを通じた発信、定期刊行物を発刊して宣伝するべきだ。
 自衛隊や自衛官が新聞や雑誌に継続的に投稿すべきだ、本を書く人を育てる、若い人たちを自衛隊に呼んで教育することが必要だ。

 世の中の「親日的活動」に対して、自衛隊員は「経費も含めて個人的に支援」したり、「新しい歴史教科書」のような本が出たら、「これをみんなで買いまくる」ことまで勧めてみせ
る。

 「親日的活動」とは言うまでもなく、自虐的な「東京裁判史観」に立った共産党や社民党、あるいは憲法を守る運動、侵略戦争とか従軍慰安婦問題などの「反日的活動」に反対する、
つまり普通の言葉では右翼を、自衛隊員が積極的に支援する必要があると言っているわけだ。

 そして、自衛隊が「正しい国家観・歴史観を確立して国民を啓蒙する」と言うに至っては、軍隊(軍人)が自分たちの信じる国家観こそが正しくて、軍隊が国民を啓蒙し、国民の意識
を誘導して軍隊の言うなりに従わせる、田母神は、それこそが理想的な軍隊と政治、国民の在り方として思い描いていることになる。

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 ナチス・ドイツ、ヒトラーの後継者として国家元帥に就いたゲーリングは次のような言葉を遺している。

「もちろん、国民は戦争を望みません。運がよくてもせいぜい無傷で帰って来る位しかない戦争に、貧しい農民が命を賭けようなんて思うはずがありません。一般国民は戦争を望みませ
ん。ソ連でも、イギリスでも、アメリカでも、そしてその点ではドイツでも同じ事です。政策を決めるのはその国の指導者です。そして国民は常に指導者の言いなりになるように仕向け
られます。

反対の声があろうがなかろうが、人々を政治指導者の望むようにするのは簡単です。 国民にむかって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠
けていると非難すればよいのです。そして国を更なる危険に曝す。このやり方はどんな国でも有効です。」

 田母神がやろうとしたこと、そして今、大東亜戦争肯定派・靖国派・改憲派が現にやっていることはまさにこれではないか。



2008年11月 9日 (日)
政治に優越したい軍人の論理(1)



 田母神・前航空自衛隊幕僚長が航空自衛隊の司令官の立場で、政府見解と方針を真っ向から否定する見解を明らかにしたことをもって、更迭されたのは当然のことであるが、彼は空将
という立場ではなお持論を維持したまま処分されることもなくめでたく“退職”してしまった。

 今ここでは、中国や朝鮮への侵略の事実や、日本政府としての反省をどうとらえるかについては触れない。

 私や、ほとんどの日本国民にとって、世界中の人民にとって、それは否定しようのない事実であり、極東軍事裁判の結果についてもすでに講和条約において日本政府として受け入れた
ことである。

 今、それを「自虐史観」と呼んで否定しようという勢力の活動が活発化しているが、それは日本国民にも世界各国にとっても受け入れられることはありえない。

 もし万が一にも、日本政府が過去の侵略を全否定してみせるとしたら、それは国連憲章への挑戦であり、日本は世界中から孤立することになるだろう。

 しかし田母神の主張は、日本の国と国民にとってもっと重大な問題をはらんでいる。

 田母神は、航空幕僚長、空将、航空総隊司令官など自衛隊の指導的地位を歩んできたが、統合幕僚学校長という自衛官幹部を“教育”する立場にあった。

 こうした立場で、2003年以降、「航空自衛隊を元気にする10の提言」なるものを、パートT、パートU、パートVと発表し、今でもそれは堂々と「防衛大学校第15期生の公式ホ
ームページ」に掲載されている。

 これは自衛官に対する教育の指針ともいうべきものであるが、もちろん田母神個人の意見ではなく、統合幕僚学校長や空将、空幕長の立場からのものであってみれば、自衛隊における
公的な見解と見られる。

 ご丁寧にもそのホームページには、『営利目的やマスコミ等での転用・利用は禁止致します』と断り書きが付いていて、私など営利やマスコミではないが、それでも批判するために引
用しようとしてちょっと躊躇させられる、怖いページではある。

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 たとえば、パートTには次のような見出しがある。
 3 報告の遅れを叱らない
 10 国民の国防意識の高揚

 「部隊等において服務事故等が発生し上級指揮官にその報告が行われず、後日それがマスコミ沙汰等になった場合、上級指揮官は、ゆめゆめ『なぜもっと早く報告しなかったのか』な
どと言ってはいけない」と言うのだ。

 なぜなら、「何をいつ報告するかは本来部下指揮官の判断事項である」から、報告が遅れてもその責任を問うてはならないらしい。

 最近も、自衛隊の事故で、政府への報告が遅れて、あるいは報告を後回しにしてシビリアンコントロールが問題になったことがあったが、田母神は“報告が遅れても問題にするな”と
部下たちに教えていたわけだ。

 軍隊の情報は軍隊の内部だけで秘匿して、できるだけ外には出さない、これは軍隊の行動様式として当然のことであるのだろう。

 その上で、「国民の国防意識」を高揚するために、自衛隊のホームページや定期刊行物、マスコミが取り上げるようなセミナーを開催したり、雑誌や新聞に投稿する、テレビやラジオ
で直接国民に訴えるというようなことを組織的に実施するなど、「あらゆる手だてを尽くして広報乃至は国防意識の高揚のための活動を行うのだ」と扇動してみせる。

 自衛隊が今、「日本国内において反日的グループとの冷戦を戦っている」というのは、田母神の意識の中では人を殺傷する武器を使わないまでも国内ですでに戦争をしているのである


 憲法を守るというような“反日勢力”を打ち負かして自分たちが日本をリードしていく、そのために軍隊が政治的な発言を強め、政治への影響力を行使していくという強い意志の表明
であろう。

 と、ここまで書いてきてふと、田母神のこの「航空自衛隊への10の提言」のページそのものが、自衛隊員の教育の指針といった内部向けのもににとどまらず、国民啓蒙のための宣伝
活動なのだということに気がついた。

 彼らが確固とした国家間・歴史観を持って、この国の政治を誘導する意志を持って活動しているのだということを、あえて国民、特に憲法改正反対などといっている「反日勢力」に知
らせようとしているのだろう。

 内部向けの意見ならば内部だけで読めるようにしておけばいいはずなのに、このページは誰でもが読めるようにわざわざ“公開”の場に置いているのだから。

 それにしても、である。

 公開しておきながら、『営利目的やマスコミ等での転用・利用』を禁止しているのは、田母神のいう「反日勢力」やマスコミが、これを引用して批判するのを封じようということだろ
うか。

 自分たちの意見は言うけれども、それへの批判はさせないとしたら、軍隊特有の、何と独善的な行為ではないか。

 パートTの「終わりに」では、「石原都知事のような強いリーダーの出現を待ち望んでいる」というホンネを隠そうともしない。

 田母神が、中国や韓国と真正面から立ち向かう、“侵略”などは否定する、二度と謝罪などしない、国家の強いリーダーを求めていて、そのために世論操作も含めて行動していって、
チャンスさえあれば、“いつだって政治に介入していくかもしれないぞ”という圧力さえにおってくる。



2008年11月 2日 (日)
国民をなめきっているとしか思えない



 麻生首相のあまりにも国民をなめきった話、これまで自民党を絶対的に支持してきた人だってだまされないだろう。

 最初は定額減税の話だった時には、1年限りなのか、制度として固定化するのか、どちらだろうと思っていた。

 ただ“減税”だったら、税金を納めていない人には恩恵はないから、本当に貧困に苦しんでいる人々の生活を支援するものでもないし、景気対策としては効果はないだろうなと思って
いた。

 ところがいつの間にか“給付金”ということで、国民みんなに現金かクーポン券をばらまくということになった。
 名前も“定額給付金”に変わって、一人1万5000円で4人家族で6万円、総額で2兆円だという。

 ただし今年度1回限り、選挙前に現金をばらまいて自民党と公明党に投票を誘導する“買収”みたいな話だ。

 どうせばらまくなら、テレビショッピングみたいに“おまけ”も付けちまえとばかりに、子どもや高齢者は割り増しするという話まで出てきた。
 だからと言って、自公政権が高齢者を大事にするという発想に立っているわけでないのは、後期高齢者医療制度を見たって明らかだ。

 一にも二にもすべてのポーズは選挙のため、今だけのことだ。

 どんなに批判されようと、見透かされようと、金さえばらまいて“今だけ”の利得を与えれば投票してくれる人がいるってことを、自公政権はよく知っている。

 しかも麻生は「3年後に消費税を引き上げる」ことを宣言した。

 消費税は1%が2兆5000万円と言われるから、今年度に2兆円をばらまいて、3年後に1%上げれば政府の帳尻は1年で合うわけだ。

 何のことはない。

 国民は今年、“1回限りの給付金”をもらって、その引き替えに、3年後からずっと消費税を上げられて、10%なら毎年一人平均4万円の消費税を取られる“恒久増税”となるわけ
だ。

 詐欺みたいな話、いや、“みたい”じゃなくて、これは国家による詐欺だ。

 あるいは、簡単に現金をくれるけれども利息が雪だるまで後が怖い、“サラ金的給付金”と言ったらいいか。






2008年10月26日 (日)
下水道料金は合併後に値上げするつもりか?



 1市3町の合併後の市民サービスや負担のあり方について、9月24日の第5回合併協議会あたりからようやく具体的な調整と協議が進んでいる。



 都市計画税については、現在は、久喜市、栗橋町、鷲宮町が税率0.2%でいっしょなのだが、菖蒲町は都市計画税そのものがない。


 これをどうすることになったかというと、現在の菖蒲町の区域だけについては、合併後2年間は非課税のままとし、2年後に0.1%、3年後に0.2%に引き上げるという。

 新・久喜市の中で、同じ市民なのに、住んでいる地域によって都市計画税の税率が違うというのは、はたして市民の理解を得られると思っているのだろうか。

 10月21日の第6回合併協議会では、保育園の保育料や、子ども医療費支給事業が課題となり、いずれも「久喜市の例により合併時に統合」することで確認された。

 現在の子ども医療費は、久喜市と鷲宮町が入院15歳まで、通院は小学校就学前まで公費負担、菖蒲町は入院12歳まで、栗橋町は入通院とも小学校就学前までとなっているので、菖蒲町
と栗橋町の住民にとっては現在よりも支給の幅がいっきょに広がることになる。

 保育園の保育料は、鷲宮、菖蒲、栗橋の住民にとっては、現在よりも引き下げとなる。

 さて問題は、下水道料金である。

 現在の料金表は4市町間で基本料金も違い、単価も違うので、比較しにくいのだが、平均的な世帯で、2か月で50m3使った場合、久喜市は4094円、菖蒲町は4410円、栗橋
町は5460円、鷲宮町は51455円で、久喜市がいちばん安くなっているようだ。

 当然、これも「久喜市の例により合併時に統合」かと思ったら、そうではなくて、合併後当分の間は、旧市町ごとに現在の料金表をそのまま適用するのだという。

 最大限、合併時までに統一する努力をすべきだったと思うのだが、現在の各市町の料金表をそのまま引き継ぐというのは、安易に過ぎるのではないか。

 同じ市の中で同じように下水道を使用しながら、料金に差を付けるのは不公平だという批判は免れない。

 しかし実は、問題はもっと大きい。
 下水道料金の合意は、「合併後3年以内に再編する」となっている、ということはどういうことか。

 もしも3年経過以後も久喜市の料金表を適用するつもりであれば、合併の最初から「久喜市の例により統合」としておくはずだろう。

 そうしないで「3年以内に再編」を打ち出したということは、現在の1市3町の料金表をガラガラポンで全面的に改定するということを意味する。

 つまりその改定時には、いちばん低い久喜市の料金表ではなくて、いちばん高いところか、その中間あたりに合わせることになるのだろう。

 「3年以内に再編」という言い方は、実は3年後には値上げするつもりなのに、市民に対しては、当分は値上げするともしないとも言わないであいまいにしておく、姑息なやり方でな
いか。





2008年10月23日 (木)
自公政権を終わらせるために、民主党を応援する



 衆議院の解散・総選挙がいつになるのか、今の段階ではわからないが、そう遠くない時期であろうことは推測できる。
 自公政権の終わりとなるであろうことも予測できる。

 高齢者差別医療であるところの後期高齢者医療制度、産科や小児科医師の不足という形で現れた医療崩壊の崩壊、障者の自立を阻む“障害者自立支援法”、ますます深まる格差社会の
現実、働く場所がない、働いても食えない貧困の現実、現実となってきた景気後退、消えた年金、消された年金、20年後に年金は維持できるのか、財政破綻を目前にしながら、今なお
自公政権は選挙目当てのばらまき政策を続けようとしている。

 先行きの見えない政治、自公政権を終わらせなければ、この国の政治も社会も、国民生活も破綻してしまうだろう。

 今、何よりも、自公政権を終わらせることに、すべての政治の力を集中させるべきだと思う。

 そのために私たちは何ができるのか、何をすべきなのか。

 久喜市や春日部市を含む、衆議院選挙の小選挙区・埼玉13区ではどうか。

 13区で予想される候補者の顔ぶれは、自民党の土屋品子、社民党の日森、民主党の森岡洋一郎の3人である。

 これまでの選挙では自民党の土屋が、親父の七光りをバックに、ほとんどの市町の首長の推薦、議会の自民党・保守系議員団の支援を得て、圧倒的な地盤を誇ってきた。

 社民党も比較的強い地盤を保っていて、日森は小選挙区では勝てないまでも北関東比例区の社民党1議席で復活当選を果たしてきた。

 一方、民主党は「反自公」の票が分散する不利な状況ではあるが、民主党への追い風に加えて、33歳の森岡を新人候補として擁立したことで、比例区での復活当選ではなく、小選挙
区での当選が期待できる情勢である。

 この埼玉13区でこれまで強固な地盤を誇ってきた自民党の議席を突き崩すことができれば、それは全国的な自公政権の足元を堀り崩すことになるだろう。

 したがって今度の総選挙で、私は、埼玉13区の自民党の指定席を突き崩すためにこそ、民主党の森岡洋一郎氏を応援したい。

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 私は民主党の体質に危うさを感じてはいる。


 「憲法」と「9条」に対する態度も改憲派から護憲派まで幅広くてとらえどころがないし、政策能力やその一貫性に対してもよくわからないといったところが正直なところだ。
 久喜市議会の民主党議員の行動規範は理解できないところもあるのだが、他市の民主党の議員とも多少なりとも付き合いがあって、信頼できる議員も知っている。

 たとえば年金問題ひとつとっても、その実態をここまで明らかにさせてきたのは明らかに民主党の活動の成果である。

 ここへ来て、景気対策や医療問題で、自公政権が選挙向けばらまき政策を矢継ぎ早に次々と打ち出してきているが、高速道の無料化など、民主党の主張のつまみ食いが多い。

 こうして見てくると、最近の政治の流れの中で民主党の果たしてきた役割が大きいことも認めざるを得ないのである。

 この日本の政治で、一度は政権交代をさせる必要がある、長期的には政権交代があたりまえの政治を実現していく必要がある、今こそその条件が生まれていると考える。

 私自身の基本的な政治的立場、特に憲法9条に関する姿勢は、民主党よりも社民党に近いのであるが、それでも今回は自民党政治を終わらせることを最大唯一の目的として、民主党を
応援し、私なりのやり方で行動したいと思う。



2008年10月21日 (火)
解散・総選挙はいつ



 衆議院の解散・総選挙はいったいいつになるのか。

 今度こそ、自公政権の終わりを告げる選挙になるはずであるが、麻生は最後のあがきで、なりふり構わずに先延ばししながら“勝機”を探っているようだ。

 自民党の300議席が激減するのは間違いないし、自公で衆議院の3分の2確保も望むべくもない。

 どんなに控えめに勘定しても、自公合わせて過半数の確保が最大の目標になろうが、それすらも困難であるのは各メディアの世論調査によっても予想されていることである。

 安倍が重圧に耐えきれなくて政権を投げ出したと思ったら、今度は福田が自分では選挙に勝てないと自覚してさっさと逃げ出して、チャンス到来とばかりに自信満々で首相に就いた麻
生であるが、ここへ来て怖くて怖くて解散を打てないでいる。

 雪崩を打って麻生を推した自民党の先生方も、これほど決断力のない人だとは思わなかったのではないか。

 それでも否応なく、解散・総選挙は近いうちにやって来る。

 それはこのところ、公明党の動きが激しさを増していることにも現れていよう。

 昨年までは、公明党議員団が久喜駅までの早朝ビラまきなんてあまりすることはなかったのに、最近は月に何回もやっている。
 それは今年の何月ごろからだったか、解散がささやかれ出してからだったような気がする。

 チラシを全戸配布して、『定額減税で家計を支援』とか、『物価上昇分を年金に上乗せ』なんて、選挙向けの究極のばらまき政策を次々と打ち出している。(「公明新聞」号外10月
19日)

 しかし、昨年、恒久的減税とされていた定率減税を廃止(実質増税)したのは自公政権だったし、生活保護の老齢加算や母子加算の廃止を決めて、“貧困”の最後のセーフティネット
を切り崩しているのも自公政権ではないか。

 久喜市議会でも、6月議会、9月議会と続けて「後期高齢者医療制度の廃止を求める意見書」を出したが、それに対して「財源をどうするのよ!!」としつこくヤジを飛ばして強硬に
反対していたのも公明党の議員たちである。

 “野党”勢力が福祉政策の充実を求めると、「財源がない」と非難してみせるくせに、公明党の選挙向けばらまき政策の財源はあるらしい。

 このチラシでも、定額減税、年金上乗せ、高速道料金引き下げ、教育費無料化、妊婦健診無料化、出産一時金の増額、児童手当の拡大、等々等々、この政党の政策のいずれもが「お金
を上げます」「負担を安くします」という“現金ばらまき”のお約束のオンパレードだ。
 選挙向け究極のばらまき政策と書いたゆえんである。

 大量に貼りだされたポスターには、『地域につながる、生活につながる』『生活を守るのは公明党です』と大書きされている。

 それが、私には、『自民党につながる、政権につながる』『自公でつながる、権力につながる』『(自公)政権を守るのは公明党です』と読めてしまう。

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 そういえば、1999年に子育て世帯などに一律2万円の商品券を配った「地域振興券」も、公明党が政権に強引に飲ませた“究極のばらまき政策”であった。

 全部で6000億円の“現なま”をばらまいたのであったが、大義名分であった景気浮揚効果もほとんどなく、“世紀の愚策”と言われたっけ…。



2008年10月17日 (金)
子どもたちによりそって



 1か月前の記事ですが、やっぱりどうしても書いておきたいと思います。

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 10月5日、不登校・引きこもり問題の講演会が開かれ、参加しました。
 場所はNPO法人・越谷らるごのフリースクール「りんごの木」です。

 ここは、不登校の子どもたちの居場所作りの活動を通して、子どもたちと親たちとがいっしょに多様な育ちあう場を作っています。

 フリースクールりんごの木はそんな子どもたちの居場所であり育ちあう場です。

 講演会の実行委員には、「久喜市きょういくを考える会」や幸手市で不登校の子どもたちによりそってきた方々も入っています。

 講演会のテーマは、『「長田塾裁判」を通して“子どものパートナーであること”を考える』とありました。

 名古屋にある長田塾というのは、不登校や引きこもりの子どもたちを“収容”して“教育”している私的施設です。

 長田百合という人が主宰していて、まず親を説得して、子どもを暴力的にむりやり連れて行って収容したりします。
 親に対しては徹底的に罵倒して、親の自信を失わせて、永田塾に預けるしかないと思い込ませます。
 不登校や引きこもり問題を親の甘やかしと子どもの甘えが原因と決め付け、収容施設で半ば暴力的に子どもを従わせる、子どもを従順にさせることによって“矯正”できるとします。
 暴力や強制、脅迫によって、引きこもりの子どもたちをむりやりに引きずり出し、“監禁”し、従順化させて自分たちに従わせることによって、子どもたちの精神を変えさせようとし
ます。

 1980年代の戸塚ヨットスクール事件、最近では丹波ナチュラルスクール暴行事件など、たびたび社会的問題になるのですが、親たちの絶望感に付け込むので、後を絶ちません。

 長田塾と長田百合という名前は、一時はテレビなどで肯定的に取り上げられて、かなり有名になりました。

 この日もテレビ報道のビデオを流しましたが、親や子どもを徹底的に罵倒する、子どもに対して暴力を振るうようにけしかける、時にはみずからも子どもに手を出したりして、見てい
て気持ちが悪くなるほどです。

 この人やこの人を信奉する人たちは、こんなやり方で心が傷ついた子どもたちを、本当に“更正”させることができると思っているのでしょうか。

 こういう暴力的・強制的なやり方の対極にあるのが、この日の講師としてお話しされた、名古屋の多田弁護士です。

 多田弁護士は、「長田塾裁判」を担当された方で、教育の名を借りた虐待でしかない長田塾からの賠償を勝ち取った経過についてもお話ししてくれました。

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 子どもたちを更正させるとか、教育してやるのではなく、常に対等の立場で子どもたちのパートナーとして活動していてこそ、子どもたちからも保護者からも信頼されます。

 多田弁護士は、裁判官として家庭裁判所で少年事件を担当し、89年に弁護士を開業。 愛知県弁護士会子どもの権利特別委員会委員長や、NPO法人全国不登校新聞社代表理事、N
PO法人「子どもの虐待防止ネットワークあいち(CAPNA)」、NPO法人「子どもセンターパオ」を主催、南山大学法科大学院教授も務めています。

