明治時代・戦後の混乱時期と見てきてわかった、日本の銀行業界では、「貨幣乗数」「ハイパワード・マネー」「トランスミッションメカニズム」などの言葉は使われていない。「神話」は教育業界だけに通用する特殊な理論であることがハッキリした。
今週は「神話」から生まれる多くの曖昧理論や、それらに関連する事項について書くことにする。まずは、経済学教育業界の人でありながら「神話」を信じない人の意見から聞くことにしよう。
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<マルクス経済学者からの「神話」批判 @>
以前に <「岩田・翁論争」はピント外れの論争だった>▲ で
「本当は、大学教授で「日銀理論の方が正しいようだ」と書いている経済学者もいたが、主流派からは無視されていた。しかしこれに関して書くと長くなるので、このシリーズの終わり頃に取り上げることにしよう。
ただ、「割合に近い所にいる人でも、この業界では無視され、相手にされないこともある。それほどこの経済学者業界は閉鎖的である」とだけは言っておこう。」
と書いた。ここでその、「日銀理論の方が正しいようだ」と書いている経済学者の文章を引用しよう。今まで取り上げてきた人たちとは違う「マルクス経済学」の人。読めば分かるように、ごく自然な見方だ。多くの経済学教育業界の人が何故このような素直な見方が出来ないのか?不思議に思う。
日本銀行は現金需要に対し受動的である
日本銀行の信用供与は現金需要に対して基本的には受動的である。まず借り主である機能資本(企業)が貨幣資本を要求し、これに応じて商業銀行は貸出によって預金通貨を創出する。
預金通貨が増大すれば、準備預金も増大する必要があり、この需要に対して、日本銀行としては受け身で応ずる以外にない。
こうして、商業銀行と企業や個人との間で現金通貨の流入、流出があると、各銀行の準備預金の増減が生ずる。現金通貨の圧倒的部分は日本銀行券であるから、現金通貨の流入、流出は、ほぼ日本銀行券の流入、流出(日本銀行券の還収、増発)と見なすことができる。
日本銀行の準備預金供給は、準備預金の積立期間中を通して見れば完全に受動的であるが、日本銀行はこの積立期間中の準備預金の積み進渉率(積立期間を30日として毎日同じペースで積み立てた場合、積み進渉率は1日あたり約3.3%ということになる)
を抑制気味にあるいは緩和気味に調節する。(T注) 日本銀行が準備預金を抑制的に供給して、積み進渉率を標準のテンポより遅らせると、短期のインターバンク市場金利は上昇する。
逆の場合には市場金利は低下する。こうして、日本銀行は準備預金の積み進渉率の調整によって日々の短期金利を政策的にコントロールし、そして金利裁定取引を通して短期金利の変動が金利水準全般に及ぶ。日本銀行は1ヶ月を通して通貨供給を受動的に行うという制約条件のもとで、日々の短期市場金利に影響を与えて金融調整を積極的におこなうことができるのである。
マネーサプライは基本的に銀行の貸出によって規定されるのであるから、逆に言えば銀行借入の返済が進むとマネーサプライは減少する。つまり、銀行のバランスシート上では資産(貸出)と負債(預金)とが同時に減少するのである。
最近(1992年)、設備投資資金など長期で調達した銀行借入の返済が急激に増加している。企業は1987年以降長期借入を増やしたが、現在この間に膨張した借入の返済期にあたっているため、回収額が増加しているのである。
こうして企業の新規借り入れ需要の「減少と返済の集中したがって銀行貸出の減少がマネーサプライ押し下げの基本的な要因である。
(『現代貨幣論』から)
(T注) 日本銀行が準備預金の進渉率を=進み具合を、「早くしなさい」とか「ゆっくりでいいですよ」と指導することを「窓口指導」と言う。これは1991年には廃止された。つまり銀行が準備預金を積み立てる進渉率は、各銀行の自主性に任され、日銀はそれを指導するようなことはしなくなった。
この『現代貨幣論』が書かれた時点では既に廃止されていた。象牙の塔に籠もっていても、金融情勢の動きには敏感であってほしい。日銀ネットが即時グロス決済(RTGS)を採用した、そのことを知らずに
教科書▲ を書いているのと同じ、経済学教育業界人の怠慢。
マネーサプライや預金通貨の変動が原因であって、ハイパワードマネーの変動は結果である
まず銀行の信用創造(預金創造)があって準備預金が求められるのであって、貸出→預金→準備預金という規定関係が形勢されている。
したがって、 マネーサプライや預金通貨の変動が原因であって、ハイパワードマネーの変動は結果である。 銀行の預金額が準備預金額を規定するのであって逆ではない。また、ハイパワードマネーは銀行券の流出入および財政対民間収支によっても規定され、中央銀行がまったく任意に操作できる外生的変数ではない。
中央銀行によるハイパワードマネーの供給は基本的には受動的なのである。マルクスは、銀行券流通はイングランド銀行の意志から独立していると述べたが、現在も中央銀行が銀行券流通をコントロールできるものではない。
岩田氏は銀行の預金創造について次のように説明を始めている。「いま日本銀行が民間銀行に凾aだけの貸出を増やしたとしよう。……銀行はこのままでは超過準備になるので、企業への貸出などを増やそうとするであろう」。しかし、日本銀行が、まず市中銀行の貸出より先に、しかも市中銀行からの需要と無関係に超過準備を市中銀行に貸し出すという、この想定事態が非現実的といわなければならない。
市中銀行は無準備の債務を負うことによって貸し出すことが可能なのだから。事前に日本銀行からの信用供与を必要とはしない。まず、市中銀行の貸出による預金創造があり、この預金から現金での引出が生じるから、日銀からの貸出が必要となるのである。
岩田氏の議論はまったく逆立ちしていると言わざるを得ない。
(『現代貨幣論』から)
(T注) 「市中銀行は事前に日本銀行からの信用供与を必要とはしない」とは
▲
『金融』 {新版} 池尾和人・岩佐代市・黒田晁生・古川顕 有斐閣
1993.2.20
でも次のように書かれている。
「銀行が貸出を行う場合、貸出金は、その銀行に設けられた借り手の預金口座に振り込む形をとる。すなわち、銀行から見れば、貸出とは、直ちには貸出額に相当する数字を預金口座にに記入することにすぎない。
したがって、この限りでは 紙とインクさえあれば、銀行は、いくらでも貸出を実行できる ことになる」
非現実的な岩田理論
ハイパワードマネーは中央銀行が仕込むパン種で、マネーサプライがパンで、貨幣乗数がパンの膨張率であるというような貨幣乗数論型の金融政策イメージは、翁氏の述べるように非現実的である。
銀行の信用創造たる貸出によって預金が増加し、マネーサプライが増加する。したがって現在、不況により実体経済が低迷し、再生産が収縮し、企業の資金需要が落ち込み、これに対応のて銀行の貸出(信用創造)の伸びが低下していることが、
公定歩合の連続的引き下げにもかかわらず、近年のマネーサプライが停滞している基本要因である。