 「子どもの虐待防止ネットワークあいち(CAPNA)」は、65人の弁護士が参加し、ボランティアで活動していて、児童相談所等とも協力して、さまざまな虐待ケースへの対応を
進めていて、市民のNPO活動による行政との協働、ネットワークを構築しています。

 子どものシェルターNPO法人「子どもセンターパオ」は、虐待、傷ついて居場所を見失い不安な子どもに、体と心をゆっくり回復して安心してから考えることができる居場所を作っ
ています。
 大人がパートナーとなってお付き合いする子どものシェルターです。

 多田弁護士自身も現在、14歳の女の子のパートナーとなっていて、講演中にも、いつその子から携帯に電話があるか分からないので、携帯を手放せないと言っていました。
 
 多田弁護士は、子どものパートナーという立場で次の3つのことを強調していました。

@ 子どもを援助する立場で支える。指導する立場ではない。子どもを肯定的に認める。
A 「子どものことは子どもから学ぶ」という相関関係を大切にしたい。
B 子どもに関わっているプロセスを大事にしたい。むずかしいが、できれば楽しみながら関わりたい。子どもの話を聴き、子どもが何を必要としているのか、全部理解できなくとも少
しは理解できるということを相手に伝えていきたい。

 不登校や引きこもりというのは、子どもたちが痛めつけられた心を表現しているのであって、ありのままの姿を認めながら、同じ地平に立って理解しようと努力することを、私たちに
いっしょうけんめいにお話ししてくださいました。

 今の競争社会に縮図である学校で傷ついたり疲れてしまって、不登校は、学校から離れてからだと心を休めたり、自分に合った学びの場を探し求める過程でもあります。

 学校に義務的に行かせるのではなく、自分らしく生きるための必要な場所を探して、子どもがみずから参加したいと思う場を選んでいく、その過程を認めなければ何も始まらないとい
うことではないでしょうか。

 もっとも、こうして文章にしてしまうと“きれいごと”に思えてしまうのですが、実際にそうした子どもたちと向き合うのは容易なことではありません。

 でも命がけでそうした活動を行ってきた多田弁護士や、私たちの身近なところにもそういう活動を続けている人たちがたくさんいるのだということを改めて知らされ、私の心もあった
かくなりました。


2008年10月 3日 (金)
新市の議員定数「34」という案



 1市3町合併協議会で、合併後の議会の定数などについては「議会間の協議に委ねる」ことになって、4市町の議会から2名の代表者が出て話し合いをしてきた。

 私はそもそも、議員の利害に直結する問題について、議員同士の話し合い調整に委ねること自体がナンセンスだと思う。
 本来は、議員を除外した場においてまず話し合うべきだが、合併を進めるのに、議会という最大の圧力団体をなおざりにはできないので、その意向を最大限に尊重するシステムになっ
ている。

 10月2日、急遽、久喜市議会の各派代表者会議が開かれ、4市町間の議会代表者の合意結果が発表された。

1.議員の定数の取扱いについて
  地方自治法第91条第7項に規定する新市の設置に伴う議会議員の定数(合併後初めて行う選挙による議員の定数)は、34人とする。
  なお、議員の定数については、新市の議会において適宜検討をする。
2.議員の任期の取扱いについて
   市町村の合併の特例等に関する法律第8条第1項に規定する定数特例及び同法第9条第1項第1号に規定する在任特例については、適用しない。
3.選挙区について
 公職選挙法第15条第6項に規定する選挙区については、設置しない。

 要するにこういうことだ。

 合併後の議会の定数は34名とするが、合併後の議会で定数削減を検討する。
 「任期の特例は使わない」ということは、合併と同時に現在の議員は全部辞職(失職)し、ただちに選挙を実施する。
 その選挙は新市の全市1区とし、旧市町ごとに定数を決めて選挙するというような「選挙区の特例」は使わない。

 現在の1市3町の議員は、久喜市22、菖蒲町12、栗橋町16、鷲宮町12で全部で62名で、それを34に減らすのだから大幅削減のように見える。

 しかし実は、「34」というのは、地方自治法で、人口20万以下の市に認められた「最大」の定数枠だ。

 実際には、県内で人口20万以下の市の議員定数は24とか26だ。

 人口20万を超える市でも30〜36であって、人口15万の新・久喜市が「34」というのはいかにも多い。

 さすがに“これではまずい、市民の理解を得られない”と思ったか、合併後にさらに検討するという文章を付けたのだが、検討した後に減らすというのは4年も先になるわけで、それ
で市民は納得するだろうか。

 ところで、市民のもう一つの関心事である、新市の議員の報酬については、合併協議会の中の議員を除いた「小委員会」で検討しているが、県内の人口10〜20万の「同規模市」の
議員報酬の平均に合わせるのではないかと見られている。

 そうなると、現在の久喜市の議員報酬は36万円だが、一挙に45万くらいにまで引き上げることになるだろうか。

 議員定数は県内同規模市の平均を大幅に超える人数にしておいて、報酬は同規模市の平均額に合わせるというのは理屈が合わないだろう。

 「なお、議員の定数については、新市の議会において適宜検討をする」なんてことを言ってみても、とってつけた言い訳みたいではないか。








2008年9月16日 (火)
久喜からはたった1人だけ



 9月8日のブログで、「議員のゴルフ大会が復活」の記事を書いた。

 久喜市議会では松村議員が実行委員会に名を連ねていたのだが、久喜からは2〜3人くらい参加するのかな、と書いた。

 参加申し込みの締め切りは10日となっていたので、事務局に聞いたら、結局、久喜市議会からの新たな参加申し込みは1人もなかったらしい。

 4区の11市議会の“親睦”のためのゴルフ大会だというが、他の議会の人たちは、たった1人で参加している松村氏が久喜市議会を代表していると思って“親睦”するだろうか。






2008年9月15日 (月)
久喜市「平和と人権の集い」



 9月15日、総合文化会館で「平和と人権の集い」が開催された。

 「平和と人権の集い」なんて、どちらかといえば少し暗いマイナーなイベントで、一昨年までは小ホールでもパラパラという感じだったのだが、次第に市民の間に根付いてきたか、去
年は小ホールがほぼ満席になった。

 今年は20回目で、初めて大ホールで開くことになって、実行委員会のみなさんが数か月も前から取り組んできて、満員とまではいかなかったが、途中から参加していただいた市民の
方々も多く、講演の時には5〜600人、のべでは800人以上が参加した。

 小中学生5名の人権作文の発表は例年通りで、今年の新しい取り組みは、会場の全員による『ねがい』の合唱っだ。

 『ねがい』は広島の中学生たちが作詞して、歌い始められ、世界中に広がった平和の歌。

 原曲は4番までだったが、後から後から歌詞が作られ、歌い継がれて、今では世界中から寄せられた詞が、現在では1440番にまで到達した。

 その『ねがい』を、久喜高校音楽部のみなさんの指導で、会場のみんなで声を合わせて歌おうという企画。
 実行委員のみなさんといっしょに、私も壇上に上っていっしょに歌った。

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1.
もしもこの頭上に 落とされたものが
ミサイルではなく 本やノートであったなら
無知や偏見から 解き放たれて
きみは戦うことを やめるだろう

2.
もしもこの地上に 響きあうものが
爆音ではなく 歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに 囚われないで
人は自由の歌を うたうだろう

3.
もしもこの足下に 植えられたものが
地雷ではなく 小麦の種であったなら
飢えや争いに 苦しまないで
共に分かち合って 暮らすだろう

4.
もしもひとつだけ ねがい 叶うならば
戦争捨てて 世界に愛と平和を
このねがい叶うまで 人類(わたしたち)は
歩みつづけることを やめないだろう

     ---------------------------------------------

 その後に、第2部、もとチェッカーズの高杢禎彦さんが「命の大切さ〜ガンが教えてくれた大切なもの〜」と題する講演、さらに、全国骨髄バンク推進連絡協議会会長の大谷貴子さん
と高杢さんの対談と続いた。

 高杢さんは、世界は自分中心に回っているというような仕事も人生も絶好調なときにガンにかかって、生還の可能性の方が少ないといわれて助かったそうで、病気にかかったからこそ
、人生観も変わった、家族や人との接し方も変わって、講演活動でそのことを人に伝え続けているんだという。

 大谷さんも慢性骨髄性白血病で、白血球の型が母親と一致したために、奇跡的に生還し、その後、骨髄バンク設立に飛び回った。

 今日は、大谷さんの知人で、たまたま先週金曜日に骨髄移植の提供者となったばかりという22歳の女性が会場に来ていて、壇上で3人の対談となった。

 その女性は、母親は「本人がやりたいならやりなさい」と言って背中を押してくれたけれど、父親は強く反対したと言う。

 本人は2年前に“献血のついでに20歳の記念”に登録したと話していた。

 今回、脊髄を提供することになったけれど、『自分の脊髄提供で1人の人が助かるんなら』、逆に、『自分がここでやめたらその人は死んじゃうかもしれない』と考えたそうだが、そ
んなに他人のために捧げるとか犠牲になるなんていうような、気負ったところもなく、自然体のとってもすてきな女性だった。



2008年9月 8日 (月)
議員ゴルフ大会が復活



 9月8日、市議会各会派に「4区親睦ゴルフ大会」の案内が配られてきた。

 11月11日(火)にゴルフ大会を開催するので、希望者は申し込むようにという内容で、会場は、栃木県佐野市にある唐沢ゴルフ倶楽部、参加費5000円(パーティ、景品代)、
プレー代11,000円は各自で精算とある。

 参加者は第4区市議会議長会構成市の議員だが、主催は「第4区親睦ゴルフ大会実行委員会」で、実行委員には11市12議員の名前が載っている。

 埼玉県の東部地区11市の議会で第4区市議会議長会を構成していて、以前は議長会の主催で、毎年、ゴルフ大会を開催してきた。

 会長市と事務局は11市議会の持ち回りで、事務局になった市がゴルフ大会の経費も負担し、事務局職員が“お世話・雑用係”として駆り出されていた。

 しかし今どき、ゴルフをやらない議員も多いし、実際に参加する議員はほんの一部であって非常に少ないのが実態だった。

 それで昨年、会長市が久喜市議会に回ってきたので、議長会会長を務めた新井議長が「中止」を決断し、取りやめてしまった。

 他の市議会からは継続してほしいという要望もあったらしいが、今年の会長市になった春日部市が「復活」を決めたということらしい。

 それでも、「親睦」という名目の議員の遊びを、議長会の公的な行事として開催することは、さすがにはばかられると考えたらしく、議長会とは切り離して、「実行委員会」の主催と
なった。

 実行委員会は、第4区市議会議長会構成市の議員にて「任意に構成する」とわざわざ念を入れて書いたのは、“公式行事ではなく、公費も使いません”と先回りして断り書きをしたも
のと思われる。

 しかし「任意」とは言っても、実行委員会の事務局は春日部市議会事務局に置かれている。
 事前の準備や連絡調整、参加者のとりまとめから、当日のお世話・雑用、景品の用意まで、春日部市の職員がやるわけだし、当日も職員は仕事で参加して出張旅費も出さなければなら
ないのだから、やっぱり議員の遊びに税金を使っていいのかという批判は免れない。

 情報交換とか意見交換だったら、そういう目的で会議を開いて集まるべきだし、参加者が一堂に集まるのは開会式と閉会式だけだとしたら全体の親睦になるとも思えない。

 いやそもそも、11市250人の議員の中でいったい何人が参加するだろう。

 22名の久喜市議会でもおそらく2〜3人の参加にすぎないだろうから、4区11市の議会議員の親睦とはほど遠い。

 こんな「親睦ゴルフ大会」をなぜわざわざ復活させなければならないのか、久喜市議会からもあえて実行委員に名乗り出た議員の意図・思惑がよく分からない。

 実行委員の構成は、委員長は春日部市議会の山崎氏、委員として、春日部・竹ノ内、行田・香川、加須・大熊、羽生・蜂須、越谷・原田、八潮・織田、三郷・岡庭、蓮田・長谷部、幸
手・手島、吉川・松崎、久喜からは松村議員の名が書かれている。 





2008年8月30日 (土)
誰も書かない、合併協議会(新市の名称)



 8月28日に、1市3町の第4回合併協議会が開かれて、“新市の名称と市役所の位置”について協議が行われたので、傍聴してきた。

 この問題は2004年の合併協議の際にも注目を集め、結果的に投票によって「桜宮市」となって、市民の反発を招き、住民投票で反対多数で合併そのものが破綻する一因となった。

 今回は田中市長が早くから「名称は久喜市、新市の位置は久喜市」と主張していて、他の3町の町長や議会の中などでも事実上、「やむを得ない」という空気になっていたのは確かだ


 それでも6月の協議会で正式に名称と市役所の位置が議題にかかったが、委員の中から「慎重審議」を求める意見が多く出て、今回まで継続審議とされていた。

 ただし、この経過にはシナリオがあったというのが大方の見方ではある。

 6月の協議会に、「調整方針」として「市名は久喜市、市役所の位置は久喜市」という提案がなされて、意見を求めた際に、鷲宮、栗橋、菖蒲の“市民代表”として選出されている3
人の委員が次々と立って「慎重審議、継続協議」にするように求める発言をしたのだが、これが、ほとんど前もって用意した原稿を読むという形でも発言だったという。

 私はその日は傍聴できなかったのですが、傍聴者から聞いたところ、「前もって示し合わせたかのよう」で、継続協議にすることがあらかじめ決まっていたのだろうという感想である


 各市町の住民の中からも新市名についてはいろいろな意見があるはずだ。

 合併協議会の委員の方々が「原案通り、それでいい」と考えていたとしても、提案された日にいきなり意見もなく提案通りに決定してしまったのでは、後で住民から反発が出るかも知
れない。だからいったんは継続審議にしておいて、“慎重に検討した結果で決まったんだという形式を作っておきたい”と考えたとしても無理はない。

 傍聴の住民からもそれを見透かしたかのように次のような意見が寄せられていた。
 「市名称等に関し、パフォーマンスだけの慎重審議要求の発言は聞き苦しい。市の名称及び市の事務所の決議事項に関しては、申し合わせたかのように、3町の委員が慎重審議を要請
していたが、、傍聴する私には、彼ら委員からは町政を代弁する熱意が伝わってこなかった。『自分はどっちでもいいのだが、背景には町民が疑問に感じているから声に出しておけば、
どちらにころんでも文句が出ず自分には有利だろう』との打算さが感じられ、たいへん聞きづらかった。…以下、略…」と。

 第4回目の会議では、市名の決定について、栗橋、久喜、鷲宮の市民選出の委員3人が発言し、いずれもが「久喜市」の名称に賛成の意見を述べた。
 少なくともその内の2人は原稿を用意して(もう一人は座って発言したので原稿があったかどうかよく見えなかった)、かなり長い賛成理由をとうとうと述べたのであった。

 趣旨は要するに、「周りの人たちにも意見を聞いてみたが、賛成という人もいたが、必ずしも賛成でなくても『やむをえない』という人が多かった」「県内で合併した市を見ると、新市
の名称は中心の市の名前を付けたところが多い」「戦後に鷲宮町と桜田村が合併するときに、名称は鷲宮町とし、郡は北葛飾郡とした。譲り合いが必要である」「昭和の大合併で久喜町、
江面村、清久村、太田村と、鷲宮町の合併協議が進んだが、その時は名称が久喜市になるということで鷲宮が離脱した。あの時に合併しておけば…」というようなものであった。

 ついでに市役所の位置についての賛成理由は「現在の久喜市役所がほぼ新市の中心である」というものであった。

 採決の結果、名称も市役所の位置も、原案通り、「久喜市」で決定した。全員賛成であった。

 傍聴席の中からは、「いいわけみたいなことをいわなくても、素直に“やむを得ないから賛成”でいいのに」というような感想が漏れていた。

 なお、合併協議会のホームページを探してみたのだが、第2回合併協議会の議事録が、2か月経つのにいまだに掲載されていないのはどういうわけだろう。

 会議の傍聴ができなかった人は、わざわざ合併協議会の事務局へ行って、1枚10円のコピー代を支払ってでないと、議事録の確認すらもできないのだろうか。




2008年8月24日 (日)
参考人制度を使う



 8月11日の第12回活性化対策特別委員会で、活性化課題の実質的な審査は終了したのだが、実はこの日、久喜市議会としては画期的なことがあった。

 それは委員会審査における参考人の招致と意見陳述である。

 久喜市議会ではおそらくは初めての取り組みであったと思う。

 地方自治法109条に、委員会が公聴会を開いて利害関係者や学識経験者の意見を聞いたり、参考人を招致して意見陳述をさせることができるという規程があるのだが、実際には久喜
市議会ではこれらの規程は使われたことがなかった。

 請願や陳情に関して提出者の意見を聞くとか、公聴会や参考人の意見を聞くことが有益であるのは確かだが、行政当局の意見を聞くことはあっても、特に市民や関係者を呼んで意見を
聞くということはやってこなかった。

 なぜこれらの制度を活用してこなかったか、それは現実の委員会審査の中で、これまで、委員から特に「参考人を呼ぼう」というような提案がなかったからというしかない。

 一般論としては、たとえば今回の活性化検討課題の中にも、「参考人制度の活用」が提案されてはいるのだが、委員会の結論は、「制度としてあるのだから、委員会で協議して活用す
る」ということである。

 委員会で請願や陳情、あるいは議案の審査をするにあたって、たとえば「参考人の意見を聞く必要がある」と考える委員がそのような提案をし、委員会の審査方針として参考人の招致
を決めるという手続きが必要であって、その意味でこれらの制度を活用するかどうかは、個々の委員と委員会の考え方次第ということになる。

 積極的に公聴会や参考人制度の活用をして、審査を深めようという姿勢を、委員の一人一人が持つことが必要なのだ。

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 今回の参考人の招致の経過は次のようである。

 活性化対策特別委員会に6月に、市民団体である“未来工房・ハッピー久喜”から「活性化に関する要望書」が提出されて、この要望書をどのように扱うかについて、7月の第11回
活性化委員会で協議した。

 その場で、委員の一人である石川委員から「代表者を参考人として招致して意見を聞きたい」という提案がなされて、委員会全体の合意で、ハッピー久喜の代表者である後上民子氏を
参考人として招致することが決まった。

 8月11日、第12回委員会のすべての審査が終了した後で、後上氏に意見陳述をしてもらい、複数の委員からの質疑に後上氏が答える、最後に「活性化をさらに進めてほしい」とい
う要望があって、久喜市議会初めての参考人の意見陳述は終わった。



2008年8月23日 (土)
場外舟券売り場に対する懸念は消えない



 栗橋町に開設予定の「ボートピア」、場外舟券売り場について、設置業者からの申請書、町から業者に対する要望事項と回答、町との協定書などを情報公開請求して、8月22日にそ
れらの公文書のいくつかが公開され、写しを「交付」された。

 場外舟券売り場の開設を最終的に受け入れたのは、今年7月23日、栗橋町と埼玉県都市競艇組合で締結された「(仮称)ボートピア栗橋開設に関する協定書」によってである。

 協定書は全9条からなり、地元対策と環境整備協力費の取り決めが主な内容である。

 「地元対策」は、ボートピア栗橋の従業員の雇用に際しては、栗橋町の住民を優先雇用すること、施設運営に際しては、栗橋町の地元業者の活用に努めること、それに対して「栗橋町
がボートピア栗橋の事業が円滑に実施されるよう協力するものとする」と明記されている。

 つまりこれによって、栗橋町行政が場外舟券売り場の事業に協力する義務を負わされたことになる。

 「環境整備協力費」として、埼玉県都市競艇組合が、舟券売上金額の1%を栗橋町に支払うことも規定された。

 場外舟券売り場の開設企業である「岡部コントリビューションパーク」に対する栗橋町からの要望書、それに対する回答の一覧表は次のような構成になっている。

1.環境整備協力費
2.青少年健全育成対策
3.防犯対策
4.交通対策
5.ごみ・廃棄物に対する対応
6.地元経済の活性化
7.障害者・高齢者への配慮
8.地元要望、苦情および周辺整備等への対応

 青少年健全育成対策や防犯対策、交通対策は、場外舟券売り場の開設に伴って、未成年者や学生生徒が場外舟券売り場に入場しないように取り締まることや、施設内外に警備員を配置
し、さらに警察と協力して防犯対策に万全を期すること、暴力団の入場防止対策を講じること、周辺の交通渋滞や違法駐車対策、迂回等による事故発生に対しての対策を立てることなど
が規定されている。

 これは、場外舟券売り場が、最初から、青少年への悪影響や犯罪発生を予想して対策を講じなければならないような、そういう施設であるということをみずから認めているに等しい。

 周辺住民も、そのことを最も心配し懸念している。

 それらの懸念に対する新たな対策として、駅から送迎バスを運行することと、国道4号線東側の場外舟券売り場から駅方面へ向かうために4号線の下に歩行者用隧道を設置することが
盛り込まれてもいる。

 私は先のブログで、場外舟券売り場から4号線を通って南栗橋駅へ至る道が“オケラ街道”と化すのではないか、その場合、県内の他の公営ギャンブル施設の駅周辺と同様に住民の安
全が損なわれることを心配すると書いた。

 オケラ街道というのは、ギャンブルで有り金全部すってしまって帰りの交通費さえなくしてしまった人たちが、肩を落とし、あるいは酒の酔いで紛らわせながら、ぞろぞろと列をなし
て歩いて帰る、何となくもの悲しい道筋を表した言葉だ。

 これらの心配は、送迎バスや歩行者用隧道によって解消されるだろうか。

 今度は送迎バスが着いた南栗橋駅のことが心配になってくるではないか。

 その他、栗橋町からの要望事項は、町民の優先雇用、納入物品や業務委託は町内企業の優先活用、施設建設や駐車場整備の地元業者への発注、場内害の清掃や管理等の業務委託は栗橋
町高齢者事業団を活用することなど、地元業者の活用を「お願いする」のが中心になっている。

 さて、こんな内容の協定書で、ギャンブル施設を簡単に受け入れちゃって、いいのかなあ。

 この施設の開設そのものが、町民をギャンブルに引き入れようとしてるってことに、そして町民のお金をギャンブルに吸い上げようとしているってことについては、無関心でいいのか
なあ。



2008年8月13日 (水)
市議会活性化委員会の多数決



 久喜市議会活性化対策特別委員会で、各会派から提案されていた62項目の活性化課題についての実質的な審査が終了した。

 決定した全部の項目と、それぞれの項目に対して各会派がどんな対応を取ったかについては、私のホームページに掲載してあるので、ご覧いただきたい。

 決定した課題は39項目である。

 これは第1期の活性化検討委員会の合意事項が58項目中14項目、第2期活性化検討委員会の合意事項が64項目中11であったのに比較してたいへん多い。

 久喜市議会の活性化を推進しようという意思が高まっていて、各会派がお互いに合意を得ようとする努力をしてきた結果として評価したい。

 今回の決定事項39の内、全会派の合意は23、残りの16項目は採決による多数決によった。

 決定した活性化課題、いずれも大切な課題が多いのだが、それらの中でも特に大きな成果が、私は3つあると思う。

 「議会基本条例の制定」を決定したことと、予算常任委員会、決算常任委員会を設置することになったこと、議会のインターネット中継の実現を決めたことであると言えよう。

 議会基本条例は、全国の多くの自治体で「議会の最高規範」として策定が進んでいて、議会と議員の役割、行政との二元代表制のあり方、市民参加について規定する、議会と議員の行
動基準を定めるものである。

 予算委員会は、国会審議でおなじみだが、久喜市の予算を一体的に審査する場であり、予算審議を充実させることになると思う。

 議会のインターネット中継は、言うまでもなく、議会審議を実況中継でも録画中継でも、市民がいつでもどこでも、インターネット環境さえあれば見ることができるようになり、議会
の公開性を飛躍的に高めることになる。

 ただ、残念なことは、この3つの課題ともが「多数決」で決定されたことである。

 3人の議員が、この3つの課題のいずれもに反対したのだったが、この3つの課題に「反対」する議員がいるということが、私には信じられないのだ。



2008年8月12日 (火)
子育て中の母親のバリアフリー



 8月11日、久喜市議会活性化対策特別委員会が開かれた。

 前回まででほとんどの活性化課題について協議を終え、実質的にこの日が最終的な協議になったのだが、開会してすぐに角田委員が発言を求めた。

 角田さんは「委員長は、委員会で自由な発言がしやすいような環境を作ってほしい」と言う。

 これまで私は委員長として約1年間進めてきて、委員の発言をさせなかったり、途中で打ち切ったりするようなやり方は取ってきていない。

 当然のことながら、各委員から発言を求め、徹底的に議論し、その上で「合意」を求める手法をとってきた。

 6月までで一応すべての項目について審査を終えて、全員の合意が得られなかった項目について、7月の委員会ではじめて採決による決定という方法をとったのだが、意見が出尽くす
まで待って、「採決を求める動議」が出てもなお、『他に意見はありませんね。では採決に移ってよろしいですか』と諮った上で採決に入った。

 したがって委員からは採決を取ることについて異議は出なかったし、委員から「採決は待ってほしい」という声が出たいくつかの項目については、その場では採決を取らずに次回に回
した。

 これほどていねいなやり方を取って、委員の発言を保障してきたのにもかかわらず、なぜ角田さんが今さら、そのような要求をするのか理解に苦しんだので、『どういう意味ですか』
と聞いてみた。

 角田さんの説明によると、
 私(猪股委員長)がホームページに委員会での角田さんの発言について書いたことが“委員会での自由な発言”を妨害しているということらしい。

 その発言の記事はこれだ。

 もしも発言の事実と間違った文章が書かれていたり、趣旨を違えて書かれたりしたのなら、「この部分が違うから削除、あるいは訂正してほしい」と具体的に指摘して要求すればいい
はずだが、この日以前にも、この日の委員会の中でも閉会後にも、そのような指摘も訂正要求もなかった。

 ということは間違っていないということなのだが、それならなぜあんな発言をしたか。
 発言の真実を書かれてしまうと、この先、ホンネを言えなくなってしまうということだろう。

 待てよ。
 角田さんのあの発言は失言だったのだろうか、ホンネだったのだろうか。

     ---------------------------------------------------
 7月11日の委員会における、角田さんの発言を正確にここに再現しておこう。

「先ほど、インターネット中継が多数で可決されましたが、そうすると、この託児室の設置というのは、子育て中のお母さんに対する思いやりというのはわかるのですが、その状態の時
にはインターネット中継でがまんしていただきたいという思いがありますけれども、どうなのでしょうか。」
「何か、同じ女性としてひっかかるものがあります。子育て中のお母さんが議会を傍聴したいという思いがあるというのはわかります。どんなことが議会で行われているのか知りたい、
聞きたい、見たい、でもある程度、子育ての機関は決まっていますから、その期間はがまんするというのも大事ではないかと思います。
 また、委員会の部屋を託児室として開放するということになりますと、何かあったときにどうするのだ。だれが責任を取るのかという話にもなります。それはすごく余計な心配かもし
れませんが、そういう思いもありますので、どうなんでしょうかね。」
     ---------------------------------------------------

 やっぱりどう読んでも、“子ども連れの母親は議会の傍聴をするべきじゃない、ましてや子どもを預けてするべきじゃない、子育ての間は議会の傍聴くらいできなくても仕方がないん
だ、がまんすべきだ”と言ってるわけだ。

 私には、この発言が、女性の側からなされたことがショックでさえある。

 子育て中の母親(父親もだ)が自由に社会参加できるように環境を整えるのも子育て支援だと思う。

 保育園の整備はもちろん、久喜市でも延長保育、一時保育、病後時保育を整備してきた。
 最近では、母親たちが集まるさまざまな集まりに主催者が保育室を用意することも多い。

 親たちが議会で関心のある事柄が審議されるときに、みんなで実際に審議の現場を見てみたい、親たちが交代で子どもを見ているから場所だけでも貸してほしい、それもバリアフリー
の一つではないか。








2008年7月31日 (木)
近隣への賭博場開設に反対します



 今年度中に栗橋町に開設される予定の場外舟券売り場=大ギャンブル場の建設に反対する。

(1)場外舟券売り場はレジャーとか、「庶民の遊び」などといえる代物ではなく、一攫千金を狙って純粋に賭け事のためだけの場である。
 つまり賭博場であり、純粋なギャンブル施設以外の何ものでもない。

 賭博=ギャンブル場は、究極の貧困ビジネスであり、貧困者をますます貧困に陥れる貧困化産業に他ならない。

 そのような貧困ビジネス・貧困化産業を、私たちの身近に開設させることに反対する。

(2)県内では、深谷市のボートピア岡部、大宮競輪、戸田ボートなどがギャンブル場として有名だが、私たちの身近な場所にボートピアを開設する狙いは、いうまでもなく、栗橋近隣
(十数キロ圏内)の住民をターゲットとしてギャンブルの顧客を増やすことにあるといわざるをえない。

 つまり、近隣住民をギャンブルに引き入れ、賭博に興じる人口を増やし、搾取の対象として新たな住民を獲得しようとすることにある。

 したがって、私たちの身近な市民を賭博に引き入れ、搾取しようとする場外舟券売り場を、栗橋町(合併すれば「新・久喜市」の一部となる)に開設することに反対する。

(3)ボートピア栗橋の最寄り駅は南栗橋駅となる。

 ボートピアには750台分の駐車場を計画しているが、多くの客は南栗橋駅を利用することになると思われる。

 他の多くのギャンブル場と同じように、客のほとんどは損をすることが自明である。

 持ち金をスッテしまった人々によって、ボートピアから国道4号線を通って南栗橋駅に通じる道は“オケラ街道”と化すのではないか。

 南栗橋駅と済生会病院周辺の住宅地がどのような状態に陥るか。

 ボートピア建設予定地そのものは工業地域であり、住民や児童生徒の生活地域とは隔絶された場所であるとされているが、南栗橋駅周辺の道は生活地域である。

 大宮競輪場からの帰り道(通称オケラ街道)の荒れ方、治安に対する不安はよく知られている。

(4)ギャンブルのアガリの一部が地元自治体に納付されることになっていて、財政に寄与するとされているが、近隣住民を含む市民・庶民・貧困者から吸い上げた金を行政に活用でき
るからという“メリット”をことさらに強調するのは、ギャンブル肯定論であり、ギャンブル振興論につながる。

 青少年に対しても、ギャンブルを肯定させることになり、教育上の害ははかりしれない。

 よって私は、貧困者と市民への搾取以外の何ものでもないギャンブル施設そのものに対して反対し、賭博場そのものであるボートピア栗橋の開設に反対する。






ギャンブル場ができる



 栗橋町に「ボートピア」が建設されるらしいという話は以前から聞いていたが、うかつにも正式に決まったとは知らなかった。

 栗橋町の「広報くりはし」1月号に経過が掲載されている。

 「ボートピア」とは、競艇の場外舟券売場のことで、競艇場まで行かないでも舟券を買うことができる施設である。

 競馬場とかボートレース場なら、馬が好きだとか、レースそのものを楽しみたいとかいう人もいるらしいが、場外舟券売売り場は舟券を買って(当たれば)払い戻しを受けるだけの、
いわば純粋なギャンブル場である。

 競艇の施行者は、県内では戸田競艇組合、埼玉県都市競艇組合などであり、開設すれば、施行者から町に対して、ボートピアで発売された売上の1・0%が、「環境整備協力費」とし
て納入される。

 「ショバ代」であり迷惑料でもあるが、財政難の自治体にとっては、金と引き替えに、少々の周辺環境の悪化や青少年への影響などは目をつむることになる。
 
 設置は、国土交通大臣の許可だが、地元自治会の同意、町議会の反対がないこと、町長が同意することが許可の必須条件となっているという。
 
 昨年の7月に、深谷市で「ボートピア岡部」を開設しているのと同じ業者から、場外発売場の設置について、町長同意を求める文書が栗橋町に提出され、町と地元自治会、業者の間で
話し合いを進め、昨年12月18日に「町長同意をすることになった」という。

 その後、行政協定を締結しているはずだが、それがどのようなものかは、私はまだ把握していない。

 確かに、栗橋町が一自治体として「ボートピア」の設置を受け入れる決断をしたことについては、いわば“栗橋町の勝手”ではある。

 しかし昨年の12月といえば、久喜市との合併が煮詰まってきていた時期である。
 そうした時期に、栗橋町単独で「受け入れ」を決めてしまったというのは、信義を裏切ることにはならないか。

 それとも、このブログに対して、栗橋町は、“内政干渉で余計なお世話だ”と言うだろうか。

 ボートピアの開設は2008年度末、つまり合併前にオープンしてしまうのだから、ギャンブル施設の開設や周辺環境への影響について栗橋町以外から何も言えないで、このまま合併
すれば、久喜市はそのギャンブル施設をもいっしょに抱え込まなくてはならないことになるのだ。

 まるで栗橋町は、合併のどさくさ、駆け込みでギャンブル場の受け入れを認めてまったようにさえ見えるではないか。

 久喜市長はこのことを、どの程度知っていたのか、…知らないはずはあるまい。

 久喜市長は、栗橋町にギャンブル場が設置されて、合併すれば久喜市がこれを抱え込まなければならないことについて、どんな認識でいたのだろうか。

 久喜市長は、“栗橋町が独立した自治体として判断したんだから、外部からとやかく言うことではない”と言うだろうか。

 あるいは久喜市長も、わずかでも財政の助けになるなら、ギャンブル場くらい受け入れてもいいという考えなのだろうか。

 合併協議の中で、このギャンブル場の設置については、何らかの協議の対象になるのだろうか。



2008年7月25日 (金)
合併アンケートの意味するもの



 7月23日に開かれた第3回合併協議会に、住民アンケートの集計結果が報告された。

 6月16日に、4市町の住民15万人の中から、対象者を無作為抽出して13500人を対象にアンケート用紙を発送し、26日までに返送してもらう方法で調査した。

 期間が短かったことともあって、回答は5686人、42%で半数に満たない。

 しかしそれ以上に、受け取った人からは、質問項目が非常にわかりにくい、回答の選択肢も非常にわかりにくい、しっくり来るものがなくて選びにくいという意見が出ていた。
 これでどのように合併協議に生かしていけるのだろうか。

 市町ごとの調査数、回答数、回答率は以下の通りである。
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         調査数   回答数   回答率(%)
  久 喜 市  6000   2257   37.6
  菖 蒲 町  2000    912   45.6
  栗 橋 町  2500   1140   45.6
  鷲 宮 町  3000   1369   45.6
  合  計  13500   5686   42.1 
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 菖蒲、栗橋、鷲宮の回答率が45%なのに、久喜市だけが37.6%と異常に低いのはなぜだろうか。

 合併に対して、久喜市の市民の関心が低いということを意味するのだが、それはなぜなのかを真剣に考えてみる必要がある。

 それは多くの久喜市民にとって、今回の合併が、受け身で積極的な関心を引き起こすものではない、合併後の新市のありようや生活に対して期待が持てないということを意味するので
はないか。

 他の町の住民にとっては、久喜市と合併することによって生活がよくなる(かもしれない)という期待感を抱かせることにある程度成功しているのかもしれないが、一方で、久喜市民
にとっては、合併で「よくなる」という期待を抱けないでいる、とまどいと不安と不信…。

 とすれば、政治は、合併協議を通じて、その不安と不信を解消しなければならない責任を負わされることになる。

 さて、回答率を見ていて、不思議なことに気がついた。

 菖蒲町、栗橋町、鷲宮町の回答率が、いずれも「45.6%」とはどういうことだ!?

 自分で計算してみると、鷲宮町だけは「45.6333…」であるが、それにしても、回答率がぴったり同じになるというのは、不思議としかいいようがない。

 まさか、だれかが調査結果を操作するのだったら逆に数字はバラバラにするだろうから、作為はないとして、おそらく偶然の一致なのだろうが…。


2008年7月20日 (日)
今どきの衛生議会研修視察事情



 7月14日、15日と、久喜宮代衛生組合議会で福島県・山形県へ視察研修にでかけた。
 14日の朝8時に出発して、東北道と磐越道を通って福島県小野町へ。
 第1の目的地は、久喜宮代のごみ、焼却灰の最終処分場、小野ウェイスト・パーク到着が11時頃で、1時間くらいの視察。
 途中で昼食を取ってから、第2の目的地は小野町に隣接する三春町にある、田村西部環境センターのごみ焼却施設。視察時間は2時間余。
 再び磐越自動車道から東北道を通って、この日の宿泊は飯坂温泉。
 15日の朝、栗子トンネルを通って山形県側に出て、第3の目的地、米沢市などの広域ごみ処理施設、千代田クリーンセンターへ。視察時間は2時間。
 米沢市内で昼食を取って、上杉神社を“参拝”、土産を買って、再び奥羽山脈を越え、福島飯坂ICから東北道を通って、午後6時頃に帰着した。

視察研修報告はこちらへ

 参加者は、久喜宮代衛生組合議会の議員13名(久喜市7名、宮代町6名)、正副管理者(久喜市長と宮代町長)、事務局職員3名が随行した。

 衛生組合の場合、視察の交通手段はいつもバスである。
 これは、バスの方が安上がりということもあるが、鉄道では20人がいっしょに行動するのはたいへんだし、衛生組合の視察地のほとんどは市街地から離れたところにあるごみ処理施
設ということで、今回も25人乗りのマイクロバスでの移動だ。
 2日間で12時間もバスの狭い座席に縛りつけられていたことになる。とっても疲れた。(シートベルトも義務化されたし…)。

 今どき、久喜市議会の委員会視察ではほとんどビジネスホテルに泊まるのだが、この衛生組合の視察は毎年、温泉ホテルである。
 今回は福島県・飯坂温泉で、夜は夕食を兼ねての“懇親会”だった。

 もちろん、参加者は「懇親会」費用として5000円、14日と15日の昼食代として3000円を自己負担していて、税金で飲み食いしているわけではないのだが、それにしても温
泉ホテルでの宴会というのは、もうそろそろ考えなおさなければいけないだろう。

 私の個人的な好みとしては、ビジネスホテルの壁に囲まれた狭いベッドというのはほとんど寝られなくって息が詰まる。温泉大浴場や露天風呂のあるホテルの方が体が休まるが…。

 ところで、田中市長は「公務多忙」ということで、14日の視察は不参加で、夜の宴会に間に合うように、市長車でホテルに直行した。
 翌日は、午前中の視察地まではいっしょに行ったのだが、公務があるということで、10時40分頃に、一人だけ視察を切り上げて帰って行った。

 結局、田中市長は2日間の内、視察に参加したのは40分間だけだったわけで、いったい何のためにわざわざ久喜から市長車で来て、ホテルに宿泊しなければならなかったのか、これ
で視察に参加したといえるのか、ちょっと疑問だ。
 もしかしたら、議員との「懇親会」に出ることが目的だったのか。

 これまでの視察でも、田中市長は一人でホテルに直行して、翌日午前中の視察だけ参加して帰るとか、あるいは1日目の夕方の視察地で合流して、翌日の朝には一人でホテルから帰る
とかという行動が多い。多忙なのはわかるが、それでも宿泊地まで来る必要があるのか。市長車のガソリン代や高速料金、宿泊費がもったいないような気もする。運転手の手当はどうな
っているのだろうか。

 さて、議会で視察に行くと、よく神社や古刹、観光地を訪れたりする。
 たいていは訪れた先の市が気を遣って、地元の観光スポットを案内してくれるのだが、これは相手市の方で、観光地を宣伝したい、帰ってからまわりに宣伝してほしいという思惑もあ
るようだ。

 しかし今回は、最初に渡された行程表に「上杉神社(参拝)」と書かれていたので、ちょっとビックリした。
 公式な視察が終わって、昼食後の自由時間などに神社に行ったりすること自体は、たいして問題になるとは思わない。
 しかし、行政や議会の日程に“神社参拝”と書くというのは、厳密にいえば政教分離に反するのではないか。
 それに、議員の中には信仰上の問題で神社に“参拝”したくない人もいるわけで、せめて歴史的史跡としての上杉神社の“見学”くらいにしておけばよかったんじゃないか。

 私はどこの神社やお寺でも“参拝”はしないので、ここでも拝殿の前まで行ってから、周辺の上杉鷹山や上杉謙信の像などを見てきた。


2008年7月11日 (金)
「議会だより」の原稿は誰が作る?



 今日(11日)午前中に、久喜市議会広報委員会が開かれた。
 広報委員会は各会派から1人ずつの委員が出て、その役割は市議会の「議会だより」の編集とホームページの管理である。

 といっても実際には、いずれも議会事務局が編集し原稿も作って、委員会はそれらを確認するくらいである。
 他の議会では、すべて議員が編集したり、原稿も議員みずからが書いているところも出てきているが、久喜市議会はまだそこまではいかない。

 市議会活性化委員会で、活性化項目の一つに、「議会だよりに掲載する一般質問の原稿は、それぞれ質問した議員本人が作成する」というのが提案された。

 これまでずっと事務局にすべておまかせだったことからして無責任だったと思うし、また、事務局の職員が原稿を作るとどうしても当たりさわりのない文章になって、本当に言いたか
ったことが抜け落ちてしまったりしたこともあるので、質問した議員本人が書くというのはいいことだ。
 私たちも賛成して、4月の委員会の協議で全員が合意して決定した。

 この6月議会の「議会だより」から適用することになった。

 6月議会で一般質問に立ったのは21人。

 その内、自分で原稿を作成して提出したのは、大地の5人(猪股、石川、春山、矢野、川辺)、共産党の2人(木村、渡辺)、改進の岸、無会派の鈴木(精)の9人に過ぎなかった。

 その他の、新政議員団の6人、公明党の3人、改進の井上、無会派の松村、鈴木(松)議員は、今まで通りに事務局におまかせだったという。

 私は編集委員会終了後にそれを聞いたのだが、「エッ、なんで?!」と思ったものだ。

 そもそも「原稿は議員が作成する」という活性化検討項目は、公明党と改進、無会派の「3グループ」の共同提案だった。

 それを受けて全員で合意したのだったが、提案した側の「3グループ」の公明党の3人、改進の井上、無会派の松村、鈴木議員が、やっぱり自分では作成しないで事務局に作ってもら
ったというのはどういうことか。

 活性化委員会では3グループから出ている角田、松村、岸議員が「原稿は自分で書くべき」と主張していたわけだが、実際にはその中で自分で書いたのが岸議員だけだったとはどうい
うことか。
 言行不一致としか言いようがないではないか。

 もしかしたら、「3グループ」共同提案としていたが、本当は「3グループ」の中の8人ですらまとまっていなかったということか。

 ちなみに、「広報委員会」は、正副議長を含めて7名で構成しているが、その内、自分で書いたのは石川(副議長)、川辺、渡辺の3人だけで、委員長の戸ヶ崎、副委員長の井上、岡
崎は事務局おまかせだったことになる。

 広報委員会の委員さんたちこそ率先垂範すべきだったと思うのだがどうだろう。



子育て中の女性は傍聴に来るなっていうの!?