岩田氏の前提は貨幣乗数一定である。岩田氏は次のように言う。わが国においては、「貨幣乗数が比較的安定していることは、日銀はベースマネーの供給をコントロールすることによってマネーサプライをコントロールすることができることを示している」
したがって、日本銀行は短期金融市場金利ではなく、ベースマネーをコントロールすべきであると。しかし、貨幣乗数は
ベースマネーとハイパワードマネーの比率にほかならず、事後的な計数である。特に預金額に対してどれだけの現金での引出(現金準備の流出)があるかは、個人消費の状況や財政対民間収支の状況に依存し、
事前に決まっているものではない。したがって、貨幣乗数は安定的ではなく、金融政策にとって所与のものではない。貨幣乗数一定の仮定は非現実的である。
(『現代貨幣論』から)
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<マルクス経済学者からの「神話」批判 A>
「神話」に対する批判はもう1冊あった。結局マルクス経済学者からの2冊だけが「神話」に批判的であった。しかし、経済学教科書派はこの批判に耳を貸してはいない。仲間内以外の者の意見には耳を貸さない、「土の匂いのしない者の意見は聞かない」農業関係者の態度と同じだ。
筆者自身は、岩田氏の見解よりも翁氏のそれにより多くの共感を覚えるものであるが、ただ、内生的貨幣供給説は、その立論に依拠するかぎり、1980年代央以降のバブルの膨張とその崩壊に占める日本銀行の責任をともすれば免罪することになるという問題点を伏在させている。(中略)
さしあたり、横山昭雄氏および西川元彦氏の論述が、われわれに大きな示唆をを与えものとなる。
まず、横山氏。
「金融システム全体を考えるとき、まずなによりも市中銀行の対民間与信活動が、システム作動の始発点である」
「この経済にあっては、銀行の与信行為が、そしてそれのみが預金すなわちマネーサプライを生み、従って与信残高が、マネーサプライ残高に等しくなる」
「現代信用体系が作動するメカニズムは、まず ”はじめに与信ありき” である」
「よく『銀行の本体は受信業務にあるのか、授信業務にあるのか』という、古くて新しい問題が論じられる。……しかしながら……、マクロの全銀行組織(信用創造機構全体)をとって考察するときに、あくまで『銀行が貸せば、というより貸すときにのみ、それと見合いに預金ができる』
ということの本質・論理を見失ってはなるまい」
「@マネーサプライ即預金通貨は、銀行の対民間信用によって無から有を生ずるように創出される。Aしかるに銀行は自らの保有する預金通貨に対して一定割合の金額を中央銀行に準備預金として積むよう強制されている。
Bそして、この準備積立てのための所要資金は、金融機関全体としてみれば、中央銀行からの信用を受ける以外にない。これが……通貨供給体系のエッセンスである。
この論理を逆にB→A→@とたどっていけば、中央銀行の信用供与しだい、準備率の決め方しだいで、銀行の信用供与活動がが著しく制約を受けることになる、ということが読み取れよう。
金融政策が効果を挙げうるのは、まさにこの経路を通じてなのである」
「そのプロセスは、通説がいうように与えられた核貨を軸に信用拡張のメカニズムが展開していくのではなく、まず民間信用創造が先行しそれに歯止めをかける核貨として、中央銀行に裏づけられた中央銀行預金が機能する、と考える方がより真相に近いと言うべきであろう」
つぎに、西川氏。
「通貨がまずあって、それが貸借されるのではなく、逆に貸借関係から貨幣が生まれてくる」
「たとえば、貯蓄や預金が先行し、これに基づき、市中銀行の貸出や投資がうまれるというより、その逆という動きが格段と高まっている。
そこには、通貨や貯蓄が追加的に創り出される『動的な躍動』がある」
みられるように、横山氏の場合にも、また、西川氏の場合にも、その論理の特徴は、通説と異なり、@市中銀行によるいわゆる与信先行説に立って、受信先行説を否定していること、
A市中銀行の本質を与信=信用創造期間として位置づけていること、Bしかも、本源的預金(預金者による現金の預入れによって発生する預金)を基礎にする派生的預金預金(商業銀行による借り手の預金口座への振込というかたちでの貸出によって発生する預金)の創造という意味での、いわゆる信用の乗数的創造の理論を否定していること、
C現代の信用制度下における通貨供給の基本的メカニズムとして、市中銀行の対民間与信活動→預金通貨すなわちマネーサプライの創造→中央銀行による市中銀行への準備預金の供給、という因果関係が想定されていること、
Dそして、この関係を逆にたどることによって、準備預金制度と部分準備制度をテコとし、準備の供給の調節を通じた、中央銀行による金融政策の波及経路が確保だれるものと理解していること、こうした点に求めることができるであろう。
(『貨幣・金融論の現代的課題』から)
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<これが分かるとリッチな気分になる「貯蓄のパラドックス」>
「貯蓄は美徳である」この常識に対して反対なのが「貯蓄のパラドックス」。どういうことかと言うと、
<国民所得が一定とすると、個人の貯蓄意欲の増大により、個人の貯蓄量は増大するが、経済全体の立場でみると、貯蓄意欲の増大は消費支出の縮小となり、したがって国民所得の減少と結び付き、国民所得の減少により、貯蓄水準は減少せざるをえないということで、結果的には貯蓄量の絶対的減少をもたらす可能性がある。これを「貯蓄のパラドックス」とよぶ。いわゆる「合成の誤謬」または「結合の誤り」(fallacy of composition)の事例である>
このような説明が一般的だ。
経済が不況のとき国民が収入を消費に回さず、銀行に預金すると、結局経済が回復せず、収入も減り、貯蓄高も減少する、ということだ。
経済学の入門講座で取り上げられ、この勉強をすることによって次のステップに進んでいく。この「経済学の常識」は本当に常識なのだろうか?戦後の日本経済を振り返って、どうも嘘っぽく思えてきた。
もしかしたら「貯蓄のパラドックス」は「経済学の神話」なのかも知れない。
* * *
<節倹のパラドックス==サムエルソンの『経済学』>
どの国においても、その成長は貯蓄と投資に決定的に依存する。事実われわれは、子どものころから節倹が重要な徳目であると教えられてきた。
ベンジャミン・フランクリンの Poor Richrd's Almanac (『金言入りの暦』)には「1ペニイの貯蓄は1ペニイの稼ぎに等しい」と書かれていたし、どの国の大統領も、国民にたいし、国が栄えるため貯蓄を増やすようにと、絶えず慫慂(しょうよう)しているのだ。
しかし、貯蓄を増やせば必ず経済が潤うと言えるで有ろうか。意外と思われるような議論を展開したのはケインズであって、彼は、人びとが余計に貯蓄しようとすると、その結果は必ずしも国民全体にとっての貯蓄の増加を意味するとはかぎらない、
ということを指摘した。この「節倹のパラドックス」と呼ばれる事柄を分析してみることとしよう。