 7月11日午後から久喜市議会活性化対策特別委員会が開かれた。
 その審議内容と結果については別のページで報告したいと思っているが、ここではどうしても看過できない発言について書いておく。

 大地が、市民の傍聴の促進とさらに傍聴しやすい環境を整えるために、「託児室の設置」を提案した。

 子育て中のお母さん(もちろんお父さんも)が議会を傍聴したい場合に、子どもを連れて来なければならない場合がある。
 子どもを連れて傍聴席に入って、子どもがむずかったりじっとしていられなくて少々うるさいこともよくある。
 あまりうるさくて審議の妨げになりそうな場合、仕方なく親が子どもを連れて外に出ざるをえなくなることもある。

 イベントなどで、子育て中の母親が多く参加すると予想される場合、「保育室」を用意するのが普通になりつつある。

 議会では将来的にインターネット中継が行われるとしても、直接、傍聴席で実際のやりとりを見るのと、カメラを通して小さい画面で見るのとではやっぱり違う。

 東京都議会などでは、子ども連れの親たちがグループで傍聴するとき、議会棟内にある談話室を「託児室」として解放し、グループの親が分担して子どもを見ていて、他の親たちが傍
聴できるようにしている。

 久喜市議会でも、子育て中の親を支援するために、団体などからの事前の申し込みに応じて、市役所5階の委員会室を「託児室」として使わせてあげる、ただし保育はグループで責任
を持つ、という形にしてはどうかと提案した。 

 これに対して、まさか反対論が出るとは思わなかった。

 公明党の角田議員が何と発言したか。
 「本会議をインターネット中継することが決定された。子育て中のお母さんはインターネット中継でガマンしてもらう」
 「託児室を設けるのは女性としてひっかかる。傍聴したいのはわかるが、子育て期間はガマンしてもらうことが大事だ」と堂々と自説を展開したのだ。

 これは、『小さい子供を持っている女性は社会活動への参加を控えるべきだ、議会傍聴も遠慮するべきだ』と言っているに等しくないか。

 これが角田議員のホンネか。
 公明党の考え方はこういうことだと理解していいのか?


2008年7月10日 (木)
“クールアースデー”って…



 7月7日、洞爺湖サミット開会日、「クールアースデー」とやらがはたしてどれくらいの規模で取り組まれたのか、よく分からない。

 翌日の新聞は、当然のことながらサミット開会の記事で埋められて、「クールアースデー」については、どこそこの施設でライトアップが消されたとか、何千本のろうそくの火をとも
したとかの記事がいくつか散見されたくらいだった。

 この「クールアースデー」は公明党が提唱し、福田首相に申し入れて「7月7日をクールアースデーとする」と言わせ、「環境問題に力を入れる公明党が実現した」と大いに宣伝して
いた。
 与党としての連携と宣伝の仕方は『さすが、うまいなー』と思わせたものだ。

 ところで、久喜市議会6月定例会に、公明党が「『クールアースデー』(地球温暖化防止の日)の創設等を求める意見書」を提案していた。
 これは6月26日の最終日の本会議で採択される予定だったのだが、採決の直前に公明党がこの議案を撤回して採決されずじまいとなった。

 いったん本会議に正式に提案した議案を、なんで“撤回”しなければならなかったのか。

 「7月7日を『クールアースデー』とする」ことはすでに6月9日に福田首相が記者会見で表明し、その夜だけ全国の観光地などのライトアップをやめることも打ち出されていた。
 つまり、6月はじめにはもうすでに決まっていて、公明とは決まっていたことを承知の上で、「『クールアースデー』の創設を求める」という意見書を出していたことになる。

 もし久喜市議会で6月26日に採択して政府へ送付したとしたら、もう決まっていることを政府に求めることになってしまう。
 何とも間の抜けた話になってしまうではないか、…で、採決する前に議案そのものを撤回することになった。
 
 それにしても、なんでこんな変なことをしようとしたか。

 「クールアースデー」を公明党が提案した、久喜市議会でも公明党が提案して「要望する」意見書を決議させて政府に送ったと、そう宣伝したかったからだろうか。

 いろいろな政党が、それぞれの政策を実現するために、あるいは政府の政策に反対の意思を表すために、地方議会に「意見書」を出して政府にもの申すということはよくある。

 政府に対して新しい政策をアピールしたり、国民の関心を盛り上げるために、全国の地方議会でいっせいに意見書を出すという運動はよくあるし、政党の戦術としてもあっていい。

 しかしすでに決まっていることを「要求」してみせるというのは形だけのパフォーマンスであって、地方議会をただ党の宣伝のためだけに利用することになる、こんなやり方はどうも
いただけない。

 それはそうと、“地球温暖化防止”を謳うのなら、1年に1日だけのライトダウンでなく、年がら年中のライトアップをやめるように求めるべきではないか。

 観光地とはいえ、365日、毎晩ライトアップしている必要があるのか。

 埼玉県などで、コンビニ24時間営業の見直しを打ち出しているが、私たちの生活スタイルから見直すことが必要なのだと思う。

 環境省の発表と新聞報道によると、「普段ライトアップしている東京タワーや大阪・通天閣など各地のランドマーク、屋外広告の照明を持つ商業施設など計約7万6千施設」が、2時
間程度ライトダウンに協力したというが、普段から、これだけの施設が毎晩毎晩ライトアップしていた(!)ことに驚かされるではないか。








2008年6月28日 (土)
議員1人1人の賛否行動



 6月定例市議会の最終日、26日の採決で、これまでと変わったことが一つあった。

 大地の川辺議員が提案していた「後期高齢者医療制度の廃止を求める意見書」の採決で、賛成したのは大地と共産党、それに加えて「改進」の井上議員の8名だった。

 反対は、新政議員団、公明党、無会派の3人、それに「改進」の岸議員の13名である。

 結局、各会派・議員の賛否行動は国会の与野党対決をそのまま反映して、賛成少数で否決されたのだったが、「改進」の2人の議員の賛否行動が分かれたのは確か初めてだったと思う


 これまでたとえば、今年3月、「最低保障年金制度の創設を求める意見書」では2人とも賛成、昨年11月、「非核日本宣言を求める意見書」も2人とも賛成、昨年9月、「テロ特措
法の延長に反対する意見書」では2人とも退席という具合に、2人いっしょの賛否行動を取ってきた。

 井上氏は民主党、岸氏は自民党だから、政策、特に国政政策では違うこともたくさんあったはずだが、片方がもう一人に合わせる、どうしても一致できない場合は「退席」という形で
2人とも本会議での賛否表明を避け、表面的には形だけの「一致」を繕ってきたわけだ。

 それは「会派」を組んでいるのだから、すべての行動は一致していなければならないという呪縛に支配されていたようなものではないか。

 それが今回はさすがに、「後期高齢者医療制度の廃止」の民主党の井上氏と、制度を守る立場の自民党の岸氏とでは一致できなかったということだろう。

 現実の政治では意見が完全に一致しないことはままありうるのであって、むしろその方が、人間社会における本来の自然な組織のあり方だと思うが、「改進」が今後もそれぞれの信念
に従った賛否行動を取っていくのか、それとも今回は例外なのか、注目したい。

 私たち、大地はもともと、「すべての政治行動の責任は構成する1人1人が持つ」ことを確認し合っている会派だから、十分話し合ったうえでお互いが政策的信念を譲れなかった場合
、賛否が分かれるのは仕方のないことであり、むしろ当然のこととして認めている、それがあたりまえではないか。

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 ところで、市議会の中では、いまだに「会派はすべて一致しているべきだ」という常識を奉じる人たちがいる。

 しかし現実の政治の世界ではどうだろう。

 国会でさえ、会派内で、いや政党の中ですらしばしば賛否が分かれたりする。
 郵政民営化がいい例だったし、その他にも同じ会派や政党の中で賛否が分かれたり退席したりいろいろある、それがあたりまえだ。

 賛否行動が常に完全に一致しているのは共産党と公明党くらいではないか。

 会派であれ、政党であれ、個々人の信念や信条までしばることはできないのだから、本当は、最後のところでは別行動を認めざるを得ないのだと思う。

 完全に一致するとしたらそれは、構成する1人1人にとって、「党」が最優先の絶対的存在として、個人の判断よりも「全体の決定」が優位に立つことを前提としているからに他なら
ない。

 みずからの組織に「完全一致」を課し、それに自分も従うということはどういうことを意味するか。

 もしも自分の判断と「組織」の決定が違っていたら、自分の判断が間違っていて、「組織」が正しいと考えるべきだという、そういう思考方法に立っているということである。

 私には、自分の判断を譲りたくないときがあって、組織にすべてを委ねたり、組織を自分より上に置くという考え方にはどうしてもついて行けない。






2008年6月27日 (金)
議長の辞表



 市議会最終日の6月26日、すべての議案が終わった後に議長から「辞表」が提出された。

 新井議長は2003年の市議選後の4年間、議長を務め、昨年の改選で再び議長に選出されていた。
 というか、2007年5月、改選後の初議会の議長選挙で、新政議員団と私たち大地の12名が「新井」と投票して議長に当選させた。
 あの時、他の各派は、公明党と改進、無会派3人(彼らはみずからを「3グループ」と呼んでいる)が、無会派の鈴木氏を対立候補に立てて8票をまとめた。
 共産党2名は木村議員に投票した。

 今回、6月26日、当日の本会議のすべての議事日程が終わった後、議長席に座った石川副議長が「ただいま議長から辞表が提出されました」と告げたときに、議場は一瞬ざわついて
、3グループの中の1人である公明党の角田氏が「ナニ、ソレー」と大声をあげた。
 またその日の夜に、岸議員は自分のホームページに、「突然」辞表が出され、「あれよあれよという間の出来事でした」と書いている。

 しかし実は、今度の議長の「辞表」は、ある意味では想定の範囲内のことだったといえる。

 それは、昨年の議長選挙を前にして、新井氏自身が“1年だけ”というのをにじませていたからだ。
 埼玉県4区市議会議長会の会長市が、ちょうど昨年が久喜市議会の番に当たっていた(東部地区10市で1年交代で順番に回ってくる)。

 昨年の久喜市議会の議長選挙の前に、新井議長が「4区議長会の会長市が久喜に回ってくるので、ある程度の経験があった方がいいので、やらせてほしい」と言っていたのを多くの人
が聞いている。
 確かに、埼玉県東部地区の市議会議長会全体を代表するのであれば、「経験」は必須条件ではないが、あった方がやりやすいことは事実だったろう。

 その議長会会長の職が終わって引き継ぎもすんだのだから、6月議会冒頭か議会中にでも辞表を出すかもしれないと予想はしていた。

 3グループの人たちなどからも、昨年から、議長の4年とか5年というのは長すぎると批判も出ていたし、私も何となく、「すっぱりと1年で辞めた方が潔いだろうな」とも思ってい
た。

 こちら側に、政治的なあるいは人事がらみの思惑や欲などまったくないからこそ、かえってよく見えたのかもしれない。

 ただし、実際に辞表を出すかどうか、いつ出すかは、本人の判断にまかされるべきことであって、まわりからどうこう言えることではないから見守るしかなかったわけだが、私が実際
に辞表を出すと聞いたとき、「ああ、やっぱり」と思ったものだ。

 辞表が出されてからの手続きは、辞職を本会議の日程に追加することの承認、辞職の可否の決定、辞職が許可されたら空席となっている議長選挙という具合に、進んでいく以外にない


 岸議員は「あれよあれよ」と表現したが、議会手続きさえ理解していたら、何も意外なものではない。
 その場合、議会手続きがよくわからなかったら「休憩動議」を出す権利は議員に認められているのだが、この日はそうした動議も出なかった。

 議長選挙の投票の結果は、新政議員団の内田氏に、新政議員団と大地の12票が集まって、新議長が決まった。

 それに対し、鈴木松蔵議員で8名がまとまったということは、3グループの側も相談し意思統一をする余裕は十分にあったということだろう。
 このところずっと、3グループの結束は非常に固いようだ。

 成り立ちの違う3グループ8名の議員の、それぞれ、その結束の目的と思惑は何だろうか…、「反」新政議員団、「反」大地だろうか、他に何かあるのだろうか。



2008年6月22日 (日)
「大綱的質疑にとどめる」とは何か



 いささか議会の専門的な話になるが、わかりにくいのを承知で書かなくてはならぬ。

 市議会というのは、議員と行政執行部が政策や議論を闘わせる場であるが、別の面から見ると、それらの政策や意見において、議員同士、政党や会派同士が競争し、みずからの優位性
を主張しあっている場でもある。

 したがって時には、他の議員や会派を批判したり牽制したりすることも当然にあるのだが、しかしそれはきちんとした根拠に基づいて批判するのでなくてはならぬ。

 「久喜市議会申し合わせ事項」というのがある。
 議会運営の全般にわたって、条例や規則などで定められた以外の事項について、各会派代表者会議で合意したことを明文化したものであって、その中に、次の定めがある。
           -------------------------------
2.通告議案に対する質疑
(9)議案に対する質疑は、大綱的質疑にとどめるものとする。
           -------------------------------

 久喜市議会は議案質疑は「委員会主義」を取っているので、細かい質疑は委員会で行い、本会議では「大綱的」に質疑するということになっているのだが、実際にはこの判断がむずか
しい。

 「大綱的」とは何か、どの範囲までの質疑なら「大綱的」として認められるのかで、しばしば議論になる。

 広辞苑によると、「大綱」とは、「@根本的な事柄、おおもと、Aだいたいの内容、大要」となっている。

 この場合は、Aの「だいたいの内容、大要」の方だろうが、当然のことながら、その範囲の考え方は人によって違ってくる。

 この6月議会、11日の本会議における議案審議でも、“見解の相違”による一悶着があった。

 一般会計補正予算で、久喜小と江面1小の学童保育施設を建設する予算が計上されて、本会議の議案質疑で5人の議員がこの問題について質疑通告をしたのだったが、それぞれが、施
設の内容や工事のスケジュールなどについて、かなり細かく入り込んで質疑していったのは確かだ。

 他の議員から、「細かくは委員会でやるべきだ」などのヤジも飛んだりしたが、本会議の議案質疑は3回までしかできないから、結果的にはほどほどのところで打ち切られて委員会に
送られたのであった。

 ところがその問題が、18日の市議会活性化対策特別委員会の場で再燃させられた。

 言いだしたのは公明党の角田議員で、「本会議の議案質疑は大綱的質疑にとどめることになっているのだから、それを再確認すべきだ」と始まって、「11日の議案質疑は細かすぎる
」「大綱的というのは、予算では『款』『項』までと決まっているんだから、それ以上に細かい『目』や『節』の質疑は認められない」と持論を展開した。

 しかし申し合わせには「大綱的質疑にとどめる」とはあるが、「質疑は『款』『項』までで、『目』『節』はやってはいけない」なんていう決まりごとはありはしない。

 「大綱的」というのが『款』『項』までだという解釈もどこにもない。

 どこにもない“決まりごと”を根拠にして、「大綱的というのは『款』『項』までという意味である」と勝手な自分流解釈をして、他の議員の質疑を「申し合わせ違反だ」と断罪する
のはいただけない。

 議員は議会において一般質問や議案質疑、討論などによって、政策課題を明らかにし、行政をチェックして問題点を明らかにし、政治的意見を表明するという、大きな権限と役割、責
任を負っているのであって、そのためにも議員の権限と発言は最大限に認められるべきである。

 もちろん、発言は「申し合わせ」という合意事項に立って、一定の節度が必要なことは言うまでもないが、その節度は議員みずからの判断と、議長の采配によるしかない。(もしも議
長の采配に問題ありと考えるのであれば、その場で動議を出すべきであったろう)。

 しかしそれにしても、議員がみずから、本会議における他の議員の発言の制限を主張していくとしたら、議員がその権限を狭め、議員の役割と責任を放棄することになってしまうので
はないか。

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 予算の項目立ては、「款項目節」と呼ばれている。
    款        項          目              節
    1款 議会費
    2款 総務費
    3款 民生費 1項 社会福祉費
             2項 児童福祉費 1目 児童福祉総務費
                         2目 児童措置費
                         3目 児童福祉施設費 13節 委託料
                                        15節 工事請負費
                              ……
             3項 生活保護費
         ……
    12款 公債費

 たとえば「2項 児童福祉費」は11億1302万6000円であるが、児童福祉費について審議するのに、「3目 児童福祉施設費」の中に学童保育施設整備費がいくら盛り込まれていて、「
15節 工事請負費」が、どういう根拠でいくら、その内容は何かというように、事業内容にまで入り込んでいかなければ予算審議はできない。
 「2款 児童福祉費」総体でいくらなどという審議では、議会はその役割を果たせないだろう。
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2008年6月 6日 (金)
「学童保育は低学年だけ」ですか?



 6月5日の市議会本会議の一般質問で、公明党の角田議員が、4年生以上の児童が学童保育に通っているのを問題にした。

こんな言い方である。

 「青毛小や太田小は人数が多く、4年生から6年生の子どもが20%もいて、2つ目の施設が必要という話もある。
 公明党議員団が視察した、大田原市では学童の人数に応じて受け入れる学年を変更している。
 一定の学年になれば、一人で親の帰りを待つこともできるのではないか。」

 「家庭教育の充実の必要性が言われている。
子どもがいくつになったら一人で留守番できるようになるように、親が取り組むべきだ。」

 「4年生になったらあなたは学童保育を卒業だよということを、親が子どもにきちんと教えていく必要がある。」

 最近特に、久喜市の学童保育所に通う子どもたちが増えてきていて、いくつかの学童クラブでは定員をオーバーしているが、それでも親や子どもたちのニーズに応じて柔軟に受け入れ
ている。

 ところがこれに対して、定員をオーバーしたら、4年生以上の子どもをやめさせればいいと言い、子どもが大きくなったら一人で留守番させるべきだと言うのだ。

 あまりにも安易な発想ではないか。

 どうやら角田議員は、学童保育に通う子どもを、家庭教育の問題として、つまりは“しつけ”の問題として考えているらしい。

 しかし働く親が子どもを学童保育に通わせるのは、絶対に子どもの“甘やかし”でも何でもなく、あるいはまた親の都合で子どもを犠牲にしているわけでもない。

 今の、子どもたちをとりまく社会の状況を考えると、どうしても学童保育を利用せざるを得ない、そういう家庭の事情、地域社会の事情は確かにある。

 今、そのような地域社会と親、子どもたちのニーズに応えるために、学童保育はあるのだが、そうした社会状況を見ようとしない人には、財政の視点からだけ子どもたちや学童保育を
考えるようになってしまうのかもしれない。

 一方で、1年生から3年生だけでなく、上級生、6年生までの子どもがいる学童保育、子どもたちのタテのつながりをつくっている学童保育の良さ、利点もある。

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 ある5年生の男の子は、1年生の妹のめんどうをみてやりたいという、お兄ちゃんらしい責任感で、妹といっしょに学童保育に通っている。

 4年生の男の子は、夏休みに学童保育にしばらく通っていない間に、親のいない家が友だちのたまり場になってしまって、やっぱり学童保育はやめさせられないということになった。
友だちが家に上がり込んでくるのをどうしても拒否できなかったらしい。

 ある6年生の子は学童保育で、昔でいえば“ガキ大将”として年下の子たちを引き連れて走り回っていた。弟分、妹分たちも、たのもしいお兄ちゃんとして、指導員の大人との関係と
は違った、子どもたち同士の好ましい集団ができていた。

 ある子は4年生になった時に学童をやめたいと言いだしたが、一応学童に籍だけは置いて、週に3日か4日くらい通っていたが、5年生になって、だんだんと学童に行かなくなった。
その内、学校で友だちと約束して家のまわりで遊び回っているようになった。本人が肉体的にも精神的にも成長してくるにつれて、自然に学童をやめた。

 私がこれまで20年以上、学童保育に関わってきた中で出会った、いくつかの例を挙げたが、要するに、「4年生になったら学童はやめさせる」というような機械的な決まりで切るの
ではなくて、子どもたちひとりひとりの状況、家庭の状況に応じて対応していった方がいいんだろうと思う。

 子どもたちは生きていて、日々、成長していて、日々、変わっていく、機械的に割り切れる存在じゃないのだから。


2008年6月 2日 (月)
久喜市幹部職員の「クールビズ」



 今日、6月2日から定例市議会が始まった。
 朝9時に本会議が開会したのだが、議場の正面、執行部席には、一種異様な“白装束集団”が並んだ。(失礼!)

 久喜市役所は数年前から6月になると「クールビズ」を実施していて、各課の窓口には「職員は軽易な服装で執務するのでご了承ください」という市民向けのお知らせが貼り出される


 しかし市議会本会議場となると“権威”が重んじられる(?)から、なかなか“軽易な服装で”とはならないで、前に居並ぶ市長をはじめとする市の幹部、部長たちはほネクタイをは
ずせないでいたものだ。

 かえって議員の方は、上着を着ている人もいるが、シャツにネクタイだけの人、半袖シャツやノーネクタイの人といろいろだったのだが、市の幹部たちはほとんど全員がきちっとネク
タイに上着を着て出席していた。

 見るからに暑苦しいかっこうではあったが、議会の空調は他の階とは切り離されて運転できるようになっているので、冷房をガンガンかけることができて、傍聴の市民から「寒い」と
苦情がでるほどであった。

 いちばん偉い市長がきちっと上着にネクタイを締めて出席していたものだから、幹部職員たちもネクタイをはずすわけにはいかなかったという事情による。

 それが昨年の6月議会からは見事に全員がノーネクタイとなった。
 市長がやっと率先してノーネクタイにしたので、幹部職員の面々も安心してネクタイをはずすことができるようになったらしい。

 上や横のようすを見ながら、まわりに合わせるのが無難で、一人目立つかっこうをしてはならない、いかにも日本人らしい、官僚らしい行動様式ではあった。

 というわけで、今年も6月初めての本会議で、居並んだ幹部職員たちは全員がノーネクタイ姿となったのだが、その結果、議場の前面にはまぶしい白装束集団が出現したのである。

 それは真っ白い長袖のワイシャツ姿、さっきまで上着にネクタイをしていて、議会が始まる直前にわざわざネクタイをはずしてきたというようすだった。

 上着を着ているのは市長と職員では一人だけだった。

 しかしちょっとおかしくはないか。

 6月から9月の期間中、ただ一律にネクタイをはずすのが“クールビズ”ではあるまい。

 おそろいの長袖白ワイシャツ姿というのはいかにも制服好きの日本人って感じだけれど、これもクールビズとは違うだろう。

 その日の気温に合わせ、それぞれ自分で判断して、半袖でもカラーシャツでも自分に似合った過ごしやすい服装をするのが“クールビズ”であると思うのだが、どうだろう。

 議員の方はというと、この日が6月にしては気温が低くて肌寒ささえ感じられたから、3分の2くらいが上着を着たままで、
それぞれちょうどいい服装をしていた。








2008年5月11日 (日)
地震情報のあり方



 5月8日、午前1時45分頃、関東地方を震度3〜4の地震が襲った。
 人々がようやく眠りについた頃で、私もその揺れの大きさに目をさまして、“まあ、そんなに心配するほどでもないか…”と思いながら、また眠りについた。

 ところが、その5分くらい後に、ピンポ〜ンという例の防災無線の容赦ない大音量に、再び眠りを破られた。
「こちらは防災久喜です」
と始まって、地震速報かと思ったら、そうではなかった。

「ただいま、比較的大きな地震がありました。
 市民のみなさん、落ち着いて行動し、火の元を確認してください」

 これを2回ずつ、3系統で合計6回繰り返して、やっと静かになったのだが、こちらは“地震があったのはわかってらあ…”と思いながら、再び眠りに入るまでしばらく時間がかかっ
た。

 翌朝さっそく、
「あの放送は何ですか。被害もないのに、意味のない放送…。地震で起こされて、せっかく眠ろうとしたのに、また放送で起こされて…」
という苦情の電話が入った。


 公式記録では、久喜地区は震度3だった。

 翌日、市役所の生活安全課に問い合わせたら、久喜市の規程では震度4以上であの放送をすることになっているのだという。

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 震度4と5弱で、《ただいま、比較的大きな地震がありました。……》
 震度5強と6弱で、《ただいま、大きな地震がありました。……》
 震度6強と7で、《ただいま、非常に大きな地震がありました。……》
という原稿ができていて、昼間は市役所の職員が、夜間は消防署の職員が放送するのだという。
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 で、8日未明の地震は、翌日の公式発表は「震度3」だったが、消防本部の地震計では「3.5」で、四捨五入すると「4」だったので、この放送をしたのだそうだ。

 しかし、実際、この日の地震はすぐにおさまって、特に地震による被害はなかったし、市民の実感としても起きて家の点検をしたり、大騒ぎして非難行動をするほどでもなかった、そ
んな程度だったのに、「落ち着いて行動してください」と夜中に大音量で呼びかける必要があったのか。

 実際の状況を見極めることなく、震度3.5は四捨五入して4という基準の下に、単なるマニュアルに基づいて放送した、あの夜の防災無線が、市民の実感とはかなり違ってしまった
と言わざるを得まい。

 「落ち着いてください」と呼びかける放送が、場合によっては単なる騒音、よけいなお世話に聞こえることもあるということだ。

 市にも苦情が行ったらしく、生活安全課でさっそく検討した結果、今後は「震度5弱」の時に放送するように、見直しをしたという。

 さてしかし疑問は残る。
 被害もなく、別段だれも慌てているわけでもないところに向かって、「落ち着いてください」と呼びかけても、意味がないだろう。

 数字やマニュアルで機械的に判断するのではなく、実際の状況を見極めて、状況にあった放送をすることが必要なのではないか。

 非常時に人々が求めるのは、地震速報、地震の程度や被災状況を知らせてくれることではないか。

 かえって、私などはあの放送があまりに一般的な内容だったので、
“自動的にスイッチが入って、テープを流しているのかな。震度や被災状況を把握できる体制はないんだろうか”
と思ってしまったものだ。

 言いたいことは、もう一つある。

 私は埼玉県の《防災情報メール》に登録しているのだが、この日、午前1時2分に枕元に置いてある携帯電話が「震度速報」を受信した。

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 「5月8日1時45分頃、埼玉県北部で震度4の地震を観測しました。
埼玉県南部で震度4の地震を観測しました。
念のため、津波に注意してください。
【震度5弱】
栃木県南部
【震度4】
茨城県北部,茨城県南部,埼玉県北部,埼玉県南部,千葉県北東部,千葉県北西部
【震度3】
栃木県北部,群馬県北部,群馬県南部,千葉県南部,東京都23区
東京都多摩東部,神奈川県東部」
-----------------------------------------------------

 このメールを見て、
“ああ、やっぱり大したことはなかった”
と、安心して眠りにつくことができたものだ。

 仮に大きな被害が発生して混乱した状況におかれた人々に対して、むやみに「落ち着いてください」「落ち着いてください」と呼びかけても、群衆は静まりはしない。
 非常時にこそ、正確な情報を提供することでこそ、市民を安心させることができるということだ。

 たとえば、
「ただ今久喜地区消防本部で震度5強を観測しました。
○○地区で1件の家屋倒壊が発生しました。
けが人はお一人で、無事救出されました。

火災は発生していません。
余震が来る恐れがありますので、火の元を確認してください」
という具合に、事実に基づいて具体的に呼びかけた方が、よっぽど市民を安心させると思う。

 もちろん、火災が発生していれば、「○○地区で、火災が発生」と知らせた方が、近所の人々は避難もできるし、市民は落ち着いて行動することができる。





2008年5月 6日 (火)
新型インフルエンザ・パンデミックとは何か(2)



もしかして人体実験!?

 国はすでに、鳥インフルエンザ・ウイルスから作った「プレパンデミック・ワクチン」の原液3000万人分を備蓄しているのだという。
 買い取り額は何と、昨年度が43億円!、一昨年は120億円!だったそうだが、この原液から接種用のワクチン製剤にするためには、さらにどれくらいの金額がかかるのだろうか。

 新聞報道によると、国立感染症研究所の専門家会議で、この「プレパンデミック・ワクチン」の“臨床研究”をすることが決まったという。

 しかしこの「プレパンデミック・ワクチン」というのは、これまでに発生した鳥インフルエンザ・ウイルスから作ったワクチンであって、「新型インフルエンザ」とは別物である。

 当然、ウイルスの型が違う「新型インフルエンザ」に有効かどうかはまったく未知数なのだが、なぜそんなあいまいなしろものを接種するのか。
 鳥インフルエンザ・ウイルスから作って備蓄していた「プレパンデミック・ワクチン」がもうすぐ使用期限が切れるので、「みすみす廃棄するよりはいい」と、まず6000人に接種
することにしたのだという。(毎日新聞4月17日朝刊)

 これは素人にわかりやすい用語に言い換えると、もしかして“人体実験”ではないのか。

 鳥インフルエンザはいまだに「大流行」はしていないし、今のところは、日本人や人類の脅威と言えるようなしろものではない。

 一方、鳥インフルエンザ・ワクチンと「新型インフルエンザ・ワクチン」は、まったく違うものだから、はっきり言えば、鳥インフルエンザ・ワクチン接種による「新型インフルエン
ザ」への効果は「不明」であって、「新型インフルエンザ」の予防にはならないと考えられてきた。

 それにもかかわらず、「プレパンデミック・ワクチン」接種を大々的に始めようという意図はどこにあるのか。

 同じ記事の中で、「生後6か月〜20歳未満の約120人への臨床試験も行う」と書かれていたが、児童に人体実験を行うというのか。

 直接に鳥インフルエンザの脅威にさらされているわけでもない子供に対して、たとえ親の承諾があったとしても、これは虐待ではないのか。

 ましてや1歳未満の子供には、厚労省ではこれまで、普通のインフルエンザ・ワクチンの予防接種さえも、『有効性は疑問で、奨められない』と言ってきたではないか。

 新聞記事によると、国立感染症研究所の責任者は、プレパンデミック・ワクチンの「接種によってH5N1型の新型インフルエンザに対する基礎免疫ができる可能性がある」とはなは
だ心許ない言い方をしているのだが、この記事の後の方では、わりあいはっきりと、「ワクチンは基本的に原料と同じウイルスにしか効き目がない。プレパンデミック・ワクチンはベト
ナム、インドネシア、中国で鳥から人へと感染したウイルス株を使った3種類があるが、それぞれ微妙に性質が違う。新型インフルエンザがH5N1型だとしても、効果は未知数だ」と
書かれている。

 つまり、合うか合わないか、効くか効かないか効果は不明だけれど、また、「新型インフルエンザ」がいつ出現するのかわからないけれど、いや本当は、「新型」が出現するのかどう
かもわからないけれども、それでも「事前接種」しておけば、もしも「新型」が発生したときに効果があるかもしれない、意味があるかもしれない(ないかもしれない)、気休めくらい
にはなるかもしれないということらしい。

 しかも、このプレパンデミック・ワクチンの免疫自体が半年くらいしか効かないのだが、それでも、いつ出現するかわからない「新型インフルエンザ」の予防効果を期待したいという
、そう考えた国の研究者、役人たちの思考回路が、私にはさっぱり理解できない。

プレパンデミック・ワクチン接種の優先順位

 「臨床研究で有効性が確認されたら、プレパンデミック・ワクチンの1000万人事前接種を検討する」ともあった。
 せっかく作ったワクチンを「廃棄するよりいい」からといって、日本人の1割に打つというのか。

 「国のガイドラインは接種対象者として『医療従事者等または社会機能維持者』の約20業種を例示している」という。
 「国のガイドラインが定めるプレパンデミック・ワクチンの接種対象者」の一覧を見て、またまたビックリ!

 「社会機能維持者」の欄には、こうある。
治安維持(消防士、警察官、自衛官、海上保安官、強制職員)、
ライフライン(電気・水道・ガス・石油事業者、食糧販売関係者)、
国、自治体(議員、首長、公務員の危機管理担当者)、
情報提供(報道機関、通信事業者)、
輸送(鉄道・運送・航空・水運業者)

 議員や市長、公務員の危機管理担当者(国民保護計画ではほとんどの市職員がこれにあたる)、マスコミ関係者などが真っ先に「プレパンデミック・ワクチン」を接種してもらえる対
象者に入っていることになる。

 エッ!? 私たちのような地方議員も、ワクチン接種の優先順位が高い方に入っているわけだ。

 このガイドラインを決めた政府の担当者は、議員や市長や公務員、マスコミ関係者などの特権と判断したんだろう。

 しかし私は、真っ先に特権的にワクチン接種を受けるのはまっぴらであるが、しかしそれ以上に、このような有効性もわからないようなワクチンの実験材料にされるのも御免被りたい


 たとえ優先されなくても、私は、国や官僚、製薬会社のいいなりになって、インフルエンザ・ワクチンの接種は受けるつもりはない。

 “普通”のインフルエンザ・ワクチンだって副作用の方がよっぽど怖いから、インフルエンザにかかったら、じっと休んでいる方がいい。
 ましてや、鳥インフルエンザ・ウイルスから作ったプレパンデミック・ワクチンにしろ、「新型インフルエンザ・ワクチン」にしろ、有効性も副作用もわからない薬なんてまっぴらご
めんだ。

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参考図書
・「インフルエンザワクチンは打たないで」
   元国立公衆衛生院疫学部感染症室長・母里敬子 双葉社
・「医者には聞けないインフルエンザ・ワクチンと薬 2005年版」
   母里啓子、山本英彦、浜六郎/監修、ジャパンマシニスト社


2008年5月 4日 (日)
新型インフルエンザ・ワクチン(1)



 近い将来、新型インフルエンザが大流行するから、政府はそれに備えて大急ぎで「パンデミック・ワクチン」の開発を進めるのだという。

 大流行を「パンデミック」などと耳慣れないおどろおどろしいカタカナ言葉で言い換えて、「新型インフルエンザ・パンデミックが起きたら、日本で210万人、全世界で1億420
0万人の死亡者が出る」などと途方もない大きな数字の被害をあげてみせるのは、大々的にパニックをあおる行為ではないのか。

 そんな、ことさらに危機をあおる構図を見ただけで、私などにはもう最初から“何かあやしいなあ”と思えてきて眉につばを付けてしまう。

 2月の久喜市議会でも、まったく同じ論理展開で、「新型インフルエンザ・パンデミック」に対する、久喜市の対策を立てるよう求める一般質問が行われたりもした。

かつてインフルエンザ・ワクチンは、
「効かない! 危ない!」と言われた

 以前には、小中学校でインフルエンザワクチン接種が義務とされ(1976年)、子どもたちに学校で集団接種が行われていた。

 しかし実際にはそれにもかかわらず、ワクチンはまったく効かないで、毎年毎年、インフルエンザは流行し、全国の学校で学級閉鎖が相次いでいた。

 インフルエンザ・ワクチンの集団接種が本当に社会的に意味があるのか否か、検証も行われることはなく続けられてきた。

 インフルエンザ・ウイルスは極めて変異を起こしやすく、違った型のウイルスで作ったワクチンを接種しても予防にはならないのであって、子どもたちに接種したワクチンと、実際に
流行したインフルエンザのウイルスの型が違っていたわけだ。

 1979年に発表された「前橋レポート」は、予防接種していてもしていなくても、流行の大きさには差がないということを明らかにし、また当時、インフルエンザ・ワクチン接種に
よって死者や重度の障害という副作用も多数発生していて、1994年、インフルエンザの集団接種は廃止されたのだった。

 私も当時、市議会で「インフルエンザ・ワクチンの予防接種は効かない、危ない」と訴え続けていた。
 議会で何度も何度も、「インフルエンザの集団接種の廃止」を主張して、93年には久喜市の小中学校での接種率は19%にまで下がっていたのだが、やっと全国と歩調を合わせる形
で94年には学校での集団接種は廃止、個別接種となった。

 インフルエンザ・ウイルスは非常に変異を起こしやすくって、たとえば12月始めには○○型が流行しても、すぐに○●型に変わっていたり、実際の流行は一つの型だけではなく、い
くつかの型のインフルエンザが同時に流行していたりすることもあるんだそうだ。
 したがって、お国が無数のウイルスの型の中から「今年は○○型と△△型と◇◇型の3種のウイルス・ワクチンを」と決めて、製薬会社に作らせて、全国いっせいに接種させても、当
たらなければまったく無意味だし、接種する時期には○◇型とか、▲◇型に変わってしまっていて、やっぱり無意味だったなんてことになるのだという。

 それが今度は、世界のどこかで(東南アジアを想定しているらしい)、「新型インフルエンザ」が発生したら、日本国内への上陸と流行予防のために、国は、製薬会社に何千万人分か
の「パンデミック・ワクチン」とやらを大々的に製造させて国民の大多数に接種することを計画しているらしい。

 実際にそのパンデミック・ワクチンが「新型インフルエンザ」に効くのか効かないのかわからない“怪しい話”なのだが、これは政治家や行政、製薬会社にとっては、あまりに“うま
すぎる話”ではないか。

「新型インフルエンザ」とは何か

 鳥インフルエンザ・ウイルスが変異を起こして、人間に感染しやすい未知の「新型インフルエンザ・ウイルス」になって、世界中に大流行を起こすのだという。

 確かに、東南アジアなどで鳥インフルエンザが人間に感染し、死者も出ているのだが、もともと鳥インフルエンザは人間に感染しにくいために、今のところ、大流行とはなっていない


 危機をあおっている人たちが必ず取り上げるのは、第一次世界大戦中の1938年に大流行したスペインかぜの例である。
 これは世界中で2000万人ともいわれる死者を出したのだったが、その当時は戦争中で衛生状態も栄養状態も極度に悪く、インフルエンザの原因がウイルスであることすらわかって
いなかった、肺炎を併発してもその治療薬であるペニシリンも発見されていなかったという時代である。

 あれから80年経って、衛生状態、栄養状態、抗生物質や医療・看護技術の発達した21世紀の現代にあてはめることは社会状況の前提が違っているんだから無理じゃないか。

 それを無視して比較してみせる論理は意図的にすぎるのではないか。

 だいたい、毎年毎年の“普通のインフルエンザ”のワクチンさえ効かないで、流行を予防できないでいて、その有効性に疑問が出されていて、副作用の害の方が大きくて、10年以上
も前に集団接種は廃止になったのだ。

 それなのに、今度は「新型インフルエンザ」が大流行(パンデミック)するだろうからと仮定して、それに備えるワクチンを開発するのだというが、果たしてこれは科学的・現実的な
話とはとても思えない。

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参考図書
・「インフルエンザワクチンは打たないで」
   元国立公衆衛生院疫学部感染症室長・母里敬子 双葉社
・「医者には聞けないインフルエンザ・ワクチンと薬 2005年版」
   母里啓子、山本英彦、浜六郎/監修、ジャパンマシニスト社






2008年4月24日 (木)
合併協議会はどこにある?



 4月1日に1市3町の合併協議会が設置された。

 といっても、29名の委員からなる「合併協議会」は、市長、町長、副市長、副町長、各市町議会の議長、各議会代表までは決まっているが、各市町から3名ずつ選任されることにな
っている市民代表(12名)はまだ決まっていない。

 市民代表の中の各市町1名ずつの公募委員は、21日に応募が締め切られ、久喜市の場合、10名の応募があったそうで、その選出はこれから公募選考委員会を開いて決めることにな
っている。

 合併協議会は5月7日に発足する予定だから、他の委員さんたちも、そこで始めて委員として正式に委嘱されることになる。

 だから、4月1日に合併協議会が設置されたといっても、これまでに「設置」されたのは、合併協議会の事務局だけだ。

 その事務局はどこにあるか。

 特に場所を公表してもいないから、市民のだれも知らないが、それは久喜市公文書館の2階会議室に置かれていて、すでに県から派遣された事務局長と各市町から派遣された3名ずつ
、全部で13名の職員が事務作業を始めている。

 いったいどんなようすかと思って行ってみたが、公文書館の外にもロビーにも何の看板も表示も案内もない。
 公文書館の事務室の2階に上がる階段のところにもなんの表示もない。

 階段を上がってみたら、会議室のドアに「合併協議会事務局」の紙がはってあるだけだった。
 まるでこっそりと置かれた秘密基地みたい…。

 ドアを開けると、締め切った狭い部屋に13名の職員の机が詰め込まれていて、みなさんがいっせいにこちらを向いて、入ってきちゃ悪かったかなという感じ…。

 公文書館のロビーから2階に上がる階段の脇には、『職員以外の人は勝手に入らないでください』という貼り紙が出されている。
 市民が自由に入ってはいけないらしい。

 もちろん私は、市民が行政の事務局を訪れるのにいちいち断る必要はないと思っているから、そんな表示は無視して勝手に入っていったのだけれど。




合併協議会の委員を投票で選任



 18日の朝9時から市議会全員協議会が開かれた。
 議題は、1市3町の合併協議会の委員の選任である。

 久喜市・菖蒲町・栗橋町・鷲宮町合併協議会の規約で、委員は全部で29人、その内、「1市3町の議会の議長及び1市3町の議会が選出する各1人の委員」と規定されている。
 議長はあて職で新井議長となるが、もう一人の委員を選ばなければならない。

 松村議員からまず、市議会合併推進協議会の会長をしている鈴木松蔵議員を推薦すると発言があった。

 しかし“市議会合併推進協議会”は議員全員によって構成されているわけではなく、22名の内の18名が参加している任意の団体であるにすぎない。

 しかも昨年、発足するにあたって、「合併推進に反対する議員は出ていってほしい」と宣言し、最初から閉ざされた組織として出発したのだった。

 その任意の、閉ざされた組織の代表が、自動的に行政組織の一つとなる合併推進協議会の委員になれると考えること自体、おかしなことで、私的な団体と公的な組織とを混同している
と言うしかない。
 私的団体が行政組織を私物化するものであろう。

 規約に「1市3町の議会が選出する」とあるのだから、18名の代表を横滑りさせるのでなく、あらためて22名の議員全部から選ぶのがあたりまえでないか。

 菖蒲町議会でも、町議会合併協議会の代表とは別の議員を選任したのだと、岡崎議員が発言していた。

 実際、これから合併協議を本格的に進めていくとしたら、そこに“何が何でも合併推進”“いけいけどんどん”の議員だけの意見を反映していてよいわけがないではないか。

 合併に際しての多くの課題や問題点を、さまざまな立場、…たとえば私のような合併慎重派や懐疑派、さらには反対派の人たちまでの意見をも聞きながら、慎重に検討し協議していけ
る、そういう姿勢を持った人でなければ困るのだ。

 私は、大地の前代表であり副議長の石川議員を推薦した(第1会派の新政議員団から新井議長が出ているので、2人目は第2会派からという言い方をしてもよい)。

 結局、2人の「候補者」から1人にしぼるしかないので、投票で決することになった。

 結果は、石川議員11票、鈴木議員8票で、石川議員が選任された。

   石川 11  大地5、新政議員団6
   鈴木  8  公明党3、改進2、無会派3
   白票  2  共産党2
 なお、当日の欠席者は1名(新政議員団)である。

============================================

 終わった後で、鈴木議員を推した議員たちが大声で「数の横暴だ」「数の力で決めるのはおかしい」などと言い合っていたらしい。

 2人の候補者が出て膠着状態になって、「投票で決めましょう」と言い出したのは松村議員だったから問題ないはずだが、投票を「数の横暴だ」などと非難するのはあまりなとんちん
かんだ。

 それに、考えてみれば、当の鈴木松蔵議員にしろ、松村議員や改進の岸議員にしろ、もともとは昔々の新政議員団に所属し、その当時は議会内の絶対多数を占めた「数の力」を武器に
して人事を牛耳り、たびたび「数の暴力」をふるって少数意見や少数会派の主張を押しつぶしてきた人たちではなかったか。

 議員としての経歴の大部分を、そうした立場に身を置いてきた人たちだ。

 その後、権力争いで少数派に転落したからといって、今さら「数の暴力」を批判できる立場ではあるまい。

 また絶対多数を割った新政議員団と手を組んで、「数の力」によって副議長や議長の地位までも手に入れてきたのが公明党の議員さんたちであった。

 この人たちは昨年の議長選挙においても、さんざん画策をめぐらして何とか多数派を獲得して役職を獲得しようとして躍起になっていたではないか。

 結果的にそれが失敗して今は少数派に甘んじているのだが、「数の力」のうまみをいちばんよく知っているのもこの人たちであろう。

 少なくともこの人たちだけには、「数の横暴だ」云々と非難がましいことを言ってほしくない。


2008年4月13日 (日)
「君が代」で座り続けることの意味



 3月、4月、小学校、中学校の卒業式や入学式に来賓として招かれて出席した。

 私にとって、式の冒頭の「国歌斉唱」で、みずからの思想と行動を問われることになるのだが、当然のことながら、私は起立・斉唱を拒否し続けている。

 司会者が「開式の言葉」で、「一同、ご起立ください」とやって、そのまま着席させずに、「国歌斉唱」と続くのだが、私はその時に着席して抗議の意志を示す。

 起立したくない場合、“座ったまま”でなく、立っているところからあえて座るのだから、いささかの勇気を要するのは確かだ。

 今は、教師には「職務命令」が発せられていて、歌わなければ「処分」だから、教師はみな立って歌っている。
 保護者席ではたまに着席する人もいるようだ。

 ところで、学区が違うので最近まで知らなかったのだが、今では共産党の議員も「国歌斉唱」で起立していると知らされてたいへん驚いた。

 久喜市内の小中学校の卒業式、入学式で、日本共産党の木村議員も渡辺議員も2人ともしっかりと立っているのだという。

 教師もみんなが自分の意思で進んで立っているわけではなくて、職務命令であきらめ気分で仕方なく立っている人もいると思うし、保護者も立ちたくない人もいるだろうに、共産党の
議員までもが「国歌斉唱」で立っているのを見てどう思うか。

 今の共産党の議員さんたちはもはや「時代の流れ」「政治の流れ」には逆らえないということか。

 そう言えば、以前は成人式で、私と共産党の木村市議と、「国歌斉唱」のときに2人で並んで着席したのだったが、今年、彼は成人式に来なかった。

 そうか、彼は「君が代」で座るのをやめたわけだ。

 私は「君が代」を国歌として尊重したくない、権力に「愛国心」を強制されるのはいやだ、強制されて歌いたくないから、その意思を形で表すために、私は「国歌斉唱」のかけ声とと
もに着席する。

 みずからの思想を行動で表す議員がいるのだということを示し続けることに、意味があると思っている。

「国旗・国歌法」へのリンク

「日の丸」の意味

L

2008年4月 9日 (水)
保険証が届かない!?