このような出だしで「節倹のパラドックス」==「貯蓄のパラドックス」を説明している。図を使ってかなり長い文章で説明している。ここでは一般的に理解されている「貯蓄のパラドックス」を基に話を進める。
一般的には「国民全体が貯蓄を殖やそうとすると、消費が減ることにより投資が減り、経済成長がとまり、結局個人の貯蓄も増やせなくなる」というものだろう。
ネットでは、赤羽隆夫が次のように説明していた。(アップロードしようと思ったら「お探しのページが見つかりません」になっていた)
世の中には逆説的な現象が少なくない。たとえば、金利を下げればお金を借りる人が増えるだろう。お金を借りるのは消費や投資に使うためだから景気浮揚効果があるはずだ。こう考えて、金利をどんどん下げた。ところが、実際には期待とは逆で、金融機関の貸し出しは大きく減ってしまった。金利が安くても魅力的な運用機会が乏しく、以前まだ金利の高いときに作った借金を一日でも早く返済する方が、もっと有利な資金の運用法になったからである。
イギリスの推理作家G・K・チェスタトンは「逆説とは頭立ち(さかだち)した真理」だといったが(『ポンド氏の逆説』)、金利下げと貸し出し減の関係は、むしろ貸し出しが減る状況だったから金利が下がった(あるいは下げざるを得なかった)と理解するのが正しいのだろう。つまり、因果関係を逆立ちさせて表現するからパラドックスになったわけだ。
もう一つある「貯蓄のパラドックス」 経済学でもっとも有名な逆説は「貯蓄のパラドックス」だろう。
特別の商才も博才もない庶民が金持ちになろうと思えば、乏しい収入の中から爪に火をともすようにして、節倹に努める以外にない。よほど強固な意思がなければ成功しないが、仮に社会の全員が堅固な意思の持ち主なら、みんながお金持ちになれるかといえば、そうはいかない。全員がお金を使わなくなれば、経済は大不況になり、幸いにして失業をまぬがれた者でも収入が減少し、もはやほんのささやかな貯蓄すら不可能になってしまう。
部分(ミクロ)の真理が全体(マクロ)の真理にはならないというわけだから「合成の誤謬(ごびゅう)」とも呼ばれるが、これがケインズの有名な「貯蓄のパラドックス」である。いまではこの逆説は多くの人々の「常識」になっている。しかし、貯蓄のパラドックスはもう一つあり、困ったことに専門家の多くも気が付いていない。
せっせと貯蓄したから、日本経済は高度成長した==貯蓄のパラドックスと反対のことが起きていた
戦後日本の経済は「国民がせっせと貯蓄をし、その資金を企業が設備投資・在庫投資・研究開発投資に回したから高度成長が実現した。そのために銀行は懸命に預金獲得に精を出した。
本部から厳しい目標が与えられ、現場ではグチもこぼれていたに違いない」、○○年史を読むとそのように感じる。
現在では銀行はあれほど預金獲得に力を入れている訳ではない。どこかの銀行で新規口座を開いてみれば分かる。せいぜいポケット・ティッシュ1つ程度のノベルティーでしかない。
銀行は、投資信託の販売と資産運用に力を入れている。休日に「休日相談会」を開き、ローン相談、資金運用相談にお客を呼び込んでいる。来店プレゼントは新規口座開設のそれよりも金をかけている。
もう資金不足で、預金が増えることにより貸出が増えるという状況ではない。日銀が買いオペを進めても、それで民間の信用創造が増える状況ではない。
経済学教育業界の人たちは、時代の空気を感じていないようだ。
ホーム・ページ「趣味の経済学」を立ち上げたとき書いた。▲「経済学の神話に挑戦します」「教えてください 貯蓄のパラドックス。経済学の本を読んで、これが分かるとちょっと経済学に詳しくなったようなリッチな気分になります。でも本当なのでしょうか?誰か異論を唱えている人はいませんか?そんな本・ホームページがありましたら教えてください。私が知っているのは「経済学改造講座 正当派への有罪宣言 」(第5章 貯蓄のパラドックスの嘘) M.スコーセン著 原田和明・野田麻里子訳 日本経済新聞社刊 他にもあったら教えてください」
と。
抽象的なモデルである「貯蓄のパラドックス」を論破したわけではないが、全く反対のことが起きていた、ということは十分説明できたと思う。
<貯蓄のパラドックス==サムエルソンの『経済学』の間違い>
このホームページの 創刊号▲ で書いた、『経済学改造講座』では、貯蓄のパラドックスを批判している。
その論旨を書き始めると長くなるので、ここでは出だしの文章と締めくくりの文章を紹介することにしよう。
「一個人の立場からすれば、貯蓄は金持ちになるための方法かもしれないが、国民全部が貯蓄に励むようになると、不況になり、みんなが貧乏になってしまうかもしれない」
(ウィリアム・ボーモル、アラン・S・ブラインダー共著”Economics:Principles and Policy”1988年刊)
「第5章 貯蓄のパラドックスの嘘」との見出しの後に、このよう文章を引用してから本文を書き始めている。
経済学のコースの中で、最も訳がわからない課目と言えば、誰もが躊躇なく、マクロ経済学を挙げるだろう。
そして、マクロ理論の中で最も混乱し、かつ矛盾しているのが貯蓄のパラドックスと呼ばれている反貯蓄理論である。事実、皮肉なことに、貯蓄のパラドックスはケインズ・モデルそのものに、自己矛盾があることを示す具体例の1つである。
反貯蓄派は経済学の至る所に存在している。しかし、大抵は石頭か、異端者たち(マンデヴィル、ホブソン、ヴェブレン、フォスター、キャッチングズ等)が宣伝しているものだ。
しかし、大恐慌以降、この異端的な考え方が、先頭をいくケインズとともに主流をいく正統派となった。そして現代最初の経済学教科書の著者であるポール・サミュエルソンが、彼の古典的な教科書『経済学』でケインズ理論の人気を決定的なものとした。
以後すべての教科書がこれに倣(なら)い、ケインジアン的な消費、貯蓄、投資、税、政府の政策などの分析を何章にもわたって解説するようになった。サミュエルソンの教科書は経済学の教科書としては最高の売れ行きで(300万部以上)、31ヶ国語に翻訳された。
サミュエルソンが1948年の初版で貯蓄のパラドックスを強調して以来、それがそのままその後のすべての版に受け継がれた。世界中の何百万人という人が、この反貯蓄の主張を教え込まれたことは明白である。
一体どれくらいの人がいまなおこれを信じ、その間違いに気づかずにいるのか見当もつかない。いずれにせよ、この反貯蓄主義的な考え方が、西欧諸国に危険な経済政策、すなわち貯蓄や投資に高率の税金を課す一方で、利子の支払いを所得税控除として、消費者の借入を促進するような政策をもたらしたのだ。投資優遇的な法律は、例外的なものであった。(中略)
このような書き出しで始まっている「貯蓄のパラドックスの嘘」は、最後、次のように締めくくっている。
サミュエルソンは”1ペニーの節約は、1ペニーの儲け”というベンジャミン・フランクリンの格言を否定するところから、貯蓄のパラドックスの話を始めている。しかし、貯蓄は完全雇用になくとも、常に美徳であることがわかっただろう。