 日々、「後期高齢者医療制度」の問題点が明らかになってきている。

 4月1日から、75歳以上の高齢者は全員、「自動的に」「強制的に」、後期高齢者医療保険に移行させられた。

 国民健康保険の加入者であった人も、みずからが社会保険の加入者であった人も、社会保険の加入者の扶養家族となっていた人も、すべて、それらを脱退させられて資格を失い、後期
高齢者医療の加入者にさせられたわけだ。

 そもそも、この制度を創設した目的が高齢者の医療費の増大を抑制するためであり、その中でも特に、今回、ターゲットとして狙いを定め、「後期高齢者」として切り取った人々の医
療費を削減するためである。

 したがってこれから将来にわたって、日本の高齢者がどのような医療環境のもとに置かれていくか、「必要にして十分な医療を受けられなくなる恐れ」は現実のものとなってこざるを
得ない。

 こうした制度そのものの暗い将来像の問題もあるが、保険証が届かないというのはそれ以前の問題であろう。

 久喜市では、5488人の加入者に保険証を発送したが、3月末日までで50通以上が加入者の手元に届いていないことが明らかとなっているという。

 あて先不明(該当者が転居などで保険証の住所にいない)で戻ってきたのが19通、配達記録なので、留守の場合は配達員が持ち帰ってしまって、郵便局に留め置きになっているのが
約40通だというが、これは3月末までに把握している通数である。

 郵便局保管になっていることに気づかずに、また受け取りに行かれないで、保険証を受け取れないでいる人もいるという。

 実際には保険証は毎日配達されているわけで、その後配達した分の中からも、「あて先不明」や郵便局留め置きとなるものが出ているらしい。

 とすると、加入者の手元に届かない保険証はもっと多い。

 言い換えれば、数十人の人々が、新制度の保険証を受け取れないでいることになるのだが、市ではそれらの全部の数は把握できないでいる。

 しかしこの人々は、すでにこれまで加入していた健康保険の資格を失ってしまっているのであって、事実上「無保険」の状態に陥らされたことになるではないか。

 保険証なしでは診療を受けられない、やむを得ず診療を受けた場合には全額自己負担ということになるが、自己負担した分が返金される保証はない。
 全額自己負担を甘受しなければならないか、あるいは診療を受けずにがまんするか。

 久喜市役所保険年金課には苦情や問い合わせが寄せられているが、その件数は把握していないという。









2008年3月22日 (土)
市長の給与カット



 3月21日、市議会最終日、討論、採決が行われ、市長から提案された全議案が可決された。

 私は、合併協議会の設置など4つの議案に反対したのだが、さてその一つが「市長の給与カット幅を縮小する」議案である。

 市長と副市長、教育長は3年前から給与カットが行われている。

 市長は条例で定められている給与月額は91万円だが、20%カットで支給額は72万8000円。
 副市長は条例では78万円で支給額は10%カットの70万2000円、教育長は条例では70万円だが8%カットで64万4000円というぐあいだ。

 これは「市長等の給与の特例に関する条例」という、いわば時限立法によって実施してきていて、その期限は実は「平成20年3月31日」までとなっていた。

 今回、この条例を改正して、期限を1年間だけ延長して「平成21年3月31日」までとし、それに合わせて、4月からカット幅を半分に縮小するという提案である。

 市長は10%カットの81万9000円、副市長は5%カットの74万円、教育長は4%カットの67万2000円に、実質引き上げるということになる。

 提案したのは当然、ご本人の市長である。

 カット幅を縮小する理由は、「県内他市の状況を勘案して」という。

 しかしこれはスジが通らない。

 そもそも、3年前に給与カットをしたのは久喜市の財政が厳しいということと、財政支出を抑えようという市長自身の政治姿勢を示すためであって、他市の市長さんたちを真似したわ
けではないのだから、「県内他市の状況」は関係ないではないか。

 昨年度は県内40市中18市が給与カットを行っていて、新年度は15市に減るというが、「他市のいくつかが給与カットをやめたから」というのをいいわけにするのは、ちょっと政
治姿勢を疑われるではないか。

 というわけで、私は田中市長の道理が通らないことをもって、カット幅の縮小、実質的給与引き上げに反対した。

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 ところで、給与の引き上げに賛成した他の会派の議員さんから、ブツブツいう声が聞こえてきた。

 『この議案に反対すると、給与カットをしなくていいということになる』というのだ。

 極めてわかりにくい理屈なのだが、つまりこうである。

 この条例改正を否決すれば、元の条例は今月末の期限切れで効力を失うことになるから、給与カットそのものがなくなってしまう。
 だから給与カットを続けさせるためには、期限延長を含んだこの条例改正に賛成しなければならない。
 逆に、猪股のように改正に反対するということは、条例の期限切れで給与カットがなくなってもいいということだ、という論理である。

 なぜこんなわかりにくい“へ理屈”をひねくりだしたか。

 『改正に賛成した自分たちは、カット幅を縮小しても、市長の給与カットを続ける立場だ』と、自分たちの立場を正当化しようとする苦肉のいいわけの理屈である。

 そんないいわけをする必要は全くないのだ。

 市長の提案した条例改正に賛成の人は、『3年間も給与カットをしてきた。だからそろそろこれを中断して、カット幅を縮小して支給額を引き上げるという、市長の方針を認める』と
素直に言えばいいのだ。

 私は、「もともと市長が表明した財政難に対応するためという目的に従うならば、カット幅をそのままにして継続するべきで、3年目でカット幅を見直す大義名分はない。だから、こ
の条例改正に反対する」、それだけのことだ。




2008年3月19日 (水)
ごみ日程表の点訳



 今どき、市役所や行政機関が市民向け広報やお知らせを点訳して視覚障害者に届けるのはあたりまえのことになっている。

 昔はボランティアで点訳したりしていたが、行政の市民サービスであれば、市民の中に視覚障害者もいるわけだから、視覚障害者が読める文字でお知らせを作成して届けるのは行政の
責任で行うべきものだからである。

 というわけで、毎年、行政からの依頼を受けて、久喜点字サークルぎんなんでは、ごみ収集日程表や保健事業日程表、循環バス時刻表などを点訳している。

 ところが今年は、3月も下旬に入るというのに、4月からのごみ収集日程表の点訳依頼が来ない。

 間違いのない点訳をするためにはけっこう時間がかかるので1週間以上は余裕を取って依頼を出すようにと、これまでも頼んできていたから、いくら何でも遅いと思って、衛生組合の
事務局に聞いてみたら、担当職員が「今年は点訳しません」と言う。

 こちらは「まさか!?」と思ったけれど、この職員が何か感違いしているのかと思って、何回か念を押したが、「昨年とほとんど変わっていないので点訳は必要ないということになっ
た」とはっきりと言われてしまった。

 昨年と変わっていないから必要ないんだとすれば、そもそも目が見える人だって昨年のものを見ればいいんだから、墨字の日程表も毎年は作らなくていいってこと? …ということは
、今後はせいぜいが市外からの転入者向けにだけ配布すればいいということになる。

 墨字のごみ収集日程表は既に3月15日の広報といっしょに配布しているんだから、点字の日程表だけ配布しない理由にはならないのであって、あからさまな障害者差別というしかな
い。

 もしかしたらこの職員は、視覚障害者はゴミ出しなどしない、あるいはできないと思っているのかも知れぬ。

 そんな回答を聞かされて困っていたら、近くで聞いていた別の職員が「点訳します。内部の連絡がきちんとできていませんでした。もうしわけありません」と言ってきた。

 一応その場ではそれ以上やり合うこともなく帰ってきたが、どうなるだろう。

 今日の朝、一番で衛生組合の事務局長に「昨日、こんなことがあった」と連絡しておいたが、局長は知らないようだった。

 そもそもお役所の公務員中に、、バリアフリーについて、このような認識の職員がいること自体が信じられない思いがする。

 衛生組合の職員が「福祉」について無関心であっていいはずはないし、障害者についての研修はどうなっているのだろう。

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*「墨字」とは、「点字」に対して、目で見て読む文字のことを言います。鉛筆やボールペンの手書き文字、活字印刷などもひっくるめて、すべて「墨字」と呼んでいます。



2008年3月10日 (月)
議員は評論家でいいか



 久喜市、菖蒲町、鷲宮町、栗橋町の1市3町合併問題で、 私は、合併協議に臨む市長の基本姿勢を問うた。

 田中市長は今は久喜の市長であり、久喜市民に対して第一義的に責任を負っている。

 したがって、1月に実施したハガキによる合併に関する市民意向調査で、「新市の名称は久喜市、市役所は久喜市」と公約したのは、田中市長が、合併協議で何を主張していくかを久
喜市民に約束したのであって、政治家として正しい行動であったと思う。

 しかし私は、それだけでなく、合併によって市民サービスを低下させない、公共料金等の引き上げをしないことを約束するように求めた。

 合併によってサービスや負担がどう変わるのかは、市民にとって最大関心事であり、合併を認めるか否かの重要な判断基準となる。

 したがって、サービスや負担、政策制度について、基本的には合併時に統一させることと、政策制度によってはそれまでに十分な検討ができないとしたら、とりあえず合併時には「サ
ービスは高い方に、負担は低い方に」合わせてスタートさせるべきである、それを市長が約束してから合併協議に入るように求めた。

 合併時は住民に最も有利な水準で統一しておいて、もしも再編が必要なものがあったとしたら、それは新市において改めて検討するべきことだからである。

 行政当局の答弁は、合併時に再編、統一が基本としながらも、「関係市町で協議していく」「合併後に再編もやむを得ない場合もある」、「サービスや負担については、適正サービス
、適正負担で」と、いかにも型通りの官僚的な答弁だった。

 もしかしたら、どうしても合併時までに統一できないものが残る場合があるかも知れない、「サービスは高い方に、負担は低い方に」と約束したら、あとで約束違反と批判されるかも
知れない、そういう場合に備えて、はっきりとは言わないでおくのがお役所の習性なんだとあらためて感じたものである。

 しかし、政治の役割はもう一歩先に行かなければならない。

 お役所や官僚は政策制度に対して実務的に対応し、たとえばサービスや負担の関係についても冷徹なコスト計算に基づいて結論を出し「案」を決める。

 それに対して、市長や議員は市民に対して政治的責任を負っているのであって、官僚の出してきた結論や「案」について、政治的に検討を加え、政治的に決定しなければならない。

 ある政策のサービス水準を確保し負担を抑えるために、他から財源を持ってくるという場合もあるのであって、それは官僚にはできない、政治の役割である。

 現に今議会にかかっている「子ども医療費の窓口払いの撤廃」は、明らかに市の負担が増えることになるから、財政当局は難色を示したらしいが、市民サービスの向上、子育て支援の
政策目的を優先させるという、政治判断によって決めたものである。

 私はそうした政治家の判断、政治的判断というものを、市長がもっと発揮するべきであるという立場から、この質問を市長にぶつけたのだが、田中市長が政治家としての政治的判断に
対してあまり積極的でなかったのは残念であったというしかない。

 そしてもう一つ残念なことは、議会でもこうしたお役所の答弁をそのまま容認する議員が多いことである。

 わざわざ自分のホームページに、「合併後に再編もやむをえない場合もある」「構成市町のすりあわせが必要」「受益と負担の関係を考えて決める」というお役所的答弁を、「この通
りかと考えます」と、無条件の賛意を表してみせた議員もいる。

 完了の答弁に対して「その通り」として批判的立場を放棄し、お役所の判断におまかせでいいなら議会は不用ということになろう。

 政治家としての役割を忘れた評論家議員は何のために議員でいるか、その存在意義が問われるのではないか。


2008年3月 7日 (金)
「覇道」はだあれ?



 松村氏の一般質問の続き。

 松村氏が本当に言いたかったことは「久喜・菖蒲・鷲宮・栗橋の合併協議に、幸手市を加えるべきだということに尽きよう。

 彼はよく、質問でも普通に話す場合でもそうだが、婉曲的にあるいは故事に擬したりたとえ話でモノを言うクセがある。
 相手が市長や当局であれば、ストレートに批判するのを避けるということらしいのだが、私などから見ればどうしてそれほどに気を遣って遠慮するのかと思うときもある。

 今回は、「田中市長は王道か覇道か」ときた。

 「『王道』とは徳をもととして国を治めることであり、『覇道』は武力・権謀をもって行なう支配・統治の仕方であるが、田中市長の今回の合併に関しての対応、特に幸手市に対する
態度は『覇道』ではないか」というのだ。

 はっきり言えば要するに、“幸手市が何度も久喜市に対して頭を下げてきているのに、合併協議に加えることを拒否しているのは、田中市長が「覇道」の政治を行っている”と非難し
ているわけだ。

 しかし、昨年秋以降、合併協議を進める合意形成を進めた久喜市、菖蒲町、鷲宮町、栗橋町の1市3町の枠組みを優先する、他の市町を加える場合には1市3町の合意が絶対条件だと
いう田中市長の言い分の方が、それなりのスジが通っているのではないか。

 私自身は合併積極推進派でもなく、べつに田中市長の肩を持つ必要はないし、「王道、覇道」論にもまったく興味はないが、松村氏の市長に対する批判と質問の意図が不明だというこ
ともある。

 松村氏がなぜ「幸手市を加える」ことにそんなに執着するのか、その理由の説明もないし、まったくわからない。

 ただ、今回の合併の動きの中で、松村氏自身が個人の判断で他の市町を歩き回って「覇道」を行っているのではないかと思われるフシはある。

 さかのぼって4年前の合併騒ぎの時に、住民投票で「反対多数」の結果を招き合併破綻につながった、その原因の一つとなった「桜宮市」の名称は、合併協議会での投票で、松村氏の
1票で決まったという。
 これは私自身が、他ならぬ松村氏の口から聞いたことであったが、まさに彼の「覇道」が破綻を招いたとは言えないか。

 久喜で最近数年間の市政や議会の動向を見ていても、「覇道」の政治はことごとく失敗しているではないか。

 みずからがまず「王道」を極めてこそ、相手にも「王道」を求めることができるのだと思う。

 一方、議員の中には、自分のホームページで「市長が『王道』を歩んでいるのか、はたまた『覇道』か、私にはわかりません」などと、みずからは他人事の観客席に身を置いて、「そ
の発想と豊かなボキャボラリーに楽しく聞きました」などという評論家さんもいる。




「名称は久喜市」と主張していけないか



 一般質問の最後に立った松村議員は、合併問題で市長の政治姿勢をただした。

 ひとつは、市長が合併に関わる市民意向調査を行った際に、「新市の『名称は久喜市、市役所の位置は久喜市』と強く主張する」としたことについて、「度が過ぎるのではないか」「
合併の本旨からはずれるのではないか」ということだ。

 要するに松村氏は、「田中市長が『名称は久喜市』と主張するべきではない」ということだ。

 合併は相手の市町の立場や歴史をお互いに尊重しながら話し合っていかないとうまくは進まないことが多いから、松村氏の主張にも一理はあるが、しかし、田中市長は今は久喜市の市
長であって、久喜市民の利害を代表するべき立場にあることも確かだ。

 私はむしろ、名称を久喜市とすること自体は、合併問題の本筋ではないと思う。

 しかしこれから開始される合併協議の中で、田中市長と久喜市から選任される合併協議会委員には、大いに久喜市民の意思と要求を反映させていってほしいと思う。







2008年2月29日 (金)
李下に冠をたださず



 久喜市議会活性化対策特別委員会で、「議員は、市から補助金をもらっている団体の代表に就任しない」ということが複数の会派から提案されて検討課題にのぼった。

 特別委員会で、この項目を提案した会派は新政議員団と共産党、それに加えて、大地は「賛成」意見を述べた。

 ところが、公明党と無会派からでている委員の2人が「反対」「代表を辞める必要はない」という意見を表明した。

 「代表の選任は団体の自主性に任されるべきで、外部から介入するべきでない」
 「議員が代表になって、何か問題が起こったわけではないので、このままでいい」という。

 実は、現に市の補助金を受けているちょっと大きな団体の代表を務めている議員がそこにいたのだったが、何も発言しなかった、ということは本人も問題ないと思っているらしい。

 しかし本当にそれでいいか。

 議員は市の請負事業者の代表についてはならないという決まりがある。
 国会議員は、国の補助金を受けている企業から、政治献金を受けてはならないという決まりもある。

 これは実際に「不正」や、肩書きを利用しての利益誘導があってもなくても、である。

 ましてや、議員が団体の代表に就いていて、議員の権力を使ってその団体の利益を図るような行為をした場合、その議員は政治的責任と議員の職を問われることになる。

 実際にそのような問題を起こさなくても、市の補助金がらみの団体代表に就いているだけで市民の不信を生む原因になりかねないのであって、“誤解”を生む前にみずから団体代表を
辞するのがあたりまえではないか。

 よく、問題が起こってから政治倫理条例を制定して、「団体代表を辞する」旨の取り決めをすることはよくある。

 しかし本来は、問題が起きる前に、市民から指摘を受ける前に、市民の疑念や不信を招いたり、“誤解”を生むような状況をなくしていくべきではないか。

 私自身は点字ボランティアサークルの代表を長い間やってきたが、最近、市から循環バスの時刻表や保健事業日程表などの点訳依頼を受けることが多くなってきて、わずかながら実費
程度の点訳料をいただくことも多くなってきたので、昨年から私は代表を降りて別の方に引き受けてもらった。
 他の議員さんで、やはり消費者団体の活動を続けてきて、最近、市との交渉やお金のやりとりをすることも出てきたので、団体代表を交代したという話も聞いた。

 団体の代表者を選ぶのはもちろん団体の自主的な行為であって、会員に議員がいた場合、その議員を選ぶというのはよくあることだけれども、問題はむしろ、選ばれる側の議員の方に
あるといえるだろう。

 その議員自身が、「自分は不正や問題を起こしたりはしないから」と言って、代表の席に座り続けることがどうなのかということだ。

 議員自身が、団体の中から選ばれたからといって、安易に代表就任を受けるべきかどうか、みずからの身の律し方を考えた方がいいということだ。

 公職者は通常以上の格別の倫理観が求められる。
 「李下に冠を正さず」ともいう。
  





2008年2月28日 (木)
窓口払いの撤廃、「我が党がやりました」って、ホント?



 2月定例市議会に、子ども医療費の窓口払い廃止の議案が提案された。

 久喜市では入院は中学校卒業まで、通院は就学前まで無料で、市が負担している。
 これまでは、保護者が医療機関窓口でいったん医療費自己負担分を支払い、あとで市から返ってくるという手続きが取られていたが、4月からは、窓口で支払う必要はなくなることに
なる。

 これまで議会でも、何人もの議員がたびたび取り上げて要求してきたことであって、この条例改正案が全会一致で可決されることは間違いない。

 さて、2月26日の代表質問で、公明党の角田議員が「公明党が永年求めてきたのが実現した」と述べたのを聞いて、多くの議員や行政の職員も『エッ!?』という反応を示した。
 だれかが「砂川さんじゃなかったか?」と言う小さな声も聞こえた。

 昨年議員を引退した砂川さんは共産党だが、議会の代表質問や一般質問、議案質疑など機会を捉えて何度も何度も「窓口払いの撤廃」を主張してきていたから、その印象は誰にも強く
残っている。

 まあ、政党も議員も、新しい政策や制度が実現すると『我が党がやった』『私がやった』といって手柄にしてしまうのはよくあることだ。
 市民はそんな自己宣伝に簡単にはだまされないが、やっぱりいい気分ではない。

 どうでもいいようなことではあるが、言った者勝ちの自己宣伝や手柄争いというのは、端から見ていても恥ずかしいと思う。

 「公明党が永年求めてきたのが実現した」という言い方は間違いではないけれど、正確に言えば「公明党も」だろう。

 ちなみに、市議会会議録検索システムで、本会議で「子ども医療費の窓口払い撤廃」を誰がどれくらい取り上げてきたかを検索してみた。

96年 6月定例会  6月11日【一般質問】 砂川サカエ(共産党)  
96年12月定例会 12月 6日【一般質問】 原順子(共産党)
97年 9月定例会 10月 1日【一般質問】 砂川サカエ(共産党)
98年 3月定例会  3月 3日【代表質問】 砂川サカエ(共産党)
98年 9月定例会  9月 8日【一般質問】 砂川サカエ(共産党)
98年12月定例会 12月 2日【討論】   砂川サカエ(共産党)
98年12月定例会 12月 4日【一般質問】 角田礼子(公明党)
99年 6月定例会  6月 7日【一般質問】 砂川サカエ(共産党)
99年12月定例会 12月 9日【討論】   砂川サカエ(共産党)
99年12月定例会 12月21日【討論】   砂川サカエ(共産党)
01年 3月定例会  3月 2日【一般質問】 砂川サカエ(共産党)
02年12月定例会 12月 3日【一般質問】 砂川サカエ(共産党)
03年 6月定例会  6月10日【一般質問】 岡崎克巳(公明党)
03年 9月定例会  9月 9日【一般質問】 砂川サカエ(共産党)
04年 6月定例会  6月10日【一般質問】 砂川サカエ(共産党)
05年 6月定例会  6月30日【討論】   後上民子(無会派)
05年 6月定例会  6月30日【討論】   角田礼子(公明党)
05年 9月定例会  9月28日【代表質問】 稲木豊作(共産党)
05年 9月定例会  9月30日【一般質問】 砂川サカエ(共産党)
05年11月定例会 11月28日【討論】   砂川サカエ(共産党)
06年 2月定例会  3月22日【討論】   木村奉憲(共産党)
06年 2月定例会  2月27日【代表質問】 木村奉憲(共産党)
06年 2月定例会  3月 1日【一般質問】 稲木豊作(共産党)
06年 9月定例会  9月11日【一般質問】 角田礼子(公明党)
07年 2月定例会  2月23日【代表質問】 岡崎克巳(公明党)
07年 2月定例会  2月23日【代表質問】 砂川サカエ(共産党)
07年 6月定例会  6月12日【一般質問】 渡辺昌代(共産党)
07年 6月定例会  6月13日【一般質問】 戸ケ崎博(公明党)
07年 9月定例会  9月 6日【一般質問】 園部茂雄(新政議員団)
07年12月定例会 11月28日【討論】   木村奉憲(共産党)

 会議録検索システムは平成8年から掲載されている。
 その平成8年以降の12年間で、共産党の議員が22回、その内、砂川議員が15回取り上げている。
 公明党の議員が6回であった。








2008年2月27日 (水)
久喜市の予算規模の実態は

今年の予算は「2.2%減」か、「4.4%増」か、ちょっとややこしい数字の話である。

 久喜市の2008年度一般会計予算は、217億8600万円、07年度予算が206億0200万円だったから、11億8400万円の増額、伸び率+5.7%ということになる。

 ところが久喜市財政当局は、実質的には4億2884万円の減額で▲2.2%だと説明している。

 どういうことか。

 1つ目は、昨年度から、過去の高利率の市債を繰り上げ償還したり、低利率の市債に借り換えることで利息負担を縮減させてきている。

 現に10〜20年前の公共施設建設のために発行した市債で、利率7%とか、8%などというとんでもない市債もあるのだ。

 08年度は、平成10年に発行した本町小大規模改造事業債8310万円の市債について借り換え債を発行することにして、歳入の「市債」借り入れと歳出の「公債費」償還の項目に
同額を計上している。

 この8310万円は、市の事業規模には関係なく、形式上の予算規模をふくらませているだけだから、実質的な予算規模を算定するためには、この分を差し引かなければならないこと
になる。

 2つ目は、鷲宮南部開発の周辺道路整備を進めるのだが、その費用についてはすべて開発事業者の負担によることになっている。

 08年度の費用は12億4337万円を予定していて、そのお金については、以下のような少々複雑な経路をたどる。

 まず開発事業者から12億7898万円を「寄付金」として受け、それをいったん「道路整備基金」に積立金として支出し、基金から12億4333万円を取り崩して「繰入金」とし
て一般会計の歳入に入れてから、歳出の土木費で工事費として支出する。

 寄付金と工事費の差額は、市の事務経費として上乗せすることになっている。

 わかりやすく言えば、12億4000万円について、寄付金収入をいったん基金に積み立てた上で、取り崩して歳入に繰り入れてから支出するということになり、歳入と歳出に同額が
2回ずつ計上されているわけだ。

 だからこの12億4000万円についても、形式的に予算規模をふくらませているだけであって、予算金額から差し引いて計算するべきである。

 2008年度一般会計総額217億8600万円から、借り換え債の8300万円、鷲宮南部開発関連で2重に計上された25億2000万円(12億4000万円+12億8000
万円)の合計約26億円を差し引くと約201億8000万円となる。

 2007年度の一般会計総額は形式上は約206億円だが、前年も市債と公債費に約9億9000万円の借り換え差が計上されていたので、これを差し引くと約196億円であった。

 この2007年度の実質予算196億円と、2008年度実質予算191億円を比較すると、実質的な伸び率は▲2.2%で実質的な減額予算だということになる。 …(A)

 しかし実はもう一つの算定方法があって、2008年度の実質予算額は217億8600万円から約13億2300万円(12億4000万+8300万)を差し引いた204億63
00万円であって、伸び率は4.4%増となる。 …(B)

 こうした2つの異なった考え方は、道路整備の寄付金による整備をどうとらえるかによる。

 (A)は、歳入の側面から見て、道路整備の財源は寄付金であって、実質的に事業者が整備するものだから、市の財政には関係ないので、歳入歳出に二重に計上された金額を二重に差
し引くべきだという考え方である。

 これによると、鷲宮南部開発に関わる道路整備は、市の事業としては考えないでいいということになる。

 財政当局はどうしても、歳入の側面から予算規模を考えるものらしい。

 (B)は、歳出の側面から見て、実際に市道を整備するのだから、事業としては実体のある歳出であって、二重にではなく1回だけ差し引くべきだという考え方である。

 こちらは、市の実際の事業規模を表すことになる。

 私は、(B)の方、204億円、前年比+4.4%という方が、市の2008年度予算の実態を反映した数字だろうと考える。

 (A)の考え方は、久喜市の今年度の予算が昨年度比でマイナスだと言いつのって、何かことさらに財政を小さく厳しく見せようとしているように思える。





2008年2月23日 (土)
鷲宮・栗橋の財政への懸念



 『エコノミスト』2008年1月29日号に、「2006年度の全国1827市区町村借金(実質公債費比率)ワースト・ランキング」が掲載されている。

 埼玉県内70市町村のランキングは、
「ワースト1」は八潮市(全国で257位)、
久喜市は「ワースト36」でちょうど真ん中辺だ(全国1280位)。

県内ワーストランキング表

 さて、久喜市周辺を見てみると、
 鷲宮町は何と、堂々の「ワースト3」、全国でも403位
 栗橋町は、「ワースト6」、全国で511位

 なぜか。
 4年前の合併騒ぎのときに、合併前の駆け込みで公共事業を大盤振る舞いした結果!?ということはないのか。

 鷲宮町は前年に比べて5.8%、栗橋町が2.3%と大幅に悪化していることからして、そしてこの2町の悪化率は県内で最も高率(最悪)だということからして、急激な地方債発行
が行われた結果だということは推測できる。

 この地方債が3年据え置きだとすると、その原因となった地方債発行はちょうど前回の合併騒ぎのころだったということになる。

 財政を急激に悪化させた上で、合併して大きな市になって、その借金を薄めてしまおう、あるいは新しい市におっかぶせてしまおうという計算があったとすれば、これはちょっと許せ
ないという気持ちになるではないか。

 こんな状態では、もしも1市3町の合併がこのまま進んだとしても、新市で新たな公共事業などはとうてい望めまい。

 合併を理由として、新しいハコモノ建設だとか、市街地同士を結ぶ幹線道路の整備とかはやるべきではないだろう。
 少なくとも新たな借金はしちゃいけない、と思う。

 合併協議の中で、これらの町の財政悪化の原因をはっきりさせるとともに、財政健全化の方針と方策をはっきりと打ち出してほしいものだ。

 今回の1市3町の合併枠組みからははずれたが、幸手市が堂々の県内「ワースト4」に入っているのもどうしてか、説明してほしいものだ。
 幸手市が、財政再建方針・行財政改革計画をどのように進めていくのか、注目したい。 合併はその後の話になるだろう。



イージス艦という軍艦



イージス艦の衝突について、次々と疑問が湧いてくる。
これらは軍隊の組織と行動に対する不信でもある。

●イージス艦の当直の見張り員は本当にいたのか、または本当に「見張り」をしていたのか。
●当直員の配置や交代の具体的な状況、「引き継ぎ」の内容が明確に発表されないのはなぜか。

●見張り員が衝突の12分前(午前3時55分)に清徳丸の灯火を視認したとされているが、本当にそれは清徳丸だったのか。
●衝突2分前の4時5分に、右前方に緑色の灯火があるのに気付き、4時6分に動き出したとされているが、それは清徳丸だったのか。
 突然に緑色の灯火が現れたはずはないのだが、見張り員はそれまでまったく気付かなかったのか。

●数人以上はいたとされている見張り員のだれもが、清徳丸の赤い灯火にまったく気付かなかったのか。
●「あたご」の見張り員は、清徳丸の灯火も他の漁船の灯火も区別ができていなかったのではないか。

●もしかしたら、イージス艦「あたご」は、周辺海域の艦船の状況把握がまったくできていなかったのではないか。

●イージス艦のレーダーは、清徳丸を含む7〜8隻の漁船団を相当早い段階で感知していたはずだが、このことについていっさい発表されていないのはなぜか。
 あるいはレーダー性能に関わる「軍事機密」だから発表しないのか。
 それともレーダーが感知しなかったか、レーダー員が監視していなかったのか。
●レーダーの記録を取っていなかったとされているが、なぜか。
 または本当に記録はないのか、あっても「軍事機密」として隠しているのではないか。
●漁船を含め船舶の多い海域で、自動操舵で直進し続けていたのはなぜか。
 いつまで、あるいはどこまで、自動操舵で航行する予定だったのか。
 通常も自動操舵で航行しているのか。

●衝突12分前に「清徳丸の灯火を視認した」としながら、それ以降も漫然と自動操舵を続けたのはなぜか。

●「清徳丸の灯火を視認した」情報は、どのように伝達され、どのように判断されたのか。
●「緑色の灯火」を漁船と判断して、全力後進をかけたとされているが、規則に定められている面舵(右方向への転舵)による回避をしなかったのはなぜか、「後進」の命令を下したの
はだれか。

●衝突の12分前、2分前、1分前、衝突時、衝突後の艦長の命令や行動がまったく公表されていないが、当時だれが「あたご」の指揮を取っていたのか、艦長は何をしていたのか。
 艦長の行動や命令について、なぜ公表できないのか。

●防衛省および海上自衛隊は、軍艦の軍事行動が優先されるべきで、民間の艦船や国民は軍事行動に協力し従うべきだと考えているのではないか。

●事故後、防衛相への連絡が1時間半、首相への連絡が2時間かかっているが、遅れたことも問題だが、なぜそれほど遅れたのか。
 1時間半の間、防衛省の関係者は何をしていたのか、どこの部署で何を相談していてそんなに時間がかかったのか。
●その間に、レーダー記録や当直記録の証拠隠しや口裏合わせなどの隠蔽工作が行われた疑いはないか。

●防衛相が知ってから首相への連絡に20分もかかったのはなぜか、だれとだれが何を相談していてそれほどかかったのか。

●衝突後、イージス艦は清徳丸の乗組員の救助活動、捜索活動をしたのか。



2008年2月11日 (月)
「返品」は受け付けません



 一昨日(9日)の記事、市議会議長会の表彰辞退の話の追加である。

 埼玉県市議会議長会事務局(今年度は川越市議会)から各市議会事務局あてに送付された文書「平成20年度埼玉県市議会議長会定期総会における表彰該当者の確認について(依頼)
」の中に、今回、わざわざ該当者本人に確認することになった経緯については、以下のように書いてある。

    -----------------(引用)-----------------
 表彰該当者調査回答後、複数の市から表彰を辞退したい議員がいるという申し出がございました。
 このため、お手数ですが、再度、該当者本人に表彰受領の意思をご確認いただき、辞退する場合は報告書の(正)欄に「辞退」と「議員名」をご記入いただきますようお願いいたしま
す。

 そしてこの後に次のような断り書きが続いていた。

 なお、表彰後に辞退者が出た場合には記念品等会長市事務局では受け取りいたしかねます。辞退者の属する市議会事務局において処理していただくことになりますので、ご承知おきく
ださい。
    ----------------------------------

 この後段の文章を読んで、私は笑ってしまった。

 つまり、表彰該当者が本当に受け取ってもらえるかどうか、各市議会で間違いなく確認してくださいよ。
 もしも後で記念品を受け取ってもらえないとなったら、「返品」は受け付けません。
 その場合は、その記念品は辞退者の出た市義会事務局で「処分」してください、と念押しをしているわけだ。

 常識的に考えれば、「いらないよ」と言って返されたら、その「返品」は市議会議長会事務局で保管して、来年の記念品に回せばいいんじゃないか。

 食べ物だったら使い回しや日付改竄は許されないけれど、「記念品」だったら腐るわけじゃないし…、と思うのだが、議長会の常識はそうではないらしい。

 いったん出したら「返品」は受け付けない、それは議長会ではもう関知しないものだから、倉庫で永久保管するなり捨てるなり、勝手にどうぞ、というわけだ。

 もしかしたら、いったんくだされたものを返されることは権威に関わるとでも思っているのかも知れぬ。

 その場合、「宙に浮いた記念品」をどうするか、該当の議員にもそこの議会事務局にも「不用品」には違いないから、捨ててしまってもどこからも文句は来ないんだけれど、該当の市
議会職員も困るだろうな。

 一応、税金から買った記念品だしね。

 どうするか、試してみたい誘惑に駆られる。



2008年2月 9日 (土)
議員30年表彰を辞退しました



 毎年4月、5月に、埼玉県市議会議長会、全国市議会議長会の総会が開かれ、その中で「議員の表彰」が行われる。

 これは議員を長く続けている人に対して、“地方自治に功労があった永年勤続表彰”として行われているもので、10年、15年、20年、25年、…50年表彰までの規定がある。

 表彰といってもいちいち議長会総会の表彰式に出向いていくわけではなくて、全国や埼玉県議長会の事務局から送付されてきた表彰状と記念品を、久喜市議会の休憩時間にみんなの前
に出て受け取るだけである。

 私ははこれまで25年までの表彰状を何となく受け取ってきていたが、やっぱりどこかおかしな表彰制度だと感じてはいた。

 この表彰は、議員の活動に対してではなく、ただ単に「何回も議員に当選した」「長く議員を続けてきた」、それだけをもって表彰するものであって、議員の名誉欲を満足させるもの
でしかない。
 しかも、表彰状と、記念品として宝石付きバッジを交付しているのだが、それも税金から支出しているのであって、“議員特権”以外の何ものでもないではないか。

 表彰規定と宝石付き記念バッジ

 それで一昨年、全国の市民派・無党派議員を中心に取り組まれた「議員特権拒否キャンペーン」に私も参加して、「議員特権」の一つとして、この議員表彰制度も批判してきた。



 このキャンペーンに参加して、これまでにも多くの市民派・無党派議員がこの表彰を拒否し、受章を辞退してきていたことを知って、私自身、自分があまり深く考えもせずに受賞し続
けてきたことを恥じたものだ。

 さて、今年1月に、以下のような書類が久喜市議会事務局に届いた。
 埼玉県市議会議長会事務局から、「平成20年度さいたま市議会議長会定期総会における表彰該当者の確認について(依頼)」と題した書類で、以下のような内容である。

  『表彰該当者の中で、複数の市から表彰を辞退したい議員がいるという申し出があったので、表彰該当者本人に表彰受領の意思を確認していただき、辞退する議員がいたら名前を報
告してほしい』と書かれている。

 今年、久喜市議会では、猪股が30年に該当していて、他に20年表彰に該当する議員もいるという。
 久喜市議会では今回はこの2人が該当するので、この文書に基づいて、議会事務局の職員が該当者本人に、受章する意思があるかどうか確認をしたいと言ってきた。

 当然、猪股は「拒否します」と答えておいた。

 この後、全国市議会議長会からも同じような「確認」の依頼が来るだろうという。
 そちらも「拒否と言っておいてください」と答えておいた。



2008年2月 1日 (金)
合併アンケート(8)集計結果の読み方



 合併アンケートの「開票」作業が行われた。

 開票結果は私のホームページをご覧いただきたい。

(1)回答率61.8%

 私は一昨日の時点までの見通しでは、50%に届かないのではないかと思っていた。
 昨年4月の市議会議員選挙の投票率が54.24%だったから、60%を超えるというのはたいへん高い回答率といえる。
 市民の合併に関する関心がそれだけ高かったということだろう。

 幸手市のアンケートが逆に、回収率は50.4%でやっと半数を超えた程度だったのは、この数年間の合併を巡る政争に嫌気がさしていると見る人もいる。
 菖蒲町は66.4%、鷲宮町は64.0%で、いずれも久喜よりも高い。

(2)合併賛成票52.3%

 「合併を進めるべきである」は52.3%だった。
 私は賛成と反対の比率は2:1くらいかと思っていたので、思ったよりもずいぶん低いと思った。
 これは設問がまずかったせいもあるのではないか。
 「進めるべきである」と断定的に回答するには、現在の段階ではあまりにも判断材料が少なすぎる。
 「新市の名称は久喜市」というような表面的なことだけで「賛成」はできないという、市民の躊躇があったのではないか。

 本当の意味で、1市3町の合併に対する市民の意向を確認したいのだとすれば、もっと政策的な課題が合併によってどうなるのかを市民に示さなければならぬ。
 今の段階で示せないとしても、田中市長の「公約」あるいは努力目標としてでも、市民の前に提示すべきでなかったか。
 どのようなまちづくりを進めるかを提示してこそ、市民も責任を持って判断することができるというものではないか。

(3)3分の1が反対票を投じた

 「合併を進めるべきでない」が33.4%、ちょうど1/3というのは、私の予想どおりだった。
 今の段階で、合併賛成、反対を断定的に回答するのはそもそもムリであるとしても、だからこそ、この不透明な「合併推進」に対して、1/3もの人が“うさんくささ”を感じて、本
能的に「反対」と回答したのではないか。

(4)「どちらでもよい」の意味するところ

 「どちらもよい」と回答した人が13.7%だったが、これはいろいろな意味が考えられる。
 この選択肢はきわめて無責任な回答であるのだが、当局と市長は「どちらでもよい」は「賛成」と解釈するつもりで、こんなおかしな選択肢を設けたと、私は思っている。

 市民の側からすれば、この「どちらもよい」にはいろんな意味があるのではないか。
 文字通り、関心がなくて“どちらでもよい”という人…、
 賛成でもない、反対でもない、合併してもしなくてもよいという人…、
 あえて反対はしないが、特に合併する必要もないんじゃないのという人…、
 回答に迷って“どちらとも言えない”という意味で○を付けた人もいるかもしれない。

(5)久喜は無効票が多い

 無効票が238人(0.7%)もいたことに注意を払う必要があると思う。

 菖蒲町では無効票は41人(0.3%)、鷲宮町は45人(0.2%)、幸手市は177人(0.8%)に比べれば、久喜市民にとってこのアンケートの選択肢の設定がいかに本音の
記入をしにくくさせていることか。

 私の周囲では、まじめな人ほど「選択肢がない」と訴えて、「意見を聞いてほしい」と言って、欄外にいろんな条件や意見を書き込んでいた。
 結果的にどこかに○を付けて投函した人も、ほとんどの人が苦しい選択だったのではないか。

 その意味でも、今回のアンケートが市民の本当の意向をどれだけ反映しているか、きわめて疑わしいと言わざるをえないのである。





合併アンケート、投票率途中集計56%



 合併に関する市民意識調査の回答数は、1月31日の午前中までで32633名、回答率は56%となっている。
 最終的な回答数・率の集計は「開票」作業後に行うことになる。

 回答率はもっと低いのではないかと予想されていたが、田中市長後援会などによる投票依頼運動、電話作戦の効果があったのかもしれない。

「調査票判定要領」を公表

 1月28日の時点で企画政策課長に聞いたところでは、開票の際の判断基準等がまだできていないということだったので、できあがったら私にもくれるように依頼しておいたのだが、
ようやく今朝(2月1日)になって、課長から「できた」と電話があった。