われわれは、何世代もの間受け継がれた智恵を理論的にも実際的にも、正しいものとして再び全面に押し出すことができる。ベンジャミン・フランクリンはまったく正しかったのだ。
偶然にも、サミュエルソンの『経済学』第13版では、貯蓄のパラドックスの章が”短期のコースでは省いてもよい”ろいう注意書き付きの選択できる章になっていた。
これは明らかに好ましい潮流といえよう。恐らく貯蓄のパラドックスという考え方は、間もなく丸々消えてしまうか、歴史的な興味深い考え方、正統派経済学者たちにとって不面目な行き過ぎの一例と指摘されることになろう。
(『経済学改造講座』から)
<金は天下の回りもの>
貯蓄のパラドックスの誤りは、日本ではよく言われる「金は天下の回りもの」を忘れていることだ。消費に向かわず、銀行に向かった現金が、そこでタンス預金されるのではなく、企業に投資される、という事を考えていない。
銀行から、さらに先に向かう資金のことを考えずに、そこで考えをストップしてしまう、それが間違いの原因になっている。
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<公開市場操作の影響力は小さい!>
経済学の教科書では、日銀の金融調節の手段として「公開市場操作」が説明されている。「神話」を取り上げて、各種の資料を読んでいくうちに、「公開市場操作の影響力は小さいのではないか?」と思うようになった。
もしかしたら、教科書で説明するほどの影響力はないのかも知れない。そう思いながら、「新金融調節方式」が採用された当時のことを考えてみた。
公開市場操作の積極的採用
日本銀行が市場操作を積極的に活用するようになったのは、1962年10月における新金融調節方式の導入以降のことである。
その後、約25年余の間、手形オペが市場操作手段として活用されてきた。そして、1988年11月の短期金融市場運営の見直し以降は、より機動的な金融調節の実施を狙いとして、手形オペに加え、CPオペ、TBオペが導入されたほか、手形オペの範囲の拡大、国債のレポ・オペの導入など、市場操作手段の多様化が図られている。
新金融調節方式
1962年10月に日本銀行が採用した金融調節方式のことをいう。それまでの間、日本銀行によるハイパワード・マネーの供給はもっぱら日本銀行貸出により供給されていたが、経済成長に伴って増大する通貨(成長通貨)に関しては主として国債の買入により行うことに変更された。
(『金融政策』から)
1953年に戦後初の債券が発行された。これは加入者受利付電電債(満期10年)であった。その後、1966年1月に期間7年の国債が発行された。これが戦後初めての赤字国債であった。このことから分かるように、
日本銀行が金融調節方式を採用した1962年10月には、国債は発行されていなかったし、債券市場は整っていなかった。従って、銀行は手持ちの債券を市場で自由に現金に換えるということはできなかった。こうした時期に日銀が公開市場操作を始めたので、銀行にとって債権の流動性が高まった。
21世紀の現代では、銀行は日銀にでも市場ででも、自由に債券を現金化することができる。確かに1962年の時点では日銀の買いオペは金融市場に大きな影響を与えたが、現代では債券市場が整っているので当時ほどの影響力を発揮することはできない。
経済学の教科書では、公開市場操作を日銀の金融調節の手段として取り上げているが、1962年時に較べればその効果は小さくなっていると考えるべきだ。
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<買いオペを進めても、銀行貸出が増えるわけではない>
日銀の金融政策として、「景気対策、日銀にできること、できないこと」で、<金融政策の手段>▲
として、公定歩合操作、必要準備率操作、公開市場操作、外国為替市場への介入をあげた。経済学の試験ではこれで正解のはずだ。しかし、この「神話」を扱っている内に、少し違うことに気づいた。
それは「公開市場操作」だ。日銀が公開市場操作として、民間銀行から国債を買う。この買いオペによって銀行の日銀当座預金が増え、銀行は貸出を増やすことができる、と言うのが定説だ。確かにベースマネーは増える。
では、これに代わって、銀行が市場で国債を売ったらどうなるか?この場合、ベースマネーは増えない。マネーサプライは減少する。教科書の理論から言えば、景気を冷やす効果があることになる。そうだろうか?
確かにベースマネーは増えない。しかし銀行の貸し出すための手許現金は増える。銀行にとっては、国債を日銀に売るのと、市場で非金融機関に売るのと、その結果に変わりはない。どちらも貸し出すための手許現金が増えることに違いはない。
ベースマネーとかマネーサプライという言葉を使うことによって、日銀の買いオペと銀行が市場で国債を売るのと、まるで逆の効果があるように思ってしまう。
ベースマネーとかマネーサプライとは何か?▲ で書いたように、ベースマネーとかマネーサプライは金融機関の負債を表す数字で、これを景気動向に結びつけて考える結果を誤ることもある。
「日銀の買いオペは景気を刺激する金融政策である」は「神話」であるようだ。
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<必要準備率操作は効果があるのか?>
日銀の金融政策として、「景気対策、日銀にできること、できないこと」で、 法定準備金要額▲ で書いているように、8〜14%なので、この変更ににより効果は期待できる。しかし日本では2.5〜1.3%の変更になった程度なのであまり効果は期待できない。
「必要準備率操作は景気を刺激する金融政策である」は「神話」であるようだ。
<日銀の金融政策はアメリカの請け売り>
公開市場操作も準備率操作も金融政策としてこ効果は期待できない。そして「ベースマネーの増減により、マネーサプライが増減する」が神話であるとハッキリすると、これらの政策や「インフレターゲット」も無効であることがハッキリする。
結局日本の金融経済の理論と実際はアメリカの真似でしかないようだ。アメリカで有効であっても日本では効き目がない金融政策を真似している、ということになってしまう。経済学教育業界で言えば、準備率をアメリカと同じ10%で説明し、日銀ネットが即時グロス決済(RTGS)を採用したことに気づかず教科書を書いていたり、
金融業界の現場を知らずにアメリカの教科書を単に日本語に翻訳したのを使用していたり、閉鎖的な業界だと感じる。
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中央銀行は短期金利=公定歩合を操作目標にして金融政策を行う。公定歩合を上げたり下げたりして、景気の過熱を抑えたり、景気を刺激したりする。
これは日本だけではなくどこの国でも共通の金融政策になっている。しかし、アメリカで過去にこれとは違った金融政策が行われたことがある。1979年10月から1983年までの短い期間であった。
この期間にアメリカでは、金利ではなく、マネーサプライ(この場合はM1)が操作目標になった。この金融政策については多くに文献で「失敗であった」とされている。ここでは。少し突っ込んだ論評を引用することにする。
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<アメリカのマネーサプライ操作目標の失敗>
短期金利ではなく量をターゲットにした例としては、1980年前後のFRBの量的引き締めが有名である
(参考:『FRB──米国金融政策の舞台裏』W・メルトン、日本経済新聞社、『アメリカの金融政策と金融市場』アンマリー・ミューレンダイク、東洋経済新報社)。
1970年代後半、アメリカは悪性のインフレに悩まされていた。インフレ率の上昇に合わせて利上げを行っていったが、インフレ率は全く鎮静化しなかった。79年には消費者物価指数の上昇率は前年比10%を突破した。
この状況において、79年10月6日、FOMC(ボルカー議長)は次の声明を発表した。
「FRBは今後、リザーブ(準備預金)の操作に重点を置き、フェデラルファンドレートの短期的変動を抑える点についてはあまり重点を置かない」
衝撃的な「コペルニクス的転換」が宣言されたが、具体的にどのように運用されるのかほとんどの市場関係者は当初イメージできなかったため、市場は混乱を見せた。
FOMCはマネーサプライ(M1)を中間目標とし、操作目標をフェデラルファンドレートから非借入準備(連銀貸出を除くオペによって供給された準備預金)に変更した(よって、「非借入準備ターゲット」と呼ばれた)。
インフレ沈静化のため資金供給オペの額を絞り込み、厳しく抑えた。ただし、資金供給を厳格に抑制すると、法定準備金を達成できない金融機関が続出してしまう。
その場合、彼らは連銀の割引窓口から連銀貸出を受けることができる。しかし、連銀貸出を受けることは不名誉なことという風潮が市場では根強かったため、銀行は不足分の資金を極力自助努力で市場から調達しようとした。
その結果、フェデラルファンドレートは劇的に高騰した。月平均でも15%を上回り、1日に50〜100BPも変動することは頻繁にあった。
巧妙な政治的レトリック
この政策のポイントは”レトリック”にある。通常ならば、短期金利を15〜20%にまで引き上げるという過激な引き締め策は政府・議会に猛反対される。
しかし、「マネタリスト的量的引き締め」の装いをして、フェデラルファンドレートはFRBが決めているのではなく市場が決定しているのだという”フィクション”を強調すれば政府・議会からの反発は少ない。
つまり、「量」のふりをした「金利誘導」が政治的に極めて有効だったのである。また、「FRBが断固たる決意で従来と違う政策を開始した」というイメージで国民のインフレ期待に影響を与えようとしたのだと思われる。
困難なインフレ期待の制御
しかし、それでもインフレはなかなか鎮静化せず、インフレ率は上昇した。人々のインフレ期待に火がついている状況では過激な引き締め策ですら即効性はない。
このため、カーター政権は遂に1980年3月14日に「信用抑制特別策」を決定した。これは、銀行、貯蓄貸付組合、投資信託会社、消費者金融会社、クレジットカード会社などに対して政府の権限で強制的に信用を抑制するものであった。
この強権的な信用抑制特別策は劇的な効果をもたらし、80年第2四半期の米国経済を急激に冷え込ませた。そのため、同政策は早急にストップされた。M1も減少したため、FRBはそれに合わせて引き締めの手を緩めフェデラルファンドレートが10%以下に急落するのを許容した。
しかし、それが、インフレ期待を再び刺激してしまった。消費者物価は10%台で高止まった。また、80年は大統領選挙の年であったため、市場はこれまでの経験から、FRBは現職大統領に協力して間もなく利下げをするだろうと見なしていた。
その点もインフレ期待を高止ませる原因となった。
実質金利高騰の長期化で漸く鎮静
ボルカーは80年の半ばにフェデラルファンドレートの急落を許容した点を強く反省し、その後は厳しく非借入準備を抑制していった。このためフェデラルファンドレートは反転急上昇し、カーターは落選した。
その後もFRBはインフレ率を大幅に上回る短期金利を維持した(フェデラルファンドレートは81年に週平均で22.4%にまで上昇している)。実質金利も高騰した。その結果、景気後退が生じインフレ率は遂に低下していった。
なお、その後米国では、マネーサプライと実体経済の乖離が顕著となり、またこの急激な引き締めが中南米の累積債務問題を招いたため、3年後の82年10月にFRBはあっさりと量的引き締め策のスタイルを放棄している。
当時の連銀エコノミストだったW・メルトンはこの政策を後に次のように辛口に評している。
@準備と量と通貨の関連性、通貨量と消費量の関連性は時として大きく変化する。すなわち硬直的で自動操縦化した通貨管理は決して望ましいものではない。
Aインフレ鎮静の原因をこの政策がもたらした心理的変化に帰するのは無理がある。また、期待インフレ率が低下したのは、景気後退とインフレの鎮静を人々が目の当たりにしたことが原因である。
万能ではなかった量的引き締め策
日銀の量的緩和策もこのFRBの量的引き締め策のレトリック効果を見習っている可能性が考えられる。
ただし、FRBの場合は現実に実質金利を高水準に長期引き上げた。単なるレトリックではなかった。しかし、それでもインフレ期待が鎮静化するまでに2年以上かかっている。
国民の先行きの物価予想を転換させるにためには尋常でないエネルギーが必要となる。
一方で、日銀の量的緩和策は利下げ余地のほとんどないところで導入された。しかも、時間軸はデフレ期待には全く影響していない。
FRBの過激な量的引き締め策でさえ万能でなかったことを考えると、ましてや、日銀の量的緩和策がデフレを食い止めることは困難だろう。
(『日銀は死んだのか?』から)
<サタデーナイトスペシャル>
1979年10月6日に、連銀がフェデラルファンド金利水準の目標設定による操作をやめ、貨幣増加のコントロールによる準備量に根ざした操作に転向したことは、まさに過去における政策転換としてもっとも重要なものである。
この決定により金利水準の安定ということが政策の主要課題ではなくなったことから、金融市場に新たな不安要因が持ち込まれることになった。
連銀の政策目標はインフレの鎮静化に主眼が置かれた。この決定は、インフレ傾向の強い経済情勢の下では金利水準の安定を図ることはせいぜい一時的効果しか持たないという連銀の認識に基づくものであった。
(『FRB』米国金融政策の舞台裏 から)
<貨幣と非借入準備目標の追求>
1979年10月に、FRB議長に就任して間もないポール・ヴォルカー (Paul Volcker) は、貨幣集計量の目標追求のためのFOMCの操作技法の画期的変更を発表した。
過去10年間にわたり、インフレーションが容認しがたい水準へ到達したころが優先順位の変更を鼓舞した。ヴォルカー議長と他のFOMC委員は、経済関係に浸透したインフレ圧力を反転させるには、コストをともなうことを知った。