 さっそくもらってきた「調査票判定要領」に記載されている判断基準の主なものは、以下のとおり。
・基本的には、何番に○が付されたかを判断できるものは、他に雑事の記載があっても、すべて有効とする。
・○が付いてないものは、雑事記載があってもすべて無効とする。
・雑事の内容は判断しない。

・一つに○、他に×が付いているものは有効
・△や□も有効

・2つ以上に○が付いているものは無効
・○が付いていなくて、他が×等で消されているものは無効

・いずれに○が付いているか判断しがたいものは、疑問票とし、係のリーダーの判断を仰ぐ。
・疑問票については、極力市民の意向を反映できるよう判断に努めるものとする。







2008年1月30日 (水)
合併アンケート(7) 開票方法と判断基準がいまだに公表されない



 合併に関する市民意向調査の集計方法、特に、疑問票などの判断基準を、事前に決めておいて公表するのは、あたりまえのことであって、それが明らかにされないということは、開票
作業そのものがどのように行われるのかわからないということを意味する。

 企画政策課長に、その基準なりがまとまったら、くれるようにと依頼しておいた。

 ところが、回答締切日が明日に迫り、1月30日も過ぎようとしているのに、まだ何の連絡もない。…ということは、まだ開票方法や判断基準がまとまっていないのだろうか。

 私は、市民意向調査が現に公正に行われているのか、明後日の開票作業が果たして公正に行われるのかどうか、調査自体を疑い始めている。






2008年1月28日 (月)
合併アンケート(6) 開票・集計の方法は



 合併に関する市民意向調査は31日締め切り、2月1日に集計される。

 市長ら、合併熱烈推進派の電話作戦もいよいよ熱が入ってきたようだ。
 私のところにも、市民の方々から、「あんなのやっていいの?」という問い合わせや疑問の声が寄せられているが、公職選挙法に縛られているわけではないので、どのように運動しよ
うと自由、電話も戸別訪問も、会合でのお願いも何でもできるということになっている。
 もっともこれは、かなりの反発、逆効果も出てはいるようだ。

 それとは別に、市の管理職を動員して、投票促進の「啓発活動」も活発に行われている。
 日曜日にはヨーカドー前で、月曜日には久喜駅前で、管理職がずらっと並んで市民に訴えたという。

 さて問題は、集計=「開票」の仕方、それと有効、無効の判断基準がしっかりできているのかである。

 2つ以上に「○」がついていたらどうするのか。
 1つに「○」で、他に「×」が付いていたり、線で消されていたら、有効か無効か。
 「○」はなくて、2つが「×」だったり、線で消されていたら、有効か無効か。
 1つに「○」が付いていても、わきに「条件」が書かれていたら、有効か無効か
 「○」がどれに付いているか、微妙な場合は、だれが判断するのか。

 欄外に意見が記入されている場合、それらは市民の意見として集計するのか、それともいっさい無視するのか。

 客観的な判断基準があるのか。
 その場での判断は職員が行うのか。
 熱烈推進派議員だけで固めてしまった立会人も判断に加わるのか。
 一枚一枚のはがき、特に疑問票を「これは賛成に入れろ」と口出ししたりすることはないのか。

 特に、いわゆる「疑問票」の区分け、判断についてはあとあと問題になってくることもありうる。
 やり方によっては、「調査」の信頼性自体にかかわることだ。

 その判断基準は当然、事前に明文化して定めておくべきだろうし、公開されるべきである。
 担当者内部だけで、あるいは推進派だけで「判断基準」を定めて適用させるなんてことはあってはなるまい。

 担当課長に聞いたところ、まだできてないという。
 「できあがったら私に一部ください」と言っておいた。 



2008年1月25日 (金)
だいちのねがい



 私の部屋にかかっているカレンダーです。

 10数年前に友人に教えてもらって使い始めて、けっこう気にいっていて、ずっとこのシリーズを使い続けています。 今年の1月は、「だいちのねがい」といいます。

 ね、ちょっといいでしょう。

 市議会の会派の「大地」と同じという思い入れもあって、親近感もわいて好きな詩です。

  くどうなおこ と のはらみんな 作、 ほてはまたかし 版画 です。



2008年1月23日 (水)
合併アンケート(5) 疑念が消えない



 合併に関する市民意向調査で、おかしなことがたくさんある。

(1) 市は合併に関する説明資料と返信用意ハガキを18日に発送したのだが、19日に届いた人、21日に届いた人、遅いところでは22日の夕方にやっと届いたお宅も多い。

 5万9000人にいっせいに出したとはいえ、なぜこんなにかかったのだろう。

(2) 田中市長後援会から、「回答ハガキの〈1〉に ◯ を付けて返送してください」という電話が無差別にかかっているらしい。

 電話をかけるには、人も使うし、金もだいぶかかるだろう。 市長はどういうつもりだろうと考えてしまった。

(3) 2月1日の集計=開票に、議会から立会人を出すことになった。

 ちょうど今日(1月23日)に議員研修があって、行きのバスの中で議長から希望者を募ったのだが、示し合わせていたかのようにすかさず3人が手を上げて、あっという間にその3
人に決まってしまった。

 全員が合併熱烈推進派の人だ。

 公正公平でなければならない開票立会人を、一方の立場の人たちだけで固めてしまおうというやり方も理解できない。何か思惑でもあるのだろうか。

(4) 回答ハガキの紙があまりにおそまつなのにちょっと驚いた。 あれではコピーでいくらでも複製を作れてしまって、チェックもできない。

 まさかそんなインチキ行為をやる人はいないと思うが、そういうことができないようにしておいてこそ、調査の信頼性を高めることができるのではないか。

(5) 昨年、合併の市民意向調査をやったある町で、出さないハガキを集めて回った人がいたという。 久喜ではそんな行為は起こらないように願いたいが、仮にやった人がいても調べ
ようがない。



2008年1月18日 (金)
合併アンケート(4) 合併狂想曲、また…



 1月18日から、「合併に関する市民意向調査」が始まる。
久喜市と鷲宮町、菖蒲町がそれぞれの全有権者に資料と返信用はがきを郵送し、31日までに回答してもらうというやり方。

 “何が何でも合併してでかくなりたい”という市長や議員たちは、すでにあちこちで、『1.に○を付けて投函してください』と呼びかけ、お願いして回っているらしい。

 4年前にも田中市長は、どこへ行っても「合併」「合併」と繰り返し、「賛成に○を付けてください」とひたすらお願いして回っていた。
 合併とまったく関係ない集まりのあいさつでも、延々と「合併」の話をして場を大いにしらけさせていたものだ。…今でいえば“KY”だ。

 とっても気になるのは、「なぜ、なんのために合併するのか」「合併してどんなまちづくりを進めるのか」「新市の市民サービスや基本政策がどうなるのか」がまったく語られずに、
『合併して大きな市を作ること』それ自体が目的化してしまっていることだ。

 「合併しないと生き残れない」「合併は時代の流れ」というのから、果てはこんなばかげた言い方さえもされてきている。

 それは、「宮代や杉戸が春日部市に入ると30万人の人口になる、蓮田と白岡が合併すると11万人の人口になる。久喜市の隣に久喜よりも大きな市が2つもできることになるから、
久喜市も大きくならないと対抗できない」というのだが、何を対抗するというのだろうか。
 大きな市が隣にできると何が困るのか、たとえば、さいたま市に隣接している市は何か困っていたり、さいたま市に対抗してそれよりも大きくならないと“やっていけない”とでもい
うのか。

 4年前の合併騒ぎの時も、結局、何のために合併するのかがまったく語られなくて、空騒ぎに終わってしまった。

 今度も同じ“愚”を繰り返してはなるまい。

“だめなまち同士がくっついて、よくなるわけがない”

 菖蒲町のホームページでは「平成23年度に、財政は赤字になる」と書かれていて、「このままではやっていけない。お先真っ暗」ということらしい。
 4年前にも、久喜市も幸手市も鷲宮町も、やっぱり“このままではやっていけない”“数年先には赤字になる”と危機感をあおったのだったが、結局あれは全部ウソだった。

 今度もただ危機感をあおって合併を宣伝するとすれば、「狼が来た」と同じに、市民からはかえって信用されない。

 それに、菖蒲町や鷲宮町、栗橋町もそうだが、「数年先には赤字になる」のが本当だとしたら、だめなまち同士が合併して、財政が好転する保障があるのだろうか。
 だめなまち同士がもたれあって、かえって悪くなるのではないか。

回答ハガキの選択肢は作為的

1月11日のブログで、久喜市の回答ハガキの選択肢の設定がおかしいと書いた。

 1.合併を進めるべきである
 2.合併を進めるべきでない
 3.どちらでもよい

 なぜ、通常のアンケートのように「賛成、反対」という普通の言い方にしなかったか。
 「進めるべきである」「進めるべきでない」という強い言い方は、強硬推進派と絶対反対派をイメージさせるのだが、“条件によっては賛成”とか、“よくわからないので反対”とか
、いろいろな立場や見解があるはずで、今回のような事前のアンケートは、市民の多様な意見を吸い上げ、反映させるべきではないか。

 「どちらでもよい」という選択肢に○を付ければ、市長や当局は、どちらでもよいというのは「進めてもよい」という意味だから、賛成票に分類するおつもりだろう。

 そうすると、どちらかといえば疑問を持っている人にとって「合併を進めるべきでない」という選択肢しか用意されていないことになる。

 菖蒲町の回答ハガキの選択肢は、
  1 合併を積極的に進めるべきだ
  2 合併はやむをえない
  3 合併は進めるべきではない
となっている。
 これも「賛成」の選択肢を2つ設定して、かなり作為的だ。

 普通のアンケートでは、必ずといっていいほど、「どちらとも言えない」とか、「その他」の項目があるのだが、今回のアンケートではあえて、そうしたあたりまえの選択肢は作らな
かったわけである。



2008年1月13日 (日)
成人式は静かだった



 今日、1月13日は久喜市の成人式式典があった。

 今年の久喜市の新成人は802人、昨年より140人くらい減っている。
 その内、式典への参加者は600人余だという。
 総合文化会館の1300人が入れる大ホールはがらがらという感じだった。

 最近はほとんど毎年、“来賓”として参加しているが、一時期の“荒れる成人式”とはすっかり様子が変わって、静かなおとなしい成人式となっている。

 もっとも市長や来賓が話をしている間中、ずっと会場はざわざわし続けている。
 仲間同士で話し続けている人たち、携帯メールをやっているらしい人、携帯で写真を取り合っている人、いったいどれくらいの参加者があいさつを聞いているだろうか。

 もっとも私から言わせれば、こんなのはあたりまえで、成人を迎えた人たちの立場からすれば、仕事や義務で来ているわけでもない、1人1人の態度に点数を付けられるわけでもない
この成人式の場で、お説教じみた形だけのあいさつに耳を傾けたくはなかろう。

 男性の中で羽織袴姿の参加者が20〜30人くらいいて、最前列の真ん中は彼らが占領していた。
 赤、白、青、水色、ピンクの色とりどりの羽織が並んでいて、てっきり式の最中に騒ぐのかと思ったが、拍手なんかも普通にしているし、失礼ながら意外とまじめなようだ。

 それにしても彼らは、じっと座席についておもしろくもない話を聞かされて、大人たち=権力=既成の価値観に、よくあんなに従順に従っていられるもんだなあと思った。

 私は、例年通り、来賓席の端の参加者席にいちばん近いところに座り、君が代斉唱のときには座ったままで、みんなの歌声を聞き流しながら会場を見回していたのだが、君が代を拒否
して座っている人を見つけることはできなかった。

      -------------------------------------------------

 35年前、私の成人式のときはどうだったっけ…。

 学生運動のまっ最中、大学は確か授業ボイコット、バリケードストライキに突入していて、学生会館に泊まりこんでいたんじゃなかったかな。
 それでなくても、既成の価値観に対する批判、すべての権力を否定する立場だったから、お仕着せの成人式なんて出席するはずもない。

 いつもジーパンにセーターでいて、晴れ着やスーツを作ることも着ることもなかった。

 成人式の案内状もそのままゴミ箱に放り込んだと思う。


2008年1月12日 (土)
合併アンケート(3)市民への公約



 合併に関する市民意向調査(ハガキアンケート)を実施するにあたって、田中市長は「新市の名称は久喜市、市役所の位置は現在の久喜市役所」と公約した。

 前回の合併住民投票で市民の「反対」多数で否決された原因を、唯一、「桜宮市という名前が悪かったせいだ」と思いこんでいるとすれば、とんだ勘違いだが、それでも合併協議に入
る前に、久喜市長として何を主張するかを市民に約束することは大事だと思う。

 前回は、「どんなまちづくりを進めるか」「合併後の市民サービスや公共料金のあり方」についても、事前には言えない、すべては合併協議会の中で協議しなければわからないという
立場だった。
 市民に対しても議会に対しても、合併後のまちづくりの明確な方針は示さずに、合併協議に突き進んでいった。

 今回は少なくとも、【合併協議に臨む久喜市の基本姿勢】として、新市の名称と市役所の位置だけは、市民アンケートに際して公約してみせたわけで、その積極的な姿勢を評価したい


 そして、【合併協議に臨む久喜市の基本姿勢】として、田中市長はさらに次の基本的事項について見解を明らかにして市民に公約すべきである。

 第1には、合併協議の最終段階で、“久喜市として住民投票を実施する”“他町に対しても住民投票を実施するよう強く主張する”こと。

 第2には、新市の基本的な政策、市民サービスや公共料金は合併時に統一すること。
 現状は、1市3町の中ではほとんど、久喜市が市民サービスは高く、公共料金は低いわけで、それらは久喜市の水準を基準として統一するのが当然であろう。

 前回はごみ行政は合併後も1市3方式を継続するとしていたし、公共料金は、水道、下水道、国保税、保育料、給食費などのことごとくを統一しないで旧市町のままバラバラにしてお
いて、いずれ高い方に合わせる方向だった。

 第3は、議員は合併時に全員が自動的に失職し、直ちに選挙を行うこと。
 これも前回は、合併後1年間、2市1町の70名の議員が居座ることにしていたわけで、今回はそんなことはしないことを明確にすべきである。

 田中市長は回答用ハガキに「これまで久喜市が先進的に取り組んできた各種施策の継続」を明記した。
 であれば、少なくともこれらの基本的な事項についても、久喜市長として主張すべき立場を議会と市民に約束してから、合併協議に入るべきである。

 これらのことが事前に約束され保障されるなら、合併についての市民の懸念のほとんどが払拭されるわけで、合併協議を開始することについて反対する理由はほとんどなくなる。


 しかし、田中市長がこの期に及んでもなお、「久喜市だけでは決められない」「協議してみなければわからない」などというあいまいな姿勢を取り続けるとしたら、そのような無責任
な合併協議への参加を認めるわけにはいかない。


  その場合、田中市長は久喜市の代表としての市長の責任を果たせないと断ぜざるを得ない。







2008年1月11日 (金)
合併アンケート(2)回答ハガキの作為



 合併に関する市民意向調査」は、1月18日までに、20歳以上の全市民1人1人に「意向調査実施のお願い」と返信用のハガキが郵送で送られて、31日までに郵便局必着で回答す
ることになる。

 「市民意向調査」の回答用のハガキについては、その回答様式について、いくつかの疑問や懸念がある。

 回答欄は「1.合併を進めるべきである 2.合併を進めるべきではない 3.どちらでもよい」の3択なっているのだが、この選択肢はどうか。
 「賛成、反対」の選択肢から選ぶのが普通ではないか。

 「反対」の立場の選択肢を、あえて「進めるべきではない」という形にしたのは、意図があってのことか。

 「どちらでもよい」という選択肢もどうだろう。
 中立的な選択肢としては「わからない」、あるいは「どちらとも言えない」というのが普通の回答ではないか。
 もしかして田中市長は、「どちらでもよい」と回答した人を、消極的な「賛成」に区分けするつもりだろうか。

 回答ハガキの回答選択肢のすぐ下に、「合併協議に臨む久喜市の基本姿勢」とあって、そこに「新市の名称は久喜市」「本庁舎の位置は久喜市」ともう決まったかのように断定的に書
かれているのも、普通ではありえない。

 「名前は久喜市のままで、市役所は現在の位置を変えないから、合併に賛成してください」と、回答を誘導するためにわざわざここに書いたのは明らかである。

 久喜市と同じ時期に住民アンケートを行う菖蒲町や鷲宮町の住民は、合併後の新市の「名前は久喜市」、「市役所は現在の久喜市役所を使う」ことを知っているのだろうか。





合併アンケート(1)市長は議会を避けたのか?



 今月、「合併に関する市民意向調査」が実施されることになった。
 久喜市、菖蒲町、鷲宮町、栗橋町の1市3町の枠組みで合併協議を進めることについて、それぞれの市町の住民の賛否を問うもので、それ自体はごく当然のことである。
 というよりも本来は、枠組みを決める前に、どこの市町と合併協議を進めるかについて、久喜市民の意向調査を行うべきだったと思う。

 すでに昨年10月に住民意向調査を実施した栗橋町の場合は、住民の多数が「久喜市を含む枠組み」を選択し、その結果を受けて町長が「1市3町の枠組み」を決定したのであった。
 今回、久喜市と菖蒲町、鷲宮町は、すでにそれぞれの首長が1市3町の枠組みを決定してから、「この1市3町で協議を進めてよいかどうか」を問うものであるから、栗橋町のアンケ
ートとは少し意味が異なる。

 昨年12月末に、それぞれの市町において「市民意向調査」を実施するという方針が出されて、鷲宮町では1月早々に臨時議会を開いて「意向調査のための補正予算」が提出され可決
した。

 久喜市でも当初予算では「市民意向調査」にかかる予算は取ってないから、当然、補正予算を組まなければならない。

 そのために臨時議会を開くものと思っていたが、いつまでたってもその連絡が来ない。
 おかしいと思って、1月10日になって当局に問い合わせると、「臨時議会は開かない」、「市民意向調査」にかかる経費、印刷代や郵送料約800万円は予備費を流用するのだとい
う。

 ちょっと待て!
 そうすると、「市民意向調査」をどのように実施するか、内容ややり方について、いっさい議会に諮らずに、市長と行政の判断だけで進めてしまうということになる。

 当初予算に計上していない新たな事業を行う場合、補正予算を組んで議会の議決を得るのが原則、あたりまえのルールである。

 それに対して、たとえば予想しがたい突発的な災害などで、議会を開くいとまがなくて事業を行う場合、予備費を流用することは認められているし、この場合も予備費を使うことは違
法ではないが、「議会を開くいとま」がある限りは、議会での議決を得た上で事業を行うのが正当なやり方である。


 ましてや、合併というこれほどの大問題、その出発点で、市民アンケートを行うのに、議会でまったく議論しないで進めてしまうというのは、“違法ではない”が、ルールを無視した
邪道であると断ぜざるを得ない。

 それに、市民アンケートの公平性、公正性を確保するために、当局の説明も聞く必要があるし、注文も付ける必要がある、議会として、議員として、きちんと論議する必要があると思
っていたのだが、その最初の機会は省略されてしまったことになる。

 田中市長は、議会や市民の意見を大事にしながら進めるという、基本的な姿勢を失ってしまったのだろうか。

 端的に言って、田中市長は議会での議論を避けた、逃げたのではないかと考えざるをえないではないか。



2008年1月 9日 (水)
政務調査費の使い方



 朝日新聞埼玉版で元旦から「政務調査費」についての連載記事が掲載されている。
 県内市町議会の3年間の政務調査費の収支報告書と領収書を情報公開させて調べたものである。

 昨年12月議会中に開かれた久喜市議会代表者会議の場で、事務局長から「新聞社から情報公開請求があった」と報告があって、ある会派の代表者などは「どこの新聞社か」を明らか
にするよう求めたものだ。
 情報公開制度では「何人も」公開請求する権利を持っているのであって、請求者の氏名や身元を公表するなどということは想定していない。
 議会に情報公開請求をしたら、誰が請求したのかが議員に公表されてしまうとしたら、そのこと自体、情報公開請求を行おうとする行為を牽制することになる。
 市民の「権利」行使にブレーキをかけさせることになることは明白だ。

 『請求者について、たとえそれが新聞社であっても公表するのはおかしい』と発言して、当然のことながらその場では「どこの新聞社か」は明らかにされなかった。
 それでも議員の間では「A新聞らしい」という情報が流れた。

 さて、新聞記事である。
 「えっ!? こんなひどい議会があるの?」と思わざるをえないほどの実態である。

・蕨市議会で、ある会派が料亭での昼食代1人4000円以上を政調費から支出
・越谷市議会では、しゃぶしゃぶ店で会派勉強会や、視察の帰りに浅草の老舗どじょう屋で夕食反省会
・深谷市議会、滋賀県での視察で、「忍術屋敷」の入場料
・熊谷市議会、「古武術的ゴルフの極意」「1ねんせいのかんじがくしゅう」
・越谷市議会、「ダ・ヴィンチ・コード」「森山良子ザ・ベスト」
・鳩ヶ谷市議会では、会派で2台のカーナビを購入
・さいたま市議会、パソコンやプリンターを購入、改選後に会派の全員がパソコンを買い換え

 久喜市議会では、「備品」的なものはたとえノート1冊でも認めないことになっている。
 また、すべての領収書を添付することが義務付けられていて、私は4半期ごとに全会派の収支報告書を取り寄せてチェックしているが、さすがにこんなひどい常識はずれのものはない


 だが時々、領収書に「品名」が書かれていなかったり、首を傾げたくなるような支出もなくはない。
 こういうことはやっぱり、誰かがきちんとチェックしないといけないと思う。
 チェックする人がいれば、議員(会派)も、常に心がけるようになる。