金利は当時の水準を大幅に超える上昇が見込まれたが、その上昇幅を事前に決定できるものではなかった。金利変動幅の増大もまた、インフレーションを停止させるための従前の努力がいっそう物価上昇を加速させた後、連邦準備による国民の信頼は低くなった。
ヴォルカー議長は強力な措置によってのみ国民の信頼を回復できるのだと感じた。
(『アメリカの金融政策と金融市場』から)
* * *
インフレを抑えるためには短期金利を高くしなければならない。しかし連銀が高い金利を設定すると、議会・市場から反発される。そこで、
マネー・サプライを操作目標に設定し、高金利は市場の動きによるものだ、と主張することにより批判をかわすことを目的とした。
こうした金融政策であったが、それ以後、こうした金融政策は行われていない。
ここで取り上げたのは、このような評価=失敗であったにもかかわらず、日銀は「金融政策の是非を判断するうえでは、公定歩合ではなく、ベースマネーに注目すべきである」との主張があるからだ。
このシリーズで取り上げた岩田論文 <週刊東洋経済の岩田論文=「日銀理論」を放棄せよ>▲ で、主張している。
「10年前にアメリカで失敗した金融政策を行うべきだ」と主張する、その真意を測りかねる。
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<本源的預金と派生的預金はどのように区別するのか?>
銀行は1000万円預金されたとすると、その一部(例えば10%=100万円)を準備とし残り900万円を貸出に回す。貸し出された900万円は取引先などへの支払に回りこれが銀行に預金される。
この場合、最初に預金された1000万円を本源的預金といい、後に預金された900万円を派生的預金という。
経済学の教科書ではこのように説明されている。では実際に本源的預金と派生的預金はどの程度の比率なのだろうか?いろいろな統計資料をみてもこの数字が出てこない。
どこにその数字があるのだろうか?どこにもその数字はないに違いない。だいたい預金を受け入れた窓口の行員でされ、これを区別していない。つまり本源的預金と派生的預金とは現実の金融業界では区別されていない。
「貨幣乗数」「ハイパワード・マネー」「トランスミッションメカニズム」などの言葉は意味がないので金融業界で使われていないように、「本源的預金」と「派生的預金」も
言葉は意味がないので金融業界で使われていない。いずれ、経済学の教科書でも使われなくなるだろう。抽象的なモデルとして正しいように思えても、実際は無意味な言葉が多いようだ。
<「本源的預金」という曖昧な概念>
マネーサプライの決定メカニズムについては、個々の銀行ないし個別支店というミクロ的な視点と、経済全体のマクロ的な視点とを区別することが重要である。
個々の銀行や支店にとって、預金の出発点となるのは、いわゆる「本源的預金」(銀行貸出に付随して発生する預金ではなく、消費者や企業が持ち込む預金)の受け入れである。
つまり、マネーは、その出発点において銀行以外の経済主体の行動によって生まれて来るものと考えられている。「信用の乗数的創造の理論」が説くように、この本源的預金から貸出が生ずれば、借り入れた者の預金(このような預金は本源的預金と区別して、「派生的預金」と呼ばれる)が生まれ、
最終的には本源的預金の乗数(預金に対する銀行の現金準備率の逆数)倍に当たるマネーが生み出される。
本源的預金の受け入れをマネーの出発点とする以上のような考え方は、ミクロの個別銀行・個別支店レベルでは確かに正しい。しかし、マクロ経済全体を考えるときには、こうした考えは適用できない。
たとえば、本源的預金が発生する典型的なケースとして、消費者が銀行に現金を持ち込んで預金する場合を考えてみよう。信用の乗数理論、あるいは、個別銀行・個別支店の立場からすれば、この現金がどこで生み出されたかは問題にならない。
しかし、マクロ的にはそうはいかない。消費者が銀行に持ち込む現金は、どこからきたのか、それは、たとえば、企業から支払われた月給やボーナスであろう。消費者に支払われたこの現金を企業が自らの預金を取り崩して手に入れたならば、マクロ的には企業の預金が家計の預金に振り替えられたにすぎない。
このように考えると、マクロ経済全体では、そもそも本源的預金という概念自体が、あまり有用でないことがわかる。先の信用の乗数理論によるマネー生成の説明はマクロ的には成り立たないのである。
ようするに、信用の乗数理論とはちょうど逆に、マクロ経済全体でマネーサプライが変化するときにイニシアティブをとるのは、非銀行部門の預金ではなく、銀行部門の行動なのである。
マナーサプライ(預金)の変化の原因は、あくまで銀行の貸出の変化にあるのである。銀行間でどれほど激しい預金獲得競争が行われても、もし銀行部門全体で貸出増がなければ、一定量の預金を銀行間で奪い合うことになるにすぎない。
以上が、『金融政策と日本経済』が説く現代の信用経済下におけるマネーサプライの決定メカニズムである。こうしたメカニズムが想定されるかぎり、中央銀行の運営にあたって、銀行部門のイニシアティブによって生み出されたマネーサプライに対応して受動的に準備を供給しながら、
しかも、その価格としての利子率の操作を通じて間接的にマネーサプライ自体をコントロールする以外に選択の余地はないのだ、ということになるであろう。
(『貨幣・金融論の現代的課題』から)
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<岩田・翁論争の岩田支持者たち>
週刊『東洋経済』で岩田・翁論争が始まった。週刊『東洋経済』ではその後、この論争に他の論者を参加させている。
ここでは、岩田支持者たちの意見を取り上げることにした。つまり「神話」を信じ、これを語り継ごうとする人たちだ。
これらの日銀批判はすべて「ベースマネーの増減によって(原因)、マネーサプライが増減する(結果)」との考えに従っている。その神話を全く疑っていないことに驚く。結局、「神話を信じているグループ内の内輪もめ」に思えてくる。
「岩田・翁論争」を裁定する マネーサプライ動向の「正しい」見方──植田和男
岩田・翁両氏による「マネーサプライ論争」の論点は、量の動きを重視する学界と、金利の動きを重視する中央銀行家との間で何度も議論されたものに近い。学界に一員として見解を述べたい。
このようなリード文のあとに文章が続く。そのポイントは次のような考えだと思う。
ベースマネー制御の可能性──中央銀行はベースマネーをコントロールできないのだろうか。正しい答えは、日々の単位ではある程度できる。1ヶ月の平均から数ヶ月程度ではかなり難しい。
1,2年程度の長期になれば、大きな誤差を伴いつつも強い影響を与えることができるというものである。( 週刊『東洋経済』 1992.12.12号から)
つまり「ベースマネーの増減により(原因)、マネーサプライが増減する(結果)」との神話に基づいて主張が書かれている。
具体的にコントロールする方法が分からないので、短期、長期という言葉でそれを濁している。何か具体的な方法は分からないが長くいろんな政策をやっていれば、長期的にはコントロールでき、それによってマネーサプライもコントロールできるはずだ、と言っている。
マネーサプライ重視の金融政策の復権を求める──岩田教授の金融理論はやはり正しい──原田泰・白石賢
上智大学の岩田規久男教授の「『日銀理論』を放棄せよ」は大きな反響を呼んだ。それに対しては、日銀関係者から「『日銀理論』は間違っていない」という反論も寄せられた。その後、植田和男・東京大学助教授の「裁定」もあったが、私たちは、やはり岩田教授の理論が正しいと思う。その理由を以下に述べたい。
さて、日銀関係者らの反論は、以下の3点からなる。第1は最近のベースマネー(ハイパワードマネー)の減少は預金準備率の引き下げが原因であり、金融引き締めとは無関係である。
第2は岩田教授のようにハイパワードマネーをコントロールすれば、、金利が乱高下するので非現実的である。
(T注)
第3に、日銀はマネーサプライではなく、金利により適宜適切に金融政策を行うべきであるといった主張である。(中略)
日銀的金融理論として、マネーサプライは日銀が作るものではなくて、銀行が作るものであるという固い信念がある。たしかにマネーサプライとは現金と銀行の預金を加えたものであり、そして現金の割合はその10%にも満たないのであるから、マネーサプライは銀行が作りだすものという信念が生まれるのも無理はないかもしれない。
しかし、それは誤りであて、日銀がコントロールできるハイパワードマネーが、マネーサプライ全体を動かすのである。このマネーサプライ供給の基本式は
マネーサプライ(M2+CD)=信用乗数Xハイパワードマネー と表される。
この式はハイパワードマネーが、銀行の与信行動を通じて信用乗数倍のマネーサプライを生み出すということを示している。
日銀がいくらハイパワードマネーを供給しても、銀行の与信行動が消極的になればマネーサプライは減少する。また、逆に、日銀がいくらハイパワードマネーを削減しても、銀行の与信行動が積極的になればマネーサプライが増大することもありうるかもしれない。(中略)
私たちは金融政策はマネーサプライの伸び率を一定にすることが望ましいと思う。(中略)
人間の知恵に頼る制度は危ういものであえう。システムとしての智恵にこそ頼るべきである。「人治よりも法治」とは、中国の民主派のスローガンにとどめるべきではなく、金融政策改善のためのスローガンとすべきである。
金融政策が大きなショックを与えることがないように、マネーサプライを一定の伸び率に安定化させることを目標とすべきである。
マネーサプライを一定の伸び率にしておけば、景気が良くなって貨幣需要が増加した時には金利が上がり、景気が悪くなって貨幣需要が減少した時には金利が下がる。金融政策はシステムとして景気を平準化するよう働くなずだ。
後知恵ではないシステムとしての智恵にこそ頼るべきである。
金融政策によって経済のショックを和らげる方法をよく知らないのだから、マネーサプライを安定的にしたほうがより優れているだろうという私たちの考え方は、知的敗北主義だと批判を受けるかも知れない。
しかし、知の限界を知ることこそ知恵というものではないか。適宜適切な金融政策よりも、マネーサプライを安定的にする金融政策こそが望ましいことが、ここ20年間の経験から学ばれる知恵ではないか。
( 週刊『東洋経済』 1993.1.16号から)
(T注)@ベースマネーの減少が預金準備率の引き下げが原因であることは<準備率の変更による日銀当預の変化>▲で書いた。
Aベースマネーをコントロールして失敗したアメリカの例は<アメリカのマネーサプライ操作目標の失敗>▲で書いた。
このように、「ベースマネーの増減により(原因)、マネーサプライが増減する(結果)」との神話に基づいて主張が書かれている。ベースマネーをコントロールし、
それによって「マネーサプライの伸び率を一定にすることが望ましい」と主張する。TANAKA1942bが「日本版財政赤字の政治経済学」▲を書いたころは、「経済の安定成長には、マネーサプライの増加率を安定させるべきだ、との考えが正しく思えてくる」と思っていた。
しかし、ベースマネーを増減させてもマネーサプライが増えるわけではない、ということが分かってくると、抽象的なモデルとしての意見としては否定しないが、現実の金融政策として採用するわけにはいかない。
マネーサプライを安定的にしたり、一定の伸び率にする方法がないのだから、神話に基づいた金融政策は採用できない。あるいはアメリカで失敗した、短期金利に代わって、ベースマネーをコントロール金融政策を採用せよ、と言うのだろうか。
翁論文への反論──混乱を招く日銀のあいまいな表現──香西泰
論争の焦点はマネーサプライの減少を放置しておくべきかどうかにある。日銀はコンフュージングで人任せの「言い方」を主体的な表現にしたほうが、論議を生産的にすることができる。
マネーサプライを巡る論争の焦点は、いまのマネーサプライの減少を放置しておくべきかどうかにある。それに比べれば上記のような表現上の問題は瑣末なことではあるが、表現を改善することで論争が生産的になる場合も考えられる。
例えばオペでバースマネーを増やすことは「不可能ではないが無理だ」という人任せの言い方よりも、それは「金利の大幅変動を招くので日銀としてはやりたくない」と主体的に表現してもらったほうが、政策論議をより生産的にするのではないか。
( 週刊『東洋経済』 1993.2.6号から)
「マネーサプライの減少を放置しておくべきでない」と主張しても、マネーサプライを増加させる方法がなければどうしようもない。
「ベースマネーの増減により(原因)、マネーサプライが増減する(結果)」をまったく疑わないエコノミストの知的姿勢を寂しいことだと思う。
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<日銀も神話を否定しない>
マネーサプライを巡る論争で、日銀も神話を否定していない。そのために日銀は非難され弁解に努める守りの姿勢になっている。
ここでは日銀の、曖昧な主張を取り上げる。
日銀当座預金の目標割れ容認──無理な資金供給に弊害も──日銀金融市場局長中曽宏
金融機関は法律などによって一定額の預金を所要準備として日銀に預け入れることを義務付けられている。短期市場金利を操作目標として調節を行う場合なら、日銀は金利動向を眺めつつオペで当座預金の量をコントロールし、その平均的な残高が所要準備額にほぼ一致するよう運営する。
短期金利を下げるために当座預金の量を増やす時には、国債や民間債務を担保に、金融機関に一定期間資金を供給したり(手形買入オペ)、金融機関から短期国債や長期国債を買い入れる。
一方、量を減らす時には、金融機関に日銀の手形や短期国債を売却する。
( 『日本経済新聞』2005.7.1 から)
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<金融経済学における「神話」と、それに類する曖昧理論>
「ベースマネーの増減により(原因)、マネーサプライが増減する(結果)」という神話は広く信じられている。次の文はその神話を説明している分かりやすい例と言える。
日本銀行が銀行の持っている債権を購入(これを買いオペレーション<以下買いオペ>という)すれば、その金額分だけ銀行の預金準備の額が増えることになります。
逆に、日本銀行が銀行に対して国債などの債券を売った場合には、その売った金額の分だけ銀行の預金準備は減少することになります。
銀行の預金準備の多寡は、銀行間の資金のやりとりに影響を及ぼし、一般的に銀行がより多くの預金準備を持てば持つほど、金融市場は緩和ぎみになるということにります。
(T注)@日銀信用と買いオペとによって、準備が増えることによる違いには触れていない。A買いオペによって銀行の保有する債券の減少について考慮されていない。B銀行が債券市場で非金融機関に国債を売った場合のことについては書かれていない。
銀行から国債などの債券を買うことにより、銀行の預金準備が増えた場合、銀行はどのような行動に出るでしょうか。
銀行が中央銀行に過度の預金準備を持つことは意味がありません。預金準備で持っていても収入を生まないからです。そこで銀行は、預金準備を一部取り崩して、貸出などに回すと考えられます。
銀行が預金準備の一部を使って貸出をすると、また新たな預金として銀行に戻ってくることになります。銀行はこうして集まった預金の一部を預金準備として残しておかなければいけませんが、残りの部分はまた貸出に回すことができます。
この貸出はまた、銀行に預金として戻ってきて、その一部が預金準備として残され、残りは貸出に回されることになります。
このように、銀行が行った貸出は、預金として一部戻ってきたものが、またさらに追加的に貸出に回っていくことになります。貸出と預金は累積的に膨れ上がっていきます。
中央銀行がハイパワードマネーを増やすことによって当初起こった銀行の預金準備の増加は、累積的に経済全体の預金や貸出額を増やす結果になります。この流れを信用創造のメカニズムといいます。
( 『はじめての経済学』下 から)
これが教科書の説明するベースマネーとマネーサプライとの関係説の典型的なもの。で実際はどうかというと、次のようになる。
経済活動が活発になると企業への銀行融資が増える。銀行融資が増えると預金も増え所要準備額も増える。日銀当預が増え、ベースマネーが増えることになる。銀行が日銀当預を増やさなければならなくなるので、日銀はそれに対応して、日銀信用を増やす、買いオペを増やすなどしてベースマネーを供給することになる。
銀行貸出が増えることにより、マネーサプライが増え銀行預金額が増える。これが原因になって銀行は準備を増やす必要が生じ、それに対応して日銀がベースマネーを増やす。これが結果となる。
今まで進めてきた話の要約は以上のようなことだ。そして、この神話が信じられていることによって多くの誤った理論・政策が考えられてきた。その1つが「量的緩和政策」だ。
日銀は「神話」を主張していない。にも拘わらず、市場では量的緩和政策を「神話」に基づいて解釈している。「日銀が買いオペを進めることによって日銀当預が増え、ベースマネーが増えることにより、マネーサプライが増えるだろう」との期待により、量的緩和政策を理解し、支持してきた。
さらに、神話を積極的に解釈して、「インフレターゲット論」が主張されてきた。これらはすべて原因と結果を取り違えた結果生まれた理論・政策であった。
「貯蓄のパラドックス」などのあいまい理論
「神話」を検討して感じたのは、「経済学の理論には、抽象的なモデルとしては否定し難いけれど、現実はまったく違っていることが多い」、ということだ。
「貯蓄のパラドックス」も、このモデルを否定するのは難しいが、日本経済を振り返ってみれば反対のことが起きていたことに気づく
公開市場操作や準備率変更が金融政策として有効であるかのように教科書には書かれている。しかし、アメリカで有効であっても日本では率が違っていてあまり効果が見込めない。
このシリーズを始めて約1年。色々なことが分かってきた。経済学教育業界では、実際の金融業界で役に立たない理論を教えているようだ、ということも。
そして最後は実際のゼロ金利・量的緩和政策が高いコストを払った実験だったということが分かってきた。このことを最後の締めくくりとして次週書くことにしよう。
(^o^) (^o^) (^o^)
<主な参考文献・引用文献>
『現代貨幣論』信用創造・ドル体制・為替相場 山田喜志夫 青木書店 1999. 9.10
『貨幣・金融論の現代的課題』信用創造・ドル体制・為替相場 建部正義 大月書店 1997. 4. 4
『経済学』上 原書第13版 サムエルソン 都留重人訳 岩波書店 1992. 5.15
『経済学改造講座』正統派への「有罪」宣告 M・スコーセン 原田利明・野田麻里子訳 日本経済新聞社 1991.11.21
『金融政策』[改訂版] 酒井良清・榊原健一・鹿野嘉昭 有斐閣 2004. 4.20
『日銀は死んだのか?』 加藤出 日本経済新聞社 2001.11.12
『FRB』米国金融政策の舞台裏 ウィリアム・メルトン 篠原興訳 日本経済新聞社 1986.12. 1
『アメリカの金融政策と金融市場』 アンマリー・ミューレンダイク 立脇和夫・小谷野俊夫訳 東洋経済新報社 2000. 2.10
週刊『東洋経済』「岩田・翁論争」を裁定する 植田和男 東洋経済新報社 1992.12.12
週刊『東洋経済』マネーサプライ重視の金融政策の復権を求める 原田泰・白石賢 東洋経済新報社 1993. 1.16
週刊『東洋経済』翁論文への反論 香西泰 東洋経済新報社 1993. 2. 6
『日本経済新聞朝刊』経済教室 日銀当座預金の目標割れ容認 中曽宏 日本経済新聞社 2005. 7. 1
『はじめての経済学』下 伊藤元重 日本経済新聞社 2004. 4.15
( 2006年8月7日 TANAKA1942b )
ゼロ金利・量的緩和という高価な実験
神話理論が崩壊し、そして日銀理論も
量的緩和政策は不良債権処理支援策だった?
そして馬は水を飲まなかった
▲
日銀の量的緩和政策についてのTANAKAの評価は上記のようなものだ。それに加えて今回は <
ゼロ金利・量的緩和という高価な実験 神話理論が崩壊し、そして日銀理論も
> というタイトルにして、「ベースマネーの増加により、マネーサプライが増加するという神話」シリーズを締めくくることにした。
@ 日銀の説明と実際の効果。A マスコミではあまり報道されていないコスト。B 「ベースマネーの増減により(原因)、マネーサプライが増減する(結果)」が神話であると実証されたこと。C 「日銀はベースマネーをコントロールできない」との日銀理論も崩壊したこと。
これらについて話を進めることにする。
* * *
@<量的緩和政策の始まり==金融市場調節方針等に関する決定事項>
2001年3月19日、日本銀行は政策決定会議において、量的緩和政策を決定した。まずその決定を下に引用したので、当時の経済情勢を思い起こして頂きましょう。